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ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

反日とは言うけれど

2015-09-16 10:16:02 | 日記・エッセイ・コラム
中韓は反日である。
国を挙げての反日である。
それぞれの建国の事情により反日(抗日)を国是としたらしい。
でも、戦後間もない頃はそんなに酷くはなかった。
なぜなら、戦前・戦中を生きた人々は現実を知っていたから。
朝鮮併合の現実を生きていたから。
軍閥抗争の現実を生きていたから。
だから、そこに嘘の入り込む余地はほとんどなかった。
そんなこともあって、実態は言うほど反日ではなかったようだ。
むしろ好感を持っていた人もいたようだ。
その手の話が幾らでもある。
・・・・・
だが、戦後50年を過ぎた頃から酷くなってきた。
現下の状況は最悪である。
それぞれの国の事情があり様相は違うのだが。
ともかく戦前・戦中の現実を知る者がいなくなり、
戦後教育で育った者が多数を占めるようになると、
反日になるのは当然だ。
それはそういう教育なのだから。
だからこその今の現実である。
日韓のサッカーワールドカップ共同開催の時、
テレ朝の報道ステーションが言っていた。
戦後世代が手を取り合って本当の友好関係ができる、と。
バカか、である。
それは話がまったく逆だ。
現実を知る者同士でしか本当の友好はない。
何度でも言うが、これがリベラル最大の欠点である。
言葉(観念)を弄ぶのである。
・・・・・
とは言うものの、奇妙なことがある。
反日が国是なのだが、国民はそれほど反日ではなさそうだ。
むしろ好きだと言う人もいる。
その証拠に日本へ来る人が増えている。
特に観光旅行で来る人が。
昨今の土産物爆買のニュースがそれである。
ともかく彼の国では、
あからさまに親日を口にすると酷い目に合うらしい。
だから親日の人は黙ってる。
反日の人は遠慮なく声を上げる。
だから反日しか見えない。
もちろん両方ともあるのだろうが、
本当のところはどうなのか。
どうも、よく分からん。