庵KM

技術屋OBの環境問題独り言

経済問題。交通問題。健康問題。そして、日本の国創り問題。快適社会問題。

原発安全問題は国レベルの責任。再稼働の選択は地域責任。

2013-05-14 | 核エネルギー・原子力問題
日本の核エネルギー政策は、国の責任で推し進めてきた。
原子力発電の安全性は、国の通産省の管轄で、管理、監督された状態で、長い間に【推進側と監督側の癒着】が増殖して、安全性の手抜きが起きて、遂に、地震への備えや津波対策は、完全に不十分あった状態が長く続いてしまった。
2011年3月11日をもって、この癒着の欠陥が世界的にも明確になり、原発の『安全性を監督する権限は、原発推進側から独立させる』ことが、やっと実施されたのである。

今後も核エネルギーの戦略責任は、核兵器の問題と密接に関係するので、日本は核兵器を持たない方針を堅持し、世界の核兵器削減と最終的な廃絶まで、世界に責任を持った日本政府が取り組むべきであろう。
ところが、エネルギー政策で原子力発電の推進を国策として強引に進めた政府関係者が、安全性の監督者の人事権限を持っている構造では、本当に独立したチェック構造とは言えない。
日本の国としては、「安全基準を作り、監督、チェックする権限」は、一箇所に統一した方が良いのは当然である。
しかし、人事権が推進側の政府にあるために、独立性は曖昧で問題である。

また、【原子力発電は絶対安全】は神話であり、独立性を高めた「原子力規制委員会」の権限で、より厳しい安全基準を作り直したにしても、絶対ではない。
従来よりも安全性に対する備えは高まっても、完全に安全ではなく、限りなく安全性を高めただけで、【最終の事故リクスはまだ見えないところに残っている】と考えるべきである。
それでも、「原子力発電の便益を受けたい受益者の判断」が、安全性の向上レベルを了解してもらった上で、運転の再開を認めるのは、理の当然ではないか。

この理屈のスジに沿って考えると、最終的な原発の事故リスクを負うのが、地域住民であり、稼働再開には地域社会の責任者の承認が必須である。
また、原発を停止し、廃炉にした場合に生じる損失の責任は、原発を保有する電力会社で、そのツケは電力料金を負担する「地域の消費者」である。
安全を最高レベルにあるとした場合に、原発を汲み込んで地域の電力需要を満たして行くかどうかの選択決定権は、地域社会を代表する【州政府】にある。

政権公約に道州制を推進する安倍内閣は、再稼働の承認を州政府に権限移譲をするのが、日本の将来にとって、もっとも適切な判断である。