庵KM

技術屋OBの環境問題独り言

経済問題。交通問題。健康問題。そして、日本の国創り問題。快適社会問題。

経済活動を活性化して雇用と収入の安定を優先するには・・。

2009-11-30 | 経済問題
政権交代によって、日本の中の政治への関心が期待と驚きの面で大きく高まった11月であった。
官僚依存の政策は、権限が縦割りで細分化されている弊害もあって、目的も細分化した効果の少ない助成制度になり、結局は中間搾取的なデスクワークに費用がかかり過ぎる。
思い切った行政の効率化が必要なことが、国民の目にも明らかになってきた。

税金の非効率な使い方に呆れて税金投入をカットする事例は、これからも多数、出されるであろう。
しかし、その一方で、政府の政策的な支援がないと、次世代の主流となる「新産業」は、なかなか生まれないし、育たない。
マスコミはいつも空気を読んで流行を追う傾向が強く、将来の重要な分野の取り上げ方は、いつも弱いし、追従的な姿勢が目についてしまう。
日本のモノマネ体質、欧米追従姿勢が、今の日本の経済の停滞と閉塞感を生みだしている。

日本は「環境先進立国」を目指すと、だいぶ前に宣言した筈である。
その割には、自民党政権は既得権勢力に抵抗された「迎合体質」から一歩も抜けずに、中途半端な政策に終始して、財政の水膨れを招いた。
小泉構造改革路線は、この既得権益構造に切り込んではいたが中途半端であり、その上、経済構造を強者優遇の路線をとったために、地域の疲弊によって支持をうしなった。
旧勢力に対しては、自民党をぶっ壊すとの勢いのよいスローガンのもとに、挑んである程度の実績を上げたが、そのあとの「国の基盤となる新産業」の育成に対するビジョンが全くできなかった。

さて、新政権の方向はどうなるのか。
「コンクリートから人へ」のスローガンは良いとしても、人に投資をして何を育成していくのか、見えてきていない。
新政権に対するハネムーン期間の100日はもうすぐ迫ってくる。
また新たな「ドバイショック」や急激な円高によって、経済に対する短期的な対応に追われることになるが、中長期の経済活動の活性化に対する施策を適切に打たれなければ、小泉政権と同じように、一時的な国民人気の期間がすぐに途切れる。

このブログでは、土建国家日本の停滞を乗り越えるには、緑の新産業、再生可能エネルギー産業に基盤を置いた地域の活性化と地産地消が、将来の方向であることを書いてきた。
11月に書いた中身は、おおむね、下記のように要約できる。

・次世代にとって有益な再生可能エネルギー産業への投資は、現在の経済振興にも貢献する。
・太陽光発電などの発電設備は、発電電力の全量優遇買取り制度で、消費者全員で負担する。
・治山治水はコンクリートダムではなく、森林整備によって降雨の緩和機能で対処できる。
・林業と関連事業への集中的な投資により、地元の活力を再生する「緑の新産業」を育成する。
・中流域の遊休耕作地や遊水地を「藻類」の栽培地として活用し、同時に洪水防止の役割にする。
・造りすぎたという地方空港は、日本の得意な小型機の開発で、地域主権の支援に役立てる。
・地域の自主自立の気概を持つ自治体を育成し、地域の新産業と人材育成を優先する。
・税金の無駄使いをやめて、地域を活性化する新産業への支援にお金を回すのが急務となっている。

新政権がこの方向に動き出してくれること期待して、独り言のように書き続けて行きます。

お金を節約するのは大事だが、巡りめぐって自分に・・・?

2009-11-29 | 経済問題
何事も一番初めに取り掛かった人には、抵抗が大きくて潰されることが殆どである。
11月の後半にマスコミをにぎわした「事業仕分けによる行政刷新」は、税金の使い方を国民の目の前に広げて、イベント的に実施した上で、大きな効果が出てきた。
行政の無駄を洗い出すという作業を通じて、お役人の認識の甘さや、ブラ下がり体質の独立行政法人や公益団体の国民軽視の姿勢が、あぶり出された影響は大きい。
この「事業仕分け」も実は、自民党政権の時も一部の議員(河野太郎)が実施したのであるが、このときは、「反乱軍」扱いを受けたという。
今は自民党の議員の中からも、もっと自分たちのときに実施すればよかった、との声も多く出ている。

無駄な事業、予算を削るのは大いに必要だが、その絞り出した予算をどのように使うかが大切である。
以前は、不景気やデフレ経済になった時は総需要を喚起する必要があるとして、公共事業をだいだい的に起こして、建設事業にお金をつぎ込み、お金が世の中に回る波及効果を狙っていた。
しかし、道路やダムはもう波及効果はない、として、大幅削減の方向になっている。
政府や自治体はとにかく公共工事の削減、経費の削減、人員の削減が必須となっている。

一方、民間企業は生き残りをかけて、値下げによる競争が激化している上に、円高の影響もあってデフレスパイラルにはいっている。
政府がお金を使わないように絞り込み、民間も売上額減少に向かっているならば、「GDP」が低下する圧力ばかりである。

世の中は節約志向一辺倒に陥りつつあり、贅沢は敵だという空気が吹き荒れる。
だがどこかで価値のある商品の売り上げを増加させる力が働かないと、すべての国民にめぐってくるのは、現状維持と節約志向の低価格商品、低サービスに甘んじる生活である。

ここは、無駄なことを切るだけでなく、将来に価値のある事業は、前倒しをしてでも大胆に投資を決断して、お金を使うことを考えなければならない。
民間が不景気で投資を躊躇しているときは、政府、自治体は率先してお金を使うことが、従来から言われている、経済政策である。
しかし、愚かなお金の使い方を自民党政権が残してしまったので、世の中は公共事業というと無駄、効果のすくないお金のバラマキに見られてしまう。

この時期は効果的なお金の使い方に、最重点を置くべき段階に突入したと覚悟すべきである。
たとえば、整備新幹線では、将来必ず必要になる路線は優先着工し、利用者に不便なアクセスの空港周辺も、重点的に投資をする必要があり、その周辺を活性化する計画を前倒しする。
その工事を受注できる企業には、省エネルギー型の設備、機械を使用するように条件を付ける。
経費削減に向けて省エネ設備の投資を躊躇していた企業は、公共工事を受注したい場合は、積極投資をせざるを得なくなる。
これは公共事業版の「エコポイント制度」「エコ設備購買促進」になり、その関連企業は需要の増加に影響されて増産する。
このように、需要の波及効果を狙う政策的な使い方が必要になっている。

ここ数年間は、無駄の削減に合わせて、効果的な公共投資の制度に知恵を絞るべきである。

原子力発電の継続は必要だが、その前に国民の支持が必要だ。

2009-11-28 | 経済問題
ノーベル賞受賞者が科学技術は未知の領域への挑戦であるから、性急に成果を期待するのは間違っているし、失敗のリスクも多いので、それを許容した上で、人材の育成も視野に入れた積極的な国の支援が必要である、と助言をしている。
これは正しい提言であり、科学技術に対する基本の精神を理解した上での国民の支持が必須である。

総論としては正しくても、各論、具体論になると、トンでもない事態に陥っている例もある。
原子力の平和利用との名分で、国策として進められてきた原子力発電とその将来技術の核融合発電の研究が、60年以上も経過しているのに、いまだに未完成であることを国民は知らされていない。

経済産業省が省益、いや国益をと称して莫大な税金を投入して進めている原子力発電の技術は、いまだに高レベル放射性廃棄物の処理方策が決まっていない。
「トイレなきマンション」、「ゴミ処理施設無き自治体」を想定すれば、そのムセキニンブリは明確だ。
それでも温暖化対策に有効だとして、国策として推進する姿勢は変更できないでいる。
既設の原子力発電所には、使用済みの核燃料の廃棄物が溜まり続けていて、10年を待たずして満杯になるという。

一方、内閣府の発表によれば、国民の意思は原子力発電について「積極的に推進」と「慎重に推進」を合わせた推進派が59.6%に上り、05年の前回調査に比 べ4.5ポイント増加した。
という結果を発表している。
しかし、原子力発電で生じる高レベル放射性廃棄物の処分地を「私たちの世代が責任を持って速やかに選定すべきだ」と考える人は82.2%と大勢を占めるが、実際に自分の住む市町村や近隣に処分場を作ることには「反対」が79.6%に上り、処分場問題の難しさを表している。
と報道されていて、国民の理解が進んでいるとは思えない。

原子力発電の先進国であるフランスにおいても、核燃料廃棄物の処分場は最大の難問である。
日本において、この先10年以内に処分方法と処分場設置の地域の了解を得られる計画や、目論見は出来ているのであろうか?
その一番の課題になっている放射性廃棄物処理は、50年以上も研究対象であるにも関わらず、誰もやりたがらない後始末、尻拭いの仕事なので、原子力発電の関係者はすべて逃げ回っているのが実態だ。

そのような現状を知り尽くしている科学者、原子力発電関係技術企業は、この問題にこそ最重点の方策を立てて解決策を見つけ出すべきである。
一番手を目指すべき課題は、まさに、この難問の解決である。
しかし、関係者はどこかでやってくれることを心中では期待して、2番手で行こうとしている。
いま、原子力発電の技術をアメリカの企業から買い取って、一番を狙うとしている東芝などは、発電技術の方ばかりに力を注ぎ、一番の問題である高レベル放射性廃棄物の問題には、国の方で取り組んで欲しいと、言っているばかりである。
儲けることには一番を狙い、厄介な仕事は他の人にやってもらいたい。というのはもう通用しない。
今マスコミも注目する「事業仕分けの手法」で、経済産業省の政策と予算を公開の場で議論を進め、結論の出るまで新規の原子力発電はやらないとの決意をして、国民の目線で臨むべきである。

最初に井戸を掘った人のことを忘れないこと。『格言』 

2009-11-27 | 経済問題
科学技術の分野での最先端の研究は、暗中模索の連続であり、成果がはたして得られるのかは見えない分野である。
この分野に使う国家予算が事業仕分けの対象になることは、理解し難いことであるが、大幅削減の評価を受けて、科学の最先端に挑戦した人たちが、首相に直談判をしたと伝えられた。
この問題は行政刷新の様な無駄がないかどうかの課題ではなく、国家としての将来戦略をどうするかの課題であって、国家戦略室の議論を活発に行う必要がある。

ところで、2番手ではダメなのですか?という質問に、さらに説明を加えることにする。
何事も一番初めにその分野での道筋を見つけ出すことは、ものすごい思索と苦労を伴うものである。
中国の「格言」には、井戸を利用するときは、初めに掘った人のことを忘れてはいけない!という。
これは、古代から1番手に挑戦する人が如何に大切かということを、一般の人にもわかり易くして、
心構えの基本を説いたものである。

日本は古代から長い間、中国という世界の超大国の近隣において、独自の文化圏を維持しながらも、多くの学術や技術面において、中国の影響を受けている。
文字の伝来をはじめ、製鉄、製陶、農耕技術など、多くの影響を受けて、それを日本独自の技術にまで進化させている。
中国の多くの挑戦者によって成功して一番手になった分野を、日本は適時に取り入れてマネをし、さらに改良を重ねるのが得意な国民性を活かして国の発展をしてきた。

明治維新後は、中国の影響ではなくヨーロッパ先進国の1番手の学術、技術を取り入れて、富国強兵の国策を重点において、発展をはたしてきた。
そして太平洋戦争後は、アメリカという大国の文化と技術を後追いして、日本の経済発展を果たしてきたので、今でも何かというとアメリカ流をマネしたがる傾向が残っている。
その中でも、電気製品産業や自動車産業においては、アメリカを追い越すような技術を達成して、日本の豊かさに貢献する産業も生まれた。

このことは、1番手の努力を尊重して敬意を払うことが基本であるが、いつまでのその位置に安住するのではなく、それをさらに進化させる、つまり2番手の楽な地位をあえて捨てて、一番先頭に出る覚悟を持った時に本物の学術であり、技術が生まれる土台がつくられるのである。
その覚悟を悟らない産業界は、2番手の安住の地位からいつの間にか脱落していき、2番手すらおぼつかなくなるような事態に陥ることになる。

これは競争における順位の問題ではなくて、いつの時代においても、現状を一歩でも先に進めることを厭わない精神、志を持つことが、国民全体の意識レベル、品格の高さを表すことにつながる。

2番手でいいじゃないか、と心の中で思っている人は、何事も安住の地位を大事にして、失敗する恐れのある先頭には立たない様に逃げる心理が優っている。
そのような人は失敗しないから、硬直化した組織、特に官僚組織においては出世する環境にある。
重要な場面の未知の領域においての挑戦で、先頭に立つような人は排除されるのが官僚の世界であり、それと同じように大企業病にかかった企業も、頭から腐っていく。

最初に井戸を掘った人、未知の領域で最初に道筋を見つけ出した人を尊重する国になる必要がある。

2番手ではなぜダメなのですか?この質問に答える。

2009-11-26 | 経済問題
政府の2010年度予算請求の事業仕訳の進展が毎日のマスコミを賑わしている。
国民目線で政府のお金に使い方をチェックして、役人の説明がしどろもどろになる例が伝えられて、結果は「廃止」という裁きである。
さしずめ、大岡裁きのドラマを見ている感覚になって、視聴者の立場を超えて「バッサリと切る」快感に浸る人も多いのではないだろうか。

確かに、日本政府の優秀な官僚が考えた政策とは思えないような、効果の見込めないお粗末な政策がまぎれている事は事実だから、バッサリと廃止するのも必要であろう。
しかし、日本の国策としてしっかりと議論をして、腰を据えた継続的な取り組みも、成果が見えないという理由で廃止や見直しを迫るのは、短兵急にすぎる議論である。

その中で、気になる発言があったのを目にしたので(テレビで何度もその場面が出てくる)、ここで採りあげて、少し掘り下げてみよう。
「1番を狙うとして税金を割いているが、2番手ではなぜダメなのですか?」との疑問である。
これは科学技術分野のことでの議論であるが、確かに、トップを目標にするには大変な費用と人材の投入が必要であり、何でも1番手、トップを目指していては、とてもお金が足りない。
日本での人材においても限りがあるので、多くの分野で実力を伸ばすにも限界がある。

しかも技術の世界では1番手を狙って、実現してトップの座を維持するのは容易なことではない。
2番手は努力する方向が分かっているので、その跡を追っていくことで、トップに近づくことは可能であり、日本はそれを得意としてきた。
製鉄事業、建設事業、石油産業、電気製品事業、自動車事業と、日本の経済成長を支えて、達成してきた事業は数知れない。

この先進国の技術を見習い、技術提携により2番手の企業を目指して努力してきた経営者は、失敗が少なくて成果を上げることが出来た。
先人が成功した後を追うのであるから、大きな失敗はしないで済む。
ある意味では賢明な姿勢であったかと思われが、それでは永久に1番手にはなることが出来ない。

別に1番にならなくても良いではないか?
なぜ、そんな苦労をして失敗する危険をおかすのか?
日本人の多くの人が、そんな風に考えているかもしれない。
そこで、もっとよく考えて欲しい。
日本はアメリカ(1番手の国)の後を追って、経済成長を遂げ、アメリカに次ぐ経済大国に成長をした。
その後はどうなったかというと、その後を見習いたい国を見失って、バブル経済に突入をして、あえなくハジケテしまった。
トタンに経済運営において未知の領域の苦労を強いられ、失われた10年を無駄に過ごしてしまった。

日本の政治家も経営者も、そして官僚や経済学者も、すべて2番手のやり方で成功してきた人間しか、日本のトップ層にはいない事態になっている。
一番手を目指して苦労を積み重ねた人だけが、先行きが不透明の事態に対応できる度量が備わる。

ノーベル賞受賞者の発言は、この1番手に向けて苦労した重みのある内容である。以下次回に。

日本の生長力は高い目標を達成する意思を打ち出すこと。 

2009-11-25 | 経済問題
水膨れ気味の政府の仕事を見直す動きが活発化していて、無駄な政策と予算があぶりだされている。
これは惰性に陥って、とにかく現状を引き続き維持しようという、役人体質の悪いところが集積された結果である。
現状の社会構造や産業構成を守ることだけでは、経済の成長も生活を豊かにしていくことも、出来ないことは、この20年間の停滞によって誰の目にも明らかである。

そこで無駄を排除したり、既得権構造を破壊することは前提であるが、経済のもとである産業の進化や成長は、どうやって実現していくのかが最重要である。
温室効果ガスの1990年比で2020年に「25%削減」を達成するという、高い目標設定は、産業構造の変革と技術革新を生み出すには良い転機になる筈である。
「再生可能エネルギー」への転換に、思い切った投資を促し、技術開発に力を入れることは、間違いなく経済成長を促す方向に働く。

また、温室効果ガスを大量に排出する産業である「鉄鋼業」や「セメント工業」は、「コンクリートから人へ」のスローガンのもとに展開する民主党政権のもとで、産業の主役の座から退いていく。
この構造変換により、温室効果ガスの排出は大きく変わってくる。
先の政権では、この構造変換をあまり見込まないで、2005年の粗鋼生産量は1.13億トンから、2020年には6%増加すると見積もっていた。
セメント生産量は、0.74億トンから9%減少と予測していたが、民主党政権での、コンクリート造りの公共事業削減政策によって、もっと大きく減少する筈である。

上記のように今までと変化がないと想定された産業構造の延長で、温室効果ガスの削減目標を「25%削減」の設定した場合の経済成長と国民の負担をシミュレーションした数値が、2009年の6月頃に大きくマスコミの紙面に登場した。
経団連をはじめとした旧産業の組織は、高い削減目標を設定すると国民生活の負担が大きくなるとして、一番低い目標設定を政府が採用するように、キャンペーンを展開していた。
結果としては麻生政権は「1990年比で8%削減」という、あまりに低い数値を打ち出したために、世界の各地からは、日本のやる気のなさに顰蹙(ひんしゅく)の声が多く浴びせられた。

この削減目標を低く設定した根源は、産業構造の変換と新産業を育成するビジョンが、麻生政権には一切なかったことに起因する。
この関連は、ブログの6月6日~11日にかけて、かなり書いてあるので、もう一度、見ていただければ幸いである。

民主党政権は、この削減目標を達成する手段としては、産業構造の転換は必須であり、再生可能エネルギー産業の育成と、省エネルギー化の設備投資の優遇を打ち出すことにしている。
この政策を打ち出した影響も考慮に入れて、2020年時点での経済予測と国民生活への影響を、できる限り客観的に評価することが必要である。

既得権に安住した産業を守るのではなく、脱化石燃料社会への転換に寄与する新産業を徹底的に優遇して育成していくことが、国民生活の豊かさにつながることを、再度、認識すべきである。

次の世代に何が役立つかで基準を決めて重点政策を実行。

2009-11-24 | 経済問題
最近の話題では、国の予算の決め方において、事業仕分けというプロセスを取り入れて、役人の要求する予算が無駄であるかどうかの評価を実施している。
今までは族議員と省益確保を狙う官僚との間の連合と、財務省の金庫番がやり合う場であった。
総枠の中でのお金の取り合いであるから、国民の目に触れる部分はほとんどなく、いわゆる水面下と密室で決められてきた。

この奪い合いの過程を事業仕分けというイベントを設定して、インターネットとテレビで関心を呼び起こすことは、腐敗を防ぐ意味において有意義であろう。
特定の利益団体や地元利益を優先する利権議員の出番を封じる効果はある。
しかし、一部の事業にとどまるので、腐敗の構造が改まるには、かなりの回数を重ねる必要がある。
その一方で、無駄を削ることは必要であるが、国としてかなり力を入れるべき分野と政策においては、
この仕組みでは機能しないことは明らかだ。

民主党はマニフェストに、政権をとったら実現する政策のリストを公開して選挙の洗礼を受けた。
当然、これらの公約を実現する責任があるが、その実施方策においては、予算と人員の制約もあって、優先度を決めて、重点的に実施することを具体的にしていかなければ、カラ手形に終わる。
その中でも優先すべきは、世界経済の停滞の中で日本の産業が疲弊している実情に対して、有効な対策を打たなければならない。
景気対策という名目では、日本の企業は一時的なカンフル剤を受けるようなもので、体質の改善にもならず、ますます世界の先進企業からおいて行かれる状況に陥る。
航空業界では、「JAL」がその典型であり、長年の惰性的な経営体質は、無残なくらいに悪化している。

予算の使い方の無駄を減らす「事業仕分け」のイベントは有効としても、力を入れるべき対策や国策的な重点予算の投入において、現状では機能不全である。
次世代に引き継ぐ優良な産業や人材の育成、科学技術の基盤の進化を、どのようにして国の重点政策に組み込むか?
この課題が一番、重要なことは言うまでもない。
その重点におく産業分野は、脱化石燃料社会における重要課題の「再生可能エネルギー産業」であることは、もう明らかである。

一部の旧式な頭にとらわれている産業界の反対はあるにしても、その抵抗を押し切って、世界のトップクラスを目指した「再生可能エネルギー産業」の育成を、国家戦略として打ち出さなければならない。
国家戦略室の管副総理は、再生可能エネルギーによる発電を優遇するための方策として、EUの先進国が実施している「発電電力の全量に優遇買い取り制度」を来年度に実行に移すと宣言している。
しかし未だに経済産業省は抵抗しているし、他の閣僚の関心もほとんどない。
このように、重点国策を力強く進めることが出来ない政権は、そのうち、行き詰まって国民の期待を裏切り、支持されなくなるであろう。
無駄の削減の次に、次世代産業の育成に最大の関心を向けることが、一番、優先されるべきである。

国民と国ばかりにしわ寄せをしている県自治体の責任は?  

2009-11-23 | 交通問題・自動車
コンクリート建設土木国家の道を突き進んできた日本の行政は、行き詰まりがはっきりしてきた。
ダム建設の惰性的な計画の杜撰さは、次世代にツケを残す大きな負の遺産となっている。
ここ数回で採りあげた、地方空港の赤字、採算性の見通しが立たないままの税金の補助は、出血をとにかく止めるために必要かも知れないが、傷口が治る見込みは立たない。
これも地域にとっての、将来世代への負の遺産になる可能性が大きい。

ここまで見てきて、地域の自治体の責任者はいったい何を考えているのかと、疑問だらけである。
先回に採りあげた茨木空港について、もうすこし立ち入ってみると、国にどっぷりと依存した、自立していない「パラサイト自治体」というべき実態に思える。

茨木空港は、自衛隊の百里基地と共用の国営空港であり、新規に民間用の2700メートルの滑走路を新設した。
この本体の工事費は、220億円で茨城県の負担は70億円である。
しかも空港の維持運営費は国の負担であるということで、茨城県知事は「県の負担が少ない空港」であるとして、県民にアピールしていると言う。
その結果は、開港を4か月後に控えて、定期便の運航を決めたのは、韓国のアシアナ航空のソウル便だけで、あとはどこも乗り入れを決める航空会社はない。

これを見て連想したことは、親(国)の住居に居候をしている働く気力が少ない子(県自治体)が、部屋の改装費をわずかに負担したきりで、家計にはお金を入れないままで、パラサイト生活を決め込んでいる様子である。
これは、親もだらしないが、自立しようとしない子の方がもっと始末に負えない存在である。
子供は自分の将来を自分で苦労して模索し、自立をしていく必要がある。

地域の経済と県民の交通環境を整えるのは、地域自治体の責任であることを覚悟すべきである。
空港でいえば、大型の国際空港で「ハブ空港」の機能をまっとうする為の施設とインフラ投資には、国の責任で当たるべきである。
しかし、97空港の大半は、地域の住民にとっての大事な空路であるが、国に頼るような依頼心は、今後は一切捨てるべきである。

離島の空港の様に、地域の経済力だけでは、空港の整備も十分にできない特別な地域は、国の過疎対策に盛り込んで支援する。
しかし、そうでない地域は自己努力で、道路、鉄道、航空路の将来展望を作成して、その実現に向けて税金の投入を決断していくことが、自立をしていく基本である。

いまの税金投入の権限を、国がすべて干渉している実態から、地域主権の考え方で、自治体、特に県という自治体の役割を整理して、税源の移譲と責任を移していくべきであろう。

いつまでも、国が財源を握り、県のやることに口を出して干渉していれば、不採算空港を多量に造ってしまう、愚かな自治体のままに終わる。
それでは日本は停滞したまま、沈没しかねない。

地方自治体のお上頼りの体質を自立できる様に変えるには。

2009-11-22 | 交通問題・自動車
地方空港の問題は、地域の自治体が国のお金に頼って地域振興を進める中で、甘い需要予測をなし崩しに実施してきたツケが見えてきたことに尽きる。
地域に利権を狙った関係者が、国(旧運輸省)の空港特別会計を自分のお金の様に考える族議員と、水面下で調整して、とにかく、箱モノ(コンクリート施設)を造ることばかりを重視してきた。
その施設の利用者を増やすために、適切な料金で価値のあるサービスを提供することなどは、3の次の課題として、ほとんど配慮していないことが問題として残っている。

本日の朝日新聞の朝刊1面にも、地方空港の乱立によって、ほとんどの空港が需要予測を下回る利用者にとどまっていて、赤字を垂れ流している実態を伝えている。
需要予測を上回る実績を達成している空港はわずか4空港にとどまる。
経済活動の停滞の影響も受けるが、需要予測の8割にも満たない実績では、明らかに予測値が過大であったと言わざるを得ない。
このような甘い予測とズサンな計画によって、累積している赤字を国民の税金から補填して支えることは、許されないであろう。

では、この先はどのようにしていくべきであろうか?
前回にも書いた様に、空港の設備の過剰な部分を、今からでも削減して維持管理費用を最小限に抑えることが先決である。
その次に、利用者にとって空港までのアクセスを改良し、移動時間の無駄を省いて、地方空港利用のメリットを最大化する。

地方空港の利用者は、他の交通手段はほとんど新幹線と地方鉄道線の利用者であるから、両者の利便性と費用負担を比較すれば、交通サービスとしての魅力度の差異が出てくる。
97か所もの地方空港が必要かの評価も、この鉄道利用の場合との差異を適切に比較すれば、地方空港路線の必要性と、需要の予測がより正確にできるようになる。
今までは、空港を造る意志ばかりが先行して、利用者の利便性などは後回しの計画ばかりが前面に出てしまう。

また利用者にとって、あまりメリットのない過大な設備を入れてしまい、維持管理と設備の償却で、空港の利用料金が割高になっていることが多い。
この維持管理費と施設の適正化に向いている方策は、[PFI方式]などと呼ばれる建設と運営のやり方がある。
基本計画は自治体が行い、実際の施設の設計と運営は、民間企業に提示して公募により、もっとも有利な条件を提示した企業に委託契約をする。
公募に応じる民間企業は、事業開始後の収益で管理費用を賄い、施設の償却費用を自治体に返済することになるので、経費の削減に対しては死活問題となるので、その取り組みは真剣である。
航空便の路線開設や拡大にも前向きに取り組み、利用者に対するサービス向上と利用料のコスト削減には、経営努力を傾注することになる。

このように、利用者本位に努力する企業体質をとりいれ、公営による役人体質の経営をなくすことが、これからの存続にとって最小限の条件である。
天下りを受け入れる余裕などない筈である。

国内空港を活性化させるのが地域経済に不可欠。

2009-11-21 | 交通問題・自動車
日本の国内路線は大手の航空会社に任せてしまったために、小型機の運航に対して過大な組織と設備で経費がかさむ体質になり、非効率な運航になっている。
これに対して国内の空路は、スリムで経営効率の良い適正規模の国内路線に特化した航空会社を育成し、さらに国内の少ない利用者数の路線用に、小型で経済性の優れた航空機を開発すべきとした。

そこで次の問題である地方空港の不採算を、どのようにして解消していくことができるか検討してみよう。
日本の国土を見ると、全国で97か所の空港はさすがに多すぎると思われるが、どうやってその存続の可否を選別していくのか?
地域の自治体が自ら、空港事業からは撤退する意思を固めたならば、それで後始末をすればよいが、今のところそのような空港はない。(例外的に1か所の廃港があった。)

ではどのようにして選別していくのか?
これは、利用者の開拓を責任を持って行う自治体の努力次第とする必要がある。
空港の維持運営費用は、利用者の人数によって補助する仕組みに変える。
赤字が出たから、その分を穴埋めするという甘えの構造をとると、絶対に黒字化しなくなる。
それと、空港の設備が過剰の場合が多いので、それは必要最小限の規模に縮小して、維持管理費を徹底的に削減する。
良く見かける光景だが、1日数便しかない空港で、エスカレーターのついた2階建ての立派な空港ビルが建って、その中に店舗が入っているのに利用客はいない状態をみる。
鉄道でいえば、利用者、乗降客の少ない駅舎には、駅ビルではなく、最小限の改札口と待合室さえあれば良いのと同じで、平屋の建物で十分である。

事例で検討してみると、最近の話題には茨木空港(茨木県小美玉市)が2010年3月に開港する予定になっているのに、現時点では韓国の航空会社の定期便のみで、利用者数は8万人程度にとどまる。
当初の予測では年間81万人が利用するとしたが、国内の航空会社の路線はゼロの見通しとなってしまった。
利用者は成田空港の方に行ってしまうとして、大手の航空会社は新規の路線には後ろ向きである。
この茨木空港の近辺には、首都圏に近い関係で航空便の利用者が多くいるのに、大手の航空会社にとっては不採算になるという。

小型機を使って、札幌、大阪、福岡、沖縄などへの利用者を、近隣から集める計画は成り立たないのであろうか。
航空機のメリットは移動時間が最小で済むことであり、それを徹底していけば利用者は必ず増える。
まずは、近隣地域から空港までの移動アクセスを整備充実させることが肝要である。
成田空港の様な大型の空港は、構内の移動や搭乗口までに距離があり、待ち時間が非常にかかる。
小型の空港であれば、そのアクセスは最短時間にできるので、利用者にとっては助かる。
茨木空港の関係者は、その利用のメリットを利用者本位で考えて、最大限の努力を払う必要がある。
早急に空港へのアクセス改革に取り掛かるべきである。

茨木県関係者の威信がかかっている。
国営空港のままで国に依存していては、赤字の補填を長期間にわたって続けることになるであろう。

航空会社を税金で保護する必要性はどこにあるか? 

2009-11-20 | 交通問題・自動車
地方空港が全国に97か所も設置され、その大半が赤字経営で非効率の箱モノ行政の典型として、地域自治体の財政を圧迫している。
その原因を探ることが大事ではあるが、とにかく、早急に出血を止めなければますます傷口は大きくなり、地域住民へのしわ寄せでさらに地方は困窮に向かってしまう。

国の責務として、地域を疲弊させた償いをしなければならないが、そのツケを民間の航空会社に負わせるのは、筋違いであろう。
しかし、日本の官僚は民間企業である「JAL」を、自分たちの権益の維持とボロを償う企業として、無理を押しつけてきた。
地方空港の発着枠を無理やりに作るために、赤字を出すのを承知の上で、「JAL」に運行するように押し付けてきた。

其の赤字分を他の黒字の路線で補うことで理不尽な構造を温存し、基本的な経営資源の改善と、合理化を怠ってきた「JAL」の責任も大きい。
燃料消費が多い大型機が多く、中型機の燃料消費率を改善した機体への置き換えも遅れてしまった。
さらに、国内線が主体であった「日本エアシステム」(JAS)との経営統合を2002年におこなって、
設備の共用などの合理化をねらったが、地域ローカル線の赤字額が増えて、却って経営を悪化させた。

責任の所在は「JAL」の旧経営陣と、その判断に無理強いをした政府関係者にある。
前政権の国土交通省関係の政治家と、官僚群の幹部が追放されるべきであろう。
国土交通省から天下りで航空関連事業でつながっている団体、組織の幹部からは一掃すべきだ。
地域自治体の不採算空港建設推進者の責任もあるが、これは地域住民の判断にゆだねる必要がある。
その上で、地域への空路は確保することが必要であるから、なんとかして地域航空便を継続できることに注力すべきであろう。

前回に燃料消費率の良い航空機を開発して、日本の地域航空便の必用搭乗者数にあった運航便を継続することを提示し、その方策を提示した。
将来の地域社会の発展と活性化を図るのが、日本にとっての基本政策であるから、インフラとして空港と空路の確保は重要である。
問題がこじれているのは、箱モノを造っただけで、その先のことを考えずに、甘い期待を持っているだけで、何も手を打ってこなかったからである。

日本の国内航空路のインフラは、国と地域自治体の責任で、再建することはどう考えても必須である。
それには、税金の投入はせざるを得ない。
「JAL」を税金で救って維持する必要はないが、国内航空路の確保と地域空港の維持、黒字化は是非とも検討して、一時的な税金の集中的な投資はすべきであろう。
まずは、国内路線の部分を「JAL」の経営から分離することにして、これを基盤にして経営陣の抜本的な入れ替えにより再建策を支援していけば、地域住民への国としての責務が果たせる。

「JAL」を救うのではなく、地域社会の航空交通インフラの将来への投資こそ必要である。

日本の交通システムとしての地域空路を活性化するには。

2009-11-19 | 交通問題・自動車
前回に地域毎に一つの空港が建設された地方空港のほとんどが赤字経営であることを採りあげた。
これは、航空交通システムとしての育成を、バランスよく進めてきていない、国土交通省の政策の失敗である。
空港だけ造って、そこを利用する航空機に対しては何もせずに外国製の機種を輸入するだけであり、小型機を効率よく少ない経費で運行する航空会社の育成もしてこなかった。

これは鉄道に例えるならば、駅の建物だけに力を入れて、そこを走る車両の開拓を怠り、運航する鉄道会社もほったらかしにして来たのと同じことになる。
経営がいきづまり、運航会社が減便して撤退してしまえば、あとには何の利用価値もない駅の建物が残ってしまう。
こんな愚かな交通機関の運営は考えられないが、国内航空路では現実のことである。

どこから手を付けるのが良いのかは、専門領域になるが、素人でもわかることから書いてみよう。
まずは、JALのような、非効率の企業を地方空港路線から引き揚げさせることである。
高給取りの乗務員や地方路線のことなどに何も関心のない本社の管理職の経費から切り離す意味で、地方空路専門に取り組む企業を募集して育成する。
企業の存続を保証する意味で、国と地域、県が出資する「PFI方式」が適切かもしれない。
詳しいことは省略するが、とにかく経営効率の良い、スリムな航空会社を創って運行を継続することである。

北海道便を重点的に運行している航空会社がモデルになるかもしれない。
そのような会社を全国ネットで運航する権利を、大手の航空会社から移譲していき、大手は地方空路からは撤退自由にすればよい。
赤字の路線は必然的に、地方空路専門企業の役割になって、小型機の運航にとって有利な路線になる。
それでも、現在手に入る小型機は、まだ搭乗者数が過剰で運行経費がかさみ過ぎるかもしれない。

そこで、外国製の中型機よりもさらに経済効率の高い小型の航空機を開発して、地方空港の必要性に適した搭乗者数の機体を開発することを国の施策として推進する。
すでに、それに必要な技術は国内の企業が持っている。
機体の製造においては、次世代の主力素材を活用した「カーボンファイバー製」の主翼や、軽量化に優れた部材の製作には長けている企業は多くある。
また小型機用のエンジンなどは、すでに三菱重工などの企業が開発済みであるので、これを利用して、燃料消費量のすくない小型航空機が製造可能である。

航空機の開発には少し時間が必要かも知れないが、その間は、外国製機体の運航で余計にかかる運行経費に対して、助成金をつけて運賃の低減に支援をする。
この補助は期限を区切って、惰性に陥らない仕組みにしておかなければならないが、地方の空路を維持し、活性化するための必要な投資と考えるべきである。
国土交通省の所管の「空港特別会計」を見直して、その収入をこれらの地方空路の維持に使えるようにすれば、新たな税金の投入はしないで済む。

箱モノを造るばかりでなく、運行企業と機体を創ることに投資をすべきである。
発想を少し柔軟にすれば、やり方の知恵はいくらでも出てくるであろう。

国土の保全と有効利用は将来像を描いて戦略的に。  

2009-11-18 | 交通問題・自動車
将来の展望も描けないままに、省益に振り回された旧政権のツケを引き継がざるを得ない状況ではあるが、官僚以外は意識転換が出来てきた様である。
コンクリートダムの発想から、「緑の保全と新産業へ」向けての考え方に転換する一つの提案を、このブログに書いてきたが、それも夢物語ではないことになってきた。

報道では国の方針として、法案の検討を開始したと伝えられている。
前原誠司国土交通大臣は11月17日の記者会見で、「緑のダム法案」を農林水産省と連携して国会に提出する準備を進めていることを明らかにした。
森林の保水機能や土砂流出防止機能などを活かして、コンクリートダムに頼らない治水への転換を図るのが目的。
民主党は平成13年に「ダム事業の抜本的な見直し及び治水のための森林の整備の推進等のための緊急措置法案」をまとめているが、前原大臣は「問題意識はさらに深化していると思う」と述べた。

この動きは具体化するにつれて、大きな関心を呼ぶであろうが、論議を通じてより良い政策を打ち出すことを期待したい。

その一方で、もうひとつのコンクリートの無駄になっている、地方空港の活用をどうしていくが、国としての責務になっている。
地域、県が箱もの行政の流行に乗って、一県に一つ以上の空港が欲しいと競って設置してしまい、その後の運営経費や、航空会社、地方空港利用者のことなどは、考えなかった責任を自治体がとるべきある。
責任を持って対応できる範囲は、個々の地域の事情と特性にあわせて対応することになるが、この範疇の役割は県自治体に負わせる必要がある。

その一方で、国としても国内の地方居住者に航空交通のネットワークを利用し易く提供する、主導的な役割もある筈である。
たとえば、地域からの長距離の移動利用者は、少ない搭乗者数に対応できる航空機が必要であるが、今はカナダ製やブラジル製の中型機を利用している。
一時期は、地方空路用に「YS11」のようなダーボプロップ機を開発して、その任務につけていたが、
いつの間にか力を抜いてしまい、今では、まったく考えてもいない。

日本は新幹線を世界に先駆けて開発し、自動車の技術は後発ではあったが、今では世界一流のレベルであって、日本独自の規格の軽自動車においては、技術進歩は著しい。
技術的には可能であるのに、航空機の分野においては、小型機や中小型機の様な、地方空港に適した乗客数の機体ができないのであろうか。

これは大手の航空会社ばかりを優遇する政策の行きづまりと、関係がある。
JALやANAのような大手では、小型機などの旅客機や貨物機の用途を開拓するのは、余分な仕事としか扱わない傾向がある。
自動車でも軽自動車を得意とする企業は、独自の路線で技術と経営を大きく広げてきている。

今からでも遅くはない。
小型機、軽旅客機を主体に開発製造する企業と、地方空港路線を主体に経営する
航空会社を育成していく必要がある。
これは21世紀の国策として進める必要がある。〈以下、次回に〉

官僚任せのツケがいつまで続くのか。空港問題。 

2009-11-17 | 交通問題・自動車
コンクリートダムの問題で国を挙げての見直し方向に入ったのは良い機会であり、これを惰性によるやり方から、地域住民の将来のことも考えて変える必要がある。
一方、コンクリートでも「地域の要望で建設された不採算空港」の問題がクローズアップされている。
マスコミでは、関西国際空港に対する補助金の凍結が議論にあがっている。

関西国際空港は1994年に開港して、大阪空港(伊丹・1939年開港)の国際便を転換することで、運営を開始した。
このとき、将来は大阪空港を廃止することが当初の計画であったが、伊丹の地元自治体の方針転換で、廃止に猛反対となって存続している。
大阪空港は中心部から近いこともあって、国内線の利用者にとっては便利であり、空港経営も黒字で
利用する航空会社も黒字路線となっている。

さらに、2006年には神戸空港も開港したので、国内線の利用者は分散することなってしまった。
航空行政を管轄し、将来に向けての空港のあり方をリードする役目は、現在は「国土交通省」にある。
しかし地元の要望を聞くという姿勢をとるのは必要としても、近隣地域に3空港も造ってしまって、
特に国際線を担う国としての重要なインフラである「関西国際空港」の経営が成り立たない様にしてしまった責任は、どうなってしまうのか?

いつもの通り、官僚は一切の責任を負わない仕組みになっている。
やはり税金の投入を支持し、それを容認してきた政治家、ひいては選挙で選んだ国民の責任であろう。
ここはしっかりと将来の航空交通システムのあり方を見直して、地元の要望も極力取り入れる方向で議論をしたうえで、新たな税金投入の理解を得ることが必要である。
いまの国土交通省の官僚の頭には、いったん始めてしまったことはそのまま延命していくしかない。
そのツケを国民の税金投入に回すのは、自分の責任の範疇にはない、という感覚である。

ここで問題とすべきは、国の権限に振り回されているように見える地域自治体の責任である。
関西の3空港問題は、国内線については大阪府と兵庫県の責任問題になってくる。
大阪府の橋本知事は、今回の「関西国際空港」への補助金凍結を、議論を始める良い機会にすると、歓迎の意向を示している。
一方、2006年に開港した神戸空港は、まだ、2500m滑走路1本の小型空港であり、利用者も260万人で他の空港の1/6程度であるが、伊丹を存続させた上で、大赤字で負担の大きい関西国際空港をやめる方が良い、と発言している。

これはもうひとつの国策の失敗、「日本航空の再建問題」と同じように、ここまで問題を先送りしたツケを、単純に補助金投入で、単なる延命策を続けるのではなく、責任を負うべき当事者が何よりも優先した仕事として、取り組む必要がある。
国土交通省」の官僚に依存する責任感のない税金の使い方は、一切やめると宣言すべきであろう。
しかし、官僚側に入った政治家はすぐに官僚のレクチャーの取り込まれてしまう。

ここは、日本の将来の航空システムを目指した「国家戦略室主導の実権を持った組織」を創って、長期の構想に基ずき、育成すべきものと、廃止に進むものを選別する必要がある。

中流域の遊休耕作地を活用して緑の新産業を造る。 

2009-11-16 | 経済問題
森林保全を積極的におこなって、地域活性化の緑の工業団地を造ることは理解されるでしょうが、それでも、豪雨に対する備えとしては、不安を言いだす人が必ず残るだろう。
また、上流地域の産業への優遇ばかりでは、中流域の住民に洪水に対する不安を押し付けるばかりで、不公平ではないかと、正論らしきこと言う批判も出てくる。

そこで、今回は中流域の活用方策について、新提案を示して説明しておきます。
河川の流域には水田地帯が広がっているが、日本人の食生活の変化によってお米の消費が減ってきて、余剰米の発生を防ぐ意味で、減反政策がとられてきた。
その影響で各地に遊休耕作地が大量に出てきて、今では野草が生えたままの何も利用できない土地が、有り余っている。
この減反政策のために大金を使っていることは、税金の無駄使いとしてやり玉にあがってきている。

そこで、中流域の堤防の外側にある遊休耕作地を活用して、ため池を造成してバイオマスエネルギー栽培地として活用する。
このブログの10月24日~29日にかけて、バイオマスエネルギーの原料として「藻類」の可能性を説明してきた。
地球上でもっとも効率よく、光合成〈炭酸ガスを吸収して、炭化水素を合成する〉を行う植物は「藻類」であることが分かっている。
その中で、淡水で成長する種類を選んで、ため池の中で人工栽培をおこなう。

太陽光と温度によるが、陸上の植物よりもはるかに成長が速い為に、定期的な収穫を行って継続できる生産が可能である。
栽培地の近辺には、収集した藻類を乾燥して搾油し、バイオ燃料の原料を製造し、絞りかすはバイオマス発電の燃料に加工する工場群を建設する。
これらのエネルギー源は地元に優先的に利用できるようにすれば、地域経済が活性化する。

上流地域にコンクリートダムを建設した場合は、200年に一度の豪雨に備えて安心するための設備にとどまる。
しかし、中流域にバイオマス「藻類」を栽培する施設をつくるならば、日常的にエネルギーを供給して地域社会の経済に貢献できる。
いわば、「緑の油田と精製団地」を造ることになる。

そして、上流地域の森林の健全化は最大に行って保水力を保っておく前提であるが、それでも200年に一度という豪雨(気候変動によって、豪雨の規模が激しくなると警告するひともいる)で、川の中流域の水量が想定以上に増える場合もある。
この堤防決壊の恐れが出てきた事態に対して、この緑の油田の「ため池」を堤防保護の目的で増水した河川の水を引き込んで、調整地として利用できる仕組みにしておく。

普段は緑の油田としてエネルギーを生み出し、遊休の土地を有効利用できる上、万が一の場合の調整地としておけば、一石三鳥の効果が生まれる。
これに苦情を言う人が出てくるだろうか?