安倍政権は「経済再生を最優先課題」として、一貫して言い続けている。
しかし、アベノミクスの第一段は、成果もうわべだけの株高しかなく、それも【実質的には、ドル換算での株価は以前と同じ】である。
公共工事の大判振る舞いは、経済へのカンフル剤の一時しのぎで、使い古された【財政赤字を増やす次世代へのツケ】を残すだけである。
イノベーションを引き起こしてに、経済成長路線には、挑戦の言葉にはそぐわない、総花的な様子見の研究投資の支援にすぎない。
それは、旧時代産業になって「お荷物となる産業からの撤退」を、おろそかにして、いつまでも【ゾンビ化する事業を生き残らせている】弊害があるからだ。
資本主義社会は、「創造的破壊を伴うイノベーション」を引き起こさなければ停滞する、と高名な経済学者のシュンペーターが理論化している。
例えば、エネルギー産業でいえば、原子力発電に対して、国民の大多数が将来性を見限って、依存度を順次下げて将来はゼロにする路線を支持している。
それにも拘わらず、既得権勢力の電力会社の利益のためだけに、再稼働の容認路線を支援して、その分の新規の電力事業者の参入を阻止している。
今や、エネルギー産業は、大転換をする時期になっているのに、安倍政権は、いまだに及び腰の取組しかしていない。
施政方針演説でも、「温暖化対策は新しいイノベーション生み出すチャンスです」と言っておきながら、「省エネルギーと再生可能エネルギーの大胆な技術革新」には、ほんのわずかの予算しか振り向けていない。
今や明らかにコスト高になっている「原子力発電関連産業」の生き残りのための予算の方が多い有様である。
つまり、成り行きにまかせながら、様子を見る状況が3年間も続いたままで、将来像も目標も低次元のママに放置している。
経済産業省と石炭火力族の言いなりに、2030年の目標を決めてしまったために、日本は最も【CO2削減目標が低い国】に位置ずけられてしまった。
これでは、挑戦的とは全く言えない状況で、関係する企業も「大胆な研究投資」には、躊躇せざるを得ない。
原子力産業と石炭火力産業からの徹底方針を打ち出せば、優良な企業は競って、「再生可能エネルギー産業」に大胆な投資と開発人材を振り向けられる。
挑戦と言うならば、大胆な転換をトップ自らが宣言しなければならない。(続)