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ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

千年王国

2024-09-23 09:44:10 | 日記・エッセイ・コラム
これはイエスの言う御国である。
イエスの再臨後に訪れるという。
そこは争いのない平和な千年王国と言われる。
しても人には喜怒哀楽と謂うものがあり、
集まって生きていれば摩擦はあるもので、
てかむしろ適度な摩擦は必要であります。
それを人は愛とか絆とか言うが、
これは実は無くてはならぬもの。
でも摩擦は過ぎれば軋轢となる。
ゆえ争いがまったくなくなることはない。
にしてもそれが大ごとにはならない世界、
そういう世の中になるのだろう、
それが千年王国だと、
・・・・・
でも条件があろう。
現下の言葉の有様では無理です。
心魂の発露である言葉であるに、
その言葉が心魂を縛ってしまう。
しかもそこに嘘と狂気が紛れ込むのです。
もはやどうにもなりません。
そこでです、
他の生き物、言葉を持たない他の生き物、
彼らがやってる意思疎通に学びましょう。
それは言葉でなく全身全霊でやっている。
つまり「體」でやっている。
そこには嘘が入り込まない。
てか多分狂気もないだろう。
精神世界のジャンルではよく言われることがある。
そのような意思疎通が必要だと、
嘘と狂気の入り込む余地のない。
例えばテレパシーとかのような。
千年王国にはこれが必須となる。
それも当然に言葉を持ったまま。
条件とはこのこと。
だからですだからのイエスの再臨である。
これを目の当たりにすれば世界は変わる。
それも瞬時に変わると。
でも本当に起こるのか、
聖書(新約)はそう言うのだが。
してもこれは大戦争の後でのことである。
世界が一旦壊れた後でのことである。
今まさに世界は壊れている最中、
ここでもし戦争が起これば、
ついに再臨が起こると、
それは良いとして、
その前が問題、
その前が。
でもSNSではこうも言われている。
日本が立てばそれは止められる。
大難が小難で収められると。
してもそれは日本が立てばです。
現下のこの惨状で日本は立てるのか。
自民党の総裁選びのあの状況で。
もう溜息しかない。
救いは陛下の存在、
それを信じるしか、
・・・・・
条件はさておいて、
ここで現状を思う。
人間は言葉の生物、言葉と生きて行く。
言葉は人類に文化・文明をもたらした。
文が生活を化える・文が明かりとなる。
これを手にしたらもう戻れない、
その前の世界には。
それは良いのだが、それが今この惨状。
その文の大元の言葉が人を壊している。
人を壊す道具となっている。
てかそのことに気づかない。
言葉はそこに違いを感じたとき、
線を引いてそれを二つに分ける、
そしてそれぞれに印をつけます、
それとこれ又はそれとそれ以外、
そして違いを知る。
これを分別と謂う。
この分別が今は息も絶え絶えに。
例えばです、
雌雄という大きな違い、
これを蔑ろにしている。
動物は種類によって分けられる。
それは雌雄によっても。
種類の違いは見た目にあきらか。
雌雄の違いは見た目ではそれ程でもない。
でも考えてみて下さい、
その違いは雌雄の方が圧倒的に大きいと。
にもかかわらずその違いを無くそうとは。
人間にだけではあるが。
それが今起きています。
これは分別を遠ざける。
せっかくの分別なのに。
このこと雌雄の違いだけではありません。
他にも多義に渡っていろいろと。
ときに差別と謂う言葉が重宝されている。
この言葉が次々と分別を押し込んでいく。
その圧力の凄まじさは実に恐ろしき限り。
嘘と狂気はここに凝縮。
これでは千年王国は夢のまた夢、
どうするのか神国日本、
陛下を頼るのはいいが、
まずは国民が立たねば、
ハテさて、
・・・・・
にしても難しいのです、
言葉を持ったまま嘘と狂気を免れるのは。
言葉は分別をもたらすがそれは同時に迷いももたらす。
ならどうする、
簡単です戻ればいいだけのこと、
體に戻ればいいのです。
脳はそも體の一部です。
それは支配者ではない、すべてを繋ぐものです。
ための核心であります。
日本にはその核心があるのです。
あとは民草が立つだけ、
千年王国はそこにある、
うん!

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