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ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

後を絶たない「いじめ」による自殺

2015-09-03 16:53:22 | 日記・エッセイ・コラム
一番の問題は学校だ。
戦後の学校教育には欠けているものがある。
現実をしっかり見据え、その上で問題があれば対処する。
それを教えなければならない。
しかし、事実を教えない。
ときに、平気で嘘を教える。
さらに、耳障りの良い観念論を振り回す。
そういう教育をしてきた。
そんな環境で子供が育つのである。
そんな子供が大人になって先生になる。
そんな子供が大人になって父母になる。
戦後教育のもたらした悪循環だ。
・・・・・
いじめによる自殺が後を絶たない。
学校は何をしてるのか。
先生は何をしてるのか。
何もしていない。
見て見ぬ振りをしている。
それは悪意ではないだろう。
何んとかしたいとは思っているのだ。
でも、どうしていいのか分からない。
当事者能力に欠けているのだ。
そういう教育を受けてきたから。
そういうことだろう。
・・・・・
区別は差別の始まりである。
だから区別するのは止めよう。
為のレッテル貼りは止めよう。
とリベラル人士はよく言う。
そのリベラル人士が言葉によるレッテル貼りに奔走している。
それはあからさまな悪意のある区別である。
そして善意の人間をも悪人に仕立てる。
これがリベラルだ。
まったく矛盾している。
・・・・・
彼らは責任を追及するのは好きである。
そのくせ自分のことになればひたすら責任逃れである。
本当に大事なのは「覚悟」と「けじめ」である。
覚悟があれば自分のしたことには責任を取る。
それが「けじめ」だ。
責任は取るもので、取らせるものではない。
取らせるものは罰という。
うんざりである。
彼らはいつも正義の審判者の顔をする。
もういい加減正気に戻ろう。
現実を直視しよう。
現実がすべてである。
この世界の現実を。