物価が思うように上がらない。
日銀が苦慮している。
庶民は一向にかまわないのだ。
収入が減ったり無くなれば大変だが。
そうでなければ、
むしろ好都合だ。
・・・・・
現今の世界はすっかり一体化している。
そも人類はアフリカで発祥し、そこから世界に広がった。
それに文明は分業とは切っても切れぬものであり、
だからこそ交易はその最初からあったのである。
交易なくして分業なし、分業なくして文明なし。
すなわち、もともと世界は繋がっている。
現今のような交通と通信の発達した状況では尚更である。
鎖国と謂われる江戸時代も完全に閉じていた訳ではない。
情報はすぐれて取っていたのである。
明治維新は単なる偶然ではないのだ。
そこに明らかに意思と覚悟があった。
・・・・・
戦後日本は貿易立国として立ち、経済成長を為した。
その基は製造業の復活と成長であった。
その中で物価も上がったが、それ以上に賃金が上がった。
そして豊かになったのだ。
まさに貿易立国であり、何より輸出が大いに貢献した。
だが貿易は一方が豊かになるだけでは続かない。
双方が豊かにならなければならない。
そうでなければ、欧米の植民地支配のような一方的搾取になる。
本来の交易は相互主義である。
故松下幸之助翁が言っていた、
繁栄とは一部の者が豊かになることではない、
皆が豊かになることであると。
それにこの世は競争社会である。
公平で開かれた競争は止むを得ないところだ。
だから物作りは賃金の安いところへ移る。
貧しい国が少しづつで豊かになって行く訳である。
それが自然の流れである。
それはつまり、繁栄を輸出するということだ。
真っ当な交易は繁栄を輸出するのだ。
日本は率先してそれを行なうのがよい。
もとより自分を犠牲にする必要はない。
自分もそれなりに成長すればいいのだ。
今の日本はそういう状況にある。
だから経済成長を求めるのは当然としても、
拘り過ぎるのはどうも…。
物価も賃金もそうは上がらないだろうし、
それこそが繁栄を輸出している証である。
・・・・・
注意せねばならない。
世界は腹黒い、というのも現実である。
確かに戦前のようなあからさまな搾取はなくなった。
だが「会社は株主のものだ」と平然と言われる。
そのような資本の論理がまかり通っている。
これは金持ちが金儲けするための論理でしかない。
だからこそ、所謂1パーセントの人間に富が集まる。
つまり貧富の格差が拡大するのだ。
現下はそういう状況である。
だからといって、共産主義は尚危うい。
というより、資本の論理と共産主義は同根である。
資本の論理は金持ちが一方的に仕切る社会であり、
共産主義は共産政党が一方的に仕切る社会である。
私には一卵性双生児にしか見えない。
どちらも自分の都合を押し付けるだけの、
詭弁である。
日銀が苦慮している。
庶民は一向にかまわないのだ。
収入が減ったり無くなれば大変だが。
そうでなければ、
むしろ好都合だ。
・・・・・
現今の世界はすっかり一体化している。
そも人類はアフリカで発祥し、そこから世界に広がった。
それに文明は分業とは切っても切れぬものであり、
だからこそ交易はその最初からあったのである。
交易なくして分業なし、分業なくして文明なし。
すなわち、もともと世界は繋がっている。
現今のような交通と通信の発達した状況では尚更である。
鎖国と謂われる江戸時代も完全に閉じていた訳ではない。
情報はすぐれて取っていたのである。
明治維新は単なる偶然ではないのだ。
そこに明らかに意思と覚悟があった。
・・・・・
戦後日本は貿易立国として立ち、経済成長を為した。
その基は製造業の復活と成長であった。
その中で物価も上がったが、それ以上に賃金が上がった。
そして豊かになったのだ。
まさに貿易立国であり、何より輸出が大いに貢献した。
だが貿易は一方が豊かになるだけでは続かない。
双方が豊かにならなければならない。
そうでなければ、欧米の植民地支配のような一方的搾取になる。
本来の交易は相互主義である。
故松下幸之助翁が言っていた、
繁栄とは一部の者が豊かになることではない、
皆が豊かになることであると。
それにこの世は競争社会である。
公平で開かれた競争は止むを得ないところだ。
だから物作りは賃金の安いところへ移る。
貧しい国が少しづつで豊かになって行く訳である。
それが自然の流れである。
それはつまり、繁栄を輸出するということだ。
真っ当な交易は繁栄を輸出するのだ。
日本は率先してそれを行なうのがよい。
もとより自分を犠牲にする必要はない。
自分もそれなりに成長すればいいのだ。
今の日本はそういう状況にある。
だから経済成長を求めるのは当然としても、
拘り過ぎるのはどうも…。
物価も賃金もそうは上がらないだろうし、
それこそが繁栄を輸出している証である。
・・・・・
注意せねばならない。
世界は腹黒い、というのも現実である。
確かに戦前のようなあからさまな搾取はなくなった。
だが「会社は株主のものだ」と平然と言われる。
そのような資本の論理がまかり通っている。
これは金持ちが金儲けするための論理でしかない。
だからこそ、所謂1パーセントの人間に富が集まる。
つまり貧富の格差が拡大するのだ。
現下はそういう状況である。
だからといって、共産主義は尚危うい。
というより、資本の論理と共産主義は同根である。
資本の論理は金持ちが一方的に仕切る社会であり、
共産主義は共産政党が一方的に仕切る社会である。
私には一卵性双生児にしか見えない。
どちらも自分の都合を押し付けるだけの、
詭弁である。
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