庵KM

技術屋OBの環境問題独り言

経済問題。交通問題。健康問題。そして、日本の国創り問題。快適社会問題。

将来の安心社会の実現に向けての重要な1年になる【要点】 

2010-02-28 | 暮らし・健康問題
この1年間は大きな転換の始まりとなる変化が、各方面で起こってきた。
100年に一度と言われる大不況の兆候が、世界中を不安に落としいれ、迷走の状態にあらわれている。
世界的な経済の停滞は、先進国を中心に雇用の悪化を招き、需要の停滞によって、あらゆる事業分野が減少、縮小、過当競争の状態に引きずり込まれている。

この状況に対して改革する方向は、日本では政権交代によって「環境先進立国」を目指すとした。
2020年に向けての「新成長戦略」を打ち出して、年率3%の経済成長を実現して、国民の健康的で豊かな生活を守る。
これについては、だれも依存はない。
問題は、実現するための具体策、実行可能な政策、技術開発目標である。

この中身は、いまだにマスコミにおいても、正確な情報の提供がされなくて、議論が迷走しているばかりである。
偽物の環境政策も紛れ込み、どれが本当に効果のある政策であり、実現すべき技術なのか、玉石混交の状態である。
だが、このブログで問題点や方向を書いてきたので、読んできていただいた方には、少しは見えているのではないかと、自負している。
2009年の8月31日と、12月31日に要約を書いてあるので、再読をお願いしたい。

以下に、もう一度、【環境問題独り言】の話の要点を順番に書いておきます。

・国民の健康と豊かな暮らしを守る基本は、経済の活性化と雇用を守ることである。
 雇用の確保や給料の改善が、事業の目的であって、金融業者や株主の利益などではない。

・既存の産業は過当競争状態に陥るので、「新産業」の育成を重点的にはかり、徐々に産業構造の転換をしていかなければ、世界の中から脱落していく。

・「新産業」の基本は、脱化石エネルギー産業である。
 再生可能エネルギー関連の技術開発を重点に、普及促進の政策を優先する。

・交通システムは、「省エネルギー・脱化石燃料」の方向で、技術革新の先端を進む。
 自動車、航空機、船舶も同様に『省エネ、脱化石燃料化』への置き換え促進政策を実施する。
・国土の保全と治山治水は、森林保全を優先し、林業の再生、活性化によって地域経済の自立を 目指す政策に転換する。
 コンクリートダム政策からの離脱、転換。

・地球温暖化対策へ向けての国家目標を25%削減を掲げ、賢い規制政策、誘導政策によって、技術開発と起業と大胆に支援する。
 財源となる炭素税(温暖化対策税)の早期実施を実現する。

・日本の中長期エネルギー戦略を大転換する。
 自給率4%(原子力を入れても19%)の状況から、日本の国土で生み出せる再生可能エネルギー(太陽光、風力、地熱、バイオマス)の活用で、化石燃料依存率を低めていく。

・原子力発電は、安全性の重視を最重点にして現状規模にとどめ、無謀な拡大路線や安全性に疑問の多い新技術(プルサーマル、高速増殖炉など)への依存から転換する。
 
これからの1年間で、日本の政策が転換できるかが、将来の浮沈の分かれ目であろう。

意識転換は呼び方から変える。議員は「先生」ではない。

2010-02-27 | 国語・日本語・漢字
日本は大きな意識の転換を必要としている時期である。
どのような意識を捨て、これから必要としていく感覚は、まだ多くの人には見えていない。
大きな問題はすぐには変われないであろうが、身近なことは、意識さえ変えればすぐにでも実行できることが多い。
自分が使う言葉から、この実行をしてみてはどうか。

以前のブログで(2009年7月14日)、政権交代の前ではあるが、国会中継やニュース報道のなかで、議員のことを「先生」と呼んでいる場面が多いことに、違和感を感じたので、
「これからは議員を先生と呼ばない。」という趣旨のことをかいた。
小さなことではあるが、このようなことからも意識の転換を図ったらどうかと言う趣旨である。
これが、議員の中にも実践している人がいることが解り、やはり少しが時代の流れの意識転換が進んでいると実感した。

本日の朝日新聞、(朝刊4面)のコラム欄での記事を引用しよう。
枝野幸男行政刷新相は会見で、記者団に要請したという。
「議員として『先生』と呼ばないでとお願いしてきた。皆さんは『大臣』と呼ばないでほしい。不自然な慣習には乗っからなくてもいい」と述べた。
枝野氏は閣僚就任前も地元の会合などで、「先生」と呼ばれると「 『先生』ではないので『枝野さん』でお願いします」とその場で訂正を求めてきた。
「国民目線」を重視する枝野氏としては、「大臣」と呼ばれる事で、特別扱いされないよう、自ら戒める意味もあるようだ。
行政刷新会議などの周辺のスタッフにも同様のことを求めており、「枝野流」を徐々に浸透させたい考えだ。

枝野氏は、大臣と言う役割を国民目線で実行しようという意識を重視している。
日本の経済の停滞や活力の減退は、官僚による支配体制がながく続いたことに大きな原因がある。
その官僚も長期の日本を置き去りにした、「省益、局益重視」の時代遅れの政策に固執して、
世界の流れの変化から大きく取り残されている。
国民からは、政治家の力でこれを打開して転換して欲しいという、意識が芽生えていた。
しかし、自民党政権は政治家になれば「先生」と呼ばせて特権意識をもち、当選、5回から6回に達すれば、能力いかんにかかわらず、『大臣』の役職を与えて、一時的な名誉職のような経歴で、箔をつける政治家の養成を繰り返してきた。

まさに、官僚支配の内閣、官僚統治の政治立国であって、政治不在が長く続いた。
国民が選んだ政治家が、中長期の日本のあり方をブレーンと一緒に賢い選択をして、国民の目に正確に伝えて、その実行の信を問うのが、国民の望むあり方である。
その結果が政権選択となり、適任者が国民の代表として行政の責任者である「大臣」と言う役職を真剣勝負でまっとうする。
官僚に祭り上げられた『メクラサイン大臣』などは、百害あって一理なし。
議員を『先生』と呼ばない意識転換をしたその先には、『大臣』と呼ぶのも変える時期が来たようだ。

原子力エネルギーは国民の期待「環境立国」に沿えない。

2010-02-26 | 核エネルギー・原子力問題
中長期のエネルギー政策が、経済構造の再構築の計画に欠かせない課題である。
新政権での見直しが、5カ月近くもたってやっと表面に浮上したという状況だが、遅すぎる感じが否めない。
その中で、原子力エネルギーを将来にわたってどう扱うかが、重要な分かれ目である。
燃料のウラニウムは枯渇性の資源であり、全量輸入依存である。
エネルギー自給率を重要視するならば、原子力は輸入エネルギーであり、現状での国内自給率は4%にすぎない。

そこで、原子力族は保存のきくウラニウムは、自給しているとみなして、原子力発電の分は、自給エネルギーして計算する。
この方法で自給率は約19%となるが、それでも2割に満たない現状であって、とてもエネルギー面からみた、国の安全保障には、ほど遠いことには変わりない。
化石燃料や原子力エネルギーに頼らない、自給可能な再生可能エネルギーを、国策でもって拡大することが、中期的なエネルギー政策の基本に据えなければならない。

ところが原子力族は、「高速増殖炉」と言う、ウランをプルトニウム(水爆の原料)に変換しながら、発電する技術に将来を託した。
これは、燃料にならないウラニウムを利用出来る技術として、当時は脚光を浴びたが、14年前に、性能を確認するための小型の原子炉が、事故を起こして停止して以来、何も技術的な進展はない。
既に9000億円の研究・開発投資をつぎ込みながら、ほとんど進展がないと言える。

民主党政権になってから、この「高速増殖炉」の性能試験を再開するために、予算(約190億円)を付けて、準備を開始させた。
しかし、この性能試験だけで3年間は必要になる、現状の規模の高速増殖炉は、通常の原子炉の1/3の出力でも建設費は6000億円(通常原子炉の2倍)かかっている。
つまり、現状では原子炉を増設する費用の6倍以上がかかった。
仮に性能試験が上手く言っても、大型化するために研究開発が必要であり、さらにその先には、通常の原子炉並みの建設コストに引き下げなければならない。

どれだけ上手くいっても、2040年以降にやっと商業炉が動き出せるくらいに難しい技術であり、失敗する可能性の方が、きわめて高い。
このような危うい技術に未来を託すことは、避けるべきである。
原子力エネルギーは、現状(国内50基)レベルで、安全性をさらに高めることに技術開発を予算、人材を集中していき、建設寿命がきた老朽炉から、順次廃止していくことが選択肢として最良であろう。

マスコミ、ジャーナリストは、このような現状や技術開発の可能性を、的確に国民に伝えて、間違いだらけであった{日本の中長期エネルギー政策}を、ただす使命があると認識せよ!

短期間の間違い政策を暴くばかりでは、世の中も政権も迷走するばかりである。

エネルギー戦略の意思入れで温暖化対策や新成長戦略へ。

2010-02-25 | 経済問題
経済の活性化が第一に要望されている。
その対策として、脱化石燃料への転換による新産業の育成が、経済成長や雇用の創出に有効に働くことが実績でも示されている。
しかし、相変わらず「温室効果ガスの排出削減」は、経済活動の足を引っ張る規制になるから、
反対すると言う、旧時代の発想から抜けられない産業人が多い。
これは、産業活動の基盤となる「エネルギー政策」に対する、中長期的な国益を考えた、基本方針が定まっていないことにも原因がある。

日本のエネルギー政策は、旧政権時代には、原子力族と化石燃料業界の利益を代弁してきた、経済産業省のお手盛り審議会で「中長期のエネルギーの需給変動見通し」を決めてきただけである。
これでは「温室効果ガスの排出削減」を、国家目標とする新政権の方針とは、まったく合わない。
それなのに、新政権はエネルギー政策の中長期のエネルギー基本計画を、官僚任せの経済産業省の所管から、一歩も踏み出ていないで、国家戦略室の意思を入れることがなかった。
遂に、『エネルギー戦略なくして、温暖化対策や新成長戦略が描けない』ことに、やっと気がついた。
お粗末な事態と言わざるを得ない事態が起こっている。
以下に報道された状況を引用しておきます。

 2020年までに温室効果ガス排出量を1990年比で25%削減するという政府の中期目標達成に向けた具体策「ロードマップ(行程表)」の取りまとめ時期が、当初予定の3月末から先送りする見通しとなった。
国内排出量取引制度や地球温暖化対策税(環境税)の創設などをめぐって、関連省庁間の調整が難航しているためで、小沢鋭仁環境相は同日の閣議後会見で、経済産業省が6月の閣議決定に向けて検討を始めたエネルギー基本計画に歩調を合わせる考えを示し、3月中の取りまとめを事実上、断念した。
 行程表は、政府が今国会に提出する「地球温暖化対策基本法案(仮称)」に合わせて、温室効果ガス削減の具体策を網羅するもの。温暖化対策の事務局となる環境省は3月末の取りまとめに向けて、石油などの化石燃料に課税する環境税と、温室ガス排出量に上限を設定して排出枠を超える余剰分を取引する 「キャップ・アンド・トレード方式」の排出量取引制度の創設などを盛り込んだ試案を17日の与党政策会議に示した。
ただ、この試案に対して他省庁は「十分な制度設計の検討もされておらず拙速」(経産省幹部)などと反発。
政府が6月にまとめる新成長戦略や、30年までの政策進路を定めるエネルギー基本計画などとも「齟齬(そご)が生じか ねない」(直嶋正行経産相)との懸念が強まっていた。
 このため、先行して行程表を策定し、温室効果ガス削減の政策論議を主導する意欲をみせていた小沢環境相も、他省庁に配慮する柔軟姿勢に転換。特に温暖化対策と大きな関連を持つエネルギー基本計画の内容を無視できないと判断したもようだ。(サンケイビズ2010.2.24)


環境省と環境大臣の「温暖化対策」を所管している責任感は必要としても、一省庁の権限を超えた規制を議論しなければならないのだから、早々に、国家戦略室での役割に移して、全閣僚の権限を統括する首相が、大ナタを振るう覚悟がなければ出来ないであろう。

環境立国を目指すという潮流のなかで、偽物の事業が横行する時代に入っている。

2010-02-24 | 森林・林業
環境立国を目指すという潮流のなかで、偽物の事業が横行する時代に入っている。
燃費の悪い大型の高級車が、エコ減税の対象になるなどは、だれにも解りやすい「偽物優遇」であるが、原子力発電の推進などは、「低炭素社会」に名を借りた悪質な偽物事業で、派手に宣伝している。

では、本物の環境事業はどのようなものがあるのか。
これについては、このブログで何度も触れてきたので、大筋は理解されていると思いますが、森林問題と林業の再生については、本物の事業であるにも関わらず、理解がすすんでいない。
本日の朝日新聞(朝刊3面)にも、「地殻変動」として、「森林維持管理から産業へ」の表題で、現状を伝えている。

鳩山内閣がうちだした「森林・林業再生プラン」の会合で、林業政策を仕切ってきた林野庁や森林組合の幹部に対して、「林業は成長戦略の柱だ。
産業として実現するには現状での安住は許されない」とくぎを刺し、「ゼロベースで総括して、良かれと思って作った制度に縛られない」と言う方針を打ち出している。
今までの林政は、森林の維持管理が中心で、産業として重視されず、ただ、維持経費を使う管理事業であった。

温室効果ガスの削減義務では、森林吸収源を対象に維持管理すれば、削減したとみなされる。
京都議定書の発効後は、手入れ遅れの人工林を対象に、間伐などの作業への補助金が大幅に増額されたが、林業従事者の不足もあって、切り捨て作業にとどまり、伐採した樹木は捨てられたままである。
これらの伐採樹木を利用して、2020年には木材の自給率を24%から50%に高めることが目標となっている。
だが、林野庁のトップが再生プランを作成しても、具体策は殆ど提示されていない。

国家戦略室を率いて林業再生の旗振りをしてきた、管直人(現在は財務相)副総理は、「林業再生は、明治維新と同じだ」との認識である。
日本の国土に放置されている森林資源を生かせば、外国の輸入材に頼っている需要を国内材で賄うようにできて、雇用の拡大が100万人規模で、出来る様になる。
また、捨てられている間伐材や、端材を林地から運びだして、エネルギーへの活用を図れば、エネルギー自給率(現状で4%、原子力を自給エネルギーとしても19%)を10%以上引き上げることが出来る。

しかし、農水省や林野庁の官僚では、現状維持の考え方しか、発想が出てこない。
特にエネルギー面への活用は、今までは、経済産業省の所管であって、一切、研究開発も、制度の構築もしてこなかった。
林業の先進国は、森林の維持と林業の産業化、そして、木質バイオマスのエネルギー利用は、国の一体となった政策で、立派に新産業として、成長している。
政治家でも、このような状況が解っている人は少なく、民主党でも10人くらいという段階である。
まして、自民党の不勉強の政治家では、何もしてこなかった実績が証明している様に、コンクリートばかりに目を向けていた。

まだ、造り足りないとあちこちで言い続けている。

偽物の環境技術に惑わされない様に情報を正確につかむ。

2010-02-23 | 環境問題
日本の経済再生と健全な社会を築く上で、環境技術立国を目指す方向は、多くの国民が理解し賛同している。
そのためには、温暖化対策基本法の制定や、実施に必要な財源を得る「炭素税」の創設など、乗り越えるハードルが、山ほど控えている。

その流れにうまく乗ろうとする、旧勢力の一部が偽物の環境対策技術を売り込もうとして、影に日に動いているが、その中で「原子力族」は、一番目立つ形で、宣伝を繰り広げている。
本日の主要各紙に2面全面広告を出して、「低炭素社会へ向けた原子力発電」との表題で、必要性と環境への貢献を、5人の有識者?の言い分を載せて、強力に進める論旨を展開している。
この広告のスポンサーは経済産業省の資源エネルギー庁だが、国民の税金を勝手につかっている。

この数年のうちに、このような「地球環境問題」の対策として、原子力発電が「CO2排出削減」に貢献するという「大義名分」のもとに、拡大路線を進めようとの狙いである。
これが功を奏したか、最近の世論調査では原子力発電の対する意識が変化していると伝えられている。
博報堂生活総合研究所「生活定点調査」(2008年)のデータでは、「原発は必要だ」と言う人が増えている。
2002年→2008年の変化では、≪男性 39.6%→45.5% 女性 21.5%→28.8%≫とのデータがある。
また、内閣府の最近の調査結果でも、同様の傾向がでている。

しかし、この調査時も含めて原子力発電に対する正確な情報が伝えられているかどうか、疑問である。
このブログで何度も書いてきた様に、原子力発電のネガティーブな面を、きちんと公正に書いて国民に正確に伝えて認識を深めてから、意識調査をすべきである。
今の様な状況になっている原因が、原子力発電の推進論者が、危険な放射性物質を使っているのに「100%安全」と言う論法で押し通してきた「神話の崩壊」がある。
その上、使用済みの放射性廃棄物が、大量にたまっているのに、いまだに、処分方法や処分地が決まらない実情も伝えないで、ただ拡大路線を強調している。
さらに、北朝鮮やイランの様に、原子力発電への利用を隠れ蓑にした、「核兵器開発の拡散」への不安要素は、まったく切り離して、ただ原子力発電所の単体での安全性のみに限定した情報にとどめている。

都合のよい情報のみを提供して強調し、未解決の問題や、核兵器の拡散防止に対する不安要素は、ないものとする姿勢は、安全神話を作り続けて拡大路線を一方的に進めた「旧来の原子力族」の体質から、ほとんど変わっていない。

今の原子力族の論法は、ネガの部分は隠した状態で、地球温暖化対策は不可欠であり、日本の大胆な削減目標を支持する姿勢を取りながら、「原子力発電の拡大がなければ達成は無理だ!」という。
削減に必要な新技術や、ほかの手段との公正な比較もしないで、判断は我々のような専門家に任せて、技術のわからない人が文句は言うな!と言っているのである。

しかし、国民はそんな論法や進め方には、もう騙されないようになっている。
偽物と本物を見分ける知識と品格を備えている人が、大幅に増えている日本になるよう期待したい。

消費者の環境保全意識の表れとなる電力源の選択制度。

2010-02-22 | 環境問題
地域の環境や資源の保全に住民が費用を負担し合って、維持・改善をしていくことは常識になっている。
明日の食料もままならない国や地域では、自分の生活が第一であり、それどころではないし、環境などにはお金を余分に払えない。
先進国では地球環境への関心が高まって、将来への環境維持に対する費用を負担してでも、守っていこうという、潮流になっている。

その動きが電力エネルギーの分野では、具体的に進んでいるが、日本ではまだ関心が薄い。
本日の朝日新聞(朝刊4面)で、スイスのジュネーブ州での電力源を選択できる制度が紹介されていたので、それを一部引用してみよう。

電力源の種類は、5タイプに分かれていて、
①水力、②グリーン、再生可能エネルギー(太陽光、風力、バイオマス)、③化石燃料、となっている。
(他に組み合わせタイプで、④は①80%+②20%、⑤は①60%+②40%)。
1世帯当たり(大人2人、子供2人)の年間標準電力で比較すると、
① 80650円、② 96500円、③ 79600円。(1スイスフランを約87円として換算)
顧客の電力源選択の比率は、①82%、②15%、③3%、(指定がない場合は①となる。)

この結果は、スイスのジュネーブ州の消費者は、少しくらい余分のお金を払っても、化石燃料は使わずに、水力(スイスは山国で豊富な水力資源がある)や、グリーンな電力源を希望している人が多い。という意識調査となっている。
特にグリーン電力は、化石燃料電力の1.2倍するにも拘わらず、15%の人が選択している。
①の電力源は化石燃料による電力より、1.3%高い価格だが、8割の人が選択している。

この電力源、選択制を日本で実施したらどのような結果がでるのか、興味がわくところである。
電力料金が2割程度高くても、グリーンな電力源を選択する意識になっているであろうか?
そこまで行かなくても、今現在の電力価格の2%程度の割高ならば、容認する範囲であろう。

現在、日本で検討されている、再生可能エネルギー(太陽光、風力、バイオマス、地熱、小規模水力)による電力を、設備投資が引き合うレベルで買い取る制度、【電力固定価格買取制】が、2011年度から実施の方向で具体化されようとしている。
これによる電力価格への影響は、2%程度の値上げが必要になる。
産業界は、この値上げになることに反対して、【電力固定価格買取制】を阻止しようとして、影に日に政治家や官僚へのロビー活動をしている。
表向きには、庶民の生活を圧迫するから反対としているが、実際には、自分たちのエネルギー経費の増加が、経営上の不利になるからである。

この【電力固定価格買取制】は、すでにドイツなどのEU諸国で実施し、再生可能エネルギー産業の活性化による雇用の創出実績が上がっている制度である。

それでも電気料金の値上げには反対する選択をするのか、日本国民の意識が問われる段階である。

新政権の本物度を試される環境技術立国への第一関門。

2010-02-21 | 経済問題
新政権の目玉になっている「環境技術立国」を目指す基本となる法制度として、今国会に提出する予定の「地球温暖化対策基本法(仮称)」に続いて、地球温暖化対策税(炭素税)の成立を必要とするのは自明である。
しかし、産業界の代弁をする経済産業省の担当大臣は、それにブレーキをかけようとしている。
多分、官僚側からの猛烈な反対レクチャーを受けた影響の表れであろう。

言い分としては、「基本法」であるから、あまり踏み込んだ内容は書けないのではないか、と言う理由で現時点では炭素税については触れないのが良いとしている。
しかし今までの自民党政権も、いろいろな基本法を議論しても、必ず内容のない取り組み姿勢を目指すだけのスローガンに終わっている例がたくさんある。
まさか、新政権に交代しても、基本法だけで中身の伴わないゼスチャーだけになってしまうのではないかと、危惧させる発言である。

確かに、国内排出量取引制度や環境税の導入などを盛り込んだ素案を提出した、と言う中身では、
経産相は「(排出量削減の)国際的な枠組みが決まらないなかで、あまり細部を議論しても仕方がない」と指摘している。
排出量取引制度や環境税(炭素税)について「国民の声は賛否両面がある。いまの時点で、具体的な内容まで決めていくのは率直に言って無理がある」と慎重な姿勢を採っている状況である。
だがこれは、どちらも一緒にしてしまうのは、大きな誤解があり、認識不足である。
地球環境問題に取り組む先進的な経済学者は、炭素税の導入は理論的にも実践的にも有効で、正しい方向であると言明している。
一方、国内排出量取引制度は、実施の段階における大きな問題が潜んでいて、これには、多くの学者や専門家が危惧を表明している。
閣僚レベルですら、よく解っていない制度を導入前提で基本法に書きこむのは難がある。
国民の声の賛否を言う前に、マスコミの担当記者も含めて、[炭素税]と「排出量取引」の、大きな違いを理解したうえで、賛否を論じる必要がある。

炭素税は既に20年以上の研究と実践の成果、課題が明確になっている。
これは、もうグズグズせずに、2011年度の実施を目指して、実現させるのが正しい。
経済産業省は産業界の代弁をして、抵抗して成立を遅らせるか、骨抜きにしようとするであろうが、担当大臣は官僚支配を受けてはいけない。
日本の新産業への転換の取組み遅れは、官僚に取り込まれた雇われ大臣の連続で大きな転換ができずに、失われた20年を過ごしてしまったことを肝に銘じるべきである。

まずは「地球温暖化対策基本法」を、今国会で成立させることが入口である。
そして、地球温暖化対策税(炭素税)の中身を決定して、国民に説明しなければならない。
新政権の目指すべき「第一関門」の[炭素税]の実現によって、その姿勢と力量が明確になる。

本物の政治主導内閣になれるか、それとも、スローガンだけの雇われ政治家の集まりに終わるか、いよいよ正念場の挑戦である。

選挙で公約に掲げた規制強化政策は実現して経済にカツを。

2010-02-19 | 経済問題
新産業を興して経済の活性化を図り、雇用を生み出すことが現在の最重要課題である。
それには、単純な規制緩和では不可能であり、企業にとっては厳しいかもしれないが、高い目標に向けての規制的な政策と、新産業にブレーキをかけている規制の緩和、撤廃が必要である。
小泉内閣の様に、規制緩和、構造改革を叫ぶだけでは実績が生まれないことは証明されている。

取り組むべき高い目標は、鳩山内閣が世界に向けて表明し、国内の産業活性化に貢献できる、
温室効果ガスの削減である。
2020年までに1990年比で25%削減する政策は、全産業を奮い立たせるには最適な政策目標である。
生産や流通の徹底した見直しによって、新規のシステムや技術が続々と出現することを誘導することが必須になる。
また、1990年代の末から取り組んでいる再生可能エネルギーの育成と発展が不可欠になってくる。

ではどのような規制強化と、適切な規制の緩和が実施されるべきであろうか。
この中身については、このブログでかなりの範囲にわたって書いてきたが、新政権にとっては、やる気になりさえすれば、数年で実施できる内容である。
民主党のマニフェストには、取り組むべき項目が、ほとんど網羅されているから、なんら困難なことはない。

と思いきや、最近の情報ではどうやら雲行きが怪しい情勢になっている。
毎日新聞の情報では、
 政府が今国会に提出する「地球温暖化対策基本法案」について、関係省庁の副大臣級検討チームが15日、本格協議に入った。
鳩山由紀夫首相が国連などで表明した温室効果ガスの排出目標「90年比25%削減」の達成を明記し、
そのために必要な国内排出量取引制度創設などの政策導入を柱とする。
週内にも関係閣僚会議を開いて議論を加速させる構えだが、導入には産業界の反対が根強いうえ、支援労組などからは「これが政治主導なのか」などの不満が出るほど検討は迷走している。
このままだと事実上の「官邸不在」状態が続きかねない。
と伝えている。

総選挙のときの公約となる内容であるのに、現実に実施していく上で何が障害になっているのであろうか。
産業界に反対があると言っても、いつものとうり、規制的な措置には企業側が抵抗するのは定例のことであり、それを乗り越える必要は分っていた筈である。
支援する労組などの団体も、雇用が確保されて、新規雇用が生み出されるのは歓迎の筈である。

それとも政権党内には、産業界の手先となる抵抗勢力議員が多くいて、足を引っ張っているというのであろうか。
自民党政権と同じ体質では、新産業は生まれない。

新産業を育成するには規制の構造改革が大きな効果を示す。

2010-02-18 | 経済問題
日本の経済を活性化させるには、世界の流れを先読みして方向性を見定めて、誘導的な規制を強化していくことが、効果的である。
ただし、何でも規制で進めることは適切ではない。
むしろ規制を緩和して、企業の効率的な活動の自由度を上げて、意欲ある事業者の支援をすべき状況も多くある。
産業の構造改革を進めるためには、方向性をよく見ると同時に規制構造を改革して、北風ばかりでなく太陽をあてる必要もあり、それは適切な規制緩和で実施する必要がある。

2月26日の朝日新聞(夕刊、1面)に、適切な方向に規制緩和をする動きの報道が載せられた。
再生可能エネルギーの一分野の地熱発電に関して、政府はようやく導入促進の姿勢に転じた。
要点を述べると、地熱発電とは地球のマグマによって熱せられた高温の水蒸気を利用して、発電のエネルギーに利用する。
これは火山国である日本には利用できる熱源が全国の各地にあって、地熱発電に大変適している。
火山国のアイスランドでは、国の発電電力は当の昔に、すべてを地熱発電で賄っている。
それにも拘わらず、日本では今までにホンのわずかしか発電施設ができなかったのは、規制が厳しすぎて、クリアーするための経費が高くつきすぎるので、現状では電力会社が買い取る価格では、採算が合わない為であった。

日本には現在、18か所の地熱発電所があり、年間で31億㌔㍗時の発電量の実績がある。
これは、2007年での太陽光発電(20億㌔㍗時)、風力発電(30億㌔㍗時)の発電量を上回る。
資源エネルギー庁の試算で、この地熱発電が可能な量はすぐにでも3倍以上が見込まれる。
年間で100億㌔㍗時の発電が実現すれば、毎年、1000億円の電力が生み出される産業となる。
技術革新が進めば、この数倍、10倍程度の電力を生み出せる可能性もある。
その時点での恩恵を受ける周辺の産業と雇用の創出効果を見込めれば、火山帯にある地域にとっては大きなエネルギー資源を得て地域振興に役立つ。

ではなぜ今までの余計な規制が、普及を阻害していたのであろうか?
現状の電気事業法では、大型の高温、高圧の蒸気を使う火力発電の設備と同様の規制対象に区分されて、小型の低温、低圧で稼働できる地熱発電所であるにも関わらず、ボイラー、タービンなどの技術の専門家を選任して従事させなければ、事業が許可されない仕組みになっていた。
これらが設備の運営コストを引き上げて、地熱発電の事業を余計に不利な状況においていた。

前にも書いたように、大手の電力会社は、再生可能エネルギーの様な、地域に分散して小規模に発電する事業を余計モノ扱いして、安全性を少しでも緩めることは許されない方向だとして、邪魔をしてきている。
大手の電力会社関連企業に天下りをしている、所管の官庁である経済産業省は、このような構造の中で、規制の緩和を渋って、取り組んでこなかった。
ここにきて、抵抗勢力にばかり加担していては立場が危うくなるとして、経済産業省もやっと方向転換を始めたという状況である。

強化する規制と並行して、緩和すべき規制の構造改革こそが、日本の取り組むべき急務である。

構造改革は目指すべき方向が社会の動向に沿っているべき。

2010-02-17 | 経済問題
規制の強化によって企業に技術革新の必要性を迫り、研究投資を活発させる。
その成果を出せる企業が社会に受け入れられて、需要の応えることで一段と高いレベルの商品とサービスが普及していく。
その影響を受けた周辺の企業や働く人の仕事が活発となって、雇用も生まれて良い収入が得られて生活が豊かになる。
これが1970年代を通じての環境規制が強化された時代に進んだ、産業革新と構造改革であった。

1970年の後半から1980年代にかけての石油ショックは、多くの企業に省エネルギーと言う規制をかけられたと同じ効果があって、一段と高いレベルの技術革新を迫って、それを達成してきた。
日本の経済成長と生活の豊かさは、規制の強化や必要性に高い社会的な要求によって、技術革新をしてきた経過をへて、産業の構造改革が進んだ成果である。

では現在の社会的な要求はなんであろうか。
言うまでもなく、化石燃料の需給ひっ迫をもろに受けている産業のエネルギー革新である。
ひとつの方向は、さらに徹底した省エネルギー化への転換であり、もうひとつの手段は、再生可能エネルギーへの転換である。
そして、この方向に規制を強化することが、転換への技術革新と企業活動のレベルアップにつながる。

日本はその方向に転換するチャンスを1990年代の末に逸してきた。
1998年に締結した京都議定書において、温室効果ガスの排出削減を1990年比で8%削減するという、大変に意欲的な目標であった。
しかし、産業界は例によって企業に規制的な政策をかけられることを嫌って、猛烈なロビー活動を展開して、これに抵抗してきた。

自動車排ガス規制のときと違って、本家のアメリカがブッシュ政権に転換して、早々と京都議定書を離脱して削減義務を拒否したために、日本の政府は後ろ盾のない削減目標に消極的になって、有効な政策(規制的に省エネ義務や、再生可能エネルギーの導入の高い導入目標設定)をことごとく、骨抜きにしてしまった。
お陰で企業は一息ついて、今までの延長の対外貿易の競争力強化と言う名目の施策に、重点を置いた活動に戻ってしまった。

しかし、これでは技術革新も加速せず、周辺への新規雇用を生む新産業も起きてこなかった。
対外貿易の増加が、国内の需要不足の経済活動をかろうじて支えてきてが、世界同時不況の影響をもろに受ける経済構造になってしまったことが、2008年に露呈してしまった。
10年前に、脱化石燃料エネルギー社会への転換を、規制強化的に進んでいれば、日本企業の技術力をもってすれば、今は世界の一流レベルに到達して、多くの地域から商品の輸出を要望され、一部は現地進出を成功させていた筈である。

構造改革はこのような方向を目指すべきであった。
小泉内閣の看板倒れであった。(以下、次回)

適切な規制強化が経済成長を促すことを認識すべき。 

2010-02-16 | 交通問題・自動車
政府の規制が強化されるという情報が入れば、産業界はすぐに抵抗の姿勢をみせる。
自動車業界も例外ではなく、安全性の規制や環境面の規制が必要となって、検討が開始されるたびに、反対するためのロビー活動が活発になる。
規制の強化は、経営陣にとっては自分の責任が重くなる兆しであるから、先天的に規制強化には、拒否反応が働くのである。

しかし、歴史を振りかえってみると、自動車業界ほど規制に反対しながらも、規制強化の恩恵を受けてきた実例が多く存在している。
新進の経済学者の中には、この規制強化と技術革新、生産品質の向上、経営体制の刷新が関係するとした経済理論に取りこめないか、を研究課題としているケースもある。
つまり規制の強化を機会に、今までのレベルから一気にステップアップ出来る、いや、ステップアップをしなければ、乗り越えられない事態にさらされることが、技術革新を加速するのである。

解りやすい事例では、「自動車排気ガス規制」があり、これは、当時の自動車から排出される物質[CO,NOx,HC]を、現状のレベルから、1/10に引き下げる規制強化である。
これには、自動車企業の総力をあげても、達成できる見通しがなかったために、反対の声をあげたが、当時はアメリカ政府の方が先行して規制を強化する動きがあり、日本政府もそれに合わせることになった。
結局、アメリカの方は、ビッグスリー(GM、フォード、クライスラー)が全社とも、達成不可能として、政府に圧力をかけて規制を緩めたり、先送りをさせた。

日本の企業は律義に頑張って、規制をクリアーする技術を間に合わせて、不可能と言われた規制レベルを実現し、それを機会に自動車の品質レベルは目を見張るほど、格段に向上していった。
本家のアメリカに輸出して実績を重なるうちに、日本車の品質の高さと、燃費性能の良さが消費者に認められて、自動車先進国の市場に確たる地位を築いていった。
この排気ガス規制がなかったならば、どうだったであろうか。
多分、日本の自動車企業の技術レベルは未だに世界の2流であったかもしれない。

また、規制の強化によって、自動車に使われる新機構の部品が多く発生してきた。
これは自動車の製造コストを上げることになるが、消費者はそのコストアップ分をモノともせずに、排気ガスが改善され、品質向上した自動車を喜んで購入することになる。
新規に必要となった部品製造の分野は、雇用機会も増えて、地域の経済の活性化に貢献してきた。
つまり、規制の強化は、企業に革新の必要性を迫り、結果として技術力、管理能力を高める。
さらに、新規の必要な付加価値のある部品事業を創出して、社会全体が潤うようになる。

この現象は、今の経済学ではいまだに、理論化出来ていないので、経済動向の予測や経済政策の検討には盛り込めていない。
学者の理論の方がどうしても遅れるのはやむを得ないが、理論化出来ていないから、それを無視すると言うのが通るわけがない。

だが頑迷な経済学者は、規制の強化は経済の足を引っ張るといい続けている。(以下次回に)
 

1990年からの20年間の発想を転換することが必須。

2010-02-15 | 経済問題
1990年代のバブル崩壊後の経済停滞期に、価格破壊という潮流が一世を風靡した。
高止まりをしていた物価を、海外製品に切り替えたりしてコストダウンを図って、消費者に販売する価格を引き下げてきた。
これは消費者の味方が出現した神風のようにマスコミは採りあげて、正義の行動であると持て囃してきた。
今はこの流れが止まらずに価格破壊の言葉も地下に沈みこみ、価格の低下はデフレ経済の象徴として、ナントカ物価の安定か上昇を目指そうと必死である。

同じころに経済の停滞の原因として、規制に守られた既得権業界や競争的な市場にさらされない商売がやり玉にあがり、規制緩和、構造改革をすべきだと、大きな声になっていた。
金融業界がその代表であり、一律の銀行利率とか、新たな企業の参入を規制するややこしい制度に守られて、金融業界の非効率な経営が批判された。
これに対し、その時の政府は聖域なき規制緩和をして、金融業の効率化を図ることで、経済の活性化を図る方向に転じた。

ここまでは、要するに、市場競争原理主義に染まった、アメリカの要求に従っただけである。
確かな経済原則の検討もせずに、新自由主義という美名に惑わされた「似非経済学者」が輸入学問を各方面に吹聴して、それが正義であるかの様に広めたのである。
小泉構造改革内閣の方針は、これを徹底してやることで国民の大きな支持を得て、郵政民営化という象徴的な改革を実行した。
しかし、今になってそれがどのような意味を持っていたのか、マスコミも途方にくれている。

経済の停滞は、国民生活の維持に直結するとともに、将来に大きな不安を持つことになって、日本国民の性分からすると、節約志向に走ることは当然である。
バブル時代の様に、いたずらに消費は美徳の様に囃したてるのは論外だが、生活水準に見合った消費をしなければ、現代の経済はうまく回らない。
だから、今の政権は消費を増やすことに懸命になっているが、簡単には転換出来ない。

価格の低下は善。これは必ずしも正しくない。
規制緩和、撤廃。これも必ずしも正しくない。
消費節約は美徳。これも必ずしも正しくない。
1990年からの停滞期に学んだことは、いずれも節度をもったレベルが大事であるということ。

そこで、規制緩和の面でもう少し、具体的に考えてみよう。
既得権業界の利益を守る規制は、撤廃することが必要であり、新規の参入企業を促して、市場における競争を活用して、商品やサービスの向上を図ることは重要な経済活動である。
しかし、規制の中でも、安全性や環境保護の面の規制を緩めることは許されない。
むしろ、この面では規制を時代の変化や、世界情勢の中において、先進的なレベルに規制を強化することが、経済活動を活性化することに、気が付くべきである。
この事例は、だれでも知っている自動車の排気ガス規制が、その実例である。(以下、次回に)

時代の変化から取り残されて転換出来ない官僚は交代。

2010-02-14 | 経済問題
自民党政権の時代には、政治家が実現しようと言う目標に向けた政策を提案することがなかった。
殆どの政策は、官僚が従来の方針の延長を前提にして法案や予算案を作り、事務次官会議で各省の利害を調整してのちに、雇われ大臣の承認を得て閣議に提出した。
閣議とは名ばかりで、大臣がメクラサインをして、書類をつくる儀式にすぎなかった。

その点では、新政権の大臣は脱官僚の方針のもとに、政務3役(大臣、副大臣、政務官)の政治家メンバーで中身を検討して、官僚には事務方の作業をさせるだけである。
経験不足や時間が足りないので、閣議においてもめることも多々あるという事態である。
官僚は、自分たちの存在感をしめすために、足を引っ張るような情報をマスコミにリークをする。

一部の新聞では、そのことをネタにして、政府を批判することが正義であるかのような論調で、記事を作り、番組を操作している。
依然として日本のマスコミ界は、第4の権力ではなくて、4流の根性の仕事ばかりが多い。
まずマスコミ界がもっと真剣に、日本の将来や持続的な社会にするためのビジョンを採りあげて、公平に且つ掘り下げた考察を読者、視聴者に分かりやすく提供することに努めなければならない。

その面で見ると、公務員改革について新聞などの取り上げ方は、中途半端であることは否めない。
政府主導や政治家主導に対して、公務員の既得権的な地位が、政策の転換をジャマしている面もあるが、その事実を取材して読者、視聴者に伝えなければ、改革の動きは宙に浮いてしまう。

たとえば、報道された情報では、幹部の降格をしやすくするように、法律の条文を変えると言う中身であるが、上司の命令に従わない部下は、その部署から外されるのは当然のことである。
外された幹部が、何も仕事がなければ、高給をむさぼる理由は一切なくなる。
これを、クビにするのは大きな失策があった場合に限るとしても、降格することは当然である。
それを法律の条文に書いておいて、それに当てはまらない場合は降格できない仕組みにしようと官僚が骨抜きし、実効性のない制度に捻じ曲げようとしている。

このようなことが、自民党政権時代から頻繁に起きていたが、これからはマスコミの監視と報道を充実していくことで、時の政権の政策に従わない官僚は、外していくことが当然になる。
その一方で、外部の有能な専門家を政策遂行のために、各省の主要な幹部に採用して権限を与える制度は、急務である。
先進国でこれが出来ない国は、日本以外には、見当たらない。

そのような専門家を抜擢出来る制度にして、将来における大きな懸念となっている「長期エネルギー政策」を、きちんとした国の基本政策にする仕事を実現するべきである。
従来は、経済産業省の所管の「エネルギー需給見通し」と言う、戦略と言えるシロモノではなく、現在の情勢を将来にどう変化するかと、と言う成り行きを討議しているだけであった。
21世紀に世界のエネルギー分野が大転換している時に、従来の経産省の官僚の発想では、世界から取り残されたことは、実証済みである。
当然、エネルギー関連に主要幹部を交替させて、新メンバーにすべき事態である。

公務員制度が日本の停滞を招いた主原因であると認識せよ。

2010-02-13 | 暮らし・健康問題
公共工事に支えられて発展してきた日本は、20年前に方向を転換しなければならなかった。
土建工事による国造り、インフラ整備はほぼ行き渡り、あとは地域主権にゆだねて地方の生活に本当に必要な施設、道路、治山治水(森林整備)にお金を回す方針に変える時期であった。
しかし、「政・官・業」の癒着が進んでいて、既存の路線を続ける圧力が強く働き、必要な政策転換をしないように、あらゆる手段を講じてきた。

この悪影響は、現世代においては経済の停滞を20年も招き、見えないところでは次世代に膨大な借金と維持・管理・撤去の費用すら生み出せない、不良資産、施設を残している。
これを転換するためには、既得権を持ったグループから権限を取り上げていく、政権交代がもっと適した手段である。
民主主義国家は、この政権交代が暴力や混乱を招かずに実行できる仕組みを創ってきた。
国民の代表を選ぶ選挙によって、政権担当する与党と選ぶ権利が国民にはある。

昨年の秋に選挙による政権交代が実現したが、実際の政策の中身が変わり、時代に即応した個々の施策が実行出来る様になるには、実行組織である官僚機構が転換しなければならない。
小泉構造改革内閣は、この官僚の既得権構造に穴をあける狙いで、「官でやる必要のない事業は民間に」との掛け声で、規制緩和と民営化促進を打ち出したが、どちらの政策も入口のところで失敗してしまった。
規制を緩和すれば、民間の競争が激化し、強者の企業と利益を圧迫されて活力を失った、大量の弱者企業を生み出した。
今、民営化と規制緩和の見直しが大きな声となって政府の政策転換が行われている。

失敗した政策を転換するには政権与党の交代は必須であるが、「官僚機構」の強固な壁に阻まれた既存路線は、簡単には変えていくことはできない。
それには、「公務員制度改革」が必須であることを認識しなければ進まないのは常識となっている。
しかし、自民党政権の末期の麻生政権は、世論に押されて公務員制度改正案を出したが、中途半端な生温い改定で、とても改革と言える中身ではなかった。
民主党など野党の反対で、成立しないで廃案となっていたが、これは官僚の作った骨抜き法案であるから、当然の運命であった。

ところが、政権交代後に改革に手を付けた筈の民主党連立政権で、昨日の閣議に提出された「公務員制度改革法案」は、自民党政権時と殆ど同じ生温い「官僚による骨抜き法案」と呼ばれるような、実効性のない代物であった。
この法案の担当大臣は、閣議のわずか3日前に目を通したと言うが、その問題認識能力を疑う事態である。
担当大臣以外の総務大臣から、改革の不徹底を指摘され、温厚な鳩山首相もこの法案を差し戻して、見直すことを指示した。と報道されている。

この改革案は、幹部を降格しやすい制度にする狙いであったが、官僚の骨抜き技術で、実際には、まったく降格が出来ない状態を維持する制度であった。

こんなことでいいのか!(以下次回に)