庵KM

技術屋OBの環境問題独り言

経済問題。交通問題。健康問題。そして、日本の国創り問題。快適社会問題。

雇用と税収が欲しい自治体の体質に付け込む「安全確認」の茶番。

2011-06-30 | 快適エネルギー社会問題
昨日の経済産業大臣の「原発安全性の確認はクリアできた。」との説明をうけて、佐賀県の知事と地元玄海町の町長は、定期点検で停止中の原発の再稼働に向けて動き出した。
日本における国策としての原発維持は、もはやすべての意義が失われて、国民に向けての説明は、何もできていないのに、【とにかく再稼働ありき】である。
今年と来年の夏場に向けて電力供給力の不安は残るが、将来において原発が必要であるとの説明は、まったくできていない。

経済産業省は、その辺の空気を読んで、原発立地の地元を再稼働に向けて同意を得ることを何よりも重視して、周辺の県や自治体の不安の声を無視しようとしている。
経産大臣は官僚の指図に従って役割を果たしているが、国民から選ばれた意義を捨て去っている。
まさに、官主主義国家、日本の現状を表している象徴的なうごきである。
民主主義でいえば、原発の大事故被害が広範囲に及ぶことが明確になっている現状においては、地元の町と県の同意だけで、再稼働するのは理不尽である。

一端、ことが起きれば、隣県の長崎県や福岡県も巻き込まれて、甚大な被害を被る。
当然、その範囲の自治体の住民の意思を尊重しなければ、再稼働はできないのが道理である。
一方、再稼働を容認しない場合には、今年と来年の夏場は、電力の節約に努めることに協力しなければならない。
原発の立地した自治体は、今までに交付金などで多くのメリットを受けているので、今後も原発と運命をともにしなければ、生活していけないと割り切って受け入れている。

地元と隣接市町、県の利害は合意出来る様にしてく必要があるが、単独県、単独自治体による早急な再稼働容認は、将来の地域主権の時代に向けての障害となる可能性が大きい。
マニフェストに「地域主権」を高らかに謳いあげている『民主党政権』は、何も考えずに、とにかく中央官僚の決めた指示を、地域に(メッセンジャーの様に)伝えることしかできない。

一方、再稼働を認めようとする地域自治体は、原発が止まることで、「大きな財源となっている交付金」が止まることを恐れている。
佐賀県は、原発立地による交付金の配分と、雇用者が増えた分の税収、原発施設自体の固定資産税収などで、県の予算規模が増えて、その恩恵を受けている。
しかし、原発が将来に向けて全基停止、廃炉になっていくことを想定していないで、とにかく当面の税収を確保するために、目先の「安全性確認」に飛びついた格好となっている。
それで、本当に地域の将来性は大丈夫なのか。
九州地区において、将来とも原発維持を主張し続けて、隣接県と争うつもりなのか。

原発を誘致して、膨大な原発交付金を受けて来た福島県の双葉町は、今でも「財政健全化団体」に指定されている。(税収不足で地方交付税に頼る財政運営団体。)
40年に渡って原発関連の交付金、税収を得ていながら、自立できる自治体になっていない。
これは、健全な行財政運営をする能力が育たずに、原発交付金にぶら下がり続ける体質になってしまったと思われます。

原発維持だけに地域の将来を託すことが本当にいいのか?(以下、次回に)

原子力発電に依存する意義はすべて喪失。残るは地元の要求だけ。

2011-06-29 | 快適エネルギー社会問題
昨日、日本の各地の電力会社の株主総会が行われて、脱原発の要求に対して、議論がされた。
多くの個人株主は、原子力発電を民間の電力企業が維持する意義がないとして、脱原発を主張したが、大口の法人株主は現状容認の姿勢で、委任状を既にだしていたので、何の変化もおきない。
株主が会社の方針を決めると言うルール上からは、成り行きとしてやむを得ない。
しかし、国のレベルで本当に議論をしたうえで、国策として原発維持のメリットがあるかの議論が、先に立たねば、株主総会などの議論と決定に対して、捻じ曲げられてしまう。

いままでの国(経済産業省)が、国民、電力消費者に広報してきた項目は、すべてが、粉飾であったことが判明している。
安全性は、絶対に問題ない(アメリカやソ連よりも日本の原発は安全?)というのは誤り。
安定供給に適している(中東などに左右されない。)は、地震と津波で足元から崩れた。
安価な電力コストは、必要な費用(安全対策、立地対策、廃棄物対策)を除外して計算した誤り。

だが、それでも原発の電力は、日本経済にとっては必要だ、と思い込んでいる人がまだ多い。
それは、急激な原発再稼働反対運動の反動ともいえる、自己防衛の拒否反応である。
30%も発電していた原発を置き換える発電設備は無理ではないか、だから原発は運転すべきだ!
これも、電力会社と経産省の意図的宣伝の後遺症にすぎない。
実際に現在の原発発電量は、とっくに15%以下になっていて、夏場のピーク時間帯以外は、電力の供給力は充分にある。

数年以内に、『天然ガス火力発電』の設備を増強すれば、原発の発電量はゼロにしても供給力は間に合う計算である。(5月24日、6月13日のブログ)

そうすると、燃料費用がかかるので、電力コストが大幅に上がる、と経済産業省は意図的な試算を公表したが、それもウソである。(6月14日のブログ)

震災の影響で、停止している火力発電所などの復旧までは、東北地方は電力不足で、7月1日から【電力使用制限令】が発動されるが、それも今年限りの一時的なモノである。

最後に残っている【脱原発は経済に悪影響】との主張は、日本全体でみれば、節電分野産業の活性化や、再生可能エネルギー産業の普及拡大による経済効果で、むしろ経済成長に貢献するので、数年のうちに、答えが出るであろう。
でもやはり、原発は存続して行くべきだと言う主張は、原発立地の地元自治体や、原発税収に頼る県の関係者の主張である。
【原発の不安が残っても、税収の落ち込みの不安の方がおおきいから、原発運転を続けて欲しい】という地元自治体と県が多く残っている。

では、原発に立地自治体は、本当にそれで、今までは豊かになってきているのか?
将来に向けて、自立的な地域社会の発展はできると思われるのか?
道路や公共施設の充実は、いち早く達成して様だが、地域の自立的な産業は、まったく育たない。
原発が寿命年限で廃炉になると、地域社会は沈滞の道を突き進むのは確実である。

だから原発の建て替えを期待して、つぎつぎに新設誘致にうごき、原発の集中立地に陥っている。

本来の価値ある節電は日本経済を活性化に向かわせる起爆剤となる。

2011-06-28 | 快適エネルギー社会問題
日本を覆い尽くす電力供給不足の懸念は、「省エネルギー、節電、節約指向」の意識を強める絶好の機会となっている。
一方で、【我慢の節約】は「国民の消費マインド」を低下させてしまうが、おカネは貯蓄に回して将来に備える「健全な意識?」として推奨される傾向がある。
ここで、合理的で推奨される節約と、我慢の節約の違いについて、少し、込み入った話に触れたい。

まず、直近の話として、夏場の電力供給不足を停電しないで乗り切るには、5~15%の節電が必要とされている。
しかし、マスメディアの編集者のレベルが低い弊害によって、多くの国民には、四六時中の節電が必要な空気になってしまった。
何度も書いている様に、真夏日(最高気温30度以上)の午後1時から4時台までが供給不足になる懸念があるが、それ以外の時間帯(気温の低い日は一日中)は節電が一切、不要である。

それなのに、「とにかく我慢をしてでも節電だ!」と大騒ぎをすることで、日本全体の経済活動を縮小している事態に陥っている。
商店などが、終業時間を切り上げて、午後8時までの営業を午後6時に切り上げるなどは、必要な節電時間帯とは関係のない節電で、いうなれば、便乗(電気代の)経費削減にすぎない。

確かに、今までのやり方は、むやみに営業時間を延ばして、いたずらに経費をかける非効率な営業をしてきたところも多い。
それを見直す必要はあるが、夏場の電力不足の対策とは関係のない動きまで、原発停止の影響として、経済への悪影響を騒ぎ立てる「意図的な情報操作」の狙いが見え隠れする。
原発の安全性が不確実で不安を抱えていても、再稼働を認める意識に変えさせるためには、節電を(不必要な時間にまで)広めることで、その不便さと景気減速を実感させたい「原子力村」の意図がある。

本来の節電は、高効率な照明器具である『LED照明』設備への買い替えなど、日本の最先端の技術で実現した『本当の価値ある節電』に、積極的に投資をして行くことにある。
多くの企業が、価値ある節電は企業業績にとって好影響であることを認めて、節電投資、省エネルギー投資を活発化させることである。
今回の電力需給逼迫は、日本の経済停滞の状態を抜け出せる「絶好の機会」である。
しかし、節電に必要な時間帯以外に、【我慢の節電】を強いる様な愚策を並行して進めてしまうと、せっかくの消費意欲の向上を押さえつけることになり、効果は見えなくなる。

東北大震災において、多くの人たちが被災した直後は、被災地に同情や遠慮すく気持ちが強く、自粛する空気が支配的だった。
しかし、それはかえって被災地の人たちの復興を遅らせることにつながるとして、その後は、復興支援の消費活動で支える傾向に転換している。
節電意識も、【我慢の節電は最小限】にして、『積極的な節電投資』をすることが、日本の経済活動にプラスになることを、全国民がしっかりと頭に刻む様にして行く必要がある。

日本の将来に向けて優遇すべき産業「高付加価値」への絶好の転換期。

2011-06-27 | 快適エネルギー社会問題
今年の夏場は節電社会到来の絶好の機会となって、多くの国民にとって、「節電・省エネルギー」は必須の意識をなった。
それに対して、一部の産業界の人種は、節電は経済成長を阻害する、としてあくまでも原子力発電を温存するべきと言い張っている。
不安があるのは(国民がパニック的にヒステリーを起こした)一時的な風潮にすぎない、とでも言いたげな、【愚民政策思考】が、見え見えである。

電力会社は原発を止めると、停電させないためには15%節電が必要だとしているが、これは自己防衛的に「もし、停電が起きても電力会社の責任ではない。」と言いたいのが本心である。
その上、まだ十分に運転能力がある原発の再稼働が出来なくなる様な事態になると、原発資産が全くの負の遺産になって、経営上は大きな損失になる。
つまり、電力供給をしている管内の電力消費者のことよりも、自社の経営、自分の経営者としての立場を守ることばかりが優先している。

一方、国民の方は節電意識の浸透によって、省電力商品に買い替える動きが活発となって、少しでも夏場の電力供給不足の事態を軽減することに協力し始めている。
電力会社の経営者の倫理感の欠如を補う、国民の意識の高さによって、この夏場は転換の節目になる可能性がおおきい。

省エネルギー、省電力製品の技術は、日本の企業努力によって、世界の一流レベルにある。
しかし、価格がまだ高めであったために、普及の割合はまだ少ない段階に留まっていた。
1昨年のリーマンショックによる大幅な景気後退に対する対策として、省エネ家電や省エネ自動車への買い替え促進を図る、「エコポイント制度」と「エコカー減税」が実施された。
これは、消費者の買い替えの意欲を起こさせる面で、有効な政策となって、関連業界の景気下支えとなって、多くの派汲効果を産んだ。

今回の原発再稼働ゼロは、(震災は別として)経済に対する影響は、わずかに留まるはずである。
しかし、消費者マインドが、【我慢の節電】に振れすぎると、消費意欲が減少して景気後退を引き起こす恐れがある。
電力会社と原発推進派が、「節電15%必要だ!」とか、「企業の活動が制約され経済減速だ!」などと、騒ぎ立てることは、この消費者マインドを冷え込ませることを助長して経済の足を引っ張る。
この連中は、原発利権ばかりを優先して、日本全体の経済活性化などは、眼中にないのである。

ところが、節電意識の高揚によって、省エネルギー製品は加速度的に売りあげが向上し始めている。
実例の最たるものは、日本の誇る「LED照明製品」が、従来予測の2倍以上の速さで普及が進んでいる。
従来の照明製品の数倍の価格にも拘わらず、省電力と長寿命の魅力で、「高付加価値」の商品として認められて普及が急加速して、2015年に1兆円規模になる市場予測を前倒しする勢いである。
この状況こそが、日本経済の再活性化のモデルとなる「高付加価値社会」への道となる。

電力多消費産業の鉄鋼や化学工業(経団連の幹事業界)などを優遇する、愚策に気付くべきである。

節電の日本の危機を煽る原発依存派は、経済活動の停滞を目論む?

2011-06-26 | 快適エネルギー社会問題
日本の政治は国会の70日間の延長という妥協策によって、お盆休み返上?で重要課題に取り組んでもらうことになった。
一方、各地での原発再稼働容認問題は、夏場の到来によって、議論はヒートアップしてきている。
関西電力管内においての夏場の電力不足問題を、原発立地県の福井県知事だけの判断に任せることに異議が出て、京都府や滋賀県知事などの隣接自治体では、原発の再稼働については、意見を言えるようにするべきだとしている。

このブログで書いた様に、すでに原発の再稼働は、国のレベルでは何もできない状況になっている。
経済産業大臣が、経産省の官僚の書いたシナリオに沿って、「(当面の)原子力発電所は、津波対策の5項目を実施済みだから、(浜岡原発以外は)稼働しても安全性は確保されている」と説明しても、どの自治体も信用していない。
関西広域連合(2府、5県)では、関西電力と原子力安全協定を結ぶ方針を決めて、来月には交渉することに決定した。
関西電力の原発の再稼働は、中央政府の判断や電力会社の決定では、出来ない状況が明確になる。

それに向けて原発依存派(原子力村に恩恵による宣伝に洗脳された)陣営は、原発の再稼働を拒否すると、夏場の電力需要急増時に大停電の懸念があると脅している。
それを防ぐには、15%の節電を強制的にでも実施しなければならない。(関西電力の説明)
これに対して、大阪府の橋本知事は、電力会社の説明には、納得がいかないと断言している。
関西広域連合の判断に、東京の人間が口をはさむことは必要ないでしょうが、少なくとも、事実認識についての説明を補足する事は必要でしょう。

関東地方(東京電力管内)では、節電15%(重要施設では10%ないし免除)が実施されている。
それに対して、冷房を止めるなどのガマンを強いられることが当たり前の様に流布しているが、節電すべき時間帯は、真夏日(温度30度以上)の午後1時から4時台に限られている。
東京電力が本日の電力(ピーク時)使用量と供給余力を『電気予報』としているが、90%以内が通常で、気温35度を超えた日に、92%程度に上昇した。
まだ、大停電には程遠い『供給余力がある』ことははっきりしている。

電力会社は、92%を超えると懸念が増えるとして、盛んに原発の稼働を容認してもらう様に宣伝しているが、大坂の橋本知事は、明確に節電15%の強制を必要なしとしている。
つまり、本当に需給がひっ迫した時間帯だけは、冷房を切って照明を落とすことは実施できるように、万全の準備をしておけば、業務に差し支えはない。という立場である。
これが、本来の節電(ひっ迫時のみ、強制的なカットをできる)体制であり、これを一日中の節電を強いる様な宣伝は、大きな誤りである。(マスメディアの責任はおおきい。)

原発依存派は、15%の節電を強いることは経済活動を制約して、生産力は(15%程度の)大幅な減少を招く様な、誤った印象を広め様としている。
照明を半分程度に落としても、生産力や事業経営に影響が出る様なことは、ないと言える。
原発を稼働しなければ日本の経済は立ちいかなくなる、と恐怖を煽る人種は、何を狙っているのか。

日本経済の再生にとってブレーキとなる原発と経団連は冷温停止に。

2011-06-25 | 快適エネルギー社会問題
日本の長期の経済停滞は、空白の20年と呼ばれた、1990年初頭のバブル景気の破たん以来、経済は低調を極めている。
この主要な原因については、金融政策が遅れたいたとか、情報産業への乗り遅れに失敗したとか、言われているが、もっと大きな原因に長期エネルギー政策の失敗がある。
それは、見せかけに電力コストによって、原子力発電のコストは一番安いとして、原発偏重の電力政策を後押ししてきた、電力多消費産業の優遇による結果である。

このブログで書いてきた様に、原子力発電には、隠れた経費が沢山あるにもかかわらず、これらを除外した経費で発電コストを算出して、[5~6円/kWh]という現実からは離れたデータを出し続けていた。
そのために、再生可能エネルギーのコスト高を現実以上の差がある様に見えて、民間企業が取り組む研究投資にブレーキをかけることに終始していた。
再生可能エネルギーへの投資は、いつになったら採算性が向上して、事業として成り立つかは、まったく不透明の状態に長くおくことに、なってしまった。

また、見せかけに電力コストによって、省エネルギー機器への投資を回収する(何年で投資額をとりもどせるか)期間が長くなり、その方面の省エネ機器の需要を抑えることに終始していた。
最近になって、節電要請や意識の高まりで、省エネ機器への需要が高まり、その業界での増産などで、活況を呈する状態になっている。
2000年代の初頭にこの省エネルギーと再生可能エネルギーへの投資と需要喚起を実施していれば、多くの雇用機会を産むとともに、『快適エネルギー社会』への展望が開ける筈であった。

原発偏重の政策によって、これらの国民の意識の芽生えを、摘み取ってきてしまい、ひたすらに、我慢の生活と将来不安の増加によって、消費意欲を大きく抑えつけてきた。
日本の長期の経済停滞は、技術開発力が劣るわけではなく、民間企業の競争力が低下してきたことに起因するわけでもない。
国の将来像を提示できない政治の力と、旧産業を守ることばかりを優先して守りばかりを主張する【老朽経済団体】の言い分をのんできた保守的体質が原因である。

今回の原発大事故によって、日本のエネルギー政策の見直しを迫られ、再生可能エネルギーの普及を促進しなければならないと言う、『国民的な合意』は、整ったと見れる。
さらに、省エネルギーへの意識改革は、電力供給不足のひっ迫もあって、完全に行き渡った。
この絶好の機会に、エネルギー政策の大転換を通じて、新進気鋭の企業の参入を促して、経済の活性化を最大限に図るべきである。

それにつけても、20年間も経済を停滞させた主要原因である、【老朽経団連】をこのままにしておいては、革新的な提案に対して、ことごとくブレーキをかけて、経済停滞に引き戻そうとする旧時代経営者が出てくる。
IT産業の新進企業「楽天」の経営者は「日本経団連」、に見切りをつけて、脱退を宣言した。
もう【老朽経団連】は、原発と同じ様に「冷温停止状態」に持ち込むのが、もっとも得策である。

40年前の時代に出来た設備と組織を、そのまま維持する愚に気付く。

2011-06-24 | 快適エネルギー社会問題
今回の福島原発の大事故の原因として、非常用電源設備のディーゼル発電機が海側の低い位置に設置され、しかも、むき出しの状態でモロに波をかぶる様になっていた。
事故が起きてからは誰でも、こんな構造にしておくなんて、東京電力の技術陣の怠慢であると、非難ゴウゴウの状況である。
早速、他の原発では建屋の中にあるから大丈夫とか、想定以上の津波が来ても波を被らない高い位置にあるから、津波対策は出来ている、と電力会社は説明に躍起である。

東京電力に限らず、非常用電源の位置が重要な安全対策であることは、解っていた筈である。
福島第一原発の様に、40年も前に建設されて、それ以来は大きな構造改良も行わずに、タダ、地震の規模や津波の想定を見直す基準を、甘くすることばかりに経営努力をしてきた。
つまり、非常用電源の喪失は想定しないで良く、ディーゼル発電機の位置などは問題でないとの論理によって、議論の俎上に上がることを拒絶してきたのである。
犯罪的と言ってよい意図的な安全性軽視の制度維持を続けて来た【技術以前の人災】である。

日本はこの様な【不透明な技術以前の人災】を防ぐことを重要視して、行くべき時代に入っている。
技術の世界では、つぎつぎに改良のアイデアが生まれて、真剣な議論の上で、より良いモノを採用していく、技術屋の良心と意地が反映できる。
福島原発はアメリカの[GE社]の設計を、40年前はそのまま受け入れて造らなければならない状況で、それを建設、製造した技術者や現場の人たちは、今回の事故で悔しい思いをしている。
もっと後に日本人技術者の知恵が反映された原発は、非常用発電機に関しては、ずっと進化した考え方で設置されている。

やはり、40年前の設計の設備で技術的な問題があるのを、後生大事に守るのは、あらゆる面で良くない結果をもたらす。
もし40年前の自動車をそのまま乗り続けていたら、現代の自動車に乗っているよりも、はるかに事故発生の確率が高く、安全性は低いことが問題視される。
そのために自動車産業の世界では、過去の発生事故の原因究明を地道に行って、一歩でも安全基準を厳しく改訂したり、交通安全の制度を改革してきている。
原子力発電の世界では、40年前の設備でも安全だと言い張るグループは、業界と行政をし切っていたために、この改革、改良の芽が無残にも摘まれて、原子力村という旧態依然たる仲間だけの論理がマカリとうる社会になっていた。

その原子力村の成長と維持を後押しした組織が、日本経団連であり、電気事業連合界、である。
この組織もすでに40年以上も経過しているので、組織の意思決定をする仕組みが、40年前の時代の発想しかできない状態のままである。
その様な中で会長や幹事が選ばれて、組織としての威光をカサにきた旧時代感覚の老朽経営者が、政界や行政官庁、マスメディアに対して、意見を(大きな顔をして)押し付ける。
この様な団体は、いったん廃止して、現代の社会の仕組みに沿った、新しい組織を再構築する事が、日本社会の健全な発展にとって役に立つ。

社会の進歩にそぐわない老朽施設、老朽組織は廃止する事が必須で、それが社会進歩をもたらす。

脱原発政策のジャマをする老朽組織を変える「脱経団連」活動。

2011-06-23 | 快適エネルギー社会問題
福島原発の大事故によって、電力会社の事故に対する想定が大甘で、いったん放射性物質に汚染されると、その終息に対する技術や対応が全く追いつけないレベルであることが露呈した。
つまり原発立地地域に対する安全性の説明と、事故後の対応については、日本の電力会社の能力は信用するに値しないと、社会では評価されている。
この様な段階では、いくら電力会社が、「想定内での事故については対処したので、停止中の原発の再稼働をしても安全です。」と説明しても、誰も信用しないし、不安だらけである。

現実においては、この夏場はすべての原発の再稼働はできないと、「想定する」のが正解である。
後は、節電が必要な電力管内では、停電を起こさない為の対策案を、「いろいろな想定の下での対応策」を早急に検討し、必要な措置は講じておくべきである。
再稼働するかどうかを論じている段階ではなく、再稼働なしの前提の行動を始めるのが正しい。

問題はその先であるが、来年の春咲きまでには日本中の全原発が定期点検に為に停止するので、来年の夏場、6月~9月において、今年よりもさらに電力の供給が減るのは確実である。
それに向けて、既存の火力発電技術によって、できる限りの供給力を増やす対策が急務である。
『天然ガス火力発電所』の建設は、技術的には1年程度の工期で完成する。
今すぐに着工出来れば、来年の7月には間に合う筈であるが、政局がらみの永田町のドタバタ騒ぎのもとでは、政府主導の対策は、効率が悪くて機能しないであろう。

そこで、問題は民間企業が、これに対してどこまで協力体制が出来るかにかかってくる。
急に脚光を浴びた「再生可能エネルギー発電の電力固定価格買取り制度」は、経済界からも、早期に成立を要望する声も大きい。
この制度によって、再生可能エネルギーへの投資をする優位さが明確になるので、優良な経営者ならば、発電事業への参入を図る絶好のチャンスととらえている。
太陽光発電や、風力発電建設の工期は短いので、頑張れば半年くらいで完成できる。
後は、やる気になる企業がどれだけ増えるかにかかっている。

それにも拘わらず、経団連の会長は、相変わらず「再生可能エネルギー電力買取り制度は、電力価格を引き上げるので反対!」という、旧態依然たる態度に終始している。
これに繋がる電力族議員を動員して、法案の審議に入ることすらジャマをしてきた。
電気料金を多額に払う企業群、鉄鋼業や化学産業は、確かに経営上の影響はあるが、むしろ、電気料金の値上げは、原発事故に対する対策によって、大きく引き上げられることは必須である。
天然ガス火力発電を早急に導入する方が、電気料金の値上げは少なくできることは判ってきたのに、
耳を傾けようともしないで、相変わらずの原発存続、再稼働促進一辺倒である。

この夏場のあとで、脱原子力依存のエネルギー政策転換に議論に広まるであろう。
その時の重要な視点は、どの様なエネルギー政策が日本の将来の雇用創出に適格かを、しっかりと掘り下げて議論すべきである。
少なくとも鉄鋼業や化学産業が、雇用を多く生み出すとは考えられない。
この様な旧時代産業の経営者による老朽組織を、『脱経団連の産業組織』に変えるべき時である。

脱原発依存のエネルギー転換政策は新規の雇用機会を創り出すこと。

2011-06-22 | 快適エネルギー社会問題
日本において原子力発電に依存したエネルギー政策を固守する理由は何であろう。
石油ショック以後の20年間は、ひたすら石油に偏重したエネルギー源を多様化して、中東の不安定な石油価格変動を受けない経済体質の転換することであった。
特に、当時において技術的な進歩が著しい、原子力発電を増やすことで、供給の不安な石油による火力発電の依存率を下げることが、賢い選択であった。

この電源の多様化と石油の90日間備蓄の制度によって、「第2次石油ショック」は被害を軽微にとどめることが出来て、日本は経済成長の路線を順調に歩むことができた。
その後の政策において、原子力産業のウマミに味をしめた企業や政治家が、その権益を限られた範囲で確保して分け合う体制、いわゆる「原子力村」が作られていった。
この原子力村の利益に反する様な言動をする専門家や政治家、行政関係者は、あらゆる方法で排除したり、冷遇することで仲間はづれにする「村の掟」が蔓延する状態となった。

原発立地の危険性を引き受けた自治体には、原発の設置に必要とされる「迷惑料の支払い」を、電源3法の特別会計から、交付金という甘い資金を出し続けることで、危険性に対する不満を押しつぶしてきた。
一度、交付金を受けると地元自治体の予算は潤沢になって、多くの公共施設や道路が整備されて、生活環境の改善は著しい。
原発の交付金が途絶えることと、原発関連の企業がいなくなることは、自治体の税収が減る危険性が大きくなる。
この結果、多くの原発立地地域では増設が有利となって、マスマス、原発の集中立地が進んだ。

「原子力村」の既得権益構造は破壊することで、不透明な妥協や安全性の手抜きはなくすに尽きる。
しかし、集中立地をしている原発立地の関連自治体にとっては、原発の停止、廃炉は、雇用機会が大きく落ち込むことになる。
また、関連企業がいなくなったり、原発自体が運転停止になれば、固定資産税や、企業に関連に関係する各種の税収がなくなることにつながり、地域自治体にとって、死活的な問題となる。

多少の危険性を負ってでも、原発の運転継続は、地元の市や県にとっては、どうしても守りたい。
電力不足対策とか、温室効果ガス[CO2排出]の削減などは、脇に追いやられる問題である。
国としては産業界の要望である、電力価格の低減は製造業の国際競争力の維持からも、優先的に課題であるが、原発の安全対策を強化するならば、この狙いに対して原発は不適格である。
電力多消費産業では、電力価格の上昇は海外への製造拠点を移すペースを加速することになる。
つまり原発を続けても、生産の空洞化による雇用機会の減少が起きることは必然となっている。

ここで脱原発の根本問題は、【雇用機会の減少をどのようにして食い止めるか】に集約される。
答えは、『再生可能エネルギー産業の発展を加速させる』ことで、新規の雇用をつくり出す。
また、原発の停止に応じた、『天然ガス火力発電所を早急に新設』して、代替して行く事で関連産業を活性化して、雇用機会を増やすことである。

この雇用の受け皿となる企業を、原発立地の自治体に重点的に誘導して行くことを約束すべきだ。

地域主権による選択で将来の再生可能エネルギー産業を実現。

2011-06-21 | 快適エネルギー社会問題
将来のエネルギー政策について、地域毎の主権を行使して、自らの意思で決めるのが基本となる。
中央の政府の経済産業省が、なんと言おうと、自分たちの意思で決めて行く事が、結果に対する責任感も生まれる。
関西電力における原発再稼働問題は、東京に住んでいる人間が、あれこれ言う資格はない。

東京電力管内には、原子力発電所は茨城県に一基(現在、停止中)あるだけで、大部分は東京からはるかに離れた新潟県と福島県(全基停止中)に立地している。
危険で危なっかしい設備は、できる限り、日本の首都である東京圏から離して設置した方が良い、というご都合主義の表れである。
今後はそのような理屈は、一切、通用しないから、東電管内は、脱原発にするしかない。

地域主権の考え方に沿って、エネルギー政策の将来を検討すれば、迷惑な施設を遠く離れた地域に押し付けて、その代わりにおカネを回すことで、迷惑料を払うことで取引をする「昔流の考え方」はもはや通用しない時代となっている。
特に、原子力発電所は、ひとたび事故を起こせば、地元はトンでもない被害と長い期間に渡って、放射性物質の影響を受け続ける。
迷惑料を払えば取引が成立する様な【安易な経済優先原理】は、まったく受け入れられなくなった。

新規の原発の設置は、もはや論外で議論する余地もないであろう。
問題は、すでに造ってしまって、まだ使えば発電をキチンとする設備をどうするかである。
この夏場の原発再稼働問題は、地域主権に立った地元自治体の自主的な判断によって、将来の地域のあり方を選択する、大きな関門である。
中央の政府がどうだから、とか、迷惑料をもらえるので、地域の経済にとって有利だから、などの、目先の理屈は、もう脇に追いやることである。

地域社会にとって重要なことは、地域に根づいた産業を育てて、自立的に経済活動を活性化する事にある。
将来に渡って、有利な仕事、収入の道を作ることで、安定して豊かな生活を送れる基盤を造っていくことにある。
原発の再稼働によって、将来とも原発を維持し、老朽化した段階には、新規の原発をまた建設する事で、仕事を継続できる、考えるのだろうか?
安全性を徹底的に反映した原子力発電の技術は、いつになったら完成に近づくのか、とても予測できる段階にはないが、確実に発電コストは高い価格になるであろう。

電力会社の経営にとって、新規の原子力発電を建設する事で、得られるメリットはない。
国策として進めるには、[CO2排出]の削減義務を負う場合には、発電コストを重視しないで、やむを得ないとしての採用はありうる。
しかし、その時期には、再生可能エネルギーの技術進化によって、原発の発電コストよりも有利な技術による設備が大量に実現している可能性が大きい。

今の時点で、どちらを選択するかで、地域の将来は左右されることを肝に命じておくべきである。

将来のエネルギー政策の基本を意思決定するのは地域の合意創り。

2011-06-20 | 快適エネルギー社会問題
経済産業大臣の「原発再稼働は安全」の談話は、各地の自治体において、総反発の様相である。
各地の原発立地地域の住民と自治体は、この状態で安全というのは、いかにもご都合主義の国の政策であって、意図的に操作された情報によって、今までには懐柔させられてきたと感じている。
今回の夏場の電力需給のひっ迫時期に、間に合う様に出された【大臣談話】などの無責任声明には、
全く信頼が置けないとして反発している。
大阪府の橋本知事は、経済産業省の幹部と大臣が、原発立地の地元に住居を移してから、「再稼働は安全」というべきだと皮肉をこめて反発している。

大臣が説明すべきは、「今の段階では緊急的に必要な安全対策は5項目で、それに対して、ハショッテ(2日間で)確認をしました。これ以上の対策の必要性は不明なので、今までの基準を信用して再稼働を認めて欲しい。」という本当のことを言わなければならない。
そして、「再稼働を認めてもらわないと、電力不足の懸念で、企業が海外移転を加速して空洞化を招いたり、消費意欲を削いだりして、経済活動が停滞する心配が大きい。」との説明を加える。

この様な説明を聞いたあとで、関西電力管内では、大阪、京都、福井、兵庫、和歌山、奈良、滋賀県の関係する自治体を代表する審議機関で、再稼働の容認をするかどうかの、合意形成を実施すべきであろう。
その時に、再稼働をしない場合の電力の需給見通しを客観性のあるデータを提示して、どの程度の節電対策が必要であるかを、透明性をもって検討しなければならない。
関西電力の「節電15%の要請」では、橋本知事がその根拠を提出する様に厳重に抗議したあとで、夏場の気温の予測設定がだされた。
それによれば、関西地方は他の地域に比べて、特別の猛暑になるとの予測に基づいて、15%節電が必要としている。

関西地域だけが猛暑というのは違和感があるが、気候の厳しい変動に対して、甘い想定をするのは禁物だから最悪ケースに対応する、と言う姿勢に採れる。
その割には、若狭湾(原発が11基、集中配備されている)の地震と津波の想定は、まったく甘い基準であるから、関西電力のダブルスタンダードは、企業姿勢として信頼性を損なっている。
地域独占を認められている電力会社と自治体の関係は、もっと、緊密な情報の共有と信頼関係がなければ、適正な基準作りの合意も運営も危ういモノになる。
今スグに徹夜をしてでも、電力需給の予測と節電の必要量と対策案を、同意できる内容に詰めることが、その地域の電力消費者に対する責務である。

その上で今年の夏場、さらに来年の夏場に向けて、原発全基停止の可能性を、地域において最優先課題として審議して、原発依存への将来性を見据えて、方針を決めて行くべきである。

福島県は既に、原発大事故の被害の実情から、将来は原発をすべて廃止すると方針決定をした。
自分たちでの電力消費はないのに、東京電力管内の利用者の為に、大きなリスクを背負うことは、今後は一切しない、との意思決定である。

同じ様に関西電力管内では、福井県の若狭湾の沿岸に集中立地を強いている現状を、将来とも妥当と言えるか、短絡的な見方でないエネルギー政策の基本として、合意を作っていく必要がある。

原発の運転再稼働は地元の安心を重視する「地域主権」による選択。

2011-06-19 | 快適エネルギー社会問題
日本の中央の官僚は、いまだに官庁が主要な政策の決定と命令が出来るモノと思っている。
しかし、今回の東北大震災に遭遇して、自分たちの出来る範囲は限られていて、地域社会、自治体の力と判断を重視しなければ、何事も進められないことを痛感した。
現実に出来ることは、法規制の改革と予算ツケの財源を生み出すことが主な役割になっている。

ところが、経済産業省の官僚と中央の政治家は、未だに、その辺の情勢変化が少しも判っていない。
それは、原発の大事故を受けた各地での「安全神話の崩壊」に対する、甘い判断に表れている。
原子力安全・保安院は、国際原子力機関(IAEA)への報告に基づいた追加の安全対策を、電力会社に対して実施した。
その結果を「現地に立ち入り調査をして、確認した。」として、運転再開に対して『安全宣言』ともいえる「大臣談話」を公表した。

これで、原発の現状の設備での運転は安全である、と政府の立場では言うつもりであろう。
追加の安全対策は、わずかに5項目で、いままでの安全神話をつくり出してきた「まずは運転継続、安全対策は割り切り」の姿勢は、ほとんど改善されていない。
夏場の原発運転ができなければ、各電力管内での電力不足は懸念されることが優先して、原発を抱える地元や、被害を被る懸念のある地域に住んで仕事をしている人たちの不安を解決する事は、まったく無頓着の姿勢である。

現実は、政府の組織である原子力安全委員会は、安全性に関する基準の見直しに着手したのが6月からで、結論が出るには2~3年はかかる。
原子力安全・保安院では、「過酷事故には追加対策で対応できる。」と言いながらも、福島原発の事故原因の究明には至っていないで、破損状況なども把握した上での対策を盛りこまなければ、本来の安全性を確保できた、とは言えないとしている。
つまり、基準の見直しが出来て必要な対策が実施された状況を確認して、初めて『国としての原発運転の安全宣言』が出来る。

それが終わるまでは、「原発の再稼働の最終判断は国ではなく、地元自治体です。」との姿勢に終始する事になる。
万が一の対策まではできたと思うが、マンマンが一の想定出来ていない事態による事故については、今の段階では判らないから、地元自治体で判断して欲しい。というのが本音である。
ここで重要なのは、「地元の安全や安心」は、国が保証する事は出来ない、という現実である。
あくまでも、電力会社が言う「安全性は確保されている」という、言い分を、納得がいくまでの説明を求めて、それを信用するかどうかの、自治体住民の判断、意思が優先される。

中央官僚とそれの言い分を代弁する中央の政治家が、地域に対して命令する事は現実的に不可能な時代になっている。
地域主権というべき時代に、「エネルギー問題」の原発依存体質を続けるかどうかは、地元社会の理解、同意、支持がなければ、現実的には実行できなくなる。
原発運転の再稼働を認めるか、節電対策の徹底で乗り切るか、選択は「地域主権」に移っている。

エネルギー政策は作られた神話から離脱して、まともな議論をする。

2011-06-18 | 快適エネルギー社会問題
日本では、原子力発電に対する透明性のある情報と議論によって、論理的に整理されるべきである。
今までの様に、経済産業省の管理のもとにある組織からのデータや、電力会社の利権に繋がった偏向した分析・評価などに振り回されないで、いわゆる「原発神話」の信仰状態から脱する必要がある。
安全性に関する【原発は絶対安全】の神話は既に完全に崩壊している。
地震の想定が今までの科学的見地では、甘すぎることが次々に判明して、原子力安全保安院は、安全性の基準を決める根拠を失った状態である。

この様な安全に対する信頼性のない技術設備と、それを重視している経営は、本質的にリスクが高い懸念がある。
関西電力の筆頭株主である「大阪市」の市長は、原発に依存する関西電力の株主総会で、原発の順次停止を要求すると発表した。
また、東京電力の株主に対して、民間の助言機関(日本プロクシ―ガバナンス研究所)は、「脱原発提案」を株主総会の議案に出す様に助言した。
その中身は、「古い原発から順に停止・廃炉。原発の新設は行わない」という、ドイツの選択した脱原発の方向である。

この様に株主の立場からの方向転換は、原発に依存した経営は、一民間企業のレベルではリスクが大きすぎることに尽きる。
今回の福島第一原発の事故の終息後は、4基とも廃炉に決定しているが、その費用負担は膨大な金額にふくらみ、一民間企業の負担範囲を超えることになる。
それに対して、菅首相は、最後の廃炉まで責任ある体制で処理して行くためには、今の法律では不足で、新法を検討している、と説明している。

原子力発電は【発電コストが安い】という神話は崩れ去り、【原発を多く抱えた電力会社は経営が有利になる】という、儲け主義者の神話も全く怪しい状況である。
その上に、【原発立地の地元には恩恵をもたらす】という、甘い誘惑の神話は、ほぼ崩れ去ったと言える状態である。

それらを承知で、何のために原子力発電に依存する体制を継続するというのか。
原発有用論で擁護する人たちの主張の根拠はどこにあるのだろうか。
フランスの原発関係者の主張は、依然として原発の運営コストは安価であるし、安全性を最新技術でさらに高めていけば、21世紀における主流の発電設備である。
しかし、地震の規模が大きくて多発する地域には向いていない。と大統領は明言した。
アメリカは、石油依存、石炭依存の電力を少しでも軽減するためには、原発の増設は避けられない必要な国策である。と大統領は言う。

では日本では本当に原発抜きでは、経済的に発展出来ないと言うのであろうか。
電力会社の民間の立場からは、日本における原発維持は、経済性も、経営上も不利である。
唯一の残されたメリット、原発は運転時に[CO2排出]は最小、ほぼゼロである。(以下、次回)

全治3年の原発ショックの処方箋は出来ているのに、政府の要人は?

2011-06-17 | 快適エネルギー社会問題
日本が経済成長を続けていた時代は、石油に頼るエネルギー政策で、不安はほとんどなかった。
しかし、中東の主要産油国が突然の様に、石油の輸出を制限する共同作戦に進み始めて、いわゆる「石油ショック」が発生し、日本の産業界と国民生活に多大の被害をもたらすことになった。
当時は石油関連の消費財が、一気に価格高騰をし始めて、庶民の一部が買いだめに走ったために、一時は混乱状態になった。

当時の政府責任者である福田首相は、日本は「狂乱物価の時代」にあると言明し、この鎮静化には、
「全治3年」という診断を下して、国民に3年間の苦労をしのいで行く必要性を説明した。
この宣言は徐々に浸透して、石油の極度の依存体質から、省エネルギーや代替エネルギーへの転換が進みだし、宣言どうりの3年間で石油ショックの影響を乗り越えた。
その後の順調な経済成長路線は、この時期の産業体質の改革が大きく支えている。

さて、この度の福島原発の大事故は、石油ショックに匹敵する大きな経済的影響を受ける。
過度の原発電力依存体質が、安全神話の崩壊に伴って、この夏場の電力不足と、来年に向けての原発全基停止の懸念が生じている。
これを乗り切るには、少なくとも3年はかかると思われるが、時の首相への信頼は、今月限りか、いや7月か、それとも8月いっぱいまでの延命策か、と国難にあっている状態には全くそぐわない、内輪もめに終始している。

石油ショック時には、物価が毎年、20~30%も高騰したので、それこそ、生活への不安は大きかったし、産業界における対策は生き残りをかけた必死の状態であった。
それに対して、今回の「原発ショック」は、関東地方、東北地方、関西地方で、電力の最高需要期間の時間帯に電力不足を起こして、大停電の起きる懸念があることである。
企業はその期間、時間帯の生産、営業活動を控えることで、乗り切ることは比較的実現しやすい。
「全治3年」と想定しても、やるべきことは既に判っているのだから、早く意思決定をして、それに効果的にスピード感を持って、実施に移れば良いだけである。

このブログで6月13日に書いた『天然ガス火力発電』の緊急増設がその対策の基本である。
昨日のテレビ朝日の10時からの放映で、最新型の天然ガスハイブリッド発電の実例の紹介がされていた。
多くのマスメディアの関係者には、普段は見ることのない、日本の世界に誇る技術進歩の一端を知ることになる放映内容であった。
しかし、この様な技術や必要な資本、資源の状態(天然ガスの需要動向と国際価格)は、その分野の専門家の中では、常識的に知られている。

この技術を日本の各地に、大特急で建設をすれば、ほとんどの問題は解決して、日本中の原発を停止しても、電力需要は賄える。
同時に建設投資による経済効果が広く及ぶことで、原発停止に伴う地元の雇用不安の解消に向けて、大きく貢献できる。

政策決定者が、この事実を知ろうとせず、「原発神話に浸かりっぱなし怠慢」が不安の原因である。

国のエネルギー政策は国民の意思を反映した政党再編によって決定。

2011-06-16 | 核エネルギー・原子力問題
日本の当面のエネルギー(特に電力)をどの様な構成で自立的に供給するかは、国の産業と生活の根幹となる問題である。
今までは経済産業省と一部の産業界(電力多消費産業の代表)に、その情報の管理を牛耳られて、透明性のある議論がされてこなかった。
原発の大事故の影響を受けて、多くの国民、地域自治体が被害を被り、中小規模の事業者までもが、多大の損害を被った。

この事態になって、国全体の意識が、官僚(及びつながる産業人)に任せることは、大きな誤りであったことで、自分の問題として考える必要性を痛感している。
大多数の国民や、自治体責任者の意向は、原発をこれ以上増やすことは、絶対にNOである。
かと言って、原発を全基停止には、どうしても無理があり、停電のリスクを覚悟する必要がある。
どちらも、不安を抱えることは避けたい、というのが国民全体の意思であろう。

そこでの議論の焦点は、次の両方の選択に分かれる。
原発の代替発電を、例えば天然ガス火力発電の増設で補いながら、「可能な限り早期に全原発の停止に持ち込む」、という考え方をとる立場がある。
一方で、原発の安全性をできる限り改善しながら(地震対策、津波対策、航空機衝突リスク?)、「原発の寿命期間は運転を継続して、急激な電力供給の減少を避ける」という存続容認の立場がある。

ドイツは両方の中間的な考え方により、原発の寿命期間を30年と想定して、2022年までに順次停止して行く方針で、国策としての立場を明確にした。
スイスも同様の方針で、イタリアは、すでに全基停止しているので、議論の分かれようがない。
オーストリアは、チェルノブイリ原発の大事故以来、すでに原発は全基廃止と決定して、その政策を継続している。
この様にヨーロッパの国々の考え方を参考にして、早急に日本のエネルギー政策を、国民的な議論として、方向性を決めて行くべきであろう。

原発を維持し、むしろ強化して行こうと言う国々には、アメリカ、フランス、イギリス、ロシア、そして、新興の中国やインドがある。
どの国も、核兵器の保有を堅持している国であって、その技術の維持や周辺産業との関連性もあって、ことは、エネルギー問題の領域を超えて、国の安全保障問題に踏み込む必要がある。
日本は、アメリカの核兵器の傘のもとに安住し、問題意識は希薄で、それには踏み込めないだろう。

経済産業省の原子力維持派は、盛んに、脱原発を急ぐことは電力コストの高騰を招くと、意図的なデータの提示をし続けている。(2011-6-14および15.日本エネルギー経済研究所)
原発の安全性を圧倒的に向上するための追加費用には、一切、触れないで、原発維持の方が、経済的に有利との論法を守るばかりである。
国民はその様な、意図的なデータによる洗脳を見抜いた上で、原発依存からの離脱のペースをどうしていくかを真剣に検討して、意思決定をして行かなければならない。

次の総選挙においては、大きな分かれ目の争点として、政党再編が必要となるであろう。