庵KM

技術屋OBの環境問題独り言

経済問題。交通問題。健康問題。そして、日本の国創り問題。快適社会問題。

夏場の需給逼迫時に役立つ太陽光発電。中国は5年で10倍増の計画。

2011-03-31 | 快適エネルギー社会問題
日本は経済産業省に巣くった「原子力族」というガン細胞に匹敵する権益構造のために、長期エネルギー政策の基本を誤ってしまった。
原発の【安定供給】【低コストの安定した発電価格】という謳い文句は完全に破たんしている。
ただ一つ、残っている『炭酸ガスを出さない発電』というセールスポイントは、再生可能エネルギーの技術進化によって、脅かされている状況である。

原発の安全性に対して、自然界の力を甘く見た大きな失策は許されないレベルであるにしても、自然は人類にとっての未知の分野であるから、想定するにも限界がある。
しかし、再生可能エネルギーの技術進化は、人類の知恵の産物で、大事な宝であるのに、それを意図的に妨害してきた「悪意のある妨害行為」は決して許されることではない。

このブログでは、再生可能エネルギー技術の主流として、「太陽光発電技術」と普及策について、何度も重ねて書いてきた。(快適エネルギーの項目を参照していただきたい。)
しかし、経済産業省の原子力族とそれに癒着している電力業界は、ことごとく「太陽光発電」の促進には、ブレーキをかけてきた。
多くの国民が「太陽光」の恵みである発電を、長期的に望んでいるにも拘わらず、小規模で電力会社にとって扱いづらい邪魔もの発電として、普及策にブレーキをかけ続けてきた。

日本が世界一であった「太陽光発電」の技術と生産量は、この様な原子力族の妨害によって、あっという間に、その地位を奪われ、今では中国がもっとも積極的に取り組んでいる。
その中国は、今の取組をさらに加速するために、太陽光発電5年で10倍に増やす検討に取り掛かっている。
これは、原子力発電を増設する事に中国国民が不安を抱いていることに配慮して、原発の増設ペースを慎重に見直すかわりに、安全な「太陽光発電」と一気に増やして民意に沿う方向に転じている。

 中国の国家エネルギー局幹部が明らかにした目標は次のようである。
昨年末の太陽光発電の発電能力は約100万キロワット。
従来計画では太陽光発電の発電能力を15年に500万キロワット、20年に2千万キロワットに増やす計画だった。
新計画では15年に1千万キロワット、20年に5千万キロワットに増やす方向で検討する。
これは100万キロワット原発の50基分の発電能力で、夏場の太陽光の強い日には、最大の発電能力を発揮して、冷房電力によるピーク時の不足する時間帯に大活躍する電源となる。

日本の電力会社は、太陽光発電は天候の影響を受ける不安定な電源で、安定電源でないから、あまり増やしても役に立たない、と言い続けてきた。
しかし、東京電力は今年の夏場のピーク時の冷房電力に対する供給不足は、産業に大きなダメージを与える計画停電の実施に追い込まれる恐れが大きい。
今からでも、間に合う分だけの「太陽光発電」の設備を、関東地方の日照のいい地域の空き地に、大特急で設置していくことで、少しでも夏場の需給ひっ迫を乗り切るべきである。
この投資は必ず報われる筈で、この為に借金しても次世代にツケを残さない。原発と違って・・・!

既存原発の運転続行には原子力族の許されない体質を改革してから

2011-03-30 | 快適エネルギー社会問題
放射能汚染による懸念が広がるにつれて、一般国民の不安感は増大する一方である。
しかし、原子力発電の関係者は、未だに「このレベルでは健康に被害はありません。」という常套句を繰り返すばかりで、信用は大きく損なわれている。
原発の安全神話は崩壊しているのに、既存の原発を抱えて、今も運転している事業者の意識は、うちだけは問題ないから、心配は無用である、とでも言いたげな緩慢な取組しかしていない。

今では、地震被害は天災で、国を上げて復旧、復興に支援を惜しまないで進めようと言う合意があるが、原発事故は、想定を超えた津波であったにしても、チリ地震の時(における1960年)以後の計画、建設されたにも拘らず、津波の想定が低く抑えられたことが、大きな疑問を残している。
事故が終息してから、この様な安全に対する甘い予測を繰り返してきた、「原子力族」を産む構造を徹底的に洗い直して、安全性に対する行政の制度そのものを、根本から作り直すことを進めるべきである。

今すぐ、原発を全廃するわけにはいかないであろう。
だが、既存の原発を最大限の安全性を確保する作業にすぐにとりかかり、それを満たさない原発はたとえ長期間に渡るとしても、運転の休止をすることである。
電力の供給が一時的に不足になる様な事態であるならば、【計画停電】ではなく、『計画的節電』や、「需給逼迫時に電力をカットする制度を大規模事業者に義務付け」て、生産計画の対応を見直す活動を活発にするべきである。

これは、地震対策や津波の予測の見直し策定作業を意図的に遅らせた【産業界の責任】として、最優先の取組を国民は要求している。
そのやるべきコトを済ませるまでは、新規の原発建設や増設は一切、保留する事を決定する。
その様な安全確保の最大限の努力をしている姿勢を見ることで、初めて、既存原発の運転を認める国民的合意ができる。

その上で、原子力発電産業にとって、未解決の大問題である「高レベル放射性廃棄物の処理方策」と、最終処分場の問題を解決しなければならない。
現在、大量の【使用済み核燃料】が、全国の原子力発電所の敷地内に滞留している。
福島原発においても、原子炉建屋内に使用済み核燃料を冷やすプールの冷却水の問題がクローズアップされ、その危険性が国民の目にさらされた。
青森県六ケ所村の再処理工場内にも、大量の【使用済み核燃料】が、プルトニウム抽出の目的で、長期間に渡って保存されている。

原子力発電産業の大きなネックである、【使用済み核燃料】の先行き不透明が、原発そのモノの安全性の確保にも、悪影響を及ぼしている。
つまり大事なことであっても、人がやりたがらない課題は、先送りをして、「しりぬぐいを人におしつける」体質そのものが、原子力産業の最大の癌である。
儲かるとこだけやって、甘い報酬を受け取り、『しりぬぐいの損な仕事』はやらないで逃げる。
今回の大事故の根本の原因は、この様な許されない「原子力族の体質」に起因している。

原子力発電に関係する計画は、すべてゼロからの見直しが必須。

2011-03-29 | 核エネルギー・原子力問題
原発の事故はいよいよ、中心部の圧力容器の破損の兆候がハッキリとしてきた。
原子力発電の安全性を強調してきた「原子力族」の専門家は、放射性物質を出す燃料棒の入った部分は、5重の防護策が出来ているから、マンガ一にも、放射能が外部に漏れることはない。
と常日頃から豪語し、原発の不安をアピールする原発廃止論を唱える地域社会の活動を、常に抑え込んで封じていた。

しかし、いよいよ放射性物質の中で、もっとも恐ろしく悪影響の多い、プルトニウムが土壌から検出されて、間違いなく中心部の圧力容器から漏れ出していることが明確になった。
原子力発電の擁護をしてきた関係者からの言葉は、一言も発っせられないで、沈黙を続けている。

この中心部のある圧力容器は、マスコミでの常套説明として、厚さが16センチもある頑丈な鋼鉄製であるから、どんな巨大な地震がきても、また、巨大な隕石が落下しても、壊れることはない。
あたかも、それさえ壊れなければ、放射性物質は内部に閉じ込められたままで、問題はないと、
イメージ的に安全を言い続けてきた。

だが、やっとマスコミの紙面にも、圧力容器の中に貫通している、パイプの部分や炉心の制御に必要な中性子を調整する制御棒が問題であることが登場してきた。
このほかにも、炉心内部の状態を管理するために、計測用のセンサーの埋め込まれる部分など、
鋼鉄の厚さ16センチに比較すると圧倒的に弱い部分が多数、存在していることが明らかになった。
原子力の圧力容器を設計して製造した関係者は、この部分が弱いことを十分に知っていた筈である。

だが最先端の現場の人の意見は軽んじられて、原子力発電をとにかく拡大して行きたいとだけ考える、「原子力族」専門家と政治家、行政、事業者は、その様な不利になる情報は一切、出さない。マスコミに働きかけて、一般の国民には、日本の原子力設備の技術は世界一流であって、壊れる様なヤワな部分は絶対にないと、億が一にも、放射能漏れは起きることはないと言い続けて来た。

しかし、技術の世界と物理学は、その様な思い込みのウソは通じないことを実証してしまった。
技術は正直であって、システムで一番弱いところに問題があり、他のカ所をどんなに高い技術で造っても、何の効果もない。

この様な認識のない「原子力族」は無謀にも、2万年以上の半減期で、放射能を出し続ける「プルトニウム」を大量に濃縮した燃料を使う【プルサーマル発電】を、強引に開始してしまった。
福島第一原発の3号機には、大量のプルトニウムを混入した燃料で、発電をしていたために、圧力容器のわずかな破損によって、2万年以上の放射能汚染をもたらす懸念が起きてしまった。

これほどの事故が起きているにも拘わらず、他の原子力発電所でも、【プルサーマル発電】を実施しているところが数か所あり、さらに今後の増やしていく計画が軒並みにある。
それに対する予防策は、政府は何も手がつけられないで、現在の事故処理だけに忙殺されるばかりだ。
原子力発電の安全神話は完全に崩壊しているので、ゼロから見直しが必要だ。

専門知識を過信して弱い部分を見ない習慣に染まった原子力関係者。

2011-03-28 | 核エネルギー・原子力問題
原子力発電所という総合機械システムは、おそらく、現代における技術界の最高レベルを投入している集積であろう。
ただし、どんなに人間が知恵を絞って最高の技術を投入したとしても、自然界の力、物理的科学の前には、それに従わされるしかない。
それを超えることができると思う科学者や技術者は、傲慢不遜の愚かな人である。

今回の原発事故に遭遇して、原子力発電産業界の人たちは、なんと傲慢であるかを見せつけてくれた。
原子力発電の設備は、日本最大級の地震においても、どこも壊れなかった。
緊急停止装置は正確に作動して、核分裂反応を計画どうりに停止できた。
だから、技術的には優れた成果を実現している、とでも言いたいような専門家が数多くいる。

だが、物理的には停止後の崩壊熱を冷却し続けることが不可欠であることが、必須であったにも拘わらず、それのシステムの想定が大幅に違っていて、全電源の喪失という、極めてお粗末な事態に陥ってしまった。
中枢部の設計や製作は最高レベルで出来ていても、それを支える周辺の技術や思考の弱いところがあれば、完璧さを要求される原発のシステムにおいては、欠陥機械である。

原子力関係者は、自分が関与している部分は、完璧であると思い込んでいる。
しかし、総合機械システムには一番ネックになる弱い部分が必ずあるので、そのところを完璧にする必要がある。
原子炉の安全性の高さを説明する時に、中心となる燃料棒の入っている圧力容器は、高い強度の鋼鉄製の部材で出来ているから、絶対に壊れないと説明されている。

しかし、この圧力容器の上部には、燃料棒を出し入れするために巨大なキャップがついている。
このキャップと、圧力容器本体に間のシール部分はどうなっているか、説明されたことがない。
専門家も含めて、このシール技術の難しさを解っている人は、ホンのわずかである。
放射性物質は絶対に外に漏れ出さないと言っている専門家はいても、圧力容器内部で発生した水素がどうして外に漏れ出しで、建屋の上部に充満してしまって、水素爆発を起こしたのか?

圧力容器はその周りに二重の安全性を保つためと称して、巨大な格納容器を備えている。
この容器の壁は、鋼鉄製で十分な厚さがあって壊れることはない、と原発の関係者は豪語する。
だが、格納容器には内部で作業や点検のために人が出入り出来る様に、大きな扉がついている。
この部分のシールも完ぺきにできている保証はない。

それなのに、水素が発生した時に容器の外に漏れ出して、原子炉を覆う強大な建屋を吹き飛ばすほどの量の水素が充満して爆発を起こしてしまった。
この様に、原子力発電関係者の安全に対する思い込みと、抜け落ちている発想が、今回の大事故に至っている。
弱いところをあえて見ない様にする性癖が、原子力発電関係者の最大の欠陥である。

原子力発電はコストが安いという幻想を追い求めた結果が。

2011-03-27 | 核エネルギー・原子力問題
日本は石油危機の段階で、中東の不安定な地域から輸入する石油に依存しないエネルギー源を開拓する国策に転じた。
この方向に沿う手段として、原子力エネルギーに力を入れることを選択した。
当時の状況では、燃料となるウラニウムは備蓄が可能な有利な燃料として、期待されるエネルギー源であった。

それ以来、日本の各地に建設を促進して、54基の原発を保有する規模にまで拡大していった。
うたい文句は、「エネルギー安定供給」「炭酸ガスを出さないエネルギー」、そして「発電コストが安い」の3点である。
「安定した電源」というセールスポイントは、原発にまつわる技術トラブルを隠す体質の災いによって、各地で運転停止に追い込まれて怪しい状況になり、すでに破綻している。
決定打は、新潟沖地震による柏崎刈羽原発の長期停止で、この時の電力需給はひっ迫して大停電の危機に近い綱渡り状態になった。

それ以前から「原発は発電コストが安い」として、電力会社は産業界を味方につけて、経済産業省の官僚を獲り込み、原子力推進族を増やしていった。
この発電コストが安いメリットは、原油の価格が長期的に上昇傾向にある石油火力発電のコスト上昇対策として、電力消費の大きい事業者にとって魅力的な発電であった。
しかし、その「発電コストが安い」という根拠は、電力会社の出しているお手盛りの数値によるものである。

このブログで2010年6月19日、20日に書いた様に、原子力発電のコストは、隠れた経費を除外している数値で、実質的には火力発電よりも高いのが実態である。
そして今回の事故ではっきりしたことは、安全性の向上に欠ける設備で運転していたことである。
放射能という制御が困難な物質を扱うのに、自然界の力を安易に低く見て、災害に対する対策、備えを先送りしてきた。
産業界も共犯者の立場に立って、電力会社の言い分をそのまま受け入れて、とにかく、安全性よりも電力価格の安いことを歓迎していたのである。

これから、福島原発の大事故の結果を厳密に調査、分析をして行くことになるが、その対策の為の経費は膨大な金額になる。
しかし今回は経費がかかるからと、対策を先送りする事は、絶対に国民が許さないであろう。
原発の安全性維持にかかわる不祥事の改革や、地震の規模の想定に対する誤りを、早急に対策することを先送りしてきた結果が、津波災害をもたらしたともいえる。

この大事故の結果を真剣に直視して、原発の運転をやむなく継続する必要な期間は、絶対に放射能災害を発生させてはならない。
そのためには、経費を惜しんで対策を出し惜しみしては、国民は、特に原発立地の地元民は不安のままの生活を強いられる。
もう原発は【発電コストが安い】などとは断じて言えない。
それを言ってきた人物はだれか?

原発事故の本当の原因をつくったのは、産業界の儲け主義。

2011-03-26 | 核エネルギー・原子力問題
原子力発電所を日本の様な地震国に立てることについて、世界からも疑問の声が上がり始めている。
福島第一発電所の事故の終息は、未だに予断を許さない情勢だが、世界の各国では、原発の増設、新設の方針を見直す動きが伝えられている。
日本でも今後の原発建設には、厳しい見直しが必須の情勢である。

今回の地震発生によって、津波の想定が大幅にクルッタことが、大事故になっているが、なぜこんなに大きな間違いがおきたのであろうか。
実は、福島第一原発が計画された当時は、まだ地震に関する研究がそれほど進歩していなかった背景がある。
当時の地震学では、津波の発生の予測も充分にできるわけではなかった。
しかし、その後の地球の構造研究なども進化して、プレートの移動によって、大きな地震と津波の発生が予測できる知見がかなり進んできた。

多くの専門家が、過去に造られた原発の安全性を、地震学の最新成果で見直していないことを心配していた。
例えば福島第一原発は、沖合に今回の地震の原因になったプレート境界があるとは細られていなかった40年以上前の設計で、古い原発の耐震性を見直して、対策する必要は解って来た。

また、新設の原発を建てるにあたって、耐震指針を見直そうという動きは90年代からあった。
しかし、元原子力安全委貞長代蓮の住田健二大阪大名書教授(原子炉工学)によると、当時はまだ原発の新設計画が続いており、「産業界から、計画が一段落するまで変えるなと圧力がかかった」と証言する。
この理由は、耐震性の新指針によって、既存の原発が適合していないことが分かると、廃炉や補強、計画変更につながって、運転できなくなったり多額の費用がかかったりするからである。

これは、産業界の一部ではあるが、原発の建設コストが上がると、電力料金の価格アップにつながり、それは電力を多量に使う事業者にとっては、経費の大幅アップにつながる。
それによって製品の価格が上がると、自社の販売に悪影響が出る。
つまり、儲けを重視して、地震発生や津波の規模を従来の過小に見積もることを容認して、安全性を強化する事を避けて来たのである。

電力を多量に使う産業界の経営陣は、当時の政権党の政治家に働きかけ、関連省庁の官僚にも、見直しの先延ばしを要請してきた。
結局、耐震指針が全面改定されたのは2006年になってしまった。
旧指針が出来てから28年後のことだった。

その結果が、今回の福島第一原発の大事故につながった主要因であることは間違いない。
地震発生の原理や規模の予測をする科学は進化してきたのに、その知見を活用する政治や行政の制度は、28年間も止まったままにして、難易度の高い原子力発電所を、安全性をとやかく言わずに、とにかく増設しとろは、なんという強欲な産業界であろうか。

その強引なもうけ主義の犠牲になるのは、多くの原発被害を受けた人たちである。

津波の想定は発電事業者の都合が先で、自然界のことは後回し。

2011-03-25 | 核エネルギー・原子力問題
今回の原発事故を拡大させた原因には、想定した津波のレベルを過小のしていたことが大きな原因であった。
実際の津波の高さが14メートル以上あったとされているが、原発を設置した時の想定が5.7メートルとした、堤防の高さを決めていた。
この想定は前回のブログに書いた「土木学会原子力土木委員会津波評価部会」という組織で、報告書を作成している。

この評価部会は、25名の委員と10名の幹事で構成されていて、そのメンバーは、次の様な構成になっている。
<委員構成>大学研究者 7名
      電力事業者 11名 (沖縄を除く全電力会社+日本原子力発電+電源開発)
      国・独法  6名 (国交省2・保安院・原子力安全機構・産総研・港湾空港研) 
 公益法人  1名 (財団法人電力中央研究所)
<幹事構成>電力事業者 1名 (東電)
      事業者   5名 (東電設計2・ユニック・三菱総研・シーマス)
      公益法人  4名 (財団法人電力中央研究所)

この評価部会の委員の中に、原子力発電所を造る側の事業者が数多く参加していて、特に東京電力から送り込まれるメンバーが多い。
つまり、土木学会が自然界の現象を、科学的、学術面から客観性を持って、日本の総智を集める組織ではなく、土木建設物を発注する側と、受注して建設する側の企業や組織の代弁をするメンバーから成り立っている。

この結果は、津波発生の評価にどのような影響が出てくるか。
それは、津波発生の想定によって、原子力発電所の建設コストの増加に、大きく影響を受けるから、発注する側がどのくらいの建設費に収めるかの意思が先に来る。
あまり、過大な地震や津波を想定すると、本体の建設費はもとより、全体の津波から防御する設備のコストが上乗せされるので、発注者側の電力会社にとって都合が悪くなる。
だから、津波の規模を想定する場合に、低めの津波高さを決めた方が都合が良い。

その結果が、福島原発の津波高さの想定は、5.7メートルで良しと評価されたのである。
同じ様に、他の地域の原子力発電所においても、この土木学会の部会が想定・評価している。
原発銀座と呼ばれる福井県の若狭湾の立地する原子力発電所の、津波想定は全部2メートル以下の評価である。

この評価によって、津波発生時に想定の高さを超えて襲来したら、それは電力会社の責任ではなく、日本の総智を結集した土木学会という権威のある評価によって、決めたことを守っていたのだから、電力会社には不可能な、自然界の力による不可抗力の事態であった。と言い訳ができる。
それによって発生した原発事故による被害は、自然災害であって、一企業の責任範囲ではない。
だから自然災害の救済は、日本の国としての責任で行ってしかるべきだ、という筋書きとなる。
まさに、お手盛りによる評価を国の権威を着て、責任を回避する仕組みとなっている。

原子力発電所の事故は、ムラ社会の掟に縛られた既得権益の罠。

2011-03-24 | 核エネルギー・原子力問題
今回の原発事故を初期の段階で抑えることができずに、次々と事故が拡大していった原因には、内輪だけで問題をおさめてしまおうとする、ムラ社会の病根が存在する。
つまり、ムラ社会の中の権益を守ることが最優先で、説明責任や民主主義の基本の情報公開などは、どこかに吹き飛んでしまった。
「原子力ムラ」の独特の掟に従って、物事の処理が進むことが当然の様にまかり通っていた。

想定外の津波発生による非常電源の全喪失という大失態においても、責任を負う立場のリーダーは不在で、ただ傍観するのみの官僚体質の人間が、規則に従って対応しているだけであった。
事故発生の翌日の3月12日に、管直人首相が福島原発の事故現場を視察した際に、国の立場から原子力発電所の安全を管理する最高責任者である原子力安全委員長は、「水素爆発はない」と首相に説明している。
しかし、その後に1号棟の建屋爆発が発生し、続けて3号棟も爆発、そして、4号棟にも水素爆発に至った。

専門家である委員長が、津波事故によって、非常電源を喪失したら、水の冷却はとまってしまい、原子炉容器の過熱によって水素が発生する事は、解りきっていたはずである。
それにも拘わらず、本当の危険性を取り繕って、首相さえも誤魔化して、うまく事故が収まることだけを傍観していた様な態度である。

地震発生による津波の規模をあまく想定しただけでなく、それが現実の事故となっても、なお、甘い希望的予測で、建屋の水素爆発はない。と見るなど、専門家として確実に失格であると同時に、組織の責任者としての職責を全くわきまえていない、リーダー失格者である。

なぜ、こんな不適格な人間が国の原子力発電政策の安全性の責任を負う、原子力安全委員長に収まっているのか。
それは、原子力産業に巣くう「原子力族」の既得権益の維持をスムーズに容認する、操り人形的な人物が、安全関係の責任者でいることが、原子力ムラ社会にとって好都合だからである。

「想定外」と言い訳をする津波の規模の予測の誤りも、原子力ムラの人間にとって、都合のよい様な報告書を、「土木学会原子力土木委員会津波評価部会」という、あたかも学術的に想定をしている様に装って、原子力ムラの意向を汲むばかりの人間を土木学会の委員に送り込んでいる。
福島原発の地域の最大の津波を5.7メートルと想定して、堤防などの関連施設をあまい状況にしてしまった。
実際の津波発生時は、14メートルであったと見れるが、この大きな予測違いの責任は、誰も負う気配はない。

また、津波の被害によって、非常電源が起動しない場合を想定しなかったことに対し、『すべての段階において対応するより(そのような事態は)、想定しない。と割り切らなければ、原子力発電所は設計できない。』と発言していた。
この様なモノは技術者の風上にも置けないが、これも原子力ムラ社会の掟に従っているのである。

エネルギーの安定供給は経済活動の基本。経済をダメにする経産省。

2011-03-23 | 核エネルギー・原子力問題
経済産業省は、エネルギーの長期計画を策定にあたって、必ず「エネルギー安定供給」を一番に挙げていた。
しかし、そのエネルギーのかなりの部分を原子力発電に依存する事を【安定供給の為】と国民に説明していた。
それが、今回の事態をかなり深刻な状態に追い込んでいる。

安定供給はエネルギー戦略の基本的な目標でなければならない。
しかし、その中の電力において「原子力発電」を基本的な安定した電力として、思い込みだけで決めてしまったことに、大きな間違いがあった。
確かに、原油などの需給が世界の動向で、逼迫したり価格の変動を受けやすいことはある。
その一面だけをみれば、原子力は燃料(ウラニウム)を備蓄する事が容易であり、価格の変動も受けにくい、安定しているエネルギー源である。

しかし、有利な面だけを見るのは、思い込みも甚だしい、バランス感覚の欠けた人間のすることである。
原子力発電は、最大の欠点は放射性物質という、人間が扱うには大変に困難な物質を扱う。
しかも、万一にも空気中に飛散した場合は、かなりの広範囲に渡って被害が広がり、それを体内に摂取した場合には、長期間に渡って人間の細胞に悪影響を及ぼす。
その影響が長期間にどれほどの害も及ぼすかは、まだほとんど解っていないのが実情である。

その意味で、今回の水道水に放射性物質が入ってしまったのは、乳幼児にとっては、絶対に避けておくべき物質であるから、あらゆる方策を講じて、体内への侵入を防ぐべきである。
原子力発電を積極的に推進してきた老害族は進んで、その被害防止活動の先頭に立つ必要がある。

有利な面だけを見る悪癖には、新潟沖地震の際に、東京電力柏崎刈羽原子力発電所の事故の時にも見られる。
想定した以上の「地震の揺れの強さ(ガル)」が観測され、設計想定の3倍近い大きさだった。
それでも、炉心などの心臓部は破損しなかった。と東京電力は原発の安全性を強調して、かえって胸を張っている在り様だった。

だが、その周りにある補助的施設に大きな被害を出して、その時も長期間の発電停止のやむなきになり、関東地域の東京電力管内は大規模停電を引き起こす寸前まで、逼迫してしまった。
安定供給を豪語していた「原子力発電」は、それ以来、「安定電源」という大義名分を失ってしまった。

そこで、次に言い出したのは、温室効果ガスをださない「化石燃料からの離脱できる唯一のエネルギー」であるとして、「クリーン・エネルギー」&「グリーン(環境にやさしい)・エネルギー」であることを、前面に打ち出してきた。
今や、このうたい文句が、真っ赤なウソであったことが白日の下にさらされている。
経済産業省の官僚と電力企業、原子力発電産業界の幹部の責任は、償い切れないほど重い。

風評被害とは責任の範囲が曖昧になる。責任は旧政権の政治家に。

2011-03-22 | 快適エネルギー社会問題
原子力発電所の事故は、必死の作業によってこれ以上の悪化は、避けられそうになってきた。
一方、放射能汚染による被害は、数種類の農産物の基準値オーバーが確認されただけで、早くも各地での消費者の行動に、自衛の心理によって出荷できない状態になり、今後の拡大が大きな懸念となっている。

マスコミ各社は、【風評被害】とひとくくりにして、農産物の出荷停止を受けた農業事業者の損害を採りあげている。
東京電力は、原発事故のよる放射能汚染は明らかに会社の責任であるから、農産物を廃棄した分の賠償は検討する、と公式に説明をした。
しかし、これでは問題が収まるとは、到底思えない。

『風評被害(ふうひょうひがい)とは、災害、事故及び不適切又は虚偽の報道などの結果、生産物の品質やサービスの低下を懸念して消費が減退し、本来は直接関係のないほかの業者・従事者までが損害を受けること』
これは、現在の常識的な範囲の意味であるが、「本来は直接関係のない業者・従事者・・・・」という範囲は、いったいどこまでの人が対象になるのだろうか。

今回の放射能汚染によって、出荷停止をした農産物のうち、政府が指定した野菜と牛乳は当然、被害の対象であるが、福島県産、茨城県産というだけで、消費者は他の方産物までも買わない様になっている。

いくら政府がそのほかの野菜は安全ですと言っても、心配のぬぐえない消費者は、買うことを避けるので、販売業者も仕入れをしないし、店頭にも置かない様になる。
「事故及び不適切な報道などの結果、・・・損害を受けることになった。」のは、明らかであるから、東京電力はその分の損害も補償の対象にする。というのが常識的な判断となる。

だが、その損害額を支払うのは、結局、東京電力の管内に住んでいる住民の負担に回ってくることは確実である。
関東一帯の電力依存を、関東地方では賄わないで、危険性のある原子力発電所を、福島県の方に立地を依存してきたのだから、事故による被害を分担する責任がある。
原子力発電に多くの電力を依存してきたのは、原子力推進の方針を堅持してきた自民党政権を、長期に渡って選挙で選んだ国民の責任である。

その自民党の政治家は、自分の選挙を応援してくれる電力会社や原子力発電関連企業の利益になる様に、原子力優遇の政策を、ここごとく実施してきた。
原発事故の被害、損害のリスクを軽く見て、いや、見ようとしないで
「原子力発電はあらゆる想定においても安全性を第一にして、建設されている。
だから、事故による損害補償のことなど、検討の必要もない。」
と国民の目をそらし続けてきた結果の事態である。

食品の安全性を守るのは国の役割。風評被害は誰が防ぐのか。

2011-03-21 | 核エネルギー・原子力問題
日本での原子力発電事故は、周辺地域の農業に多大の被害をもたらしている。
人は汚染地域を速めに退避する事で被害を最小に抑えることができるが、大地を汚染された地域は、逃げることはできない。
政府は、放射能汚染の基準を超えた農産物、牛乳を出荷停止という措置に踏み切った。
人体に安全を保証する観点で作成された、放射線の規制値を守るしかない状況に立たされている。

しかし、問題はその周辺への地域に与える影響である。
福島県の会津地方で酪農をいとなみ、牛乳を出荷している地域では、通常の出荷の3割の量に激減している。
これは、放射線の規制値よりはるかに低く安全であるにもかかわらず、福島県産というだけで、消費者が怖がって買わなくなっているからである。
政府が基準値以内の食品は安全で、なんの害もないと説明する事を怠っているから、いわゆる「風評被害」が発生している状態である。

出荷停止の食品を発表する事は、安全性を守る意味で公の仕事であるから、当然の措置であるが、安全基準を満たしていても販売が不可能になることは、今後の大きな問題となる。
なぜ、政府の公式の説明が人々に信用されないか、もう少し掘り下げて考えてみる必要がある。
ことに、原子力関係の政府の説明は、放射能漏れは絶対に起こさない、とたびたび言明していたのに、今回の大事故によって、その裏付けとなる技術的な中身は、欠陥だらけの設計基準と運用の仕組みであったことが露呈した。

それ故に、放射能汚染に対する安全基準の決め方にも、政府の都合で甘い想定による、信用の出来ない規制値であるかも知れない、と多くの人が疑っている状態である。
また、放射能汚染をされた地域がかなり広い範囲に広がっているのに、汚染されたと想定される地域の範囲も限定的で、観測地点も少ない。
だから、安全性が保証された農産物という確証がない場合、消費者は、少しでも安全性の高い食料を欲しがっているので、あえて福島県産を選ばない心情となってしまう。

この政府や電力会社の言うことを信用できない状態では、風評被害は、今後の段階で拡大するであろう。
データがハッキリと、放射能汚染の基準値をオーバーしていれば、廃棄処分、出荷停止による被害は明確であるから、事故が終息したあとで、損害額の賠償が確実に行われる。
しかし、基準値以内の汚染度であっても、売れない状態に陥って、出荷停止、製造停止などで、廃棄せざるを得ない状態に追い込まれた農家や製造者は、いったい、損害を誰が補償してくれるのか。

これを救う方法はひとつある。
政府系の食糧調達先を、風評被害のある地域の農産物に限定する措置を早めに講じることである。
原子力発電が安全であると言明していた電力会社系の企業で調達する食料も、当然、風評被害の地域産のモノに切り替えることである。
すぐにでも検討を開始してはどうか。

大地の汚染を補償できるのか。日本のメディアはあてにならない。

2011-03-20 | 核エネルギー・原子力問題
どうやら原発事故の今以上の悪化は避けられそうである。
しかし、これからの問題がヤマズミとなっていることは、誰しも感じているが、日本のマスメディアは視聴者の関心が薄れると、すぐに採りあげなくなる悪い癖がある。
見たくない、聞きたくない情報は、あえて放送したり書いたりしない様にして、視聴率の低下や売上部数ばかりを気にして、必要な情報から逃げてしまう。

原子力発電所の事故は、チェルノブイリやスリーマイル島発電所の事故で、充分な経験をした筈であったが、日本の原子力業界は、ソ連やアメリカの技術やシステムが劣っていたから起きた事故であって、日本の技術はそれよりも格段に優れて安全性が高いと豪語してきた。
だが、現実は日本の原子力関係者の安全性に対する備えは、アメリカよりもすぐれていたわけではない。

むしろ、事故後の放射性物質の拡散や監視体制については、事故を経験しているアメリカよりも、圧倒的に劣っていることが、明らかになってきた。
それはアメリカの原子力関係者が日本の情報提供に、大きな疑問を持っている事でもあきらかで、アメリカのオバマ大統領は、事故を起こした原発から、50マイル(80km)以内は、放射性物質の影響を受ける恐れがあるので、退去する様に勧告している。

しかし、日本の政府は、原子力族が一方的に決めている基準、20km以内は退避地域、30km以内は屋内待機の勧告を出しただけである。
つまり、アメリカ政府は危険性があるからという地域を、日本政府(原子力族)は、30km以内までは放射性物質の影響を受けるが、それ以上の地域で80kmまでの範囲は危険性がない。
と宣言している。
いうなれば、アメリカ政府の言う基準は【危険性を強調しすぎる過剰の退避措置】だと言うわけである。

この違いは、いったい、どういう理由で違っているのか。
多くの国民が疑問を持っているにもかかわらず、日本政府は、「日米の見解の相違」のひとことで、かたづけて何の説明も出来ていない。
それを知っている筈のマスメディアは、政府の言うことをなぞった報道をしているだけである。
つまり、日本は未だに「大本営発表」をそのまま報道して、国民は本当に知りたいことを知る機会を奪われている状態である。

幸いなことに、今の時代には、大本営の発表を鵜呑みにしているメディアばかりではない。
インターネット時代には、政府の言いなりにならない情報の発信が活発に行われる状況になっている。
放射性物質の健康被害に対する正確な情報を、多くの一般市民が知りうる時代になっている。
それと、アメリカやヨーロッパの先進国からの情報が、随時、日本にいる誰にでも届けられるので、日本の原子力族が、いくら「大本営発表」を続けていても、確実の本当の情報が広まる。
その時になってから、日本のマスメディアは、始めて知った様なそぶりで、報道し始める。

安全神話は官民癒着の悪の構造によって作り上げらたれ謀略。 

2011-03-19 | 核エネルギー・原子力問題
原子力発電に対する安全神話は、完全に崩壊した。
福島の原子力発電所の事故は、現状レベルの悪化を防ぐために懸命の対策が、現場の使命感に支えられて、作業が続いている。
原子炉の中枢の崩壊は、なんとしても回避してもらいたいと祈るばかりである。

一方で、今までの隠ぺい体質に染まった各地の原子力族たちは、懸命の事故拡大防止の作業をしている作業員をしり目に、早くも逃げ出した連中が続々と現れた。
東京電力や中部電力などは、早々の新規原発の建設作業を中断して、工事を進めることを断念した。
理由は、福島原発の安全性の欠如を率直に認めて、原因究明と対策が明確になるまでは、工事を進めない、という趣旨である。
誰からも文句を言われない様にするには、責任を早々と放棄して、仕事を止めてしまうのがてっとり早い。

中でも最大の無責任ぶりは、責任政党であった自民党の政治家である。
原子力発電の安全神話をつくりあげることに、長年に渡って加担してきた「政権政党」であったにも拘わらず、この段階になると、真っ先に原子力政策の転換・見直しを言い出した。
まだ原発事故の先行きが見えない段階で、早々と転換して、自分たちは安全圏に逃げていようという魂胆である。

その言い訳の中身は、なにも言わないうちでも、すでに見え透いている。
「原子力技術を説明する専門家を信じて、今までは、安全を最優先にした政策が妥当だと、信じて来たが、専門家の言う想定が甘かった。
それを信用したことがあやまりであった。」と言いたいのである。
つまり、「悪いのは、甘い想定をした原子力発電の専門家たちであって、自分たちは専門家の言うことを信用するしかなかった。」これでおしまい。

何のことはない。原子力発電の専門家と言っても、甘い想定をして原発の建設に有利になる意見を言う【へつらい専門家】ばかりを寵用して、批判的な意見や慎重論を言う専門家は、遠ざけることばかりをしてきた。
この役割は、経済産業省の官僚であり、その狙いは、原子力関連の産業界においての天下り先の拡大と、権益増大が目的である。

その官僚の腹を知っていても、知らんふりをして、専門家を信用する事に決め込んで、万一の事故が発生しても、専門家の想定が甘かった。それを信用したのが誤りであった。
これに終始することで、責任は最も軽い立場に逃げることができる。
自民党の政治家で、原子力発電を擁護して建設促進、発電所の拡大に加担して、それにかかわった企業ぐるみの選挙の応援を受けて来た政治家は多数に上る。
この事実を、国民の前に見える様にすることが、日本のエネルギー政策の転換だけでなく、【官民癒着の悪の構造】を崩壊させる始まりとなる。

エネルギー危機の段階でも自分だけが大事なプロ野球界の小悪人。

2011-03-18 | 核エネルギー・原子力問題
日本のエネルギー政策の誤りによって、今回の危機がもたらされたといってよい。
安定供給のエネルギーだと、国民に対して言い続けて、国費を大量に投入してきた原子力発電は、安定的なエネルギーであるどころか、近隣の住民に多大な健康被害の不安をもたらす、最大不安エネルギーであった。

同様に、消費する側の感覚も、豊かさに慣れきって、エネルギー消費の貴重さを少しも配慮しない、無神経な体質に染まってしまった。
今回の電力の供給不足に伴って、多大の混乱と不安全をもたらす【計画停電】をせざるを得ない状況に追い込まれたが、その緊急事態を理解していない、お粗末な組織が多い。

特に、プロ野球の運営を担うセリーグの協会は、試合の開催を延期もせず、それも東京においてのナイターゲームを強行しようとしている。

このゲームの為の電力消費は膨大で、それによって、公共交通の運行を減らす必要が生じる上に、
計画停電の事態になれば、交通信号が消えて、大きな危険が生じる。
すでに、何人かの交通事故の犠牲者が出ていると言うのに、なんという無神経さであろう。

さすがにこのセリーグのナイターゲームの開催には、多くの国民からの批判が殺到して、国の方でも問題としてとり上げることになった。
計画停電の必要性のある期間には、少なくとも関東、東北の圏内でのナイターは、中止するべきである。
屋外のスタジアムで、電力の消費を最小にする努力を払って、その上で、計画停電の必要性が出た場合は、真っ先に電源を落とすくらいの覚悟を決めて、実施に移すべきである。

電力利用の優先度は、家庭生活を優先し、生活の糧を補償する通勤の足、公共交通を確保して、
道路交通における安全確保の最低限である、信号機の電源を確保すべきである。
その上で、どの産業、事業の優先度が高く維持されるかは、公正な期間で評価して決めるべきであろう。

他の事業者の損失や迷惑など、お構いなしにナイターゲームを、どこの事業よりも重要だと勝手に決めて、電力を奪おうとするのは、傲慢としか言いようがない無知な経営陣である。
今回のセリーグ球団、協会の愚かさぶりは、プロ野球史上の汚点として、記録されるだろう。

しかし、この事例などは、ホンの小悪人にしか過ぎない。
本当の大悪人は、今はひそかに潜行し、目立たない様にして、厄災が収まるまで批判を受けない様に、ズル賢く括り抜けることに決め込んでいる。
それは、このブログを読んで来ていただいた方には、既に解っている事である。
新ためて書くまでもないが、あえて書いておこう。
それは、経済産業省の官僚と自民党政治家が結託してきた【原子力族】とそれにつき従う【原子力産業界】の老害経営者たちである。

予測される危険を未然に防ぐ予防策が、今すぐにでも必要だ。

2011-03-17 | 交通問題・自動車
日本のマスコミ関係者は、報道の役割を少しは認識してきた様であるが、まだまだ、やるべきことを実施していない。
今の未曽有の危機に対して、一人でも多くの人命を救い、これからの事故を防ぐことに全力を注ぐことである。
この役割がマスコミにとっても、何よりも最優先されるべきである。

その面で、原子力発電所の事故の現状を逐一、報道する事も必要だが、そればかりに集中する事は、別の面で弊害もおおきい。

突然の計画停電は、各地で大きな混乱をひき起こしている。
中でも、道路の信号機が計画停電の中に組み込まれた状態なので、自動車交通の危険性が格段に上がっている。

主要な交差点については、計画停電時に警察官が交通管制の役割を担って、通行を管理するが、
全部の信号機のある交差点をカバーできるほど、人員が豊富にいるわけではない。

自動車は交通信号が消えている交差点を通過するときは、細心の注意を払って、最徐行で通過しなければならない。
しかし、多くの運転者が、この様な状態を経験していないので、中には不用意に青信号のつもりになって、速度を落とさずに通行してしまう。

これは非常に危険な状態であって、既に計画停電中の交通事故によって、死亡者が出ている。
地震と津波災害の規模に比較してしまうと、大した問題だとは扱われていない。
しかし、原発事故と同様に人命は一人でも、最大限の努力を払って、失われない様に配慮すべきである。
原発事故の健康被害を恐れる措置は当然必要だが、それに比べると、計画停電による不慮の交通事故の予防については、あまりにも軽視されすぎている。

マスコミ各社はすぐにでも計画停電中の信号消灯の危険性を、繰り返して視聴者に訴えて、交通事故の予防に大きな効果を上げる様に、新聞テレビを通じて広報活動を強化するべきである。

同時に今の段階では不可能であっても、夏場の電力逼迫時の計画停電時と、やむを得ない事故の大規模停電時に備えて、交通信号の別系統化と、非常電源設備の追加を実施すべきである。
本来は自動車交通時代には、停電時の信号機消灯を予防するシステムを、バックアップ電源の用意も含めて、改革しておかなければならない筈であった。
それを怠ったのは、警察関係者、および、国と地方自治体の交通管理責任部門の怠慢である。

原子力発電所の事故は、バックアップ電源のシステムを、あまりに軽視していたことに、大きな原因があったと思われる。
それは、原子力発電関係者が、万一の異常事態を軽視していて、真剣にバックアップ電源システムを検討していないことにある。
そんなことは起こり得ない、そこまでやる必要はない。
という予防軽視が今回の主原因である。