庵KM

技術屋OBの環境問題独り言

経済問題。交通問題。健康問題。そして、日本の国創り問題。快適社会問題。

今回のコロナウイルスの混乱は、感染検査を絞った不透明さ。

2020-02-29 | 暮らし・健康問題

僅か2週間、いやクルーズ観光旅行の15日間も含めて、一ヶ月程度の期間に、限られた船内で滞在した人々に、災害が襲ってきた。

新型コロナウイルスの感染率は、19%という高率で感染する事態だ。

これを日本全国での感染率とするのは、早計だが、1億2千万人の日本人口では、2280万人が感染者になる可能性がある。

これは、クルーズ船のように、密接に人が交流する空間での仮定だが、とにかく、空気感染、接触感染で、短期間で爆発的に拡大する恐れは大きい。

それに輪をかけたのが、隠れ感染者の可能性を恐れて、子供たちに感染して、ウイルスが各家庭に持ち込まれたら、全国に広がるのは確実だ。

信用性のあるデータがない状況で、後手ゴテ批判を浴び続けた安倍総理大臣は、専門家の意見も聞かずに、「全国一斉休校」を突然に宣言した。

しかも準備期間もなく、3月2日からとの慌てぶりは狂気の沙汰である。

北海道での感染では知事の指示によって、一斉休校の指示が出されていた。

また、新型インフルエンザの流行が最盛期になった場合には、地域を限定した一斉休校は効果的な対応策であると、実績が明らかになっている。

この唐突の一斉休校では、検討不足の事態が次々に指摘されている。

この状況が引き起こす事態を、全て、事前に検討して上で、その対応策を担当官庁や地方自治体、教育委委員会、教育関係者などに示すべきだ。

せめて感染者数が多い限定地区において、一斉休校を実施して、その状況で発生する不具合、不安、救済措置などを、実例を把握する必要があった。

このような当然の措置を、全て眼中にない状態で決断するリーダーは、国難に遭遇した時には、国の運命を任せられない、国民総不安を引き起こす。

この事態の追い込んだ原因をしっかりと把握して、混乱状態での重要な決断の誤りを、二度と起こさない為の事例研究として、後世に残すべきだ。


説明をごまかしてきた政権は、疑いを持たれる運命にある。

2020-02-28 | 暮らし・健康問題

過去の延長上での対応は、秩序維持の説明では政府、官僚のデータで信頼性を問われることは少ないが、異常事態においては、誤魔化しは許されない。

それは、今回の新型コロナウイルスの感染拡大において、感染者のデータはクルーズ船の乗客乗員の発生率が異常に高く、不安感が増大する事態だ。

一人の感染者から、船内にウイルス菌が拡散されて、2週間の間には、感染者が700人以上も発生したことが明らかになった。

3700人中700人の感染者発生は、19%の感染率で、不安に感じるのは当然で、説明するには不適切な数値である。

厚生労働省の感染者の対策では、船内に2週間程度を観察期間として、とにかく隔離することが発生を抑制するとの、非合理な説明であった。

その理由は、未だに説明が不十分だが、感染の陽性・陰性の判断が、限られた医療組織でなければ、実施できないと、国民に説明していた。

それも、1日の実施可能な検査数は、300件程度が限度と言い出していた。

これは、その後の検討では、3000に拡大したが、信用できる数値ではない。

実際に検査が実施された後の、最高実施数はわずか900件であった。

隣の韓国では、1日に1万5000件以上の検査体制が整備されていて、大量感染以後には、フル稼働の体制で検査を進めている。

信用できる説明を期待する国民は、韓国の延検査総数に対して、陽性反応を示した感染者の数値が、最も現状の感染率を説明するデータである。

それに対して、日本では、感染者の検査数を最小に絞り込んだために、発見できる感染者数は、世界の各国の中でも少ない方である。

だが、日本の状況を海外各国から見ると、韓国と同等程度の感染率とみて、隠れ感染者が大量にいるのではないか、と疑いを持たれている。

そのために日本は、イラン、イタリア、韓国と同様に入国制限対象になる。


政権与党の政治家たちは危機対応の気構えを持てない初心者。

2020-02-27 | 暮らし・健康問題

今回の「新型コロナウイルス感染拡大」の事態に対して、政権与党の政治たちの危機意識の欠如は、ひどいレベルであった。

さらに、閣僚の中にも対策本部会議の場を自己都合で欠席して、他人ごとにようにしか考えない、政治家が複数も存在した。

野党の政治家の多くは、2011年3月11日の東北大震災と、福島原発大事故を経験して、当時の民主党政権として対応を強いられて、危機感を共有した。

その時期とは、被害の速度は大きく違うが、感染拡大リスクと、それに伴う経済的な損害、波及被害は、甚大になるとの危機を想定できていない。

国民生活の安全と安心感の回復は容易ではなく、それを最小に抑制する対応策は、ほぼ全員が全く初めての経験である。

民間の人たちは、自分の領域の範囲でしか対応策はできないが、国政を担っている国会議員や中央官僚たちは、危機への心構えが全く不足だ。

中国での武漢市閉鎖の緊急措置を見ても、政治家たちの意識は、全く初心者の段階のままで、何も真剣に考えて行動している様には見えない。

その典型的な事例は、中央政治のトップの安倍晋三首相の、無責任な態度に代表されている。

感染症拡大後の首相記者会見は、全く開かれずに、クルーズ船の乗客、乗員の感染者の発見後も、何も具体策を講じていなかった。

被害の拡大防止は、厚生労働省の管轄の範囲しか考慮しないような、縦割行政の組織に安住した、政治の初心者の域から一歩も抜け出ない状態だ。

全省庁の横断的な対策本部を設置しても、あらゆる見地からの課題を抽出して、横断的対策を講じる時期に、何もしないで過ごした政治は罪が重い。

初心者だからと言って許される範囲を超えている重大な事態だと、危機対応に正面から向かう気構えを、政治家全員が持つべき時期である。


ものごとの基本は現状の詳細を把握して願望的予測をしない事。

2020-02-26 | 国創り政治問題

国の安全保障の本質は、国民生活の健康を維持し、安全と安心感のある生活を保証することにある。

この中での安心感を保証することは、精神的なものであり、容易には達成されない重要な課題である。

日本は世界の中でも医療体制が充実して、経済的な負担も「国民皆保険制度」によって保証されているので、国民の安心感は高いレベルである。

ところが、今回のコロナウイルス発生では、政府は信用を損なう初期対応をしてしまったために、大きな不信感を生んでしまった。

クルーズ船での感染が発見された段階での対応策が、大きな原因だ。

帰港地に停泊して、乗客を下船させない対応は適切としても、船内に隔離したまま、【感染検査もしないで二週間の隔離をする】のは論外である。

乗客の感染有無の検査を実施することが、最も適切であったのだ。

感染検査の精度や、陰性であった人が数日後に陽性に転じることもあるから、複数回の検査を実施する「感染者の確実な発見」が第一であろう。

ところが、発熱が4日続いた人しか検査しないとか、症状の重い人しか検査対象にしないなどは、もっての他の処置であり信用を大きく損なった。

また検査の結果が陰性であった人を、下船後に公共交通機関での帰宅を、平然と容認したのは、検査結果の精度を懸念しない、甘すぎる対応である。

まずは乗客の感染の有無を、可能な限りの精度をあげての把握が基本であろうし、その後の経過観察を適切にできる対策も、十分でなければならない。

その対応策としての、検査能力や、経過観察する施設や体制不足は、想定を甘くしていた医療体制の不備である。

これらの不備を隠すために、検査を少なくした結果、不安感を大きく増加させて、政府の医療措置に大きな不信感を生み出してしまった。

事実を把握しないままに、甘い想定ばかりでの対応では、信頼感をなくす。


日本ならではの国創りの方向を目指して医療体制の刷新を。

2020-02-25 | 暮らし・健康問題

日本は世界に誇れる国民皆保険の制度を充実してきた「安心できる医療体制の国」である。

政権の基本方針も、国民の安全と安心を最優先して、政策を実行して、健康を維持する国策を、大事にしてきた。

しかし、今回の「新型感染性コロナウイルス」の爆発的拡大に対しては、多くの脆弱な点が、明らかになっている。

特に、患者数が急速に発生した段階では、「医療崩壊の恐れ」があるとの専門家の発言では、そのリスクの程度が軽く見られてきた現状がある。

日本は、軍事的な武装は最小限にして、国民の税金の多くを、健康な生活を維持できる体制整備を重点的にした国創りを実行してきた。

これからも、医療体制の充実を維持、レベルアップには、最大限の努力と国税の配分、健康保険制度の改革を実施する方向であろう。

今回の感染生病原菌に対する防備が、成功するかどうかは、今の段階では、分からないが、制度の不備が明確ならば、早急に改革するべきである。

今回のコロナウイルスの検査体制の不備が明確であり、健康保険の対象になっていない欠点も、すぐに対策を実行するべきだ。

難病対策も重要だが、それよりも、多くの人が健康を害する懸念の多い、肺炎の病死を防ぐことは、最重要の課題である。

コロナウイルスによる肺炎では、死亡率はまだ明確ではないが、かなり高率が予想されている。

重症化した患者の救済には、特殊が設備が必要になると言われるが、その設備は、日本ではわずか1800床しか準備されていない。

設備不足によって、治療ができない事態は、起こしてはならない。

軍備充実よりも、健康維持、医療体制の強化こそが取組む優先課題である。


日本の低迷は危機感をもたない政治家と官僚の怠慢が原因。

2020-02-24 | 国創り政治問題

日本は気候変動の危機に対して、世界的な潮流が動き始めているのに、最も後ろ向きの姿勢に終始して、対策を先送りしたいるだけで、惰性で動いきていた。

今回の「新型コロナウイルスの感染者が発生」に対しても、中国の武漢市で大量発生して、医療体制が破綻に追い込まれている状況にあっても、同じで後ろ向きだ。

まず第一に、感染者の発生を検査する体制が、全く準備ができていなかった。

ダイヤモンドプリンセス号の船内で、患者発生の報を聞いても、検査体制の強化を図る対策は、全く動き出していなかった。

乗客乗員を船内にとどめて、感染の有無を2週間の観察期間内に、陽性か陰性かの検査を実施する具体策は、全くお粗末といえる実態であった。

3700人の検査を最短期間で実施するのかと思われていたが、実態は、発熱がひどい人や、症状が悪化した人だけを対象に検査するという、理不尽な基準であった。

この判断基準は、専門家が決めた「ふるい分け」であるが、誰が考えても、【人の健康を最優先する姿勢からほど遠い】理不尽な判断であることは明確であった。

感染症拡大リスクを抑えるためには、インフルエンザのように、発熱の初期や、軽い症状でも、医師の診断を受けて、病状と原因の検査をすぐに実施する。

ところが、懸念のある人を全て検査すると、【崩壊が起きるとの懸念】で、検査数を絞り混むという言い訳を聞かされた。

それならば、検査体制が不十分であるとの実態を把握したならば、危機感を持って、その対策内容を強化する措置を最優先に実行する段階である。

1月中旬には、中国の武漢市が閉鎖された時期には、この危機感を持って政治家が、政府としての体制を調整して、その強化を迫るべきであろう。

その時の国会レベルでは、どうにもお粗末な問題追及に時間を割かれて、危機感を持った国会質疑は、実施されなかった。

それに安住した、官僚群は怠慢の状態のまま、無為に過ごしてしまったのである。


政権与党の政治家たちの志の低さと臆病に呆れる事態。

2020-02-23 | 暮らし・健康問題

今回のコロナウイルスの感染者増加は、官僚の独善的な自己権益の保存習性に拘ってしまった、専門家集団の判断ミスから生じた人災であろう。

それは、発生元の中国の武漢においては、新型の伝染性肺炎の発生を、過小に見せかける「湖北省の官僚の判断が優先」したことに起因する。

その感染力の脅威を認識した、北京の共産党政府は、驚愕して「武漢市の閉鎖」と湖北省への出入り禁止の強行措置に決断した。

一地域の【内部に感染性ウイルスの閉じ込めを徹底的に実行】する強権措置であるから、多大な犠牲が出ることは覚悟の上であろう。

この措置による経済の衝撃的な落ち込みは、政治家が責任を負うとの覚悟の程が、対外的にも知られることになるから、リスクは大きい判断だ。

ところが、その事実を知っていた日本の公正労働省の感染性専門家たちは、自分たちの狭い範囲での役割しか、頭の中になかった。

この悪い情報を的確に上層部に報告して、できる限り早期の対応策検討を進言するべきであったのだが、安倍政権の幹部たちには提言もしていない。

それに対応するかのように、国民と健康と生活を守る最大の責務を忘れ「政治家の意識と志が低い」ので、悪い情報はできるだけ聞かないようにした。

気がついても、自分の所に対応策を持ち込まれるのは、ごめん被るとの「消極的姿勢」に終始した安倍政権の閣僚たちは、厚労省だけに任せていた。

そのために、クルーズ船の乗客にウイルスの感染者が発生するリスクを、船内の防止力だけに依存して、事態を大きくしない、封じ込めを選択した。

これは、船内での感染防止能力に過大で甘い想定をして、それに依存してしまった専門家の過ちである。

専門家だけに任せると、ムラ社会の論理で、自己保存習性に囚われて、事態を自分を守るをしてしまう。

これが日本を危機に落とし込んだ、原発大事故の二の舞になる懸念を生む。


政府は自分の権限で可能な範囲の仕事しか、眼中にはない。

2020-02-22 | 暮らし・健康問題

日本は明治維新以来、中央政府の官僚たちが、国の運営や規制を全て管理して、秩序を保ちながら、国の富を生み出す組織運営をしてきた。

江戸幕府による地方分権の幕藩体制では、やはり、組織ごとの官僚たち(武士階級の上級武家による官僚政治)が、世の中の秩序を保ってきた。

民間の仕事は、生み出された富を流通させる商売と、その製品を作る製造職人の世界であ利、それを統制するのは官僚群である。

その伝統的な意識を引き継いでいるので、政治的なこと、行政には、民間は従うだけで、提案も創造的仕事はしてこない。

今回の新型コロナウイルス感染の対応策は、その官僚統制の典型的な失策であり、世界に日本の官僚の不出来を示す「格好のお手本、教材」となった。

一人のクルーズ船からの下船者が、下船後の感染検査で発見された、との情報をもとに、クルーズ船の帰国時に【乗客乗員3700人を船内に隔離】した。

これは、「すべての感染可能者を、官僚の管理の元に置いておきたい」との幼稚な発想のもとで、行われた稚拙な行動である。

船舶の中には医療施設は不十分な設備と機材しかない、のは明らかである。

船外からの支援者や医療関係者は、船内に入ったら、そのまま出てこないならば、感染は船内だけにとどまるが、そんなことは実行不可能である。

完全装備をしていれば、船内での感染は防げると思い込んでいたのだ。

その完全装備すらしないで、船内に出向いて事務作業をしていた人物から、外に出た後に感染が判明したり、お粗末な事実がゾロゾロと判明した。

それ以前に、船内での感染者隔離手段が、まったくもって、初心者以下のレベルでしか実施されていない事実が判明した。

官僚の権限内で、ウイルスの行動が管理できるとの過信から、船内は、ウイルス増殖設備、感染者増加設備と化していたことは明らかになっている。

 


前例のない異常事態には、官僚の采配に任せないこと。

2020-02-21 | 暮らし・健康問題

今回のコロナウイルス肺炎の感染者が多発したことは、厚生労働者の大失策であり、それを進言した感染研究者の専門家集団の狭量な思索が原因であった。

一人の感染者が判明した段階では、船内での感染可能性がある人の総数は、3700人のレベルである。

これは、多少の時間がかかっても、感染の陽性反応の有無を見るには、医療の現場を動員すれば、数日で判明させることが可能な範囲であった。

しかし、船内感染のリスクを冒して、乗客乗員を14日間も滞在させておきながら、一体、どのような検査基準と体制で進めたのか、一向に判明しない。

これは、官僚の判断がおかしな基準で検討されて、その提案を上層部に進言したことを、失敗であったと認めたがらない、官僚的な自己保身本能の影響である。

官僚たちは、自分たちの判断が絶対に正しいと主張する習性を、入省以来叩き込まれる運命に晒される。

自分の失敗、自分の部署の失敗、自分の上司の判断の失敗は、すべて口外してはならない、ご法度の行動である。

絶対に失敗しない、との自負が、過剰となって、失敗を認めない空気が支配しているのが、霞ヶ関の官僚群たちである。

それが高じて、今回の感染者の陽性判定には、官僚の権限が行き届く自信のある部門にしか、委託することを拒否したのである。

それを民間の識者や、ジャーナリストに指摘されて、渋々と、委託範囲を広げて、大臣には1日に3000件程度まで検査可能と報告をしていた。

しかし、クルーズ船乗客が下船した期日までに、検査できた実数は、お粗末な数字であり、こんな実績しか実行できない厚生労働省の無能力さを内外に知らしめた。

今後は、前例のない異常時の采配の判断は、官僚の采配の外で検討させるべきだ。

 


「過ちを改むるに憚ること勿れ」を早急に実行すること。

2020-02-20 | 暮らし・健康問題

今回の新型感染性病原菌による「世界的な拡大パニック」は、20世紀を通じてのグローバル化一辺倒に警鐘を鳴らして、教訓となる災害であろう。

20世紀の終わりに、新自由主義が世界を謳歌して、金融自由化を無制限に進めた結果が、アメリカのリーマンショックとなって、市場を混乱させた。

その反省を経て、金融関連を適正なルールの下のおいて、無制限の自由を厳格なルールで縛ることになった。

今はその途上であるが、中央銀行紙幣による経済運営にも踏み込んで、制度の検討が進められる時代になっている。

また人の移動の自由化は、欧州のEUにおいて、各国の主権を欧州委員会に移したために、【民主主義の基本である住民の意思の尊重】が軽んじられた。

イギリスでは、その影響で不満が噴出して、EUからの離脱が本格的に動き出して、人の移動の自由化は制限される方向に転じた。

アメリカでは、すでにトランプ大統領の当選によって、メキシコ、中南米からの越境移民の制限が厳格になっている。

20世紀の新自由主義や、自由化至上主義者は間違いを認めて、適正な制限のあるルール化を実現することに、行動を改めるべきであろう。

今回の新型コロナウイルスの出現と、急速な世界的拡大には、どのような対処の方策が有効かは、今の段階では、混沌としている。

しかし、同様な混乱とパニックを最小限に収める知恵は、これから真剣に検討されるであろう。

そのためには、各国が把握している重要なデータは、共有としておくべきであって、一国の利益を優先することがあってはならない。

そのデータをもとにしてに、今後の人の移動の制限を、どのように管理していくのが得策かを、世界共有の課題として忌憚のない議論が必須である。

 


新型ウイルスの蔓延を想定した物流ネットに転換していく。

2020-02-19 | 暮らし・健康問題

中国の武漢で発生した「新型コロナウイルス」による肺炎の流行は、想定外の急速な広がりによって、経済的な影響が拡大している。

多くの製造業が、グローバル化の掛け声のもとに、国際的、地域的な広い範囲での物流網を利用した、「ネットワークを形成」している。

しかし、想定外と言っていた「日本国内での大地震、大津波など」の災害に度々遭遇している日本では、これらの影響を最小にする配慮をしてきた。

西日本に災害があった場合には、少なくとも東日本が生産活動に影響を受けないような、綿密な物流ネットを構築してきた。

しかし、国際的なネットによる生産活動を、無制限に拡大してしまった「中国生産依存」は、危うい状態にある。

今回の「新型ウイルス災害」は、流行感染拡大の早さは、従来より強大だと言っても、想定外の速さではない。

拡大を抑止するために、中国政府が【地域を完全に閉鎖する】と言う「強行抑止策」を実行したことが、確かに想定外であった。

これを貴重な教訓として、戦争災害と同じレベルに考えて、物流ネットの構築を、慎重に検討し直すことが、生産活動の安定に貢献する。

グローバル化経済の世界では、これからは、新型の病原菌による流行で、地域社会が危機に陥ったり、閉鎖される危険性が、度々発生するだろう。

日本での災害発生も、気候変動の影響を受けて、発生リスクは増えている。

それらを考慮に入れた上での、生産活動の物流ネットワークを作ることを目標にすべきだろう。

国際分業体制が最良でない時代に移行していると、転換したほうが良い。

今までも、戦争リスク、自然災害リスク、の検討はされてきた。

これからは、新病原菌流行リスクを考慮に入れていくべきだ。

 


これからは最悪の事態を想定して事前に準備を検討すべき。

2020-02-18 | 暮らし・健康問題

21世期には進化は進んで、大抵のことは対応策が実行可能になっている。

しかし、それでも、あらかじめ想定しておかなかった事態が、多々発生する事態が多発して、大きな被害を社会にもたらしている。

それに輪をかけているのが、人類の膨張した活動によって、地球環境が劣化したり、気候の変動が過激に変化している被害が、発生し始めている。

今までは、異常気象だとか、異常な事態だからとして、発生してからの後追い的な処理や、被害対策が講じられてきた。

国民の健康と安全を守るのが、政府機関の最大の責務であるにも拘らず、想定外の事態が起きたからと言って、政府の責任を逃れられる時代ではない。

今回の「新種のコロナウイルスの肺炎蔓延」は、中国発生の初期の措置を誤ったために、世界中に広がる危険性にさらされている。

事態の予測は困難だが、発生の初期の段階に、蔓延を想定しての予防策は、不十分であったことが判明している。

日本は、中国が「1000万人都市武官」を緊急に閉鎖したにも拘らず、日本の非常事の蔓延防止体制の検討を始めていなかった。

甘い想定によって、「クルーズ船での感染者発生」を、適切な防護体制を講じての船内感染を、全く防げなかった。

これは、感染の検査体制を3700人レベルに対応させる措置を、グズグズとしたことが大きな原因の一つである。

これらの対策は、新種ウイルスの発生を予測するならば、想定外とせずに、発生の時点で、非常時の蔓延対策に突入するか、決めておくべきなのだ。

福島の原発大事故の時も、想定外の事態が起きたとの言い訳が横行して、結局は誰も責任を負えない状況で、危険性の高い原子力発電に邁進していた。

これからは、最悪の事態を想定していない事業は、着手してはいけない。

 


台風の豪雨対策を、可能な限りのダム嵩上げ改造で被害削減。

2020-02-17 | 環境問題

気候変動の過激化は、避けられない事態に進んでいることは間違いない。

1992年のブラジルでの気候変動会議において、世界の平均気温が上昇を続けて、このまま進めば、地球環境は予測を上回る危険性があると決議した。

しかし、対策の「温室効果ガスの排出削減」は、世界経済の足を引っ張るからと先送りされて、それから30年近くも経過しているのに改善されない。

2050年に向けて、世界の平均気温の上昇を2℃以内に収める目標を決めたが、世界各国は低い目標しか提示できないでいる。

今の政治体制と、各国の経済成長競争を変えることはできない現実であり「温室効果ガスの削減」は、願望ではあるが実現できないと覚悟するのだ。

それは、日本に上陸する台風がもたらす降水量は、予想を上回る雨量に達すると、想定するべきだろう。

その雨量の最上限は、今の科学と予測技術では、不確かなデータになる。

では、今からできる対策が、少しでも効果を上げる防衛策になる方法は、なんであるかを、早急に検討を始めるしかない。

その中で、山地に大量の降雨量が集中した場合に、中流域、下流地帯での洪水を引き起こす恐れは、極めて高い。

昨年の中部、関東、東北南部の洪水は、異常気象による過去最高の降雨で、中流域の堤防を超える雨量が降ったのが原因である、とされた。

しかし、もはや異常気象だから、洪水が起きても被害を受ける人が、緊急避難することで命を守り被害は我慢をする、と言う理屈は通用しない。

上流域での流量を制限するには、既存のダムを嵩上げすれば、10年以内には、かなりの降雨量をダムに貯留して洪水を防止することが可能になる。

この対策の実行可能な概要対策はすでに出来上がっている。

後は国策としての優先度を、最上位に上げることが政治的課題である。

 


悪評の減反政策を転換した後は、営農型太陽光発電で挽回を。

2020-02-16 | 快適エネルギー社会問題

日本は農業を大事する国策を長年に渡って撮り続けてきた。

それにも拘らず、農業従事者の貢献者不足は万年化して、耕作放棄地などが増え続ける流れは止まらない。

これは、農業生産だけでは、将来の生活設計が成り立たなくなったり、希望を満たせる「やりがいのある職業」とは言えなくなっているからだ。

それは、例えば、長年にわたって、米農家の保護を目的とした減反政策によって、その場しのぎの農政を繰り返してきた、国策の失敗も影響する。

減反政策は、単純に言えば、お米の価格を維持して、米農家の収入を一定以上のレベルに保とうとする「統制経済的な不合理政策」であった。

2018年には、この制度を廃止しているが、日本の方行を守ると言いながら、放り出しているに等しく、その一方で[T P P]などで、潰そうとしている。

ここにきて、農業経験者から、素晴らしいアイデアが提起されている。

日本の農地を守りながら、農家の保護育成を実施できる「営農型発電のシステム」が、2013年頃から提案されて実験的に実施されてきた。

農水省は、当初は、農地の目的外転用が拡大すると疑問視して、厳しい制限を課してきたが、5年間の実績を見て、考えを転換しようとしている。

農作物を栽培しながら、その上部に、太陽光発電のパネルを設置する事業であるが、遮光率を10~50%程度の調整して設置する。

その土地の土壌と気候にも影響するが、作物に降り注ぐ太陽光は、100%を必要としない。

稲作でいえば、遮光率は30%程度で十分な作物の生育が可能である。

太陽光発電の設備投資は、10~20年で償却可能であり、設備焼却後の農家の収入は、確実の上乗せできる、安定的な事業のシステムになる妙案である。

 

 


福島県は2040年目標で再エネ100%供給を目指して活動を。

2020-02-15 | 快適エネルギー社会問題

日本の安倍政権は、未だに再生可能エネルギー100%社会を目指す政策目標を曖昧にしている。

これは、経済産業省に巣食う、「原子力族」の生き残り策が底流にあって、100%宣言をすることに抵抗しているからである。

その面では、東京都では原子力族は抵抗勢力にはならないので、2019年に112月27日には「ゼロエミッション東京」を宣言している。

これは2050年には、再生可能エネルギー依存度100%を目指すことになる。

国はできなくても、東京都が日本を率先して主導するとの覚悟である。

日本の原子力族の傲慢な姿勢の被害にあった福島県では、早々に、脱原子力を宣言して、東京電力の福島県内にある原子力発電所の廃炉を要求した。

当然の策として、東京電力は全て福島県内の原子力発電所の廃炉決定した。

さらに福島県では、脱石油エネルギーの復興の未来を想定して、「再生可能エネルギー導入」を積極的に進めて、県内のエネルギー自給を進める。

2040年度には、県内需要相当分以上を再生可能エネルギーで賄う目標だ。

そして、その後も再生可能エネルギーを増加させて、原発での送電線網を利用して、首都圏に再生可能エネルギー電力として送電する狙いである。

さらに、余剰の再エネ電力は、水素に転換して、水素燃料事業を起こして、

首都圏に水素を輸送して、経済的地位を有利に展開する構想である。

福島県は、原子力災害によって、日本で最も悲惨な状況になった自治体であるが、この失敗の教訓を生かしての、将来目標は立派である。

これからは、地域社会は大都市の従属的な事業を、受け身的に請け負うのではなく、積極的にエネルギー自立をして、その上で、さらに売り込むのだ。

こうして、日本中の地方自治体が、地産地消エネルギー社会を実現して、それを土台にした上での、経済活性化を図ることが、日本の将来像である。