日本の原発を再稼働するに当たって、原子力規制庁の新安全基準に適合することは必須として、その上で、地元の住民・自治体が再稼働の必要性を切実に感じて容認することが不可欠である。
その面からみて、もっとも妥当性のある原発は、北海道電力の泊原発3号機(91.2万KW)であろう。
福島第一原発で事故を起こしたBWR型(沸騰水型炉)ではなく、PWR型(加圧水型炉)であり、建設時期も最新の2009年12月である。
日本に現存する原発では、専門家から見ても、一番リスクが少ない設備である。
北海道電力は、冬場に電力消費量のピークを迎える。
2014年の冬場を乗り越えるには、現存の火力発電設備では余裕率が少なく、万が一の火力発電所の故障が発生すると、停電のリスクもある。
北海道住民の安心感を得るためにも、泊原発の再稼働を認める方が、総合的に見ても妥当性が高い。
北電は原発への安全対策費は約900億円の追加投資が必要だが、この費用は電力料金の値上げによって、賄う計画になっている。
しかし、原発を再稼働すれば、火力発電に必要な化石燃料の費用が減ることで、電力料金の値上げをせずに、経営努力を最大限に実行すれば乗り切れるだろう。
もし、北海道の住民、自治体が、再稼働を認めない場合には、北海道電力からは【電力料金の値上げ10.2%申請】されているので、住民負担が増えてしまう。
事故のリスクが最も低く、電力需給の余裕率を保持して、電力料金の値上げを抑制するには、「泊原発3号機」を再稼働させるのが、もっとも合理的な判断であろう。
しかし、原子力推進を無暗に進めてきた【原子力族の利権を守る姿勢】が、少しでも現れる事態になったら、合理的な再稼働の容認も「不信感の再増殖」によって、迷走し始める恐れがある。
原発事故の発生原因をもう一度振り返れば、最大の問題は【原子力族の利権優先体質】が、安全性の軽視とズサンナ形式主義に陥る、諸悪の根源であった。
北海道の電力の問題は、北海道の住民の意思を最大限に尊重して、政治家や、財界のメンバーが、口出しを一切すべきではない。
地方分権、地域主権の真髄を踏まえて、誠実な対応と手続きによって、地域のエネルギー問題を乗り越えて行く正念場になる。
その面からみて、もっとも妥当性のある原発は、北海道電力の泊原発3号機(91.2万KW)であろう。
福島第一原発で事故を起こしたBWR型(沸騰水型炉)ではなく、PWR型(加圧水型炉)であり、建設時期も最新の2009年12月である。
日本に現存する原発では、専門家から見ても、一番リスクが少ない設備である。
北海道電力は、冬場に電力消費量のピークを迎える。
2014年の冬場を乗り越えるには、現存の火力発電設備では余裕率が少なく、万が一の火力発電所の故障が発生すると、停電のリスクもある。
北海道住民の安心感を得るためにも、泊原発の再稼働を認める方が、総合的に見ても妥当性が高い。
北電は原発への安全対策費は約900億円の追加投資が必要だが、この費用は電力料金の値上げによって、賄う計画になっている。
しかし、原発を再稼働すれば、火力発電に必要な化石燃料の費用が減ることで、電力料金の値上げをせずに、経営努力を最大限に実行すれば乗り切れるだろう。
もし、北海道の住民、自治体が、再稼働を認めない場合には、北海道電力からは【電力料金の値上げ10.2%申請】されているので、住民負担が増えてしまう。
事故のリスクが最も低く、電力需給の余裕率を保持して、電力料金の値上げを抑制するには、「泊原発3号機」を再稼働させるのが、もっとも合理的な判断であろう。
しかし、原子力推進を無暗に進めてきた【原子力族の利権を守る姿勢】が、少しでも現れる事態になったら、合理的な再稼働の容認も「不信感の再増殖」によって、迷走し始める恐れがある。
原発事故の発生原因をもう一度振り返れば、最大の問題は【原子力族の利権優先体質】が、安全性の軽視とズサンナ形式主義に陥る、諸悪の根源であった。
北海道の電力の問題は、北海道の住民の意思を最大限に尊重して、政治家や、財界のメンバーが、口出しを一切すべきではない。
地方分権、地域主権の真髄を踏まえて、誠実な対応と手続きによって、地域のエネルギー問題を乗り越えて行く正念場になる。
安全は大好きだ。神話も好きだ。安全神話作りは得意で、すぐに信じられる。広めるのもたやすい。
我が国の国策は、安全神話と深く関係しているに違いない。
だが、最悪のシナリオを想定するのはひどく難しい。恣意(本音)の人ならそうなる。
これは、平和ボケのようなものか。
太平洋戦争初期に、フィリピンの米比軍はキング少将もジョーンズ少将も投降して、75000人以上の将兵の命を救った。
太平洋戦争後期に、日本軍は米空軍の飛来をゆるし、1945年3月10日未明、東京の下町の江東地区がB29約300機による空襲をうけ、死者10万をこす被害を出した。
日本人の指導者には、作戦の成否を予測する力はないのか。
人命の尊重はどのように考えられていたのであろうか。
それでも日本人は、原発の再稼働を選んだ。
一億総ざんげへの道。動き出したら止まらない。
この道は、いつか来た道。ああ、そうだよ、民族の歴史は繰り返す。
意思のあるところに方法はある。(Where there’s a will, there’s a way).
意思のないところに解決法はない。
意思は未来時制の内容であり、日本語には時制がない。
それで、日本人には意思がなく、解決法が見つけられない。
自然鎮火を待つのみか。成り行き次第。
>親戚のじいちゃんはガ島で地獄を見てきた。
>「あれは決して国のために尊い命を落とす姿じゃ無かった」という言葉を忘れない。
兵卒は優秀。参謀は愚鈍。日本語脳の定めであるか。理不尽に耐える心を養うべきか。
耐え難きを耐え、忍び難きを忍んで、もって万世のために太平を開かんと欲す。
不自由を常と思えば不足なし。
座して死を待つか、それとも腹切りするか。
私の父は、玉砕した。何のお役に立てたのかしら。
安らかに眠ってください。過ちは繰り返しますから、、、、
わかっている、わかっている。皆、わかっている。
ああしてこうすりゃこうなると、わかっていながらこうなった、、、、、
十二歳のメンタリィティには、知恵の深さが見られない。教養 (洞察力) がない。
わかっちゃいるけど やめられない。ア、ホレ、スイスイ、、、、
白く塗られた黒いオオカミの足を見破ることは難しい。
だます人は悪い人。だまされる人は善良な人。おとり捜査は難しい。
この調子では、人の命はいくつあっても足りるものではない。
我々は、自らは望むことなく危機に陥る民族なのか。