庵KM

技術屋OBの環境問題独り言

経済問題。交通問題。健康問題。そして、日本の国創り問題。快適社会問題。

規制緩和による市場競争では、付加価値のある新技術は無理。

2011-10-30 | 国創り政治問題
規制緩和を実施して、市場の参入条件を緩めて新規の企業が競争に参加すれば、経済は活性化する筈である。
これは、1990年代の後半から2000年代前半までの、経済専門家の論理で、これに沿って果敢に実行したのが『小泉内閣の構造改革路線』であった。
確かに、当時は旧時代の産業界は既得権益に浸かって、新規の事業や新技術の積極的に投資をする企業が減っていた。
それを、規制の壁を取り払えば参入する企業が増えて、魅力のある技術や商品が続々と生まれてくると、期待を膨らませたのである。

しかし構造改革路線は、市場競争を激化させたが、新技術や新商品の競争よりも、既存商品のコストダウン(生産合理化と人件費の削減による)を徹底することで、価格競争力を高めて値下げ競争に走る業種がほとんどであった。
これによって、国内生産では太刀打ちできない企業は、人件費の安い海外の発展途上国へと、生産を移転する路線を選ばざるを得なくなったのである。
構造改革による市場競争の激化を招く政策は、価格競争、人件費削減、海外生産への移転の加速を産みだしたのである。

政治家や経済学者は、新商品を産みだす過程や、新技術を創出する基盤がどの様な仕組みであるか、解っている人は皆無に近い。
市場競争の激化が、新技術を産みだすことはほとんどない。
あるのは生産合理化の省力化技術であって、商品の付加価値が上がることや、魅力のある新技術を産みだす原動力は、競争至上主義では無理なのである。
省エネルギー技術ば、省エネルギー生活が価値のあると国民が判る様な社会環境を整備しなければ、市場にでた省エネ商品が普及を早めることはない。
今回の原発事故の影響で、省電力が切実になって、照明器具の節電型が時代の要請となって「LED照明器具」の普及が加速したのである。

また、原発に頼る社会を拒否する国民意識が高まることによって、再生可能エネルギーへの投資意欲が促進され、それに応える形で、先進性のある企業が新技術への挑戦に力を入れ出した。
同時に、再生可能エネルギーによる電力の固定優遇価格の買い取り制度の法制化が、菅内閣の粘り腰で成立したことによって、やっと日本もグリーン電力革命の時代に、移行し出したのである。

付加価値のある商品、技術への転換は、社会条件が整うことが必須なのだ!

貿易拡大が最善と思い込む成功体験が破滅への道へ。

2011-10-30 | 国創り政治問題
人間は成功体験があることが、人生で最も価値のある経験である。
特に、成功体験によって、事業を拡大させて大きな権限を獲得し、個人資産を大きくしてきた人は、これ以上の満足感はないであろう。
しかし、もっと大事な社会的な名声と言う、人間的な価値を多くの人から認めてもらう方が、もっと価値の高いことには気がつかない。
社会的な地位と名声とは結びつかないのが本当のところだが、既得権集団の地位をえたことで、名声を得ていると勘違いする人間が多くいる。

今回の国論を大きく分ける議論に、アメリカの利益を増やそうとする[TPP]参加問題が浮上している。
何度も書いてきた様に、この交渉は、アメリカ企業を有利にして、経済の復調を画策するアメリカ政府の戦略の一環であるのは明白である。
日本を参加させて、日本の国内市場にアメリカ系企業が参入しやすくして、アメリカの利権を増やすことで、経済の立て直しをしたい、のが見え見えの強圧益な外交交渉である。
それに参加する事を前ノメリに進めようとする、日本の[TPP]参加が不可欠との論者の言い分は、とにかく、解らない内容ばかりである。

日本の経済停滞の主要原因がデフレ経済であり、その根底には慢性的な【総需要の不足】が、日本国中に蔓延していることにある。
この状況については判ると言いながらも、それでも、関税引き下げなどの輸入促進政策を推し進めて貿易を活発化する事が、経済活動を活性化すると言う、論理がめちゃめちゃな、説明を続けている。
関税引き下げを実施すれば、日本人が買いたいと思っていた商品が安くなるので、もっと需要量が増える、とでも言う筋書きが成り立っているとは思えない。

さらにひどい論理は、農業分野などの弱い産業を関税で保護する事は、『高付加価値化商品』への挑戦する事業の進展を遅らせている。
だから、[TPP]交渉に参加して、交渉を日本に厳しい状況でも妥結して、その動きに期限を設けるべきだ!というのである。
ぬるま湯に浸かっているから、いつまでたっても合理化や高付加価値事業への進化が進まないので、この際は、アメリカの外圧を利用して、無理やりに寒風の中に晒す方が良い、という帝国陸軍並みの突貫精神論を説いている。

外圧の脅威を利用して、論理もなく戦略もない政策で破滅へ進めようとする。

リーダー自らの節約指向だけでは国創りは限界がある。

2011-10-29 | 国創り政治問題
日本の指導層にいる人達は、苦学の末に貧乏に耐えて勤勉に職務を果たし、それによって成功してきた体験の持ち主が多い。
現在の首相の野田氏も、おカネが裕福に使える環境で成功してきたわけではない。
歴代の首相の中で、現在の個人資産は、最小であるとの公式発表もあり、ご本人もそれをむしろ勲章と考える様で、おカネまみれの実業界出身者や、利権構造の中にどっぷりと浸かって、のし上がってきた政治家とは、クリーンさにおいて一線を画している。

利権政治に辟易した国民にとっては、これは良い傾向であることが確かだが、それとリ―ダーシップをもって政策を実行する能力とは別の話である。
クリーンさだけでは、国創り出来ないのであり、国民性を踏まえた確固たるポリシ―に基づいた、戦略的な政策の積み上げによって、本質が創られていく。
太平洋戦争後の日本は、ほとんどの資産を失ってしまい、国民の勤勉さだけが、人的資産となって、国創りに成功して発展してきた。
この成果が『モノつくり先進技術による加工貿易立国』であったのは、正解であり、世界に誇れる選択であった。

だが、何度も書いてきた様に、この時代は過ぎ去っているのである。
今は、月並みな商品のモノ作りによる輸出産業は、日本にとってはお荷物産業であり、むしろ、「モノ作り」より『高付加価値創りと新産業』に移行しなければ、日本の将来の健全な発展は、望めないのである。
野田首相が、国からの報酬を3割減額して受け取り、1000円床屋に行って節約しても、国の将来の希望は見えてこない。
むしろ、率先して『高付加価値商品』を購入して、「総需要不足の改善」に向けての、模範行動をして欲しいのだ。

それは、高付加価値の高級果物、「原発事故の風評被害にあっている青森の高級リンゴ」を、買って消費することである。
ファーストレディの外出用衣服に、もう少しおカネをかけて、海外への旅行の際には、日本のデザインレベルの優秀さ、高付加価値を売り込むパフォーマンスの姿勢を見せることも必要なのである。

苦学して立身出世をした人には、『高付加価値』という国創りの方向性は、感性には合わないので無理かも知れないが、それでも理解をしてもらう必要がある。

TPP参加を急ぐだけの論者は盲目的対米追従ばかり。

2011-10-28 | 国創り政治問題
日本経済の安定のためには、海外との貿易を増やし、日本国内の規制に守られた特殊な業界を、世界標準(アメリカ標準)に合わせることが必要だ。
これが、[TPP]参加を不可欠とする論者の主張するところであるが、何度聞いてもその論理がおかしいと感じる。
野田首相をはじめとして、外務大臣、経済産業大臣は、とにかく日本が仲間はずれにされない為には、会議に参加して日本の立場を主張する事が必要で、まず「バスに乗る」ことばかりに、話が進んで前のめりになっている。

アメリカは、[TPP]交渉を有利に締結して、アメリカ側の輸出量を増やすことが目的であることは、はっきりしている。
つまり、日本側の輸入量が、現在より増えることを狙っているのだ。
それは日本国内の需要が一定であれば、輸入する製品が増えた分だけ、国内生産が減ることを意味して、日本国内の雇用機会が減るのだ。
アメリカの雇用が増えて日本の雇用が減る交渉に、乗り遅れてはならないとばかりに【参加を急ぐだけの対米従属論者】は、いったい、何が言いたいのか。

自由貿易を進めることで、日本国内の『総需要が増加する効果』が期待できるならば、国内産業の保護よりも優先して、とにかくデフレ経済からの離脱を図る意味もある。
しかし、付加価値の高い商品を海外から輸入する必要性は、どこからも聞こえてこない。
政府が従来から優遇して需要を喚起してきた、省エネルギー製品や、再生可能エネルギー関連の設備は、すべて国内の技術と生産で賄うことが出来る。
貿易自由化とは、まったく関係のない『高付加価値商品の優遇策』が必要なのであって、自由化によってさらに低価格商品が日本に流れ込んでくることは、【デフレ経済をさらに深刻化する】だけである。

国内の弱体産業である農業は、保護するばかりでなく、「果物などの高級品を海外の富裕層に売り込む」べきだ、と言う主張も聞かれる。
それは、[TPP]交渉とは関係のない政策であり、むしろ、経団連などが推進してきた原発事故の影響で、高級食品の輸出に大きな悪影響を及ぼしている。

日本の高級食料品のブランド価値を引き下げるのに、大きな貢献をして来た経団連こそが、まずは、国民に対してお詫びをしなければならない立場である。

貿易依存度の数値を見て低いと騒ぐ数値信奉の衆愚。

2011-10-27 | 国創り政治問題
日本はグローバル化の流れにおいて、[TPP]への参加問題で、国中の意見が分かれている。
参加を見送れば、日本は世界から取り残されるかの様に、危機感を煽る「自由化信奉者」の群れが、声を大きくして叫んでいる。
日本は貿易依存度が11.5%(GDP比率)で、この数値が落ち込むと国が傾くかの様な、貿易依存主義者の狂信的な恐怖感から、中身はとにかく、乗り遅れたら破滅の道だとでも言いたい口ぶりである。

お隣の韓国では、農業関係の産業は犠牲にして、加工貿易立国に進んでいる。
アメリカとの[FTA]の締結も、自国の貿易依存度をさらに拡大する方向で交渉を進めて、アメリカ経済への依存度を高めている。
現状での貿易依存度は45%程度で、これをさらに高めていく方向になる。
この数字を見て、日本の貿易依存論者や、マスメディアの欧米追従論者は、韓国が45%も貿易を伸ばしているのに、日本は11,5%で良いのか。
この数値がさらに下がる様では、日本は沈没だとでも言いたい様である。

だが実情は、アメリカ経済の沈滞と落ち込みによって、韓国の輸出関連産業は生産減少に見舞われて、韓国全体の経済は失速気味である。
この落ち込みをカバーしようとして、さらに対米輸出に力を入れることが、将来において国の経済の健全な基盤となるか、はなはだ疑問である。
国全体の経済を左右するくらいに、外国の経済動向に依存してしまう体制が良いのか、お隣の国での問題含みに疑問を持つべきであろう。
発展途上国が外貨を稼ぐために、輸出産業に力を入れて先進国の旺盛な需要を応える形で、産業を伸ばしてきた経緯は健全な発展段階である。
しかし、成熟した経済と余剰生産力が備わった先進工業国において、外国への依存度を高めることが、将来的に正しい方向なのであろうか。

この輸出競争力依存を重視する経済運営では、日本の様な【総需要不足経済】に陥った国では、海外の経済動向に翻弄される影響が増すばかりである。
そうかと言って、旧態然たる国内産業、特に農業関係の既得権構造をそのまま保護するためだけで、高率関税を維持する運動に埋没するだけでは、未来の展望は開けない。

自由貿易の問題よりも、農家を自立的に発展させる『高付加価値農業の創造』こそが、日本が本格的に取り組むべき課題である。

貿易収支しか見ていない経済官僚の狭量に支配される。

2011-10-26 | 国創り政治問題
経済活動は、モノの生産による流れだけで評価されるわけではない。
日本は長期に渡って、貿易収支が黒字であって、一時的に赤字になった時期はごくわずかであった。
リーマンショック後の経済縮小時期と、今回の震災の影響での国内生産減少の影響で、4月から7月の貿易収支は赤字になっている。
それでも、赤字金額は3兆円以下であり、8月以降は順調に生産が復活して輸出も回復しているので、貿易収支は黒字にもどってしまう。

国のおカネの出入りは、貿易収支のほかに、海外への投資や貯蓄したおカネに対する金利配当がある。
近年は、毎年十数兆円の金額に達している。
貿易収支がプラスマイナスゼロになっても、日本には毎年十数兆円のおカネが溜まり続けることになる。
だが、日本での金利や投資の配当は世界で一番低い水準であるので、これらのおカネは、海外への投資や貯蓄に回ってしまい、日本の経済を潤す効果がない。
長年に渡って技術を開発して事業化に成功しても、輸出にばかり力を入れていては、日本に溜まったおカネは海外に出て行くばかりである。

この日本の財産であるおカネが、海外ではなく日本国内に投資されて地域社会に潤沢に回る様にしなければ、働く人への配分が増えて行かない。
[TPP]参加論争は、経済のことが全く分かっていない経済産業省の言い分が強く主張されて、政府の統一見解がだされた。
単純にいえば、自動車のアメリカ輸出時の関税2.5%がゼロになるので、関税分の700億円が浮いてくる、と言う様な算術計算の積み上げである。
この様な論法で積み上げたGDP額は10年で2.7兆円の増加効果があるという。
だが、日本の最大の問題は、【総需要不足によるデフレ経済】からの脱却である。

今以上の貿易自由化促進、関税ゼロ化、規制の国際標準化(アメリカ標準)は、国際間の価格競争を激化させて、労働コストを一層引き下げる圧力となる。
自動車の関税ゼロで浮いた700億円が働く人に確実に還元されるならば、関税ゼロ化の恩恵もあるが、そんな事態は絶対におきない。
人件費の削減、労働分配率の低下は避けられない事態となって、今までの20年の経済停滞と長期のデフレ経済が、さらに延長されるだけとなる。

経済政策の【実績が全負の「経済官僚」の論法】を、まだ採用するつもりなのか。

国創りの将来像は「日本人の価値感に沿った創造」に。

2011-10-25 | 国創り政治問題
日本の国造りの目標を、過去の『加工貿易立国』から、次の段階の『高付加価値創造立国』に転換して行く必要性を書いてきた。
日本は既に、世界標準型の大量普及商品の生産には適さない国に成長している。
これから発展してくる途上国や経済成長が著しい新興国においては、普及型商品の市場需要は膨大であり、その市場に供給する大量生産品は、その地域、国において生産するのが、もっとも適している。
これに逆らう様に、日本国内に生産拠点を引きとどめようとする政策は、単に海外への移転時期を遅らせるだけに終わる。

そんなことをしたら、貿易収支は赤字になって、日本は先行きの国の成り立ちが覚束なくなる、と心配する「加工貿易一辺倒信者」が、日本にはまだ多く存在している。
この人達は、1960年代から1980年代に、日本の産業界の第一線で活躍して、日本の高度経済成長を実現して、世界一流の豊かな国にしてきた実績がある。
しかし、その成果は史上最高レベルの「長期円高」であり、【総需要不足に起因する長期デフレ】であることは、誰しも認めることである。

一般的な世界標準、大量生産製品の「モノつくり産業」は、すでに日本では【価値を産まない産業】となっている。
当面の雇用維持には貢献するであろうが、世界的な価格競争にさらされるので、「長期円高の日本」では人件費の削減、労働条件の低下は避けられない。
これにしがみついてでも、生活を維持しなければならない人たちが増え続けることは、国の将来は決して安心できる状況にはならない。
格差社会の拡大や、将来不安に備えての貯蓄指向の増加は、経済成長や豊かな社会への進展を阻害するばかりである。

日本は今や、海外への投資資金からの利益や、海外事業展開においての収益の一部を仕送りするおカネに、潤う国になっている。
そのおカネを重点的に、日本の価値感や慣習に沿って、より付加価値の高い商品やサービスの開発に力を注ぎ、国内需要を上向きに転換するべきである。
【ガラパゴス化】と揶揄されようが、日本人が最も価値を認める方向に、生活の質を高める商品とサービスを改革し発展させることに尽きる。

模範として来た「アメリカ型経済」や、「EUの経済統合」の行き詰まりを、充分に評価しながら、日本の国創りの進路を検討すべき段階である。

輸出を促進する政策は円高を招きデフレを深刻にする。

2011-10-24 | 国創り政治問題
国内産業の空洞化の懸念を強調する経済関係者は、今までも「海外移転を止める為の政策」を優先すべきだと主張してきた。
しかし、商品競争力を維持するために、各種の補助金政策や、雇用を維持するための臨時雇用の助成をする様な、膏薬貼り的な政策ばかりであった。
本来は、日本での生産に適さなくなった産業は、海外への生産移転を戦略的にすすめて、その代わりに『新産業を創出して雇用を生み出す』ことを本命の政策としなければならなかった。

だが「世界の流れに沿うのが当然」と頭から信じ込んでいる「自由貿易礼賛主義者」と、「グローバル化こそ善」との「世界標準主義」を信奉する【欧米権力追従者】は、日本の『高付加価値化に向けての将来ビジョン』は、一切ない。
日本独特の価値や慣習を、遅れた考え方として軽蔑して「ガラパゴス現象」として排除しようとしてきた。
だから、アメリカが覇権を回復しようとしている「自由貿易、アメリカ標準」を最善とするための[TPP]構想にたいして、中身の検討も不十分なままに、バスに乗り遅れないためだけに参加を急ぐ。

野田政権は、海外展開が遅れた旧産業界の代弁をして、国内産業の輸出競争力を維持するには、[TPP]参加は不可欠との前のめり姿勢に終始している。
関税ゼロ化、世界標準(アメリカ流標準化)が、どの様な影響を及ぼして、国内の地域産業や地域社会の文化に、どう影響するかの分析も一切できていない。
ただ、関税ゼロとなると全く成り立たない農業分野の強烈な反対運動に戸惑って、付け焼刃の「農業再生構想」の様な、看板だけは掲げようとしている。
こんな表面的な政策を打ち出すだけで、「日本の高付加価値産業立国」が、進みだす訳がないことは明確である。

当面の最優先課題は、輸出の支援ではなく、国内需要創出の優遇策である。
輸出総額は、日本のGDPの11.5%程度であって、輸出を増やせば貿易黒字は増加して、一層の「円高傾向」が増幅されデフレが深刻化する。
アメリカや欧州の経済不安が解消するまでは、意図的にでも輸出額を減らして、円安への誘導が不可欠である。
これを実行すれば、「経団連などの旧産業界」は、円安になってひとまず落ち着き、将来への適切な経営戦略を立てる時間的余裕が出来る。

それだけの機会を与えても、対応出来ない経営者は退陣してもらうしかない。

グローバル化の流れを肯定すると国内空洞化を促進。

2011-10-23 | 国創り政治問題
日本の経済界や政府関係者の心理的な恐怖となっているのは、【国内産業の空洞化】であり、労働関係者や消費者は、雇用機会の減少による収入減である。
これは、まぎれもない「先進国の差し迫った優先課題」となって、どの国も政府関係者の困りごとの第一である。
アメリカ経済の衰退や、EU諸国の失業率の高止まりは、国内産業が海外に続々と移転して行く流れに追いつかない「新規雇用機会の創出」の立ち遅れが原因となっている。

日本では、大量生産の製造業は1990年代からの円高の進行に伴って、各企業の経営戦略に沿って、必要性の高い海外市場に製造拠点を移転してきている。
今現在、国内での製造にメリットがあるのは、日本特有の価値感に沿った「高付加価値商品」の生産であり、日本の消費者嗜好にあわせた、日本特有の機能や規格にあった商品の生産である。
世界標準になる様な「低価格、大量販売による競争力を主眼とする商品」は、ことごとく海外生産に移行している。

日本独自の規格や、消費者嗜好に向けた、日本特有商品は、【ガラパゴス化現象】と揶揄されて、批判の対象になってきた。
しかし、皮肉にも日本特有であったために、海外での生産には適さない商品群となり、各企業は国内生産を優先して、何とか商品競争力を向上させる努力と改良を重ねて来た。
自動車でいえば、日本の独自規格である『軽自動車』は、法制度の恩恵もあって、消費者にとって経済的で、日本の狭い道路や駐車場での使い勝ってが良いので、今や自動車市場の4割近くが『軽自動車』が占める様になっている。

何でも「グローバル化するのが世界の潮流であり、それに沿わないのは遅れた考え方だ!」と言う論者は、可能な限り海外生産に適する様に、世界に従うべきで、【国内生産空洞化に協力するのが良いのだ!】と言っているに等しい。
経団連会長の業界では、世界の標準品で「月並みな品質の化学工業原料」の生産を日本に留めておくことは、既に無理な段階になっている。
それを、政策的におカネの力で引き留めようとしても、一時しのぎの「国内生産空洞化先送り」の政策にしかならない。

本当の対策は、日本での生産が最も適した『高付加価値商品』に力を入れ、それを優遇する政策実現が、今の日本にとって最優先の課題なのである。

過去の栄光にしがみついて対応の遅れた経営者。

2011-10-22 | 国創り政治問題
「加工貿易立国」を目指す日本の発展段階において、「化学工業業界」が果たした役割は、大きなものがある。
工業生産の基本となる原材料を、高い品質で安価に大量に供給できる生産体制は、その先の製品生産にとって不可欠な要素となっていた。
しかし、大量に安価な製品を日本国内で生産する必要性が薄れて、消費地に近い開発途上国への生産移転が進みだしてからは、それに合わせて原材料の生産拠点を海外に、効果的に移転して生産に転換するのが妥当である。

今の段階となっては、国内での原料輸入・生産・製品の輸出に頼ること事態が、日本の「高付加価値化商品:サービス」を主力とする産業にとっては、必要不可欠の要素ではなくなっている。
それにも拘わらず、「化学工業界」の会長が、日本の産業界をリードすべき「日本経団連」の会長に収まる様な、旧時代感覚を引きずっている現状が、日本経済の対応が後手後手になっていることを表している。

化学工業界は、エネルギー多消費産業の代表業界である。
エネルギー費用が安いことに依存する事業で、日本の円高への潮流は、輸入に頼るエネルギー費用は、円高のメリットを十分に受けて来た。
また、電力の多消費産業でもあり、電力料金が安いことが企業業績に大きく影響する。
そのためもあって、【原発の発電コストは安い】と言う、見せかけの【安価神話】を長年に渡って支持してきた。
地震対策や津波被害の想定を、意図的に甘くすることは、電力料金を低く抑えることに有利であるため、電力業界の言いなりに「安全性の割り切りを容認」してきた。

原発事故後には、安全性の確実な追求よりも津波対策だけで、とにかく【原発の再稼働】の必要性を強く要求して、経済産業省に圧力をかけてきた。
原発運転が減ると「原油の使用料が増えて電力料金が上がる」として、とにかく、自社の利益、自分の業界の利益を最優先する発言を繰り返した。
最後の脅し文句は、電力供給の不安や電気料金の根上げには、もう耐えられないから、「海外に生産を移転するぞ!」である。

これは、政府の対応が不備だからやむを得ず、採らざるを得ない措置で、自分たちの責任ではない。と言いたいのである。

加工貿易立国の理想に執着したままの旧時代経営者。

2011-10-21 | 国創り政治問題
我々の世代は、中学、高校では、日本は資源に恵まれない国だから、原材料を輸入して、知恵を使って製品開発して加工生産した製品を海外に輸出する。
この『加工貿易立国を目指す』と言う、大目標の国造りが基本であった。
そのために、技術の基礎になる理工学を勉強して、国内には蓄積のない「新技術の開発」は、先進国「アメリカ、ヨーロッパ」の技術導入をして、早期に国内技術のレベルを上げて、将来は自力で開発する能力を蓄積する。

この国造りの大目標は、1980年代の半ばには、ほぼ達成して「日本の経済力は世界一流」とまで言われる様になった。
この技術習得と生産拡大を通じて、円レートは、1ドル360円から180円程度まで、価値が上がったのである。
この期間に日本人の生活も豊かになり、海外の製品も半分で買える様になった。
だが、そこから先の国造りの進路を誤ったのが、日本の迷走の始まりであり、20年以上に渡る長期の経済低迷である。

モノつくり一辺倒から、高付加価値の商品・サービスへの移行が提言されてから、いろいろな施策が打ち出されたが、ことごとく、失敗に終わったと言える。
そこで、やはり日本はモノつくりが基本だとして、旧時代の『重高長大産業』が「モノつくりの重要性を再認識」と声高に打ち出して、発言力を回復した。
しかし1990年代からは、新興国のモノつくり技術は、日本や欧米からの技術移転の影響もあって、急速に進歩して、低価格商品はすべてと言ってよいくらいに、海外に生産は移転していった。
つまり『高付加価値商品のモノつくり』は、日本にとっての重要課題であったが、「低価格の月並みの商品」は、海外の人件費の安い、為替レートの有利な国に移転するのが、経済原則どうりなのである。

「化学工業」という業界は、海外から原油や精製された石油系原料を日本に輸入し、工業用の材料となるプラスチックや特殊原料に加工している。
これが1980年代までは、180円のレートで充分に収益が上がる事業であった。
しかし、1ドル90円を超える円高のレートでは、価格競争力は大幅に落ち込む。
この様な事業は、日本国内での生産には不適格な製品を作っているのであり、高付加価値化ができないならば、海外への移転を早期に実施すべきであった。

だが、化学工業企業の経営者は、今さらの様に、海外移転を脅しに使っている。
なんのことはない、1950年~1980年代の加工貿易立国に留まったままである。

海外への移転を公言する経営者はその国のレベルの報酬に。

2011-10-20 | 国創り政治問題
企業の継続を図るのが経営者の責任であり、その為に経営戦略を立てて、常に企業の発展を図るのが、正常な経営姿勢である。
しかし、日本国内において経営を続けようとしても、日本の【総需要不足】と長期のデフレ経済の環境においては、日本国内での業績を好調に維持することはむずかしい。
だから、経営戦略上の判断の居て、海外への事業展開を図ったり、生産拠点を輸出先の国に移転を図って、業績の向上を目指すのは当然の経営活動である。

だが、一部の強時代産業の経営者は、確たる経営戦略も経てないまま、日本の【長期の円高傾向】や国内での【企業法人税】の負担が多いとして、海外に生産を移転する動きを、政府に対する脅しの様に繰り返し、発言をしている。
つまり、日本での経営では人件費が高い上に、円高では製品輸出において、円レートが高い分を値上げする事は、価格競争力の維持においてはできない。
だから、政府の責任において、法人税を減免したり、各種の補助金を手厚くして輸出産業を守るべきだ!と言うのである。
それをしないなら、生産拠点を海外に移して国内の生産を打ち切るしかない、と政府に脅しをかけている。

1980年代までに日本の経済をけん引する『重高長大産業は』は、その時代の為替レート(1ドル180円以上)であれば、輸出競争力は十分に確保できた。
生産量の拡大に専念していれば、いくらでも利益が増える経済環境にあった。
日本は輸出の好調で、経済成長を長く続けて、貿易黒字を積み上げて行った時代である。
しかし、為替レートという経済の仕組みは、輸出が多すぎる国の価格競争力を弱めて、貿易赤字の国の経済を保護する仕組みである。

同時に貿易の赤字を減らしていくためには、輸出先の国では生産を自国内に取り込む努力をする。
だから、日本の貿易黒字が続く間は、相手国の経済水準の要望に沿った方向で、
製品輸出から『現地生産に移転』するのは、経済原理上の妥当な政策である。
海外への生産移転を実施した上で、「その企業の経営者の報酬は、相手先国の経済水準にあったレベルに合わせる」ことが、経済の原理にそっている。

つまり、人件費が日本の半分の国に移転した場合、経営者の報酬は半分にする。
日本生産が5割、海外での生産が5割であれば、報酬は75%が妥当である。



期待に応えられない経営者は減収を受け入れる常識。

2011-10-19 | 国創り政治問題
日本の政治家が先進諸国の中でも、群を抜いて高額の経費を使っているのに、投入した金額に見合うだけの成果を上げずに、日本の価値を上げた実績はゼロ、いやマイナスと言える20年間であった。
「マネーと言う数値に置き換え」ての論評は避けたいのであるが、他に適切な指標も見当たらないので、経済的な数値を比較せざるを得ない。
この20年間で、経済指標、数値では、先進諸国の中で順位を下げてしまい、経済的な数値におきかえられない日本のプレゼンスは、下がる一方であった。
こんな成果で、よくもまあ、バブル時代からの惰性的な税金の投入を受け取り、ヌクヌクとぬるま湯に浸かりっぱなしであった、と呆れるばかりである。

政治家の怠慢、堕落ぶりは、さておいて、日本の牽引力であった経済界の経営陣は、「日本の価値を創出、高める」ことに貢献してきたのであろうか。
新産業と言われる分野や、高付加価値を研究開発して、製品に具体化してきた企業も多く存在する。
しかし、1980年代までは日本の技術と産業界をリードしてきた【重高長大産業】、特に日本経団連の幹部を占めている産業界の経営者は、目ぼしい成果も生まないままに、既得権維持の政策ばかりに偏った要求を出し続けている。

その中の最問題産業は電力業界であるが、これは、あまりにもひどいので、ひとまず脇においておく。
他の産業は、「日本の価値を高める」ことに、成果を上げて来たのであろうか。
個別の産業で論じるべきだが、働く人への利益の配分、つまり「労働分配率」は、この20年で低下を続けて、今や先進国の中で下位グループになっている。
企業経営の重要な役割は、市場の競争を経て社会に価値ある商品・サービスを提供して、順当な収益を上げることである。
その収益を働く人に、できる限り配分して『可処分所得を向上』させ、市場の優良な商品への需要・購買力を、活発に継続して行くことになる。

だが、この【20年間で労働分配率を引き下げた】と言うことは、必要な社会的な価値を生み出せなかった、という結果であるとみなせる。
それならば、分配率の下げ幅に相当する以上に、経営者の報酬は引き下げて行くのが当然の対応策であり、日本の国民に対する正常な姿勢である。

期待に沿えない成果しか産み出せない経営者は、潔く減収を受け入れて、責任をとる姿勢を示すべきであるが、何人の経営者が実行しているだろうか。

大企業でも価値が低い生産しかできない経営。

2011-10-18 | 国創り政治問題
日本では何かと言えばすぐに、大企業の業績やら経済への施策の要望が大きく伝えられて、国造りの根幹の政策を左右してきた。
高度経済成長時代は、日本の経済基盤が弱くて、とにかく、重高長大型の産業を活性化して、日本の土台になるインフラ整備や、生産活動への支援を最重点にして、政策的に税金の投入を実行してきた。
それは1980年代には、ほぼ達成済みであって、次の優先課題に取り組みを始めなければならなかった。

しかし、80年代の後半以後は、「高付加価値社会」を目指すとして、政策議論は取りざたされたが、その成果は一向に現れずに、金満国家の悪い体質の【バブルの発生と広がり】を、コントロール出来ずに、経済成長の低下とデフレを招くばかりになってしまった。
つまり、この期間にはバブル価値しか生まずに、ただ従来の生産活動だけを、惰性的に保護してきただけの政治であった。

ここで、その政治家にはどのくらいの経費がかかっているのか、数値で表しておくことにする。
国会議員一人当たりに、どのくらいの国民の税金が使われているか記述する。
年間の歳費が2100万円。このほかに、「文書通信交通滞在費」と称して、年間で約1200万円が支給される。
さらに、公設秘書を3人まで雇用する事が出来て、その経費が2500万円となる。
議員個人ではなく、所属する政党向けに「政党交付金」が一人当たり4000~5000万円の税金が使われる。
一人の議員の活動には、年間で1億円以上の税金が支出されている現実である。

これが、イギリスやフランスなどの議会がしっかりと機能している議員の活動に使われる税金はどうかと言うと、一人当たり年間で1000万円未満である。
20年以上に渡って、目ぼしい成果をあげられない日本の国会議員が、先進諸国の議員よりも、『価値を産みだしている』といえるか、まったく疑問である。
イギリスやフランスの議会よりも、お粗末な議会活動によって、何も生み出さないのに、議員一人当たりで、10倍以上モノ税金を使っている。

同じ様に、日本の旧産業の代表である大企業は、1980年の後半からは、目ぼしい『高価値の創造』は出来なくなって、ただ、追従してくる「開発途上国の産業との価格競争」に引き込まれている。(以下、次回に)

社会で報じられる価値の高さは、おカネの数値に変身。

2011-10-17 | 国創り政治問題
人を感動させるという効果は、高い価値を生み出す。
スポーツ選手や芸術家たちは、日夜、自分の能力と創造性の限界を駆使して、人を感動させる努力をしている。
これは、文化的な活動の領域だけでなく、日常の生産活動、商業活動、などでも、人に感動を呼び起こす様なアイデアを、日夜研究して努力している人たちも同様である。
しかし、それらの成果が、今はすべておカネという価値の数値に変えられてしか、認めてもらえない風潮になってしまった。

だから、生産活動や企業活動において、生産高を企業価値に順位に使ったり、
売上高や、企業利益の高さで優劣を評価する様な風潮も広がってしまった。
一時期は、株主利益を最高に維持するのが、企業の経営者の役目であるとの利用で、株価の上昇率や、株主への還元が最優先される経済評価が流行した。
さすがに、経営者の年俸の高さを競う様な金満思想は、ひんしゅくを買って下火になって来ている。
世界中で社会での配分の不平等を批判する勢いが増えて、経営者や資産家の高額所得を称賛する様な論調はなくなっている。

しかし、おカネを価値とする社会にレベル評価が多すぎる為に、各国での政治指導者の評価は、経済指標の好転が支持率に直接響いたりして、どうしてもおカネの価値に換算できる、経済政策ばかりが優先してとりあげられる。
政治家や企業経営者のとっては、自分の立場を守り、権限を行使するには、「おカネに換算できる価値」を、最優先にして実績を上げなければ、その立場を失う恐れが大変に大きい。

そこで、まずはおカネに置き換えての価値を産みだしているかどうかで、その是非を議論する事に、妥協せざるを得ないのが現状の社会である。
このブログでも、読者に説明出来る様な数値を引用するときは、やむを得ず、現代社会に通用している【マネーに換算した数値】で、評価したり問題点を指摘することになるが、『本当の価値を生み出す』行動は、おカネにおきかえることが出来ない部分に、長い時間をかけて獲り込まれている。

社会的価値や、文化的価値、美的価値、人間の能力開発の価値など、大変に奥深い分野になるが、これらは、徐々に堀下げた議論を進めて行きたい。