庵KM

技術屋OBの環境問題独り言

経済問題。交通問題。健康問題。そして、日本の国創り問題。快適社会問題。

美辞麗句で地方創生を謳いながらカラ手形の乱発に終始か。

2014-09-30 | 経済問題

安倍首相の所信表明演説が9月29日の臨時国会で行われた。

地方創生の旗印を掲げて取り組むとしているが、今まで【地方の独自性を削ぐ政策ばかりを実施】してきた反省は一切見られない。

外国人観光客が増えて過去最高のペースで増加していることを、自分の手柄でもあるかの様に宣伝するなど、地方の努力を横取りする態度に終始する。

【これからは「地方創生本部」を創設して、政府としてこれまでとは異なる大胆な政策をとりまとめて実行する】と明言したが、カラ手形になりそうだ。

 

地方創生の後押しとなる政策で、政府がまっ先に実行しなければならないのが、「大胆な成長戦略目標」に沿った、大きな政策転換を打ち出すことである。

地方の活力を削ぐ悪影響の最たるものは、燃料費や輸入物資の高騰で、経営や新規事業への挑戦にブレーキをかける【円安の流れ】である。

安倍首相は、このブレーキをかけ始めた張本人でありながら、情勢判断の誤りについても、一言の説明もなく謝罪する姿勢は全くない。

盗人空々しいと言いたいが、マスメディアも同罪だからダンマリを決め込む。

 

大胆な成長戦略は容易ではないが、安倍内閣の姿勢は、できることすら実行しようとしない、「経済ボケ、成長事業オンチ」の認識のレベルである。

世界で最も成長が著しい新産業は、『再生可能エネルギー分野』の事業である。

この産業のすそ野は広く、拡大の一途をたどっているが、日本はその成長路線から取り残されていて、脱落寸前の危機状態だ。

一時期の世界一の技術、生産、普及率であった「太陽光発電事業」は、2000年代初頭から2009年の政権交代までに大幅に低下し、脱落寸前になった。

この危機状態が復活したのは、2011年8月に成立した「再生可能エネルギー電力の固定価格買取り制度」(通称FIT)である。

 

民主党の菅直人政権時の末期に、やっと国会で成立したが、この原案は2002年にすでに提案されていたが、当時の自民党の反対で葬られていたのである。

遅ればせながら2012年7月から施行された制度によって、今では「太陽光発電フィーバー」が起きるくらいに活性化して、経済成長に貢献している。

しかし、その他の発電では「風力発電、バイオマス発電、地熱発電、少水力発電」と技術レベルは実用化しているのに、普及速度はイマイチの状況である。

政権交代後の安倍政権が【原発依存の継続】を言明して、『再生可能電力』はオマケ程度にしか扱わなかったために、官僚が規制改革をサボッタのだ。(続)


経済界の幹部経営者は働く人の収入を増やす役割と心得よ。

2014-09-29 | 経済問題

1990年代以降の経済界の重鎮たちが、今の日本の大問題である【少子化を加速】して、【地方社会の衰退】を招いた責任者である。

長期のデフレ経済に落ち込んで、抜け出られなくなった最大の原因は、【賃金水準の抑制】だけに経営努力してきた結果である。

経済学者の中谷巌氏は、この責任を痛感して、自著のなかで「自分の考え方が誤りであった」と、明確に述べて謝罪をしている。

しかし、他の経済学者や評論家の大半は、ホウカムリをしたまま、【賃金デフレ】を招いた原因を直視しようとしない。

 

新興国の経済が活性化して、次々に生産拠点が海外に移転する段階では、少しでも賃金を下げて、国内の生産を維持することが必要であった、と説明する。

この理屈は一理はあるが、日本全体、地方社会の継続性には【逃げの経営戦略】の後ろ向き経営であろう。

消費者となる国民の収入を減らし続けたら、自分たちの事業の首を絞めるばかりになることに気がつきながらも、「賃金を下げ続ける」経営をしていた。

経営の拡大は日本国内ではなく、海外の新興国市場で拡大すれば良い、との理屈であるから、一企業としては正しいが、それで良いとは言えないだろう。

 

このジレンマに対する回答は、二つの方向であると提示される。

ひとつは「高付加価値商品」「新サービスの開拓」によって、『価格競争力の市場からは距離を置いた経営戦略』を採用することである。

これには、高級化路線が重要であるが、生易しい挑戦課題ではない。

もうひとつの方向は、日本独自の社会風土に沿った、輸入品とは競合しない価値感、規格の商品を広げることである。

自動車でいえば、軽自動車のカテゴリーが、この目的に沿った商品である。

 

今の時代でも、国内生産を継続できる商品を開発し続けることが、経済成長を促すのである。

もちろん、賃金を抑制する経営戦略は放棄すべきで、人件費の抑制はあくまでも「生産性の向上」を達成し続ける経営努力による。

経済界の幹部経営者は、この基本認識の上で「経営戦略の再構築」をすべきだ。

それが出来ないと言う経営者は、即刻、退陣して後継者に譲るのが正しい。

出来ない理由を上げる幹部は不必要で、挑戦意欲のある経営陣のもとでこそ、『革新的な高付加商品、新技術、新サービス』が生まれる創意の源泉だ。


経済界の責任ある重鎮は少子化の加速に懺悔をすべき。

2014-09-28 | 経済問題

日本の長期的な危機は、【少子化の流れ】と【地方社会の衰退】である。

大きな責任が、中央政府の政治家と官僚機構にあることは言うまでもないが、半分以上は、大手企業経営者の集団である「経団連加盟社の経営陣」にある。

それは1990年以降のバブル崩壊で、不良資産の処理を遅らせて責任回避を図るばかりでなく、経営上の理由にして働く人の給料を下げたことである。

今は長期の経済停滞の原因が【賃金デフレ】であることは、事実とされている。

賃金水準を下げることで、経営陣の失策や能力不足を隠してきたのだ。

 

1995年5月の当時の日経連が公表した「新時代の日本的経営」の報告書で、「雇用・就業形態の多様化と今後の雇用システムの方向」で、非正社員の比率を増やす方向が、正しい経営だと提示している。

この報告書の中身の批判で、【人間的側面が欠けている日本的経営の基本理念】と指摘し、【非正規雇用を大幅に拡大】と問題点が大きく指摘されていた。

2004年5月の経団連の基本政策としても、この非正規雇用の形態を一層肯定して、【多様化する雇用・就労形態における人材活性化】として継続していた。

この経済界の基本方針が、各社の非正規雇用の増加を加速させたのである。

 

現段階での大きな社会問題として、「非正規雇用の増加」が雇用不安を煽り、正規社員の収入減少にもつながっている。

ひとつの民間企業にとって、人件費の抑制は【経営判断の重要事項】だとして、政府や社会の干渉は受けない、との認識だ。

しかし、大半の大企業がこの判断になれば、【合成の誤謬】を引き起こし、日本全体の働く人の【可処分所得の減少】で経済停滞に陥る。

日経連、その後の経団連の幹部経営者は、日本社会のことなど重要だと思わずに、自社の経営、業界の連携ばかりを重視する判断をしてきたのである。

 

かっての名経営者、経団連会長の土光敏夫氏は、「『賃金と人件費の違い』に留意すべきだ」と言明している。

賃金は人の値打ちが上がるコトで、物価以上に『人価のあがる時代』とした。

人件費を下げる努力は生産性を上げて少数精鋭化にある、と断言する。

しかし、土光敏夫氏の後の経営陣は、人価を軽視して賃金の抑制にばかり経営の力を注いでしまった。

【経済成長低迷】、【デフレ経済の長期化】を招いたのは、まさに、自分たちの経営判断の誤りだから、総懺悔をすべきは当時の経営陣たちである。(続)


キレイごとを口先で叫び、失敗にはホウカムリする総裁は。

2014-09-27 | 経済問題

安倍政権は長期的に見た日本の将来の危機にやっと気がついた様で、人口減少の対策と、地方創生の課題に向かい合うコトにした。

それでは、短期的、中期的には適切な政策を打ってきたのであろうか。

1990年代以降の自民党政権の流れでは、ほとんどの面で失政の連続であった。

それはあとで触れるとして、まずは安倍政権の2013年以後を評価してみよう。

「アベノミクス戦略」は、1年半の成果としては、完全に期待外れと言える。

それは、4月~6月での経済成長の大幅な失速によって、マスメディアの論調も、後追いで変化している。

 

日本はかなりの期間において、世界の経済大国として2位の地位を保持して、世界中に影響力を広げていた。

しかし、2014年6月末の年率換算名目GDPでは、中国の10兆ドルに対して、4.8兆ドルに低下して、すでに半分以下になっている。

中国の名目GDPに抜かれたのは、2010年末で、中国約6兆ドルに対し、日本は約5.5兆ドルに低下し、リーマンショックの影響を受けたことも大きい。

しかし、それからわずか3年半で、半分以下にまで落ち込んでしまった責任の大半は【安倍政権の失政】にあることは明らかである。

 

この失政の多くは、鳴り物入りで始めた「超金融緩和政策」であることは、今さら説明の必要もないだろう。

2012年の総選挙で、自民党は【日本を取り戻す】と声高に叫び、安倍総裁は「日本銀行に輪転機をフル稼働してもらい、お札を無制限に発行する」と約束した。

政権交代後の2013年4月には、未曾有の超金融緩和によって、円安が加速して、今では、1ドル108円を突破する。

しかし、一部の大企業と富裕層が儲けただけで、日本全体としては経済停滞のママ、都市部と地方の格差はさらに拡大した。

 

「日本を取り戻す」との勇ましい叫び声で、突進してきた揚句、【日本をぶち壊す】方向に進んでいることに気がついた。

慌てて、人口減少対策や地方創生に、重点政策を切り替えている。

この転換は正しいが、それでは、今までの誤りを認めているかと言えば、まったく逃げの説明ばかりをしている。

【自民党をぶっ壊す】と叫んで政権についた小泉元首相は、任期中に自民党の守旧派、癒着議員たちを追放して、こう着状態を破壊して取り戻している。(続)


地方創生は地方に本部を設け、都市部は人口減に責任を。

2014-09-26 | 国創り政治問題

日本の最大の問題は人口減少の流れが止まらずに、若年層が減り続けていることである。

これでは長期的に見て国力が衰えるばかりで、よほどの重大な決意を持って、あらゆる政策を動員しなければ、人口減少は止まらない。

それにやっと気がついた安倍政権は、遅まきながら「50年後の人口1億人維持」を目標に掲げることになった。

しかし、あくまでの長期の目標を掲げただけで、具体的な政策の中身は、まったくと言ってよいくらいに、期待出来る政策はない。

 

むしろ、安倍内閣の政権発足以来の打ち出している政策は、人口減少の流れを加速する方向ばかりである。

アベノミクスの超金融緩和は、円安に誘導する政策で、これは都市部に住む富裕層の含み資産を増やす効果だけで、働く人への収入増加の恩恵はない。

むしろ輸入品の価格上昇で、諸物価の上昇は賃金の上昇を上回り、実質賃金は下がるばかりである。

それに引きずられて、これから結婚する世代や子供を育てる世代には、負担増の不安を増大させて、ますます、出生率を低下させる流れである。

 

人口減少の流れを逆転させるには、頭の芯まで転換することが必須である。

アベノミクスは、日本の国力を衰えさせて、富裕層の資産を海外へ移転するばかりで、国内への還元は減るばかりだ、と認識をすべきだ。

一次的な株高の成果を、アベノミクスは成功していると、もてはやした評論家と、それを助長したマスメディアの論者は総退陣すべきである。

「地方創生」の課題は、人口減少に歯止めをかける効果が出ることは確実だが、今の様な縦割りの中央官庁の押し付けでは、カラぶりに終わる。

地方創生の具体策は、まず地方の人材登用と権限移譲から始める課題である。

 

それにより、中央官僚は人手があまるから、地方の自治体に転籍するのだ。

残った中央官僚は、都市部の慢性的な「出生率低下の対策」にあたらせて、目標達成に全力を上げるコトに専念させる。

地方の課題にアレコレ口出しは禁物で、地方創生は人員を転籍して当たらせる。

責任の分担をハッキリとさせて、重要な役割を与えるならば、中央の官僚はもともと優秀な素質を持った人材だから、目覚ましい成果を産むと期待出来る。

「地方創生本部」は霞ヶ関にいては、仕事にならないと覚悟すべきだ。


各省庁の縦割り方式の地方活性化政策に見切りをつける。

2014-09-25 | 国創り政治問題

安倍内閣は最重要課題として『地方創生』の基本法案を作成した。

地域の実情に応じた「総合戦略と策定する努力義務」を盛り込んだ法律を臨時国会で成立させる。

「地域の特性を活かし、魅力ある就業機会の創出」を基本に掲げて、「国、地方の相互連携」を明記した。

この様な基本理念を法律にするほど、自民党政治は、地方の特性を重視しないで、すべてを中央官庁の方針で指示する政策ばかりを実行していたのである。

 

今回の「まち・ひと・しごと創生法案」のほかに「地域再生法改正案」を加えて、各省庁バラバラに実施してきた「地域活性化政策」を統合して、自治体が財政支援を受け易くする方針である。

しかし、まだ「政府の地方対策の司令塔」になる【まち・ひと・しごと創生本部】がやっと設けられる段階で、とりかかったばかりだ。

その中身は「人口減対策などの中長期の計画」を作ることで、総合戦略と長期ビジョンをとりまとめるコトで、どうやら官僚たちに骨抜きにされる様だ。

2020年までの施策や工程表を作る【作文に過ぎない目標と方針】を優先して、

あとは、実際の政策の中身はほとんどが、中央官僚の裁量になるだろう。

 

安倍内閣のやることは、目先の選挙対策が中心であり、先の参議院選挙では、「アベノミクスの第一、第二の矢」を旗印にして、選挙民の関心を引きつけた。

その後の「第三の矢の成長戦略」は、全く不評であって1年後には、再度、作成した「成長戦略改訂版」でも、具体性のない政策ばかりである。

幸いにも、この間には大きな選挙がなかったために、安倍政権は延命して、今度は『女性の活用』を謳いだした。

改造内閣では女性閣僚登用で、3割の登用で抜擢人事での人気取りに成功した。

これで、内閣の支持率は向上した様で、延命策としては成功した。

 

しかし、地方創生の入り口である「中央集権支配の硬直的政策」から離脱する方針は、まったく盛り込まれずに、ただ数字の目標を掲げるだけである。

「創生本部」の役割として、50年後に人口1億人維持を実現するためのビジョンを定めるとしている様だが、人口減少のもっと大きい大都市部の出生率の大幅低下の原因追究が、地方創生本部での仕事にはならない。

この重大な課題への取り組みの仕方をみても、安倍政権の人口減少対策と地方創生の基本的な認識でのズレがひどく、トンチンカンな判断に終始するのだ。


中央集権体制は官僚の死守する最大の砦である。

2014-09-24 | 国創り政治問題

「地方創生」を軌道に載せるには、かなりの大胆な発想の転換が必要である。

それは、中央官僚の権限を縮小して、「地域の自立する創意」を引き出す制度に改革することで、これは国の形を作りかえるコトである。

これには、中央官僚の根強い抵抗が水面下に働き、ほとんどの政権、政治家は敗退の憂き目にあっている。

目に見えた成果を生みだしたのは、まだ記憶も新しい、「小泉内閣の郵政民営化」路線で、この改革以外は「官僚の抵抗が功を奏して」、政治家をしりぞけた。

 

変人政治家と言われた小泉純一郎首相は、着任早々に、「自民党をぶっ壊すと宣言」し、自民党内に巣くっていた、【郵政族を抵抗勢力】と批判した。

金融業の前近代的な典型の「郵便貯金に群がる政治家と郵政省の郵貯官僚」の、なれ合い的な資金の融資を、断ち切るコトに邁進した。

不勉強なマスメディアの影響で、郵便制度を官業から民間事業に変える政策の様に国民が思いこんだが、実質は、郵便貯金の資金の運用権限を、郵政省の官僚からはく奪する政治改革であった。

 

郵政官僚の猛烈な抵抗によって、郵政族議員の反対が功を奏して【参議院での否決】となって、敗退かにみえたが、小泉首相の郵政解散選挙で逆転した。

官僚支配の構図が国民の批判を浴びる様になって、不透明な官業と一部の利権政治家の腐敗を追いだす成果に結び付いたのである。

この様に、癒着構造が見える様に、政治生命をかけた政治家によって初めて、官僚支配の権限を取り上げることができる。

地方分権の政治目標については、【癒着構造や不透明な政策決定】が批判されている状況ではないため、改革は20年以上も進まなかった。

 

農水省や国土交通省の政策は、中央統制よりも『地域の自立的政策決定』の方が優れているのだが、中央官庁の権限縮小に対して、官僚は最大の抵抗をする。

地域主権を政権公約に掲げて政権交代した「民主党政権の三内閣」は、この官僚の水面下の抵抗で、全く進まないで、迷走ばかりして国民の支持を失った。

その間には、地方の自治体は中央統制の非効率で、「地域の自立的な活動」は低迷したまま、財政の悪化と人材の流出で沈み続けている。

「安倍首相」は改造内閣の目玉には、ライバルの石破氏を「地方創生」の旗振り役の大臣に招いたが、その本心は疑問が多く、小泉元首相とは大違いだ。

中央官僚を抵抗勢力と見る「政治的破壊力」は、到底、期待できない。(続)


脱中央官庁支配の最前線のテーマとなる地方創生は? 

2014-09-23 | 国創り政治問題

「地方創生の中身」については、中央官庁の意向を可能な限り排除して、地域の自発的、自立心に重点を置いたテーマにすべきと書いた。

その実行に役立つための財政的支援はおおいに有効だが、ひも付き的な枠をはめた補助金ではなく、自由に使い道が選択できる「一括交付金」がベストだ。

この考え方は、地方創生担当の石破大臣の構想と一致しているが、あまり大きくは報道されていない。

マスメディアの幹部たちも、この重要さがほとんど判っていないからである。

 

必ず出てくる批判は、中央の官庁が大所高所からの視点で、各自治体の活動を適切に指導、監督することが、発展の要である、と。

地方自治体に任せたら、レベルの低い目標か、他の自治体への広がりを期待出来ない成果に留まるから、中央で管理することが適切である、と。

この大義名分らしき「中央統制の理屈」で、官庁は国民の税金を配分する権限を維持してきたのである。

この方式で日本が発展してきたのは、1980年代のバブル崩壊前までである。

中央も地方も、不動産バブルの妄想に囚われて、あえなく崩壊したのだ。

 

この時期以後の日本は、新産業の育成には失敗し、金融業の護送船団崩壊、鳴り物入りの「IT産業立国」の敗退と、中央統制型の能力の限界を露呈した。

大量生産型の製造業は、海外への移転が見えているのに、従来の国内産業保護政策ばかりに、予算を割いてきた。

次世代産業は、『高付加価値製品、サービスの開発』である、との方向は多くの専門家からも提言されていたのに、中央統制では成果は乏しい限りである。

官僚たちの視野に入らない様な分野で、地元密着での「その道の匠の技」をベースにした、日本ならではの高付加価値の分野だけが、評価を上げてきた。

 

「和食文化」の価値も、やっと社会に認められて来た分野で、この様な感性の世界での価値は、じっくりと育て上げる時間と環境が必要なのである。

各地の「観光資源」の価値も、中央政府が口をだしたら、それこそ、魅力の乏しい「一律的観光地」が日本各地に広がって無駄に終わる。

一時期の「リゾート法」の悪影響の様に、不動産バブルを引き起こすだけだ。

高付加価値の創出は一律的には絶対に進まないし、時間のかかるテーマである。

一政党の一政権で旗を振れば、地域がそれに従って動き出す目標ではない。

石破大臣の役割は、中央支配を断ち切ることで、国民の支持なしには不可能だ。


欧米の後追い政策で成功した官僚たちに地域創生は無理。

2014-09-22 | 国創り政治問題

中央官僚の裁量による「地域活性化政策」は、ほとんどが失敗に帰しているのが、この20年間の実績である。

現在での地域社会の活力となっている「新事業、高付加価値製品」は、地域発で独自に進めてきた、『地元に密着した人材』の成果である。

この違いが解る人でなければ、「地域発の新事業の構想と実現」は、推進することは出来ない。

安倍内閣が「地方創生」を急に目玉政策に掲げて、鳴り物入りで始めたが、中央官庁の主導政策では、必ず失敗に帰する。

 

初めから「地域創生」の中身には、中央の政治は関与せずに、地域から発生した『本当の創生政策』に予算を重点的に回す必要がある。

それも補助金ではなく、すべてを移譲する交付金で進める制度にすべきである。

何故、その様にすべきかは、責任の転嫁をしない決意のある自治体にのみ、「地域創生にチャレンジする資格」がある、と考えるのだ。

補助金の出る間だけは、「試しにやってみよう」という熱意のなさでは、必ず失敗するし、中心となる推進メンバーは、中途半端な取り組にならざるを得ない。

 

中央での政権交代や首相のたらい回しになっても、「地域創生」の挑戦は、10年、中には20年を継続的に実施しなければ、成果に現れない様な課題である。

地元に密着して、『骨を埋める覚悟の中心的なメンバー』が必須であり、この人材は時流に左右されずに、足が地についた活動に熱意を持った人たちである。

表面的なスローガンと謳い文句で、「立派な企画、事業計画書」を作りあげ、言葉巧みに役所を根回しする「その場限りのコンサル事業者」は不必要である。

地域創生の課題は、その様なコンサルタントの発想の及ばない領域で、地元の隠れた資源や魅力を引き出し、高付加価値に磨き上げる創造の世界なのだ。

 

美辞麗句の文章や、既存の資料からの抜粋によるデータの羅列で、「創生の中身」が説明出来る様な安易なものではない。

中央官庁の官僚が、いくら優れた学歴と高知能を有していても、この様な『地域の価値を創生』する仕事には、もっとも不向きな人種である。

だから、中央官僚を排除して、「地域に終生の人生をささげてきた人材の感性」を活かす方策が、これからに『高付加価値社会』の創生に必要なのである。

安倍内閣の「地域創生」のスローガンでは、従来の総花的なバラマキ補助金は、絶対にやらないと言っているが、すぐに中央官僚の前にひれ伏すだろう。


従来のやり方では主体が曖昧になって自立的活動は無理。

2014-09-21 | 国創り政治問題

地域経済の再生のためには、地域の自立的な活動を支える人材の育成が基本になる、と誰しもがいう。

それには、中央政府からの下請け的な活性化政策を押し付けるのではなく、地域発の提案型政策を中央で補助金を出して、進めさせるのが良い、との発想だ。

ところが、このやり方では、確実に中途で行き詰まり状態になり、計画は停滞するか放棄される。

提案の具体策の中身がナマニエのママに、中央政府の意向をかざして進めると、何か障害が生まれるとすぐに、政府のせいにして責任を転嫁してしまう。

 

従来の歴代政権は、活性化策の中身は地域、地元に任せると言いながら、中央官僚の裁量が効く様な補助金の使い道の枠を決めて地方に渡すのが常だ。

曰く、国民の税金を使うのだから、責任を持てる使途、使い方に制限を設けるのは政府の責任を果たす上で、当然の措置である、と。

これで、補助金をアテにした「地域活性化策」は、中央官庁のその度ごとのスローガンに枠をはめられて、中央の官僚の意向に沿う中身にさせられる。

計画がスタートしても、2年も経てば担当官庁の官僚たちは別の部門に移動して、それを引き継いだ後任者は、形だけは従来の路線を維持する姿勢をする。

 

しかし、地域の方では2年で成果が出るわけでなく、5年、10年と地道な積み重ねが必要である。

ところが3年~5年も経つと、当初の様には順調に進まない難しい状況時に、中央官庁の重点政策は、次の目玉となる権益目的に関心が移っている。

従来路線の予算は絞り込むか中止して、地域の力だけに依存させる方針に転換してしまうのだ。

そこで、地域の熱意が継続していれば、中央政府の支援がなくても進展を図れるのだが、ほとんどはその段階で、中央政府の方針転換に従ってしまう。

 

これが、ひも付き補助金の成果なき使い方の典型で、中央官庁も、地方自治体も責任を負わないで、うやむやの結末にしている。

これを防ぐ方策は、初めから、使い道を中央政府の方針から切り離し、すべての責任を地方自治体に移管して、自由に使える交付金として支給するのである。

中央政府のその場限りの「人気取り政策」に乗った「地方への補助金」は、すべて、自由に使える交付金に転換してしまう。

これならば、地方自治体にすべて「成果の出る責任」は、移管されるのだ。(続)


地域社会の自立心強化を歓迎する流れに転換できるか。

2014-09-20 | 国創り政治問題

スコットランドの国民投票による「独立の可否選択」は、独立後の経済的リスクを詰め切れなかった「独立推進派」の敗退となった。

しかし、それを引き留めるためにロンドン政府は、多くの自治権をスコットランドに約束したので、実質的にはスコットランド側の勝利といえよう。

マスメディアの論調も、さすがは民主主義の先進国だけあって、自分たちの将来は中央政府に言いなりになるのではなく、自分たちで決めるのはスジが通る。

ロシアやウクライナでは、武力紛争に発展する後進性とは大違いと報じた。

 

では、日本ではこの様な「自治権の拡大と移譲」の問題はどうなっているのであろうか。

地方分権、地域主権と公約で採りあげながら、一向に議論も深まらずに、ついに「中央政府主導の地域再生」との、看板の掛け直しで再スタートの始末だ。

北海道や九州での地方分権の要請が強いにも拘らず、相変わらずの税収の権限は中央政府の官僚たちが握っている。

ロンドンからスコットランドの距離より、遠距離にある東京の官僚たちに、自分たちの将来を握られていて、自立意欲が妨害ばかりされているのだ。

 

例えば、農業関連に使われる国税の予算では、既得権構造に縛られた農水省と農協の中央組織に支配されている。

農業技術も進化し、農業関係者の中の先進的な取り組みを始める経営者も多くいるのに、中央政府の規制が邪魔ばかりをしている現状だ。

北海道の農業政策と、九州地区の農業政策が、東京の霞が関で判断する様な、愚かな制度を続けることを、許せる状況ではなくなっている。

明治時代に必要であった中央による統制は、すでに、邪魔な制度に落ち込んだ。

 

150年前には、日本の制度は地域主権の幕藩体制であったから、農業の振興策は各藩の政治の要であった。

それが、欧米の列強国の植民地化を防ぐためには、中央集権国家の体制に革命を実施して、富国強兵政策に転換し、殖産興業を最優先の政策とした。

バブル崩壊以後の日本では、都市部と地方の経済格差が拡大し続けた。

また、大企業を優先する政策ばかりに力をいれてので、地方の中小企業や地場産業は、衰退する流れに翻弄され続けてきた。

その挙句の果ては、「総需要の減少によるデフレ経済」の長期化が原因となって、最大の問題【少子化の潮流】を深刻化させて、地方社会の消滅の懸念である。(続)


足元の国創りの方向性をやっと地方創生に向けた安倍政権。

2014-09-19 | 国創り政治問題

安倍政権の改造内閣では、「地方創生」を目玉の政策に取り入れることにした。

超金融緩和による株価上昇の恩恵は、地方の経済にとってはほとんど恩恵がなく、大企業と富裕層と都市部の住民に一部を潤すばかりに留まる。

このブログで書いてきた様に、上層部の大企業や富裕層のおカネが入れば、「滴り落ちていく現象」は起きないのが現代の経済構造である。

都市部のおカネは、余剰が出来れば海外への消費に回って行く。

大企業の儲けが増えれば、内部留保か海外への事業展開への投資に向けられる。

大企業の社員には、一時金的配分を回すが、下請け企業にはまわらない。

 

野党時代の3年半と与党になっての1年半を、不勉強極まりない自民党の首脳陣は、やっと、地方の経済活性化と、国民の収入増が必要だと気がついた。

旧自民党の時代にも、中央集権体制の行き詰まりと、非効率に配慮して「地方分権」政策目標に入れたが、中央官僚の抵抗で中途で止まってしまった。

今度は「地方創生」の名のもとに、規制改革と地方への権限移譲を、本当に実行するのかが、問われる段階になっている。

民主党政権の「地域主権」の公約は、3年の間にまったく進まず、看板倒れであったが、安倍政権もその二の舞になると、危惧される状況である。

 

イギリスでは、スコットランドの独立問題が、世界のマスメディアを賑わした。

ロンドンの政府は、大慌てで引き留め策に出たのが功を奏して、どうにか、一時的には残留に収まった様だが、地域が主権を主張する流れは明らかである。

この動きに対して、マスメディアの論調は、他国ゴトの様に扱っているが、本来は「中央政府と地方自立の問題」が、根底に流れていることを伝えない。

日本では、明治政府以来の中央集権、官僚支配体制が日本に染みついているので、「地方創生」も中央政府が支配をするのが、当然と思っている。

 

しかし、自民党政権時代からも議論が積み重ねられてきた「地域主権型道州制」の、本格的な実施の議論が、停滞している原因を掘り下げるべきである。

具体策としては、日本を12の州に分立させて、それぞれに大幅な権限の移譲を段階的に実行する構想である。

各州の大きさは、「EUを構成する一国」の経済規模、人口規模であるから、時間をかけて人材の育成と新産業を支援すれば、各地域毎の特質と国土の資源を活かした『高付加価値の創出が可能な地域体制』が生み出される。

この長期的戦略こそが、「地方創生の要」の政策となるべき段階にきている。


経済の転換政策に判断ミスばかりの安倍政権の愚策。

2014-09-18 | 経済問題

安倍政権は発足直後から、多くの政策判断の誤りを重ねてきた。

民主党政権のあまりのだらしなさに愛想を尽かした国民は、他の野党を選ぶ選択の自由もなく、自民党という安全パイを選ぶしかなかったのだ。

ところが、安倍政権は3割しかない支持層でも、議席だけは大幅な過半数を採っているので、何をやっても良いとカン違いをしてしまった。

第一の矢の「超金融緩和政策」は、円安誘導の方向に動き出したが、謳い文句の輸出増加効果は全くのカラぶりに終わっている。

1年半以上も経っているのに、いまだに貿易赤字の増加ばかりがのしかかる。

 

「デフレ経済からの脱却」に向けてと称して、物価上昇目標によって離脱方向になったとカン違いをしている。

デフレの原因は、長期の賃金下落による【賃金デフレ】であることが判明した。

それに気がついた政権は、慌てて大企業に向けて「ベースアップ要請」を重ねて、やっと一部の大企業が形だけは応じているが、中小企業は全く出来ない。

結局、輸入原材料や輸入品の価格上昇による物価上昇には、賃金、収入の方は追い付かずに、実質賃金は低下し続けた。

それに追い打ちをかけた【消費税8%】は、経済停滞の原因となっている。

 

賃金上昇の流れを作ってから、消費税増税を実行すべきであったのが、順序が逆になっている、まさに「アベコベミクス」の状態だ。

さらに、景気の落ち込みを防ぐと称して、大幅な公共事業のバラマキを実施したが、建設業、土木事業に偏っているために、入札不調や受注しても人手不足の状態で、かえって東北災害の復興を遅らせる悪影響しか出ていない。

全く中央官庁の官僚たちは、知恵のない限りで、昔の景気対策の発想しかない。

次世代型の新産業を起こす為の、公益的事業の発想は乏しい限りである。

 

第3の矢と称する成長戦略は、中身が乏しいこと、お粗末の一言に尽きる。

確かに、新技術や新事業を起こして新産業に育て上げるには、10年、20年と長期的な育成が必須である。

だからと言って、長期的な国創りのビジョンがふらふらしていては、民間企業の地道な取り組みを引き出す支援にはならない。

原子力発電への未練を引きずったママのエネルギー計画を打ち出して、「再生可能エネルギー」への転換方針を曖昧にしていては、新産業は生まれない。

確固たる戦略を打ち出してこそ、民間企業の投資が活発化するのである。


温室効果ガスの排出し放題で国際的な信用を失う日本。

2014-09-17 | バイオ燃料・バイオマス

安倍政権は国際的な公約を果たそうという姿勢がない様に見える。

地球環境問題では、日本は『京都議定書の成立』に貢献して、2012年までの「温室効果ガスの削減義務」を忠実に果たすべく、民間の努力が実行された。

この削減義務の期間内では、国際的な削減活動では日本は優秀な実績であった。

ところが、2013年以降は国際交渉の場からは逃げの姿勢に終始して、ついには、【削減義務を負わない状態】に後退して、日本の姿勢を批判されている。

2012年までは民主党政権であったが、自民党の安倍政権になってからの、「温室効果ガスの削減」に対する取組は、まったくの落第点であった。

 

民主党の「温室効果ガスの削減目標」は、原子力発電の増設を前提とした無謀な計画であったが、少なくとも世界の信任を得る姿勢であった。

電力エネルギーだけでなく、『再生可能エネルギーへの取組み路線』を打ち出し、この分野の新技術の開発促進によって、次世代の新産業の育てる熱意があった。

能力不足による計画倒れに終わった民主党政権であったが、それでも、民間企業の研究開発意欲を刺激して、将来への夢を持たせてくれた。

しかし、安倍政権になってからは、原子力へのしがらみに縛られた中途半端な「再生可能エネルギー産業化」の姿勢では、民間企業も動きを封じられた。

 

「温室効果ガスの削減」に大きく貢献する筈の、『バイオ燃料実用化』の方向は、2003年の自民党政権時代から、余計者扱いを受けてきた。

『再生可能エネルギー電力』の普及促進策も、自民党歴代政権では、電力業界の意向を受けて、余計者扱いであった。

それが、3・11の原発大事故の影響で一気に、2011年8月には「再生可能電力の固定価格買取り制度」[FIT]が、全会一致で成立した。

法律の施行は2012年7月からであったが、それ以来、再生可能電力事業の「大フィーバー」が巻き起こり、民間企業の研究開発は、猛烈な競争に突入した。

 

しかし、電力事業以外の化石燃料使用の領域では、旧態然とした「重油、軽油、ガソリン、灯油」に依存する社会のままである。

さらに「温室効果ガス排出係数」の高い、石炭火力発電を促進する始末で、日本政府の「気候変動対策」に取り組む信用度は、国際的には失墜している。

これでは、もっと重要な【国の財政再建問題】に対する姿勢も、国際的な信用を失うのを加速することになる。

財政再建目標を先送りして、国債発行依存体質のママ放漫財政に浸る日本。(続)


政府は石油代替燃料の普及を図る意思が全くない。

2014-09-16 | バイオ燃料・バイオマス

円安への誘導によって、国民の多くが燃料費の増加の悪影響を受けているが、安倍政権はその痛みを全く感じていない様だ。

自分でガソリン代を払ったこともないし、軽油を消費するトラックや漁船にも縁のない永田町で過ごす政治家には、各地の国民の痛みはわからない。

石油が枯渇性の資源であり、新興国の台頭によって石油の需要が大幅に増加することは、判っている筈である。

何もしなければ、世界中で石油の消費増大で、価格がウナギ登りに上昇し、経済を圧迫してコスト高を招き、国民生活は苦しくなる。

 

中学生でも判ることを知らんふりして、円安に誘導するなどは論外の悪政だ。

アメリカ政府は、石油輸入に依存する国の体質が弱みとなる、と判断して、積極的バイオエタノールの生産増大政策を採用してきた。

トウモロコシ農家への補助政策になると批判されたが、お構いなしに国策として推進し、昨年には目標の普及量を達成した。

そこでアメリカ政府は補助政策を中止して、政府の関与をへらして、あとは自由市場の進展に任せる状況で、この政策によりガソリン価格は抑えられた。

 

その一方で、天然ガスの増産技術の成果もあって、石油の輸入を大幅に減らすことが出来て、アメリカの対外的な弱みをなくすことに成功した。

一方の日本政府は、2000年代の初頭から、「バイオ燃料の普及」を政策目標に掲げてきたが、具体的な普及促進政策は皆無の状態である。

未だに、バイオエタノールの製品には、大きな税金が課せられて、事業者にとっては、新事業としての挑戦意欲を失わせる政策である。

軽油の代替になる「バイオディーゼル燃料」についても、軽油取引税が課せられるので、よほどの製造コストダウンに成功しなければ事業化は無理だ。

 

従来の石油を輸入してガソリンや軽油に加工して、販売する「石油業界の既得権益」を守ることばかりに逃げ込んでいたのが日本である。

アメリカやEU先進国の「バイオ燃料普及」からは、大幅に遅れてしまった。

ブラジルの様な大陸国家では、膨大な無耕作地をサトウキビ栽培地に開拓して、サトウキビエタノールを地道に国産技術で育成してきた。

今では国内で消費するガソリン自動車の燃料の半分以上をエタノールで賄う。

さらに、このエタノールの増産製品は、海外に輸出される「輸出産業」に発展してブラジル経済に大きく貢献している。無策の日本とは大きな差が出ている。