
安全性を確立してからでないと、再稼働は許さないとしてきた姿勢を転換して、「暫定的な安全基準」を満たしている原発は、【限定的に再稼働を認める】と声明を出すところまで譲歩した。
限定的という玉虫色の表現は、決定を先送り的に扱う「政治的欺瞞」であるが、問題解決の責任を逃れる手法としての、常套的な手段である。

つまり、原発の再稼働の判断は、実質的に地域の自治体、関西地域連合が握ったという事実である。
原発稼働で利益を得るのは、関西電力管内の住民、企業であり、万が一の事故時には、原発の周辺100km圏内が直接的な被害を被るので、やっとまともな仕組みに近づいたのだ。

この意義を明確に伝えるマスメヂィアは見当たらないが、エネルギー政策においては、地域主権の先陣をなる実績であろう。
中央政府の役割責任は、日本における原子力政策の基本と安全規制のベースを確立する事で、それが最優先である。
ルールをキッチリと決めておけば、あとの運用、監督責任は、地域主権の考えに沿って権限と予算を移譲するのが、将来の国創りになっていく。

その結果は、日本の中で最も原発電力の依存度が高い地域となっている。
他の9電力管内では、原発運転がゼロでも電力不足にはならないか、実行可能な節電努力で、十分に夏場をしのぐことが出来る。
国が原発の再稼働を、あれこれと指図する必要は、すでに無くなっている。
今後の残された重大な国の役割は、使用済み核燃料の直接処分方法と処分地を、責任を持って決定までを、実行する事に尽きる。
政治的責任を負うのは後始末であり、それなくして再稼働の容認は論外である。
