日本が太平洋戦争中に国の総力を挙げて、アメリカ軍と対峙していた時代に、徴用工として、雇用した韓国人の補償を持ち出してきた。
韓国流の論理からは、日本が韓国を植民地として利益を搾取した代償に対する補償の請求は、正当な権利だといいたのだろう。
しかし請求権は、すでに当時の政府同士で、正式の外交交渉で後世に遺恨を残さない条件で、決着を取り決めている。
それを一方的に不正であったと、韓国国内にしか通用しない司法権の判断で、日本企業に追徴的補償の支払いを命じるなど、不可解である。
慰安婦問題にしても、日本側に対応策の不備(日本人が作成した虚偽の資料)があったにしても、その後の対応は異様である。
この様な国との外交交渉は、世界の常識や礼儀が通用しないと警戒して、率直に言えば、信頼できない相手と付き合う覚悟が必要である。
しかし、これほど、隣国の信頼を損なう様な事を繰り返していては、これからのグローバル化の時代で、技術交流、事業の共同開発、人材交流などで、突き合う外国人の選択では、最下位に置かれるだろう。
それでも日本に対しては、隷属国にさせられたとの怨念が先立つような精神構造では、いくら教育に熱心でも、人間性が疑われる。
しかし、隣国の位置にいる国民性が、あと何年過ぎたら、付き合いやすい精神に変わっていくか、先が思いやられる。