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ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

繁栄の輸出

2017-11-14 13:22:35 | 日記・エッセイ・コラム
物価が思うように上がらない。
日銀が苦慮している。
庶民は一向にかまわないのだ。
収入が減ったり無くなれば大変だが。
そうでなければ、
むしろ好都合だ。
・・・・・
現今の世界はすっかり一体化している。
そも人類はアフリカで発祥し、そこから世界に広がった。
それに文明は分業とは切っても切れぬものであり、
だからこそ交易はその最初からあったのである。
交易なくして分業なし、分業なくして文明なし。
すなわち、もともと世界は繋がっている。
現今のような交通と通信の発達した状況では尚更である。
鎖国と謂われる江戸時代も完全に閉じていた訳ではない。
情報はすぐれて取っていたのである。
明治維新は単なる偶然ではないのだ。
そこに明らかに意思と覚悟があった。
・・・・・
戦後日本は貿易立国として立ち、経済成長を為した。
その基は製造業の復活と成長であった。
その中で物価も上がったが、それ以上に賃金が上がった。
そして豊かになったのだ。
まさに貿易立国であり、何より輸出が大いに貢献した。
だが貿易は一方が豊かになるだけでは続かない。
双方が豊かにならなければならない。
そうでなければ、欧米の植民地支配のような一方的搾取になる。
本来の交易は相互主義である。
故松下幸之助翁が言っていた、
繁栄とは一部の者が豊かになることではない、
皆が豊かになることであると。
それにこの世は競争社会である。
公平で開かれた競争は止むを得ないところだ。
だから物作りは賃金の安いところへ移る。
貧しい国が少しづつで豊かになって行く訳である。
それが自然の流れである。
それはつまり、繁栄を輸出するということだ。
真っ当な交易は繁栄を輸出するのだ。
日本は率先してそれを行なうのがよい。
もとより自分を犠牲にする必要はない。
自分もそれなりに成長すればいいのだ。
今の日本はそういう状況にある。
だから経済成長を求めるのは当然としても、
拘り過ぎるのはどうも…。
物価も賃金もそうは上がらないだろうし、
それこそが繁栄を輸出している証である。
・・・・・
注意せねばならない。
世界は腹黒い、というのも現実である。
確かに戦前のようなあからさまな搾取はなくなった。
だが「会社は株主のものだ」と平然と言われる。
そのような資本の論理がまかり通っている。
これは金持ちが金儲けするための論理でしかない。
だからこそ、所謂1パーセントの人間に富が集まる。
つまり貧富の格差が拡大するのだ。
現下はそういう状況である。
だからといって、共産主義は尚危うい。
というより、資本の論理と共産主義は同根である。
資本の論理は金持ちが一方的に仕切る社会であり、
共産主義は共産政党が一方的に仕切る社会である。
私には一卵性双生児にしか見えない。
どちらも自分の都合を押し付けるだけの、
詭弁である。








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