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ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

日本の成り立ち

2014-11-05 14:20:53 | 日記・エッセイ・コラム
日本にはいろんな人がいる。
縄文時代を生き抜いた人たち、
縄文時代後期から古墳時代にかけて渡来してきた人々、
さまざまである。
日本列島はその東はどこまでも海である。
ここで行き止まりである。
人種の坩堝となってもおかしくない。
だから多民族ではあるだろう。
でも大陸からすれば海で阻まれている。
簡単には来られない。
渡来する人もおのずと限られる。
・・・・・
縄文時代は人口がそれほど多くはなかったという。
それでも現代日本の基と言えるのだろうか。
もちろん基の一つには違いないだろう。
では渡来してきた人たちはどれほどか。
議論の分かれるところではある。
でも私は思う、
現在日本の基層を為しているのは、
渡来してきた人々であろうと。
そのことは古事記、日本書紀から推察される。
伊邪那岐、伊邪那美の国生みである。
於能碁呂島から始まり、
淡路島、四国、隠岐の島、九州そして壱岐・津島などの島々、
最後に本州となる。
最初の於能碁呂島はよく分からないが、
どうも起点は淡路島のようだ。
とすれば彼らは船でやって来たのだ。
もちろん大陸経由でも最後は船になる。
だが彼らはそうではなく終始海路を利用したようだ。
マレー半島を越え黒潮に乗れば紀伊隧道に着く。
国生みが淡路島から始まるのは、
何よりの証拠である。
陸路で来れば朝鮮半島からが最も近い。
それなら九州北岸か本州の日本海側に着く。
もちろん、そのルートで沢山来てるだろう。
後を追った人々は。
でも最初に来たのは海路である。
古事記、日本書紀でそのことが分かる。
・・・・・
奈良正倉院の御物には大陸ゆかりのものが多い。
現代のような物流はない。
物だけが来る訳がない。
人と伴に来たのである。
そう考えるのが自然だ。
それにしても遠く長い道である。
偶然に来たとは思えない。
この地を目指して来たのか。
そうとしか思えない。
最初に来た人に、
聞いてみたいものである。







日本にとって意味ある数字

2014-11-04 08:31:44 | 日記・エッセイ・コラム
今年(平成26年)は皇紀2674年であり、
今上天皇は神武天皇から数えて125代目である。
皇紀2674年および125代という数字は、
日本(皇室)にとって意味あるものだと思っている。
・・・・・
古事記、日本書紀は日本の正史である。
歴史は時の支配者の都合が反映されるというが、
それは当然だ。
それがその人(人々)の歴史である。
もちろん嘘は論外である。
古事記、日本書紀は神世の時代から始まっている。
それは歴史とは言えない。
それはそうである。
確かに事実としての歴史とは言えない。
だが事実を反映した思いの系譜であり、
その意味においては歴史でもある。
神話とは時間を凝縮した思いの歴史である。
神話から汲み取るのは事実ではなく、
事実に基づいた思いである。
・・・・・
古事記、日本書紀をもとにすれば、
今年は皇紀2674年であり今上天皇は第125代である。
世の歴史家には、
古代の天皇は寿命が長すぎて不自然であるとか、
実際は存在しない架空の天皇(欠史八代)があるとか、
言う者がいる。
意見としてはもちろん自由であり、
なるほどとも思える。
でも私はそうは思わない。
日本の始まりをより古く見せるためなら、
寿命を操作しなくても代を増やせばいいことだ。
でも代は事実だから変えられない。
それに単に古く見せるためなら、
2674年前でも2100年前でも大差はない。
でも2674年前という年は変えられない。
ということではないか。
・・・・・
ということは、
皇紀2674年という数字、
今上天皇が第125代であるという数字、
は変えられないのである。
それらは意味ある数字だということだ。
私はそう確信している。

不思議の日本

2014-11-03 09:46:30 | 日記・エッセイ・コラム
興味の尽きぬもの、日本。
知りたい。
もっと知りたい。
・・・・・
日本は世界最古の国である。
そして王国である。
王国と記したが、それはちょっと違う気がする。
王と言えば覇王を思うが、
天皇は覇王ではない。
覇王ではなく祭主・祝主であり、
祈りの王である。
だから単に王とは言わない。
天皇と言う。
・・・・・
皇紀2600有余年。
本当のところは分からないにしても、
相当に古い国である。
その当主が変わっていないのである。
それはつまり、
日本では支配者層が変わっていない、
ということである。
でも私たちがそれを意識することはない。
・・・・・
天皇が天皇家が、
自分の力だけでこれを維持できるとは思えない。
当然であろう、支える者がいるのである。
覚悟して支える多くの者が。
さらに言えば、その事に国民が同調してるのである。
そうでなければ無理である。
歴代の天皇の住居は城塞ではない。
武力の脅威を考えていない。
それでいて今日まで壊れていないのである。
・・・・・
日本の歴史を見れば、
政治権力はもちろん変わっている、
体制も権力者も。
変わらないのは天皇が在ることである。
では誰が天皇を支えているのか。
それは歴史の上には現れない。
見えない所にある。
表に出れば時に支えきれなくなる。
そういうことである。
・・・・・
ゆえにこそ興味は尽きない。
天皇とは誰か。