ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

自虐史観

2020-07-20 09:56:40 | 日記・エッセイ・コラム
戦争に負けたら、昔なら皆殺しか奴隷である。
それは極端だが、事実上そうなる。
さすがに近代になってからは、そういうことはなくなった。
表向きはである。
勿論先進国ではそんなことはない。
でも戦前まではその影を引きずっていた。
第一次世界大戦後の講和会議で日本が「人種平等」を訴えたが、
多くの賛同を得ながらも結局否決された。
そのことが証である。
してみれば、明治維新の何たるかは明白だ。
維新のことをとやかく言う人がいるが、
その一点を忘れてはならない。
・・・・・
それはともかく、
戦争に負けるとはいかなることか。
それは昭和天皇の終戦の詔にあらわされている。
「堪え難きを堪え、忍び難きを忍び」である。
取り敢えず、一旦は国を否定されるのです。
それが戦後の出発です。
既にご存知のWGIPがその手段であった。
言論統制であり、焚書坑儒のごとくであり、
日本を良しとする人は公職を追放され、
それに逆らわない人々を要職に付ける。
それが今も続く、自虐史観の基である。
更にそれに利用されたのが半島系日本人である。
国内では在日として置かれ、
半島では新たに国を建てて。
それが国内と半島とを結んで反日活動をしている。
その執拗さはご存知の通りだ。
シナはついでである。
毛沢東も周恩来も反日ではなかった。
江沢民以来反日陣営に加わったのだ。
それが戦後の歴史です。
ここまでは、
これまでに言ってきたことです。
・・・・・
今一つ、はっきりしてきたのは、
勝ったアメリカにも自虐史観が埋められていたことだ。
戦後しばらくはテレビや映画で西部劇がよく見られた。
それが随分前から、見られなくなった。
アメリカの負の歴史によって。
つまり歴史が修正されてきたのだ。
しかしこれは捏造ではなく事実である。
黒人が奴隷として使われていたこと。
インデアンが虐殺されていたこと。
だから止むを得ないと思う。
でもである、
すべての移民者(白人)が関わっていたかというと、
そうではないだろう。
良しとしない人もいただろう。
事実を知らない人もいただろう。
現実は単純ではない。
どちらにしても反省はすべきで、
そしてそれを伝えればいいのだ。
負の歴史として。
人には光と影は付きものだし。
それがここに来てのBLM運動である。
度を越している。
見るに堪えない。
しかも、ほとんど絶えてしまったインデアンにとっては、
死人に口無しである。
・・・・・
思うに、
日本とアメリカの自虐史観は連動している。
元ネタが嘘か本当かの違いはあるが。
日本がそれを反論すれば歴史修正主義と非難する、
アメリカにおいては歴史修正主義そのものなのに。
それにインデアンの虐殺を反省するなら、
日本人虐殺も反省(謝罪)すべきだろう。
自分自身を言いくるめてきたのは同じだ。
ところで連動しているとは如何?
それは国(国家)を潰すことにある。
世界政府を創るには個々の国が邪魔なのだ。
弱い国はほっといてもいいが、強い国は邪魔になるのだ。
それが日本とアメリカである。
戦争に負けた日本だが、その強さは群を抜いている。
ゆえにその攻撃は執拗である。
勝ったアメリカが強いのは当たり前。
だから彼らの好戦的な気質を利用し、
数々の戦争に引きずり込み疲弊させてきた。
強すぎたからか相手がいなくなり、
最後はテロとの戦いだと言い出す。
やり口は見事だ。
今彼らに対する逆襲が始まっている。
それがトランプ大統領のアメリカファーストであり、
それが安倍首相の日本を取り戻すである。
二人は馬が合うと言われるが、そんなものではないでしょう。
少々思惑は違っていても、同志と言うべきでしょう。
だからか日米の様相は相似象である。
ともにリベラルから徹底的に攻撃されている。
何ともあからさまに。
・・・・・
もう一つ、強い国がある。
ロシアです。
経済的には大したことはないが、
何しろ軍事力が強大である。
ロシアが欧米リベラルから攻撃されるのは故である。
ところで日米は緊密な関係だが、
日米ともロシアとは微妙である。
少し前はトランプとプーチンは結構馬が合いそうだった。
安倍首相とプーチンも同様であった。
それが今は雲行きが怪しい。
?どうなっているのだろう。
でも未来を左右する鍵です。
だから今後も目が離せない。

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