庵KM

技術屋OBの環境問題独り言

経済問題。交通問題。健康問題。そして、日本の国創り問題。快適社会問題。

マスメディアは姿勢を翻し、経済産業大臣は自責の念に号泣。

2011-07-31 | 快適エネルギー社会問題
マスメディアの報道がやっと近代国家にふさわしいレベルに向上してきた。
今までは、政府の発表どうりに報道していれば、自分たちの責務を果たしている、と常識的な判断が是とされてきたのである。

政府や権力側の公表する情報によって、事実を意図的に偏向させる世論操作に協力することは、やむを得ない権力維持の行動であった。
しかし、インターネットなどのマスメディア以外から、多くの事実が一気に広がることで、メディアの安泰は大きく脅かされ、変わらざるを得ない状況になっている。

いや、これは、中国政府と中国メディアの高速鉄道事故のことを言っているのではない。

日本の原子力発電の神話作りに加担し、原発立地地元の利益誘導にも、影に日に協力をして来た【日本のマスメディア】に対する、大きな転機になっている状況のことである。

最近のメディアは、九州電力のヤラセ問題から始まり、経産省原子力安全保安院の原発推進要請を、大きく採りあげて、行政と電力の癒着を糾弾し始めている。
さらに、地元自治体(九州佐賀県)の知事自身が原発推進の立場から、電力会社に賛成派の意図的な世論工作を要請したと事実を暴き、知事も釈明せざるを得ない状況に陥った。
メディアの論調は、この様な癒着構造を今回に把握した様な報道ぶりであるが、本当の裏事情は、当の昔から知っているのである。

ここにきて、初めて事実を知った様な報道内容にしているが、電力企業からの宣伝費や各種の便益をメディアが受けて癒着は進んでいた。
しかし、ここまでメディア以外のインターネット情報が広がる段階では、その事実に対してホウカムリしていると、自分たちの立場が危うくなる懸念が増えて、やっと、国民の立場からの報道姿勢に翻ったのである。

マスメディアの責任者たちは、今までの【政官財】の癒着を報道することに立場を変えていく事が、将来において生き残るスベであることを自覚したのであろう。
しかし、なかには未だに原発の必要論を掲げて、【政官財メディア】の既得権癒着グループから抜けないで、原発擁護の姿勢を取り続けるメディアも多く残っている。
それらは、来年の夏場の電力需給逼迫を国家の危機到来と煽り、原発の再稼働に反対する人を、「現実を知らない烏合の衆」いや非国民扱いに近い言葉で、蔑視をしている。

その代表として菅首相をやり玉に挙げて、原発の再稼働を再三にわたって、急ブレーキをかけた所業を、【狼狽したリーダー扱い】で報道する。

脱原発路線は、『全国民の大多数の良識ある合意』となっている。
現実は来年の夏には、原発は全部停止になり、あと11カ月の間に、対策を講じる必要がある。

経済産業省の原子力族官僚にホンロウされ続けて、お先棒担ぎをやらされた【経済産業大臣の号泣】は、国民の多くが原子力族に【騙され続けた悔しさ】を代表した自責の涙である。

減原発と言い換えて、原発を減らす期間を2050年とか、責任を全く負えない次元をもちだして、議論を先送りする事ばかり言って、識者然としている「使用済み核燃料の様なご仁」が多い。

もう、答えはこのブログに書き尽くしている。
今すぐに実行出来る具体策に着手するべきである。

減原発は妥協の言葉。縮小・自粛する「シュク原発」こそが現実!

2011-07-30 | 快適エネルギー社会問題
将来は原発をなくして、「安心出来る電力によって、心豊かな生活をしたい」と言うのが、日本の国民の総意である。
原発を維持して依存する割合を減らしていく「減原発」の路線を、菅内閣として公表した。
これは民主党内に、電力企業・産業界よりの議員が多く存在している為に、一気に『脱原発依存社会』を目指すという、管直人首相の方針には絶対に反対している『抵抗勢力対策』である。

「将来は原発に依存しないで豊かな社会を実現する」ことは、大多数の国民が支持する将来ビジョンであるが、何故にその方針に反対するのか、理解に苦しむ。
その言い分は、「現実的でない」「経済状況を無視した発想」「急いで結論を出すべきではない」などの、永田町・霞が関論理の羅列にとどまる。
原発を維持していく大義名分もなくなり、メリットも「神話の崩壊」でゼロ、【経産省疑惑】による信頼失墜に対して、何の改革の方針も打ち出せない【原子力族】の最後の悪あがきに見える。

現実的には、この夏場の原発の再稼働は、確実に実施出来ずに9月を終える。
その次の課題は、来年4月までに原発は[定期検査停止]によって、すべて停止状態になる。
日本中の原発50基(福島原発の4基は、すでに廃炉)を停止状態にしたまま、来年の夏場の需給逼迫時期を迎える。
もうすでに、1年もない期間で、どの様にして行くかの議論は、ほとんど進んでいない。

原発の安全性を見直す作業は、どんなに急いでも、1年から2年はかかるであろう。
その安全基準の改訂を、公正な手続きと機関の審議を経たうえで、それに基づいた検査と評価を実施したら、どう見ても2年後以降にしか、「安全性を確認した」とは言えない状況である。
それにも拘わらず、「産業界の為には原発の再稼働も認めるべきだ!」という論陣を張れる人間は、いったい、どこに現れるのであろうか。

原発の維持拡大を目論んできた、自公政権の老朽化政治家は、すでに、発言力は一切ない。
それを引き継いでいる、次世代の自民党政治家は、原発の議論に対して、責任を持った発言は一切しないで、ただ、菅政権と民主党のバラバラぶりを非難するだけの「万年野党根性」に陥っている。
菅首相を交代させようとする「民主党産業界族議員」は、国民に対する呼びかけ、提案などの前向きな議論は避けて、批判と日和見に徹している。
この状況で、来年の夏場を迎えようとしている「永田町の無責任集団」は、原発再稼働問題に対して、遠回りにワイワイ騒いでいる「野次馬集団」になり下がっている。

「九州電力のやらせシンポ」、「経済産業省・原子力安全保安院のヤラセまがいの動員」、「四国電力の賛成質問誘導」など、世論を捻じ曲げる過去の行動によって、完全に信頼をうしなっている。
今までに、原発の方針を取り仕切っていた【経産省と電力会社】の『発言権は縮小される』べきであり、安全基準改訂が出来るまでは、『発言を自粛』するのが当然である。
この様な状況を引き起こした電力会社と保安院から出される【無価値となった安全のお墨付き】を見せられて、それを受け取る自治体首長や、立地県知事が、果たして現れるのだろうか。
地元、近隣自治体の承認を無視した「原発再稼働」期待は、まさに【現実的でない】と言える!

脱原発依存社会への転換の中間策、縮原発への工程表作成に期待。

2011-07-29 | 核エネルギー・原子力問題
菅内閣が最終段階になって、「脱原発依存社会」への中間目標として『縮原発への工程表』を作成する方針と発表した。
詳細情報はこれから明らかになってくるが、経済産業省によるエネルギー政策主導の従来のやり方を、大きく転換する機会になる。
自公政権時代だったら、絶対に出来ない『脱官僚政治』への転換に挑戦する事になる。

昨年の6月に決定したエネルギー政策は、原子力発電を最重視した【原発依存最大化社会】を目指していたから、約1年後に「脱経済産業省主導」を図って、「原発への依存度を縮小する社会」への転換は、同じ政権とは思えないほどの大転換である。
福島原発の大事故の影響によって、大転換に進むことは当然と言わなければならない。

一遍に「脱原発依存社会」へ進む工程表を作るのは、抵抗が大きいとして、「原発への依存度を縮小していく方針」を、まずは国民的合意とするのは、妥当な路線である。
『縮原発』を議論する前提としては、今まで、経済産業省に意図的に操作されて公表されてきた「データの精査」が、一番に重要な作業となる。
今までの様に原発推進側が、従来の原発の維持、拡大路線を前提とする方向に向けて、恣意的な論理でデータ―を操作してきた悪弊を、まず断ち切る作業を進める。

この工程表作成には、長年の既得権構造側があの手この手で、邪魔をするであろうが、「(反省した)マスメディア」が、公正で厳しい視点でチェックを怠らない事が必要である。
福島原発事故の原因究明と、安全基準改訂の見通しがつくのは3年後位になるが、それまでは、「安全性が確認できた」などの、都合のよい言葉は一切使わないことが必須である。
もし、「原発の再稼働」が必要と判断するならば、「安全性は確認できていないが、電力がどうしても供給力不足になるので、最悪時のリスクを覚悟してもらって、原発の再稼働を承認してください」と、正直に正確に国民、地域住民に説明をするべきである。
その様な謙虚な姿勢で取り組まなければ、中国の高速鉄道事故に対する「中国当局の強権的姿勢」と、何ら変わらない「官僚主導、独裁政治的」手法と、同じレベルに成り下がることになる。

この工程表の中に、原発の発電コストを真摯に見直す作業が入ることになっている。
電力会社以外で使われている「電源3法交付金」はもとより、政策的に原発の普及に使われている経費、予算は、原発の発電コストに含めることは当然であろう。
さらに、もっとも先送りされた【使用済み核燃料】と【廃炉後に大量に発生する高レベル放射性廃棄物】の処理費用が、今までの様な【原子力ムラの甘い見積もり】ではなく、安全性を重視した厳しい想定をして、見積もりの訂正をするべきである。

総合的な発電コストの見直しが出来て、安全性基準の改訂作業が3年後に完了した後に、残った50基の原発の処理をどうするか、国民全体に意思を問うことになる。
3年後には、原発再稼働を抑えた状態での電力供給体制に、どの程度の影響があったかも判明する。
供給力不足が懸念された、4地域、「関西・九州・中国・四国」各電力管内の住民は、原発の維持を要望するであろうか。

それは3年後の住民が決めること、『脱原発依存』は、そこで決まる。

国民が望む将来のエネルギー社会像とかけ離れた経産省の頭。 

2011-07-28 | 快適エネルギー社会問題
「脱原発依存社会」に向けての具体的な政策が、政府から提示されるのは、いつのことになるのか、一向に見えてこない。
本来のエネルギー政策の将来像を検討して、国民に分かり易く具体的に提示する役割は、経済産業省にある筈である。
しかし、国民の誰でも知る事実となったのは、経産省のエネルギー政策は、国民の望む方向とはかけ離れた【制御できない技術の原子力発電重視】の、長期政策であった。

国民は将来において、「安心出来るエネルギーを安定的に供給できる体制」にして欲しいのである。
放射能汚染にさらされる心配がなく、天災が起きても一気に大規模な電源を失う懸念が少なく、人災のリスクが少ない電源、エネルギー源を期待している。
しかし、現状までは「経済産業省に染み込んだ【原子力族ムラ】の既得権を最優先」した、エネルギー政策によって、国民の望む方向には進んでいなかった。

現状の組織体制では、経済産業省は将来エネルギー政策を立案する資格はなくなっている。
一方、経産省をまったく信用しなくなった菅直人首相は、替わりになる頭脳組織をもっていないので、「脱原発」を言い出しても、具体的政策に踏み込んで来てくれる組織や官僚はいない。
また、再生可能エネルギーの飛躍的拡大を言い出しても、経産省はサボタージュに徹して、現状以上の政策検討に取り組もうとしていない。

『再生可能エネルギー電力の固定買取り制度』は、3・11の当日の午前中に閣議決定にこぎ着けたが、震災後の対策に翻弄されて、何一つ、国会の審議が進んでいなかった。
それに対して、菅首相は、最重要法案であると6月になって言いだして、退陣の3条件に入れることで、経産省に対する最後の戦いを挑んでいる。
しかし、この段階にきてまたもや【経産省の原子力族】は、この法案の内容を実質的に骨抜きにする作戦に出ている。

その論法は、再生可能電力の買い取りに対する財源を電力料金に上乗せできる法案に対して、電力料金の上乗せ金額は、[0.5円/kWh]に抑え込もうと言う作戦である。
つまり、電力料金は産業のコメであり、電力コストが上がると産業界の負担が増えて、国際競争力は損なわれて、景気減速の要因となる。
さらに、電力コストが高いと、海外に生産を移そうとする「産業の空洞化が加速される」という、経済活動擁護、優先の考え方である。
しかし、この論法は【電力多消費産業】を優先する、旧時代の経済論に留まっている言い分である。

もはや、電力やエネルギーを多量に消費する産業を、後生大事に優先的に守ることは、国力の衰退を招き、次世代を担う『新産業の台頭』を遅らせることにしかならない。
もう既に、国民にも理解がすすんでいる『グリーンエネルギー産業』を、ヨーロッパの先進国並みに飛躍的に拡大することが、長期的な展望に立った国の最重要政策にするべきである。

再生可能エネルギー電力の強化のための財源を抑え込むよりも、いかにして「世界一の座にもどる技術開発の促進」に効果が出せるか、という政策の中身の議論が最も重要な段階になっている。

恣意的データを出す体質の経産省に対して国民の視野からチェック。

2011-07-27 | 快適エネルギー社会問題
菅首相は「経済産業省は都合のいいデータしか公表していないのではないか」という不満を、周囲に表明して、国家戦略室から「経産省に対し、電力需給に関する重要情報をすべて開示する様」に文書による指示をだした。
経済産業大臣は、「これまでも資料は全部出してやってきた」と記者団に不快感を示したと言うことだが、今までに、恣意的情報がどれだけまぎれて公表され、国民を誤った認識にさせて来たかの反省の意識は見当たらない。
国民は当分の間、経済産業省の言うことは、【中国の鉄道省の隠ぺい体質】と同じとみて、信用はしないであろう。

とにかく、原発を推進したい意図をまぎれ込ませたデータに対して、国家戦略室でチェックして、訂正をさせるくらいにしないと、国民の政府に対する不信感は弱まらないであろう。

この国家戦略室が、各電力会社のデータを基に、政府として初めて来年夏の電力需給見通しを試算した。
これによると、来年の夏場の供給力は全国で1億6300万KW(全原発停止)、最大需要(電力各社見通し積み上げ)は、1億8000万KWで、9.2%の不足になると言う。
しかし、この需要見通しは、節電対策の効果を一切、見込んでいないし、供給力については『揚水発電』の能力と、自家用発電の電力買取り(埋蔵電力)は、電力会社の言うままのデータを使用しての試算である。
経済産業省の試算をそのまま、政府の公式データとしないのは、少しは姿勢が進歩したとはいえ、重要な部分を電力会社の言うままでは、本当の不足電力のデータが曖昧になって、適切な政策や国民への説明が信頼できないモノになってしまう。

全国一律にした試算では、各地域の意思を入れた検討や評価による議論が深まらないで、ただ、電力不足の不安感を煽るだけにしかならない。
ここは、9電力会社の管内(沖縄電力を除く)毎の、どの程度の節電対策(我慢の節電は不要である)を目標とするか、『揚水発電』の活用はどの程度の供給力増加か、自家発電は、どれだけ活用の対策を打っているか、など、精査したデータを正式に公表すべきである。

「7府県でつくる関西広域連合」は、「関西・中国・四国」各電力会社にたいし、原発依存からの脱却を促して、電力会社との協議の場を設ける要求をしている。
今までは、原発の立地県と地元自治体だけに、情報提供と事故発生時の対応を協議してきただけで、原発の稼働をすることにしてきた。
しかし、福島原発事故は、そのルールがいかに甘い範囲での取り決めであったかを露呈して、早期に協議する自治体の範囲を拡大、見直しをする必要があった。

地元自治体と立地県は電源3法による交付金と、固定資産税や雇用による納税が集中的にはいるので、リスクを承知で原発の稼働を承認してきた経緯がある。
しかし、これからは、おカネの力を利用した【甘い事故想定】や原発稼働が必要だという【恣意的データ】では、周囲の府県自治体、市町村住民は納得する筈がない。

この様な国民意識の変化を読み取れない【政・官・財・メディア】は、退場の運命にある。

原発再稼働をゼロにすると日本中が電力不足?に陥る。という風潮。

2011-07-26 | 快適エネルギー社会問題
原発を増加させることで既得権を持つ【原子力産業クワトロアングル(政官財メディア)】が、周到に作りあげて来た【原発神話(安全・安価・安定供給)】は、完全に崩れ去っている。
しかし神話とまでは行かなくても、今なお、社会の空気を支配している「神話まがいの思い込み」が、日本の迷走をもたらしていることに、気が付くべきである。

それは、「原発が全部停止したら日本中が電力不足に陥る」という、マスメディアの伝える【大本営発表情報】に支配されてしまった【誤った思い込み】である。
これに対して、朝日新聞が独自調査を付け加えて、どの程度の電力不足が起きるかを、いろいろな視点を交えて分析して、7月26日朝刊1面、3面で、試算した結果を掲載している。
電力会社と経済産業省の「原子力族情報(大本営発表)」を、そのまま載せることに、少しでも抵抗して行く傾向は望ましいもので、今後も独自の視点からの調査報道を期待していきたい。

その内容を要約して紹介すると、原発再稼働ゼロで「中部電力・北海道電力・北陸電力」は、今年、来年、3~5年先も、電力供給力は問題ないレベルである。
「東北電力」は、今年の夏場は厳しいが、震災で停止した火力発電所が順次復帰して、来年以降の供給力は十分に確保される。
「中国電力、四国電力」は、若干の供給力不足となるが、余裕(5%以上)を持たせるためには
それぞれ、50万KWと60万KWの火力発電を増強すれば、問題なくなる。

「東京電力」は、天然ガス火力発電所の建設を早める計画で、これにより、3年先以降は電力不足になることはない。
「関西電力」は、3年後には310万KWの電力不足になり、5%の予備率を確保するには、470万KWの供給力を増強させる必要がある。
「九州電力」は、予備率5%以上を確保するには、3年後には210万KWの供給力を必要とする。

以上の様に、【日本中が電力不足に陥る】というのは、誇張した言い方であって、供給力不足の懸念があるのは、「関西電力470万KW」「九州電力210万KW」「中国電力50万KW」「四国電力60万KW」の、具体的な必要量を、公正に且つ、丁寧に説明していくべきであろう。
しかも、この必要電力需要量の試算は現状と同じ使い方で算出して、節電効果を見積もっていない。
東京電力、東北電力管内で、奨励している節電(我慢の節電は必要なく、省電力機器、設備への買い替えで良い。)を実行すれば、3年後には10%以上の節電が達成されるだろう。

原発の再稼働を無理してでも実施に移すよりも、各電力管内で、無理のない節電を奨励し、実現可能な火力発電所の増強で、3年後の電力供給力と需要量の想定をしていけば、電力不足の対策は充分に達成できる目標である。
この様な試算と、達成目標への施策を打ち出すのが、政府と電力会社の責務であるのに、とにかく、「原発が全部停止したら、日本中が電力不足に陥る」という、誇張した宣伝は、原発の運転を続けることが最大の目標で、【本音が透けて見える】つくり出された社会風潮である。

この意図をさらに上乗せする、【(意図的)公表データ】には、「『揚水発電』の供給能力の過小見積もり」と、「自家用発電の買取可能量(埋蔵電力)の過小見積もり、サボタージュ」がある。

神話が崩壊してもなお既得権組織は生き残る。解体にはゲリラ戦法?

2011-07-25 | 核エネルギー・原子力問題
「安全」という言葉は、今や、まったく意味不明の言葉となっている。
ノーベル平和賞の国、ノルーウエ―で起きた爆弾テロと銃乱射による大量殺人は、先進国においても見落としている危険、リスクがあった。
世界一の勢いであった中国は、急成長の中でも背伸びしすぎの無理による「高速鉄道大事故」が起きて、今や中国での「安全」という言葉は、ウソと同義語と化している。

日本国内では、経済産業省と電力会社の原子力族の意図的情報操作によって「安全」を蔑ろにしてきた不信感は、国民の間に充満している。
さらに、「原発の発電コストは安い」という見せかけの「神話」、「原発発電は主力電力」という現実否定の意図的「神話」は、崩れている。

それでもなお、「原発の発電は将来とも必要だ!」と言い続ける【原発依存症】の人々は、どの様な意図と狙いがあるのだろうか。
それは、原発による利権で今の地位を獲得して収入を得ていることで、既得権を失うことを必死で守ろうとしているのである。
電力の供給によって、国民生活や経済活動に貢献する役割などは、タテマエ上の大義名分にすぎず、要は自分の利益の為に言い続ける。

中部電力管内では、浜岡原発の再稼働を認める意見は、まったくと言ってよいほどゼロである。
安心出来ない発電、安くない発電、電力不足もない地域で、この原発の運転をどうしても再開する必要性はあるのだろうか。
再開を言いだしている「中部電力の経営幹部と地元の自治体」は、雇用と収入を失いたくない為に、主張しているだけである。

中部電力の幹部は、大金を投じた原子力発電所の設備を廃炉に追い込まれて、会社としての大赤字の責任を取らされることを懸念している。
再開の可能性がゼロに近くても、津波対策などの判り切っている「安全対策」におカネをかけて、最大限に努力している姿勢を見せたいだけである。
実際に津波対策の堤防を建設して、その費用負担を中部電力管内の電力消費者に転嫁した場合、どの様な批判を浴びるかには、神経が回らない。
まさに、原子力ムラにどっぷりとつかって、社会的責任等の精神がマヒしてしまっている。

菅直人首相は、この様な論理がマカリ通る「原子力ムラ既得権集団」に対して、ゲリラ的に攻撃を仕掛けて、とにかく自分の出来る範囲で、【原子力依存、政官財メディア】のトライアングル、いやクアトロアングルの破壊に、粘り腰を発揮しているのであろう。
小泉純一郎首相が、単騎でも【郵政族(郵便貯金権益)】の既得権構造の破壊に挑んだ、常識破りの手法を参考にして、逆転劇を引き起こそうとしている。
民意を重んじて、政治家同士の思惑を調整しながら合意を積み上げていく手法は、この様な【既得権集団の破壊】には、役に立たないとみたのであろう。

安全と国民生活を脅かす【腐敗した既得権】の解体には、ゲリラ戦法しかないのであろうか?

意図的な情報操作で作られた原発神話を総点検する時期である。

2011-07-24 | 核エネルギー・原子力問題
原発の安全性を「原子力ムラの既得権集団」による、意図的な情報操作によって、作られてきた経緯は、今では誰でも知っている事実である。
これによる【原発の安全神話】は、完全に崩れ去ったと言える状況で、その事実を知った国民は、「原発を出来るだけ早く減らして将来はゼロにしたい」と考える人たちは、世論調査では77%にも達している。

次に作られた情報は「原発の発電コストは安い」と、産業界の期待に沿う方向への情報操作であった。
想定寿命を30年で設計して製造した主要な機器を、40年どころか60年までも使用できると、「お手盛りの審議会、専門家集団」で技術資料を作り上げて「安全に運転できる」と想定した。
この甘い想定により、発電コストを安く見せる様にしてしまった。

今回の大事故を起こした福島原発は、1971年の1号基は40年経過し、2号基1974年(37年)、3号機1976年(35年)、と、想定設計寿命30年をとっくに超えている。
運転寿命を無理やりに伸ばして、設備の老朽化をだましダマシ使っている状況で、【発電コストが安い】などと、ノウノウと言っている神経がそもそもずれている。
その上に、本来は発電コストに含まれるべき必要経費が、すべて政府系の支出にしているので、表面上はその経費分を差し引いて、「見かけの発電コスト」を安く公表しているのである。

この様な経緯や理由は、このブログに何度も書いてきたので、繰り返しの説明は省きます。
とにかく、この様なからくりも、マスメディアも採りあげる様になって、やっと、【原発の発電コストは安い】という作られた情報操作よる【発電コスト安価神話】は、崩壊している。
経済産業省も大臣も、やっと最近では、原発の発電は安いとは言わなくなった。
理由は、福島事故後の安全対策や損害賠償を入れると、「原発にかかる費用はもっと増える」ので安価とは言えなくなった、と遠回しに認める有様である。

そして、いまだに通用しているのが、「原発の発電量は全体の3割をまかなっている」ので、【主力の電源】であるとの原発必要論として作られた情報である。
マスメディアに登場する政治家などにも、いまだに、この「3割は原発の電力」という、旧時代のすりこまれた意図的情報に、とらわれたままの頭でいる。
日本の将来を論じる重要な段階で、半ば【神話化された原発必要論】を振りかざす論者が多いことが、日本の目指すべき目標を混乱させていることは間違いない。
このブログを読むまでもなく、正確に現状の原発の電力の占める割合を調べれば、1割程度であることはすぐに判る。

中部電力では、浜岡原発を停止したことで、すでに原発の電力はゼロである。
そして、この夏場の需要急増時でも、供給力は足りているので、無理な【我慢の節電】をする必要もなく、来年以降も原発は停止したままでよい。
しかし中部電力は、この浜岡原発の停止中に津波対策をすると称して、海岸側に高さ18メートルの堤防を新規に建設すると発表した。
この建設費用は電力料金として、中部電力管内の消費者が負担する。
それが妥当なのか?(次回に)

価値の向上が納得できる範囲の価格上昇ならば経済発展に貢献。

2011-07-23 | 快適エネルギー社会問題
前回には、価格が上がっても消費量は増え続ける事例を紹介した。
従来の単純な経済学では、「価格が上昇すると需要が抑えられることで、供給不足をしない均衡点によって価格が安定して、円滑な市場取引が継続する」、というのが基本の理論である。
つまり、同一の商品が「価格が上がることは需要を抑える効果」が必ず起きて、バランスしていくことが、市場取引を通じて達成される。

しかし、事例に紹介した電力料金や自動車の価格は、同一の商品のままで価格上昇したわけではなく、「環境汚染のない電力」や、「健康被害の少ない自動車」が実現することで、『安心出来る価値』が向上する事、が大きな相違点である。
「価値の高いモノ・サービスは価格が高くなる」ことは、何の違和感もない常識である。
その価値が、人々が十分に「納得する価格上昇の範囲内」で提供されるならば、需要が抑えられるどころか、前よりも消費意欲が増えて、需要が増え続けるのである。

「大気汚染の公害のない電力」は、生活水準の向上に伴って、消費が伸び続けて経済成長の基本としての役割を果たした。
「健康被害の少ない自動車」は、人々の便利さを求める「消費生活向上」にとって、なくてはならない耐久消費財として、需要が伸び続けて経済成長に貢献した。
このポイントは、『価値の向上が納得できる価格上昇の範囲内』で実現して行く事にある。

ここで、『脱原発依存社会を目指すエネルギー政策転換』は、国民にとってどれくらいに『安心出来る価値』の向上となっていくのであろうか。
また、原発をゼロにして行く段階で、『電力価格の上昇』は、納得できる範囲に収まるのか。
このポイントとなる検討と議論がされないままに、老朽化集団の経団連の言う様に【電力価格の上昇は、経済活動に悪影響が出る』という主張を鵜呑みにしてはいけない。

『原発ゼロによる電力供給の社会における安心出来る価値』を、「電力価格の上昇」を伴っても、国民が納得できる範囲に収めることが肝要である。
現在の電力不足にパニック的な節電活動ではなく、合理的な(無駄に使っている電力を節減する)節電活動を実行し、合理的な節電機器への買い替え(LED照明や、省エネ家電、など)活動を活発にさせる、賢い省電力化を実現して行くべきである。
同時に並行して、原発に依存している電力を、早期に『天然ガス火力発電』に置き換えて行くことが主力の政策手段である。

再生可能エネルギーへの開発投資も最重要であるが、いかんせん、10年以上の無策の空白期間を取り戻すには時間が必要であって、空気だけでは期待する様なスピードでは普及できない。
ここ5年間における実行可能な原発代替電力は『天然ガス火力発電』に勝る手段はない。
この様な動きは世界各地で始まっているのに、日本の「マスメディア」は不勉強の為に、少しも情報を国民に伝えていない。

「脱原発依存は電力価格の高騰を招く」、「再生可能エネルギー電力は割高」であるから、消費者負担が大幅に増える様な【空気に左右された情緒的情報】ばかりを流し続けている。(次回に)

安心出来る価値をつくり出すことが、経済発展の原動力である。

2011-07-22 | 快適エネルギー社会問題
電力価格が上昇することは、日本経済の成長に悪影響がある。
これがつい最近にまで通用している、旧時代の経済理論を信奉している専門家の言い分である。
しかし、このブログでは、『安心出来る価値』が高くなることによって、電力の価格が上昇することは、経済活動にプラスに働き、結果として「経済成長に貢献する」と、あらゆる事例を引用して、説明をしてきた。

しかし、いつも「マスメディア」の思考停止型の単純報道に晒されてきた為に、「電力価格が上昇することは、日本経済の成長に悪影響がある。」と、思い込まされてきた読者にとっては、違和感、いや批判をしたい心境であろうと思います。
そこで、解り易い事例をもとに、もう少し説明を付け加えるので、お付き合いを願います。

1960年代には、日本の各地で、石油火力発電所の建設が盛んに行われて、従来の石炭火力発電所よりも、高効率で煙害の少ない(煙突から煙が少ない)新施設として歓迎された。
しかし、1970年代になると、石油に含まれる硫黄分が燃えた「亜硫酸ガス」が大量に近隣のまき散らされた為に、住民の健康被害や農業、林業への悪影響が明らかになってきた。
当然、硫黄成分を燃やすことを大幅に減らす必要がある。

石油から硫黄成分を分離するのは大変な費用がかかり、燃料費アップで電力価格が上がる。
燃やした後で、亜硫酸ガスを分離する設備も、設備投資が大幅に増えて、電力価格が上がる。
とにかく、「電力価格が上昇することは、日本経済の成長に悪影響がある。」という理屈で、亜硫酸ガスの被害の影響を出来る限り軽く見る様にして、対策を遅らせることに終始していた。
しかし、各地での公害反対運動の盛り上がりを受けて、公害規制対策の法制化が進み、やっと、電力会社も対策設備を入れざるを得なくなった。

電力価格が対策前よりも価格は上昇したが、経済活動は順調に活発化して、日本の経済成長を軌道に乗せることに貢献した。
この期間に、石油から硫黄分を除く技術や、亜流産ガスを排煙から取り除く技術が進化して、徐々に公害は減少していった。
石油に含まれる硫黄分は、当初は2.8%モノ高い濃度であったが、8年後には1.6%まで減少し、50年後の現在は0.1%まで下げられている。
石油を天然ガスに切り替えれば、硫黄分はゼロとなって、亜硫酸ガス公害はゼロとなる。

健康に害のない電力は、『安心出来る価値』を大幅に向上したことで、消費が順調にのびた。

同じ様な事例に、自動車の排気ガス規制があり、1970年頃の排気ガスは、都市部で自動車の集中する地域では、健康被害が出るレベルであった。
それが、アメリカでの排気ガス規制(マスキー法)の影響でも日本でも1972年までに、現状の有害成分を10分の1まで下がる規制法が施行された。
当時の技術では不可能として、多くの自動車企業が反対したが、規制が実施されて、その対策装置によるコストアップで自動車価格は上昇した。

その後の自動車の普及拡大と、日本経済の順調な成長は、読者も御存じのとうりである。(次回に)

節電の意識を広めることを経済活性化のチャンスに転換するべき。 

2011-07-21 | 快適エネルギー社会問題
政府はこの夏場に向けて節電の要請をやっと始めた。
関西、北陸、中国、四国、九州の各電力会社に対して、7月25日~9月22日の昨年の夏の最大使用電力に対して、10%以上の節電を必要とする、自主的な節電を求めた。
東京電力と東北電力管内における「電力使用制限令」による強制的措置ではなく、意識転換である。

福島原発の大事故で、1.2.3号機の炉心のメルトダウンが明確になった段階で、停止中の原発の再稼働がほぼ不可能と判断して行くべきであったが、切羽詰まった段階での要請であるから、多少の混乱や不手際が出るのはやむを得ない状況であろう。

節電による経済への影響は、各方面からは【悪影響を誇大に宣伝する】グループが、相変わらず声高に批判をしている。
確かに、一時期の様なパニック的【我慢の節電】を広げると、必要以上に電力消費を抑えて、生産活動や経済活動を委縮させる悪影響がある。
しかし、適切に電力消費を見直して、『省エネ、省電力機器に置き換える活動』は、無駄を排して設備投資を増加させるので、経済活動に大きく貢献する筈である。

しかし、これらの経済効果を迅速に評価できる仕組みが現在はないので、過去のデータから、「悪影響の数値」を、もっともらしい「経済分析」の資料として、公表されるケースが多い。
このブログで、6月14日Tと15日に書いた「原子力発電の再稼働の有無に関する2012年度までの電力需給分析」という資料が、それに当たる。
経済産業省のお抱え天下り先財団法人「日本エネルギー経済研究所」が、意図的に電力の不足を誇張して見積もり、火力発電に置き換えると、(標準家庭の電気料金が)「毎月1049円の電気代上昇を招く」という、国民への不安を煽る内容である。

この様に原発の再稼働をしない場合の不安を煽る行為が、「経済活動の心理を冷え込ませる」効果を産むことは、経済学では常識である。
それよりも、実行可能な範囲での『前向きの投資』を引き起こす経済活動の事例を、出来るだけ具体化して、国民の委縮意識を煽ることは控えるべきであろう。
経済産業省は、いつも経済活動にマイナスになることばかりに(原発維持には有利にするために)、力を入れて、データを公表したり宣伝に努めている様である。

日本中で節電意識が高まり、電力の消費量が減少することは、経済指標上は「GDP」(国民総生産)が減少することにつながる。
このマイナス効果を補うには、省エネルギー設備投資、省電力製品への買い替え、などに、積極的にお金を使うことが効果的である。
同時に電気料金は、原発の安全対策と、停止中の火力発電の燃料費増加によって、若干の値上がりがあるが、それは、『安心出来る価値』のある価格上昇で、経済的にはプラスになる。
「原発の再稼働なし」は、この様な経済活動にプラスになる効果を生み出すチャンスとなる。

それを、従来の経済の評価では、すべて「マイナス効果」しか見ない【欠陥のある経済分析】だけを認めて、日本経済をマスマス冷え込ませることに貢献しているのである。

我慢の節電を強いる懸念を誇張する原発依存症の電力会社。

2011-07-20 | 快適エネルギー社会問題
来年の4月までに、日本中の全原発が停止状態になることを覚悟すべきだと書いてきた。
その時に備えて、日本中の国民は節電努力をすることを、自主的に実施していくことが必要になる。
しかし、現状の様に、【我慢の節電】を無理にする必要性は全くない。
東北電力の大震災の影響や、福島原発の大事故による電力供給ゼロと、津波被害による火力発電所の破損によって、急激に減ってしまった東京電力管内は、一時的に供給不足に陥る懸念がおおきかった。

だが地震津波災害による発電所の復旧が出来た現状では、もはや【我慢の節電】は全く不要である。
それでも、信用できない人に対して、念のために次のデータを引用しておこう。
このデータは、電力会社が公表している数値をもとに、環境団体の『気候ネットワーク』が合理的な想定によって、2011年7月時点の「電力供給量」と「最大需要量」(夏期ピーク時)を対比させた資料から引用している。

・電力会社 [供給力](原発停止、揚水発電稼働) [最大需要量](各社予測電力供給量)
・北海道電力    611 (単位、万KW)   547(冬期が最大需要)
・東北電力    1381           1380
・東京電力    6060           5600
・中部電力    3166           2637
・北陸電力     662            526
・関西電力    3077           2956(2011年供給計画量)
・中国電力    1446           1135
・四国電力     635            550
・九州電力    1777           1669

このデータをみて、東北、東京、関西の各電力管内では、確かに余裕がないことが懸念である。
しかし、国民各位が、我慢しないでも節電できる範囲で協力して、さらに夏期のピーク時間帯に(平日、午後1時から5時)、役所や大企業が節電を積極的に実施すれば、業務に支障のない範囲で問題なく活動できる。
冷房を無理して止めるなどの【我慢の節電】を強制する必要性はない。
明るすぎの照明を節電したり、冷えすぎの職場や店内の温度を適正にするだけで充分である。
それにも拘らず、関西電力は昨年並み猛暑時の3138万KWが(2956万KWでは心配だとして)最大需要だと6月に言いだしている。
  
なぜ、この様な数値が公表されているのに、「マスメディア」を含めて、電力会社と経済産業省の言い分を鵜呑みにして、『原発の全停止』は現実的ではない、と思い込むのであろうか。
確かに、既存の火力発電所の予想外の故障・停止はありうる。
その時に備えて「各企業が保有する自家用発電機」の事前の供給契約を結んでおくべきであろう。
それもやらないで、安全性の確認も出来ていない原発の再稼働を言い出す電力会社はいるのか?

そこで、原発の代わりに火力発電を多量に稼働すると、燃料費がかさんで電気代が上がってしまう、という反論である。
これも、まやかしの情報に操られる「マスメディア」の怠慢が原因である。

電力多消費産業は新産業に主役の座を明け渡す時期である。 

2011-07-19 | 快適エネルギー社会問題
日本の経済は20年間に渡って、勝利は一度もないチームの様な状態である。
それなのに、監督もコーチも、老朽化したプレーヤ―の言うことばかりを優先して、若手の台頭や育成を極力さけてきた。
これでは、いつまで経っても勝利もなく、希望の持てない停滞状態が続く。
せっかく、監督の出身母体(政党)が変わっても、以前の様な老朽プレーヤ―を重んじる作戦では、監督が代わった意味がない。

日本経済の老朽プレーや―とは、重厚長大型産業であり、電力多消費型の、加工貿易タイプの産業である。
これらは、一時期の日本の発展を支えて、華々しい勝利を重ねて日本を一流国に押し上げた功績は大きい。
しかし、1990年代以降の成熟した国民生活の発展には、何も寄与できない「途上国型の産業」であることは明確であった。

土地代や人件費が安く、エネルギー費用が安い地域、国で経営した方が、有利な産業構造である。
日本の様に、土地代が高く、人件費も高水準を維持しなければ、地域の経済にとって貢献できない。
さらに、エネルギー費用は自前の資源があるわけでないので、どうしても、他国よりも割高になる。

それを、無理をして「原子力発電」などの、燃料費用の安い電力に依存をしようとして、作為的な「安全神話」をつくり出して、地域に迷惑料を払えば済む仕組みにして、原発を大量に増やしてきてしまった。

今回の原発大事故ではっきりとした「原発の事故リスク」は、地元の自治体に留まらず、周辺の住民や他県にも広く及ぶことは、誰も否定できない事実として目の前に広がっている。
福島県の原発事故で、日本全国の「麦わらの放射能汚染」が問題になり始めている。
この事実は、従来の「地元に迷惑料を払えば原発の運転が出来る」とした、電力会社と経済産業省の常套手段は、もはや通用しないことが判る筈である。

「脱原発依存社会」を目指すのは、日本の国民の合意と見るべき段階になっている。
それにも拘わらず、老朽プレーヤーの言い分しか、耳に入らない老朽評論家は、いまだに「縮原発」や「減原発」は必要だが、すべての原発は止められない。
どうしても、再稼働を容認する「安全宣言」が必要だと頭から思い込んでいる。
一番に再稼働を容認しようとした「佐賀県と玄海町」は、もう、政府の言うことを簡単には受け入れないだろうし、周辺の自治体、隣接県などは、同意をするわけにはいかない。
ということは、来年の4月までに、日本中の全原発は停止状態になると覚悟を決めるべきである。

それで、本当に日本中の電力は足りるのかといえば、今になっても行政が精査中の段階だという。
電力会社の言うことは、どこも信用しなくなっているから、そうするしかない。
埋蔵電力と言われる、各企業の自家用発電機の実態も余力も判っていないのは、電力会社が自分の責務を果たそうとしないで、経営責任放棄をしているからである。

最後の手段は国民総意の節電努力であり、電力多消費産業の計画的節電を強制する政策である。

目指すべき世界一の目標を掲げて果敢に挑戦する決意を持て。

2011-07-18 | 快適エネルギー社会問題
久々に、日本中が明るい話題に湧きかえっている。
日本女子サッカーチームが、世界一の座について金メダルを獲得し、その戦いぶりが多くの国民に元気と喜びをもたらした。
何度も苦しい状況に陥りながらも、優勝したいという決意と粘りに支えられて、チャンスを逃さずに果敢に挑むプレーは、まさにスポーツの醍醐味と精神力の戦いに、興奮を呼び起こされる。
その一方で日本の政治の状況は、なんという惨状であるか、言いたくもないが、優勝を目指してもらいたいから、あえて言い続けることにしたい。

日本社会の目標として、快適エネルギーに支えられた、『安心して生活を営み、希望の持てる社会』であることには、誰しも賛同する。
その具体的な目標の一つとして、『脱原発依存社会』に向けて、挑戦して行こうと言う方向は、誰にも異存はない筈である。
それにも拘わらず、それを言い出した「一政治家・菅直人」に対する批判は、とても優勝を目指して、プレーをしているチームとは思えない。

周りの人に支えられて、意見や利害を推し量りながら、調整型の妥協点をつくり出していく「旧来型の政治」では、日本が行き詰まっていることは明白である。
そのやり方が、各方面からの批判の少ない「調整型の二世議員」による、順送り式の総理を抱く政治を20年近くも続けて、無難なプレーに終始することを良しとする政治風土を作ってしまった。
唯一の例外的な「小泉純一郎政権」は、一点突破主義の構造改革路線で、一定の成果を上げて来たが、いかんせん、長期の目標は「金メダル」には程遠い【アメリカ式の新自由主義路線】で、本家が混迷したとたんに、目標ではなくなった。

快適エネルギー社会への前段階である『脱原発依存社会』は、議論の材料は既に出尽くしている。
これから、検討するなどというご仁は、ベンチに控えてもらうレベルである。
その具体的作戦の工程は、次の課題を順序立てて実施する計画でいける。
・可能な限り、原発の稼働を少なくして、安全性の維持には万全の体制、費用をかける。
・再生可能エネルギーの技術革新と事業拡大には、最大の優遇措置を回し、国策として推進する。
・短期的には『天然ガス火力発電』を建設して、需要逼迫時の電力不足を解消する(1~3年で)。
・30年を超えた原子炉から順次、廃炉としての作業にはいり、50基の原発を減らしていく。
・実現の可能性もなく、必要のない「高速増殖炉」の研究開発を中断し、予算を安全対策に回す。
・使用済み核燃料の再処理路線(プルトニウム製造)は中断し、再処理工場は転換する。
・最後に残る課題は、【既に製造してしまったプルトニウムの処理】と【使用済み核燃料の直接処分】の方法と処分地の選定である。これらは別稿にします。

これだけ明確な課題と方策を、実行するリーダーとなるのは誰が適切か?が、今、問われている。
8月までの間に、管直人氏以上の情熱と決意、粘り腰を持った『次期リーダーの選出』を期待したいが、今の様な【様子見政治家】ばかりでは、敗戦は覚悟しなければならない。
しかし、いち早くその路線に転換して、プレーに邁進すれば、「KM・金メダル」に手が届く。
女子サッカーチームのひたむきで果敢なプレーと情熱を、少しでも見習う必要があろう。

老朽化した原発に依存するのは止め、老朽化政治家も早く退場を。

2011-07-17 | 核エネルギー・原子力問題
福井県の大飯原発1号機が冷却系統に不具合が発生して、運転停止して原因を調べることになった。
この原発は1973年に運転を開始した117.5万KWの設備で、定期点検中の原発であって、3月10日に調整運転に入った。
通常ならば、2カ月程度の試運転(調整運転と称している)を終えたら、その結果を報告して原子力の行政当局に審査を経て、初めて営業運転に入る制度である。

しかし、関西電力は3・11の原発事故後にも調整運転を継続したまま、早くも4カ月以上も経ってしまったのに、試運転のままに営業を続けてきた。
運転開始以来38年も経過している設備なので、あらゆる箇所が老朽化していることは間違いない。
検査を終了したと言うのに、4カ月程度の運転で故障が発生するとは、やはり老骨に鞭打っての運転では、安定的に運転が出来る設備ではない、という証拠である。

それにも拘わらず、設計寿命の30年を超えた原発の稼働を強行して行こうと目論んでいるのが、経済産業省の原子力族と電力会社である。
安全性のチェックを甘く想定するために、重要な規制機関である原子力安全・保安院を、身内同然と出来る経済産業省の傘下において、いわゆる「原子力ムラの癒着構造」を作った。
ゆがんだ原子力設備の実態を、設備の故障という現実によって停止せざるを得なくなっている。

菅直人首相は、この様な、ゆがんだ「原子力ムラの癒着構造」を破壊しなければ、絶対に原発事故の再発を防げないと痛感したことであろう。
その第一段が「ストレス(耐性)テストの実施」を、唐突と言われながらも宣言して、とにかく経済産業省の権限を引きはがそうと始めている。
その中身に反対はできない為に、やり方がおかしいとか、責任者はどうなるのか不確実だと、非難は各方面から出ている。
大元がおかしい構造なのだから、それをぶち壊すには通常の方策では無理なことは判る筈である。

そして、第2段の「脱原発依存社会を目指す」との英断を、突然に記者会見で発表して、国民からの賛同を得る作戦を実施した。
周りの政治家や原子力依存産業界は、政府の見解として統一もされていない方針を、一政治家個人の決意として言うのはおかしい、などの、中身よりもやり方の批判ばかりに向いている。

民主党の次期代表候補と言われる人たちの発言を見まわすと、全員が原発を減らしていく方向は正しいとしている。
しかし、それを実行して行く時間的な目標については誰もが曖昧にして、責任者として引き受けて行く決意は、誰ひとりとして表明出来ないでいる。

こんな状況のまま、8月末まで経過するならば、菅直人首相に続投を期待する国民の声は、どんどん、高まるであろう。
民主党の次期リーダー候補に欠けているのは、日本の将来をどの様な社会にして行こうと考えているのか、決意の表明がほとんどない。

一国のリーダーが、昔流の「調整型村長さん」の老朽化政治家では無理と、ハッキリしている。{/eto_inu/}