庵KM

技術屋OBの環境問題独り言

経済問題。交通問題。健康問題。そして、日本の国創り問題。快適社会問題。

低炭素エネルギー社会の疑問。原子力発電へのこだわり

2009-05-31 | 核エネルギー・原子力問題
気候変動問題(地球温暖化)とあわせて、石油の生産の頭打ちに伴い需給ひっ迫と価格の高騰で、脱石油社会に転換していくとこが必須になっている。
これには誰も反対していない。
最近は「低炭素エネルギー社会へ」という言葉が、マスコミでも喧伝されている。
つまり化石燃料への依存から抜けて、炭酸ガスの排出を減らそうという意味合いでの「用語」である。

このエネルギーの代替に「再生可能エネルギー」が脚光を浴びる必要があった。
しかし、この10年間は、日本においてはほとんど進展しないし、誰も主力のエネルギーになるとは思っていなかった。
特に日本政府の要である経済産業省は電力業界に配慮して、「再生可能エネルギー」の普及の上限を1%台に抑えてきた。
なぜか?その理由は「原子力発電」を「低炭素エネルギー社会へ」の主役にして行きたい意向があるからである。

原子力発電を主役にして行くためには、「再生可能エネルギー」に世間の注目が多くなってしまっては困るのである。
電源を開発して維持、拡大するための財源には、電源開発促進税などの電力費用に上乗せして消費者から徴収する税金があり、この使い道はほとんどが「原子力発電」関係である。
そして、使い道に関する権限は、経済産業省と電力関係の「原子力族」といわれる、閉じられた社会の専門家集団である。

原子力発電は20世紀の後半に、夢のエネルギー源として世界中での最先端技術分野であった。
21世紀は原子力発電の世界になって、ほとんどのエネルギー源は賄えるし、将来は核融合発電に発展できるので、無限のエネルギーになる。
バラ色に発展する最高レベルの技術で人類は幸福になる。
こんな信念を持った若い技術者は、続々と「原子力発電産業」を目指して、専門技術の研究に没頭していった。

その努力があっても、21世紀の初頭においては、とてもバラ色の産業とは言えない状況である。
しかし、若いころから「原子力発電」一筋に打ち込んできた関係者は、今なお、その将来に夢を託している。
純粋に技術をつきつめ、それを社会的に公表して信頼を受けてこそ、一般の人々も支持をしてくれるのであるが、今までに多くの不祥事と事故とトラブルを起こしてしまった。
それをできるだけ隠したり、小さく見せるような細工をしたために、信頼は得られていない。

さらに、最近は大地震において設備の一部の損壊を受けている。
本体の破損がなく、放射能漏れを起こさなかったことは不幸中の幸いであったが、地震などの天災に対する予防は十分ではなかったことが解った。
しかも、一部の損壊ではあっても、万全の点検と対策が必要であり、そのためには長期間に運転休止が必須である。その間は石油に頼る火力発電で補い、「低炭素」どころか、石油価格の高騰にあおりを受けて、電力費は急上昇してしまった。
一部では停電の心配もしなければならなかった。

世間にも知れ渡るほどに、懸念がいっぱいの「原子力発電」に、いまだにこだわる理由はなんであろう。
公表されている範囲しかわからないが、それでも、「低炭素エネルギー」の主役になれるとは思えない潜在的な問題点がヤマズミである。
次回から数回にわたって、それを書いておき、読者の意識に一部にして下さい。

マスコミも電力会社の情報を元にしているので、一部には偏った論調もあるようで、努めて客観的に見れるようにすることが大事である。
以下、次回に。

再生可能エネルギーの新産業は経済再生策である。

2009-05-30 | 経済問題
ここ数回に渡って、太陽光発電の投資として価値や、エネルギー自給への重要な手段として国策で進める必要を説明してきた。
ここまで読んできた読者は、もう疑いもないくらいに「再生可能エネルギー」の推進派になっているでしょう。
しかし、これまでは「環境オタク」の推奨するクリーンエネルギーのイメージが前面に出ていたので、切迫感に乏しい取り組みになってしまっていた。

気が付かれた方もいるかと思いますが、筆者は「太陽光発電」に関する記述を「経済問題」に区分けをしている。
以前は「環境問題」扱いであって、『経済成長か、地球環境か』というお定まりの対立構造を作り出していた。
それで、再生可能エネルギーは経済発展を邪魔する余計者のイメージがしみこんでいる。
この偏ったイメージつくりにはマスコミの責任も大きい。

しかし、現代の経済閉塞の状態は、今までに説明したように、資本主義経済の当然の成り行きであり、それを打開する道は、『新結合(イノベーション)』の創出による、既存産業の「創造的破壊」が必要である。
これは100年前に経済学者のシュンペーターによって発見された基本的な原理である。
その後の歴史は、この原理が基本的なベースになっていることを証明している。
「創造的破壊」は現在の新進気鋭の経済学者も、理論を踏襲しての経済分析と対策を提言している。

そして、『新結合』としての「再生可能エネルギー」産業は、新規の投資を活発に必要とし、その生産物である「(炭酸ガスをださない)枯渇しない電力エネルギー」は、先進国の消費者にとって価値のある新商品である。
税金を投入してでも優遇して、普及率を上げることに賛同者が増えている。
まさに潜在していた「新規の需要」が強力に増えている状態であり、それにこたえる産業は、「経済成長」の強力なエンジンになっている。

「創造的破壊」に要約される「創造的」とは、枯渇しないエネルギー〈炭酸ガス排出が少ない〉産業である。
「破壊」される産業はなにか?
それは、化石燃料に依存している技術と産業、それの利用商品である。
その代表は石油産業であり自動車産業に相当する。
ただし、自動車産業は「省エネルギー車」に取り組み、代替需要を喚起し続けることによって、かなりの長期間にわたって延命できる。
究極は再生可能エネルギーによる動力源に切り替わる。
「電気自動車」と「バイオ燃料自動車」に転換することで、完全に『新結合』は完成し、新産業としての再構築ができる。
経済発展の主要な牽引力となる産業に衣替えすることで新たな経済成長を生み出す。
この転換に遅れた自動車企業は、脱落、衰退の運命に会う。アメリカのビッグスリーが相当する。

電力産業は、日本においては独占的な地位にあるために、この転換の必要性に対して頑強に抵抗してきた。
そのせいで、再生可能エネルギーによる電力は、わずか1%台にとどまっている。
電力産業の転換を確実に誘導してきた[EU]の先進国は、再生可能エネルギーの普及率を10%以上達成し、さらに、2020年頃には20%を目標に政策を着々と実行している。
そして、経済成長の主要な役割を担える規模にまで成長して、雇用の創出や地域経済に貢献できるところまでになっている。

日本の政府は、再生可能エネルギー産業の位置ずけを、環境対策として扱っていた。
ここにきてやっと、経済再生に役立つとの認識に転換した。
しかし電力業界に主導されている産業界は、まだ『経済成長か、地球環境か』の対立構造にとらわれている。
経済再生にとって空白の10年である。

化石燃料依存症から抜けられない産業界の石頭。

2009-05-29 | 経済問題
前回に、太陽光発電の設置によって、エネルギーの供給は全く心配ないほどの量があり、しかも枯渇することはないことが理解できたと思います。
そして、近年の活況によってさらに技術進歩が加速されて、化石燃料による発電コストよりも下回る可能性が見えてきている。
もう太陽光発電は、「環境オタク」の趣味の発電装置にすぎない。などの悪口は言えない段階になっている。

しかし産業界の重鎮は、化石燃料のエネルギーなしでは生きてこれなかった時代に、骨の髄まで浸かって仕事をしてきたので、それ以外のエネルギー源などは、まったく頼りにならないと思っている。
だから、「新エネルギー特別措置法」ができた時点では、ずっと先のエネルギーとして、まあ、付き合い程度に使っていけば、体裁は繕えるだろう、程度にしか思っていなかった。

経済産業省は、せっかく芽を出しかけていた「太陽光発電パネル」の生産と販売の促進策を打ち切ってしまい、あとは、業界の自助努力で普及させる程度でよいと判断していた。
ここにきて、世界の1位から、2008年には、第6位に転落してしまった。
しかも、世界の先進国から遅れをとるばかりでなく、中国などの新興国にも抜かれるテイタラクである。
空白の10年である。

「再生可能エネルギー」の関連技術は、進化の途上にあり、今の時点での産業化への支援は大変、重要な政策である。
特に「太陽光発電パネル」とその関連技術は装置産業の特性があり、出遅れは大きな損失であり、これから不利な競争を強いられることになる。

いまの段階になっても産業界の古い体質の頭では、太陽光発電に対して拒絶反応がある。
曰く。コストの高い段階では、普及は控えるべきだ。
曰く。昼間しか発電しないし、天候に左右されるから、不安定な電源であり、増やすべきではない。
曰く。ドイツの様に、「太陽光発電」の電力を高い価格で買い取るのは、他の電力消費者にコスト負担になって不公平になるから、弊害がおおきい。
などなど。とにかく、ダメな点をあげつらって、普及させることを阻んでいる。

このブログを読んできた人には、もう十分に解ってもらえると思いますが、念のため要点を整理しておきます。
・化石燃料資源は、将来は枯渇の懸念がある。価格が高騰する前に、使用量を削減すべき。
・再生可能エネルギー,分野、特に「太陽光発電」は、世界の総発電量に近い電力を賄える。
・発電コストは、10年~20年の間に、化石燃料による発電コストを下回る。
・「新産業」として育成することで、経済成長への寄与が著しく、その成否次第で国力が左右される。
・適切な普及促進制度〈たとえば、設備の物損保険〉により、設置者にとって手堅い投資になる。
・日本での消費電力は、すべて「太陽光発電」で賄える土地があり、エネルギー自給に役立つ。

これほどにメリットのあるエネルギー源に対して、いまだに、拒否反応をもつ頭は、いったい何にこだわっているのだろうか?
推測になってしまうが、今の時点で、「再生可能エネルギー」の促進に、お金を注ぎ込むことは、エネルギーコストを引き上げてしまう。
その影響によって産業の活力を阻害して、経済成長に対して、マイナスの要因になる。
どうやら、このように考えるらしい。
困った石頭である。以下、次回に。

太陽光発電は経済成長の大元、無限の可能性がある。

2009-05-28 | 経済問題
21世紀は経済成長が不確実な時代に入っている。
新興国の経済は発展するであろうが、先進諸国のイノベーションは一巡しているので、需要の増加による経済成長は望めない。
しかし、エネルギー分野において、再生可能エネルギーへの転換は、まさに『新結合』(イノベーション)の象徴であって、各国でも大きな期待をかけて、普及促進の政策をとっている。

個人のレベルにおいても、「太陽光発電」は手堅い投資になる。と前回のブログに書いた。
その設備コストは、年々の技術革新でさらに下がっていく。
2020年頃には、政府の助成制度がなくても、十分に有利な投資になるので、設備増設ラッシュになるであろう。

ところで、そんなに多くの設備を設置する場所はあるのか?
という疑問を持つ人もいると思うので、一応、心配がないことを数字で説明しておきたい。

簡単にいうと、現在の世界中の人類が使用しているエネルギーの総量を、仮に電力エネルギーに置き換えて、それを「太陽光発電」生産すると仮定する。
その時、太陽光発電の設置面積はどれほど必要なのか?

答えは簡単で、ゴビ砂漠(100万km2)の半分の面積分の太陽光発電パネルを設置すれば足りる。
これは冗談ではないし、夢物語でもない。

それでも信じない人のために、以下に簡単に、現在の発電性能のパネルを設置した場合の必要面積を計算して出しておきます。
・太陽エネルギー  1KW/m2. ・日照時間 8時間と想定。
・太陽光発電パネルの性能 12%(最良値) 平均で半分に落ちると想定し、6%。
・1m2での 1日の発電量  1KW×0.06×8h=0.48kWh
・1km2での1日の発電量  0.48kWh×10の6乗
・1年間の発電量〈晴天率を50%に想定〉
 0.48kWh×10の6乗×365×0.5=87.6kWh×10の6乗
・ゴビ砂漠〈100万km2〉では、
87.6kWh×10の6乗×100×10の4乗=87.6kWh×10の12乗
・世界の主要国の総発電量 11.2kWh×10の12乗 
ゴビ砂漠全体での発電量は、世界の主要国総発電量の 7.82倍である。
 
主要国以外と電力以外の総エネルギー使用量を、電力エネルギー相当に置き換えてみても、
40kWh×10の12乗  程度と推測できるので、2倍以上の発電エネルギーが生産できる。
まだ、砂漠は世界中で未利用地であるから、エネルギーの生産地に困ることはない。
問題は、蓄電技術と送電線網の建設にかかっている。

日本だけの話に限定しても、日本国土の37.8万km2のうちの、3.2%面積に設置すれば、
 ・1年間の総発電量 1.07kWh×10の12乗 の全部を賄うことができる。

化石燃料と違って、輸入に必要もなく枯渇することもない。
この分野に限って言えば、経済成長は天井知らずに伸ばすことが可能である。以下、次回に。

太陽光発電への投資を奨励する政策、保険と助成制度。 

2009-05-27 | 経済問題
前回に「太陽光発電」は手堅い投資であると書いた。
年々、設備の価格が下がっているので、いつの時点で設置するのが良いのか、確実なことは言えないが、2010年ころからは時期として適切であろう。
その時点での設備価格は、1KW当たり50万円。
平均的な家庭での設置容量は3KWであり、初期に必要な金額は150万円である。

この3KW規模の太陽光発電を家屋に設置して、電力会社の送電線網との連系接続をすると、昼間の発電量でほとんどが賄える。
もし冷房などを使わなければ、余分に発電した分は電力会社に買い取りしてもらえる制度になっている。
深夜電力契約をしていれば、昼間の電力料金は約30円/kWhであり、この分が電力会社から支払われる。

3KWの「太陽光発電」設備は、どの程度の電力をうみだすのであろうか。
公的機関のデータでは地域によって差異があり、広島では3400kWh、金沢では2930kWh、東京では2990kWhである。
天候と日射量の違いによるが、平均概略で3000kWhと見ておけば良い。
概算で行くと、1年間で{30円/kWh×3000kWh=}9万円の電力を生み出す。
初期の投資金額が150万円であるから、毎年9万円を返済して行くと17年で完済する。
以後、発電設備が健全に作動を続ければ、毎年、9万円ずつ儲けが出ることになる。
35年間に発電する電力は300万円相当であり、50年間使い続ければ450万円が積算される。
単純に考えると、150万円の元手で、450万円の蓄積ができる。

これを150万円の国債に投資した場合と比較してみよう。
金利を2%の運用で計算すると35年で300万円になり、50年では404万円になる。
低金利時代にはこの程度の運用で満足するしかない。
しかし、インフレによる物価上昇が2%程度になれば金利分はなくなる。それ以上にインフレならば、
元金が目減りしてしまう。これからは、国債ですら手堅い投資、貯蓄とは言えない状況になる。

だから、「太陽光発電」の方がインフレ対策にはなる。
物価上昇に応じて電気料金は上がるが、発電電力量はほぼ一定であるから、インフレの影響を受けない相応のリターンが見込まれる。
しかしながら、かなり長期の投資になるので、天災や事故、故障などの懸念も気がかりである。
このリスクに対する保険制度ができて、設備損傷に対する保険を充実しておくことで不安は解消する。
その上で、保険料金に相当する「公的資金」の助成制度を設ければ、設置者の負担はなくなる。

資金を長期に投資するにあたって、不安の解消とインフレリスクの軽減ができれば、手堅い有利な貯蓄になるので、「太陽光発電」の設置者は急増するであろう。
それによって設備の量産効果によるコストダウンが図れれば、更に有利な投資になる。
そして、10年以内の時点で保険料金の「公的資金」の助成制度は不要になる。
いつまでも税金を使い続けることはなく、将来は税収増に役立つ。

このようにして、「オールウイン」の構図が出来上がる。
設置者は安全で有利な投資・貯蓄の方法を手に入れる。
太陽光発電の設備メーカーは増産により、開発と量産設備の償却が進み、利益が出るようになる。
助成制度を設けた政府は、太陽光発電の電力割合が増加した分だけ、海外へのエネルギー依存度が減って弱い立場を強化することができる。

それに必要な政策は、「太陽光発電の保険制度」と、保険料の「公的資金の助成制度」である。

太陽光発電の設備は手堅い投資または貯蓄。 

2009-05-26 | 経済問題
いま、政府は景気浮揚対策に躍起になっているが、お金を借りまくって投入する対象に苦慮している。
中には、即効性のみに目を向けているようなお金の使い方には呆れてしまう。
その中でも、再生可能エネルギーへの投資助成は、将来的には富を生み出す対象であり、特に太陽光発電は手堅い設備投資である。

昨日の新聞(朝日朝刊)に、25年前に製造した「太陽電池」の再利用の話題が載せられた。
1983年に製造された「太陽光発電パネル」(太陽電池)が、施設の改修に伴って取り外され、他の場所に設置する前に、現状での性能を検査したところ、9割以上パネルは新品時の80%以上の性能を保っていることがわかった。
メーカーの保証は10年程度であるが、実際に使用期限は25年以上が証明されたことになる。
このまま、さらに使っていても、メンテナンス費用がかかるわけでもないので、発電した電力はマルマル収入になる。

25年前の太陽電池はコストが高かったので、儲けが出たとは言えないが、かなり手堅い投資である。
現時点で「太陽光発電」の設備を新規に投資するならば、初期の設備投資額は10年程度で回収できるので、その後に発電する電力な着実な収入になる。
「太陽電池」の性能は25年以上、もしかして50年程度は維持できるとすると、50年の定期預金をしているようなものである。
10年以降は、発電量に相当する電力売却金額が、配当または金利として収入になる。

電力料金は今後は下がることはまずないであろう。
化石燃料の価格に左右されるが、ほとんどの原料は値上がり傾向にある。
化石燃料発電所の老朽化などで、経費が上昇することも見込むと、電力料金は上がっていくであろう。
それに応じて、太陽光発電の電力価格に相当する収入も増える。

貯蓄の場合はインフレの懸念もあって、金利相当以上に諸物価の価格が上がると、元本は目減りする。
デフレでは、金利はほぼゼロであり、全く富を生み出さない。
インフレでも、デフレでも貯蓄は不利である時代になっている。

不動産投資はどうか。これも地域によっては下落の懸念がおおきい。
いろいろと煩わしいことも起きる。
一般の庶民には、不向きな投資であり貯蓄にはならない。
株式などの証券投資はどうか。
これも流動的な世の中であり、企業の栄枯盛衰も激しい時代には、かなり不安定な投資である。

それらに比べて、太陽光発電に投資した場合のリスクはなにか。
日本が戦争に巻き込まれたらそれこそ元も子もないが、それ以外では天災の場合がある。
地震や台風被害で設備が破損した場合では、元がなくなる。
また、家屋に火災による被害も考えられる。
これらに対しては、物損に相当する保険をかける手も考えられる。
しかし、金利に相当する電力料金は、インフレになれば確実に上がり物価連動型になっている。
デフレにおいても、電力料金はほとんど下がらず被害はない。

とまあ、こんな状況であるので、これからに時代には、太陽光発電に有利な土地や家屋を持っているならば、何かの機会に投資または長期貯蓄のつもりで検討してみるのが賢い選択であろう。

後ろ向きであった政府も、電力会社も、もう「太陽光発電」をゴミ扱いしないだろうから・・・・。

日本は食糧自給率を高めると同時にエネルギーの自給も。  

2009-05-25 | バイオ燃料・バイオマス
アメリカやブラジルは大きな国土を利用して、バイオ燃料用の植物を栽培、収集してエネルギー源として利用し、自給できるだけの生産量は確保できる。
生産コストが引き下げることができたら、輸出できる商品となる。
それに対して日本はどのような自給の方法を考えているのであろうか。
現在、エネルギー自給率は4%程度(原子力を除いて)であり、いざとなったら、エネルギーの確保で苦労を強いられる。

約70年前に太平洋戦争に突入せざるを得ない状況に追い込まれたのは、エネルギーの自給、特に石油の輸入が制約されてしまったからである。
今のように、自給率にこだわらずに世界のあちこちから輸入していればよいと考えるのは楽観的すぎる。
早急に再生可能エネルギーの国内設備を充実して、輸入依存度を下げるべきであり、バイオ燃料も国内での自給を極力図る必要がある。

しかしながら、日本の国土は少なく、地上で栽培される作物は限りがある。
しかも食糧自給率は40%以下であり、45%以上に引き上げるべく政府は計画している。
将来的にはもっと自給率を上げるように最大限の手を打たなければ、次世代に対しての責務を果たしていることにはならない。
したがって、国内の耕作可能な土地は、すべて食用作物に振り向ける必要がある。

それでは日本では「バイオ燃料」などは、自給は無理ではないか?
いや、日本は森林面積率は70%近い面積になっている。
その森林地域のほとんどは傾斜した地面で作物を育てるには大変な苦労が必要になる。
棚田などの栽培効率の制約がある方法しか農作物の栽培ができない。
だから、森林資源は木質バイオマスをエネルギー源として最大限、利用すべきである。

この森林保全と木質資源利用については前にブログに書いたが、自然の生長力の範囲内で適切に伐採して利用することが、森林保全と生態系保護に役立つ。
その林産物バイオマスは地産地消に沿って、できるだけ地元でエネルギーとして利用するべきである。
この資源を液体バイオ燃料に加工する検討もされているが、基本的には個体燃料として利用した方が、エネルギーの利用効率は高い。

それでは、液体バイオ燃料は、どのようにして国内栽培をすることができるのか?
この課題については、有力が技術研究が進められている。
それは、水中で栽培する「藻類」である。
地上の作物と違って、水中で生育する藻類は自身の体を支える必要がないために、光合成した炭化水素を、エネルギー源に利用しやすい形で生物の体内に保持している。
この藻類の中で、油の成分を多く含む種類があり、これを栽培して収穫すると、簡単な工程で燃料用の油が抽出できる。
これは航空機用や船舶用、そして自動車のトラック用途(ディーゼルエンジン用)の燃料に加工できるので、石油の代替燃料に最適である。

まだ、研究は初期段階であるが、本格的に実験研究を進めれば10年以内に実用化は十分に可能である。
問題の栽培地は、淡水用の藻類は湖沼を利用したり、場合によっては棚田を藻類の栽培池に変えることも可能性がある。
また、海水用の藻類を開発して、内海などを栽培可能に開拓して大規模に栽培できるので、日本のような海洋国にとっては有利な技術になる。

このような開発を進めることで、将来はエネルギーの自給は十分に可能な製造量が見込める。
しかし、日本政府はまだ、まったく検討を進めていない。
いざというときになってからでは遅い。
エネルギー自給率を高めるべきである。

アメリカはバイオ燃料大国になることを目指している。

2009-05-24 | バイオ燃料・バイオマス
前回、「液体バイオ燃料」の対象は自動車用だけではなく、航空機用も検討対象にすべきであり、その課題を指摘した。
同様に船舶用「液体バイオ燃料」も、今後は十分に研究して化石燃料の削減に取り組むべきである。
技術的には多くの課題が考えられるが、今のところ、削減対象としての上位にないために、研究も投資も不足している。
やはり、何らかの削減目標や、国際的に合意された規制、たとえば自動車と同じように新規の製造船舶の燃料消費量達成目標の規制措置が、検討されるべきであろう。

ところで、そんなに多くの対象をバイオ燃料に代替することを目指して、生産することが可能なのであろうか?
まず、アメリカについて概略の見込みをつけていくと、それほど遠くない将来には、バイオ燃料を自給することは可能である。
もしコスト競争力がつくならば、アメリカの主力輸出品になるであろう。
なぜなら、アメリカは世界有数の国土を持ち、しかも、まだ未開拓の土地が大量に存在する。
今までは小麦生産やトウモロコシの栽培に適した土地を開拓して、しかも大規模農業に方式で機械化を進めてきたので、世界有数の輸出国となっている。

現在では技術的には「トウモロコシエタノール」が商品として流通している。
しかし、これはコストも割高で食糧を奪う「悪玉バイオ燃料」の批判もあって、これ以上の増産は得策ではない。
そこで、アメリカのバイオ燃料の技術開発の主力目標は、植物のセルロース系からのバイオ燃料製造技術になってきた。
トウモロコシや小麦の栽培に不適な土地が、大量に放置されているアメリカ大陸では、いわゆる雑草、灌木しか生えていない地域が残っている。
このような土地に自生する草、たとえば「スイッチグラス」などを効率的に採集して、燃料化する事業のシステムが研究されている。

表面に出てくる話題として、「次世代バイオ燃料」と呼ばれるものは、このような植物セルロース系からの液体燃料化技術のことである。
この技術は前から研究室レベルでは、進められていたが、最近は事業化を狙った本格研究に移行し、政府系や民間の研究機関の花形テーマになっている。
なにしろ、何の利用価値もなかった雑草から、自動車や航空機に使える高価格の燃料に生まれ変わる技術であるから、それこそ、アメリカの勃興期に石油ラッシュに沸いたように、先頭を切った企業が圧倒的に有利になれる新産業である。

この製造技術は微生物を利用して、植物セルロースを炭化水素系の燃料に変換することに尽きるが、今、話題に出るのはほとんどがエタノールにする技術である。
しかし、エタノールよりも有利なブタノールや、もっと、炭素含有の多い燃料化も考えられるので、どのような燃料が最適かはわからないのが実情である。
先が見えてくるまで、まだ10年位はかかるであろう。
まさに、新産業の産声を上げる前の状態である。

アメリカは温室効果ガスの削減に後ろ向きである。などと思っているのは、大きな誤りである。
それは石油に固執した、「ブッシュ政権」の大きな間違いに翻弄されたアメリカの連邦政府のことしか見ていないからである。
各地の先の見える研究機関や企業は、着々と次世代の燃料技術に対して研究し、事業化戦略を立てている。
しかも、「オバマ政権」になってからは、脱石油エネルギー政策は鮮明となり、研究投資には拍車がかかっている。

この勢いで行けば、10年かからずに先が見えてくるかもしれない。
それに対して、日本の政権はいったい何を考えているのだろうか?
以下、次回に。

食用にならない作物からのバイオ燃料は是か非か。 

2009-05-23 | バイオ燃料・バイオマス
自動車の燃費性能向上と、化石燃料以外からの代替燃料が必要になっていることは、誰も否定しない。
これに反対する人は、かなりの天の邪鬼である。
地球温暖化に対して懐疑論を展開する人々も、化石燃料の使用量を大幅に削減すべきことに対しては、まったく同じである。

ところで、化石燃料使って動く道具は、自動車に限らないではないか?
かなりの飛行機や船舶が、同じように化石燃料を使っている。
なぜ、自動車用ばかりを採りあげるのか。
まあ、一番身近な乗り物であるから、批判を受けやすいということでしょう。
だけども、使用量の削減についての責任は同じはずである。

これは、ひとつには、気候変動枠組み条約(京都議定書と通称)の削減対象から、国際航路の飛行機や船舶に使う化石燃料が除外されているからにすぎない。
議定書の国別削減目標を交渉することが主眼になってしまったので、国同士にまたがる国際線は、どのようカウントすべきか、議論が複雑になる。
それで、とりあえず削減対象から外す。という、まことに便宜上の問題である。
本来ならば、この面こそ、増加が激しいのだから、削減対策を重点的にすべきものであろう。

ということで、「自動車用液体バイオ燃料」ではなく、「航空機用液体バイオ燃料」も取り上げる必要がある。
最近、航空会社が実験的に実施したが、ジェット旅客機の燃料に、「バイオ燃料」を混合して、既存のジェットエンジンの性能に悪影響はないか?
確認の飛行実験をして結果はOKであった。
混合した量はわずかであるが、大量に使う航空燃料のほんの一部でも切り替えていければ、かなりの削減効果は期待できる。
何よりも、供給基地が限られているので、燃料輸送や管理が自動車用よりも有利である。

それで、どのような作物からの「バイオ燃料」にして行くのか?
これが懸案であるが、実験に使った燃料は、「南洋アブラギリ」という、食用にはならない油がとれる作物である。
自動車のバイオ燃料では、トウモロコシなどからにエタノールが主流になって、食糧価格高騰を引き起こし、「バイオ燃料悪玉論」が世の中を風靡したので、それに懲りて、最初から食糧にはならない作物に着目して、バイオ燃料を製造することにした。
製造コストが引き合うのか、今のところ少量の為に割高であるが、量産すれば利用できる範囲に収まる見込みである。

それならば、このまま進んでいけば良いものなのか?
「南洋アブラギリ」(ヤトロファ)は、食用に作物が採れないような栽培地でも、水さえ確保できれば十分に栽培できるという特徴が、売り込みポイントである。
つまり、食糧生産のために栽培地を奪うことはない。
これが確実に実行され、不法栽培が起きなければ問題は起こらない。
目出度し、メデタシというところである。

しかし、ちょっと待てよ。食用作物ができないような栽培地というのはどのくらいあるのか?
水が確保できる条件のところは、大体、食用作物が栽培できる。
「南洋アブラギリ」が食用作物の栽培地を奪う懸念はないといえるのか。

航空用燃料に使う量が僅かな段階は問題ないであろうが、効果が出るならばすぐに大増産の必要が出てくる。
そして増産の為ならば、食用作物の栽培地を不良耕作地として偽装登録して、「南洋アブラギリ」を栽培することになる。
森林の違法伐採が横行している世の中であるから、偽装登録などは朝飯前のように横行するであろう。
国際的な管理と監視が必要になってくる。
以下、次回に。

閑話休題。燃費規制はオールウイン。

2009-05-22 | 経済問題
「自動車用液体バイオ燃料」については、現状の問題をひと通り、おさらいをしてきた。
増産することは、たやすいことではなくバイオ燃料用作物の栽培にたいして、土地利用の変更を適切に管理できるかにかかっている。
その前にやることは、とにかく自動車の燃費性能を向上させて、使用量を減らしていくことである。

日本では、石油ショック以来、省エネルギー技術の促進が重視されて、その技術進化の恩恵を産業界は受けてきた。
アメリカはどうだったか?
自動車については、燃費性能を良さを競うような空気がなかった10数年であったが、ここにきて急速に法制度によって、規制を強化していくことになった。

オバマ米大統領は19日、自動車メーカーに対する平均燃費規制の強化方針を正式発表した。2012年から年5%ずつ引き上げ、16年までに乗用車で約4割、SUVやミニバンなど小型トラックで約3割の改善を義務付ける。
 新規制では、乗用車でガソリン1ガロン当たり39マイル(1リットル当たり 約17キロ)、SUVやミニバンなど小型トラックで30マイル(同約13キロ)への引き上げを目指す。
 乗用車と小型トラックを合わせた平均では現在の25マイル(同約11キロ)から16年には35.5マイル(同約15キロ)となり、07年エネルギー法で 義務付けた燃費規制の水準を4年前倒しで達成する計画だ。
同様の規制強化はカリフォルニア州などがすでに決めており、米国全体で自動車の燃費向上に取り組む。

アメリカは、自動車産業の業界の影響が強く政治に反映して、20年以上の間、燃費規制は緩い数値にとどまっていた。
それに対して先進的な州では、独自の燃費規制を決めて実施する計画を打ち出し、企業側にとっては、各州毎の対応を迫られることになりかねない。
この動きをうまく調整してオバマ政権は、合意をとれるように積極的に動いて、各方面が賛同する規制にとりまとめている。
業界の意見も、米フォード・モーターは「共通の国家基準に向けてわれわれが取り組む中、オバマ大統領が断固たる有益な行動をとったことに満足している」。
GM、トヨタアメリカなども、この規制の統一方針に賛同している。

この規制は、各社の技術進歩を猛烈に促すことになり開発費用などは大変だが、燃費規制に対応できる車は、今までのガソリン浪費型車を買い変えるメリットが出るので、消費者も積極的に購入することになる。
結果として、販売増、生産回復、雇用回復につながり、経済の再生に役立つ。

出来てしまえば、各方面の満足を得る法規制が、なぜ、今までの期間はできなかったのか?
アメリカは90年代以降は、金融のまやかし的利益構造によって、好景気を迎えたりして、消費者の節約志向はほとんどなく、また、自動車業界〈アメリカのビッグスリー〉もガソリン浪費型の大型車を販売した方がもうかる。
だから、それらを制約する燃費規制には、表と裏で、ロビー活動を強力に続けて、連邦議会の議員を規制反対派に引き込んできた。
そして、その挙句の果てに、金融、住宅バブルは崩壊し、ビッグスリーは倒産同様に陥った。

産業界の反対は、いつでも業界の短期的利益を中心に行われる。
しかし、大局的、長期的にみれば、適切な規制は業界と消費者と社会にメリットもたらす。
それを取りまとめる政治家の手腕も重要なかなめである。
振り返って、日本の状況はどうか?

食糧の輸入依存はバイオ燃料以上に森林を破壊する? 

2009-05-21 | バイオ燃料・バイオマス
5月15日から20日までに、このブログで書いてきたことを理解していれば、「バイオ燃料」問題は、単純に食糧を奪うからいけないのだ!などとは言えない。
土地の利用変更が適切であるかどうかが、最大の課題である。
アメリカがトウモロコシを原料として「バイオ燃料」を石油使用削減の目的で、大増産するように補助金政策を実行したことで、食糧価格が高騰したことは事実である。
だから食糧と競合しない原料から作るべきだ、という議論もあるが、本当にそうだろうか?

その前に、「トウモロコシエタノール」の増産で何が起きているのか、もう一度、見ておく必要がある。
アメリカではこの10年位の間に、トウモロコシの価格はずっと低かったが、最近のエタノール優遇策で、トウモロコシ栽培は採算上で有利になってきた。
儲けを最大化するのがアメリカの流儀であり、当然のごとく、他の作物を栽培するよりもトウモロコシ栽培がもうかるとなれば、植え付けをトウモロコシに変える。
そして、大幅に栽培が減ったのは大豆である。

大豆は日本人にとっては大事な食用材料であり、ほとんどをアメリカから輸入していた。
それが、モロに減少することになって、栽培地を他国に求めていくことになった。
中でもブラジルの広大な森林地帯を切り開いての大豆栽培が盛んになった。
日本も技術面や資金面で協力して栽培地を拡大し、アメリカ一辺倒の依存から多様化が出来ている。
めでたし、メデタシというところであるが、熱帯林を伐採する傾向に拍車をかけることになった。

ブラジル政府は輸出作物を大量に増産できて、しかも、日本のように高い価格で大量に安定的に買い取ってくれる顧客は最上である。
森林の伐採は、ほんの少しだけであり、国の発展にとっては必要な土地利用の変更である。
先進国は17世紀から19世紀に大量の森林を伐採して、経済成長をしてきたではないか。
今の段階では、われわれ(ブラジル)の国民は豊かになるために、経済成長をする必要がある。
それをだめだ!ということは正義ではない。

ならば日本人に大豆を食べるならば、自国で生産すべきといえるのか。
日本国内での生産量は限られていて、しかも、栽培地が小規模であり、大規模栽培のブラジルなどから輸入した方が、はるかに価格は安くできる。
19世紀以来の経済学、「比較優位の理論」(リカード)によって、これは当然の貿易行為で、両国にとっての経済上のメリットがある。
しかし、日本人のために大豆を栽培することは、森林を伐採する必要がある。
だから、これは日本がアマゾンの森林減少の原因を作っていることになる。

以上の事例のように、「バイオ燃料」の栽培のために土地利用の選択が問題になるだけではなく、食糧の輸入依存が大きい分だけ、世界の土地利用変更による問題に巻き込まれていく。
森林減少の責任も付いてくるのである。
安くて大量に必要な農作物、食糧を海外に依存することは、同時に海外の環境保全、森林保全、生物多様性保護などにも関連してくるので、とにかく安くて安全ならば、どこからでも輸入してい良いはずだ。
という、20世紀までに通用した論法では許されなくなる。

今までに書いてきたように、「エネルギー問題」は、林業の問題に絡み、バイオ燃料に影響する食糧の問題に密接に関連している。

それは、土地利用の適正化と森林保護を世界中でどのようにしていくかが、根幹の課題である。

バイオ燃料用の作物を栽培する土地利用は適切か? 

2009-05-20 | バイオ燃料・バイオマス
サトウキビから生産するエタノールは、「善玉バイオ燃料」であり、トウモロコシから生産するエタノールは、「問題児バイオ燃料」である。
一概に論じることは、十分に気をつけなければならない。
そして自動車用のバイオ燃料は、エタノールだけではない。
ディーゼルエンジン車が半分以上の販売になっているEUの先進諸国ではどうであろうか。
この地域では「バイオ燃料」といえば、パーム油から作る「バイオディーゼル油」が主流である。

パーム油を作る原料のパームヤシは、東南アジアなどの亜熱帯、熱帯地方の森林地帯で栽培される。
今まではパームヤシを栽培してパーム油を搾油して、工業用の原料として輸出していた。
産業の少ないインドネシアやマレーシアにとっては重要な外貨を稼ぐ産業で、地元も労働者も収入を増やすことが出来て、大変歓迎されている事業である。

この工業用のパーム油を、大量に「バイオディーゼル油」に加工することができるようになり、EUの先進諸国では、石油の消費削減、炭酸ガス排出削減に効果的であるとして、導入量を年々増加させてきた。
当然、パーム油の供給不足になるので、新規の栽培地を求める事業者が沢山出てきた。
この栽培地を開拓するためには、熱帯林であった地区を全部伐採して開墾し、パームヤシを植え付けていく。
このようなパームヤシ農園が大規模に開発されていった。

EUの先進諸国は、炭酸ガスの排出削減目標を設定する関連で、「バイオディーゼル油」の導入目標量を大幅に増加させる計画でいた。
ところが、パームヤシ農園を開拓するには、森林地の伐採が必ず発生することを問題とされるようになった。
樹木を伐採して更地にすれば、樹木が蓄えていた炭素は、空中に放出され、地中に保存されていた炭素成分もが時間とともに、大気中に炭酸ガスとなって出て行ってしまう。
自動車に使う軽油を減らすことで、炭酸ガスを削減しているつもりが、地球の反対側で炭酸ガスを出すことを加速してしまう。
専門家の研究によれば、森林伐採による一連の炭酸ガス放出量は、それによって得られる「バイオディーゼル油」の利用で削減される分の100年分位に相当するケースもある。

このようなことが最近の研究によって解ってきた。
さすがのEUの先進諸国も、この問題を無視するわけには行かず、パーム油由来の「バイオディーゼル油」の導入を増加させないように計画を修正している。
被害者はインドネシアやマレーシアのパームヤシ農園の労働者である。
職を失ったり、需要が急減したパーム油の値下がりで、事業者が窮地になって賃金を切り下げたりしている。
先進国の気まぐれ的方針変更で踏んだり蹴ったりである。
その上、需要の拡大をもくろんで伐採してしまった熱帯林は、当分は元には戻せない。EUの先進諸国は罪なことをしたものである。

それで話を「バイオエタノール」の場合に目を向けると、ブラジルの「サトウキビエタノール」でも、森林伐採の可能性はないのであろうか?
ブラジルは広大な熱帯雨林をもっている。
そのほんの一部であるから、サトウキビ栽培地に変更してもよいのではないか、という判断がブラジル政府にはある。
森林の保全は国内問題であり、森林地を栽培農業や工業地に変更するのは、国が計画的に責任を持って実施管理するから、他国からの干渉は受けない。
というのが基本であろう。

しかし、炭酸ガスの増加による気候変動問題は、一国だけにとどまることはなく、国際的な合意とルールによって対策されるべきものである。
土地利用の変更が問題なのである。
以下、次回に。

食糧価格を安定させる「バイオ燃料」の流通改革。

2009-05-19 | バイオ燃料・バイオマス
「バイオ燃料」は食糧を奪うし、価格を引き上げてしまうから、人道的に許されない。
これは正論として世界に広まってきている。
だが、ブラジルもアメリカもフランスも、それに対しては意に介さず、石油輸入削減の国策を着々と実行している。
ここで、その内容を少し掘り下げて見てみよう。

サトウキビから作る「エタノール」は、もちろん糖分を発酵させているが、これは砂糖の生産設備とほとんど同じである。
ブラジルは世界一の砂糖生産国であり、海外輸出量は最大である。
広い国土に恵まれたブラジルは、砂糖生産が国の重要な産業であり、広大なサトウキビ栽培地をもっている。
さらに、適地を探して今後も開拓する予定である。

ところが、砂糖はすでに世界的にはだぶつき気味で、他国でのサトウキビ生産を圧迫しないためには、ブラジルでは生産拡大を控えなければならない。
無理に増産すれば、砂糖の国際相場は下落して、サトウキビ栽培農家、砂糖生産事業者に大きな損失が発生する。

この状況でサトウキビから作る糖分を「エタノール燃料」に振り向けることで、増産余力を吸収することが出来るようになった。
サトウキビ農家も砂糖生産企業も、この「バイオ燃料」用途が新規に開拓されたことで事業が安定し、収入も雇用も確保できるようになった。
マスコミが伝えるような食糧を奪うことは起きていない。
仮に砂糖価格が少し上がったとすると、砂糖生産企業は、バイオ燃料用に生産していた糖分を、すぐに砂糖の生産に振り替える。
つまり、砂糖の方がもうかる場合は、それを増やすのは企業者の当然の行動である。

「サトウキビエタノール」の生産が少し減ったからと言って、自動車が走れなくなるわけではない。
石油の備蓄もしてあるので、混合する割り合いが変動していくだけである。
このように、サトウキビから作る「バイオ燃料」は、食糧を奪う「悪玉」などではなく、砂糖生産を安定的にさせる救いの神、「善玉バイオ燃料」である。
おまけに砂糖の価格が上がっても、先進国での消費が影響を受けるだけであり、値段が上がったら、少し糖分控え目にすればよい。
メタボや高血圧が減る良い傾向である。

さて、問題の「トウモロコシエタノール」ではどうか。
アメリカは、他国に食糧を供給する責任を負っているわけではない。
だから、トウモロコシの増産分を「バイオ燃料」に加工して、自国の自動車ユーザーの便宜に貢献していることは、まったく正当である。
この説明に対してどのような反論ができるのだろうか?

日本側からすると、トウモロコシを輸入して鶏や牛、豚の飼料に使うので、その値上がりの分は、卵や肉の値段に影響がある。
だからと言って、アメリカに対してトウモロコシを日本に必ず一定の価格で売るべきだ。と主張できるのであろうか?
価格は国際市場の需給関係によって決まるのが、今のルールである。
そのベースに立ったうえで、トウモロコシなどの主要穀物の価格安定策を積み上げていく必要がある。

いや、市場取引などの問題ではない、貧困層の人が毎日の主食も満足に食べられないのに、食料を自動車用に回すのは人道上の問題だ!と主張する人々がいる。
そのような動機で活動するならば、まず、先進国での人々の飽食を問題にし、かつ、大量に食べずに捨てられている廃棄食糧を減らすことが優先的な課題ではないのか。
日本では大量の賞味・消費期限廃棄が出ている。
以下、次回に。

「バイオ燃料」に対する初歩的な誤解による否定論。 

2009-05-18 | バイオ燃料・バイオマス
20世紀が石油の時代であったことは誰しも認めている。
そして、石油資源の枯渇の懸念とともに、炭酸ガス主因説による、化石燃料使用量の削減を求める世論が世界中に広まってきた。
その対策の要に「再生可能エネルギー」が登場して、いまや太陽光発電、風力発電などは、新産業の潮流を作り出すものと認められ、21世紀の主役に躍り出ようとしている。

その中で、「自動車用液体バイオ燃料」は食糧を奪う、または食糧価格を高騰させるとして、悪役の地位を与えられている。
しかし、前回までにこのブログに書いたように、国の政策としての石油依存を減らす効果は間違いなくある。
石油が退場するには代役の「バイオ燃料」を実用化して大量に普及できるようする必要がある。
しかし、マスコミは「悪役」を仕立てるのに忙しく、それに便乗している似非評論家もいる。
エネルギー政策の主務官庁は、そのような迷走状態に傍観の姿勢である。

まず初歩的な誤解をほぐしておかなければならない。
それは、バイオ燃料はエネルギー消費削減にはならない。
という論者があちこちにいて、否定論を展開していることが誤解の第一である。
専門用語でいうと、「エネルギー収支」がマイナスである。という主張である。
これは簡単に言うと、「バイオ燃料」を1リットル作るのに、それよりも多いエネルギーを使っている。
だから、バイオエネルギーを利用するだけ、よけいに浪費をしていることになる「悪玉」だ!とのご託宣である。

確かに、お米や小麦から作るバイオ燃料は、かなりのエネルギーを使っている。
それは、技術的にはまだ未完成の面もあるが、原理的には不利な作り方である。
トウモロコシからのバイオ燃料は、もう少し効率が良くて、古いデータであるが、投入したエネルギー量に対して、1.2倍くらいのエネルギーに相当する「トウモロコシエタノール」が生産される。
あまり効率が良いとは言えない。
これが「サトウキビエタノール」であれば、4~5倍のエネルギーが得られる。
だからブラジルの「バイオ燃料」は、悪玉であるとはいえない。

アメリカが効率は悪くても「トウモロコシエタノール」の増産政策にいれ込んでいるのは、前にも書いた様に、国内の農業政策、財政政策の一環であり、エネルギー安全保障の狙いだからである。
「エネルギー収支」の効率の悪さは、エタノール製造企業にとって収益性の圧迫要因であるから、それほど時間もかからずに、改善されることであろう。

20年前に「太陽光発電」の設備が登場したときに、否定論をとうとうと述べた似非専門家がいた。
太陽電池を作るときに必要なエネルギー(当時はシリコンの製造に大量のエネルギーを必要とした)が、太陽電池で作りだす電力の20倍以上も使っている。
だから、エネルギーの無駄使いであって、まったく意味がないという「太陽光発電無用論」である。
最近では製造に必要なエネルギー量は、2年間程度で発電する電力で賄える。
さらに技術進化の途上であり、近い将来には1年間程度になる。
太陽電池の寿命は20年以上あるから、投入エネルギーに対する発電エネルギーは10~20倍にはなる。

新技術に対する否定論は初期には必ず出てくる。
その時に現時点の技術レベルで数値を並べて、ほれ、このとうりダメではないか!という論法である。
これがまったくの当て外れであった。
20年後には主役に躍り出ていることを、この似非評論家は、今どんな顔をしていることだろう。

「バイオ燃料」のエネルギー収支は、どこまで進化するかは、確かなことは言えない。
明確なことは、現時点でも「サトウキビエタノール」はエネルギー生産に役立っている。
他のバイオエネルギー技術も国策による優遇と技術者および起業家の努力次第である。
以下、次回に。

石油輸入の削減政策としての「バイオ燃料」優遇策。

2009-05-17 | バイオ燃料・バイオマス
アメリカの「トウモロコシエタノール」の優遇政策は、国益としての長期政策である石油輸入依存を減らすことにある。
実績としてガソリンに10%近くまで「エタノール」の利用が進み、更に増加させるための政策が検討されている。
最終的には、中東や南アメリカからの石油輸入をゼロにするところまで拡大する構想である。

同じように「バイオ燃料」生産大国であるブラジルは、すでに、石油輸入依存はなくなり、「サトウキビエタノール」の増産計画により、輸出産業として育成する国策である。
ブラジルは経済発展するためにはエネルギー需要が大幅に拡大することは確実であり、そのエネルギー自給政策の重要な柱になる。
30年以上にわたっての育成策が実ってきた。

ヨーロッパはどうか?サトウキビもトウモロコシも栽培適地はない。
その代りに小麦が生産されて、食糧としての自給は成り立っている。
フランスなどはさらに増産政策をして、小麦は重要な輸出品である。
大量に生産されると、食用には不適な品質の小麦も、かなり発生するので、この廃棄物に等しい不良小麦をつかって、「小麦エタノール」を生産している。
まだ生産量は少ないが、将来はガソリン消費量の削減にむずびつけて、やはり、石油の輸入を減らすことを狙っている。

マスコミでは、「自動車用液体バイオ燃料」は、「炭酸ガスの削減」が主要目的のように記事が作成されて、その効果の是非を問うている論調が多い。
つまり、『温暖化防止か、食糧の確保か』の対立論としているが、どちらも重要な課題である。
これに対して、一部の議論は、「温暖化懐疑論」に立って、「バイオ燃料」は温暖化問題をでっち上げた国の陰謀による、「食糧価格」の高騰作戦、投機資金筋の利益を狙ったもの、などの陰謀説を持ち出している。

小麦は確かに天候不良などの影響を受けて、生産量が落ちたりするので、国際的な取引価格が変動する。
それに「食糧を奪うバイオ燃料」のアピール作戦が功を奏したか?2007年~2008年前半の穀物価格の高騰は異常であった。
それは当然の如く投機資金に流入によるかく乱がおおきい。チャンスがあれば、マネーゲームの賭博場になるのはいまや常識である。

陰謀があったかどうかは確かめようがないが、上記に書いたように、「バイオ燃料」は各国の国益上の理由による。
石油の消費量は増大の一途をたどり、さらに、中国などの発展途上大国の出現で、需給がひっ迫するのは目に見えている。
それを予防するためには、石油消費の代替になる、「バイオ燃料」産業を育成することは長期国策として適切であり、一部の投機家によるかく乱などで左右される政策ではない。
ブラジル、アメリカ、フランスなどは、国としての政策決定には、賢い選択をしている。

振り返ってみると、日本はどうか。
今の時点では「バイオ燃料」の国内製造計画は、まったくと言ってよいほど、ゼロに等しい。
確かに、サトウキビもトウモロコシも、小麦も、輸入依存で「バイオ燃料」を製造できる原料はほぼゼロである。だからと言って石油の100%輸入依存は避けられないのか?
いつまでも、国際価格の変動にゆだねながら、その都度、一番安く買えるところから輸入していければよいではないか。という立場である。
だから、国内に備蓄設備だけは完備し、100日程度は持ちこたえる。その日暮らしならぬ、その3か月暮らしの現状である。
以下、次回に。