庵KM

技術屋OBの環境問題独り言

経済問題。交通問題。健康問題。そして、日本の国創り問題。快適社会問題。

国が責任を持つのは再稼働ではなく安全確保と後始末だ。

2012-05-31 | 国創り政治問題
関西電力管内では、夏場の電力不足の懸念に対して、とうとう、経済を優先する考え方に流されてしまった。
安全性を確立してからでないと、再稼働は許さないとしてきた姿勢を転換して、「暫定的な安全基準」を満たしている原発は、【限定的に再稼働を認める】と声明を出すところまで譲歩した。
限定的という玉虫色の表現は、決定を先送り的に扱う「政治的欺瞞」であるが、問題解決の責任を逃れる手法としての、常套的な手段である。

今回の声明で唯一の収穫は、政府が「再稼働の容認」を得る周辺自治体を、関西地域連合の自治体にまで広げて、説明を実施したことである。
つまり、原発の再稼働の判断は、実質的に地域の自治体、関西地域連合が握ったという事実である。
原発稼働で利益を得るのは、関西電力管内の住民、企業であり、万が一の事故時には、原発の周辺100km圏内が直接的な被害を被るので、やっとまともな仕組みに近づいたのだ。

今までは、中央政府とその影の支配者「霞が関官僚組織」が握っていた決定の権限が、まだ一部分ではあるが、地域の自治体の首長の協議に委ねられた。
この意義を明確に伝えるマスメヂィアは見当たらないが、エネルギー政策においては、地域主権の先陣をなる実績であろう。
中央政府の役割責任は、日本における原子力政策の基本と安全規制のベースを確立する事で、それが最優先である。
ルールをキッチリと決めておけば、あとの運用、監督責任は、地域主権の考えに沿って権限と予算を移譲するのが、将来の国創りになっていく。

関西地区の自治体は、今までに何も考えもしないで、関西電力が原発利権を増殖させることを、やり放題に放置してきた。
その結果は、日本の中で最も原発電力の依存度が高い地域となっている。
他の9電力管内では、原発運転がゼロでも電力不足にはならないか、実行可能な節電努力で、十分に夏場をしのぐことが出来る。
国が原発の再稼働を、あれこれと指図する必要は、すでに無くなっている。

今後の残された重大な国の役割は、使用済み核燃料の直接処分方法と処分地を、責任を持って決定までを、実行する事に尽きる。
政治的責任を負うのは後始末であり、それなくして再稼働の容認は論外である。

組織と手続きが不公正のままでは正当性が無く、権限はゼロ。

2012-05-30 | 国創り政治問題
野田内閣は国の根幹となるエネルギー政策において、国民から支持を全く得ていない。
内閣支持率は低迷したままで、モノゴトを決める能力を喪失してしまった。
特に、「脱原子力依存」を大多数の国民が要求しているのに、それに対応する政策は常に後手後手に回ってしまった。
原発事故の原因を掴めない段階で、早々に終息宣言を出して「口だけの安全」を言っても、国民はだれも信じていない。
信用されない内閣が、政府の権限だから決定出来ると、勘違いをしている。

民主主義のルールは、信任された政権与党が構成した内閣に決定する権限を与えている、とされているが「信任されている状態」ではない内閣は、権限がないも同然である。
内閣府の原子力委員会は、事故以前の偏向した委員のままで政策を検討してきたが、信任を失っている。
所管官庁の経済産業省は、原子力の推進をしながら規制部門を内部に抱えて、「原子力安全保安院」を長年に渡って、実質的に規制の骨抜きをしてきた。
原発事故以後に、そのズサンさが露呈して、完全に国民からの信頼を失った。

信頼されない官庁は、決定して実行する権限がない状態である。
その状態を深刻に受け止めないで、従来のままの保安院で、「原発の安全規制を見直した」と形式的に実施したモノは、地域の住民からは信用されないのも当然である。
地域の自治体や住民に信用されない安全規制は、正当性が全くないことを野田内閣は理解していない。
それを政府には権限があると勘違いをして、関西電力の要請に対して「再稼働を承認」したと、形式だけを繕っているのだ。

民主主義社会では、国民から信用されることが、政策を実施する上での根幹であると、再度、認識しなければならない。
信用されると言うことは、約束したことを守り、正当な手続きを踏んでモノゴトを決めて行く、という段取りが必須なのである。
原発事故の組織の癒着による人災を反省する事も不十分で、ただ形式的に対策を説明しても、手続き、段取りが無茶苦茶では、権限などはゼロに等しいのだ。

すべての権限は、決定する手続きの正当さで、裏付けていることが必須なのだ。

政府と電力業界の失策だらけではなく、前向きの革新を。

2012-05-29 | 快適エネルギー社会問題
政府の原子力政策の基本を扱う委員会が、福島原発事故後も以前のままの構成で、原発推進派がほとんど占めていた問題が、やっと浮上した。
2030年に向けての長期エネルギー政策を議論する、経済産業省の傘下の審議会でも、35%に原発比率を上げる案が出されていた。
国民の大多数が原発依存をやめて行くことを望んでいるのに、それを全く無視している様な、偏向ぶり丸出しの審議会である。
ここまで、反省のない陣営は、まったく稀有のことである。

遂に、政府の委員会では、委員の人選を全く白紙から選び直すことに決定した。
原発事故後に、すでに1年2か月以上経ってからの、超スローな反省である。
野田内閣は、原子力委員会を白紙からのやり直しを迫られての対応で、原子力ムラの保安院の先行きも、原子力規制庁のあり方も決まっていない。
重要な組織と構成する人選の適正化も出来ないで、原発の再稼働ばかりを【暫定的な安全性】で推し進める姿勢は、国民からは全く信頼されない。
こんな当たり前のことに、やっと気がついて、基本からやり直しが必要だ、と考えなおすことになった。

政府、電力会社の失策が続き、この間に原発ゼロが5月5日に実現した。
地域住民の原発政策に対する強い不信感が、脱原発を達成したと言える。
原子力推進を図って来た、電力関係者と政府の「オウン・ゴール」ともいえる得点であり、世界に誇れる事態ではない。
本来は国民の意思を適切に汲みあげて、合理的な選択として『脱原発依存政策』に転換して行くべきである。
ところが【原子力ムラ】と言われる、不合理ばかりがマカリ通る世界で通用して来た論法が、次々にホコロビが露呈して、自滅的に原発ゼロを達成したのだ。

日本は技術力は世界の一流水準であり、衰えたといえども、やり方を革新して高付加価値商品を生みだし続ければ、世界の一流国で通用する。
しかし、既得権勢力の巣窟となった分野は、次々に破綻をして、世界から脱落を繰り返してきた。
1990年代の金融業界をはじめ、建設業界、半導体業界など、行政ベッタリ頼りで、競争力と技術革新を怠ってきた。

電力業界こそ、この機会に徹底的に既得権益を破壊して、優れた技術力が活かせる「再活性化の先進業界」に、革命的に進む時期が到来したのである。

世界の中で核兵器廃絶の潮流を創り出すためには原発は?

2012-05-28 | 核エネルギー・原子力問題
日本が今までに築いてきた原子力技術の先進性を放棄するのは、次世代に対して本当によいのか。
これが、原発依存ゼロに反対する陣営の人たちの主張である。
2030年時点では、原発の安全性は現状よりも格段に向上させているとして、それでも原発依存をゼロにするのがよい。とする脱原発陣営との違いである。

この対立する主張の論点は、核兵器の廃絶に対して、日本はどこまで踏み込んで行くのか、という安全保障の根幹の考え方による。

2030年時点では、世界の核武装の状況がどうなっているか、予測は大変に難しいが、核兵器の保有がゼロになっていることは、ないであろう。
悲観的に見る人は、北朝鮮などの様な独裁者が支配する強権国家が増えて、核武装を強行して国の存続を図るから、核兵器の保有国は増えて危険性が増す。
楽観的な人でも、核兵器保有国は増えて核戦争の脅威は消えていない。と見る。
2030年の時点で、ドイツ、イタリアを同じ様に、原発ゼロ、核兵器保有なしで、国の安全が保障出来るのか。

原発の保有を持続し、原子力関連の技術者と組織を維持して、必要が生じたらすぐに、核武装が出来る様に準備して置くのが、国の安全保障の根幹である。
と世界の軍事力を見る専門家や国防関係者の見方は、一応の説明がついている。
だが現状では、国家安全保障のためとして核兵器の保有を日本が言い出したら、それこそ、各方面に大きな波紋が広がる。

日本国民が核兵器の保有を合意する事は、ほとんどゼロと言えるだろう。
それでも、原発関連の技術を温存して、いざという事態に備えることが必要なのか、十分な研究と議論が必要である。
むしろ、日本は率先して原発の保有を引き下げて、核兵器の保有をしないと宣言して行く方が、世界の核軍縮に対して影響力を発揮できる可能性がある。

原発の技術は今後も進化し続けるだろうが、安全性を強固にする方向になる。
それには、原発の発電コストは確実に高くなり、これから進化する再生可能エネルギーよりも、割高になることが見えている。
新興国の一部も、原発を持つことがステータスの様に思って、ロシアやフランスの原発輸入を検討している。
それに日本が加担する必要は一切ないし、輸出をする意義はゼロに近い。

原子力技術を維持することが、核兵器の廃絶につながる潮流にはならないのだ。

2030年時点で原発ゼロか10%依存か国家戦略で議論。

2012-05-27 | 核エネルギー・原子力問題
原子力発電の依存度を大幅に下げることには、大多数の国民が賛同している。
しかし、原発の運転をゼロにすると、石油火力発電の稼働が必要になって、この発電コストは、もっとも高いレベルになる。
それで原発再稼働容認派は、安全性がある程度のレベルで見切り発車して発電するべきだと、おカネ勘定を優先している。
だが安全対策には、少なくとも3年は必要で、それも不十分なままの再稼働は、地域の住民が賛成しない。

一方で、2030年時点での原発の割合を議論している会議は、経済産業省の原子力族の影響をまだ受けていて、20~30%などの選択案も残している。
原発を40年で廃炉にする方針を固めているので、2030年には残っている原発は15基にとどまる。
この段階では、原発の発電比率は10%程度になるので、合理的な頭脳の持ち主ならば、原発の比率はゼロから10%の間で、議論を進めるべきなのだ。
そして、経済性を優先する観点はムダであり、その時点では、原発はどの発電方式よりも、発電コストは高いのである。

昨日のブログには、原発の技術を保持して、将来の核兵器保有の潜在力を維持する事が必要と考えている人たちがいる、と書いた。
日本が核兵器を保有する事は、まずあり得ないが、国際情勢は核兵器の保有国が増える傾向にある。
ドイツは原発を2022年までに廃止し、核兵器の保有もしない方針である。
イタリアの脱原発を国民投票で決めて、原発ゼロ、核兵器の保有なしの国策だ。
日本は、2030年時点では原発を保有し、10%程度の依存のままに、核兵器保有のカードを維持するのか。

ところが、経済産業省の傘下の審議会では、経済性の論点ばかりで、世界情勢と関連する核保有問題は、一切の議論はされていない。
国の安全保障の根幹になる、国防や世界平和への影響を何も議論しないで、身内だけの論理で、原発の利権だけが関心の様である。

もはや、核エネルギーに関する審議は、経済産業省から分離して、国の最高方針を決める「国家戦略」の観点で議論をするべきである。
しかも、その年代は30歳代、40歳代が主力でなければならない。
原発と同じで、50歳代以上は廃炉、いや勇退して行くべきなのである。

原発の保有をゼロにするのが適切かは、別次元の論点だ。

2012-05-26 | 核エネルギー・原子力問題
2030年には、現在の50歳代以上は、前線から退いている。
その時代に日本の進路に責任を負っているのは、現在の30代、40代の人たちである。
だから20年後にありたい姿を決めるのは40歳代より若い人達の意見で決めるのが、本来は正当なのである。
それでも、現在の原発に対する将来を議論している論点は、核心を捉えたうえでの議論になっていないので、あえて、このブログで書いておきます。

原発は安全な発電手段ではない。これはもう説明の必要もないでしょう。
原発は安定供給の電源ではない。何かトラブルや自然災害があればすぐに停止する。
原発は安価な電源ではない。安全対策を万全にして行けば、割高な電源になる。
原発は地域の自立経済に貢献する。これも、交付金がなくなれば消滅する。
それでも、原発をゼロにすることは、日本の国益を損なうと、主張する識者もいるが、その論点が明確にされることはない。

日本が原発の保有と核燃料の再処理による「プルトニウム技術」の自前化にこだわるのは、核兵器の保有問題と大きな関係がある。
世界での5大核保有国は、原発を保有して、プルトニウム製造技術も自前化している。
核保有をしていない国で、核燃料サイクルの技術開発を国際的に認められているのは、日本だけである。
国民が必要だと理解すれば、「いつでも核兵器を自前開発出来る技術を備えておきたい」、と政府の中枢層はこだわってきたのだ。

原発ゼロを目指すという国家方針は、将来の核兵器の自前開発を、完全に放棄する決断になるのである。
日本で、原発の新設が今後の20年間に出来なくても、海外への原発輸出で、技術力は温存して、核燃料サイクル(使用済み核燃料からプルトニウム製造)路線を守ることで、いつでも核兵器保有を国策にすることができる。
この核武装の是非の論点を抜きにしての、「脱原発路線」は、国際的な安全保障問題に目をそむけている。

核兵器の保有国は、世界中で今後も増えて行く懸念が大変におおきい。
それに対して、日本政府は核兵器反対を唱えているだけでは、無責任なのだ。

2030年に原発依存度を高くする構想は破綻している。

2012-05-25 | 核エネルギー・原子力問題
2030年時点での原子力発電依存度を「経済産業省の審議会」で議論中であるが、かなり多くの委員が35%の維持を主張していると報じられている。
2010年の実績は26%程度で、現在はゼロである実情からして、この35%を言い張る感覚は、国民からはるかに離れた「異常な精神状態」と思われる。
つまり、今後もどんどん、原子力発電所を新設したら、廃炉になった分は代替に立て替えを続行しようと言う無神経さである。

さすがに、政府内部でも、この国民無視の原発依存度増加案は、異論が続出して、依存度は高くても15%程度が、議論の中心になると言う。
そこで、当面の事態には、原発事故の現場を詳細に検証して、事故の原因と放射性物質が拡散した経緯を、完全に把握しなければならない。
最短でも3年はかかるであろうし、その後に対策すべき内容を厳重に審査した上で、必要な部分を改修したり、強化する工事が確実に必要になる。
どんなに急いでも5年後以降にならないと、安全性を確保したとは言えない。

現在の政府が、福井県の原発2基の再稼働を、安全性は暫定的に基準を上回っているから、「再稼働を認める」と拙速を承知で口だけ指示をした。
それは、安全性の確保よりも、需給のひっ迫で経済活動が影響を受けたり、燃料費の増加で電力コストが上がることを避けたいからである。
要するに、経済性のことを安全性よりも優先したい、と言い出しているのだ。
このホンネに対して、関西地区の住民、自治体は、再稼働を認めるか、今後の緊張した期間に突入する。
この承認可否は、原発立地の100km圏内の住民の判断を最重視しなければならない。
間違っても霞が関の住民が、画策するなどは論外の行動である。

原発依存度をゼロから15%の間で、どうして行くかは、充分な検討を積み重ねて、国民全体が納得する進め方で、決めて行くべきである。
その時に、原発の安全対策は、事故原因究明の結果を完全に反映した内容でなければならない。
それをすべて対策した原発で運転を再開したら、原子力族の言う様な発電コストの優位さは全くないであろう。

経済性の優位さで原発依存度15%にする理由は、将来は確実に破綻する。
安全性の強化を徹底した先には、原発の経済性の優位性は消失するのだ。

今までの大ウソの積み重ねが破綻して後始末が必要なムラ。

2012-05-24 | 核エネルギー・原子力問題
政府の原子力政策の破綻がいよいよハッキリして、生き残り策に最後の抵抗をしているのが、3・11以後【有名になった原子力ムラ】の住民たちである。
最近では、原発の再稼働がなければ、「電力料金は日本中で軒並みにあがる」と、燃料費の影響に押し付けて、値上げの口実としている。
実際には、原発を再稼働するためには、膨大な安全対策費が必要になり、再稼働しない方が電気料金の値上げを抑制出来る可能性が大きい。
その詳細なデータも、公表出来る様な検討も正確にはできていないから、半ば、脅し的に値上げやむなしを洗脳しようとしている様だ。

それと並行して、今までに原子力ムラが進めてきた【使用済み核燃料】の処理方法が、破綻している事実が明らかになってきた。
5月18日のブログに書いたが、【原子力政策の後始末】と言える「再処理によるプルサーマル運転」は、まったく経済的にも、最悪の選択であるとなった。
今後、2030年までに35%の割合で【使用済み核燃料を再処理して使用】する方式では、費用が18兆円もかかる。
それに対して、原発をゼロにして、今までに発生して【使用済み核燃料を直接処分】すれば、半額の9兆円以下に収まる。

この検討結果を見れば、誰が見ても、原発を早期にゼロ運転にして、【直接処分】の方法に転換することを決断するであろう。
ところが【原子力ムラに住民たち】が検討結果の資料に、直接処分を良いとしない様に説明部分を改ざん、いや、事務局案として書き直していたのである。
それをマスメディアに「報道されて慌てて否定」した言い訳を繰り返した。
この後始末問題にたいして、使用済み核燃料が、いい加減に扱われてきて、国費を膨大に無駄使いする方法にこだわっていたか、呆れてモノがいえない。

イヤ、今こそ声を大にして言わなければ、国民は【原子力ムラの膨大な無駄のツケ】を回される羽目になる。
原発を再稼働して、2030年まで35%の割合で発電し、再処理の方法で原発運転を継続する事が、国民の利益の最大化になる。・・・!・・?・・??
これが大ウソであることが判明するのに、もうあまり時間はかからないだろう。
安全神話、安定供給、原発発電安価の大ウソ、すでに明確になっている。

現段階の大ボラは「原発再稼働なしでは電気料金の大幅値上げ」の居直りだ。
ついに、使用済み核燃料の後始末の破綻で、原子力ムラを解体、あと始末だ。

世界の潮流に立ち遅れるムダな政策が経済を疲弊する。

2012-05-23 | 経済問題
世界的にエネルギーの需要が急増して、価格上昇の影響を日本経済は受ける。
それを軽減する誘導政策は、「省エネルギー、節電対策」として、10年以上に渡って国策として進められてきた。
この方針に沿った政策で【家電製品のエコポイント】制度が実施された。
省エネルギー性能が、一定以上の商品に対し、消費者にポイントを与えて、割安感を与える制度であり、旧型家電を保有している消費者に対して、買い替え促進を図る効果はあった。

これは、即効性のある消費刺激策であって、短期的な経済の下支えにはなる。
しかし、本来の狙いの省電力になっているかどうかは疑わしい。
旧式のブラウン管テレビを、薄型(液晶、プラズマ式)テレビに買い替えるブームを引き起こして一時期は活況を呈したが、一巡するとテレビ不況に陥った。
従来のテレビよりも大型サイズを選ぶ消費者が多く、実質的な省電力にはなっていない。
おまけに、テレビ生産設備の過剰と、コストを安くするために海外生産移転の問題を引き起こして、国内生産を中止する企業が続出した。

国民の税金を大量に使って、省電力にならない補助制度を、期間限定で実行した結果は、家電業界の疲弊と海外への生産移転促進であった。
鳴り物いりで政府が宣伝して実施した成果は、短期的な需要の下支えにとどまり、企業の収益性低下による税収の減少と、国債の増発に終わったのである。
この様に、景気刺激策として【短期的な即効性のある優遇策】ばかりに税金を投入してきたので、国の借金が積み上がる一方で、税収は減るばかりだ。
その反面、腰を据えて長期に『新産業育成』を継続する政策は、効果が見えにくいとして、敬遠されてばかりいる。

この様に、じっくり考えれば効果の出ない政策ばかりに、大事な税金を大判振る舞いしてきたので、デフレ経済の長期化と財政の悪化を引き起こした。
欧州諸国で成功した事例の「グリーンイノベーション」の政策も、やっと実行の入り口に立ったレベルである。
「新産業育成」に有望な分野は、まだ各方面に見えているが、中央政府の官僚は、即効性のある政策ばかりに目が行き、取り掛かろうとしない。

たった1年で、消費税増税を言い出す民主党政権では、長期的な育成政策などに取り組んで行くことは、不可能と割り切っているとしか思えない。

効果の少ない政策にのめり込む、日本の歴代政府。

2012-05-22 | 経済問題
欧州諸国でグリーンイノベーションによる効果が生まれているのは、ドイツ、オーストリア、デンマーク、など環境政策、気候変動対策に前向きに取り組んできた国である。
これらの国は、再生可能エネルギー( 風力発電、太陽光発電、バイオマスエネルギー)の技術革新と普及促進を、継続的に支援をしてきた。
その支援策によって、デンマークは風力発電の先進国となった。
オーストリアは、早々に脱原発宣言をして、バイオマスエネルギーの普及促進に重点を置いて、先進事業を育成してきた。

その時期に、日本は電力の重点を原子力発電を重視した為に、再生可能エネルギーの普及にブレーキをかけてしまった。
それまで初期の技術開発に邁進していた企業の、投資意欲を削いでしまったので、世界一流の座から転落してしまったのである。
新産業として育つ分野の技術と事業を、放置して来たのが、日本である。
その一方で、自動車の燃費性能向上は格段に進歩し、その普及を「エコカー減税」などの優遇策で促進する政策を実行した。

しかし、燃費の良い自動車に買い替えることを促進するのは、エネルギー源を輸入に頼る日本として、意味がある政策ではあるが、新規の雇用を産みだす新産業としての意味あいは少ない。
エコカー減税や補助金の制度は、それを実施している期間の販売量は増加して、自動車産業の好況を産みだすが、期間終了によって販売が大きく減少する。
結果としては、買い替え需要の先取りをしているだけで、全体を通じての経済効果は少ない。
その割には、減税や補助金を多く必要とするので、財政の負担が大きくかかる。

その財源を、燃費の悪い自動車の分を増税して財源とするならば、継続的な政策として実施できる。
その上、増税による財源があるから、財政の悪化は一切ない政策である。
だが、歴代の自民党政権は、自動車業界が反対の意向に逆らってまでは、実施する覚悟がなく、赤字国債の発行を続けて、財源を生み出す愚策を繰り返した。
それを民主党政権になっても、自動車労組に逆らうことが出来ずに、財源のないままに、バラマキ的にエコカー補助金の制度を繰り返している。

新産業を生み出す分野には、まったく、財源が回らない状態に陥っているのだ。

成長も重視するではなく、経済成長こそ最重要な政策だ。

2012-05-21 | 経済問題
欧州諸国での問題で、各国首脳があつまって「成長も重視する」と宣言した。
ギリシャの財政危機に端を発して、イタリア、スペインで国債の暴落危機に直面し、財政規律が問題であるとの認識で、財政の緊縮政策に注目が集まってしまった。
確かに財政規律が放漫であることは、重大な問題であるが、それ以前に、欧州の各国の最大の問題は、雇用の創出が一向に改善しないことにある。
慢性的に失業率が高く、特に若者の雇用機会が減少しているのに、対策が一向に効果をあげないままでいる。

フランスでは、財政緊縮政策に偏重したサルコジ政権が退場して、「経済成長や雇用確保を重視する」政策が支持されて、オランド新大統領に代わった。
フランスの若者の失業率は、20%以上で停滞したままであるから、政権交代は当然の成り行きである。
財政の健全化は、数字で評価出来るし、やるべき政策は判り切っている。
ムダな経費の削減、人件費の抑制、公務員の解雇、と痛みを伴う政策であるが、一番大事な知恵を使うコトはほとんどない。
そして、その成果は景気の悪化と失業者の増加で、経済成長の停滞である。

産業が成熟期に達している欧州諸国では、輸出競争力の向上で経済成長に貢献できる分野は限られている。
統一通貨を使っているEUでは、ドイツなどの為替レートが有利な産業だけが活況になり、それ以外の月並みな産業は、海外からの輸入品(中国など)に圧倒されて、衰退して行く一方である。
資本主義、自由市場取引制度のもとでは、旧時代産業は必ず利益が出ない状態に収束して、どこも儲からない状態に向かっていく。
為替レートが有利な国の輸入品に置き換わっていくのが必然なのだ。

この衰退産業を補強しても、経済の回復は望み薄であり、打つべき政策は『新産業を積極的に育成』して、国内需要を喚起する事に尽きる。
ドイツや北欧諸国で成功しているのは、10年以上前から「グリーンイノベーション」を、国策に定めて重点的に育成してきた成果である。

しかし、グリーン産業だけでは、経済効果の広がりも持続も難しいから、次々に次世代の新産業を産みだして、新規の雇用を創出し続ける必要がある。
欧州諸国は、この新産業育成への取り組みが不足しているのが問題なのである。

原発運転を維持すべきとした理屈は曖昧で通用しない。

2012-05-20 | 核エネルギー・原子力問題
民主党政権は、未だに将来のエネルギー政策の議論がまとまらず、「原子力への依存度を中長期的に最大限低減させる」という、基本方針を掲げただけである。
経済産業省の総合資源エネルギー調査会「基本問題委員会」では、2030年時点で、原子力の割合を何割にすべきか、25人の委員が議論中だが、まとまらない。
原発ゼロを目指すとした委員は「地震、津波大国の日本は原発はすべて廃炉」とするのが、国民の信頼を得るには、不可欠の目標であると主張している。

一方の原発維持を主張する委員は「日本の経済力を支えるには必要不可欠」との論法を繰り返すが、これは、このブログで書いてきた様に、すべて思い込みだけの、曖昧な論拠にとどまる。
安全性を徹底的に対策して、地域の住民・自治体が納得できるレベルに、二重三重の安全設備とシステムを構築しない限り、運転はできない。
このレベルに安全対策をしたら、原発の発電コストは、いったい、どのレベルにまで跳ね上がるのか、原発維持派の委員は判っているのだろうか。

原発電源を止めて対応するには、マスメディアでは「再生可能エネルギーの発電」を大幅に増やすことである、と大きく報道する。
これを、原発推進派は、ここぞとばかり「再生可能エネルギー電力は、コスト高で産業界の要請に適応できるレベルにはない」と、即座に否定発言をする。
だが、2030年に時点では、原発コストよりも再生可能発電コストは確実に下回ると、予想されている。
だが、あくまでも予想だから、それが出来るわけがない、と「原発維持派」は、声高に言い張るのだ。

原発の代替電源は、2020年までは『LNG火力発電』が最適である。
発電コストは現時点ですでに、原発発電よりも圧倒的に安価で可能で、今後の電力市場の自由化によって、民間の各社が参入して経営努力を重ねれば、コスト面では、まったく心配は御無用である。
そうするとまた持ち出してくる論法が、「地球温暖化対策」として、[CO2排出]が、一番少ない原発の維持をするのが、国際的にも責任がある。とノタマウ。
人が住めない様な環境破壊を起こしていながら、地球環境の為とは、よくも言えたモノだ、と呆れてしまう。

2020年までに、徹底的に『LNG火力発電』を普及させ、その後に再生可能エネルギーを拡大させて、『2030年は原発ゼロ』にすることだ。

原発事故の損失分まで電気料金で徴収する愚策はNO.

2012-05-19 | 核エネルギー・原子力問題
東京電力は原発の稼働がゼロになった状態が続くことで、火力発電の燃料費が増加して、電気料金の値上げが必要だと説明している。
しかし、この値上げの算出の中には、事故を起こした福島原発の影響で、再稼働は出来なくなった「福島第一原発の5・6号機」と、「福島第2原発の1~4号機」の維持管理費用と減価償却費が含まれている。
つまり、発電が全くゼロの状態で3年間にかかる原発維持費と、まだ設備償却を終わっていない費用の分を、東電消費者に負担させる目論見である。

東京電力の責任による事故で停止してしまった原発設備の維持のために、他の発電設備で生み出す電力におぶさって、費用を消費者から徴収しようというのだから、普通の民間企業では、絶対に考えられない価格の決め方である。
これらの原発設備は、3・11の事故で使用不能に陥ったとみれば、廃炉処理が当然であり、維持管理費用や設備償却費などは、発生しない様に計算すべきだ。
これらの事故関係による発生損失は、電気料金に上乗せして徴収すること事態が、大きな間違いである。

事故原因の徹底究明と安全基準、規制の見直しは、全国的な大問題である。
その作業に必要な期間において、待機させるのに必要な維持管理費用は、電気料金ではなく、「費用負担の適正な方策」を、国会審議で決めるべきである。
誤った安全神話による国策で進めてきた結果の大損失発生であるから、国民的な立場での公正な費用負担を目指す必要がある。
東京電力が、事故発生に起因する最大の責任を負うべきで、それには、東電の全資産を充てるべきである。

地域独占の電力供給体制は、発電部門をすべて分割民営とし、送電部門のみを公営にすることで、東電は破産処理をするのが適切である。
原発以外の発電設備を、民間企業に任せれば、設備の近代化と合理化が早く進むであろう。
メリットとしては、適正な競争環境におかれるので、発電コストの徹底した削減が進むことになる。
その成果は電気料金の値下げとなって、消費者への利益還元になる。

東電の賠償責任費用や、原発の廃炉に関する費用は、送電線網を国に売却することで、ほとんど賄える。
東電の体制をそのままにして、電気料金への上乗せ策は、愚の骨頂である。

原発再稼働を言うモノは、後始末をしたことがない人ばかり。

2012-05-18 | 核エネルギー・原子力問題
今年の夏場は、原発の再稼働をゼロにすることに、政府もシブシブ決めた。
それでも、まだ再稼働の必要性にこだわって、「思い込みの理屈」を持ちだして、原発ゼロを否定して回る。
曰く、電力不足で停電が起きて経済が大混乱になる。
曰く、電気料金が大幅に上がって、経済界と国民生活が被害を受ける。
曰く、国のエネルギー政策に協力して来た、立地自治体に経済的被害が及ぶ。
曰く、日本の『もったいない精神』を、ナイガシロにする愚かな選択だ。と・・!

これらの理屈は、原発推進擁護者の好んで持ち出す「再稼働必要論」である。
ところが、大きな課題である原発の根幹問題は、「使用済み核燃料」の【安全で安価な後始末】については、決して持ち出さない。
都合の悪い課題は極力触れずに、その課題は【自分の担当分野ではない】として、議論も説明も一切しない様に努めてきた。
「誰か他の人がやってくれる筈」で、この40年間を過ごして来たのが、原子力産業界の実態である。
最近のマスメディアに、やっとその一部の現実が明らかになってきたが、その肝心の答えは次世代に先送りして、費用負担はツケを回す実態である。

昨年まで進めてきた【使用済み核燃料の再処理】は、完全に行き詰って、「処理工場の稼働も不具合だらけ」で延期の連続で未だに完了していない。
その処理にかかる費用も、全量を再処理で14~18兆円も必要になる。
再処理をしない直接処分では、現時点の原発ゼロを維持したとして、8~9兆円が最小でも必要になる
しかも、最終処分地の候補は、いまだに、一箇所も目途がたっていない。
この処分地の建設までにかかる費用は、誰も算出できなくて、見当もつかない。

これからの最終処分までかかる費用は少なくとも10兆円以上かかるが、現時点で電力会社が「使用済み核燃料の最終処分」の為に積み立てて来たおカネは、全部で2.8兆円程度にすぎない。
この先にかかる費用は、原発の発電で稼いで積み上げるつもりでいたのか、理解できない状態だ。

原発を運転し続けたい陣営は、この「使用済み核燃料の最終処分」の方法と、今後に必要となる費用をハッキリと示さなければならない。
その後始末も放り投げて、「再稼働必要論」を言いまくるなど、論外の話である。

まだ使える設備を廃棄するのは「もったいない」は確かだ。

2012-05-17 | 核エネルギー・原子力問題
原発の再稼働をしたいと考える陣営の説明は、説得性を失っている。
安全性に対する納得できる説明は、現在の段階では誰が見ても、拙速で、合理性のない内容に留まっている。
それでも、夏場の電力が不足して停電すると言う脅しで、関西電力の大飯原発2基を見切り発車で、安全だと言い繕って再稼働を是とした。
経済産業大臣、副大臣は説明に行っても、安全性は十分に確保されたとは思わず、経済産業省のモクロミは、近隣自治体や地元に否定されたのだ。

電気料金の値上げの理由とした「燃料費の増加」は、数基の原発を再稼働しても、何の効果もないことは明らかで、説明の理屈が通っていない。
この段階では、原発再稼働なしで節電対策の全国展開によって、今年の夏場は凌ぐことに、政府側も覚悟を決めるしかない。
来年以降は、地元の要望で再稼働による経済効果を前面にして、作戦を立て直すであろうが、昨日のブログに書いた様に、「原発廃炉事業」の計画実施の方が、経済効果があることは明確になってくる。

そこで、原発産業にこだわる「産業界」は、次の「再稼働必要論」を展開してくる。
建設してから30年経っていない原発は、建設時に投下した資金を回収できていないから、出来る限り運転して初期に投じた資金を回収するのが、電力利用者に対する責任である。と持ちだしてくる。
まだ十分に使える設備を、遊ばせたままにしたり、廃炉にして捨てるのは、「もったいない」という論法である。
確かに、電力会社は原発の設備投資を30年以上かけて、回収するのが責任であり、それを途中で廃棄したら、消費者にツケをまわすことになる。

その対策には、いろいろな方策が検討される必要があるのは確かだ。
筆者は、原発立地地域の同意を得て、そこに、「LNG火力発電設備」を導入するのが、もっとも経済的に有効だと提案した。(2011-5-22のブログ)
原発立地地域には、膨大な資金で送電設備が設置されているが、これを使用期限いっぱい、有効活用するのである。
また、原子炉関係は、利用の方法は一切ないが、発電設備関係は、中古品でも充分に火力発電用に転用できる。

100万KWクラスの『LNG火力発電』に衣替えする技術を開発するのがよい。
この方法ならば、建設費用が節約出来て、発電コストをさらに下げられるのだ。