昨日の経済産業大臣の「原発安全性の確認はクリアできた。」との説明をうけて、佐賀県の知事と地元玄海町の町長は、定期点検で停止中の原発の再稼働に向けて動き出した。
日本における国策としての原発維持は、もはやすべての意義が失われて、国民に向けての説明は、何もできていないのに、【とにかく再稼働ありき】である。
今年と来年の夏場に向けて電力供給力の不安は残るが、将来において原発が必要であるとの説明は、まったくできていない。
経済産業省は、その辺の空気を読んで、原発立地の地元を再稼働に向けて同意を得ることを何よりも重視して、周辺の県や自治体の不安の声を無視しようとしている。
経産大臣は官僚の指図に従って役割を果たしているが、国民から選ばれた意義を捨て去っている。
まさに、官主主義国家、日本の現状を表している象徴的なうごきである。
民主主義でいえば、原発の大事故被害が広範囲に及ぶことが明確になっている現状においては、地元の町と県の同意だけで、再稼働するのは理不尽である。
一端、ことが起きれば、隣県の長崎県や福岡県も巻き込まれて、甚大な被害を被る。
当然、その範囲の自治体の住民の意思を尊重しなければ、再稼働はできないのが道理である。
一方、再稼働を容認しない場合には、今年と来年の夏場は、電力の節約に努めることに協力しなければならない。
原発の立地した自治体は、今までに交付金などで多くのメリットを受けているので、今後も原発と運命をともにしなければ、生活していけないと割り切って受け入れている。
地元と隣接市町、県の利害は合意出来る様にしてく必要があるが、単独県、単独自治体による早急な再稼働容認は、将来の地域主権の時代に向けての障害となる可能性が大きい。
マニフェストに「地域主権」を高らかに謳いあげている『民主党政権』は、何も考えずに、とにかく中央官僚の決めた指示を、地域に(メッセンジャーの様に)伝えることしかできない。
一方、再稼働を認めようとする地域自治体は、原発が止まることで、「大きな財源となっている交付金」が止まることを恐れている。
佐賀県は、原発立地による交付金の配分と、雇用者が増えた分の税収、原発施設自体の固定資産税収などで、県の予算規模が増えて、その恩恵を受けている。
しかし、原発が将来に向けて全基停止、廃炉になっていくことを想定していないで、とにかく当面の税収を確保するために、目先の「安全性確認」に飛びついた格好となっている。
それで、本当に地域の将来性は大丈夫なのか。
九州地区において、将来とも原発維持を主張し続けて、隣接県と争うつもりなのか。
原発を誘致して、膨大な原発交付金を受けて来た福島県の双葉町は、今でも「財政健全化団体」に指定されている。(税収不足で地方交付税に頼る財政運営団体。)
40年に渡って原発関連の交付金、税収を得ていながら、自立できる自治体になっていない。
これは、健全な行財政運営をする能力が育たずに、原発交付金にぶら下がり続ける体質になってしまったと思われます。
原発維持だけに地域の将来を託すことが本当にいいのか?(以下、次回に)
日本における国策としての原発維持は、もはやすべての意義が失われて、国民に向けての説明は、何もできていないのに、【とにかく再稼働ありき】である。
今年と来年の夏場に向けて電力供給力の不安は残るが、将来において原発が必要であるとの説明は、まったくできていない。
経済産業省は、その辺の空気を読んで、原発立地の地元を再稼働に向けて同意を得ることを何よりも重視して、周辺の県や自治体の不安の声を無視しようとしている。
経産大臣は官僚の指図に従って役割を果たしているが、国民から選ばれた意義を捨て去っている。
まさに、官主主義国家、日本の現状を表している象徴的なうごきである。
民主主義でいえば、原発の大事故被害が広範囲に及ぶことが明確になっている現状においては、地元の町と県の同意だけで、再稼働するのは理不尽である。
一端、ことが起きれば、隣県の長崎県や福岡県も巻き込まれて、甚大な被害を被る。
当然、その範囲の自治体の住民の意思を尊重しなければ、再稼働はできないのが道理である。
一方、再稼働を容認しない場合には、今年と来年の夏場は、電力の節約に努めることに協力しなければならない。
原発の立地した自治体は、今までに交付金などで多くのメリットを受けているので、今後も原発と運命をともにしなければ、生活していけないと割り切って受け入れている。
地元と隣接市町、県の利害は合意出来る様にしてく必要があるが、単独県、単独自治体による早急な再稼働容認は、将来の地域主権の時代に向けての障害となる可能性が大きい。
マニフェストに「地域主権」を高らかに謳いあげている『民主党政権』は、何も考えずに、とにかく中央官僚の決めた指示を、地域に(メッセンジャーの様に)伝えることしかできない。
一方、再稼働を認めようとする地域自治体は、原発が止まることで、「大きな財源となっている交付金」が止まることを恐れている。
佐賀県は、原発立地による交付金の配分と、雇用者が増えた分の税収、原発施設自体の固定資産税収などで、県の予算規模が増えて、その恩恵を受けている。
しかし、原発が将来に向けて全基停止、廃炉になっていくことを想定していないで、とにかく当面の税収を確保するために、目先の「安全性確認」に飛びついた格好となっている。
それで、本当に地域の将来性は大丈夫なのか。
九州地区において、将来とも原発維持を主張し続けて、隣接県と争うつもりなのか。
原発を誘致して、膨大な原発交付金を受けて来た福島県の双葉町は、今でも「財政健全化団体」に指定されている。(税収不足で地方交付税に頼る財政運営団体。)
40年に渡って原発関連の交付金、税収を得ていながら、自立できる自治体になっていない。
これは、健全な行財政運営をする能力が育たずに、原発交付金にぶら下がり続ける体質になってしまったと思われます。
原発維持だけに地域の将来を託すことが本当にいいのか?(以下、次回に)