庵KM

技術屋OBの環境問題独り言

経済問題。交通問題。健康問題。そして、日本の国創り問題。快適社会問題。

日本発の新産業分野を伸ばすには。まずは、鉄道産業を。 

2009-06-30 | 交通問題・自動車
日本が賢い政府をもつことが、将来の国民の健康的な生活を維持する上で必須の課題である。
しかし、現状を見るにつけ、とても賢い政府とは言えず、それは言ってみれば、有権者の大半が賢い政治家を選挙で選んでいないからである。
しかし、市長には若手の意欲ある候補者を当選させる自治体も現れて、一部には希望が持てる空気も流れ始めている。

今月は、うっとうしい国政のテイタラクぶりを嘆くのから離れて、産業界で技術開発と事業の進展に目覚ましい成果を上げている業界、企業を探してみようと思う。
このすぐれている産業を、一気に優遇することで日本の活力のもとになる「新産業」を拡大していくことで、日本は希望の持てる国になる。

昭和30年代から40年代にかけては、日本は自動車産業はよちよち歩きのとても世界には出ていけないレベルの産業であった。
当時は国産の自動車企業はトラック生産に特化して、乗用車生産はやめた方がよい、という識者?の意見もあった。
しかし起業家精神が旺盛な経営者と、世界に打って出るレベルの技術を自前で持ちたいという技術者魂で、歯をくいしばって頑張ってきた。
おかげで、昭和60年頃には、日本の自動車産業は世界の一流レベルに達し、日本の輸出の稼ぎ頭になった。

そのころ、鉄道事業は国鉄という親方日の丸の大企業病にかかった非能率の典型の国営組織で、長年にわたって赤字を垂れ流し続けている産業があった。
それを、当時の政府と産業界の見識のあるリーダーの努力で、分割民営化の大改革を行った。
これが現在のJR各社となり、その後の経営努力と技術革新へ力をいれてきたので、今では日本の鉄道システムは、世界の中では一番進んでいるレベルになっている。

しかし、明治政府の時代に当時の軌道幅の狭い規格を採用〈1047mm〉したために、高速化の面で不利であった。
その壁を破るべく、日本は標準軌といわれる軌道幅〈1475mm〉を採用し、新幹線という呼び名で高速列車のシステムを開発した。
国鉄時代であっても、新進気鋭の技術者が知恵を絞って寝食を忘れて打ち込んだ技術は陽の目をみて、いまでは世界に誇る新幹線技術システムを完成している。
さらに高速化に向けた技術研究に怠りないことは、このブログにも書いた。(4月27日)

この鉄道システムは世界中で見直される時代になっている。
今までも書いてきた化石燃料の使用削減には、自動車交通を減らす必要があり、また長距離では飛行機に頼るばかりでなく、500km程度であれば、高速鉄道の方が便利で省エネルギー性に優れるからである。

アメリカは自動車交通大国であり、大きな国土の交通流を結ぶには航空機システムは不可欠である。
しかし、これ以上の石油の使用料の増加は国の将来を危うくするとして、鉄道システムを大幅に取り入れることに方針を転換した。
自動車や航空機の燃料を「バイオ燃料」に転換することも進めているが、それとても、生産量には限界がある。
鉄道システムを革新することが不可欠になっている。

昨日のニュースで、JRの会長はアメリカで新幹線技術システムの売り込みのプレゼンテーションを行った。と報じている。
自動車交通文明最先端のアメリカですら、日本の新幹線技術導入の本格的検討に入った。
これを機会に「新産業」としての未来を構築する「国策としての支援策」を検討すべき段階である。
まずは330Km/hの世界一の新幹線鉄道をアメリカに輸出する。

それを梃子にして、世界中の鉄道交通を必要としている国に日本の技術を広め、地域社会に貢献する『希望が持てる』。

言葉のイメージで取り繕う「愚かな政府」では、国民が? 

2009-06-30 | 暮らし・健康問題
このブログで書いてきたことは、まとめて言えば、単純である。
国民が安心して豊かで健康的な生活を望むなら、まずは「雇用の確保」である。
それには「新産業を育成する」ことで、活性化された経済を維持し、発展させることが必須である。
現在の時点で「新産業の有力候補」は、脱化石燃料エネルギー社会に転換する「再生可能エネルギー」産業を重点的に強化すべきである。
そして、その投資費用は、旧産業を徐々に縮小させる「バッド課税」を新制度として、実現する。
増加した財源で、「新産業」の育成と雇用創出、労働分配率の向上に振り向ける。

濃縮した言い方にすれば、以上のような趣旨になるが、日本の現在の政府は、方針を何も示していない。
とにかく未曾有の経済危機だから、「緊急措置として財政出動」しか能がない。
そのお金で、どのような社会をつくろうとして、国民に提案しているのか、ちっとも伝わらない。
だから、経済の活性化は一時的なものに留まってしまう。

いや、政府はいろいろと未来に向けての政策を打ち出している。
という風に感じている読者もいるでしょう。
しかし、それは言葉のイメージによって、なんとなくその気にさせているだけである。

「低炭素社会」を目指す。と言いながら、陰では原子力発電の再拡大をもくろむ勢力に操られている。
「環境立国」を目指す。と言いながら、実際の誘導政策や技術開発促進に向けての予算配分はわずかにとどまり、看板を掛けるには、恥ずかしい限りの中身である。
「美しい国、日本」を目指す。と言っていた安倍内閣は、何もできずに瓦解して、何をやろうとしたのか、一向にわからない。

唯一つの評価に値する方針として、「2050年までに、世界での炭酸ガス排出を半減する」と洞爺湖サミットで、世界の首脳に呼びかけて、合意にもっていくリーダーシップを発揮した福田首相は、地味であったが、堅実な行動で目標を掲げて国民に説明をした。
その成果の延長で、2009年のサミットでは、途上国も含めた首脳会議での合意に達する見通しである。

しかし、その目標に達するためには、日本は現在よりも80%以上を削減する必要がある。
それは誰が計算しても、2020年には、20~25%の削減をしなければ、達成は苦しくなる。
にも拘らず、麻生内閣は、1990年比で8%、2005年比で15%の削減が、日本で達成できるぎりぎりの数値である、として、国際会議に出して顰蹙を買っている。
国際会議で出す前に、国民にきちんと説明しているのであろうか。

2005年までは、歴代の内閣の失政により炭酸ガスの排出は増え続けて、京都議定書の順守が危うくなり、外国からの排出量取引により税金で穴埋めをすることに追い込まれた。
これは本来は、国内に投資して削減できる産業を支援すべきであるのに、みすみす、外国への寄付になってしまった。

それにおじけついて、今回の目標数値には、外国から排出量取引購入は含まれないとして、「真水」と称して胸を張っている。
だから、「15%削減」は世界で一番高い目標である。
この数値は「野心的な目標」であるとしているが、環境立国を目指す国としての言動とは思われない。

そして、削減は「公平に分担」しなければいけない。ともっともらしい説明をしているが、それでは、次世代に対して公平な目標を出しているのであろうか?
15年間で15%削減するということは、次の30年間では・・・30%ですね。
では、2050年には、簡単に算数で計算しても45%。
これでは2050年の80%にはならない。
10歳の子供でもわかる正解は65%を次の世代でやってくれ!と言うことである。

これが公平性を力説する人の言うことか・・・・!!

健康的な生活を守る基本の雇用確保は、先見性が必要。

2009-06-29 | 暮らし・健康問題
いまの世の中では、安定している雇用と収入が大事であることは誰も異論はない。
しかし、自由市場取引主義によって、企業間の競争を促して生産性の向上を図ることは、ともすれば人件費の削減に突っ走る企業が現れて、市場取引での競争上は優位になる。
雇用の確保を優先する政策を打ち続けなければ、必ず雇用不安を招き収入の低下につながる。
このことは6月13日~19日にわたって、このブログに、それが起きる原因を書いてきた。
もう十分に理解されていると思います。

先進国では、労働時間の制限や遊休休暇制度、超過勤務手当制度などは、とうの昔に法令も整備されて、日本のように、隠れた労働ダンピングは起きない。
それでも雇用の確保については、どこの国の政府も最も重視してきた政策である。
あらゆる知恵を動員して雇用の機会を増やすことが、その政府の役割であり、実績評価につながる重要な争点である。

アメリカは2008年の金融危機、不動産バブルの崩壊で、経済的には大変不利な環境に陥ってしまった。
失業率は10%を超えてさらに増える可能性が高い。
ここにおいて、オバマ新政権は数百万人の新規雇用を増やす、再生可能エネルギーの普及を強化していく政策を採用した。

「米クリーンエネルギー・安全保障法案」と呼び、石油や石炭など化石燃料に依存する社会・経済のエネルギー構造を、風力や太陽光などを活用するように変えて「新産業を強化する」ための具体的な制度を決めるものである。
詳細は省くが、要点は化石燃料を割高にして、その分の金額を企業に負担させ、それによる収入を再生可能エネルギーの価格に補てんをして、経済性・価格競争力を有利にさせる制度である。

前に説明した「バッド課税・グッド減税」の考え方に沿った誘導政策であり、これによって新産業に参入する企業の投資回収を有利にさせて活性化する面もある。
当然、「グッド減税」の恩恵は新産業で成功する企業が獲得して事業を拡大するので、新規雇用が大幅に増える。
現在、考えられる制度の中では、なかなか合理的であり経済効果は期待される。

しかし、いつの世にも反対する勢力は多い。
この場合は、「バッド課税」の分野に相当する石油や石炭に依存して発展してきた地域や産業を代弁する人たちである。
反対の理由はいつも同じである。
エネルギーの価格が割高になると、企業のコスト競争力が低下して輸出競争に敗れる。
その影響で経済はさらに停滞するというものである。
自分たちが代弁している集団の利益だとは言わない。

オバマ大統領の母体の民主党からも、反対票を投じた議員が44人にのぼり、下院での議決は賛成219、反対212、と弱差で可決できた法案であり、上院においては成立はまだ危うい状況だという。
どんな状況でも既得権を持っている勢力は、今の利権や境遇を維持しようとして必死に抵抗する。
それを押し切って、新産業を優遇する制度を作るのは大変な熱意と行動と知恵が必要である。
アメリカは、それを乗り越えることができるか、大きな試金石である。

一方、日本の状況はどうかというと、まだまだ、まったく効果のすくない制度しかなく、申し訳程度の補助金制度で、取り繕っている状況である。
麻生首相がいくら力説して太陽光発電の促進をするといっても、法律的な優遇はほとんどない。
これでは日本では普及促進の見通しはないので、新産業として勢いよく発展する可能性は低い。
結局、新産業が伸びないことで雇用も増えない。

エネルギーを大量消費する企業の国際競争力を維持することにしがみつくならば、雇用は減る一方であろう。

生活者の未来は、賢い政府を持てるかどうかに左右される。

2009-06-28 | 暮らし・健康問題
大きすぎて潰せない疲弊企業、代替の利かない官僚機構に頼る政治は、「モラルハザード」を起こして、大きな損失と負の遺産を残す可能性が大きい。
日本はその道を進んでいく瀬戸際にたっている。

いままでの進路は、ほとんどの人が「アメリカの後追い」をしてきた。
それに追いつけ、追い越せのスローガンでとにかく、アメリカの進んでいる方向が自分たちの未来を豊かにすると、単純に思い込んできたからである。

ここ数年のブッシュ政権のあきれるほどの傲慢ぶりには、さすがのアメリカ追従論者も、口を閉ざす事態である。
それでも、アメリカの進む方向は、日本の未来に大きな影響をもたらすことになる。
貿易や人の交流できっても切れない関係がすでにできている。
猿まねではなく、じっくりと自分の目で見て、表面だけに流されないで深く考えて行動することが大事である。

アメリカは民主主義の仕組みで8年たつと政権が交代する。
取り繕っていた前政権の既得権構造や、予算の配分は大幅に見直しができる上に、政策の変更によって官僚機構のトップクラスを、ほとんど入れ替える。
これが腐敗を防ぎ、官僚のモラルハザードを防ぐ仕組みになっている。

一方、日本では、政権の交代は今までには皆無であった。
小泉内閣の構造改革は、一部は進んでも既得権組織の力が強くて中途半端に終わり、弱者にしわ寄せがすすんでしまった。
これを構造改革路線の誤りだとして、揺り戻そうとする勢力が息を吹き返している。

日本の衆議院総選挙も迫ってきたが、有権者の選択の目はどこを見ているであろうか?
4年前の選挙は、既得権益を象徴する郵政の「構造改革」が焦点となってしまった。
莫大な郵便貯金の使い道を、自分たちの利得にできる勢力と、それを破壊して民間銀行並みにして、自由な金融業の競争を促そうという勢力の戦いであった。
政府系の不祥事があまりにも多かったので、世論は自由化路線をえらんだが、金融の自由化の先にはアメリカのような失敗がかくされていた。
日本では金融界の行き先を示すことができないでいる。
似非専門家はどこかに隠れている。

今回の選挙での争点は、政権交代という大枠の中でしか議論が浮き彫りになっていない。
具体的な政策ではどっちつかずの「その時になってから決める」という、様子見の議員が多くて、政策判断の基準がその時の空気に流されやすく不安定である。
大きな争点をキチンと説明して、政権をとった政党が実現する方向をはっきりと示して、それを実行しなければならない。

大きな争点として必ずあげておかなければならない項目をおさらいしてみよう。
・健康的な生活を守る基本の雇用の確保、「労働分配率」「労働時間の制限」を改善する政策。
・新産業を育成するための戦略的な施策と制度。(価値を生み出す産業、企業、ひとの育成策)
・地方への権限移譲を本格的に進める意思と実行スケジュール。(総論ではなく各論の段階)
・脱化石燃料社会へ転換する施策と、再生可能エネルギーの育成政策。(環境税の創設など)
・核兵器の不拡散の戦略と、原子力発電の段階的縮小目標。(このブログでかなり説明した。)

これから4年間の政治を任される政党を選び、実行する能力と誠意をはかるのが総選挙であるから、上にあげたような重要な論点は、明確にしておくべきであろう。
多額の税金と政策の立案、実行を任せる契約書であるから、いい加減にしておいて「スローガン」だけでゴマ化すのは許されない。

独占的な権限を持つ組織には「モラルハザード」が頻繁におきる。

2009-06-27 | 暮らし・健康問題
世の中で専門家と呼ばれる人や、専門的な分野の権限を持つ組織においては、頻繁に「モラルハザード」を引き起こす。
これは、物事がうまくいっている場合は自分たちの手柄であり、その利益や役得は自分たちの仲間内で配分する。
そして、外的な要因で物事が悪い方に行くと、外部の責任にして、自分は被害を受けないポジションに移動して、逆風の収まるのを待っている。
そして、チャンスが来そうになると、また専門家の出番だとばかりに、表に出て権益を行使する。

日本の政治は、自民党の一党独裁と同じで、50年以上、権力の座に居座っていることで、批判に対して無頓着になっている。
一時期に政権を離れたが、代わりを務める政党がいなかったに等しいテイタラクなので、すぐに返り咲きして、権益の保持を主目的にしてきた。
日本の世界における地位の向上とか、社会構造の発展や健全な国民生活の基盤など、本当に追及すべき政策はすべて先送りして、支持基盤の既得権を守ることを優先してきた。
どうやらガン細胞は、有害なくらいに肥大化してしまった様である。
これは、代替の組織(対抗できる野党の生長)がなくても、すぐに削除しなければ、日本は重病に陥りかねない。

それでも政党政治という制度があるので、だれの目にも腐敗やモラルハザードが解るようになれば、交代させることができる。
民主主義制度の救いは、最終的には有権者の判断で交代させることができる。
しかし、官僚機構という制度は、この民主主義の埒外にあって、方向性の大きな間違いをしでかしても責任を負って腹を切るということが一切ない。
それは専門性が高い領域なので、間違いがあっても表面的にうまく繕うことができて、一般の人にはわからないように始末してしまう。

本来は政治家がある程度の専門的知識を持って、長期的利益の観点から適切な評価と判断をすべきであるが、今の政治家にそれを期待することは、どだい無理な話である。
選挙と政争が優先していて、地道に専門分野を突き詰めて、官僚の作文の欠陥や国民の利益にならないことを削る仕事をすることもできない。
最近ではようやく「マニフェスト」を作ることが政党や候補者にとっては必須の条件になってきたが、中身はまだまだ生煮えのもので、不十分なレベルである。
実務面で官僚を支配できるくらいに専門家集団、政策ブレーンを自前で持っていなければ、とても対抗できない。

官僚機構はそれに属している人の意思がほとんど盛り込めないようにできている。
幹部の若手官僚の中にも優れた人は大勢いるのだが、明治時代以来のガチガチになっている、お役所機構に縛られて、いくら立派な政策や企画を立案しても、いつも既得権益の中での優先度や判断基準でふるいにかけられてしまう。
トップを変えなければ組織改革は進まない。
しかし、そのトップは年次と経歴によってふるいにかけられて上がってきた人材からしか採用できない。
適切な人材は外部から、政策的な意図を理解している専門家を登用するしかない。
だが日本では、その制度は官僚機構によって頑強な抵抗で拒否されるであろう。

いま、地方分権を強力に推し進めるというスローガンが、話題を賑わしている。
地方に分権した行政権益は、「モラルハザード」を起こしにくくなる。
それは、「他の自治体との比較」で失敗した場合の評価が明確に出てくるので、責任のゴマカシはできにくくなる。
行政どうしの「やる気と能力の比較」が広範囲にできるようになる。
ここで適正な能力を発揮した人材を、中央政府に登用する制度も、実現の可能性が出てくる。
これは実施してみる価値がおおいにある。以下、次回に。

健康な社会は次の世代に価値のある資産を残すことが基本。 

2009-06-26 | 暮らし・健康問題
大きすぎて潰せない組織、代替ができない(官僚)組織。
これらは、21世紀のガンになると説明してきた。
ガンは健康体に徐々に悪影響を及ぼし、最終的には組織全体を衰退させて死に至る。
人間の体については誰もが否定しない事実である。
ガンは早めに発見して削除するのが良いとされている。

資本主義社会における企業活動は、健康な社会を作る上で不可欠のものであるが、「モラルハザード」を起こすと多大な被害をもたらす。
だから事前に防止するためにいろいろなルール、法律、規制がかけられている。
過剰な規制は活動する自由を制限するので避けなければならないが、何でも規制緩和が良いと言えないのが、最近に学んだ教訓である。

潰せないくらいに大きくなりすぎた大企業という組織は、ガンになる可能性が高い。
だからこれをどうやって予防すべきかは、大きな課題になってゆくであろう。

もうひとつの代替できない組織とは、政府の官僚機構がそれに相当する。
説明の必要もないくらいに、官僚機構は時間とともに腐敗し「モラルハザード」を引き起こす。
小さな不祥事の範囲で済むならば、税金の損失程度でとどまるが、大きな方向での過ちを事前に防ぎ、治すことが出る組織はどうすべきであろうか?
これは現代社会の大きな問題である。
公務員改革などは昔から言われているが、その程度の改革で目標を達成できるとは思われない。

健康な生活の基本には健康体の社会組織を作る必要がある。
人の歴史は、より多くの人が健康な生活を過ごせる社会作りの試行錯誤の連続であった。
その中で学んできたことは、次世代に価値のある資産を残せることが、豊かで健康体の組織が発展する基本である。
これは誰も否定できない事実である。
ならば、次世代に負の遺産を残すことは極力避けなければならない。
この負の遺産とは、いろいろな議論はあるが、常識的にいえば子供や孫たちには今の暮らしよりも、悪い環境や乏しい資源の世界を残してはいけない。ということである。

太古からある化石燃料を掘り尽くして、次世代が利用できる可能性を奪うのは、大きな負の遺産である。
だから、できる限り「化石燃料」に頼る生活や経済構造を変えていくべきである。
これが現在の世界の潮流となっている。
議論はどうやってそれに近ずけるか?
このブログを読んでいただいた方には、もう答えは解っているでしょう。

それに対する手段として、原子力発電に頼る社会を作ってしまうと、20世紀の最大の負の遺産である「核兵器」の保有国が拡散する可能性が大きくなる。
次世代の人たちは大変な苦労を強いられ、「不安感が最大の世界」で暮らすことになる。
最悪の環境を残すことになっていく。
温暖化対策になるからとして拡大をもくろむ勢力がいるが、これが社会の目を欺く偽慢であることを、何度も書いてきた。

さらに、資本主義社会の血液として必要な「マネーの流通」については、グローバル化に伴い、ヘッジファンド(リスクを減らす投資集団)という見せかけの名前を付けた「賭博集団」によって、世界は地獄のような経済恐慌に陥る可能性が増えてしまった。
恐慌まで行かないにしても、社会の格差の拡大や不公平感を増大させて、将来への不安を増加させている。金融産業の自由な活動を許すことは、価値のある資産を残すことにはならない。

いままでの事例は、専門家と称する大半の人々は、「モラルハザード」の病気にかかっていることを暗示している。
以下、次回に。

20世紀の後半から頻発したモラルハザードがガンの原因。  

2009-06-25 | 経済問題
いまの世界で大企業ほど厄介な存在はない。
前回に取り上げたコンビニ業界は、日本で導入されてから現在までに大きな発展をして、生活者に多大に貢献をしてきた。
それが、だんだんに大企業になっていくと、企業内部の論理が優先して利用者や社会への貢献については後回しにされる。
大量の期限切れの食品の廃棄は、大きな視点で見れば社会の損失であり、消費者にとっては無駄なお金を払わされていることになる。
どうしてこのような論理が通用することになってしまったのか。

少し掘り下げて考えてみる必要がある。
結局、コンビニ企業の本部にとって、最終的に商品が売れて利用されたか廃棄されたかは、利益に関係がなく、販売店への売上の数値だけが成果だと思い込んでいたことが原因である。
セブンイレブン本部は、24日になって廃棄食品の損失金額の15%分を負担すると公表したが、とてもその程度の損失負担では、廃棄食品を減らすことを痛切には感じない。
せめて、半分の50%を負担するくらいに法律で決めてしまえば、廃棄期限が迫っている食品は値引き販売をしてでも売り切りしようという努力に結びつく。

多くの不祥事やおかしな事件は、このように自分に被害が来ないような仕組みができている状況で起こる。
最近の金融業界の混乱は、最終的には政府が保証をしてくれるから、自分の損失は少なくて済む。
という「モラルハザード」の原理が働いているからである。
日本語にすると、「道徳の危機・倫理の欠如」という意味になるが、読者の方々はもう解っていただけるでしょう。
つまり、リスク(失敗する可能性)のある事業をしている人が、うまくいったときの儲けは全部もらえるが、失敗した場合の損失は国の税金で負担する。
これが典型的な「モラルハザード」であるが、金融業にかかわる場合だけではない。

アメリカの自動車企業、ゼネラルモータ―スは、経営者の莫大な報酬を続けながら経営判断をあやまり、住宅バブルの崩壊の影響を受けて一気に破綻に進んでしまった。
多くの方面の借入金をチャラにして、なおかつ税金を大量に投入せざるを得なくなった。
自動車産業は雇用への影響が大きいので、国が最終的には支えなければならない。この構造が「モラルハザード」を起こす原因である。

日本では、大手のスーパー「ダイエー」が危機に陥ってしまったが、これも大きすぎて潰せない企業ということで、国の税金を使って再建の途上である。
資本主義経済は、自己責任の原則で新規の事業を興し、成功すれば成果に見合った報酬が得られる。そして失敗したり、停滞・縮小の事態になれば、それは自分で損失を被り退場する。
これが原則であった。
しかし、いろいろな理由をつけて、税金の投入に頼る事業になったり、大きすぎる大企業になると、この「モラルハザード」が必ず起こる。

国内の事業であっても、このモラルハザードの監視は難しい。
それに対して、海外での事業展開はもっとリスクが高い。
このような事業に政府のお金を使うことは、大きな目的がなければ使うべきではない。
しかし、最近の原子力発電の海外事業展開には、経済産業省の強力な後押しと資金が投じられることになりそうである。
うまくいけば「原子力発電企業の儲け」。
大量の経済産業省幹部の天下り先である。
そして、もし、問題が発生して企業の対応では不足になれば、国際信義の建前から、政府のお金(国民の税金)を大量に使う羽目になる。
これでは「モラルハザード」が起きない方が不思議なくらいである。

日本の政府関係者は、最近の不祥事から何も学んでいない。
そして、多くの国民は身近なことにしか関心がない。
これではガン細胞が増殖してしまう一方である。
以下、次回に。

大企業になると生活者の常識から外れる「大企業病」

2009-06-24 | 環境問題
環境重視を標榜している大企業が、儲けを第一に優先して国民の意識からずれていく構造は、どこの国に見られる現象である。
おかしな判断をしているのだが、大企業の内部での論理では、そのずれた感覚がまかりとうり、外部の大きな力によらなければ治せない。
これは「21世紀の大企業病」と言える現象である。
原子力発電企業の内部論理は、国民の常識から大幅にずれている典型である。

近年は金融業界がその代表であった。
そして、自動車企業も例外ではなく、アメリカにおいては全くの的外れの論理でビッグスリーは経営されていて、バブルの崩壊にあって破綻し、国有化されて再建することになっている。
失敗しても関連の産業が多く、雇用されている人たちの生活を守るためには、税金の投入もやむを得ない処置となる。
大企業ほど厄介で傲慢で、そして間違っていても治せない、「21世紀の大企業病」は、現代のガン細胞になりかねない存在になっている。

最近の話題で身近なコンビニ事業を見てみよう。
原子力や金融と違って生活者に密着している事業であり、近年に発展した便利で有益な産業である。
多くの人が日常の必需品を買うのになくてはならない業態になっている。
しかし、従来から問題となっていて手をつけていない問題が大きく取り上げられる事態になった。
それは、大量の消費期限切れの食品の廃棄である。
今はフランチャイズ契約で、値引き販売はできない契約になっている、ということで、販売店の損失になっているという。

これは、今の問題の取り上げ方は、販売店対本部の契約上の問題として採りあげられて、公正取引委員会が、値引き販売を制限する契約は違法であるとした。
それは公正な判断であるが、問題の本質はそれではなく、食品の廃棄である。
まだ食べられる期間において値引き販売で、消費期限切れの食品の発生を防ぐのは当然の責任であるのに、商売上の利益を優先した議論になっている。

セブンイレブンの本部は、消費期限切れで廃棄した食品の損失金額を、今までは全額を販売店負担にしていた。
それを、昨日〈6月23日〉の会社側の発表で、損失の15%を本部が負担する。という対応策をうちだした。
これを聞いて、セブンイレブンは、ずいぶんと国民、生活者の感覚からずれている、と感じたのは私だけではないであろう。
食品の廃棄を防ぐこと、できれば全品を有効に使い切ることが、現代の社会では要求されている。
にもかかわらず、お金の問題を優先している。

これは、小さな問題に見えるかもしれないが、大きな現代病の典型のように思える。
世界的に見れば、食糧問題は最も大事な基本的なものだ。
それが、日本をはじめとして先進国では、飽食につかりきって、食べられる食料品を大量に捨てることをなんとも思わなくなってきている。
しかし世界の貧困国の問題や、格差社会の拡大による理不尽な事態は、日常にあふれている情報で、生活者である国民の潜在意識に植え付けられている。
どんな理由があれ、食べられる食糧を捨てることは、悪行である。という常識がうまれている。

以前にマクドナルドは、店頭での販売するハンバーグやポテトフライは、調理した時間を過ぎると廃棄して常にあたらしく調理したものを出す。
ということを宣伝文句にしていた。
これは世論の猛烈な批判を浴びて、今は極力、捨てない方式に調理時間をかえている。

コンビニ業界は大企業病にかかっている。
食品の廃棄が問題にされているのに、本部と販売店の損失負担の問題で解決しようとしている。
その感覚の遅れが積み重なって業界の低落になることに、早く気付くべきであろう。

がん細胞になる前に、小さな腫瘍の段階で削除することが必要である。

言葉の操作によってつくられる空気に流されるな!

2009-06-23 | 環境問題
前回に「低炭素社会」という言葉には、暗黙には「原子力発電」を推進したい勢力の思惑によって、作り出された合言葉であると指摘した。
原子力発電は、炭酸ガスを全く放出しない「期待されるエネルギー源であるというイメージつくり」を売り込みたいからである。

しかし、原子力発電には多くの未解決の問題と、核兵器への拡散の危険性が潜んでいるとして、このブログで、5月31日~6月5日にかけてデメリットを具体的に書いてきた。それを読んできた方には、もう十分に理解していただけると思います。

原子力発電の設備を入れれば、燃料の濃縮ウランが手に入る。
この原料を使えば少しの努力で核兵器ができる。
60年以上前に、広島に投下された原爆が、北朝鮮の様に平和を脅かす国でも手に入れることができるようになってしまう。
イランやシリアの様に、アメリカなどの先進国に敵対するためには核兵器の保有を目指す国に対する歯止めが利かなくなる。
20世紀の最大の負の遺産である核兵器をどのようにして削減し、最終的には廃棄・禁止する世界に移行する必要がある。
しかし、原子力発電の拡大・拡散は、核兵器の保有国の拡散につながる危険な流れである。

インドは、本来は核兵器を保有する国ではなかった。
しかし、隣国の中国(核兵器保有国)との対抗上から、保有することを狙っていた。
そして、「平和利用」という大義名分の原子力発電施設を導入し、着々と原子力関係の技術を磨き、そして、ついに核兵器を開発してしまった。
あわてたアメリカはなんとか廃棄させようとしたが、既成事実を盾にインドは譲らず、なし崩し的に保有を認めさせてしまった。
黙っていられないのは、従来から敵対関係にあったパキスタンである。
そして原子力発電の技術の導入にかこつけて、核兵器の開発に向かっている。
イスラエルが秘密裏に核兵器を開発し保有していることは、公然の秘密になっている。

21世紀の課題は、平和な世界を持続可能に作ることができるか?という難問に向かっている。
それを「気候変動(温暖化問題)の抑制」を重視することが誰も否定できない課題になってきたことを好機として、ひとつの対策案にすぎない「原子力発電」を必須の手段だとしている勢力が、台頭している。
「平和利用」という美化された言葉を表面に包んでいる「兵器産業」になっている事実を隠ぺいして、拡大する好機ととらえている。

原子力発電産業界の狙いはなんであろうか?
それは、今まで蓄積してきた技術と、外資系の企業を買収して増強した企業の収益を確保したいからである。
地球環境によいとか、エネルギー費用が経済性に優れているなどは、売り込み文句にすぎない。
結局、自社の儲けが狙いである。
民間産業としては当然の行動として規制できない。
いや規制どころか、日本では経済産業省が国策として後押しをしている状態である。

数年前から経産省、電力会社、日本貿易振興機構などにアジアや中東諸国からに協力要請が来ていることを理由にして、売り込みを開始している。
相手国が導入する段階で技術提供や人材供給で積極的に参加し、国内産業の活性化につながる。(朝日新聞、6月16日朝刊)
すでに、インドネシア、ベトナム、アラブ首長国連邦、ヨルダン、などと個別に原子力協力文書を結んだという。

うまくいけば、「原子力発電産業界」の儲け。
もしまずいことが起きれば、国と外国の問題として、対策の費用は全部、国民の税金で始末をしてもらう。
どこかで見たような構図ではないか。
金融界の不始末で起きた問題だけでも多大な被害が生活者に及んだ。

原子力の場合の事故や紛争では、その程度では収まるはずなない。
表面的な「言葉の空気」に流される危険・・・・!

低炭素社会はごまかしのための合言葉。  

2009-06-22 | 核エネルギー・原子力問題
温暖化問題の話題が世の中の潮流になっている。
誰もが自分たちの未来は、化石燃料の大量消費によっては明るい展望が開けないことを認識した。
問題は、どのようにして化石エネルギーから抜け出して行くかの手段の議論となっている。
そして、いつから出て来たのか「低炭素社会」という言葉が前面に出てきている。

確かに化石燃料は炭素の塊のようなものである。
それを使わないエネルギーという表現であるが、私は大きな違和感を持っている。
「再生可能エネルギー」で将来に発展させる分野としてバイオマス(生物由来)エネルギーの利用が重要になる。
これは、太陽光のエネルギーを一時的に炭酸同化作用によって、固体エネルギー(食物、燃料にできる)に転換されたものを持続的に利用することで、人類は生存・発展してきた。
これにはたくさんの炭素を含んでいる。

自然からの搾取的な化石燃料と違って、バイオマスは適切な管理のもとで、節度を持って利用することが、将来の明るい未来につながる重要なテーマである。
それを「低炭素社会」の言葉にしてしまうのは、明らかにおかしい。
これは、化石燃料を使わないエネルギーはすべて正しい、と思わせる「言葉によるイメージ」のごまかしが含まれている。と筆者は推測している。

以前に、気候変動条約の審議の段階で、日本の原子力発電の推進派は、内心では、いや、かなりあからさまに歓迎の意を表していた。
原子力発電は炭酸ガスの排出削減には、もってこいの技術であり、復活の好機ととらえていたのである。
今になって、京都議定書の1990年比で6%削減は厳しい、とか不公平だと騒いでいるが、当時は原子力発電を大幅に拡充すれば、達成可能との見通しをたてて、産業界はそれに乗っかっての自主行動計画によって達成できるとしていた。

その後、原子力発電をめぐる不祥事の多発や、燃料製造時の放射能反応事故、そして、新潟沖地震などによる原発の長期停止と、明かに技術の不足、事業の未熟が明確になっている。
それで、もう原子力発電は日本ではいらない、という世論ができつつあった。
そこにきてポスト京都議定書(2013年以降)では、途上国も含めての炭酸ガス排出の削減が世界に潮流になってきた。
またまた、復活の好機とばかりに、原子力発電の関係者は新たな事業拡大に向けて動き出している。

その第一に、世界的な「低炭素社会」を作ろうという潮流を作り出すことである。
それの主流には、原子力発電が最適であるとして、各国に売り込みをかけ始めている。
功を奏したかのように、世界的に原子力発電推進する動きが広がってきている。
現在、建設・計画中の原発は約30カ国で150基もある。
このうち新規参入を目指す国は20カ国以上ある。(朝日新聞、6月16日.朝刊)

原発の燃料にはウラニウムの濃縮技術が必要である。
そして、濃縮ウランを核兵器に転用することを禁止し、危険が予測される場合は査察などの体制で、違反を取り締まらなければならない。
しかし、現実の世界の状況で、それは可能なことであろうか?
まず、北朝鮮やイランは間違いなく、その査察を拒否するか隠ぺいするであろう。核兵器の拡散の危険性が大幅に増大する懸念が大きい。

産業界は、うまくいっている場合は自分たちの手柄にして儲けにつなげる。
しかし、いったん、事件が起きると、自分たちの領域ではないとして、政府や外国のせいにする。
原子力族はその典型であり、国策の名のもとに、やりたい放題にやってきた。

そのツケは誰にまわすのか?以下、次回に。

遅れた意識の人たちに権益を委任している有権者。

2009-06-21 | 暮らし・健康問題
地球温暖化問題が盛んに採りあげられている。
これは環境を重視する団体や研究者からは20年前から言われていたことが、やっと大多数の意識になってきていると言える。
そして10年前からは、具体的な政策提案を活発におこなってきたが、それは、当時の権益を握っていた人たちに利益を損なうように見えたので、ことごとく抑えられて握りつぶされてきた。
いまの段階になって、その政策論議や税制度についての議論が政党同士の政策競争となって、次回の選挙においては国民に選択の前に提示されている。

以前には「環境と経済」は対立する構造だ、という人たちが権益を握り、経済を優先すべきだとして、環境問題を後回しや過少に扱っていた。
アメリカのブッシュ政権がまさにその権化であり、日本の権益を握っている人たちは、「ミニ・ブッシュ」であると言える。

いまは「環境と経済は両立」できるかという論争に変わってきている。
しかし、このブログを読んできたくれた方には、この議論も時代遅れで、「環境対策」を契機として「新産業を興す」ことこそが、「経済を活性化させる」という、考え方に納得していると思います。
対立から両立へでは、もう遅れている認識である。
特に脱石油産業の育成こそ、経済停滞からの脱出のキーポイントである。
この意識に変わっていく必要がある。

同様に「雇用と経済・企業競争力」の関係で見てみよう。
ここ数回のテーマは雇用政策である。
企業は競争力を維持・向上の為と称して、雇用政策の方向を、労働者の競争を激化させて、少しでも人件費を削る政策を要求して勝ち取ってきた。
結果は、しっぺ返しともいえる需要の大幅減退を招き、大慌てで政府のバラマキ的な需要喚起策にすがっている。
雇用と経済は対立的にとらえる意識は間違いであることはハッキリしている。

では、「雇用と経済」を両立すべきだ!という、現在の意識で問題にあたろうとする人たちに、政策を任せて進めていけばよくなるであろうか。
それでは、中途半端な政策しかできないであろう。
「雇用の保障と安定した収入の確保」を優先させる考え方こそ、経済の活性化を招く。
この意識に転換しない限り、既得権を守る勢力の反対活動で押しつぶされて、雇用はいつまでも不安定な状態におかれ、働く人の意識は不安だらけにさらされる。
結果として需要は伸びずに企業の「新産業への転換」は大幅に遅れる。
1990年代以降の一時的バブルによる景気の押し上げはあっても、長期的な面で見れば需要の不足とデフレ経済が続いている。
公共事業への効果の少ないお金のバラマキで、貧血症状を補ってきたばかりで、健康体の経済にはいつまでも回復していかない状況である。

意識の遅れた人たちに政策の立案や選択を任せてきたからである。
有権者の判断が遅れていたことの証明が、今の段階で明らかになっているのである。
有権者は生活者の立場から、本当に自分たちが望んでいる生活や社会を築くための意識を持っている人たちに、権益を移すように活動しなければならない。

既得権益を維持しようとする人たちは、いつも、自分たちのしてきたことは正しい、という。
しかし、上手くいっていない面があるとすれば、それは天災(地震など)や外国の不始末の悪影響を受けてしまっているからであると責任を転嫁することに、多くの説明を費やしている。

100年に一度の非常事態だから、などは、まさにその言い訳の典型であろう。
以下、次回に。

賢い政府は、本当の賢い生活者が生まれることで始まる。

2009-06-20 | 暮らし・健康問題
「エコカー減税」が話題になっている。
自動車に乗らない人や、近々には買い変える必要のない人には、何のメリットもない制度であるが、急激に減少した販売状況に対応するための、自動車関連産業に働く人の緊急避難的な雇用確保の方策としてならば、やむを得ない面もある。
しかし、1年限りの一過性の政策しかできない政府というのは、「愚かな政府」と言わざると得ない。

世界の国は、これからは「賢い政府」を持てるかどうかで、その国の生活者の豊かさは、大きく左右される。
それは長期的な目標をもって継続的な政策を実行し、世界のあらゆるリスク、変動に対して被害を最小限に抑えることができる社会構造を作ることにある。
今の日本の政府は、一流の技術力を持ち、モラルの高い国民を持っていながら、世界の潮流から遅れてばかりいる失政を繰り返して、国民の働き分をいたずらに失っている。
なぜ、こんな政府しか日本はもてないのであろうか。

これは、大変に重い課題であり、このブログで書くには象に対して蟻が這いずっている程度のことにしかすぎない。
しかし、1億匹の蟻が動けば、さすがの像も適切に動かざるを得なくなるはずである。
そこで、蟻がどう動いて象に要求するか、象使いになれるかが、生活者にとっての課題である。
まず生活者が賢くなっていくのが、問題の解決に向けての始まりである。

先ほどあげた「エコカー」の優遇は、将来を考えた場合にやはり加速すべき政策であろう。
問題は、その制度と誰がその費用を負担するかである。
一言でいってしまえば、利用者負担の原則で、バッド課税、グッド減税の制度を作ればよい。
つまり、燃費の悪い自動車に加重の税金をかけ、余分に生まれた税収で、もっとも燃費の良い自動車の減税を行う。
誰でもわかりやすい公平性のある制度である。
税金が重くても、燃費が悪くても、大型でガソリンをガブ飲みする自動車が欲しい人には買う自由を保障する。
その代り、国の政策に従って費用を余分に負担してもらう。
「バッド課税の考え方」を適用すれば多くの誘導政策ができる。

エネルギー分野の改革を進める必要を何度も書いてきた。
それには政府の強力な誘導政策が必要である。
「再生可能エネルギー」の普及を促進し、化石燃料、特に炭酸ガスを多量に排出する燃料(石炭が最も多い)には、多額の税金をかけて、使う人、事業者に負担してもらう。
これの具体的な政策として「炭素税」または、「環境税」などの呼び名で実施されている、有効な税制度の実例がある。

環境団体や環境省では、従来からこの制度の導入を提唱してきた。
しかし、例によって、産業界は、国際競争力を損なうから反対!と言って、政治家に猛烈な圧力をかけている。

一般の国民は、何のことやら関心もなく、ただ。企業が反対していることだから、労働者にとっても、悪い影響がある税金に違いない。
反対していれば間違いない。と思いこんでいる。
税金で徴収された分は、役人が懐に着服しない限りは、どこかに使われるのだから、その税収の使い道がどうなっていくのか、働く人に有利になるのかをチェックした上で、賛否を決めればよいのに新税には反対する。

提案している「環境税」制度での税収の使い先は、環境対策関連の事業の促進に使うのが第一である。
さらに、税収を増やせば雇用の確保や職業訓練の充実に、さらに年金制度の補助財源に回すこともできる。

新税だから反対という単純思考をしていては、国の長期の目標に近ずけていく政策がすすめられない。
これは、まず生活者=有権者が賢くなることが第一である。
以下、次回に。

需要の回復は安定した雇用と、環境意識に沿うこと。  

2009-06-19 | 暮らし・健康問題
経済の停滞の大きな原因は、国内の需要の大幅な減少であることははっきりしている。
一昔は企業の競争力を付けることが、景気回復の要であると、多くの経済学者は声を大にして訴えた。
そして、企業は成果主義などを取り入れたり、労働環境の引き下げ、ダンピングに奔走して、見かけ上の企業競争力を上げてきた。
その結果は国内需要の大幅減少であり、経済学者は何も解っていないということを証明してきた。

前回までに労働環境ダンピング路線を転換して、勤務時間も減らして安定した雇用を最優先すべきだと書いてきた。それを実現するには、相当の期間が必要である。
政府のお金のバラマキ的に借金すればできるという生易しい政策ではない。
しかし、それは時間をかけてでもやらねばならない。
その間の需要の回復をどうするかが次の重要な課題になってきている。

最近の消費者の動きで、気のついた流れがある。
それは、消費者は環境意識に目覚めていて、それに合致する商品やサービスには、前向きに関心を示す動きである。
一例をあげると、イトーヨーカ堂の始めた販売方法に、各家庭に眠っている不要品を持ち込めば、一定額以上の買い物に対して、現金によるバック、言ってみれば不用品の一定金額買い取りをする制度である。
これは、今までの常識を覆す販売方法であり、いわば、変形のキャッシュバク方式であるが、これが消費者の潜在意識に合致して、瞬く間にあちこちの小売業界に波及をした。

経済紙の評論によると、消費者の家にはモノが十分にあふれていて、少しの刺激では新たなモノは買わない、という状態になっている。
しかも、最近の「もったいない」思想が普及しているので、簡単には捨てない。
しかし、引き取りをしてくれるなら、誰かが次に使うことを想定しているので、気が軽くなって、新しいモノに買い替えをしたくなる。
まだ使える物を下取りして新しいものを消費するのであるから、本当の「エコ」とは言えないが、自分では捨てるということが罪悪感になるので、捨てるのは長著する。
しかし、下取りした後は、誰かが使う筈であるから無駄ではない、と納得して買い変えることができる。

いまの時流の消費者意識にうまく訴えた販売方法である。
同じ様な趣旨で、省エネ製品への買い替えを奨励する制度が次々に始まっている。
省エネ家電の購入では、エコポイントを付ける制度が政府の肝いりで始まった。
旧式のエネルギー消費の多い冷蔵庫などを、新型の省エネタイプに買い替えるならば、確かにエネルギー消費は半分以下になり、「エコ」と言える。
しかし、従来の小型のブラウン管式テレビからの買い替えでは、大型の薄型テレビへ買い替えることでは、ほとんど省エネではなく、場合によっては増エネである。
それでも、「エコ」という表示に共鳴して買い替えに踏み切る消費者が増えるであろう。

とにかく、日本の生活水準では、「ワーキングプアー」と言われる層は別にして、ほとんどの消費者は、あまり物を買わない習慣に切り替えてきている。
それに対して日本の経済構造は、「モノつくりこそ基本」という旧来の意識もあって、モノの生産重視の企業構造になっている。
「知価社会」などの合言葉では簡単には変わっていかない。
であるのを承知の上でいえば、ここ当面での需要の拡大は、たとえ見せかけの「エコ」であっても、消費者の潜在意識に訴える「環境適正型商品」を開発してつくり続ける。
それを「もったいない」意識のある消費者に買ってもらうことで、需要を呼び起こすことでつなぐしかないであろう。

本当の賢い消費者になるまでの時間稼ぎになる。以下、次回に。

臨時雇い的な制度は廃止し、雇用の安定で需要を確保。 

2009-06-18 | 暮らし・健康問題
日本の経済停滞の主原因は、海外への輸出の急減による生産の大幅な落ち込みによるとされている。
同時に、先行きの不透明な世界の危機的問題に対して、各国政府の対応、特に日本政府の政策がその場しのぎに見えるので、国民は自分の生活を守るために多少の蓄えがあっても使わないで、不測の事態でも最低限の生活を確保できるように自身の生活を引き締め、無駄にお金を使わないように、しっかりと管理している。

これは、日本の国民自体は大変に健全であり、世界に誇れる真面目な国民性であるが、それがかえって需要の急減を引きおこして、経済活動の落ち込みやGDPの減少、雇用情勢の悪化を引き起こしている。
それは、個人のレベルでは正しいことが、全体においては却って悪い方向に行ってしまう状態で、経済用語で「合成の誤謬」という現象である。
企業は自社の収益を確保するために、人件費の削減、要員削減を推し進めて、働く人へのお金を絞ってきた。
これも一企業としては正しいのだが、全体で行えば「合成の誤謬」をひき起こす。

これを断ち切る役割は政府やマスコミの影響がおおきい。
そして雇用の不安定が社会にとって、もっとも悪影響を及ぼしていることを肝に銘じるべきである。
国際競争力の維持などを優先して、雇用の不安定を助長する派遣制度や臨時雇い的な雇用を増やしてきたことが、今回の不況を深刻にさせた大きな原因であることは明らかである。
しかし、それに対応する政府の動きは全く不十分である。
テント村などの「膏薬貼り的な対策」に終始して、根本的な雇用の安定策には、まったく踏み込んでいない。

マスコミ関係の対応もなまぬるく、インフルエンザの流行の件に関心を移してしまったら、この臨時雇い的悪弊の追及をいっきに沈静化してしまった。
他国に原因を発する流行性ヴィールスには、できることは限られているが、自国内の労働環境のガンに相当する「派遣社員制度の改悪」については、流行が過ぎたかのように、報道をやめてしまっている。
マスコミ関係者には、派遣社員の悲哀を味わっている人はいないのであろう。
まして、政治家や官僚群は、まったく、その弊害を実感していない。

そこで、「臨時雇い的雇用」の象徴である「派遣社員制度」の製造業への適用は、即刻廃止する方向で法律改正をすべきであろう。
そうすると、産業界からは猛烈な反対の動きが出るであろう。
なぜ反対かを徹底的に議論して対応策を検討し、今時点で最も有効性のある制度に切り替えることを論議すべきである。
この段階で、企業論理の説明をよく聞く必要はあるが、従来のような表面的な理由を鵜呑みにしてはいけない。
何よりも安定した雇用条件が、経済にとっての最重要事項だからである。

そこで、下記に個人的な一提案を書いておきます。
異論のある人もいるでしょうが、反対ばかりで、対策案を提示できないでは、単なるクレーマーのなってしまうので、前向きに話を進めよう。

派遣社員は、従来のように特殊技能〈通訳など〉を持った人に限定する。
今の派遣社員はすべて正社員として採用する。
その場合、勤務時間は週30時間程度に抑える契約とする。
仕事量が順調な時期には、週の超過勤務時間を10時間程度として、仕事量の増減に対応させる。
社員は週30時間勤務による収入の生活水準を基本とする。
超過勤務時間手当の分は、将来の自分への投資として、自己研鑽の費用に充てる。
これによって、企業は仕事量の増減に対応できるし、働く人の方としては安定した雇用条件で、安心して将来の生活設計ができる。
そして見合った需要・消費が安定的に生まれる。

このような具体的な対策を、マスコミや国会で論議してほしいものである。

国際競争力という言い分は、企業の経営陣の遅れの表明。  

2009-06-17 | 暮らし・健康問題
数回にわたって日本の国際競争力の維持を大義名分として、当然の政策として20年間実施されてきた労働分配率のダウン、「労働環境ダンピング」が日本の働く人の健康的な生活を破壊してきた、と説明した。
もう、誰でもわかるくらいに結果がでている。
企業の自由な活動に任せていては、このダンピングが起こるのは自由市場取引主義では、必然の流れであるから、これを変えることは、公的な制度・規制によるしかない。
規制強化が必要である。

しかし、その規制によって日本の国際競争力が落ちてしまい、中には海外に生産の場を移してしまう企業も出る。
結果として雇用の機会が減るので、失業が増えるのではないか。
だから規制は極力なくすべきだ!という感覚の人がまだまだ多い。
それは、海外に生産拠点を移した方が有利な製造業もある。
人件費の節約によって収益を上げる事業は、1990年代以降の生産のグローバル化の中で、すでに海外生産が有利な企業は、とっくに生産拠点を移している。
いまだに、国際競争力を表向きの理由にしている企業は、すでに日本での競争力が衰えている会社の経営陣や産業界にしがみついている人たちである。

何度も説明したように、「労働環境ダンピング」に頼らなければ、収益を上げることができない企業は、経営が遅れているのであり、それをいつまでも保護する必要はない。
むしろ保護することは、日本の産業界の構造・体質を遅れたまま引きずることになる。
経済停滞の原因を取り除く意味で、このような産業や企業は縮小していくことが必要である。政府の政策で縮小させるわけにはいかないから、労働環境の最低保障レベルを規制することで、それに合致しない企業の退出を図ることである。

そして一時的に失業する人たちを、きちんとした再雇用制度で、新しい活力のある「新産業」に積極的に切り替える政策が必要である。
それができない政府は、本来の役割を果たしていないことになる。
出来ない政権はすぐにでも変える必要がある。
日本の働く人の健康的な生活を維持・向上ができない政府は明かに失格である。
国際競争力の維持を理由にしているのは、その政府の役割を放棄して、遅れた産業界の企業のいい分にすがって、責任を逃げていると言える。

それでも「国際競争力」の低下を懸念する人たちに一言付け加えておく。
それは「企業競争力」が基本であることを怠って、経営をしてきたことに尽きる。
生産拠点を海外に移すか、国内で行うかは、経営判断そのものである。
国内の雇用を維持するためには「人件費のダウン」が必要だ。というのは、いち企業の勝手な言い分である。
それを産業界の代表の意見であるかの様に政府に言いたてるのは、ルールを変えてくれと審判に要求している選手に相当する。
決められたルールの中で最良のプレーをした選手が選ばれるのが当然である。

いち企業の言い分を産業界全体に及ぼすようにルールを変えたことで、「労働環境ダンピング」が進んでしまい、結果として働く人の収入と健康的な生活を害している。
そして本当に企業競争力のある産業と経営者の出番を奪っている。
日本はまず、働く人に夢と活力を持てる「労働環境」を作ることを最優先にすべきである。
これによって退出する企業が出るのは必然と見ていく覚悟が必要である。

一時的な痛みを伴う「構造改革路線」は必須である。
しかし、これは中途半端で誤解だらけになっている。
その最たるものは規制緩和と自由市場優先主義に陥ったことにある。