庵KM

技術屋OBの環境問題独り言

経済問題。交通問題。健康問題。そして、日本の国創り問題。快適社会問題。

またまた聞こえの良いスローガン「平成の開国」に惑わされる。

2011-01-31 | 国創り政治問題
中身が良く説明されないままの「平成の開国」というスローガンが、横行し始めている。
管直人首相は、施政方針演説で日本の活性化は、第三の開国が必要であり、自分は歴史に残る仕事をする姿勢を貫く、と勇ましく宣言している。
国内だけでは物足りないのか、わずか6時間の為に、スイスのダボスで開かれた「世界経済フォーラム年次総会」に参加して、「開国と絆」と題した講演で自由貿易を推進し、各国と経済連携を深めることで、「第3の開国」を目指す決意を表明した。

海外に向けても国の方針を明言したのだから、そうは簡単には撤回しないであろう。
だが、自由貿易の中身はまったくこれからの議論となっている。
民主党は、総選挙の公約で「環太平洋パートナーシップ」( TPP)への参加方針は一言も触れていない。
今年の6月までに、参加の意思の可否を政権内で決めると言明しているが、これは当然、参加表明の前に、総選挙で国民に信を問うつもりであろうか。
自民党もそれまでに、明確な開国の方針と内容を提示して、国民の選択の機会を提供するべきであろう。

菅首相は、TPP参加によって農業が壊滅するリスクを指摘する反対論者にたいして、2者択一の立場ではない、と言っている。
TPP参加によって、関税ゼロ化に向けて、農業を自立できるように並行して進める方針だ。
だから、どちらを犠牲にするとかいうわけではない、と説明している。

この認識は非常の危ういものがある。
日本の農業の自立問題は、そうは簡単には方向性も決められず、しかも30年以上に渡って国のの手厚い保護政策にも拘わらず、ずっと補助金漬け、無駄な公共事業などの積み重ねで、慢性の病気状態に陥っている。
それを、莫大な予算を投入する「戸別所得補償制度」を掲げただけで、後は何の自立政策もなく、関税ゼロ化を10年以内に達成しようという、意気込みだけのスローガンにしか聞こえない。

鳩山内閣が、アメリカの沖縄駐留米軍の普天間基地の移設問題で、中身の難しさも知らずに、
「2010年5月までに、国外、少なくとも県外移設の方針を決める。」と意気込みだけで動き出し、
最悪の妥協策に追い込まれた状況に酷似している。

民主党政権は、中身の分析や具体策の詰めが非常に甘いことが露呈している。
総選挙の公約で言い切った、「税金の無駄使いと天下りを根絶」、「総予算207兆円を全面組換えして16兆円の財源を生み出す」など、国民に聞こえの良いスローガンを並べて、総選挙で選ばれた。
まだ1年半しかたっていないのに、この大きなスローガンは、完全にほころびている。

「平成の開国」などとカッコツケの言葉に惑わされないで、本当の課題は、国内農業の長期的観点に立った、自立政策が基本にあることを認識すべきである。

新産業の資源は日本の海底で確保する戦略的取組が必要になる。

2011-01-30 | 海洋産業問題
昨年の中国との紛争において、日本が将来の新産業として重要視していた分野の技術が、実は中国産の「レアアース」資源に依存している事が露呈した。
中国は日本への圧力を強める策略として、この希少の資源輸出を制限する嫌がらせを実施した。
日本は急いで、他国でも生産できるところを探して、調達先を分散化させることに転じたが、輸入依存であることには変わりはない。

日本の近海には、このレアアース類を多量に含んだ海底鉱床が多数、存在している。
この鉱床は、ブログの2010年6月8日~10日にかけて詳しく紹介したが、1997年に存在が確認されている。
現在はこれらの海底熱水鉱床は、10か所以上も存在が確認されて、2012年度までの第一期を、資源量を評価し、資源開発技術、精錬技術の開発研究を進めている。
この開発に当たっては、環境影響を最小限にする技術を研究開発する必要がある。

2009年には、沖縄沖の水深400~600mの海底に熱水鉱床が発見されて、実用化する可能性が高まってきた。
しかし、掘削技術や精錬技術の改良を加えて、生産コストを引き下げなければ、民間ベースに移管して事業としての自立、拡大にはつながらない。
2013年度から2018年度までを第二期として、新鉱床の発見と技術改良を続ける計画としている。

だが、日本の政府系の組織における研究・開発は、いつも計画倒れや遅れが常態化している。
政権党の得票にもならない「長期的な技術開発」などは、片隅に追いやられて、研究予算はホソボソとした状態に置かれる事も原因となっている。

今回の菅内閣の姿勢方針演説にも、平成の開国の掛け声ばかりが目立つ「自由貿易依存の姿勢」が見受けられ、国内での資源を有効に活用する姿勢は、一向に見られない。
日本の海洋資源には、何も触れていないで、レアアース問題は、供給源を他の国にも広げることしか眼中にはない。

国の豊かさと健康的な暮らしは、国土、領海、EEZ(排他的経済水域)で確保できる資源を基にして、高度な産業化を図らなければ成り立っていかない。
日本は何時も資源のない国だから、貿易立国、加工貿易によって国民の生計を成り立たせなければならない。と戦後の民主主義教育で徹底的に教え込まれた。
これは、1980年代までに達成して、その時期を終了している。
だが、政治家、官僚、学者、教育者、科学者までもが、1980年代に思考が停止してしまった様である。

グローバル化した世界では、自由貿易化は国の発展を阻害する可能性の方がおおきい。
それを防ぐには「戦略的自由化」であり、ベースには自国内での資源を有効に活用できる『新産業の自立的拡大』が、基盤となっている必要がある。
この新産業にとって、「海洋資源の開発」が最も期待される分野である。

日本の海洋資源の開発可能性を示して、確たる海洋国家をめざす。

2011-01-29 | 国創り政治問題
昨年の重大ニュースに日本人がほとんど知らなかった「尖閣諸島」の中国漁船衝突事件があった。
真相はまだ解明されていないが、表向きは中国の漁船が日本の領海で不法操業を繰り返していた事態を、日本は取り締まりが緩かった為に、常態化していた。
中国の漁民からすれば、日本は何も漁業をしていないのだから、自分たちがその漁業資源を生活の糧にするのは正当な生活防衛だ!と言いたい感覚であろう。

日本の海上保安庁が拿捕して、取り調べをすることが世界的に見ても、まったく治安維持の正当行為であるにも拘わらず、中国政府は国民の偏った感情論におされて、日本政府の対応に強い抗議の姿勢をしめした。
その大義名分として、はるか昔の領有していた時代の権利を持ちだして、単なる領海侵犯・不法操業問題を、領土問題に格上げする事を狙って、騒ぎを大きくすることで仕掛けて来たのである。

日本政府は慌てふためいて、船長を何も措置なしに釈放し、挙句の果てに証拠となる衝突現状の映像を秘密扱いにしてしまった。
まんまと中国側の画策に載せられてしまった、というのが真相ではないだろうか。
日本政府は粛々と国際法と国内法にもとずいて、適切な処分を決めたうえで、実施の段階を緩やかに刺激をしないで進めて、世界の国の論調を日本の正当な行為を支持する様に仕向けるべきである。

これは表向きの話であって、これだけで済むわけではない。
尖閣諸島周辺の海域には、埋蔵量の豊富な油田がある可能性が高いことが1969年の海底調査で発表されている。
その頃には、石油は安値で大量の出回っていて、日本は石油輸入に依存していたが、将来の場合に備えて、埋蔵量の調査を実施した。
その結果、海底油田の推定埋蔵量は、1000億バレルを超える事が判明した。
これは、世界第二位の石油埋蔵国イランの全石油埋蔵量に等しく、今の原油価格で700兆円に
相当する。

中国は1980年代に独自の調査を行って、尖閣諸島の海底には、700~1300億バレルの石油埋蔵量があるとしている。
2000年代になって、経済発展を著しく遂げている中国にとっては、尖閣諸島の領有権を主張することは、エネルギー需給がひっ迫する情勢にとっては、重要課題である。

この様に海洋に眠る資源は、莫大な価値になる石油をはじめとして、日本の大事な財産であるにも拘わらず、特に力も入れないで、安閑としているので、中国の様な石油資源に飢えた国に、あらゆる機会を狙われる。

それを防ぐには、すぐにでも長期開発計画に着手するくらいの姿勢を示すべきであろう。
そうすれば、中国政府も尖閣諸島の領有権を表から要求する様な愚かな言動はしない筈である。
20年、30年先の海底開発も視野に、尖閣諸島周辺の漁業をまず健全にするべきである。

1980年代の思考レベルに停滞した政界、財界、科学技術。

2011-01-28 | 国創り政治問題
日本の政界や財界にいる指導層は、押し並べて思考が停滞していると言える。
最近の話題の平成の開国論は、自由貿易化を加速すれば、経済が活性化して国民は幸福になるとの、19世紀にはじまった理論を踏襲している。
グローバル化世界の中でも通用する論理だと、思考が停滞している事に原因がある。

また金融政策においても、経済が停滞しているときは、金利を引き下げて(ゼロ以下には出来ないのに)おカネを借りるのを容易にすれば、借り入れて投資が増える筈?というあやふやな論理である。
実際は借り入れしても、国内へは投資をしないで、海外にドンドンと事業移転、生産移転の為の投資を加速するだけである。
理論はあっているが、技術や資本は容易に国境を超える事は、想定していなかった時代の理屈のままで思考が停滞している。

政治や経済の分野の話だけではない。
科学技術における面でも、バブル経済時代の様な、景気の良い時に始まった夢の技術にとらわれた「宇宙開発」という、金くい虫の産業に凝り固まったグループが未だに力をもっている。

いまは、国策として、【日本版NASA構想】など、アメリカの進めて来た「国際宇宙ステーション」への物資の補給を下請けすることになった。
今回の「コウノトリ」は、首尾よく成功したとのことだが、この先の開発戦略や、商業化の目途は全く立っていない。

ロケットの開発を請け負っている三菱重工は、「この先の目標と開発戦略を決めてもらわなければ、技術者の老齢化に対して、若い人を投入出来る状況にない」と言明した。
国産ロケットは、商業化に向けては全くの後発、後進事業、弱小産業である。
アメリカ2社の打ち上げ683回、ロシアの364回、欧州の119回、中国の130回に比較して、わずか20回しか、打ち上げ実績はない。

人工衛星の打ち上げを商業ベースに出来る見込みは全く立たないのに、なぜ7千億円も投じて、「国際宇宙ステーション」への物資輸送を請け負っているのか?
国民に宇宙への関心を巻き起こして、感動を提供して意識の高揚を図りたいのならば、昨年の「成果をあげた省エネルギー型のロケット推進」で、7年かけて地球に帰還した「ハヤブサ」の様な特化した分野で、世界先端をいくべきである。
「2番手や下請け」では、感動を呼び起こすことはできない。

昨年の10月に「日本は世界第4位の海洋大国」山田吉彦著(講談社α新書)が発行された。
このブログで、書いて来たように、海洋資源に潜在的な可能性を秘めている日本は、世界で第4位の優位な国土(領海、EEZ内の海洋体積)を保有している。
この分野への集中的な科学者の投入と技術開発投資を継続すれば、世界一は可能であるという。
その海洋資源に期待される成果は、多方面に渡るが、次回に少し書いていきます。

菅内閣の閣僚は古典的な経済学の知識に停滞した思考レベル。

2011-01-27 | 国創り政治問題
「平成の開国」という聞こえの良い国策を持ちだして、経済成長の原動力にしようと言うのは、明らかな間違いである。
これは、かなりの学者が自由貿易万能主義に異議を唱えている。
社会経済学の佐伯啓思氏も「積極的に国を開き自由貿易をすれば、世界中が共存共栄出来るなどという考えは、まったくのウソである。」と断言している。

古典的な経済学では、資本や労働力、技術が国内に留まる状況を前提として、各国が得意分野に特化する産業に注力して、交易を拡大すれば、お互いに栄える。
19世紀の経済学者、「リカードの比較優位論」の理論に沿って、貿易自由化は善とされてきた。
しかし、20世紀後半からは、資本も技術も国境を越えて自由に移動する時代になった。
労働力も移動が自由になっていく時代になり、前提はとっくになくなっている。

この状態では、自由貿易で各国が等しく利益を得ることはあり得ない。
現実は、各国が戦略的に有利な条件をつくり出そうとする国益の争い、駆け引きの世界に入っていく。

1990年以降は中国がグローバル化する世界で一番得をしたが、それは特定の分野で自由化した戦略的な開国であった。

戦略的な貿易の自由化は、無差別な関税ゼロ化が原則の【TPP参加】では、絶対にあり得ない。
中国はこの先も、【TPP参加】は眼中にない。
アメリカはWTOを軸とした「アメリカの戦略に沿った自由化」をすすめてきたが、途上国の反対で交渉が進まなくなったので、急遽、9カ国の【TPP】を主軸にしようと転換した。
菅内閣は慌てふためいて、バスに乗り遅れない様に、そのバス、待ってくれと叫んでいる。

日本の国造りの将来をどうするのかが、何もないままに、2番手戦略に馴らされてきた政治家や産業界は、とにかく、アメリカに遅れるとまずいことが起こりそうで心配だ!というだけで、【TPP参加】を言いだしている。

1980年代から20年~30年に渡って、何も進展しない農業問題、特に穀物類のお米や小麦、トウモロコシの自給率を高める目標と、自由貿易によって価格の引き下げを図る目標が、明らかに矛盾している。
その対策の道筋も立てないまま、走り出そうという未熟ぶりである。
開国派の経済学者も異口同音に「農業は大事、しかし農家全体を保護しようと言うのは無駄。
専業農家のプロを強い事業体にするための支援をして、集中的に税金投入する。」と総論では言う。
だが、実行出来る政策提案や、実現への道筋は、一切、具体性がない。

結局、無策の自民党に対抗して、バラマキ政党の民主党は政権交代の目玉公約として、兼業零細農家の存続を引き延ばす、戸別所得補償制度の実現と拡大に走り出している。
財源を16兆円生み出す公約は、どこかに埋めてしまって、借金まみれの財政体質を悪化させる。
戦略なき無策の開国によって、最大の被害を受けるのは、国民生活、全体である。

第三の開国などと言葉をもてあそぶ仮免許内閣の迷走を防げ。

2011-01-26 | 国創り政治問題
菅内閣の前のめり政策について、もう少し深めた検証をしてみたい。
唐突の「消費税10%」発言で、大事な参議員選挙を惨敗に落とし込んだ責任もあいまいなままに、今度は『平成の開国』などと、勇ましい命名で打ち出した政策議論は、国内世論の混乱だけではなく、政権与党内でも議論は迷走している。

その議論を論じる識者、専門家の間でも、論戦がかみ合う様なレベルにはなっていない。
世界の潮流は、グローバル経済社会に進んでいくが、それと無制限の貿易自由化が同じ意味で語られるのは、大きな間違いである。
経済の発展の大元には、双方にとってメリットのある交易を増大させて、その対等の交易を継続的・安定的に維持していくことが根源である。

しかし、関税ゼロ化を目指して自由貿易化していくことは、双方の経済にとってメリットがあるとは限らない。
アメリカの様な強大国と、産業基盤が弱い分野を抱えた国が、関税ゼロの交易で良いのか。
これを実施するには、2国間での粘り強い交渉を積み上げて、初めてメリットのある交易条件が決まってくる。
これは、2国間で関税引き下げを進める[経済連携協定](EPA)を着実に結んで積み上げることで、実現出来る。

政府は昨年11月の基本方針で、この[EPA]をEU、オーストラリア、中国、韓国などと締結する交渉を促進する事としている。

しかし、経済産業大臣に就任した海江田万里氏は、[EPA]を進めるだけでは、「本当の開国にはならない」として、アメリカなどの9カ国が交渉を開始した「環太平洋パートナーシップ協定」【TPP】への参加が不可欠と言いだしている。

今までの自民党政権では、この2国間の[EPA]ですら、まともに進展させる事が出来なかった。
関税引き下げや非関税障壁を低くすることで、打撃を受ける産業、特に農業分野での対策に、ことごとく失敗してきたからである。
民主党政権になって、この打撃を受ける産業界の問題点に対して、キチンと自立出来る方針や施策を示しているとは思えない。
まず懸案の2国間の[EPA]を、1カ国づつでも交渉をまとめ上げて締結していく事が先決であろう。

長年の懸案として自立の目途の立たない農業問題を無視するかの様な「TPP参加表明」は、仮免許レベルの内閣としては、いきなり高速道路に出て行く様なもので、交通事故を起こす懸念が大きすぎる。
管直人や海江田万里は、野党時代に政府の弱点を攻撃するばかりの感覚をみがき上げた。
だが、与党となって責任者としての立場で、利害が相反する状況の採りまとめに成果を上げた実績はまだない。
消費税のときの様な「前のめり発言」では、何もまとめることはできない。

菅内閣の施政方針は守りばかりで、縮小国家をつくる方針か。

2011-01-25 | 国創り政治問題
国民生活に大きな影響がある国政の将来を、菅内閣の施政方針演説で見てみよう。
『平成の開国』の名前だけは勇ましいが、要するに貿易の自由化を進めることで、日本の経済が活性化して国民生活がより豊かになる、という従来からの発想から、一歩も深化していない認識による「後追い政策」、つまり、2番手意識である。
遅れた面を他国の動きを見ながら、ほころびを繕っていくことに終始する姿勢である。

また言いだした【最小不幸社会の実現】は、後ろ向き政策の表明である。
このブログで、前にも書いた様に、【最小】とか【不幸】などの、心が縮んでしまう言葉を並べる「感性に乏しい表現」を繰り返す政治家には、国民が信頼を置かないと言う懸念が先行する。

中身をみると、「ハローワークを充実する」とか、「職業訓練中の生活支援」などの、市の行政レベル、都道府県に任せた方がよりよい仕事が出来る分野を、国が口を出して予算の使い方を霞が関の机に座って指示するだけの役人を温存する。

『雇用を創る取組』は、医療、介護、子育て、の潜在需要に応える形で、雇用創出を図るとしているが、これも、すでに手遅れ気味で社会問題になっていることを、後追いで対策を講じている様な状態である。
とても将来を見据えた国創りビジョンに沿って、戦略的な取り組みが行われる様には見えない。
しかし遅れているのだから、とにかく後追いでも、最大限の注力を払って、実効性のある制度と予算措置を講じるべきであろう。

本当の雇用創出は、国民が将来に希望の持てる「日本の立国ビジョン」に向けた、戦略的な取り組みを確立することで、それに向けての国民のエネルギーがわき出てくる潮流を生み出すことにある。
しかし、環境立国の言葉もみえず、「環境分野の雇用創出を図る」のわずか12文字しか言及がないことは、いかに、この分野の「新産業としての価値」を認識していないかの表れか。

昨年に勃発した領土問題の根源は、将来の海洋資源を見据えた、各国の国益のあらわれである。
今のうちに海洋における事業(調査を含む)の既成事実を作って、少しでも、排他的経済水域の資源や利用権を獲得していきたい、中国、ロシアの思惑が見えている。
このブログで、何度も書いてきた様に、日本は世界で第6位の「排他的経済水域」(EEZ)を保有し、世界から経済開発が認められている『海洋資源国家』である。
それにも拘わらず、この海洋資源の長期的な開発戦略は一切、意識にないようで、【遅れた産業・農林魚業の再生】の文字だけで、平成の開国の障害を避ける程度の取組である。

この様に、後追い的、問題発生後の繕い的な国の施政方針では、将来に向けての成長産業、特に新産業への研究開発投資や、事業への新規投資は引き起こされない。
おカネをため込んだ企業は、だぶついた金融界の安い資金を借りて、成長の著しい海外市場の開拓に、人材と資金を投入するだけである。
「雇用、雇用、雇用」と叫ぶ割には、守りばかりで、産業を海外に向かわせているだけに終わる。

農業の自立戦略がないままの保護政策は国民負担を増やすだけ。

2011-01-24 | 快適エネルギー社会問題
日本の農業が弱い産業で、食料自給率を向上させるためには、保護が必要だと言う説明が浸透している。
これは、農水省と農業団体の仕事を維持していく上で、格好の大義名分となって、次々と税金を投入する政策が考え出された。
その成果として得られたのは、自給率はほとんど向上せず、穀物類を国内生産で賄う事は、国際相場から見て、トンでもない割高となる。

この生産コスト高が問題である事は確かだが、減反政策や個別所得補償制度が、将来に向けて農業の自立と健全化に向かう政策でないことは明らかである。

この問題の流れは、1981年の『農業自立戦略の研究』が出されたのが発端となっている。
1980年代は、世を上げて高度経済成長の潮流で生産性が向上して、好景気を産んでいた。
しかし農業分野は、円高の進行に伴って価格面での競争力は圧倒的に不利になり、このままでは日本の農業はじり貧になるとの問題意識が出ていたのである。

しかし、その趣旨である『国際競争力を蓄えた成長・輸出型産業を目指す』ことに対して、自民党政権と農水省の採った政策は、保護主義であり、価格支持・生産調整政策による、コメ価格の国策的な高値安定を狙ったものであった。

これは、その後の円高の進行によって、さらに国際水準からの割高が進行して、遂に700%以上の関税に守られた、国民負担の大きい農業保護政策に落ち込んでしまった。
この政策はやる気を失った兼業農家を増やし、減反奨励などの将来性のない政策の継続によって、完全に自立する力を失ってしまった様である。

しかし、日本の消費者は、お米ばかりを必要としているわけではない。
前回に説明した様に、野菜、果物、花卉などの、高付加価値農業商品の需要が増えて、それに対応して品質の良いモノを、的確に供給できる農業経営者は育ってきた。
農水省の保護政策に頼ることは一切なく、企業経営的な努力を重ねた為に、国際的にも通用する品質と価格を実現してきた。

農水省の保護政策によって、自立する意欲と力を失った農業分野は数え切れないほどある。
酪農家を保護するためとして、バターの価格維持では、消費者に多大の損失を生んでいる。
養豚業者を保護するための輸入豚肉にかける「差額関税」など、不合理極まりない制度が、農水省の保護政策として存続し、その関連業務で業界団体の職員の雇用を生み出している。

この様な保護政策で、兼業農家や業者が延命していることは、雇用を守る事にはなっているが、それは、すべて国民の税金で養っている。
国家の財政がこれほど悪化しているのに、先々に自立できる展望も開けない「雇用維持政策」は、
破綻する事は確実だ。
日本の政治家は破綻が目の前に迫らないと、改革が一切出来ない無能の集団なのか。

日本の政治家は農業関係の雇用を農水省の省益にそって守る。

2011-01-23 | 国創り政治問題
日本の農業は世界第5位の8兆円の生産高を維持して、今も成長している。
これは、農業大国と言ってよいレベルであるが、その中身となると、まったくのアンバランスに驚かされる。
前々回に紹介した、浅川芳裕氏の著書からデータを引用すると、生産高が伸びているのは、野菜、果物、花卉、などの、付加価値の高い栽培品である。

農水省がしきりに宣伝して、「食料の自給率を向上させる国策」とは関係が薄い分野が、専業農家の経営努力によって、成長している。
食料自給率に関係する穀物類は、カロリーが高い農産物の米、小麦、大豆などであり、お米を除いて、ほとんどが外国産品である。
この自給率を高める意義はどこにあるのか、食料安保とも言われるが、とりあえず議論を横において、お米の話に絞って進める。

お米農家の180万戸のうち、80万戸は1ヘクタール未満の農地で、自家用のお米生産に近い感覚で、稲作を続けて来た。
普段はサラリーマンで、農繁期の1~2週間は休暇をとって農作業をして、後は週末の監視程度の作業で1年を過ごす兼業農家である。

日本の稲作は、大規模化が進まずに生産性が低いと言われている。
それでも、機械化は進んで、コンバイン(刈り取り機)などの普及台数は97万台、アメリカの41万台、中国の40万台に2倍以上の差をつけている。
この高価な機械を使うのは、1年で2週間程度しかなく、後は倉庫で眠っている。
この様な機械類が、トラクターや田植え機などに広がり、日本中に農機があふれているのが現状である。

おまけに、価格の高い農薬や化学肥料の投入も、兼業農家ほど多い。
専業農家は経営効率やコスト削減に努めるので、高価な農薬や化学肥料は出来る限り少なくする。
農業機械は、作業効率と稼働率を向上させる事に努力し、その中で収量と品質向上に努める。
日本の『専業米農家』は、世界一流のプロと言ってもよいレベルで、実際の生産性の向上と生産コストの削減には成果を上げている。

一方の零細の【兼業米農家】は旧態依然の栽培方法で、重労働を避けるために、経営効率など考えずに高価な農業機械を次々に購入して、稼働は2週間足らずである。

農水省はこれらの経営の生温い兼業農家を温存させることに終始してきた。
自民党政権時代も、民主党政権に交代しても、食料自給率向上の大義名分の下に、兼業零細農家を温存してきた。
つまり兼業農家の仕事(年間で2~4週間程度)を守り、農業団体の仕事を作りだし、それを指導・監督する農業公務員の仕事、最終的には農水省一家の雇用を守るために、これからも。
それで、国民の税金が大量に投入される仕組みになっている。

官僚と政治家は自分の領域の事が最優先。雇用創出は無頓着。

2011-01-22 | 国創り政治問題
日本の元気を取り戻すには、「新産業の育成」と「商品・サービスの高付加価値化」である。
この総論では誰も異存はないのだが、そこから先の具体論となると、気位の高い識者や評論家は、トタンに何も言うことがなくなる。
このブログで、採りあげた『温泉、グルメ』などは、世俗の流行のくだらないモノだと、退けた『お笑い』の範疇に落しめている。

どうも日本の識者という層は、まったく頭が固まってしまった、旧時代の遺物、化石人間としか言いようがない。

前回に紹介した浅川芳裕氏の著書「日本は世界第5位の農業大国」から、もう少し、引用をして、
日本の農業政策はいかに新分野事業にブレーキをかけて、旧時代のやり方に固執しているかを、書いていこう。

日本の農業生産額は年間で約8兆円であり、そのうち穀物類は、米、約1兆8千億円、小麦290億円、大豆240億円で、合わせても2兆円に満たない。
これに対して、野菜類は約2兆3千億円、果樹7600億円、花卉(かき)4000億円で、成長市場となっている。

日本政府は、食料自給率を高める為と称して、この穀物類の国内生産を維持して高めるためとして、自民党時代は減反政策によって、お米の価格維持をしてきた。
民主党政権になって、米の価格の維持ではない政策に切り替え、農家の所得補償政策により、2011年から1兆4000億円を投じる計画となっている。

この所得補償政策は、コメ農家のうちの1ヘクタール未満の零細経営の800万戸の赤字を補てんするために実施する様な政策で、1戸あたり17万5千円を配布する様な政策である。
子供手当2万円にならった、「兼業農家手当」である。
兼業農家1戸につき、4人の有権者が関係するとして、これにより3200万票が民主党の支持になるもくろみを立てた、というわけである。
民主党は「零細農家を救うための定額給付金」だと言って、この戸別所得補償を正当化している。

農地が1ヘクタール未満の農家は、もともと、黒字経営を目指して農業をしていない。
自分のところの消費分や、小規模の野菜栽培で、小使い稼ぎをする程度の農業である。
それは、他の付加価値の高い農産物、野菜や果実、花卉を生産する専業の農家に対して、農地の提供を阻み、安い自家野菜の販売で、経営を圧迫する。

専業農家の事業拡大と高付加価値商品の栽培に進出する資金、雇用創出機会を奪うことになる。
零細の兼業農家をそれほど保護する必要があるのか、農水省の役人に聞けば、間違いなく「食料自給率を向上させる為に国策として必要」との答えが返ってくる。
このままでは、兼業農家が存続して、若年者の雇用機会を奪って格差拡大につながる。
「1に雇用、2にも雇用、3にも雇用]と言っていた民主党政権は、どこにいったのか。

兼業農家保護政策は衰退化を招く。農水省は省益優先ばかり。 

2011-01-21 | 国創り政治問題
日本の産業の将来は国民の要望に沿った方向での、高付加価値化である。
これは、『温泉、グルメ』の分野での商品とサービスの質をドンドン上げて、さらに需要を活性化する事も必要である。
このグルメと農業の付加価値向上の面で将来を考えると、農水省のやっていることは、これにブレーキをかけ続けて来たとしか言いようがない。

その理由がいくつもあることを、最近の著書で具体的に説明してあるので、紹介したい。
『日本は世界第5位の農業大国』(副題:大嘘だらけの食料自給率)浅川芳裕著、講談社α新書。
この著書では、食料自給率の問題点を多く指摘しているが、それは別のときの議論としたい。

日本の農業の特徴は、お米で言えば180万戸ある農家のうち100万戸が1ヘクタール未満の農地で栽培する「兼業農家」が占めている。
これらの農家は、週末だけを農作業に従事し、普段は会社勤めか、公務員である。
農地持ちのサラリーマンであって、農業はほとんど副業であり、それによって生計を維持しているわけではない。

民主党の政策では、これらの兼業農家も含めて減反政策に参加した農家に、「戸別所得補償政策」を実施対象として、2011年から年間で1兆4000億円の税金を投入する事にしている。
この政策は、農家の生産性の低さを前提として、赤字を容認する制度である。
生産性を上げる努力をしている農家は、黒字となれば所得補償を受けられない。
つまり、努力して成功した人には、報いることはする必要がなく、努力もしないで漫然と耕作をして赤字になったら補償しますよ、という「旧ソ連の社会主義の様な政策」である。

これでは生産性の低い小規模の農地がそのまま存続してしまう。
本来ならば、生産性の低い小規模農地は、集約化して効率のよい大規模耕作に転換していくことで、良質でコストの安い作物が生産できる。
しかし、小規模の【赤字兼業農家の存続】を奨励するような政策を実施することで、本当の経営努力をしている農業事業者が、普及品、中級品での価格競争力を上げることを阻んでしまう。

この経営努力の上で安定した収入をもとにして、「より収益性の高い付加価値商品」を開拓する意欲と資金を得る事が出来る。
ところが、兼業農家のレベルを延命させることは、本当のプロの専業農業事業者の活動を制約して、将来の高付加価値作物への発展にブレーキをかけてしまうのである。

本当のプロの農業経営者は、農水省は、「プロ農家のやることを邪魔しないで欲しい」と言っている。

それでも、農水省があれこれと指図をして、指示に従えば、補助金、戸別所得補償を出しますよ、というのは、国民の為ではなく、農水省一家の役人とそれに繋がっている農業団体の職員の仕事を、将来に渡って確保し続けたいからである。
【TPP参加】論議は、絶好の権益拡大のチャンスになるかも知れないので、活性化している。

産業界の実情を知らず農業も知らない政治家では官僚依存に。

2011-01-20 | 国創り政治問題
このブログで【TPP参加】を唐突に言いだした菅政権と民主党の迷走ぶりを批判しているのは、旧産業界の言い分を聞きすぎているからである。
企業の経営戦略によって、生産拠点を国内にとどめて拡充を図るか、海外生産への移転を実施するかは、長期の市場環境の予測を十分に検討して決断する。
輸出を有利にできる相手国の輸入関税ゼロ化は、確かに、輸出に重点を置く企業にとっては、生産拠点の移転を思いとどまる方向に少しは働く。

しかし、この関税の要因はホンのわずかしか、考慮の範疇にはない。
むしろ、相手国の需要動向や経済的な安定度、そして、為替の動向を見て総合的に判断をするので、【TPP】の様な多国間の交渉ごとで、10年先の関税ゼロ化をあてにしての経営判断などは、実際にはありえない。

むしろ、輸出企業にとっての実利上のメリットは、2国間の貿易制度をきめる[FTA]交渉を早急に進めることで、輸出環境の好転を期待している。
関税や非関税障害などの撤廃を、2国の間で現状を理解しながら、お互いにメリットのある品目の輸出入を活発にするとりきめなので、ウィンウィン(お互いにメリットがある)の交渉である。
日本政府は、この[FTA]交渉の進め方において、農業保護にこだわりすぎて、大きく出遅れてしまった。

民主党政権は、農業問題をもっと力を入れて検討して、本当の実力を高めた農業を実現する戦略の上で、[FTA]交渉を一つ一つ積み重ねることが必要である。
それも出来ない実力のままで、多国間での一括的な貿易制度を押し付けられる【TPP参加】などは、無理を承知でデメリットも飲み込むことになってしまう。

すでに、農業団体の方は、【TPP参加】の絶対反対の動きを始めて、早くも民主党は分裂状態になりそうである。
これが政治の空白を生むことになって、国民は日本の将来に暗雲が立ち込めていると感じ、自分の暮らしを守るためには、マスマス財布の紐を引き締めて需要の減少を招く。
『FTA交渉』によって、一国づつとの交易が上向きになることで、着実に進歩している状況を生み出す方が、はるかに国民の受け取り方が好転する。

一番、懸念があるのは、この騒ぎに乗じて、本来は集約される方向になる「兼業農家」が補助金制度によって、延命をすることになることである。
これは、国民全体の為にはならないのに、なぜ補助金制度が拡充してしまうのか。
それは、貿易自由化によって被害を受けるのは、弱小の農家、弱い農業であり、これを保護していかなければならない、という思い込みである。

この保護政策によってメリットを受けるのは、保護される兼業農家と農水省の役人たちである。
何か、大きな問題が起きると、それに乗じて自分たちの権益を増やす機会としてしまう。
この【TPP参加】論議は、確実に農水省の仕事を増やし、権益増加のチャンスとなる。

日本の国民の嗜好と文化に沿った独自の高付加価値を進化させよ。

2011-01-19 | 国創り政治問題
日本の20年に渡る経済の停滞は、国際競争力の低下によって輸出産業の力が衰えたからだ、という見方は、明らかな間違いである。
実際の競争力は、商品の魅力による競争力と価格競争力である。
しかし、価格競争ばかりを重視して、バブル崩壊後の人件費削減策で、若年層への所得配分が減らされて、旺盛な購買力を持つ層の需要が減ってしまったことに、大きな原因がある。

国内の需要不足が輸入の減少となって、バブル崩壊後も貿易収支で黒字を続けた結果、円高の傾向がマスマス進み、海外生産の有利さが増して生産移転が進んだ。
いわゆる普及品と呼ばれる商品は、海外での生産品に移行する事は、今後も必然である。
だからこそ、中級品、高級品の需要を喚起して、少しでも国内の生産活動を増やしていかなければならない。

同時に日本の消費者の嗜好やニーズの沿った、特殊な魅力を備えた商品、サービスへの発展も必要になってくる。
これは、日本にしか通用しない商品や技術分野として『付加価値向上』商品分野は、経済評論家からは「ボロクソに批判」された、『ガラパゴス現象』と呼ばれた。
しかし、今はこれこそ日本の進む道として、肯定的に論じる傾向が増えている。

それは、文化の面では具体的に表れて、『マンガ・アニメ産業』などは、日本独特の進化を遂げた結果、今では世界からも高い評判を得ている。
『温泉、グルメ』などでは、日本独自の進化を果たしつつ、日本の消費者の期待に沿って需要を増加させることで、地域経済の大きな活性化の起爆剤となりうる産業である。
『農業生産品の高級化』なども、日本独自の進化と熟成によって、『付加価値の高い商品』を生み出す成功事例が、多数見られる様になる。

日本人は古来から島国という世界の体制から隔離された状況で、独自の国土と文化によって、繊細で高度な美的意識が受け継がれてきた。
これからも、この国土と文化を土台とした独自の発展を目指すことで、ヨーロッパやアメリカの進んだ道とは、決別すべきであろう。

もちろん、独自に発展した文化や商品を海外が必要とする段階には、おしみなく提供して、日本が世界に貢献するのは当然である。
【平成の開国】とは、その様な将来展望の上で実施すべきである。

だが今は、産業界の旧来思想に凝り固まった経営者の意見である「輸出競争力を価格面で維持する」ためだけに、関税ゼロ化の目先のメリットを追求するだけである。

これらの経営者は、自社の事だけを考えて、雇用形態を派遣社員などの臨時雇い的にして、若年労働者の賃金引き下げを図ってきた。
輸出のことしか考えずに、日本のガラパゴス化を批判して、海外生産への移転を推し進めてきた。
これが長年の停滞を招いたというのに、菅政権は、さらに推し進める愚を犯そうとしている。

従来の経済成長の常套手段、貿易自由化と金融緩和は当て外れ。

2011-01-18 | 経済問題
「より一層の貿易自由化が経済発展を促す」という思想は、先進国においての共通した考え方であった時代は、20世紀の後半である。
21世紀においては、この経済発展の中心は完全に新興国(中国、インド、ブラジルなど)に移り、先進国の産業は次々に新興国に移っている。

経済停滞にさらされた先進国では、おカネを潤沢に市場に流せば、新規の投資が起きて経済の活性化になるとの、マクロ経済という思想にそって金融緩和を長期に渡って実施してきた。
結果は金融業界の投機を促進し、怪しげな金融工学の利用で見せかけの利益をむさぼる悪徳金融業者の発展であった。

行き場を失ったおカネは、新興国市場に流れ込んで、経済成長に火をつける様に働き、バブルとインフレを引き起こしかねない状況である。
「自由貿易」も「金融緩和」も、マクロ的な世界全体での経済成長に貢献しているのは事実であるが、その成長は先進国の経済には波及するのは、貿易輸出が有利になるだけである。

先進国の国内需要は先細りになるばかりで、雇用機会はドンドン減っていく。
若年の新規就業者の就職難は、ここ10年以上の定常的な社会問題となっているが、どの先進国もその対策は成功していない。

日本の様に、農業や漁業、林業などの地域に根づいた産業分野を軽視してきた国は、工業分野の輸出競争力だけに頼る経済構造となっているため、未だに製造業の力にばかり頼りすぎている。
歴代自民党政権も、経済界の土木国家時代の産業を守ることで、雇用を確保しようとしてきたが、
これが幸か不幸か、金融バブルとの関係が薄くなり、被害を少なくした。

その結果は金融破たんの少ない日本の現状を評価する「円高」を招き、輸出競争力を頼みにしてきた日本経済を、マスマス長期の停滞に追い込むことになる。

うろたえた政府関係者は、従来思想の貿易自由化=【TPP参加】に急ハンドルを切って政界に混乱をもたらしている。
経済界は、国内需要の冷え込みと円高の影響が今後も続くと見て、海外への生産移転と事業進出のおカネを優先的に回してしまう。

これを見て、経済の専門家は、国内需要の創出こそが最優先の課題と主張している。
一部の貿易自由化論者や金融緩和論者も、自分の主張を補完する意味で、国内需要創出を掲げ出しているが、どちらも、具体的な政策の提案は出来ない。

残された道は、国内産業の多くの分野を、『付加価値の高い商品、サービス』へ転換する事を進めるしかない。
今までは『温泉、グルメ』などと、批判的に見て来た「国民の上昇指向の分野」を、きちんと評価して地道に育てていく事が、日本の目指すべき道である。

生産と流通の経済活動の実務経験のない経済閣僚と専門家の大甘。

2011-01-17 | 快適エネルギー社会問題
経済活動に関係して実際の商売をしている人にとって、市場の商品構成には、「普及品、中級品、高級品」の分野に広がっている事は、常識として知っている。
普及品の拡大の上に中級品の開拓が進み、さらに市場が上級指向に成熟して初めて、高級品の分野の開発が活発になる。

自動車の商品市場でいえば、日本の自動車産業は、まず軽自動車と小型車(1000ccクラス)の普及品から一般国民に広がった。
当初は、国産車不要論まであったが、活発な国内企業の努力によって、一般国民の手が届く普及品市場が大きく拡大した。
その後、1500㏄クラスの小型車が普及の中心となり、さらに2000㏄クラスの中型車、2500~3500㏄の大型車の商品開発にまで広がった。

ここで注意しておくことは、大型車の方が利益幅が大きいので、ともすると高級車、大型車の事業に企業経営者は力を注ぎたくなる傾向がある。
しかし、これが過ぎると、小型車などの普及品商品を開発する事がおろそかになって、その企業の力は衰えていく事がしばしば起こっている。

これは農産物の高給化や付加価値向上においても、通じる話である。
普及品、中級品の開発・生産力をおろそかにした状態での高級品は、根っこの発育が不十分が作物と同じ様に、脆弱なものとなる。

農産物を作ったり、流通に携わった実務知識もない経済評論家や霞が関官僚が、農業の自立には、高級品の開拓に力を入れて輸出できる力をつける事でやっていける、などと言うのは笑止千万、「お笑い」である。
その類の農業を知らない取り巻きに煽られて、【TPP参加】を平成の開国などのうたい文句で、はやし立てるジャーナリスト連中も、身の程をわきまえる必要がある。

「自由貿易こそが経済成長の源泉」との神話は、すでに破たんしているのに、旧来型の産業育成と経済成長のことしか頭にない「成長論者」は、関税ゼロ目指す【TTP参加】は、乗り遅れてはならないと思い込んでしまった。
自由貿易による経済成長の論理で突き進めば、先進国の賃金の高い人々は、生産からは阻害されて無用の人々として切り捨てられる運命にある。

安い普及品は海外生産に移して、輸入すれば良いとして、中級品を国内生産に留めようとしても、
時がたてば、途上国の技術力が高まり、中級品までもが海外生産に移転していく。
その時になって、高級品を国内生産していれば自立できる、という見方は大甘でしかない。

農産物どころか、工業製品の開発、流通の実務に携わった事もない官僚や政治家が、【TPP】の空気だけに左右される判断は、国の進路を誤る事は確実である。

経済閣僚と首相はトウキョウの選挙区での声を聞いたことしか頭にはない様である。