庵KM

技術屋OBの環境問題独り言

経済問題。交通問題。健康問題。そして、日本の国創り問題。快適社会問題。

海の森づくり活動が富栄養化と気候変動対策につながる。

2010-04-30 | 海洋産業問題
日本の国土を健全に保ち、豊かな生態系の向上には、山間地の森林を育成し保然することが不可欠である。
同じように、日本の沿岸部の海水域を健全にして、豊かな魚介類の生育には、自然の海藻類を維持することはもとより、人工的に藻場を造成して育て、生育した海藻類を収穫して利用することが必要になっている。

森林の保然は国民的な合意になっているが、沿岸部の海藻類を育成することは、国民のほんの一部の人にしか認識がない。
直接の恩恵や被害を受ける漁業者にとっては、藻場の造成の必要性は分っていても、今の世の中の金がすべての様な風潮の中では、経済的には成り立たない。
しかし、それでも日本の海洋産業を育成するには、まず、ここから始めなければならないことを主張して、地道に活動してきた人たちがいる。

【海の森作り推進協会】を創って、日本の沿岸部に人工的な藻場を造る運動を20年近くにわたって活動している。
このブログに引用したデータは、その活動の中心となって進めてきた松田恵明(よしあき)氏の著書『海の森づくり―いつまでも魚が食べられる環境へ―』緑書房、2010年3月10日発行、を利用させていただいた。
海洋産業について関心を持ったならば、この著書を一度、購読することをお勧めします。

その中で、【富栄養化】対策と、【海中のCO2固定】についての観点から、藻場を造る具体例として、【コンブの海中林をつくる】活動を採りあげて、実践した結果を説明する。
これは、昆布の種苗を培養水槽で45日程度生育させて、100mの長さのロープに30~50cm間隔で、5cmに切った種苗(種糸と呼ぶ)を挟み込んでいく。
このロープ(幹網と呼ぶ)を湾内など(水深15m程度)に設置して1月頃から6月まで育成する。
5cmの種苗からは約50本の葉がでてきて成長する。
一枚の葉は、それぞれ100g~200gに成長するので、5cmの種苗から7.5kgのコンブに成長する。
100mのロープ一式に取り付けられた種苗は、成長後に約2000kgのコンブとして収穫出来る。

この昆布養殖のロープを、日本の沿岸に設置した場合の生産量の概算を検討してみよう。
100mの幹綱を10本併行に設置できる設備をひとつのブロックと想定して、日本の沿岸総延長3万5千kmの4%相当(約1400km)に設置した場合を検討する。
1ブロックで140m長さとすると、10万ブロックを設置できる。
1ブロックで生産できるコンブは、6か月で20トン、1年間で40トンになる。(もちろん、暖期と寒期では栽培する種類を選ぶ)。

この想定によるコンブの生産量は年間で400万トンになり、富栄養化に悩む内浦などの対策として効果を発揮する。
この昆布を水揚げして利用すれば、海中の炭酸ガス固定に寄与する。この効果については次回に。

海洋資源にとっての敵である富栄養化には無関心が続く。

2010-04-29 | 海洋産業問題
海洋資源を維持して生態系を豊かに保つことは、人の豊かな生活にとって不可欠なことである。
それには、海の環境を適正に保つ必要があり、人間の活動による大きな変化や汚染は最小に抑えなければならない。
同時に、やむを得ず排出している物質は適正に循環することに配慮して、多くの努力をしなければならない。
今、人類が海洋資源に対して、大きな負荷を与えている【富栄養化】の問題について書いて見る。

この【富栄養化】とは、聴きなれない言葉であるが、簡単に言うと、植物プランクトンにとって栄養となる養分が大量に海水中に流れ込み、植物の生育が盛んになる環境を言う。
生育が良くなるのに、何が悪いのか?と思うのが一般の人の印象であろう。
20年ほど前に、環境省が【地球温暖化】の問題を言い出した時に、『温暖化』などの何やら、やさしい現象が人間にとって何が悪いのか?と受けとられた状況に、似ている。
「地球温暖化」とは、平均で温度が上がるが、実は【気候変動の過激化】が本来の意味である。

では、【富栄養化】するとどうなるか、順番に説明していくと、次の様になると専門家は言う。
生育に良い養分が大量に増えると、まず「植物プランクトン」が異常繁殖して、【赤潮】が大発生する。
その植物プランクトンは、1週間ほどで死んで、海底の凹部や穴にたまり、この死骸をバクテリアが分解して、酸素を大量に消費し硫化水素を発生する。
この凹部の海水は酸欠状態になっているが、これが季節の変動で海水循環が始まると、低層にあった酸欠状態の海水が表面に移動してくる。
この海水はエメラルドグリーンの状態で【青潮】と呼ばれ、これが広がると魚類が窒息して大量死につながる。
このような状況が東京湾や、九州の大村湾などで起こっている現象である。

人類の活動によって大量に発生した[CO2排出]によって、地球の「気候変動が過激化」されて、結果としては、農業や産業インフラへの大きな被害をもたらす。
これと同じような構図が、海洋においても起きているのである。
人類は生活排水や産業排水で、大量に栄養塩(チッソ、リン、など)を海に流し続けている。
これらの量が適度な範囲ならば、自然の生態系によって循環されるので問題にはならない。
しかし、人口が増えて生活が豊かになれば、これらの量が集中的に増える地域が多くなる。

研究者によると、大村湾沿岸から排出される【富栄養源】による被害を防ぐには、沿岸域に【海藻類の生産】施設を造り、年間で120万トンの収穫をおこなえば、【富栄養化】を防ぐことが出来る。
これは、空気中への[CO2排出]分を、「森林の育成と樹木の適正伐採利用」によって、[CO2吸収源]としての、樹木を利用することに等しい。

現在、日本では国を挙げて[CO2排出]削減と、森林の保全に力を注いでいる。
しかし、海洋資源を守る「富栄養化」対策や【藻場の育成】には、まったく目が向いていない。

海洋産業立国を目指すには研究者と藻場をまず育成せよ。

2010-04-28 | 海洋産業問題
日本は世界で最も豊かな海に恵まれた国と言われる海洋国家であり、かっては水産王国となっていた時代もあった。
それが、今では漁獲物の5割も海外からの輸入に依存する状況になって、貴重な外貨を世界中の国から漁獲物を買うために使っている。
世界の3大漁場の位置にあって、排他的経済水域の面積は、450万km2で、世界6番目の広さを持つ。国土は37万km2で、その12倍の広さを持つ経済水域である。

日本の国策として今、食料自給率が40%に下がってしまった現状から、先進国としては常識的な80%までは回復しようとして、まずは50%への向上を目標としている。
その中に、海産物の自給率の向上も含める必要があるが、その具体策は少しも見えてこない。
基本となる施策として、沿岸地域に「人工的な藻場」を育成することを始める必要があるが、これが全く、と言って良いくらいに手がつけられていない。
漁業組合の大半は、その日暮らし的な収穫漁業に追い回されて、次の時代に魚を増やす[藻場]には、とてもお金を投じる余裕がない。

原油が上がったからと言って、政府に対してデモをかけて、それにはすぐに助成金をつけて急場をしのぐ政府関係者は、税金の使い方を間違っている。
また栽培漁業に関係する予算は、1980年の70億円をピークにして減少傾向であり、2004年には、40億円に減ってしまった。
政府の財政逼迫による経費の削減の必要性はあるが、将来に必要な資源となる海洋産業への投資と考えると、この金額の少なさは驚きである。
今、新政権が手掛けている、「独立行政法人」への国費の投入金額に比べると、なんと、ささやかな予算であろうか。

前回に中国の沿岸漁業の隆盛と、海藻養殖による生産量の関係が密接であるデータを示した。
海藻養殖がどれだけ、魚類の増殖と漁獲高に影響するかは、推定出来るほどわかっていない。
それも、海藻に関係する研究の専門家がほとんどいないことにも原因がある。
中国では、水産研究のメッカである山東省青島には、200人の海藻の専門家が取り組んでいる。
しかし、日本では水産教育・研究機関には、1か所に3人以上の専門家がいるところは滅多にない。
つまり、日本のどこにも海藻に関する研究組織はないに等しい。

この状況は、中国では1300kmの海藻ベルト地帯が出来るのに、日本では自然界の海藻の生育に頼るのみで、低開発国並みと言える。
日本の海岸線は3万5000kmにも達し、その4%を藻場にするだけでも、中国の藻場ベルト地帯に匹敵する、魚介類の住処が出来る。
日本の沿岸で育った魚介類と藻類は、必ず現世代と次世代の食料や飼料、そして、エネルギー利用に貢献できる。
藻場を作り、魚類の増殖に効果のある[藻類の研究]と、人工栽培出来る[藻類の収穫と利用]に対して、国や地域がもっと人材育成や事業化への研究投資をしなければならない。
独立行政法人の無駄使いを少し減らすだけで出来る金額で、すぐにでも着手すべきである。

海洋産業を興すには藻場の重要性を認識すべきである。

2010-04-27 | 海洋産業問題
漁獲資源は海における自然界において、持続可能な範囲で収穫して人が利用する。
これを無統制に利用すれば、必ず資源量が減り続けて枯渇する危険がある。
最終的には、人の手で持続できるような仕組みを作り、栽培した資源を収穫する[栽培漁業]に転換していくと、覚悟を決めるべきである。
そこに至るまでには長い年月が必要であるが、出来るところから栽培技術とシステムを創り上げていけば、漁獲資源は人々の必要としている量を賄えるレベルに達するはずである。

その栽培漁業への転換に必要な着手として不可欠な分野は、『藻類』の適切な栽培と管理である。
魚を対象にしているのに、なぜ[藻類の栽培]なのか。
沿岸漁業にとって必要な魚は、近海に育つために産卵場所と幼魚の生育の住処が必要である。
大量の卵を生み、幼魚の段階で大きな魚に食べられないために隠れる場所が不可欠であって、
その格好の住処が、[藻場]なのである。

陸上に多くの生物が住んで、多様な生態系を維持している場所として、森林、熱帯林などの保全と健全な管理が必要なことは、誰にでもすぐにわかる。
しかし、海の豊かな生態系にとって大事な「藻場の保全」は、ほとんどの人に知られていない。
そして、人間の活動が広がるにつれて、海における藻類の生存域は年々減少していき、自然に任せていては、【磯焼け】という状況に陥ってしまう。
これは、水中における藻場(海藻、海草の群落)が著しく減少して、それに依存する魚介類がいなくなる現象をいう。
陸上で、樹木や草木はなくなった土地には、動物類は住めなくなっているのと同じことである。

「森林・樹木を守れ」と言う声は、今や先進国においては常識となっている。
無法に近い国家では相変わらずの森林消失や破壊が進んでいるが、21世紀になっては、森林を保全、健全にすることは「国家の当然の責務」となっている。
しかし、【海の森林とも呼べる[藻場]の保全、育成】については、先進国においてもほとんど手をつけられていない。
漁業を大事にするからには、まずは[藻場の育成]は、いの一番に行うべき責務である。

藻場の育成と海藻養殖は密接な関係があり、それに応じて、沿岸漁業の漁獲量に関連する。
日本と中国の沿岸漁業のデータを参考に引用すると、下記の様な状況である。

 (単位:万トン)  1960年 1980年  1995年  2005年
日本の沿岸漁獲量    250   220   210    150 
中国の沿岸漁獲量    200   320   880    1080
日本の海藻養殖生産量  10    30    40     50
中国の海藻養殖生産量  10    120 400    1100

中国は1990年代に大連から福建省までの沿岸に、1300kmに渡って、昆布やワカメなどの海藻養殖ベルト地帯を作り、年間1000万トン以上の海藻生産を挙げている。
日本の沿岸には、海藻養殖地帯は殆どない。
海がないのではなく、認識がないと言えそうである。

漁業は衰退産業とするのは日本の政策の誤りによる。 

2010-04-26 | 海洋産業問題
「海洋産業立国」の目標を掲げることには、異論がないと思われるが、[漁業の近代化]と言うと、疑問を持つ人が多いであろう。
それは、日本の漁業は戦後の一時期の隆盛時代を経て今では衰退産業となって、だれも未来に期待を持っていないからである。
漁業をライフワークとする人はどんどん減り続けて、就労者も87万人から20万人までになり、その40%は60才以上になっている。

この様に衰退してきた理由には、日本の政策の立ち遅れも大きな原因となっている。
周り中を海に囲まれて、しかも暖流と寒流が混ざり合う地域にある日本は、世界でもまれにみる漁業資源に恵まれている。
かっては水産物の輸出国であった日本は1975年には輸入国になって、今では毎年、400万トンが輸入され、輸入代金は1.8兆円に達している。
これは、石油に次いで2番目に多い輸入品となって、自給率は50%にまで下がっている。

1970年代には、漁港の整備などに年間2000億円を超える公的資金が投じられてきている。
漁港は整備されて世界に比較して、インフラの整備は圧倒的に充実してきた。
しかし、ここにも「コンクリート国家」の面目を発揮して、漁船のいない漁港をたくさん造り続ける様な愚かな政策に固執して、近代化や漁業就労者への投資は、先送りをされ続けてきた。
「コンクリートから人と知能化」への転換が遅れたのである。

それと一部では成果を上げつつある「漁業の持続可能化」への取り組みが、大幅に不足している。
具体的には、養殖漁業への研究と開発、事業の拡大への取り組みである。
今の養殖漁業は、イワシなどの小魚を大量に与える過密養殖池での事業であるが、魚の病気予防やイワシの収穫などの為に、コストはかさみ、広げることが出来ない。
また、最近ではウナギの完全養殖(卵から成魚になるまで)に研究室レベルで成功したと報じられたが、このような研究と事業化への支援が、圧倒的に不足している。

最近の話題になった[クロマグロの乱獲制限の問題]なども、将来は大半のマグロを完全養殖にする方向と必要性がハッキリしてきている。
これも、今後の地道な研究と事業への挑戦が必要であるが、国や地域の支援は不足であろう。

成功した事例としては、北海道のオホーツク海に面した猿払村漁業協同組合による、ホタテガイの養殖である。
1960年にはドン底であった漁業を、ホタテガイの種貝の放流を1000万粒以上の規模で実施して、1974年からは収穫が出来るようになり、以後は豊富な水揚げによって、組合員の平均年収は2000万円を超えるレベルになっている。

この養殖による漁業になる前には、ホタテガイも無統制に近い乱獲競争であったために、ほぼ壊滅の状態であった。
漁業は天然のモノを獲るだけにしたら、必ず枯渇してしまう大事な資源である。
そのためにも、生態の研究と養殖に近ずける事業化の研究が不可欠で、初めて持続可能になる。

経済成長を目指す[目玉戦略]を、大幅に強化すべき。

2010-04-25 | 経済問題
沖縄の米軍基地の移転を巡って、日本中が大騒ぎの様相を呈している。
沖縄県の人たちにとっては、大きな問題であるが、それを持って日本がひっくり返る様な事態にはならない。
むしろ日本がここ20年くらいの間、「国の立国の目標」を定められないで、グローバル経済のなかで漂流する様な状況が日本の元気をなくし、あらゆるところに歪と停滞を引き起こしている。

本日のテレビ番組(テレ朝)で論じられていたが、事業仕分けや、高速道路の建設促進か値下げかの政治家の論争は、20年間の停滞と妥協の連続を、また繰り返す様な兆候を感じてしまう。
昨年の末に政府の経済成長戦略が発表されて、今、詳細を検討中で6月には具体策を提示するとしているが、本当に腹をくくって取組む意思があるのか、見えてこない状況である。
目玉政策として、「環境とエネルギー」、「介護と医療分野」、「観光産業」と上げているが、思い切った基本政策が打ち出されるのか、注視していきたい。

これに、『情報通信、知能化産業』を加えるべきだ、と言う主張が、ソフトバンク社長の孫正義氏から、提言されている。
電子教科書への移行を政策的に実施すれば、3400億円の初期投資で全国に拡大出来るし、その後は教科書代程度の400億円で、維持、改定が出来るという。
世界で電子書籍時代に突入する時代であり、電子化の流れは必須であるから、教科書に取り入れる案はおおいに研究すべきであろう。

2000年初頭の森内閣のときに、日本は「IT産業立国」を目指すと打ち上げた。
しかし、[IT]を「イット」と発音するリーダーの無知な状況の日本では、とても世界の最先端を行く政策は打ち出せなかった。
アメリカの情報ハイウエー構想の様なスケールの大きい政策にはならず、民間企業も政府の及び腰な政策に引きずられて、投資を控えめに計画した。
韓国などの『国策としての情報産業』に力を入れる企業に、圧倒的に引き離されてしまった。

日本中のどこにいても、動画が見れるレベルのインターネット通信網が期待されているのに、いつ実現するのかも怪しい状況である。
近親者や親しい友人などともインターネット電話(スカイプなど)が通じる地域は限られている。
情報通信のインフラは、10年近く、遅れてしまっているのが現状であろう。
しかし、この分野は、国の立国の目玉にはならなくても、取り戻さなければならない分野である。

経済成長をけん引して、地域社会に雇用とお金を生み出す「新産業」を育成しなければならないことは、今では誰でもわかってきている。
「官から民へ」の掛け声だけや、「大企業優遇の法人税減税」などでは、「新産業」は生まれない。
新政権が掲げた「3分野」だけでは、1億2千万人の豊かな生活の維持、向上には不足である。

まずは、『海洋に恵まれた立地を生かした、海洋産業立国』を目指す。とすべきである。
最初には、圧倒的に遅れている[漁業]の近代化により、自給率向上を目標とする必要がある。
そのための研究や調査を強化し、すぐにでも始めなければならない。
やるべきことは多い。

前政権の無駄の後始末、政策決定の迷走、低次元の選択か?

2010-04-24 | 経済問題
行政刷新を狙った[事業仕分け]の第2段が開始されて、マスコミ界はおおきく採りあげている。
昨年の事業仕分けは、前政権が実施しかかっていた、補正予算の執行をどう扱うかの問題が主で、無駄と判定した事業を中止して、財源を他に回すことが狙いであった。
泥縄的な場面もあったが、それなりの効果が出て、「政権交代の実績]としてアピールし、閉塞感と官僚組織の腐敗に嫌気がしていた国民の喝さいを浴びた。

国費の無駄使いをなくすことは当然であるが、明らかに無駄とわかるモノは限られている。
むしろ、今まで放置してきた前政権の「後始末をしている」だけであって、次の段階に進めるには、もう一度、原点に立って良く考えるべきである。
事例として[宇宙産業]の課題と今後を採りあげたが、素人が考えてもおかしい状況である。

国際宇宙ステーション事業に参画することの意義はあるにしても、これでは[パフォーマンス]の効果しか期待できない。
これを続けることで、新技術面での躍進が期待できるのか。
その技術をもとにして、新産業が引き起こせるのか、他の産業に波及効果を引き起こせるのか。
新産業になるにしても、それによる日本人の雇用創出に貢献できるのか。
などなど、疑問点だらけであり、借金まみれの日本国政府が、貴重な税金を投入して続ける意義は全く少ない。

しかし、このような科学技術、研究開発に対して、今の[事業仕分け]イベントが、効果を発揮出来る様には思えない。
独立行政法人の入っている建物の家賃が割高であるとか、関係者の交通費が高いとか、顧問扱いの人の経費が(庶民感覚でみると)バカ高い。などなど、低次元の粗サガシになってしまう。
それは必要かもしれないが、政治家が関与してやるべき作業ではない。
財務省と会計監査の領域の仕事であり、行政刷新の課題とは方向がずれている。

各政党と政治家は選挙によって国民から選択されている。
当たり前の話であるが、その選択の根拠は、[政権公約](マニフェスト)である。
この公約に書いてあること最優先で実行して、次の選挙までに取り組んできたプロセスを評価して、同じ政権を選ぶのか、政権交代をさせるのか民意が反映される。

ひとつの方向性を例に挙げれば、エネルギー面では「化石燃料依存を重視する社会」と『脱化石燃料・再生可能エネルギー社会』を目指すのと、どちらを選択するか。
また、「宇宙産業立国」を目指して、ロケットの開発を続けるのか、『海洋産業立国』を目標にして、「漁業、海洋養殖産業、海洋エネルギー産業」の面で世界に先頭に立つ。どちらを選ぶのか?
このような争点を国民に前に明らかする「国家戦略」を提示して選挙に臨むことである。

選挙に臨んで、「政権公約」を明確にしない政党は、選ぶに値しないことは明らかである。
政権の迷走ぶりを批判する前に、自分たちの政党の『日本立国の目標』が第一番に必要である。
現政権での一番に取り組むことは、国家戦略室の機能を大幅に充実して戦略目標を出すことだ!

事業仕分けの前段階に国の目標があり技術戦略を立てる必要。

2010-04-23 | 海洋産業問題
将来に向けて豊かな環境と資源に支えられて、安心な暮らしが出来る社会をだれもが望んでいる。
日本では、昔からモンスーン帯に位置した気候に適応して環境のなかで、豊かな自然に恵みをうまく利用してきた。
これから方向として、「環境先進立国」を目指すという目標は多くの人が共感している。
しかし資源の面では経済の拡大と生活レベルの向上により、日本では全く不足する状況になっている。
食料とエネルギー分野の自給率の低さが大きな懸案となって、この改革に取り組む必要がある。

一方、その支えとなる科学、技術、事業化の面では全く不足していると言える。
特に日本においては周囲を豊かな海に囲まれているのに、漁業を旧態依然たる状況に放置して、海外からの輸入に頼る様な事を続けている。
先日書いた様に、宇宙産業の夢を追い続けることには力を注いでいても、身近な海洋資源については、ほとんど軽視している。
海洋資源としては、まず食料面での自給率の向上と生産性の改革によって、経済的な面でのレベルアップを図るべきである。

それには、どうやって行けばよいのか?
まず日本は、『海洋産業立国』を目指すと方向性を決める必要がある。
「宇宙産業立国」の目標は、逆立ちしても達成出来る方向ではないことは、ここ数日に書いてきたので、論じる必要もない。
長期の立国目標とそれに向けての科学・技術・事業化における課題を継続的にリードし、支援するのが[研究機関]であり、ここには国の税金を投入して強化しなければならない。

昨年の新政権の事業仕分けにおいて、国費の投入先の研究機関のお金の使い方が議論に上った。
中には、一番手を目指すという、研究機関の言い分にたいして、「2番手ではダメなのか?」という、素朴な質問が出されて、マスコミでも話題になった。
取組の姿勢としては、先端をめざす研究者や技術者は、一番手を目指さなければならない。
2番手以下は、常に先行者の後追いに終始し、いつの間にか、追従癖ができてしまって、新しい領域にチャレンジする精神を失ってしまう。

何事に取り組むにも、心意気としては1番を目指すべきである。
問題は、すべての面で1番を目指すこと不可能であるから、どの分野で先頭に立つか?の選択をすることにあり、個人でも企業でも、地域自治体、国においても同じである。
日本は、耐久消費財の自動車や家電の分野で世界一流の技術を開発し、事業展開を世界に広げて貢献してきた。
今は、次世代の日本の柱にするべき産業を強化して、次世代に豊かな生活を引き継ぐ責務がある。

ロケットを打ち上げていても、1番には絶対になれないし、経済的にも成り立たない。
30年~50年先に向けた[国の立国の目標]を掲げることで、中期の科学・技術の達成目標を掲げることができる。
研究機関への税金投入に対する理解が得られるには、国の目標がでてから、仕分けはその次だ!

日本の有識者は専門に閉じこもった展望しかできないのか。

2010-04-22 | 暮らし・健康問題
日本の海洋関連の研究や調査が必要なことは、誰にでも理解できるでしょう。
日常の暮らしに直結する海産物資源の恵みを、大量に利用させてもらっている自然界に感謝しなければならない。
また、海洋の生態系を維持しながら、有効な生物資源を持続的な採集方法で生活に利用していく産業も大事にしなければならない。
それにも拘わらず、海洋関連の研究や調査にかける費用は圧倒的に少なくて、宇宙産業に比較して軽視されている。

そこで、宇宙産業関連への研究投資を一時、すべてストップして、見直しをすべきだと、[暴論]を書いたが、これは暴論ではなく、正論であると思う。
政府の税金の使い方の仕分けとして天下り先になっている組織の宇宙産業も対象になる。
「今後の宇宙政策の在り方に関する有識者会議」が、宇宙庁の創設や日本独自のロケット開発の必要性などを盛り込んだ提言を、20日に前原宇宙開発担当大臣に提出したと報道された。

月探査計画については「必要性を再審議すべきだ」とし、国際宇宙ステーション計画は「費用対効果・出口戦略を明らかすべきだ」として、2016年以降の運用延長に慎重な姿勢を見せている。
その一方で、「日本が独自に宇宙に行ける能力」を掲げ、ロケット開発を継続的に進める必要性を盛り込んでいる。
国の宇宙予算を増やさずに民需を拡大していくためには、省庁横断的な宇宙庁(仮称)の創設が必要としている。

この宇宙関係の専門家に言わせれば、宇宙予算を削減することなど、提言するわけがないから、このやり方は間違っている。
世界の動向と日本の今後の50年間を長期で展望すれば、宇宙の探査や開発には取り組みの速度を落とさざるを得ない。
それこそ、宇宙関係は1番手になる必要はないし、宇宙産業などは日本では無理である。
一時期は人類が背伸びして宇宙に足を伸ばそうと言う「夢の実現」には、おおいに意義があった。

しかし背景には、大気圏を制覇すれば軍事的に有利になるという、大国の思惑がほとんどであって、軍事予算として、アメリカ、ソ連で大金が投じられてきた技術的な蓄積がある。
純粋に民間の必要性では、とても投じられる金額ではないことは、明らかである。
宇宙関係の専門家は、この冷戦時代の背景認識が少なく、バブル経済時代の潤沢なお金の投入が出来た時代の感覚から抜け出ていない。
だから、現在の緊急の課題である、地球環境問題や食糧問題、世界的な経済停滞(先進諸国において顕著)に対する、展望もないままに、宇宙にしか目がいかない感覚での提言となっている。

なんで、「日本が独自に宇宙に行ける能力」を獲得しなければならないのか。
それ以前に足元、身の回りの水面と海面下の世界すら、十分に探査もしていないのに、月はもとより、宇宙に足を伸ばそうと言うには50年早いであろう。
事業仕分けにより、宇宙産業関連の国の予算は2016年以降はゼロを目指すべきである。

調査研究の重点を海洋資源に転換せよ!宇宙は後回しに。

2010-04-21 | 海洋産業問題
日本は周囲を豊かな海に囲まれて、世界の中でも海の恵みを受けている豊かな国である。
その恵まれた海は、国際的には200海里に渡って、閉鎖的経済水域として海の資源を利用する権利を認められている。
この面積は大変に大きく広がり、世界でも6番目の海洋面積を保有している、『海洋国家』が、日本の真の姿である。

この日本に与えられた豊かな資源と海域を、次世代、次々世代にわたって、豊富で多様性に富んだ海産物資源を持続的に保全していかなければならない。
同時に、持続的に利用可能な資源量を適正に収穫して、現世代の生活の豊かさに寄与する様に海産物産業を進化させるのが、日本社会にとっても重要なことである。

それにも拘わらず、海洋に対する関心は薄く、海産物についても、世界のどこからでもお金の力に任せて、買いまくる様な食料政策をとってきた。
前回に書いた「クジラ資源」は、19世紀に欧米の捕鯨国が、ひどい状態の乱獲を繰り返してきた。
日本は捕鯨については、伝統的に沿海部で、クジラを大事に捕獲して、100%利用してきたが、欧米式の捕鯨技術を導入して、乱獲競争に参入してきた歴史がある。
アメリカなどは鯨油をとるだけで、後は海洋に捨てていた様な略奪的な利用状況であった。

今になって、アメリカなどの白人国家は、鯨油はいらなくなり、牛肉を主食とするようになって、捕鯨を禁止するべきだと、勝手な言い分をごり押ししている。
しかし、クジラは絶滅する恐れがある種類が多数あることは確かであり、一時的にも、捕獲を禁止、制限する必要がある。
今後も地道な調査を継続していき、持続的な捕獲数と利用方法を真摯に研究するべきであろう。

日本は、クロマグロなどの天然の大型魚類を、世界中の地域から輸入して利用している。
それなのに、漁業資源に対する調査や海洋生態系に対する研究は、はなはだ不十分な状態である。
マグロを将来は養殖漁業にしていくにしても、えさになる小型の魚類は、天然種を利用することになり、近海の漁業資源の豊富さが、その支えになっている。
日本人の食生活にあった動物蛋白質であり、日本食文化の中心となる魚類や海産物について調査はどうなのか。
重要な課題の持続的な利用という観点での研究は、圧倒的に少ないと言える。

ところが一方では、宇宙に向けての研究となると、何やらいろいろな名目で、税金を投入しての事業や研究が盛んに取り上げられる。
海洋に対する関心の薄さとは大きく違って、宇宙産業関連となると、大企業から官庁関係までが、天にも昇るかのような勢いで、威勢の良い企画をぶち上げて、国の予算を振り向けるし、天下り先をドンドン作ってきた。

この際、事業仕分けを徹底的に、集中的に宇宙産業関連に焦点を当てて、当面はすべてと言っても良いくらいに中止に追い込んで、税金投入を海洋関係に転換してもらいたい。
まずは身の回りの、生活に直結する海洋資源の調査研究に重点を移すべき段階にきている。

野生生物は適正な生息数に間引きすることが正当である。

2010-04-20 | 海洋産業問題
漁業は有限な生物資源を適正な管理のもとに収穫して、利用する体制を作ることが不可欠である。
そのためには、生物資源の量と生態を把握して、持続的な生存数を管理できるようにしていかなければならない。
欧米の動物愛護のような偏った思いを世界の標準にして、捕獲禁止を決めようと言うのは、傲慢であり詭弁であることは明白である。

陸上においては、山林の樹木を荒す鹿の食害が問題となっている。
これは哺乳類である野生の鹿を殺してはいけない、などと言うのは馬鹿げた主張も要因にある。
食害を起こすほど増えすぎた野生動物は、適正な管理のもとに捕獲数を決めて、間引きをしなければ、それこそ他の植物、動物類に大きな影響を及ぼして、生態系のバランスを崩す元になる。
野生動物にたいしては、動物愛護論は持ち込んではいけないのである。

ところが、オーストラリアは哺乳動物であるからという理由で、クジラの捕獲禁止を主張して、日本を提訴するとしている。自国においてはカンガルーが増えすぎて、草地をくいつくして貴重な植生が脅かされ、ある種のトンボやバッタ、ガなどが絶滅に危機になっている。
動物愛護を言いながら、カンガルーの毛皮や食肉は世界中に輸出される商品となっている。
増えすぎた種類を間引きして、適正な頭数に管理するのが、貴重な生態系、植生を持続するうえで不可欠な作業であり、国の管理の問題である。

クジラの場合は、公海上の野生生物であるから、増えすぎた場合をどのようにして、持続可能な状態に管理するかが、国際的にも重要な課題となる。
これをキチンと決めていくのが、国際捕鯨委員会の様な場であろう。
しかし、一部の先進国でクジラを利用する伝統がなく、必要もない国が、動物愛護的な論調を持ち込むことで、弊害が目立つようになっている。
その偏執的なクジラ愛護は、漁業資源の適正な利用の道を捻じ曲げてしまう。

増えすぎて植生を荒す鹿やカンガルーを、適正な頭数に間引くことは、必須のことである。
同じ様に、増えすぎるクジラは、漁業資源を大量に食することで、人間が利用出来る漁業資源を大きく減らすことになり、世界で飢えている人々への食糧にもなりうる漁獲資源を、クジラに与えていることになる。
野生動物愛護の欺瞞性は明らかで、人よりもクジラが大事とは、あり得ない話である。
問題は、クジラの持続的な利用を可能にする適正な生存量と、捕獲の方法に絞られるであろう。
そのためにも、調査捕鯨の方法を改良していく必要がある。

先日、クロマグロの生存数が激減しているので、大西洋のクロマグロの取引を禁止しようとの提案が出された。
これは、EU諸国の間では商業取引が出来るのに、他国には禁止しようという、まことに身勝手な提案で、早々に否決をされたが、白人という人種は、恐るべき身勝手さを備えている。
だが、それとは別に、クロマグロなどの大型に魚類は、今の様なわれ先の漁獲競争にさらしていては、絶滅の危険信号がともるのは当然である。
クジラより、クロマグロをどう保護するかだ!

日本の海洋資源を持続的に利用する為にクジラを捕獲。

2010-04-19 | 海洋産業問題
日本は海洋資源に恵まれて、海産物の利用が大昔から盛んであった。
最近になって、この海産物に対する新興国の需要が高まり、資源の減少と価格の上昇途が顕著に表れて、問題となっている。
その中でも、天然マグロとクジラの問題と採りあげてみたい。

まず、クジラ問題については、国際捕鯨委員会という国際機関で、議論が続けられてきた。
1948年に始まった会議では、当初は捕鯨国の秩序ある捕鯨産業の発展のための活動をしてきたが、乱獲の影響もあって1987年からは、[商業捕鯨を一時停止]することが採択された。
クジラ資源の中で絶滅が危惧されるシロナガスクジラなど、保護を必要とする種類が多数あることが解り、データを集めるために南極海や北西太平洋で調査目的の捕鯨を始めた。

その結果、世界に生息するクジラは46万~69万頭であるとの合意が出来る状態になった。
同時に、ミンククジラの様に、絶滅が全く心配のない生息数であり、繁殖率が4%程度であるので、その範囲の捕獲数でクジラを利用するのは資源保護の観点から望ましいことである。
クジラは大量の小魚類やオキアミ類を捕食して成長している。
その量は、人間が食べる漁獲資源の7倍程度に達すると言うデータもある。
また、クジラ類での競合もあり、生息頭数の多い種類のクジラを捕獲して数をへらせば、絶滅に近づく種類(ナガスクジラなど)にとっては、助かることになる。

これらの調査に大きく貢献した日本であるが、世界からは「商業捕鯨をするために隠れ蓑として調査捕鯨を主張している」と非難をされる。
これは、偏った動物愛護に染まった団体や、混乱させるのが目的の団体など、話が通じない相手との、対決する醜い争いに見られて、日本の国益を損なってしまう。
世界の資源問題に貢献しながら、批判を受ける羽目になる日本の進め方は拙劣と言えるだろう。
このことは、2010年2月6日、7日に書いてきたが、なぜ、このような事態にさらされるのか。

それは、元水産庁の捕鯨問題に当たった、小松正行氏(朝日新聞、2010-4月17日朝刊15面)の言い分に理由があると思える。
「科学的データを基に持続可能な利用を話し合う」ための場が、「国際捕鯨委員会」である筈なのに、議論がかみ合わないという。
「販売目的の商業捕鯨をするために調査捕鯨でデータを集める。」このことは国際条約で認められていて、その「経費を賄うために、捕獲した鯨肉を売る」ことも認められている。

これが言い分であるが、もうこの理屈にこだわっていては、日本はマスマス不利な状況に追い込まれるのではないか。
まず「商業捕鯨」を再開する為に、と言う主張を転換すべきであろう。
[商業]と言う言葉には、「金儲けのために」と言う、隠れた意味合いがあり、最近は金満対質の産業界に対する不信感が増大しているから、マスマス否定的にとらえられる。
この商業捕鯨の再開と言う目的をまずひっこめるべきであろう。
本来は世界の漁業資源持続的な利用と生態系保護のために、調査捕鯨を継続する。(以下次回)

開発途上国に盗難にあう恐れのある核物質を広めるな。 

2010-04-18 | 核エネルギー・原子力問題
核兵器の拡散防止は世界中の最も優先すべき課題である。
それに加えて、先日の「核保安サミット」は、世界中に広がってしまった核物質をテロ組織の手に渡ることを阻止する狙いであるが、考えただけでも超難問である。
世界中には、23万発分の核爆弾に相当する核物質があり、これを一発分といえども、盗まれてはならない。

オバマ大統領は並々ならぬ決意で、4年間で世界が「核物質の管理体制」を構築することを目指そうと訴えた。
鳩山首相は、最後列の端っこに並ぶのがやっとの様で、「核兵器の廃絶」を国是とする日本に代表としては、まったく存在感がない。
核保安サミットに合間に、ベトナムなどの途上国首脳に対して、原子力発電所の建設を日本の企業に受注する様、セールスマンを務めることにいそしんでいる有様である。

この原子力発電所は、途上国の様な管理体制が不十分と思われる地域に建設されると、どのようなリスクがあるのか、売り込みを計画している企業は検討をしていない。
企業が設備を売り込んだ場合に、その運転状態において、盗難があったからと言って責任を問われることはない。
だから盗難防止は、設備を導入した側の責任であり、受注して設備を建設した側には、そこまでリスクを負うことは一切ない。というのが言い分であろう。

だがその盗難を防ぐためには、考えられるあらゆる方策を想定して、そのすべてに渡って監視体制を作らなければならい。
たとえば、ベトナムの様な新興国であるならば、イスラム過激派の行動もかなり自由な状態にあり、その活動を監視して、不審な行動を察知して予防することは不可能に近い。

アメリカの様に、911テロ以来のテロ組織対策を実施している国でも、核物質の盗難防止は大変な警備が必要である。
日本においても、原子力発電所の周りは、海上保安庁などが海から監視して防護に当たっている。
この経費は原子力発電を設置したために余計にかかる費用であるから、国は電力会社に警備費用を請求するのが本来であろう。
電力会社は、原子力発電の発電コストは、この警備にかかる費用を国に払わず、タダ乗りである。
本来は負担すべき経費を国におぶさっているのだから、補助金をもらっているのと同じである。

また、原子力発電大国のフランスやアメリカでは、この警備に必要な費用は「核兵器を保有」しているから、それほど余分な負担ではない。
しかし、日本は核兵器はゼロであるのに、原子力発電所を増設してしまったために、核爆弾で1145発分もの核物質を保有する羽目になってしまった。
日本が今以上の原子力発電所を増設することは、このリスクをさらに大きくすることになる。
そして、途上国に原子力発電所を売り込むなどは、責任感のない悪徳商法に近いと言える。

森林資源に恵まれた日本が、森林破壊をすすめている。

2010-04-17 | 森林・林業
日本が世界の中では森林資源に恵まれた国であることは、多くの人が知っている。
しかし、その恵まれている筈の森林が、ここ30年ほどの間に林業の衰退で放置されているところが増えて、半分以上が手入れ不足の不健全な森林になっている。
林野庁は国有林の維持・管理でさえも失敗だらけで、多くの税金を投入し続けても、効果が上がってこない状況であった。

1997年の京都議定書の交渉過程において、この森林の「CO2吸収機能」を、「CO2排出」を削減した量に算入するかどうかの議論が行われた。
その結果、適切な森林保全の手入れが行われている森林ならば、「CO2吸収機能」が維持されていると言えるので、日本は3.8%分の「CO2吸収機能」を認められた。
つまり、手入れをしている森林というのが条件であった。

当時の自民党政権は、京都議定書に関しては、たいして重みおかない政策に終始していたので、
森林に対する配慮は何もしてこなかった。
林業は衰退するに任せて、だれも重視していない状態が、6~7年続いていた。
民間の山林主は経済の停滞もあって、林業に投資することはせず、ほとんどが放置状態であった。

2005年頃からやっと、このままでは森林吸収源の機能を認められない状況に陥るとなって、政府関係者も騒ぎだした。
最小限の森林の手入れの為には、税金を使ってでも、手入れを実施しなければならなくなった。
放置されている林業地を手入れするには、密植されてヒョロヒョロに育って枯れ始めている樹木を、適正な密度に間伐をすることである。
そこで、手入れ遅れ人工林の間伐実施に補助金を出す制度が始まった。

林業の従事者は最盛期からは大幅に激減して、現在は5万人程度で多くの人が高齢化している。
いきなり仕事量が増えても、応じられる状況にないので、新規に建設業、土木業の業者が臨時の賃仕事稼ぎに、林業に入ってきた。
同じような機械を使っている様に見えても、土木業と林業は大違いである。

間伐作業は、どの樹木を伐るのが良いのかは、自然条件や地形を勘案して、樹木の生育状況に配慮して上で伐採する必要がある。
また間伐材は生育不良の樹木が多く、山から集材して運搬しても、経費がかかり採算が合わない。
必然的に伐採しただけで、山林に放置することが大半であり、切り捨て間伐と呼ばれ評判が悪い。

これに対して林野庁は、間伐材を運びだすことを条件につけて、補助金をつける様にしていった。
そうなると、伐採業者は運び出しても市場で売れる生育の良い樹木を選んで伐採して、不良樹木を残す様な仕事をして、補助金の獲得が目的の様な悪徳林業を実施する様になってしまった。
森林が「CO2吸収機能」どころか、伐採後の放置樹木が腐敗で「CO2排出源」となったり、優良木ばかりを伐採した残りの不良樹木が倒壊して、林地の土砂崩れをおこすなど、森林破壊を進めることになってしまっている。
このような「新林資源放置国家」の事態を招いたのは、いったい誰の責任なのか。

京都議定書の公約は守れる見通し、だが実態は問題だ。 

2010-04-16 | 環境問題
日本の国際公約である「温室効果ガスの排出削減」の実績が、環境省から発表され、2008年度は12億8200万トンだった。
これは、1990年比で【1.6%増加】になり、2008年~2012年の5年間に平均値で、6%削減を目指す目標に対して、大きく上回っている。
ただ、国内の森林が吸収した二酸化炭素(CO2)量や、他国が減らした量(排出枠)を買い取った分は、削減量として算入できる。

2008年度は【森林吸収分で3.5%を削減】出来たことになる。
さらに、海外での削減分を【政府が購入して1.6%削減】と計算し、電力業界が自主的に【購入した海外削減の排出枠が5%分】として、これらで差引すると8.5%削減ということで、削減目標は「達成した」計算になる。
2009年度は、さらに世界経済の急激な落ち込みを受けて、企業活動が停滞したために、さらに削減量が増えるので、「京都議定書」の公約は守れる見通しであると言う。

環境省は、景気の回復によっては排出増加もあるので、省エネによる削減努力を進める必要性を訴えている。
しかし、よく考えて欲しいのは、削減目標を守ることは必須であるが、日本の経済が落ち込んだ結果で削減が進んだり、国民の働きによる資産が海外に流出することで達成しているのでは情けない事態である。

まず、政府が率先して省エネルギー政策を実行して、省エネへの設備投資を活発にするならば、各方面への波及効果によって、日本の経済活性に貢献出来る筈である。
それにも拘わらず、省エネルギー投資を惜しんで税金を使わずに、海外の削減分を購入して済ませることは、国民が納めた税金を有効に使っていないことになる。
海外にお金を流出させることは、日本経済にとっては、無駄な税金の使い方の典型になる。

そして、電力会社の責任問題があり、これは原子力発電への過度の依存が原因である。
電力業界の自主的な目標値(経団連自主行動計画による)を設定して、削減に向けては、産業界が自主的に行動して達成するから、との言い分で削減の義務付けを回避してきた。
それが、原子力発電にまつわる不祥事と事故で、自主計画の約束は反故同然となってしまった。
やむを得ず、電力業界では削減目標に届かない分を、海外の排出削減分を有償で買取ることにして、つじつまを合わせたのである。
しかし、このお金は、電力会社の経費として算入されて、結果的には電力料金に上乗せされる。
つまり、電気料金負担者、国民にツケを回しているのである。
電力業界関係者が責任をとって、給料カットをして負担したわけではない。

さらに、「森林吸収源」としての削減分は、日本の森林行政の失敗の影響で大幅に手入れの遅れた林業地に対して、間伐実施などの補助金を大量に当ててきた。
削減量の為に、どうにか間に合わせたのが実情で、もちろん国民の税金を投入しているのである。
林業への補助金が効果的に使われるならば良いが、問題だらけの実態である。(以下、次回)