庵KM

技術屋OBの環境問題独り言

経済問題。交通問題。健康問題。そして、日本の国創り問題。快適社会問題。

16世紀から20世紀の間、繁栄した時にかかる病気「投機」。

2011-02-23 | 国創り政治問題
人類の悪癖にはいろいろあるが、賭けごとに対する執着は、度を超すとひどい状態になる。
賭けをしている本人が、負けて痛みを受けるのは自業自得であるが、その影響が関係ない人にまで及ぶような事は避けなければならない。
賭けごとの最大は、金融取引の投機であるが、国が繁栄しているときにこの病気にかかり易い。

1630年代には、有名なオランダのチューリップ投機で、多くの人が巻き込まれて、自分の財産をチューリップにおカネをつぎ込んだ。
この投機熱がバブルであることは明らかであり、ある時期に熱が冷め始めると、一気に暴落して多くの人が財産を失った。

次は1920年代のアメリカの証券市場のバブルと大暴落の歴史的な破綻である。
アメリカ人の多くが財産を失い、失業者があふれでた。
これに懲りて、銀行業と証券業を制度的に分離したのであるが、のど元過ぎれば熱さを忘れる。
またまた、1990年代になって、証券と銀行を兼ねる業態を認めて、金融工学なるモノを作りだして、投機の機会を増やすことになった。
やはり、2008年にはリーマンショックを起こして、経済破綻の瀬戸際まで行ってしまった。

今でもその影響で、世界の経済は立て直しにあえいでいる。
その間に、中国などの新興国が経済成長の波に乗って、先進諸国を圧倒する経済力をつけて来た。
しかし、その中国でもバブルの芽はいたるところに伸び始めている。

中国人の好む「プ―アール茶」が、投機の対象になり始めている。
金余り状態が続くと、皆が欲しがる商品におカネを投じて、利ザヤを稼ぐ投機が活発になる。
雲南省のある茶販売店では、2007年には3キロで500万円という超高級茶も登場したという。
これに引きずられて、庶民の飲むプ―アール茶も手が届きにくい値段になっている。

世界ではコーヒー豆の価格が高騰していると言う。
新興国の経済成長によって、今までのコーヒーを飲む習慣がなかった国で、人々がコーヒーを飲み始めた。
需要が増えればコーヒー生産が増えることで、価格はバランスする筈だが、その間に時間遅れが当然出る。
その期間をすかさず国際投機資金が狙って、価格の高騰を図ることで利益をむさぼる。
コーヒー栽培に従事する途上国の生産現場には、おカネが回る事はない。

プ―アール茶やコーヒーが値上がりしても、飲まなければ良いので無視できるが、コトが基幹食料やエネルギーとなると、賭けごととは関係ない大多数の世界の人が飢えたり寒さによって死んでいく。
21世紀の国々を統治する政治家たちは、17世紀のオランダや20世紀のアメリカと、同じ様な愚かさで投機の悪癖から逃れることができず、多くの人を不安の中に落とし込んでいる。

政治家たちの愚かさにアキレはて、少し頭を冷やす為に1週間ほど旅行するので、お休みです。

もう自由市場取引が万能などと言える段階は過ぎ去っている。

2011-02-22 | 国創り政治問題
石油価格の高騰が懸念される状況になって来た。
一部の原油取引スポット価格は、1バレル100ドルを超える場面も見れる。
3年前の日本では、ガソリン価格が1リットル当たり180円台にも上昇して、各地で混乱を引き起こし、経済活動に悪影響を与えたことは、記憶に新しい。

その当時には、アメリカは石油の輸入量を減らす為の政策として、トウモロコシから作る「コーンエタノール」の増産に向けて、連邦政府の税金を使って優遇してきた。
この結果が、原油の輸入を減らす効果はあり、原油価格の上昇を少しは抑える事が出来た筈であるが、投機資金が乱入しているために、価格抑制効果はハッキリしない。

その反面で、トウモロコシの需給がひっ迫したので、国際価格は2倍以上にも跳ね上がり、多くのトウモロコシ輸入国にとっては、大きな悪影響があった。
アメリカは、実際の需給の変動による価格への影響は、3%程度に収まる計算だと、対外的に説明しているが、自由取引市場による価格形成は計算どうりにはいかない。
それは、過去の実績と価格変動の関係を、モデル計算式に当てはめて、算出している数値であって、今の時代の様な「国際投機資金」の影響は、一切、考慮に入っていない数値である。

今回の原油減産の可能性が伝えられるだけで、すでに大量の投機資金が原油取引に流入している。
[G20]諸国の財務大臣会議では、これらの「資金の移動を透明化」していこうとの合意になったが、それがどれほどの成果を産めるのかは、まったく怪しい状況である。
実際に必要としている取引と投機の取引を区別する事は、不可能に近い課題である。

実効性のある規制は、この様な取引には、『国際的に統一した課税』をかける方法で、利ザヤを稼ぐ機会を減らす様にするのが、精いっぱいであろう。
その様な取引にかかる経費を増加させる事は、世界の経済にとってブレーキをかけることになるから反対である。という、「自由市場取引主義」の信奉者が相変わらず多数である。

しかし、今の世界は、信号基の少ない道路で、速度規制もない様な交通環境に等しい。
暴走族(国際投機資金)が、自由気ままに走り回る道路での交通環境は、どうなっていくか。
仕事をしている人の交通を邪魔して、各場面で事故が起きている様な状態である。
この道路に速度規制(取引に課税する制度)をして、信号機を必要なだけ設置することは、暴走行為を取り締まるには効果的な対策である。
その影響で、一般の交通利用者は、利用出来る自由度がホンの少し制限されるが、秩序が維持される恩恵は多大である。

自由な市場取引を万能とみなす時代は、とうの昔の20世紀末には終わっている。
1990年以後の度重なる金融危機による社会混乱と経済への悪影響は、我慢できる状況ではない。
それに輪をかけて、エネルギー価格の乱高下と、基幹食料への投機活動は、世界中に弊害をもたらしている。
自由化、関税ゼロ化を世界の潮流などとして「平成の開国」など、誰が言い出しているのか。

食料とエネルギー価格の安定に、今こそ賢い政府の役割が必要。

2011-02-21 | バイオ燃料・バイオマス
食用穀物からバイオ燃料を製造する政策は、アメリカのブッシュ政権時代に、国際的な投機資金の影響によってトウモロコシ価格の高騰を招き、世界中から悪玉燃料として批判を浴びた。
本当の狙いであった「アメリカの農家の収益向上」と「連邦政府の農業補助金の削減」には、大きな効果があったので、ブッシュ政権は世界中の批判など、どこ吹く風の知らんふりであった。

今でも、その影響が尾を引いて、穀物価格の安定に「バイオ燃料製造」を関連させるなど、もってのほかと思われるでしょう。
それでも、しっかりとした政策目的と持って制度を構築すれば、実現可能で効果的な方策である。
それを補完する為には、非食用植物からバイオ燃料を製造できる様にすれば、鬼に金棒になる。

前回に余剰作物から作る『バイオ燃料』を進めると、今度は作物の収穫量と世界の需給動向の影響を受けてバイオ燃料の生産量が毎年の様に変化してしまうことを上げた。
その生産量の変化を平準化するために、非食用作物を栽培して、バイオ燃料に加工する仕組みを組み込んでおく。

例えば、食用穀物の需要が増えた年には、それから製造するバイオ燃料は減産する。
その減産分を補う量を、非食用作物からのバイオ燃料製造を増産することで、トータルのバイオ燃料生産量は安定させることができる。
こうすれば、エネルギー価格の安定も図る事が出来る様になる。

非食用植物で、バイオ燃料に加工する事が有利な作物は、「スイッチグラス」や「ススキ」が研究対象になっている。
食用穀物には栽培不適地でも順調に生育が可能で、収率も高くできる可能性が高い。
後は、効率的にバイオ燃料に加工できる設備の研究開発が急がれる段階である。

アメリカの場合は、この技術が完成すれば、現在のガソリン消費量の50~70%の量が代替できるとの試算もある。
2015年頃から実用化されて2025年頃にはかなりの生産量に達するであろう。

さてここで、ひとつの課題がある。
それは、生産量を増産したり減産するので、製造設備は、どうしても余剰傾向になる。
民間企業では余剰の生産設備は、収益を悪化させるので、この余分の設備投資をしたがらない。
だから食料価格の安定確保の責任を政府に持たせて、この余剰設備の維持に必要な経費は、公的な資金で賄うことにしなければならない。

回りくどい話で、解りにくいかも知れませんが、食料価格の不安定と経済の混乱を少しでも治めるには、この程度の設備投資の資金を税金から賄うことで実施できる。
市場原理を信奉して、政府は余計なことに手を出さない事を良しとする「小さい政府主義者」には、受け入れがたい政策でしょう。
ならば、食料価格は投機資金の暴れまわる世界で、自由に変動させるのが良いと言うのですか。

食料とエネルギー価格の安定に、今こそ賢い政府の役割が必要。

2011-02-21 | バイオ燃料・バイオマス
食用穀物からバイオ燃料を製造する政策は、アメリカのブッシュ政権時代に、国際的な投機資金の影響によってトウモロコシ価格の高騰を招き、世界中から悪玉燃料として批判を浴びた。
本当の狙いであった「アメリカの農家の収益向上」と「連邦政府の農業補助金の削減」には、大きな効果があったので、ブッシュ政権は世界中の批判など、どこ吹く風の知らんふりであった。

今でも、その影響が尾を引いて、穀物価格の安定に「バイオ燃料製造」を関連させるなど、もってのほかと思われるでしょう。
それでも、しっかりとした政策目的と持って制度を構築すれば、実現可能で効果的な方策である。
それを補完する為には、非食用植物からバイオ燃料を製造できる様にすれば、鬼に金棒になる。

前回に余剰作物から作る『バイオ燃料』を進めると、今度は作物の収穫量と世界の需給動向の影響を受けてバイオ燃料の生産量が毎年の様に変化してしまうことを上げた。
その生産量の変化を平準化するために、非食用作物を栽培して、バイオ燃料に加工する仕組みを組み込んでおく。

例えば、食用穀物の需要が増えた年には、それから製造するバイオ燃料は減産する。
その減産分を補う量を、非食用作物からのバイオ燃料製造を増産することで、トータルのバイオ燃料生産量は安定させることができる。
こうすれば、エネルギー価格の安定も図る事が出来る様になる。

非食用植物で、バイオ燃料に加工する事が有利な作物は、「スイッチグラス」や「ススキ」が研究対象になっている。
食用穀物には栽培不適地でも順調に生育が可能で、収率も高くできる可能性が高い。
後は、効率的にバイオ燃料に加工できる設備の研究開発が急がれる段階である。

アメリカの場合は、この技術が完成すれば、現在のガソリン消費量の50~70%の量が代替できるとの試算もある。
2015年頃から実用化されて2025年頃にはかなりの生産量に達するであろう。

さてここで、ひとつの課題がある。
それは、生産量を増産したり減産するので、製造設備は、どうしても余剰傾向になる。
民間企業では余剰の生産設備は、収益を悪化させるので、この余分の設備投資をしたがらない。
だから食料価格の安定確保の責任を政府に持たせて、この余剰設備の維持に必要な経費は、公的な資金で賄うことにしなければならない。

回りくどい話で、解りにくいかも知れませんが、食料価格の不安定と経済の混乱を少しでも治めるには、この程度の設備投資の資金を税金から賄うことで実施できる。
市場原理を信奉して、政府は余計なことに手を出さない事を良しとする「小さい政府主義者」には、受け入れがたい政策でしょう。
ならば、食料価格は投機資金の暴れまわる世界で、自由に変動させるのが良いと言うのですか。

世界の安定には食用穀物からのバイオ燃料と非食用植物からも。

2011-02-20 | バイオ燃料・バイオマス
食料価格を安定させる為に、世界中での生産量を増やすことを実現出来るのであろうか。
それは、現在の食糧の栽培技術によれば、現在はもとより今後の人口増加による需要の増加を見込んでも、賄える見通しはついている。
これは、多くの専門家が指摘している事実である。

それが何故に、食料が欠乏して貧困層が飢餓にさらされると言うニュースが、頻繁に飛びかうのであろうか。
それは、増産すると食料穀物の過剰在庫によって、価格が大幅に下落するリスクが常に付きまとって来た歴史があるからである。

栽培農家は、食料・穀物の栽培収穫には、少なからずの投資が必要である。
せっかく収穫に達しても、販売価格が採算割れするくらいの下落に合うと、大きな借金が残ってしまう。
このリスクがあるために、世界中の農家はリスクを避けるために、必要量以上の食料・穀物を植え付けしないことを心がけて来た。

その状況に対して、見込みと違った天候による災害で不作になった時は、すぐに在庫不足に陥り、
それに付け込んだ投機資金の影響もあって、価格が高騰する傾向になっている。
これを防ぐには、余剰になるくらいの作付をして、常に供給過剰の状態になる様に、食料・穀物を収穫すればよい。
余剰の穀物は「バイオ燃料の製造に回す」ことにより、穀物相場が下落する事を防げる様になる。

ある程度の価格が維持されると見れば、世界中の農家が安心して、毎年の作付を計画的に増加させる事が出来る様になる。
そのための投資は、確実に収穫物が一定以上の収益を出すことによって、回収される様になって、経営は安定する。

エネルギーの生産量よりも、食料価格を安定させることに、世界中が合意してルールを作れば、食料価格は一定レベルよりも上がらない様にできる。
同時に、価格が下がるリスクも減るので、農家の健全経営が普及して経済も安定する。
それでは、余剰の穀物から作る『バイオ燃料』は、生産量が毎年の様に変化してしまうではないか、という疑問が出るでしょう。
食料穀物からだけの生産に頼れば、そのとうりです。

エネルギーの生産量に占める「バイオ燃料」の生産割合が増えて来た段階では、供給量の変動が起きて、今度はエネルギー価格の乱高下がおきるではないか。
食料価格は安定しても、エネルギー価格が不安定では、やはり、世界の経済や治安は安定しない。
と心配し、疑問を言い出す人も多くいるでしょう。
だからこそ、非食用の植物から、エネルギーを生み出す技術が必要になってくる。
現在、世界中の新進気鋭の企業や研究者が、非食用植物からのエネルギー化に取り組んでいる。

食料価格とエネルギー価格の安定に努力する事が世界に貢献。

2011-02-19 | バイオ燃料・バイオマス
世界20カ国・地域(G20)の会議が開催され、食料価格とエネルギー価格の高騰に対する懸念を話し合う機会が作られた。
しかし、各国の財務関連の閣僚が集まる会議では、何の対策も具体的に打ち出されることはないだろう。

おカネはモノやサービスの交換のために考え出された信用という証券であり、その信用が低下している社会情勢において、景気浮揚との名目でジャブジャブに発行された、不良債権化する懸念が大きくなっている。
そして、有り余った国際金融資本という猛獣が、世界中を自由に動き回れる世界にしてしまったのは、先進国、まさに[G20]諸国の財務関係者の責任である。

この愚かな先進国のお陰で、新興国や途上国は、食料価格とエネルギー価格の乱高下に翻弄されて、国内の不満が高まることで、治安が大幅に悪化した。
誰が考えてもこの対策が急務であることは、異論はないのだが、具体策となると実効性のある対策は提案されていない。

そこで書きたいことは、、『食料を余剰に生産する体制』に持って行き、その余剰の食糧、穀物を『バイオ燃料』に加工してエネルギー利用しようと言う提案である。
先に、砂糖の生産と共存できる、『サトウキビエタノール』の増産に成功したブラジル政府のことを書いた。
その一方で、トウモロコシを【コーンエタノール】に利用して、悪評サクサクであった、アメリカ・ブッシュ政権の話を事例として書いた。

この成功と失敗の違いはなんであったのか。
それは、アメリカ政府は、自国の国益しか考えない唯我独尊の一部の指導者層に、支配されていたからである。
世界の最強の軍事力と最大の経済力を持ちながら、世界全体の秩序や治安に対して、あまりにも愚かな政策を繰り広げているからである。

「コーンエタノール」は『バイオ燃料』として、それなりの役割を果たしている。
トウモロコシ価格の下落を防ぎ、農家の生産意欲を高めて、増産に貢献している。
それを、【食料と飼料への用途よりも、エネルギー利用を優先する愚かな政策】を実施してしまったことにある。
この様な【唯我独尊政策】が、じわじわと世界中の反米・嫌米感情を増大させて、現在の様なアメリカへの報復的行動によって、不満のはけ口が集まってしまっている。

日本は軍事力も低く、経済力を圧力として使う実績もないために、この不満を受けることは少ないが、世界第3位の経済大国として、食料価格やエネルギー価格の安定に貢献する役割がある。
しかし、今の政権、政治家のレベルでは、その一部すらも担える状態にない。
内輪もめの既得権益ばかりに執着して、ドタバタ騒ぎを繰り返しているだけ・・・ああ・・!

農産物の増産と価格安定に寄与するバイオ燃料は政治家次第で?

2011-02-18 | バイオ燃料・バイオマス
『食料価格の安定に寄与するバイオ燃料』などと言い出したら、トンでもないことを言う奴だと思われるでしょう。
サトウキビの栽培から作る、砂糖とエタノールは共存できるとしても、需要の大きい小麦やトウモロコシでは、食料を奪う【バイオ燃料】として、世界中から【悪玉論】を浴びせられたではないか。

確かに、アメリカが実施した、「トウモロコシバイオ燃料」は、アメリカの国策ばかりを優先した政策で、穀物価格への影響を軽視していた。
このあたりの詳しい事は、2009年の5月15日~19日のブログに書いておきましたので、関心の深い方は、参照していただける様、お願いします。

その論旨の要点を以下にまとめて書きます。
トウモロコシから作る「バイオ燃料」は、アメリカのトウモロコシの余剰生産物を、何とかして商品化していきたい、という長年のアメリカ農家の宿願であった。
トウモロコシの価格は、毎年の収穫の過多によって、国際相場が変動して、過剰となればすぐに価格の下落で、採算割れをして経営を圧迫する要因となっていた。

この余剰のトウモロコシでバイオ燃料を製造する技術が進化して、2000年の初めころから生産量が増えだした。
これによって、トウモロコシの価格が大幅に下落する心配がなくなり、アメリカ農家は遊休の農地をトウモロコシ生産にあてて、増産に励んできた。

そこへ、あの悪名高い「ブッシュ政権」が、地球環境問題に後ろ向きだと言われる事を、少しでも和らげようとして、石油の消費を減らせる「バイオ燃料」に目をつけたのである。
余剰生産物の穀物をバイオ燃料にするという考え方を無視して、石油の代替になることばかりに着目し、毎年の普及目標量を背伸び気味の計画にした。
その普及の後押しをするために、連邦政府の助成金を割り増しして、トウモロコシ燃料に有利な状況を作りだしてしまった。

これが、トウモロコシの国際相場を引き上げる要因となった。
実際には、食料に回るトウモロコシは減っていないのに、食料を奪う【穀物バイオ燃料】の「悪玉キャンペーン」も後押しして、トウモロコシが不足するという風潮を生みだしてしまった。
この絶好の機会を、国際金融資本が見逃すはずはない。
穀物相場の高騰を狙った投機資金が流れ込んで、たちまちのうちに、価格上昇の流れが固まって、
トウモロコシだけでなく、小麦も、大豆も価格上昇に巻き込まれてしまった。

世界の生産量やアメリカの輸出量は、後で統計を調べると、この時期に増産、輸出増加の実績となっている。
実際には、食料となるトウモロコシを減らしているわけではないのに、お粗末な政治家のお陰で、価格高騰の原因を作りだしてしまったのが、現実である。

食料価格の高騰を抑制する方策は余剰生産能力と○○○○○。

2011-02-17 | バイオ燃料・バイオマス
食料価格の高騰を抑える方策に、国が管理する貿易制度、日本で言えば小麦の国家貿易制度を利用して、マージンの調整で安定化する事が出来る。
この方式の限界は、国家マージン以上の値上がりに対しては効果がない。
逆ザヤで政府売り渡し価格を据え置くことは、国の財政を圧迫するので、避けなければならない。

それよりも、需要量以上の供給能力を常に備えていて、価格が上昇し出したらすぐに市場に供給できる制度を作っておくと、価格の上昇を抑える事が可能になる。
ただし、在庫を過剰に持っているやり方だと、穀物といえども経年劣化で、食用には不適な品質になるし、第一に在庫管理の負担が増える。

そこで、余剰につくっても在庫が増えない方策が必要となる。
それが、バイオ燃料の生産に回す方策である。
ブラジル政府は、国策としてサトウキビからバイオエタノールを製造する事を奨励してきた。
サトウキビから「砂糖」を生産するのと、「バイオエタノール」を製造するのとは、途中の工程までは同じ設備が使える事もメリットであり、これが、サトウキビ栽培の価格下落のリスクを減らすことができる。

例えば、砂糖を100万トン生産するにあたって、200万トンの生産ができるサトウキビを栽培しておけば、途中の工程まで砂糖を作る設備を200万トン分の生産能力を持たせて用意する。
そして、需要が100万トンあれば、残りの100万トン分はエタノール製造に回して、砂糖の過剰在庫にならない様にする。
こうすれば、過剰な砂糖在庫を抱える事もなく、価格の下落を防ぐことが出来て、サトウキビ農家も安心して栽培に励む事が出来る。

需要が急に増加して、110万トンの砂糖が必要となれば、バイオエタノールの分を90万トンに減らせばよい。
また天候の不備による不作で、180万トン分のサトウキビしか収穫できなかった場合には、100万トンの砂糖を生産した残りの80万トン分のバイオエタノール製造を行えばよい。
逆に天候が良すぎて、サトウキビが220万トン分も収穫できたら、100万トンの砂糖を生産した後の120万トンのバイオエタノールを製造することで、砂糖製品が過剰となって価格が暴落する事を防げる。

この様な両面作戦によるサトウキビの増産で、ブラジル政府は大きな成功を収めて、砂糖の生産量で世界一の座を占め、さらにバイオエタノールの面でも、アメリカと並ぶトップレベルの生産量を達成した。
ブラジル国内を走る自動車の7割は、ガソリンとバイオエタノールの混合比率が、どのように変化しても走行できる『フレックス燃料自動車』に入れ替わってきて、国策として定着している。

これを真似したアメリカは、トウモロコシから作るエタノ―ルを国策として普及させる政策を、ブッシュ政権が推進した。
その結果は悪評サクサクであった。
その理由は・・・? 次回に。

食料価格の安定は日本では実施可能だが、抵抗勢力はどこに。

2011-02-16 | 国創り政治問題
食料価格の安定が、安心出来る社会の基本条件であることは誰も異論はない。
その一方で、食料品が安くなることを歓迎する潮流は、慎重に検討してみる必要がある。
1990年代に、中国などの新興国からの食糧輸入が一気に増加して、「価格破壊」の流行語を生み出すのに大きな影響があった。
今では、価格破壊は弱者にしわ寄せのいく、悪しき社会風潮の根源とされている。

一方、需給ひっ迫による価格の高騰は、自由市場を基本とした考え方では、正当化されることになってします。
つまり需要が多すぎる場合は、市場での価格が上がることで、供給を増やす動機になり、生産量が増えて価格を抑える方向に動き出す。
だから、自由市場取引に任せて、政府などは市場の介入しない方が良いのである。というのが、自由放任主義、小さい政府を擁護する論者の根拠である。

だが、この様な古典的な高校レベルの議論を未だに信奉している識者がいることは、恐るべきことである。
現代は金融資本という、利益を求めて世界中をうろつく猛獣が、割拠している時代である。
少しでも利ザヤを稼ぐ機会が見えてきたら、すぐに他人の機先を制して投機行動に走ることが勝ち残る常識である。
倫理観や道徳心など、かけらもない猛獣と思わなければならない。

この様な猛獣が闊歩する世界から、食料価格を安定させることは至難の業である。
しかし、これらの役割は、政府などの公的機関が直接に関与して、その責務を果たす必要がある。
日本は幸か不幸か、戦後から続いている「食料価格」を国が関与して、統制的に流通を取り仕切っている、古い制度が残っている。

前回に書いた、小麦の輸入品に対する高率関税(250%)とか、国家管理貿易による、国家マージン(1トン、1万7千円)のピンはねの制度が厳然として残っている。
この制度を利用しない手はない。
例えば、国際価格が3万円の小麦を買い付けて、1万7千円のマージンを乗せていた状況から、小麦価格が4万円に高騰した場合を想定する。
その時に、相変わらず国家マージンを変えないでいると、末端価格はモロに1万円の値上げになってしまう。

そこで、政府の国家マージンを1万円に下げて、4万7千円であった政府売り渡し価格を、5万円に抑えれば、トン当り3千円の値上がりで済む。
もちろん農水省の特別会計に入る税収は大幅に減少するが、天下り先がなければ、誰も困らない。
国内産の小麦農家と流通業者は、輸入小麦の政府売り渡し価格が3千円でも上がることで、経営面で有利な状況になる。
この少しの間の値上がりは、加工業者と消費者で痛みを分け合うことでしのげば、投機資金の流入による極端な価格高騰の被害からは逃れる事が出来る。
なぜ、この実施が出来ないのか・・・!

日本の食糧安心政策は自由化よりも官僚特権破壊と価格安定。

2011-02-15 | 国創り政治問題
「世界経済の安定にとって自由化の流れは必然である。」という論者は、21世紀の時代には通用しない。
金融の無制限の自由化は、「悪意の策略」の弊害が大きいことは実証済みである。
また、アメリカの戦略は、[TPP交渉]を通じて、アメリカの国益に沿った農産物の輸出を拡大して、貿易自由化の流れに便乗した影響力を増加させる国家目標を達成する事にある。
食料価格が高騰する懸念に対しては、アメリカは国としての価格安定の優先度は低い。
トウモロコシや大豆、小麦の価格上昇は、アメリカの大農家にとっては利益増加のチャンスでさえある。

日本では2007年から2008年にかけて、輸入小麦価格が高騰して、食料品の値上げが国民の懐を直撃した。
小麦を原料とする製品の加工業者は、少しの価格上昇ならば、何とか吸収しようと努力するが、限度を超えれば、値上げに踏み切らざるをえず、販売事業者にも大きな影響がでた。

しかし、日本の政府(農水省)は何も被害を被っていない。
2000年から2008年までの国際市場の小麦価格に対して、国内価格は2~3倍の高さである。
農水省の政策に沿って、民間企業は自由に輸入をすることができるが、小麦には250%の関税がかかる。
例えば、1トン3万円の輸入小麦に、関税が7万5千円かけられて、価格は10万5千円になってしまう。

これでは、あまりにも高価格過ぎると言うので、それとは別に、国家貿易という仕組みを作りだしている。
農水省は、必要量を企業から聞き取り、商社に国際価格で買い付けさせて、それを国の特権ですべて無関税で買取り、輸入する。
その価格に1トン当たり、1万7千円の国家マージンを乗せて、政府売り渡し価格として製粉業者などに売り渡す。
この様な仕組みで、小麦の輸入はすべて国家貿易によって成り立っているのが現状である。

その上、農水省は売り渡す先の企業に対して「契約生産奨励金」という拠出金の名目で、1トン当り1530円を上納させている。
1万7千円のマージンと1530円の上納金で、年間1056億円が農水省の特別会計に入ってくる。
これは、天下り団体への財源に使われて、農水官僚の特権的な裁量を振るえる源泉となっている。

だから関税ゼロに持って行って、小麦の価格を下げろ、というのは、一面的な見方である。
むしろ、価格の引き下げに先行して、国内の農業の自立化の進展を確実に行う必要があり、そのための財源として使うべきである。
さらに、国際価格の変動をこの財源の調整によって吸収する仕組みを本格的に検討して、農水省の特権的な天下り先をなくすことを優先して行う必要がある。
日本の優先すべき戦略は、まず「官僚の特権破壊と無駄使い撲滅」&「食料価格の安定」である。

本当の産業人は自由貿易論者とは全く違う責任感がある。

2011-02-14 | 経済問題
自由貿易のもたらすメリットは、世界経済の発展と安定した社会を築く。
この様な20世紀の神話は、すでに破綻しているのに、多くの自由市場信奉者は、未だに凝り固まった考え方にとらわれている。

一昨年以来、金融の自由化がもたらした、世界経済の大混乱に対する対策も見つからない状況なのに、おカネだけでなく、基本的な食料までも【自由市場取引】に任せようと言うのだから、信じがたい事である。

世界20カ国・地域(G20)の会議において、近年の食糧価格高騰の対策に乗り出すという。
新興国の経済発展によって、食料の需給がひっ迫している上に、先進国の金融緩和政策がそれに拍車をかけている。
投機資金が食料の先物価格形成に大きな影響を与える規模で流入しているのが、食料価格高騰の主原因となる時代になった。

あふれ出る金融緩和のおカネは、食料市場の取引において、規制をかけることができるのか。
本当に必要な食料買い付けのおカネと、短期間に利ザヤを稼ぐ目的で食料先物を買い付けるおカネをどのようにして区別するのか、専門家の知恵を見せて欲しいモノである。

食料価格の安定が世界の平和に必須であるとともに、多くの貧困国においては、食料価格の高騰は政情不安につながる。
チェニジアやエジプトの政権転覆も、食料価格高騰に対する怒りの声が大きく影響している。
今は経済の発展が順調の中国なども、食料価格が物価高の原因となって、体制批判が激しくなる懸念は、世界にとっても重大な問題である。

その様な世界の情勢なのに、日本の自由貿易論者は、食料価格の安定を重要視していない。
何でも良いから、関税をゼロにすることは良いことだ!という論法から一歩も進化していない。
関税ゼロ化による輸出品の増加メリットを言う前に、やるべき事がたくさんある。
しかも、それらは短期間の解決策が実行出来る程、簡単な課題ではないことがハッキリしている。

第一番目には、関税引き下げによることで、日本の地域社会の疲弊を加速する恐れのある、農業の自立化への悪影響を、どう解決していくのか。
第二番目に、あふれ出る投機資金から、食料価格の安定を守るためには、どのような政策、規制が実行させるべきなのか。
第三番目には、長期の日本の安全性と安心を築く為には、食料の自給をどのように維持し、どの食料を海外からの安定した輸入に依存するのか。

開国論者は、これらの課題に答えをだしてから、「TPP参加」の意義を言うべきである。
自分が得する事だけを声高に言うだけで、先のことは知らない様なモノいいは、無責任極まりない人間である。
日本の経済成長を牽引してきた、代表的な産業人は、その様な無責任な事を言う筈がない。

先送りばかりしてきた農業、畜産業の自立は時間が必要だ。

2011-02-13 | 経済問題
「平成の開国」などと勇ましい言葉を使って、アメリカの黒船ならぬ「TPPの参加圧力」を、内政への政策の転換に奔走する民主党政権は、迷走状態にある。
TPP参加の前哨戦となる「日豪EPA」(経済連携協定)交渉が、10カ月ぶりの再開したが、何の準備も出来ていない日本政府が、従来の立場を主張しただけに終わって、第一回の交渉は物別れに終わった。

日本は農産物、畜産物に対する将来展望と自立政策を、まったく先送りしてきたので、いきなり開国だ!と言いだしても、国策の方向性が定まっていない。
民主党の公約においても、農畜産物の自立政策はなく、お米や小麦の国内零細農家の、保護のための「戸別所得補償政策」しかない。
これは、先々の自立農業を育成する政策ではなく、選挙の為の支持基盤を増やす政策であった。

今になって、慌てて農業、畜産業の自立をどうするのか、議論が始まったばかりの様相である。
今までの政権党であった自民党は、もっとひどい状況だから、お互いに同時スタートの条件で、まともな政策論議をして、国民に対策案と実行のスケジュールを示してもらいたい。
この政策提示のまともさを、一般国民や農畜産関係の目に見える状態にして、その論点をはっきりとさせ、次の総選挙で国民の選択を受けるのがスジであろう。

大騒ぎで始めている「福祉政策と消費税の増税論議」は、議論が全くかみ合わないが、どちらの主張も増税やむなし路線だから、選択の幅がなさすぎる。
年金の一元化、健康保険制度、介護保険の見直しなど、今ある問題点をしっかりと把握して、10年、20年がかりで将来の姿を示して、改革していくしかない。

平成の開国はそんなに待ってくれない。
アメリカの思惑によれば、TPP交渉は、今年の11月には交渉合意を目指している。
日本が「日豪EPA」の交渉も妥結できない様では、その先は知れている。

オーストラリア側の要求は、大量の農産物である「小麦」と「牛肉」の関税撤廃であり、その見返りに日本側からは、「自動車など」の関税ゼロ化である。
日本は、零細農家の保護をあきらめて、大規模経営を目指す主要農家の育成に力を注ぐしか、農業、畜産業保護の方策がない。

だが、この様な弱者切り捨て的な政策が、10年やそこらで実行出来る社会情勢にはない。
あくまでも開国するには、戦略的自由化路線を想定して、その時間をかけての農業・畜産業の自立化路線を、着実に実現していくしか道はない。

その間に日本の自動車輸出が関税5%の壁によって、オーストラリアへの輸出が減ることになる。
これを、今までの農業、畜産業の自立先送りのツケとして、甘んじて受けるしかない。
自動車企業は、この5%の関税の差を、モノともしない商品力を強める事が対策になる。
その程度の痛みは、乗り越えるべき「先人の負債」と受け止める腹が必要だ。

長年のお上任せの公益活動を、市民個人の判断ができる仕組みに。

2011-02-12 | 国創り政治問題
日本は民主主義の国だと思っている人が大多数の様ですが、実際は【官主主義】の国であるのが実態です。
地方の議会は選挙で選ばれるが、政策の中身はほとんどがお役人の手でつくられて、年間で数日の議会審議で承認される。
詳細の中身までに関与する議員はごくまれである。

どの政策に対して、議員が何を発言し、何に賛成し反対したかは、ほとんど知らされていない。
だから、一般市民は次の選挙で、議員を再選するか、新人に交代させるかは、その時点の空気、潮流に左右される。
役所が公益的な事業を適切に進めているかどうかを、まじめにチェックしている議員は、ほとんどいない上に、選挙で正当に評価されることもない。
日本の現状は、地域社会の公益事業の優先度は、役所の幹部の裁量に任せられているのである。

そこで、河村流の改革路線である、『公益活動団体への寄付金を税額から控除』する制度が実現した場合を想定してみよう。
市民は自分の期待している公益活動をしている団体に、税金の分から寄付をして納税の控除を受けることにする。
つまり、お役人を通さずに直接、公益団体におカネが回せる。
そして、その事業が適正に実施され、効果を上げているかも、自分の目でチェックできる。
不正や非効率があれば、次の年からはその団体への寄付を止める事が出来る。

もしこれが、税金としておカネを納めて、お役人の裁量によって公益事業に使われる場合には、一市民の段階では、チェックが効かない。
その事業は無駄使いに等しいと判断しても、納税を拒否することはできない。
役所は一人一人の納税者の言うことなどに、応えていける仕組みにはなっていない。
だから、他の人は文句を言っていないから、この事業は適切だと強弁を通すことができる。

苦情を言う市民は、らちが明かないので、お役所仕事に愛想を尽かして、あきらめの境地になるのが、大方の流れである。
それをいいことに、お役所は一部の議員の既得権を守ることで、チェックの関門を曖昧にして、事業の正当性を既成事実にしてしまう。
こうして、数多くの天下り団体、補助金の制度が積み重ねられ、がんじがらめの構造に出来上がってしまった。

この既得権擁護の【官主主義】を解体していくには、たとえ、1割でも良いから、すべての市民に減税という機会を提供して、そのおカネを自分の考える公益事業に回すことから始める必要がある。
各地域の「伊達直人」が続出することを期待するのである。
しかし、減税された分のおカネが、市民個人の生活費になってしまったら、この流れは止まる。

日本は、今、『民主主義に転換する入口』に立っている。

市民意識を公益活動に向けることで、官民癒着の構造から転換。

2011-02-11 | 国創り政治問題
名古屋市の河村流改革は、既存の官主主義に浸ってきた地方行政に、大きな一石を投じた。
役人の無駄使いと、議員特権に胡坐をかいた守旧派勢力に警告を発したことで、今後の地域社会への民主主義意識を芽生えさせるであろう。

だが、世の中の有識者と言われる人たちや、マスメディアの第一線にいるジャーナリストたちは、その意義をまだ少しも判っていない。
税金の9割は従来どうりに役所で配分するが、残りの1割は市民、納税者の判断に委ねるとは、どういう意味があるのか、もう少し説明を加えておきます。

お役所の裁量に委ねる税金、財源を減らすことで、役人が甘えの構造から意識転換すると考えるのは、まだ甘すぎる期待である。
財源を減らされたら、緊張感を持って仕事に打ち込むかと言えば、そうは簡単にはいかない。
そこで、役所の人員を1割削減に向けて実施する。
仕事が1割削減されれば、人員は当然、1割は余剰である。

その余剰の1割の人は、公益活動をする団体、「NPO法人」などの、専従職員に職場移転する。
市民からの寄付を募るには、本当に必要性の高い公益事業を手掛ける事が必須である。
従来の様に、お上意識で施しをするような公益事業には、市民の賛同は得られないから、緊張感をもって公益事業を企画して実施していく。
もし、市民がその公益活動に対して、価値を認めないならば、資金の枯渇で活動は停止していく。
これは、無駄な公益事業を止めることになり、市民の厳正なチェックが働くことになる。

本来は納税額の5割くらいを、この様な市民のチェックが効く制度のもとに、公益活動を実施する様にして行くことが良い。
残りの5割では、誰が考えても必要と言える市民サービス、行政の仕事をして行くことにする。

そこまで行くには、『公益活動団体への寄付金を税額から控除』する納税制度への、市民の理解を進める段階を、つみ重ねる必要がある。
時間をかけて、不公正が起きない様に、納得のいく良い制度を創り上げていくべきだ。

そこで、有識者と称する批判勢力が登場してくる。
彼らは、「そんなことをしたら、税金逃れの【偽の公益事業を考え出す輩】がのさばりだして、本当の公益活動が停止して、社会的な混乱が起きる」と言い出す。
要するに、一般市民という人種は、強制しなければ公益活動などには無関心で、自分の生活と利得を追うばかりで、公徳心のないモノばかりだ。と言いたいのである。

この様な連中は、お役人は公益的な仕事を忠実にやっている筈で、そこに繋がって役所からの補助金をもらうことで、自分たちが公益事業を独占的に請け負うのが良いのだ、と言っている。
この様にして、日本は寄付の文化は一向に育たずに、すべての公益活動は、お上の仕事であって、それを請け負えるのは、官と繋がる一部の既得権グループになってきた。
それが今の日本です。

民主主義への転換実行は、まず国会議員の歳費カットから始めよ。

2011-02-10 | 国創り政治問題
民主党の政策は、政治家主導に転換すると言いながら、実務面は全く官僚依存体質である。
だから、207兆円の国家予算を全面組換えして、平成25年度に必要となる公約実行に必要な財源、17兆円を生み出すと言いながらも、ほとんど進展していない。
マニフェストの中身の変更は、必要があれば、変えてもよいが、この官僚による無駄使い削減は、徹底的に実行していかなければならない。

たった1年半で、「もう無駄使いの削減は無理」とあきらめムードとは、情けない限りである。
4年間で17兆円のムダ削減と決めたなら、年間で4兆円程度の削減を実行しなければ、公約違反は明確である。
それが出来ない理由を並びたてる暇があったら、河村流に一気に、4兆円を予算案作成段階でカットすべきである。

まずは、国会議員の歳費削減が、真っ先に実施されるべきであろう。
河村市長は、市長と市議会議員の歳費を半分にすることを第一番に実行した。
名古屋市民はこのやる気を見せた河村氏を圧倒的な支持で、日本中に知らせたのである。
なぜ民主党は、絶対多数を保持している衆議院で、歳費の削減法案を可決しないのか。
参議員での少数与党でも、この歳費削減法案には、野党も賛成せざるを得ない筈である。

さて、前回までの1割減税分を市民の判断に委ねる話に戻したい。
税収を9割にすると、公益事業が不十分になる心配がある。
だから、市民に戻した1割分のおカネを、市民の個人個人の判断で、公益活動をしている団体に寄付して、公益事業に使ってもらう。

それは良いことだが、市民の中には(大半がと思う人が多いだろうが)、公益事業に寄付などしないで、自分の生活費や、遊興費に使ってしまう人がいるだろう。
だから、やはり公益活動に必要なおカネは税金として納め、お役所の役人に配分を決めさせて、使う方が良い。
これが、今の社会での常識論であることは間違いない。
つまり、市民意識のレベルを、お役人よりも低く見ているのである。
まさに、この見方をする人は【官主主義】信奉者なのである。

そこで、税金の一律1割を市民に戻すのではなく、「公益活動をしている団体」に寄付をした実績分だけを税金から戻す制度が検討される。
それが【非営利活動法人】への寄付金を『税額から控除する制度』を実現する目的なのである。

民主主義の基本は、市民の意識が「公益的な仕事を自分たちの目で見える様にして実行」することにある。
税金として役所に納めたおカネは、議会議員が厳正な目でチェックすることが基本だが、実情は、議員の馴れ合い的な既得権保護が優先してしまい、無駄に使われる税金が多すぎる。
だから、まずは税収のカット、財源のカットによって、甘えの構造を断ち切ることである。