庵KM

技術屋OBの環境問題独り言

経済問題。交通問題。健康問題。そして、日本の国創り問題。快適社会問題。

政権交代の初心に帰って国創りの基本は地域主権改革だ。

2012-04-30 | 国創り政治問題
野田内閣が進めようする政策は、すべてデフレを長期化させる要因となる。
民主党の掲げた地域主権のマニフェストには、国が抱え過ぎている役割を、地域に出来る限り移管して行く『地域主権改革』が、明確にうたわれている。
ところが、やっと具体化した「出先機関の地域への移管」が、またまた、中央官僚の言いなりになり、霞ヶ関官庁の権限を温存し、地域の自主性を縛る制度にしようとしている。
2年半前に国民に約束した【将来の国創りの基本を捻じ曲げる】様な、基本を変えてしまう様では、国民は信頼しない。

今回の問題となっているのは、国の出先機関にいる国の役人と組織を、丸ごと自治体の広域連合組織に移管する案を、中央官庁の権限を温存する画策である。
中央官庁の出先組織で、国と地方の二重行政となっている役割を、地域社会の自立的な活動を促進して、地域経済を活性化する狙いであった。
これを民主党政権になって、2010年に「出先機関の原則廃止」を閣議決定して進めてきたが、野田政権によって、大幅に官僚の監督権限が反映される【実質的な国の関与の強化】政策に変質してしまった。
地域主権どころか、中央集権体制への一本化を図ろうと言うのである。

大義名分は、「国による関与を必要に応じて柔軟に設ける」という規定によって、大規模な災害が起こった時には、広域組織を直接に指揮監督出来る様にする。
つまり、「地域自治体や県の力が弱いから、自分たちの方が能力が高いので、監督、指揮権は中央官庁が取り上げる」という言い分である。
まさに、東北大震災の災害を、自分たちの権限強化に利用しようと言う、「傲慢さが顕著にでている」中央集権病の症状である。
国がやるべき通常の懸案も、先送りばかりして決定出来ない内閣が、地域で出来ることに口を出して、存在価値を誇示したいだけの意識である。

国の組織と内閣は、地域では出来ないことに集中して取り組みを強化すべきだ。
外交問題などの重要課題である尖閣諸島の国有化は、都知事にいらぬ口出しをされる前に、取り組んでおくべき課題である。
国土交通省は、災害時には、大した役割を持てないから、地域の広域連合組織に、権限と資金を移管するコトが、国の役割であると認識すべきである。

すぐにでも官僚主導の政治から決別して、野田内閣は、民主党の国創りに沿った地域主権を進めることである。
そうでないと地域社会は動きが取れないのだ。

エネルギーのグリーン化は長期デフレ経済からの離脱だ。

2012-04-29 | 快適エネルギー社会問題
日本の経済に大きな悪影響を及ぼしているのは、長期のデフレ不況である。
この原因にはいろいろと諸説があげられているが、大きな要因は次の4点であろう。
第一に、不況下でありながら消費税を3%から5%に税率アップした「橋本内閣増税」である。
消費税アップを含めた9兆円の負担増加が、消費を大幅に委縮させた。
第二に、新興国、特に中国などから、安い商品が大量に入る様になって、物価を引き下げて、国内に回るお金が縮小した。

第三に、規制緩和による至上競争を激化させ、グローバル経済が良いとして、輸入品との競争も激しくなる様に仕向けた「市場競争主義」が、民間企業の人件費の削減を加速させて、働く人の収入を低下させた。
これが、経済の主力である消費者支出を抑え込む効果を産み、結果として消費の大幅な減退が、デフレを加速させる。
第四に、日本の消費者は、必要なモノはほとんど買ってそろっているので、先行きの不安に備えて、「おカネで準備しておく」ことが、生活の習慣となって染みついてしまった。

マトメテ言えば、消費者がおカネを使わない様に、頭に染みついていることが、デフレ経済の主原因である。
だからと言って、政府が消費税を上げて消費者から強制的にお金を吸い上げようとすれば、防衛本能も働いて、さらに消費を減らそうと意思が働く。
「野田内閣増税」は、デフレ経済を長期に続けるコトになる政策である。
税収増加によって、財政の悪化を防ぐと言っているが、消費減退のデフレ長期化で、所得税、法人税など、落ち込む一方になるから、モクロミは外れる。

だが、「自然エネルギーの固定価格買取り制度」は、前回書いた様に、確実に新規の投資需要を大幅に増加させる。
その費用は、多くの電力利用者から1%程度の電気料金の値上げの形で、スムーズに実施される。
この電力料金値上げによって、消費者が需要を控えることはない。

原発と違ってエネルギーのグリーン化は、心理的に安心感と環境適合で、エネルギー自給率の改善に役立つ制度に協力する事には、前向きになっている。
この制度の進展によって、日本の消費が上向くことが間違いなく起きるのだ。

国が関与する新技術・新産業支援は適切な制度を創ること。

2012-04-28 | 快適エネルギー社会問題
新産業を育成する上で、国の政策が失敗だらけであったことは、1990年代からの経済成長の低迷と長期のデフレから離脱出来ないことにつながる。
それでは、中央政府が新技術の開発を直接支援するのは、効果が出ないとしても、他に適切な政策はないのであろうか。
新技術に挑戦する技術者や企業を支援する事は、適切に計画された制度を構築して戦略的に継続すれば、充分に効果が発揮される。
その具体的な政策が、いよいよ、実行の段階になっているので、これを事例として採りあげたい。

昨年の8月に成立した「自然エネルギーの固定価格買取り制度」は、管直人首相の退陣条件として、マスメディアでも大きく採りあげられたから、読者も記憶に新しいでしょう。
この制度は、欧州の主要国で採用されて、再生可能エネルギーの普及促進に効果が認められている実績がある。
日本の中央政府としては後追いの制度であるが、遅れている再生可能エネルギー産業に、大きなインパクトを与えることは必然である。
今までは、経済産業省は「自然エネルギー電力」は、コスト高で不安定として、
普及を抑えてきた。

今回、『調達価格等算定委員会』の審議で、電気料金の買取価格案が公表された。
太陽光発電の電力は、42円/kWh.の固定価格で20年間の買取りが、電力会社に義務つけられる。
この制度で、太陽光発電を設置して売る事業が、確実にもうかる仕事になる。
これは、広大な空き地を持っている自治体や企業にとって朗報であり、そこに設置する太陽光パネルのメ―カ―や、関連設備の製造、設置事業者にとって、新しい仕事が一気に増える。

他の自然エネルギー関連の事業も、この固定価格買取り制度によって、今までの停滞状態から、需要の活発化による事業チャンスが大幅に増大するのだ。
日本中でのトータルの経済効果は、まだ算出している専門家はいないが、予想をはるかに超える派汲効果が期待される。

一方、企業や個人の電力使用者には、「上乗せ買取り費用」の分を電気料金で負担する事になるが、値上げ率は、0.8~1.6%程度である。
この値上げ分による影響はどうなるのか、次回から論じて行こう。

中央政府の支援を受けてきた産業は敗退する宿命にある。

2012-04-27 | 快適エネルギー社会問題
新しい産業を興す新技術開発やイノベーションは、地域に根差した起業家と地元の協力者が必要である。
また、既存の産業分野でも、付加価値を上乗せして価格競争からは離脱した商品・サービスで、事業を元気にするには、地元での継続的なチャレンジが続く必要がある。
肝心なことは、第一線で革新的な活動を続ける「技術者と経営者」が、『熱意と思い入れ』を持って取り組み続けることにある。
それを続けるには、必要な資金源が必要なことは、言うまでもない。

ところが、中央政府の官僚は、「産業を活性化する」とか、「新産業の成長を支援する」などの名目で、国の補助金を付けることに奔走する。
革新事業を軌道に乗せるには、利益に直結しない資金が必要であるから、国の助成金は役に立つ場合も多い。
しかし、国が関与すると、おカネの使い道やら単年度に区切るなど、イノベーション活動にとっては、邪魔な制約が多くなりすぎる。
これが災いして、起業家も技術者も「認められた補助対象事業」の成果を出す活動に重点が移って、本来の「革新的な活動」は、後回しになってしまう。

国のおカネが投入される段階になると、イノベーション的な活動はリスクをさけて、補助金書面に書かれた仕事を年度毎にこなす作業に変質してしまう。
これでは何年かけても、価値のある革新的な技術や事業は成果を産まなくなる。
本来の目標である、次世代に向けた『既存の殻を破った商品』を産みだす筈が、リスクの少ない無難な仕事を終わらせるだけの、義務的な活動におわる。
革新的なアイデアを実現するための挑戦が、書面で審査する官僚の為の仕事に変質してしまうのだ。
中央官僚は、革新的な挑戦をしない人種で、この本質的なことが判っていない。

国の大事な産業の方向を審議する国会議員にしても、イノベーションの活動に経験のない経歴の政治家ばかりである。
官僚の出してくる新産業創出戦略を、知ったかぶりの知識で、当然の様に書面上だけで審議し、ほとんど官僚の言いなりに「ゴーサイン」をだす。
その成果が無残にも失敗に終わっていても、政治家は一切の責任を負わない。

中央官僚は「イノベーションの成果」の成否が判る時期には定期移動で、責任を負える部門にはいない。
これが国策で進める新産業の無残な結末である。

地域社会の活性化は独自の付加価値を上乗せすることだ。

2012-04-26 | 快適エネルギー社会問題
産業を活性化させて経済成長を持続させようというのが、この20年来の宿願である。
しかし中央政府は、この国策においては、ことごとく失敗をしてきている。
赤字国債を増発して、既存の産業を刺激し、テコ入れしても成果はすぐに雲散霧消してしまう。
画期的な新技術の育成やイノベーションを誘発する政策においては、中央の官僚が指図をすると、ダメになるのと同様に、地域の産業の付加価値をあげる政策でも、成果を上げることは出来ない。

その理由は、今までに十分に説明して来たので、繰り返しになってしまうが、民主党と自民党の政治家のレベルでは、理解できない人が多いので、もう少し念入りに書いておきます。
モノ作りが基本とは言いながら、この20年間は、価格競争力を維持する事ばかりに重点を置いてきた。
商品価格という【明確な指標】が目標となるので、中央官僚の様に、現場も知らず現物に接していないままでも、その商品の表面上の価値を評価できる。

経営者にしても、【株主価値優先主義】などの株主配当や株価上昇という「企業価値の向上」が成績に直結する時代が続いて、それに対応する事が優先した。
生産性の向上や、人件費の削減などによる「当面の収益向上」が、経営者の手腕と勘違いされて、評価される時代になった。

必然的に、数値で評価が難しい『商品価値の中身を向上』させることや、価格を上げて「付加価値を消費者に届ける」商品、サービスは軽んじられてしまう。
『高付加価値社会の到来』とスローガンでは言われながら、実際には、価格競争激化による【低付加価値商品競争】が、長く続いてしまったのだ。

月並みな低価格商品では、海外の低コスト生産品にはかなわない。
企業も人件費の削減が、日本国内では限界と見て、海外生産への移転を加速して価格競争を勝ち抜く経営に終始せざるを得ない。
この様な低価格競争では、地域の産業は疲弊せざるを得ない状況に晒される。
現在、地域社会で少しでも活発に活動している企業は、価格競争にまき込まれない企業戦略を重視して、独自の付加価値を産み続けている。

現場で現物商品に毎日接して、消費者、お客様と直接対面している経営者でなければ、付加価値を上乗せする事は実現できないのである。

中央政府が地域の活性化に指示を始めると無駄に終わる。

2012-04-25 | 快適エネルギー社会問題
画期的なイノベーションは、そう簡単には実現できない。
しかし、日々の改善や部分的な改良の革新は、いたるところで実施されていて、その集大成が新技術に成熟する例は多い。
その日々の改善も、現場の第一線の人たちが、「特別の思い入れ」を持って、現物の向きあっているうちに、湧きでてくるアイデアが元になるのだ。
この様な細部の改良も積み重なって、新技術が生まれる土壌ができていく。
官庁の役人が、書類の審査や従来の技術の視点で評価できない領域なのである。

その様な現実を把握できない中央官庁が、新技術の育成とスローガンを打ち出して、国の予算を使ってイノベーションを誘導することは、ムダに終わることは歴史的な事実である。
それにも懲りずに予算ツケをするのは、配分された予算を使い切ることが使命の、官僚の習い性の弊害である。
それでは、中央官庁がダメでも、地方自治体の役割にすると、効果があると行く理由を問われる。

地方自治体の役割となれば、地域の民間企業との距離感、親近感が違ってくる。
現場で新技術に携わっている人たちや、企業の経営陣との接触の機会も多くなり、挑戦している「新技術への理解度」が「特別の思い入れ」に近づいていく。
この理解と思い入れに深化する事が、困難な新技術への挑戦を持続させる力になって、成功への道が開けるのだ。
だが中央官庁の管轄になると、担当官庁の官僚は、ほぼ2年で交代してしまう。
これは明治政府以来の官僚の移動による「官僚の能力アップ」の仕組みである。
担当テーマを進めることよりも、官僚の都合を優先するのが、官庁のしきたりなのだ。

地域で進められている重要な新技術、イノベーションに対して、中央が関与することは、肝心のテーマの進展よりも、取り組んで来たという「キャリアの実績」を積み上げることを優先することなのだ。
地域社会に根付いて、地道に挑戦を続ける人や企業経営者にとっては、中央官僚は、トウリすぎて行くだけの傍観者でしかない。

本当の支援をして力になりうる役人は、現場の人をよく知って、特別の思い入れを共有できる人でなければならない。
イノベーションは組織や政策ではなく、人のつながりを重視するべきなのだ。

合理性の頭ではイノベーションも新技術も無理なのだ。

2012-04-24 | 快適エネルギー社会問題
地域社会の活性化には、新しい挑戦的なテーマが成果を上げる必要がある。
地域だけの人の力や資金では足りないから、より広い人脈と支援のネットワークも必要になる。
それを粘り強く取り組んで進めるには、中核になる人を支える「思い入れと熱意のあるグループ」が、果たす役割が重要になる。
それを拡大した組織が地域に出来るだけ近い位置にあって、継続した支援と協力が不可欠なのである。

新技術の発明・開発などの「イノベーション」を進めるにあたって、「思い入れ」とか[人の熱意]などの情緒的なモノを、なぜ故に必要というのか。
多くの人が、疑問を持つだろうし、そんな抽象的な話を持ち込むな!という感じを受けるであろう。
さらに、グローバル化した世界で、情報通信技術が発達しているのに、支援する組織が離れた距離にあると、成果をあげにくいなど、旧時代感覚の話だ!と、否定する知識人も多いだろう。
しかし、この様な反応をする人達は、自分で「イノベーション」の具体的な仕事に加わったことがなく、「新技術」の創成にも縁がなかった人である。

「イノベーション」や「新技術の創成」は、現実の世界を一歩飛び出した「未知の世界」への挑戦である。
それに取り組むにあたって、今までの知識と経験が豊富な人ほど、未知のことに挑戦する仕事には向いていないのだ。
もちろん、基本となる知識や経験は必須であるが、その枠を飛び出して未知の領域に飛び出して動くには、執着心とかチャレンジ精神などの、非合理的な心理が働くことで、モノゴトが進むのだ。
この段階では、合理性の砦の様な「官僚機構」は、ジャマモノでしかない。

本来の公的な組織は既存の秩序を守ることが最大の使命である。
また、各個人や法人を法律のもとで、公平に扱い、特別の優遇を与える場合には、おおやけに説明のできる理由付けが必要になる。
「新技術開発」には、説明できない不明の分野が控えているので、確実に成功するかどうかを求められると、先に進めなくなる宿命を負っている。
公の組織が支援できるテーマは、実績の出ている「二番手の仕事」なのである。

新技術の開発には、特別の思い入れという「非合理な判断」が必須なのだ。

イノベーションは特別の思い入れと熱意が伝わる支援だ。

2012-04-23 | 快適エネルギー社会問題
新産業を興すには「イノベーション」が必須である。
このためには、「新技術の開発・発明」が土台となり、その技術を量産化して普及させる経営活動が続いてくる。
この一連のプロセスを途切れなく進める「事業化戦略が必要」であり、それを「特別の思い入れ」で支援する企業と経営者が不可欠である。
大企業病にかかりそうな組織や官僚的な組織では、型どうりの進め方や規則、マニュアルの制約を受けて、ほとんどが開発途中でトン挫するのである。

中規模企業で取組んでも、途中段階であきらめざるを得ない状況になるだろう。
10のテーマが、中堅企業10社で挑戦していたとしても、成果を出せる段階まで進むのは、1~2テーマ位であろう。
その様な具体的な成功例が、徳島県の日亜化学工業の「青色発光ダイオード」の発明と量産化なのである。
日本中が活性化するためには、この様な新技術、イノベーションへの挑戦が、各地で活発に取り組まれる状況を、創り出さなければならない。

それならば、イノベーション戦略として、中央官庁が多くのテーマを掌握して、国策としての優先度を評価して、国の予算を重点的に配分するのが良いのだ。
と考えるのが、今までの中央集権主義者である。
これは、絶対にうまくいかない進め方であり、その様なやり方に固執して来たので、1990年代以降の日本の停滞が続いているのだ。
中央の官僚が、日亜化学の『中村修二』氏の研究を評価して、国の予算をつけて補助するなどは、発明を邪魔するだけである。
量産化に向けての技術支援にしても、国の官僚機構では、日亜化学の経営者と技術者のやる気を損なうことに、なるだけである。

それでも、中堅企業の規模では資金力に限界があり、公的支援のおカネが必要になることもあり、資金の供給元は、地元の組織であるべきなのだ。
日亜化学工業の場合であれば、徳島県か、道州制に移行した場合には、四国州の組織で、産業化を支援するのである。

なぜ、中央の国ではダメで、地域の自治体ならば良いのか。
支援する組織の立地が地元であるから、イノベーションに必要な新技術を成功するように、協力する人の熱意が違ってくるのである。

霞ヶ関にいる官僚では、距離のある地元との連携に熱意は入り込まないのだ。

新産業と新技術は地域に任せ、国は長期の取組みに徹する。

2012-04-22 | 快適エネルギー社会問題
日本の高度経済成長期には、国策的な産業政策と大企業を中心として技術開発によって、国民の生活水準が向上してきた。
だから、今後の安定成長期においても、国の主導と大企業の力が重要であるのは、変わらないのではないか。
これが、経済成長論者の大方の考え方であろう。
しかし、1990年代、2000年代を通じて、この成長戦略では成果を上げていない事実を、しっかりと頭に入れることが必要である。

高度経済成長期の産業の中心は、欧米で実証済みの技術や産業を、後追い的になぞることで、リスクの少ない技術の改良であった。
つまり、二番手戦略で十分に経済成長ができたし、国民のニーズも生活水準の向上に向けて、旺盛な需要が次々にあったからである。
しかし、この構図は21世紀になってからは、日本経済には通用しないのだ。
後追い的な成長戦略は、中国や韓国、インドなどの新興国の活躍の手段であり、
日本は次々に、これらの国に市場を奪われる立場になっている。
民間の大企業は必然的に海外に打って出て、市場開拓と製造拠点の新設に邁進しなければ、新興国の企業に追い抜かれてしまうのである。

日本経済の活性化は、既存産業のテコ入れをしても、効果がでないのである。
1990年代からは、大量生産による価格競争力に頼るのではなく、付加価値の高い商品、サービスを開発して、差別化を図った商品でなければ、存在価値がなくなってしまうのだ。
この差別化を図れるには、新技術の開発が不可欠で、その技術が大企業だから産まれるとは限らないのが現実である。

自民党政権の長い間、このことが判らずに、無駄な予算を大量にばらまいて、赤字国債を積み上げてしまった。
民主党政権になっても、やはり大企業の労組出身議員の影響で、成長戦略と称する国策による大企業支援が続いている。

国が取り組む対象は、地域政府と民間企業ではできない「国全体にかかわる産業化に長期間を要する分野」にかぎるべきなのだ。
例えば、海洋開発の基礎調査や基本技術への取り組みである。
『照明用LED技術革新』などは、地域の方がはるかに成果を上げている事実を肝に銘じて、国は余計なジャマをしないことに徹するのだ。

大企業はイノベーションを起こすには不向きな組織だ。

2012-04-21 | 快適エネルギー社会問題
日本経済は1990年までに成熟段階に達した。
国民生活は先進国のレベルに向上し、その資金力は新しい需要を求めて模索するうちに、不動産バブルに向かって集中してしまった。
バブルは必ずはじける時が来て、空中に雲散霧消して巨額の富は消滅した。
やはり、イノベーションを起こし、新技術によって新規の産業を育成しなければならない。
ここまではすでに常識となっている「誰も異論を言わない」後追い設明である。
この先が問題として、しつこく、このブログに書き続けている異端論である。

新技術を開拓するには、莫大な資金と人的資源が必要であるから、大企業を中心として総合力のある既存企業に、国策的に集中して資金を投入して、官民の協力体制が不可欠だ。
金融革命だ!情報技術革命だ!と、スローガンを打ち上げて、新産業の育成に、中央官庁が大金の予算を投入して、大規模に展開しよう。
これが、2000年には、「あえなく失敗に終わった」成果が得られた論理なのだ。

なぜ大企業では、新技術の開発に失敗するのか。
中央の官庁が介入すると、新産業は育たずに壊滅してしまうのか。
経済学者は、理論では全く設明することができないし、経営学の専門家も、イノベーションを必要と説明しているだけで、どうやって、新技術の芽を見つけ出して育てるかは、理論にはならない。
経験的に言えることは、今までの日本で生まれた新技術の芽や、新興企業の成功の事例では、大企業での事業ではない、という事実である。
大企業や本流の事業からは新技術、新事業は産まれない、という経験則なのだ。

大企業病と言われる現象は、良く知られている様に「組織の老化」である。
組織が成熟すると、いわゆる縦割り的になって、余計な仕事はしないのが原則になる。
ところが、新技術やイノベーションは、今の仕事をぶち壊す発想から始まる。
大企業ほど、組織が充実してしまうので、この現状の仕事を否定することから始めるのが、大変な困難が伴う。
一技術者が活動できる範囲を超えているので、トップ経営者しか、判断も指示も出来ない領域である。

企業トップの経験と勘が、勝負の中核になる『未知の仕事』が対象なのだ。

巨大化と中央集権主義は、確実にトップランナーから脱落する。

2012-04-20 | 快適エネルギー社会問題
日本は1960年代から1980年までは、欧米の先進国の後追いで技術水準をあげて、産業育成に成功してきた。
明治維新以来の最大の国策であった「富国強兵」は、軍事産業を例外として、ほとんど成し遂げたのである。
そして、国の将来のあり方を真剣に議論することなしに、「JAPAN as NO1」の、おだてに乗ってしましって、バブル経済時代に埋没して行った。
バブル崩壊後の金融政策の迷走もあって、日本は長期の低迷期に漂流した。

この期間においても、地域や中堅企業では、次世代の新技術開発に取り組んでいたが、中央集権の弊害によって効果をあげなかった。
巨大産業や大企業、既存の産業を守るコトに重点を置いたために、穴のあいたバケツに水を注ぐように、無駄な投資に終わることが大半であった。
なぜ、大企業や既存産業では、次世代の中核になる新技術や新産業が失敗に終わるのか。
それは、大企業になるほど、新分野への挑戦や投資はリスクが多いので、ほとんどの経営者が、中途半端に取り組んで終わってしまう。

先に上げた事例の様に、「青色発光ダイオード」の発明、量産化は、徳島県の一地方企業である「日亜化学工業」で取り組んだからこそ、成功したと言える。
大企業であれば、発明者の『中村修二』氏は変人扱いされて、途中で研究を断念させられたであろう。
日亜化学のトップ経営者は、長い目で見て発明者の支援を続け、その後は企業の最大限の技術力を結集して、量産化技術を開発するリスクを負ったのである。
地域社会も徳島県も、この一地域の企業を支援する体制が作れたのである。
これが中央に結び付いた大企業や官庁の所管になれば、補助金的な予算をつけることで、発明も量産化も邪魔になることばかりに陥るのだ。

今の様に、[白色LED]が、21世紀の照明技術革命と判った段階では、この技術の改革や革新には、惜しげもなく投資をするであろうが、それは、日本が辿った「欧米の先進技術に追いつけ」のやり方すぎない。
それは今の世界では、韓国や中国の方が得意で、開発投資の意思決定のスピードや人的な戦力では、中央集権の日本は負ける体質になっている。

日本はトップランナー新技術を産み出すことに、存在価値を見つけるのだ。
そしてその新技術は中央集権体制では、生み出せないことを肝に銘じるべきだ。

省エネ先進地域のトップランナーに四国を育てよう。

2012-04-19 | 快適エネルギー社会問題
東北の一地域である山形県の米沢市を事例に採りあげたが、すでに実績をあげているのが徳島県である。
徳島大学を卒業して、地元の日亜化学工業株式会社に勤めた『中村修二』氏は、当時の経営者の自由な研究環境を与えられた。
地道で粘り強い努力と、天才的な発想によって、世界では困難な課題であった
[青色発光ダイオード]の基本技術を1993年に発明することができた。
工業的に成り立つレベルにまで『日亜化学工業』の生産技術開発チームの努力が続き、大量生産技術の開発に成功したのである。

現在の日本では、省エネルギーへの転換が一層強く求められている。
照明設備の技術は、白熱灯(100年前のアメリカ、エジソンの発明)の長い時代を経て蛍光灯照明に移行し、今後は『LED』照明の時代に大転換をして行く。
そのもっとも基本となる技術は、[青色発光ダイオード]の発明であり、量産化の成功にあった。
この発明によって、従来の赤色、緑色と合わせて青色の登場で、「白色LED」が大量生産できる時代に入ったのである。
[白色の照明用LED]圧倒的な長寿命と電力消費の8割(白熱灯に対し)削減が実現できた、『夢の照明技術』である。

この世界ではじめに取り組む姿勢と、それを実現する技術者、開発チームの支えを、徳島県の一企業が実現させたことは、大きい。
それまで、一地域の中堅企業であった『日亜化学工業』は、このLEDの事業化によって大きな企業に発展し、地元に多大の利益と雇用機会を産みだした。
この成果を見て、他の地域の大学や企業も、次々に[白色の照明用LED]の技術革新に取り組み始めて、成果もでている。
日本は、世界で産先端の『LED産業大国』になれる実績をあげている。

この最初に取組んで発明と量産技術を開発したのが、中央の権威のある研究機関ではなく、量産化においても大手の企業ではないことに、注目すべきである。
現在の本命技術や、成果が既に上がっている産業にしか目が向かいない中央官庁と研究組織は、技術革新の世界には不向きであり、四国の様に、中央の流行からは、離れた地域の方が新産業を生み出す環境にある。

[白色の照明用LED]技術の進化と産業育成において、世界のトップを走り続ける『政策的な支援』を、四国全体に広げるコトが地域の自立につながる。

新技術と新産業の芽は各地域に生まれて、育てる段階だ。

2012-04-18 | 快適エネルギー社会問題
北海道や九州の自立の話ばかりではなく、他の地域はどうするのだ、という疑問も出てくると思います。
これは、その地域において「最重要課題」として、地域の総智を集めて検討と議論を重ねる必要があり、中央の霞ヶ関官僚が指示してくるのを、まっている様では、はじめから成功の可能性はない、と言える。
地域社会には、地道に革新的な技術や事業を創出しようと取り組んでいる人や組織が必ずいるので、この人たちをクローズアップさせて、その育成を強力に支援する意識改革が必須である。

例えば、次の事例を参考に紹介しよう。
「有機ELで産業振興を目指せ」。
そうした目標を掲げて産学官連携で世界最高水準の有機EL照明パネル開発に取り組む自治体が出てきています。
 JR米沢駅前のフルーツ店「喜多屋果実店」には、昨年、有機EL照明が導入されました。
パネルを5枚組み合わせた照明装置が天井などに設置され、果物を明るく照らしています。同じく、米沢市内にある新築住宅では、階段脇の壁面に有機ELパネルが組み込まれ、柔らかな空間を演出しています。
山形県米沢市が行っている有機EL関連の補助事業で導入されたもので、昨年度から始めた取組みです。

これらの実例は、山形県米沢市が行っている有機EL関連の補助事業で導入さ
れたものです。
来年4月には、新たに市内の工業団地内に山形大学有機ELエレクトロニクスイノベーションセンターが設立される予定です。
 米沢市が有機EL関連産業を支援する背景には、同市で世界初の開発や発明が次々と成し遂げられていることにあります。
まず、1993年に山形大学の城戸淳二教授が世界最高水準の白色有機ELパネルの開発に成功したのを皮切りに、97年には東北パイオニア米沢事業所において世界初の有機ELディスプレイが開発され、11年には米沢市のルミオテックが世界に先駆けて有機EL照明パネルの量産化に成功するなど、実績をあげている。

この様な国内外を先導する研究開発を、将来の地域産業を活性化する中核の事業として育成し、成果をあげられるか、地域の取り組みが最重要になる。
従来のやり方に沿うと、霞が関の官庁に研究開発と事業化促進のために予算獲得、補助金申請に走るのが常道であった。

だが、これからの時代は、地域社会が中心になって産業化に邁進するのだ。

エネルギーの長期計画は、各州で自立する目標を立てよう。

2012-04-17 | 快適エネルギー社会問題
地域主権の動きがスローガンだけで動かない状況が10年以上も続いている。
自民党政権時代に、地方分権の必要性が言い出されてから、議論が進んだり止まったりで、一向に成果はあがっていない。
中央の国の機関で責任を持ってやらなければならないことは、山積しているが、中央官僚は仕事を抱え込むばかりである。
そして、手遅れになって世論の批判を浴びる様になって、やっと対策を講じるが、小手先の手直し政策ばかりで、実効性は乏しい。

地域の自主的な判断に任せた方が良いことも、中央で決めてからでないと予算も交付金も渡さないのが、中央官庁の自省の存在意義となってしまった。
市のレベルで出来ること、住民に直結する行政サービスは市町村に任せる。
市で実施するのは難しいか、地域で共通化させる行政は、県に任せる。
それが当たり前であるのに、国が細かいことまで決めて、上から目線で指図をする構造が、「明治政府以来のお上が何でも決める意識」を植え付けてしまった。
バブルの崩壊以後の日本の低迷は、お上からの「指示待ち体質にそまった地域社会」と住民の意識が原因であり、それの転換が進むべき時期であった。

中央での公共事業のバラマキ時代も、とうの昔に効果が薄れてしまったのに、未だに、中央政府がすべての権限を握ってしまうので、地域の要望が生かせずに、やる気を削いでしまっていた。
今回の原発依存のエネルギー政策の破綻も、中央統制の弊害である【独占と癒着】を産みだして、機能不全に陥っていたことが大きな要因である。
その弊害を認識せずに、まだ性懲りもなく、中央の経済産業省主導による「長期エネルギー政策の見直し」に、依存しようとしている。

2030年におけるエネルギーの供給を、どの様な割合にするのか。
霞ヶ関で決めた目標を、北海道も九州も、「ハイ、そうですか」と言って、そのまま計画に従っていくのか。
今までどうりに、地域独占の権益に染まって腐敗した電力会社に任せるのか。
発電事業の自由化、民間の参入促進は待ったなしで、民間企業の参入意欲を高めるには、地域社会にとって期待が高い、将来の見える電力事業である。

現段階では、少なくとも「州政府」単位で、将来のエネルギー政策、電力政策を自立的に決める動きを始めなければならない。
エネルギー政策の総見直しの機会を逃せば、地域主権への移行はさらに遠のく。

将来に安心と活力を生み出すグリーンエネルギーによる自立を。 

2012-04-16 | 快適エネルギー社会問題
地域の資源を活かしてエネルギー自給率を高めることが、活性化に結びつく。
北海道を例にとって説明した、4月13日のブログに付け加えるのは、バイオマスエネルギーの利用である。
ヨーロッパの中堅国のデンマークハ、1990年代から風力発電の開発に積極的に取り組み、再生可能電力の比率を大幅に増大させた。
さらに、偏西風の恵まれた海上にも、洋上風力発電の設置を盛んに進めて、風力発電設備が、重要な国の産業となっている。

北海道も日本海側をはじめとして、風況に恵まれた地域が多い。
将来は洋上風力発電技術も進化して、発電コストも原発を下回る様になる。
それでも、再生可能エネルギーには、否定的な論者がゴマンと存在して、その欠点をあげつらって、とても主力電源とはならないと、声高に主張する。
風力は天候に左右されて不安定な電力だから、必ず、火力発電などの帆何する発電が必要になるから、ダメだと言うのだ。
そこで、北海道には豊富な木質バイオマス資源が育っているのを利用するのである。

再生可能エネルギーでは先進国のデンマークが、2020年までに電力の1/3を、2050年には100%を再生可能に転換するという意欲的な計画を明らかにした。
デンマークが再生可能エネルギーに積極的に取り組むのは、将来化石燃料価格の影響を最小限にするためである。
エネルギー消費を2020年までに2006年レベルから12%減らす方針にしている。
国有電力会社では、この方針に沿って3か所の石炭とガス発電所をバイオマスに転換するために8億ドルを投資することを明らかにした。
またこれによって緊急の問題である雇用の拡大も期待している。

デンマークで実行出来る政策が、北海道では無理であると言う理由は一切ない。
風力発電の稼働が少ない時期には、バイオマス発電をフルに稼働して、供給力を安定化する事は十分に可能である。
必要とする木質バイオマスは、年間で200万トン程度であるが、将来は増産する事も充分の可能である。
原発をいくら存続してみても、新規の雇用は産まない上に、安心出来るエネルギーには永遠になり得ない。

快適で安心出来て、自然と調和する『グリーンエネルギ―立州』を目指すのだ。