庵KM

技術屋OBの環境問題独り言

経済問題。交通問題。健康問題。そして、日本の国創り問題。快適社会問題。

浪費型交通システムは、これからは増やさない。

2009-04-30 | 交通問題・自動車
鉄道は省エネルギー性の高い交通システムであるが、それでも、技術の中身をキチンと点検して、100年単位でエネルギー消費のデメリットがないかを見てから選択すべきである。
高速鉄道では、「リニアー方式」はダメの部類であり、地下鉄でも「リニアー方式」はダメの典型である。
そして、まだ他にも間違いを犯したシステムが、あちこちにその残骸を残している。

地下鉄方式で、もう一つの失敗例は、札幌市が導入した、タイヤ式車両の地下鉄である。
何で、わざわざ、タイヤを使った方式にこだわったのか?
理由は聞いた範囲の説明なので、定かではないが、鉄車輪の地下鉄は騒音が大きい。タイヤ方式ならば、それが改善される。というものだった。
実際に乗ってみた感じでは(札幌地下鉄と最新の鉄車輪地下鉄を比べて)、タイヤ方式の方が、騒音が大きい。
それは、車両の静穏化技術の進化の度合いも違いがあるので、厳密には比較できないが、タイヤ方式が優れているとは、とても言えない。

むしろ、鉄車輪と鉄レールの組み合わせは、メンテナンスを適切に行えば、もっとも走行抵抗が低くできて、省エネルギーになるし、静音化もできる。
導入当時の札幌地下鉄関係者は、メーカー側の売り込み説明を無批判に受け入れてしまった様である。
今では、路面の痛み(舗装路面のすりへり)やタイヤ自体の摩耗、耐久性の問題で、苦労の連続である。
もちろん、鉄車輪方式に比べてエネルギー消費は大きく、電気代がかさむ。
その上、タイヤの摩耗粉じんが、健康被害を及ぼす可能性も指摘されている。

まあ、一度入れてしまうと、システムの変更は大工事になるので、そのまま、使うしかないかもしれないが、今後、100年は利用するつもり(中心部の重要な足)ならば、近いうちに鉄車輪方式に置き換える方が得策かもしれない。

地上の上空を走らせる「新交通システム」というカテゴリーがある。
この、「新」という文字でくくっているのは、まだ「評価がよくわからない」というのと同義語だと思えば、間違いを犯さない。
このなかに「モノレール」というジャンルがある。
浜松町と羽田空港間の路線であるが、これが全国の各地でかなり設置されている。ほとんどの路線が赤字運営である。
これは、工事費がかなり必要なうえ、タイヤ駆動方式で電力を大食いする。
タイヤの摩耗や機器関連の消耗で、保守費用も高い。
従って、運賃を高く設定せざるを得ない。
結果として利用者は増えないから赤字経営が続く。

モノレールの中でも一番ひどいのは「懸垂式モノレール」であり、千葉市が導入した。
遊園地で時たま見かけるが、全国でも珍しい方式である。
これは通常の「またがり式モノレール」よりも、さらに省エネルギー性能が悪く、車体も小さくせざるを得ないために快適性が劣る。
運賃が高くて、快適でなければ利用者が減るのは当然である。
税金の投入で維持し、「ぶらさがりモノレール」と呼ばれる。

千葉市は今でも、この路線をどうするかで、市民を含めた審議会で対策案を検討している。
このまま続けても赤字累積が増える。
路線を延長して利用者を増やしたいが、それでは、将来における借金返済額がさらに増える。
返済の見込みは立っていない。
ツケは次世代に回すことになりそうである。

同じ千葉県の新知事が「リニアー新幹線」を開設する、と公約して当選した。
しかし、千葉県民はこのような事実を知った上で投票したとは思えない。
説明責任が問われるべきであろう。
以下、次回に。

鉄道インフラは100年の単位で、検証すべき。

2009-04-29 | 交通問題・自動車
自動車の「エコカー」論議は、表面的に過ぎる傾向があると指摘した。
大元までを考えて、本当に環境に良いか、地域にとって良いか、住む人、使う人にとって良いのかを、きちんと考えて選んでいく必要がある。
しかし判断を間違って選んでしまっても、その寿命は20年程度であり、入れ替えることは比較的容易である。
だが、鉄道は簡単には取り換えられない。
100年以上にまたがる、重要な選択である。

前回のブログで、高速鉄道のシステムで、「リニアーモーター方式」の採用を、先進技術の名のもとに「空気」を作って、無知のままに進める愚を指摘した。
中国で世界初のリニアー高速鉄道は、光沢民のメンツのために設置したようなものである。
後世の人たちは、その負の遺産を持て余すであろう。

高速鉄道ではなく地下鉄方式でも、愚かな選択をした事例がある。
日本の地下鉄「リニアー駆動式」のミニ地下鉄である。
これは、東京の大江戸線に代表され、東京都のメンツを立てるために、強引に進めてしまった例である。

「リニアー駆動式」の特徴は、車両に電気回転式モーターを積まないで、レールの間に設置した磁石により駆動力を得てすすむ。
磁気浮上ではなく、車輪で鉄レールの上に乗って走る。
何のメリットがあるのか?
開発した企業の説明では、床下にモーターがないために、車両の高さを低くできる。
その分だけ、地下鉄の通行路のトンネルを小さくできるので、工事費が削減できる。
だから導入する経営側にも負担は少ない。

東京都の役人は、これにコロット騙されてしまった。
何も知らない知事は、最新の技術をつかった先進的地下鉄を導入したという実績を上げたいばかりに、この計画を承認した。
それに追従して、お隣の横浜市は新設の地下鉄に、この方式を採用して後追いをした。

結果はどうであったか?
営業成績は、いつまでたっても赤字のままであり、累積赤字は自治体の財政悪化の大きな原因になっている。

それでも利用者にとってメリットがあったなら、まだ許せる面もあるが、とんでもない状態である。
乗ってみた人はスグにわかるが、車内はせまい感じで騒音も大きく、快適性は大幅に劣る。
その上、運賃は従来の地下鉄よりも高い。
運行する企業体にとっては、電力の消費量が従来の方式に比べて何倍もかかる。(恥ずかしいので公表値はない。)
おまけに小型の車両にするために、小径の車輪を使うので、レールや車両の消耗が激しい。
メンテナンスにも経費がかさむ。
良いところは何もないと言ってよい。

民間の企業で、このような判断ミスをしたら、経営責任を必ず取らされる。
しかし、行政側では、知事が交代する以外は、一切の責任を取る人はいない。
ツケを払わされるのは納税者であり、割高の運賃を払わされる利用者である。

自動車を買う場合には、今回の車両は良くなかった。次は、間違いのない選択をしよう。ということで10年~20年の間には、適切な選択ができる。
しかし、鉄道においては方式がまったく違ったシステムを導入してしまったら、もう、変更はできない。
下手をすれば100年間にわたって、ツケを次世代が払うことになる。

メンツにこだわる選定や判断が、いかに罪深いかの実例である。
以下、次回に。

鉄道新時代には「空気」に惑わされないように! 

2009-04-28 | 交通問題・自動車
これからは、鉄道と自動車の棲み分け、共生の時代にはいる。
自動車は省エネ、脱石油の技術で革新される。
そして、自動車一辺倒ではなく、都市部や郊外地域に適した鉄道のシステムと結合して、便利で環境に適合する、安全な仕組みが整えられることが必要である。
鉄道設備もつぎはぎではなく、もっと利用者にやさしい、快適な車両と乗り換えの仕組みが必要である。

中には、鉄道はこれからに時代に先端を行くという謳い文句で、間違った方向に進んでいる技術がある。
一度、原点に立ち返って、点検をしておく必要があるのではないか。

高速鉄道の技術として進化してきた「新幹線」のシステムは、世界に誇れる実績であり、これがさらに改良される方向で、世界中に広がることであろう。
しかし、新幹線よりも速い速度で走ることを目指している、「リニア方式の高速列車」のシステムは、日本のJR東海が、メンツをかけて研究開発と、実用化に邁進しているが、本当にその技術は有益なのか?
現状で見る限りは、大きな間違いを犯しているように思われる。
その問題点を、ここにあげてみよう。

第一に、高速で走るといっても、巡航速度400km/hでの技術は、今の「新幹線方式」で実現できるし、商業性も確実である。
それを500km/hに上げるために、磁気浮上式(リニアモーター)にして、車両も小型化して実現しても、どれほどのメリット、有益性があるのか、検証もしていない。
東京―名古屋間を、新幹線方式とリニア方式で比較してみてはどうか?
到達時間が短くできることはわかるが、そのために、どれだけのエネルギー消費がふえるのか。
いまの段階では、はっきり数値がでないが、5倍以上のエネルギーが消費される可能性が大である。

そして、路線の建設費用は2倍以上、車両の価格も(小型に車体にしても)2倍以上、路線と車両の保守、メンテナンス費用も2倍以上。
当然、これらを勘案すれば、運賃のレベルは、どう頑張っても2~3倍になる。
それを払うだけの必要性のある乗客は見込めるのか。
決定的に判断がずれているとしか思えない。
その努力は、むしろ今の新幹線に改良によって、運賃を引き下げる方に技術改善をすべきであろう。

しかし、「リニアモーター方式」の高速列車は、鉄道技術の最高峰との思い入れの為に、利用者不在の議論がまかり通っている。
中国に先を越された。ドイツの技術より良いものを作れ。
との技術者の挑戦魂は、いつの時代でも必要であるが、利用者よりメンツでは、ご免こうむる。
これからは、エネルギーの消費についても、もっと突き詰めて考える必要がある。
作ってしまってから、「エネルギー」の大食い鉄道、金食い虫になっては維持もできないであろう。

もっと謙虚に、技術の本質的な方向を見て進む必要がある。
「リニアモーター高速列車」はバブル時代の産物である。
21世紀にはいってからの、世界に流れや、環境重視の政策には合致しない方向の技術である。

千葉県で当選した(何も知らない)知事が、何のメリット説明もしないで、空港まで「リニアー列車」を走らせると、公約しているが、実情を知ろうとしない政治家にも、大きな責任がある。
次世代に無駄飯食いの負の遺産を残すことになるのは、目に見えているというのに・・・!
以下、次回に。

先進国は鉄道の革新時代にはいる。日本は、また油断? 

2009-04-27 | 交通問題・自動車
自動車の利用は、本来は「エコ」ではない。
それを「エコカー」という名目で政府の補助の対象にするのは間違いである。
緊急経済対策とするなら、それは妥当な政策である。しかし、それに大型の高級乗用車の「ハイブリッド車」を含めてしまうのは、特定のお金持ちを優遇する不合理な政策である。

「有効需要の創出」という、昔からの常套の手段、いわゆる「ケインズ政策」は不景気に落ち込んだ時に必ず提示され、実施されてきた。
しかし、それにはモラルが必要である。
不公平な助成策が含まれると、国全体の活力を失うし、甘えの構造を生み出す。
単に需要を創出するというのではなく、それが新しい産業を生み出すとか、将来のインフラとなるなど、次世代の人たちにとって、納得のいく方面にお金を使うのがただしい。

その点で、鉄道網の革新や充実の投資を積極的に行うことは、原則的にはただしい選択肢である。
アメリカは自動車交通大国であり、都市間は飛行機移動が主流の交通網としてきた。
これを大きく転換して、都市間には「新幹線」のような高速鉄道を導入しようとしている。
これは新たな設備投資により、経済の回復に貢献する。
オバマ大統領は、石油消費を削減させる意味でも、アメリカの鉄道網の刷新に意欲を見せている。

「新幹線」のシステムは日本が大きく先進技術を獲得している。
しかし、国内では新設する必要のある区間はあまり残っていない。
その技術をアメリカに移植をすれば、大きな貢献ができるとともに、一層の技術革新のチャンスが出てくる。
日本では、国土の影響もあって、営業運転が320km/hに制約される。
しかし、技術的には、いまの方式の改良で、400km/hの速度での営業運転が可能であり、それをアメリカの都市間に設置していけば、飛行機と自動車に頼る交通体系を刷新することになる。
日本で生まれた技術を世界に広げて、石油資源消費の節約に役立てることは、大きな意義がある。

また、都市内においての交通も自動車のみに頼るのではなく、主要な路線を選定して、近郊型の鉄道を導入する必要がある。
一部の都市では進んでいて、近郊の路線から直接、市内の路線に乗り入れるシステムが開発されている。
アメリカでは郊外の駅には自動車の駐車場がもけられ、「パークアンドライド」ができる仕組みを増やしている。

鉄道システムは、これからの世界で注目を浴びる、21世紀の脱石油技術、新インフラである。
人が移動するのに消費するエネルギーは、自動車を使うときの1/10で済んでしまう。
鉄道技術でも「新幹線技術」は世界最高である。
しかし、日本国内の新設はもうわずかしかできない。
また、近郊型市内の鉄道技術も、最高レベルの技術を持っている。
それなのに、市内の路面公共交通網{路面電車の近代型}については、まったく関心を示さない。
一部の地方都市、富山市などでは成功事例のモデルがあるが、国の方針には何も取り入れていない。
トップレベルになると油断が生じる。

日本は太陽光発電で世界のトップレベルを進みながら、大電力会社の意固地な方針のもとに、優遇を打ち切ったために、一気に首位から転落して、2009年には6位以下に落ちそうである。
今頃、あわてて優遇措置の改革をしているが実施は2010年以降にずれる。
何やってんだ!

鉄道システムの革新には、官僚も自治体首脳も、本気で取り組もうとしていない。
それが日本の油断である。
本当の油断になってからでは遅い。
以下、次回に。

環境重視は世界の常識、しかし、表面だけの判断は禁物。

2009-04-26 | 交通問題・自動車
今回の緊急経済対策の目玉にされた感のある「エコカー」であるが、ここ数回に書いたブログで、その表面的な宣伝や動きで評価するのは、問題が潜んでいることを指摘した。
そして自動車交通自体は大都市での役割は限定的で、本来は過疎地域、地方にとっては不可欠の交通手段であることを肝に銘じておかなければならない。
大都市部では、ほとんどの移動を公共交通、それも鉄道を充実することで十分に機能しているし、人の移動には一番、環境に適合している。

貨物輸送については、また、検討課題が別になるので、今回は人の移動に焦点をあてて書いたが、とりまとめをしておこう。
都市部での最適な移動手段は鉄道である。
そして、荷物の多い時や乗り換えで不便な場所への移動には、自動車を使う。
それも、不必要に大きい車ではなく小型車で十分である。
今は小型車のサイズで8人乗りなどは十分にできる。
軽自動車でも、6人乗りが楽にできる。

日本で自動車が個人用に普及し始めたとき、一番贅沢な自動車は、トヨタ自動車の最高級車である。
「トヨペット・クラウン」という名前で売り出された、1500cc、60馬力のセダンである。
これに乗ることが、ひとつのステータスであった。
50年近くたって、今では軽自動車の性能は、それを上回り、6人がゆったりと乗れる。
高速道路を100km/hで長時間走っていける快適性である。
これ以上を望むのは、贅沢の領域である。
個人の趣味で贅沢をするのは自由であるが、それを国や自治体が支援する必要はまったくない。

「エコカー」として不十分でも、少しでも化石燃料の消費削減に効果があり、一時的な景気低迷に活を入れる手段として、売上増に助成することで雇用を回復させる意義はある。
しかし、それを国民の税金で賄うのであれば、軽自動車と、それに匹敵する以上の燃費性能を実現した小型車に限定するのが、筋の通った政策である。
サイズの大きいエンジンを積んだ大型の乗用車で「ハイブリッド車」と名のつく車種に「エコカー」の名前を付けていたりして、補助金を出すなどは、納税者をだましていることに等しい。

マスコミはこのことを伝えていない。
それは、宣伝、広告の掲載を自動車企業に依存している面があるからである。
今の世の中は広告に頼っていない報道手段がないから、このような不条理なことが堂々とまかり通っている。

これを突き破る力は、大企業の宣伝のネットからはずれた、ミニコミそして、個人的な情報発信手段「ブログ」などに頼るしかない。
このような、お金の力に左右されずに、真実の情報を共有していくことが、この後の社会の大事な基本であろう。
一部の権益を握ったところが、自陣営の利益を維持することを重要視して意図的にコントロールできる情報に左右される仕組みは、社会を間違った方向にいかせてしまう。

アメリカは交通手段として鉄道を重要視してきた社会であった。
それが、自動車産業が発展するにつれて、自家用車を使うことが進歩であるようなイメージを広く流布していき、自動車大国をつくりあげた。
一部の大都市では市内にあった公共交通、路面電車なども撤去させて、自動車交通が今後の世の中の流れであることを宣伝した。
市内交通から鉄道を排除したわけである。

日本はほとんどの地方都市はそれに追従してきた。
東京などは例外的に鉄道網を維持、増設してきた。
世界はこれから日本の鉄道網に目を向け、鉄道と自動車の共生を目指す方向に進む。
以下、次回に。

自動車が「エコ」を謳えるのか。もっと深く考える。 

2009-04-25 | 交通問題・自動車
マスコミが伝えるイメージの言葉には、表面的な空気に流されていることが多い。
「エコカー」の宣伝文句に無批判に対応して宣伝に協力する姿勢は、前回の「燃料電池自動車」が持て囃された時代からである。
「充電式の電気自動車」について、もっと深く検証してみる必要がある。

「燃料電池自動車」の場合は、燃料となる水素をどのように作るのか、が課題となっている。
一番、量産性のある方法は、石炭と水から反応させて水素を作る。
この場合は、大量の炭酸ガスができる。
自動車が走る段階では「水」しか廃棄しないが、もとの燃料を作る段階で「炭酸ガス」を出しているのだから「エコカー」とは言えない。
しかしマスコミはそれをキチンと伝えないために、政治家などはコロリと騙される。
「一番クリーンな自動車」だ、と勘違いして、喜々として試乗をしてパフォーマンスを演じた。
何のことはない、ダイムラー社の宣伝戦術の片棒を担いでいただけである。

今回の「充電式の電気自動車」は、どうであろう。
この場合も充電する電気をどのようにして作っているか、が課題である。
2006年時点で世界の発電量の内訳で化石燃料による割合は、石炭41%、石油6%、天然ガス20%、となっている。
一方、炭酸ガスを出さない、水力や再生可能エネルギーによる発電量は、合計で18%にとどまる。
日本だけに限定すると、この割合は10%であり、今後の増加傾向はわずかな量しか見込めない。

以上の検証から、充電式の電気自動車に切り替えても、実質の炭酸ガスを削減する能力は、10%しか見込めない。
化石燃料を直接燃料とする方法から、いったん電気に変えて電池に充電して、それからモーターに流して動力を得ている。
遠まわりのことをしながら、排出を減らせる炭酸ガスは10%。
この段階であれば、燃費を30%~50%節約できる「ハイブリッド車」の方が、削減する効果は大きい。
通常のガソリンのみで走る自動車よりは、「充電式電気自動車」の方が少しは「エコ」といえるが、ダイダイ的にうたい文句にするほどの効果はない。

発電する電気を再生可能エネルギーによる発電、たとえば、風力発電や太陽光発電にして、それを充電すれば、「充電式電気自動車」は、まったく、炭酸ガスを出さない。だから良いのではないか。
その通りです。
根本の課題は、発電設備を大量に「再生可能エネルギー発電」に切り替えていくことに尽きるのです。
その上で、「充電式電気自動車」に必要な「次世代高性能電池」の技術開発は、最重要課題である。
これは、太陽光発電の電気を昼間に充電し、夜間に電気を使うことができるシステムにするには、大変有利な技術である。
しかし、それをあえて自動車に積むことは必要ない。
優先的に一般の電力配送系統につながる設備を充実させていけば、化石燃料による発電を減らせる。

経済産業省は、「次世代充電式電池」を技術立国のコアにしていく戦略を持っている。
しかし、これを表向きは「エコカー」の技術として喧伝しているが、現状では本当の「エコ」ではない。
隠された意図は、原子力発電の増設をした場合に、夜間電力が大量に余ることになる。
その電力を「充電式電気自動車」を大量に普及させておいて、夜間充電を優遇して、電力を吸収していきたいからである。

専門家や、環境問題を研究しているメンバーは、すでに、このことは十分に知っている。
しかし、マスコミはあえて、そのことは採りあげない。大電力会社と経産省に配慮しているからである。

表向きは「エコカー」の技術先進国を目指す。
炭酸ガスの排出削減に貢献する。
と謳い文句にしておいた方が、国民の空気を誘導しやすいからとみているからである。
以下、次回に。

自動車企業が電池のイメージに頼る時代は15年前から.

2009-04-24 | 交通問題・自動車
今まで何度も石油高騰の時代を経ていた段階で、電気自動車や再生可能エネルギー源に期待が寄せられた。
だが石油価格が一時的に下がると、すぐに石油依存の体質に戻り、ガソリン浪費型の自動車が販売増加となり、新技術への挑戦は下火になってしまった。
今は脱石油、脱化石燃料は当たり前の時代になっている。それは今後は一時的な需給の逼迫ではなくて、石油資源の探索、開発にピークを過ぎた兆候が表れているからである。

約15年ほど前に、自動車企業の大手、ダイムラー社が鳴り物入りで宣伝した新技術の自動車があった。
「燃料電池自動車」である。内容は簡単に言うと、水素(高圧にして液体化した)を燃料として、空気中の酸素と結合させるときに発生する電気を動力源とする電気自動車である。
空気と水素を結合して、排気ガスは水蒸気、水であり、クリーン度において最高レベルであることを、うたい文句にしてダイダイ的に宣伝をした。
数年で実用化できるような説明もあった。

ダイムラー社は、なぜ、このような新技術を重要視したのか。それは、排気ガスの問題もあるが、高級車としてイメージを高く維持するためには、どこからも、文句の出ない最高レベルの環境性能を宣伝文句にしたかったのである。
世界のVIPを相手に、高額の自動車を買ってもらうには、どこよりも技術が進んでいなければ、先進イメージでは売り込めない。
その当時、ダイムラー社の高級車は、「毛皮とベンツ」と言われるように、少し鼻もちならない金持ちが乗る車のイメージが染みつきはじめていた。
「毛皮」は生物を犠牲にする象徴であり、ベンツ車は、同クラスで最も安全度は高いが、ガソリンを、かなり浪費する自動車の代表である。

ダイムラー社の思惑は当たり、燃料電池こそ、次世代の自動車の本命であるかの様なムードができつつあり、各国の主要な自動車会社は、あとを追って、燃料電池の技術開発に大金を投じていった。
しかし、いくら研究しても技術の壁は破れなかった。
問題は「燃料電池」のコストと耐久性にあり、さらに一番の問題を軽視していることである。
それは燃料の水素をどうするのか?という基本的な問いに対して、自動車会社は答えをもっていない。
良い技術ができれば、燃料供給は後から考えれば良いと、安易にかたずけていたことが原因である。

マスコミも、最近はやっと、この燃料、水素の課題が困難であることがわかり、次世代の自動車燃料は水素である、などとは全く言わなくなった。
いま実用化を狙っている「燃料電池」は、メタン(天然ガス)を燃料とした、家庭用や事務所で使う電力と温水の熱源とする方式である。
これならば、都市ガスとして既に、大都市では燃料供給に設備は整っているので、機器の開発、設置だけを検討すればよい。
「燃料電池自動車」の燃料の水素は、公共交通のバスなどならば可能性はある。
拠点に水素スタンド、供給設備を整えれば済むので苦労は少ない。
しかし、既存の天然ガスエンジン駆動のバスに対して、有利になる面はほとんどない。

こうして、「燃料電池」に頼れないとなって、一気に充電式の電池による電気自動車こそ「次世代のエコカー」とのうたい文句に走っている。
ほんとに次世代の本命であるかはまだ未知数である。

企業とマスコミの言い分を点検する必要がある。以下、次回に。

企業イメージ作戦が先行する「エコカー」の宣伝。 

2009-04-23 | 交通問題・自動車
次世代の電池に対する期待は、ますます盛り上がっている。朝日新聞では「電池元年」が始まった。
として特集記事を発行した。業界関係者は2009年をそう位置ずけている。
生産ラインを一気に増強して、次世代電気自動車や、「プラグインハイブリッド車」に供給して、優位を築きたいとの思惑である。
それほど次世代の電池は、新技術として有望な市場であり、企業イメージを大きく左右する。

しかし、前回のブログに書いたように、次世代の電池はそう生易しい技術ではできない。
それはハイテクの塊であり、信頼性に対する要求度はケタはずれに厳しい。
自動車のエンジン技術が100年かけて進歩してきたが、それに輪をかけて、難しい課題が軒並みに控えている。

以前に何度も電気自動車が技術研究の対象となった。
前回の石油ショック時にも、研究が行われたが、中途半端な段階で、止まってしまった。
排気ガスのレベルが各段に向上したガソリンエンジンにはかなわなかった。
当時の技術では、せいぜい鉛式蓄電池の改良のレベルであり、それでは重くて、かさばり、耐久性も不満足のレベルである。
一部の企業が試験的なレベルの自動車を出し、一時の話題になっただけで終わっている。

今回の「電池元年」は、以前とは少し状況が違っている。
克服すべき目標は、「炭酸ガスの削減」であり、「化石燃料依存を減らす」という、世界的な課題の対策として、本命視されている。
その上、技術手段としては、以前の課題であった「重い・かさばる・耐久性が劣る」という三重苦をクリアーできる、「リチウムイオン電池」の技術発明があり、これをどの企業が早く、コストダウンを実現するか、という量産技術競争の段階に入っている。
もう後戻りや停滞はないであろう。
しかし、本格的普及は20年後くらいであろう。

それくらい先の商品を何で、そんなに脚光を浴びせるのか?
それは、今の世界が技術革新の面で、行きずまりを見せている状況の焦りも影響している。
先進国では、ものが溢れるくらいに流通して、少しの改良品程度では、新規需要を呼び起こさない。
インターネット関係では、まだ革新が引き続きポイントになるが、自動車関係では何も新規に買いたくなる魅力は引き起こせない。
せめて、この電気自動車という新技術の魅力を実用化させて、買い替え需要を自社の製品に目を向けさせよう。という
企業の必死の思惑である。

ハイブリッド車で先行している日本の自動車企業、トヨタとホンダに対して、アメリカのビッグスリーや他の企業は著しくイメージを落としている。ここぞとばかりイメージ刷新に期待をかける。
発表した数字は、過大気味であり、売り出す価格は、これまた、大赤字であるが、イメージ作戦上は、それを承知の上である。

10年前にトヨタ自動車が発売したハイブリッド車第一号の「初代プリウス」は、価格を決めるのに、製造原価はあてにせず、215万円と設定した。
21世紀に5〈go〉という思い入れである。
宣伝文句も「21世紀に間に合いました」であり、日本の技術を誇るイメージ作戦であり、215万円の販売価格では、当時は全くの赤字で、利益は度外視である。
でも、さすがの大企業のトヨタは、2代目になる頃にはきちんとコストダウンをして、採算があるレベルにしてきた。

さて、初代の電気自動車のイメージ作戦と販売価格はどうするであろう。
だが、実質的な技術競争は電池メーカーの間の競争である。
自動車企業は買って載せるだけ。
マスコミも市場関係者も、電池技術がキーポイントであることにやっと気がついた。以下、次回に。

マスコミが話題に載せた時点で、技術の中身を点検すべき。 

2009-04-22 | 交通問題・自動車
「エコカー」という定義不明の話題が、マスコミをにぎわしている。
麻生内閣の緊急経済対策の目玉のようで、新聞、雑誌の誌面をさらっている感がある。
今、話題の中心には、「ハイブリッド車」が採りあげられ、200万円の価格に対して、補助金や税の減免で40万円以上が優遇される。
さらに、13年以上前の自動車を廃車して買い替えると、優遇措置が上乗せされる。
これらの政策で、新車の売上増加効果は100万台になるとの予測もある。

これは未曾有の景気落ち込みに対する緊急避難的な雇用対策であるから、仕方がない。
自動車の技術進化や、産業の競争力を高める本質的な対策にならない。
それにはもっと別の課題への取り組みが必要だが、まずは自動車に直接かかわる技術について、書いておこう。

ハイブリッド車は、発表された当時はマスコミでは話題にしなかった。
トヨタ自動車の発表は、最初にヨーロッパのマスコミに採りあげられ、それを見た一部の新聞が、申しわけ程度に小さい記事で紹介したにすぎない。
つまり、どのような効果と意義があるか、わからないのである。
新技術が出されて、それが効果を実証するまでには、10年近い時間がかかる。
だから技術に疎いマスコミ関係者には、その価値を判断することはできない。
まして、もっと技術に疎い官僚や政治家には、まったくと言っていいほど理解してもらうことは難しい。

今後の自動車技術として、いま本命視されているのは電気自動車および、その中間的な「プラグインハイブリッド車」である。
家庭用の電源からでも充電できる電池を備えて走る。
電気自動車は電池を積む容量で走れる距離が制約される。
だから長距離に使う人には、電池が十分に安くなるまでは、ハイブリッド車として走れることで対応できる「何でもついている自動車」となる。
いずれも、電池の技術が十分に進化しないと、一般人の手に入る価格にはならない。
あと10年以上はかかるであろう。

中国ではすでに、電気自転車が9000万台も普及している。
これは、中国の特殊事情と、自転車は短距離走行専門の乗り物であり、実用には十分に耐える商品であるからだ。
中国では主要な都市部にはガソリンエンジンの2輪車は乗り入れができない。
排気ガスのレベルが、日本とは違って圧倒的に悪いからであり、共産党支配の影響もあって強権的に規制ができる。
そして電気代は政策的にやすい。だから、仕事をして稼ぎたい中国人には、電気自転車は最も必要な必需品である。
そして、パソコンに使われる電池が、そのまま使えるような自転車ならではの特殊事情があっていた。

だから、日本では都市部で電気自動車が普及するだろう。と考えるのは少し甘すぎる。
電池の価格は自動車に必要な容量を積むには、まだまだ高すぎる。
ちょうど、20年前に太陽光発電のパネルが生産され始めたときに、1KWで1000万円であった。
それが20年後には、50万円に近いところまで下がった。
それでも、補助なしで設置が進むにはさらに半額になる必要がある。
電気自動車用の電池の価格は、ちょうど、20年前に出た太陽電池の位置ずけにある。
だから、手が届くようになるには、あと20年はかかるであろう。

太陽光発電は石油を代替する効果がある。一度設置すれば、あとは一切の費用はかからない。
しかし電気自動車はずっと電気代(化石燃料を使う)は必要だし、自動車の耐用年数20年と想定すると、なんども交換する費用が予測される。
決してお得な買い物ではない。以下、次回に。

自動車企業は新規の産業に参入すべき。生き残るために。

2009-04-21 | 交通問題・自動車
省エネルギー自動車を支援して普及させるのは、世界の常識として大きく扱われている。
アメリカは、自動車企業を再生させるためには、電気自動車やハイブリッド車の開発を必須条件として、税金の投入によって、なんとか、当面をしのごうと躍起になっている。
日本では、倒産しそうな企業はないが、ここ数年は大幅な赤字に落ち込む企業が多く、その悪影響を少しでも緩和しようというのが、緊急経済対策である。

しかし、自動車を取り巻く情勢は変わってきている。
以前のブログ(3月23日~26日)にも書いたように、自動車はその進化の結果として、販売台数は減少する運命にあう。
それを何とか増加させようとして、アメリカは消費者をうわつかせてローンを組ませて販売増加、売上増加を図ってきた。
日本企業はそれに乗じて業績を伸ばしてきたにすぎない。
つまり、バブル気味の需要に乗っかっていた。バブルがはじければ販売は急減する。
省エネルギー自動車の比率が多い企業は、その影響を受ける度合いが少ないだけであり、業界全体としては縮小産業に陥ることは間違いない。

ハイブリッド車や電気自動車の技術進化は不可欠であり、それに遅れた企業は脱落の運命にある。
だから、もっと自動車が売れるようにしよう。という判断は過ちを繰り返すことになる。
先進国においては、自動車の役割は徐々に減っていくと見るのが正当であろう。なぜならば、都市生活者の増加や、先進国のユーザー志向で、小型の自動車が好まれ、しかも使用頻度は減っていく。
一台の自動車の年間走行距離は減り、その分、維持期間は延びる。
保有台数を同じと見れば、販売台数は減るのが当然である。

自動車企業を国が支援するのは本来はおかしい。
雇用を維持、増加させるのは、もっと別の産業を活性化する方向が必要である。
その国の交通政策をどのようにしていくかが、今後の重要な論点になる。

日本はすでに鉄道を基幹とした交通体系が進んでいる。都市部では自動車を使わないで生活ができる。
どうしても必要な人は、これから普及するカーシェアリング(会員制レンタカーシステム)により、利用することにお金を払うようになる。
少ない利用頻度ではほとんどの人が個人では保有しない。

もちろん、自動車の普及が遅れている途上国では、これからも大量に自動車販売が伸びていくであろう。
しかし、生産は徐々にその国に移されるか、自国のメーカーに頼るようになるので、先進国での生産台数は減少していく。
これに反して設備を増加させると、一時的には良くなるように見えても、そのうち減少していき、雇用維持が難しくなる。

国が雇用を維持するために、もっと自動車に乗れ、もっと自動車を早く廃車して新車にしなさい。と国民に言い続けることは、あり得ない。
せめて1台あたりの価格を上げるとかして、売上高と利益を確保したいと考えるであろう。
それは企業活動をしては当然である。
だからと言って、高級車や、高性能スポーツカー、大型のSUV(スポーツタイプ・多用途車)に主力を置いた販売計画をたてて、一時的には経営が立ち直ったように見えても、それはアメリカのビッグ・スリーが犯した過ちを繰り返すだけである。

自動車企業は自動車以外の、これから必要とされる分野の新商品を開拓しなければ、必ず、倒産の危機にさらされる。
さもなくば、発展する途上国での生産に力を入れて、利益を確保するしかない。
しかし、それは国内の雇用維持も、需要の増加にも関係しない。
以下、次回に。

景気対策の本当の意義。エコカーへの補助金制度とは・・。

2009-04-20 | 交通問題・自動車
経済の急速な落ち込みに対する対策として、15兆円以上のお金を投じる補正予算の話題が活発に論議されている。
その中で、環境と化石燃料削減に寄与する「エコカー」への優遇措置を講じる制度が、頻繁に採りあげられている。
中には、特定の人に優遇の恩恵をばらまくのは、公平さを欠くのではないか?などの疑問も出されている。

環境問題、経済問題が重要であることは、言うまでもないが、それにかかわりの深い「交通問題」に課題を移して書いてみよう。
その中でも一番、身近な自動車の将来を見ることにしたい。
今では自動車は誰でも利用するほど価格も安くなり、道路も充実してきた。
それが発達していることが、国の活力であり経済力の強さにも影響した。
しかし、それに依存している、いや、依存し過ぎている弊害が、いろいろと現れている。

自動車関連産業が落ち込んでいるため、雇用の不安も加速され経済全般に悪影響がある。
だから、早急に生産、販売を回復させるために、自動車の需要を刺激していこう。
それも、全部の車種を対象にすると、環境や化石燃料批判が出るから、「エコカー」を重点に補助制度を設けよう。
これが、政府関係者の主な方向である。
とにかく、批判が出ない方向ならば、何でもいいから、お金をつけて需要を刺激しよう。というわけである。

当面の病気を和らげる効果を狙うなら仕方がないが、国の体質やら将来への展望を考えているか、というと疑問も多い。
しかし、そこまで議論に載せるには、まずは当面のどうしようもない局面を早く整理して、人心を安定させることが優先しそうだ。
だから「エコカー」への買い替え補助制度、促進は必要である。これは、自動車ユーザーへの補助ではなく、自動車企業への補助の意義がおおきい。

補助制度の対象になるのは、一定以上の燃費性能を達成しているか、または、ハイブリッド車などである。
自動車重量税や取得税が減免される。
13年以上前の車両を廃車して、買い替えると25万円の補助が付く。
いろいろなケースがあるが、10万円から40万円が、一人の自動車購入者に補助金が与えられる。
これは買った人と自動車関連企業には、助かる話である。
がしかし、自動車を持たない人、都会で必要のない人、高齢者で運転をしない人、などには恩恵はない。

「エコカー」への補助制度は、落ち込みの激しい自動車関連企業への救済的な一時しのぎの制度であることを肝に銘じておく必要がある。
本来は、自動車企業の責任で、生産規模の適正を図り、雇用を維持するのが基本であるが、これを守れなかった企業は責任を負う必要がある。
「環境に良い」ことをしている企業を補助し、それに協力する消費者を支援する。という大義名分には沿っているようであるが、本当にそうなのか?
環境に良いことは、自動車を使わず、代わりに「電車」などの、もっと環境に良い乗り物、交通手段に頼る生活をする方がもっとよい。
その人たちには補助はない。関連企業にも補助は出ない。

つまり、「エコカー」への補助制度は、当面の経済対策、景気対策であること、これが意義になる。
では自動車を使わない生活は、成り立つのか?今の日本ではもう無理な地域が沢山ある。
電車などの公共交通機関が、需要が減って経営が成り立たなくなり、廃止されてきた。そのような地域では、価格の手頃な軽自動車が必要である。
しかし、軽自動車への補助は、小型車の半分程度である。

「エコカー」補助制度は、環境対策ではなく景気対策であると認識すべきだ。
以下、次回に。

インターネット時代に、日本語が滅びないためには。

2009-04-19 | 国語・日本語・漢字
閑話休題で、「専門家」と言われる人々が考えていることが、どうも表面的なことに終始していて、それを真に受けていては騙されてしまうと書いた。
私は専門家を軽んじるつもりは毛頭ないが、もっとしっかりと考えている「本当の専門家」の言うことを探している。

このブログは日本語で書いている。日本人だから当たり前と思っているが、インターネット時代に流通する大量の文書や記事、情報は、ほとんどが英語になる時代になっている。
インターネットの出現前から、世界の共通語は英語になる方向で進んできたが、それを猛烈に加速することになった。

そんな中で日本はこの後も、日本語を大事にすることが、どういう意義があるのか、漠然と考えていたところ、素晴らしい書籍にであった。その一部を紹介したい。
『日本語が滅びるとき・英語の世紀の中で』水村美苗 著 筑摩書房  2008年10月

この内容は中身が濃いために、私の表現力ではとてもうまく言い表せないが、日本語の価値については、「目から鱗がおちる」という陳腐な言い回しをこえた、納得させられる評論である。

インターネット時代に、英語が《普遍語》の地位にあるために、いやおうなく読み書きできることが必要になる。
最低でも、読むことができる能力は必須であり、意思を伝える必要のある職業のひとは、書ける必要がある。
今、世間で言われるような、「話せる英語」は、学校教育では必要ない。
趣味の延長でマスターしたい人は、どんどん、英語の世界にはいって修業するのが一番である。

日本の語学教育は、今のような中途半端な「無策」におかれていては、日本語が滅びる恐れがある。と著者は警告している。
「日本は国民の一部がバイリンガルになるのを目指すこと。」これを、基本にするべきであり、
「国語教育の理想は、〈読まれるべき言葉〉を読む国民を育てる。」
今からでも、この方向で教育や社会の仕組みを設定していけば、日本語は世界に誇れる「最高度に進化した言語(書き言葉)」としての地位を保てる。というのが趣旨になる。

これは、「国語(日本語)の問題」の真髄を説明していると思えるし、それ以外の【K・M】についても重要なヒントを与えてくれる。

日本語の将来については、筆者の力では何も論じられないが、このような「本当の専門家」の論説に注目して、《叡智を求める人》に近ずいて行こうと思う。
この《叡智を求める人》という日本語は、水村氏の著書に頻繁に出てくるが、これも私が求めていた「新しい視点」のヒントになる。

日本語は1500年以上前に、時の覇権国家、中国の普遍語であった『漢文』を輸入して公用語としてつかいだしたことから、《書く言葉》として、進化してきた。
日常に使う文書は、漢字を音読みした、「仮名」を発明して、公文書はカタカナを交えた「漢字カナ交じり文」を作った。
貴族の女性が発明した「ひらがな」は芸術的な特質をそなえて、世界に類のない、文学を生みだした。
そして、いまの日本では当たり前のように、「漢字かな交じり文」で、公用文、私用文、学術文、娯楽面、芸術面のベースに生き続けている。

しかし、インターネット時代には、意識的に守らなければ、それは滅びる運命に向かう。

【続々】閑話休題。専門家に騙されるな[Ⅲ].GDPって何?

2009-04-18 | 環境問題
気候変動問題の対策として、「省エネ」は大切である。
化石燃料の消費削減は急務であり、これを怠ると昨年のような、原油価格の投機による高騰を招き、あらゆる方面の産業や生活条件に悪影響がおきる。
しかし同時に、「省エネルギーは消費量削減」であるから、経済用語でいう「GDPを押し下げる」効果がある。
これも頭に入れておく必要がある。

マスコミでも、温室効果ガスの排出削減の目標を2020年時点で決めていく、国際交渉の話題が頻繁に出てくるようになった。
政府の専門家検討委員会の報告では、1990年比で、4%増から25%削減までの6案の選択肢が出されて、議論の途上にある。
そして、ご多分にもれず、産業界を代表する委員からは、削減目標はできるだけ少なくしたい。との本音がみえみえの発言が出ている。

「環境対策は経済と両立できる」というのが先進国の識者の潮流であるが、産業を代表する専門家の言い分によれば、『(再生可能エネルギー分野などの)新たな産業の成長を考慮に入れても、経済成長率を押し下げる』ということに尽きる。

「厳しい規制を伴う政策は、経済へのマイナスの影響が大きい。」これは、正論であるように見える。
確かに、削減目標を「省エネルギー」や「節約による消費量の削減」に頼れば、その分のGDPが減少して経済にはマイナスになるであろう。

しかし、省エネをうわ回る規模での、削減に寄与する再生可能エネルギー設備への開発・投資などで、お金が順調に回転すれば、経済は活性化する。
その関連産業の周辺の技術進歩の影響などは、今の経済学のレベルでは予測が不可能なので、シミュレーション計算には載せられない。
したがって、その分は数値の議論は不可能なのである。
経済の専門家は予測できない部分は、(意識的に切り捨て)考慮に入れない範囲での予測で答えを出す。
それを聞いた専門外の分野の専門家と称する人が、環境規制は経済の足を引っ張る。
それ、このとうり、経済成長はマイナスになると出ているではないか。
これが、言い分としてまかり通る。

以上のような経過を何回も繰り返してる。数値を示されると、専門家でもない政治家や、行政の幹部もあえて反対のことをしたがらない、人気や昇進に影響するから、緩い規制にとどめることになる。

例外的に規制を強化した事例があった。
自動車の排気ガス規制のことを思い出して説明をしてみる。
1970年頃に、当時の自動車の排気ガスは有害成分をかなりの割合で含んでいて、自殺ができるくらいにひどかった。
アメリカに端を発して、この有害成分を1/10以下に規制する法案が政治家主導で成立した。
日本もそれに倣ってすぐに法制化をした。
あわてた自動車企業は、技術陣の総力と、経営で調達できるすべての資金を研究・開発に投じた。
其の甲斐もあって、規制開始の時期には、なんとか間に合い、自動車の性能はそれ以来、飛躍的な進歩を遂げた。
アメリカの企業は、業界圧力を使って、規制の開始を延ばしたり、規制値の緩和に多くのお金を使い、一部は成功した。

そして30年たってみると、自動車の排気ガスの有害成分は、当初の1/1000までのクリーン度に向上した。
そのベースには、品質の画期的な向上が必須であり、これが、日本の自動車産業全体の技術競争力を高めている。

さて、眼先のことしか読めない、今の未熟な経済理論で「GDP」を論じる専門家の言い分を、信用してよいものか?
あなたならどうする・・・。以下、次回に。

【続】閑話休題。専門家に騙されるな[Ⅱ].省エネの先は?

2009-04-17 | 環境問題
気候変動問題では、温暖化が進んでいるから、このままでは地球環境が破滅的に悪化する。
いや、そうではない。地球は寒冷化に向かっている。だから、今から人口抑制に力を入れるべきだ。などなど、
議論は尽きないが、科学者の力で、本当のことを調査・分析してもらうことを期待するしかない。
いずれにしても、化石燃料の使用量を徹底的に減らすことについては、一致している。

そこで、どうやって「炭酸ガスの排出削減」を進めていくかが、今の課題であるが、これは1992年ころから議論は始まっている。
ブラジルのリオで温室効果ガス削減の必要性が打ち出されてからは、各国で自主的に削減しよう、ということで、努力目標にしてきた。
結果は、まったく削減は進まなかった。
そこで、次の段階では、自主的な努力では効果はでないから、削減の数値目標を決めて、それに向けて努力することを国際的な合意事項にしよう。
そうすれば、国の政策として、強力な対策が進む筈であるから、削減の効果を上げられる。
これが、「京都議定書」として合意された削減目標値の筋道である。

しかし、日本では産業界を代表する「経済団体連合会」に加盟する業界が、数値目標を設定されては、企業活動の制約になるので、数値の規制はのがれたい。
代わりに、業界団体の「自主行動計画」という、一見、前向きに取り組む姿勢を表した「炭酸ガスの排出削減」方針を打ち出した。
これなら、企業の力量に応じて、無理のない削減が行われるので、経済活動面からは優れた政策という理由である。

世界の実績では、自主的な削減ではうまく進まないのは実証されていたが、日本の産業界は、そんな品性の劣った他国と同じではない。
企業の社会的貢献として自主的な行動で、十分に削減目標を達成できる。という説明であった。
これに、お役所や議員さん方は納得した。

実績は皆さんの見てのとうりである。
いまだに削減目標からはうわ回った「炭酸ガスの排出増加」であり、目標に達しない部分は、条約で認められた「海外からの削減実績の購入」という、実態の伴わない「みなし削減量」を国民の税金を使って買ってきてツジツマを合わせている始末である。
日本の経済には全く貢献しない。

なぜ産業界は、自主行動計画に固執したのであろうか?
それは、まだ事業の中でのエネルギーの無駄使いが見えていたから、これを「省エネルギー活動」という美しい装いをまとって、堂々と進めることができる。
そして、「省エネ」は『省経費』になり、企業収益にプラスになる。
経営者としての実績になるので、こんな機会を逃すのは「もったいない」。
そして、社内に対しては抵抗を排除し、猛烈に省エネ活動を進めていった。

ところが、目算が狂った。ひとつは原子力発電関連の問題が噴出し、稼働率が60%以下に落ちてしまい、代わりに石油を燃やす火力発電に頼るざるを得なくなった。
もうひとつは、工場以外の事業所や家庭での削減は、管理ができないために効果が出なかった。
そこで、「もったいない」心理にうまく便乗した「クールビズ作戦」などで、働く人の温度環境に我慢を強いる冷房温度の上昇などの、苦肉の策に逃げている。
このキャンペーンをした「環境省」も逃げの一手である。

結局、「経済団体連合会」という、エネルギーを使う専門家集団の、利害が優先した甘い計画に騙されてしまった10年間といえる。
この間に欧州などは、積極的に再生可能エネルギーの導入促進政策を着々と整備し、実績を上げていった。

日本の産業界には、エネルギー政策の専門家はいなかった。ということが証明された。で、この先はどうするの?以下、次回に。

閑話休題。専門家に騙されるな。[Ⅰ]気候変動問題。

2009-04-16 | 環境問題
再生可能エネルギーの課題と、森林・林業の問題を重点的に書いてきたが、ここらで少し、周りの話題についても見まわしてみよう。
近年のマスコミをにぎわす気候変動問題について、専門家の論争がある。
つまり、地球は温暖化に向かっている。という学者の意見の集約に対して異論を述べる専門家が声を上げている。
曰く、「地球は寒冷化」に向かっている。

世界の中でも、地球温暖化は嘘であり寒冷化が問題になると警告している専門家はかなりいるが、日本では、丸山茂徳〈東京工業大学院教授〉氏が、著書「地球温暖化論に騙されるな!」で主張している。
2008年5月の出版であるが、その後は、各地で論争のイベントが行われている。

内容は世界の潮流の「温室効果ガス、二酸化炭素の増加が地球温暖化を引き起こしている」という学者の言い分に対して、地球の気候は、磁場の変化と太陽活動の活発度に左右される。
その関連で、地球上の水蒸気の変化が雲を作り出して、地表面に達する太陽エネルギーが減るので、地球の温度は寒冷化に向かっている。という主張である。
決着は10年以内につくはずというが、どうだろうか?

著者は、地質学の分野で世界的な業績を上げている学者であるから、主張の根拠はしっかりとしている。
よくいる「潮流の課題に異論を唱えて話題にする」のが目的で、本を売りまくる『トンでも学者』の様な上っ面の根拠で、主張しているわけではない。
しかし、よく読んでいくと、どうも趣旨がわからなくなる。
それを少し、採りあげてみよう。

「21世紀の地球の気温変化は2035年ころが最低値となる寒冷化になる。」
そうなったとして、その後はどうなるのか?言及はない。
私の受け取り方としては、その後は、磁場変化と太陽活動の変化と、温室効果ガスの3つとも、温暖化に向かう。
何だ、やっぱり温暖化が問題か・・・・!

「今起きている温暖化対策の化石燃料から、他の資源へのエネルギー転換は一刻も早く必要だ。」
つまり、地球が寒冷化に向かっていても、化石燃料の使用は早急に減らしていくべきだ。石油の枯渇はすぐに来る。
資源戦争が本格的に始まるのを防ぐうえでも、バイオマス、太陽エネルギーなどに転換すべきだ。
と著者はこのように言っている。
何だ、やっぱり、化石燃料の使用は削減して、転換すべきなのか・・・・!

「気候が寒冷化すると食糧生産に支障が出る。人口はいまの67億人から減らすべきだ。日本は生存可能な3000万人程度にしないと生き残れない。」と警告している。
なんとまあ・・・気候変動問題の解決策には人口削減が必要だ。と言いだしている。
化石燃料の使用削減ですら、社会問題として難行するというのに、人口を減らせとは・・・。絶句。(あきれた。)

地球が一直線に温暖化に向かっているわけではない。とい主張はわからんでもないが、その科学的な予測の真偽は、専門家同士の研究に任せるとして、対策においてはどうも、科学の専門家は素人以下の発想しか出てこない様である。

この本が出てから1年近く経つが、どこもまともに取り扱わないのは、気候変動の科学分析の是非よりも、このような「とんでもない、パニック対策の羅列」が、科学的な主張自体を、まがい物扱いにしているようである。
専門家の専門外分野の論理は、ど素人よりひどい。以下、次回に。