これはイエスの言う御国である。
イエスの再臨後に訪れるという。
そこは争いのない平和な千年王国と言われる。
しても人には喜怒哀楽と謂うものがあり、
集まって生きていれば摩擦はあるもので、
てかむしろ適度な摩擦は必要であります。
それを人は愛とか絆とか言うが、
これは実は無くてはならぬもの。
でも摩擦は過ぎれば軋轢となる。
ゆえ争いがまったくなくなることはない。
にしてもそれが大ごとにはならない世界、
そういう世の中になるのだろう、
それが千年王国だと、
・・・・・
でも条件があろう。
現下の言葉の有様では無理です。
心魂の発露である言葉であるに、
その言葉が心魂を縛ってしまう。
しかもそこに嘘と狂気が紛れ込むのです。
もはやどうにもなりません。
そこでです、
他の生き物、言葉を持たない他の生き物、
彼らがやってる意思疎通に学びましょう。
それは言葉でなく全身全霊でやっている。
つまり「體」でやっている。
そこには嘘が入り込まない。
てか多分狂気もないだろう。
精神世界のジャンルではよく言われることがある。
そのような意思疎通が必要だと、
嘘と狂気の入り込む余地のない。
例えばテレパシーとかのような。
千年王国にはこれが必須となる。
それも当然に言葉を持ったまま。
条件とはこのこと。
だからですだからのイエスの再臨である。
これを目の当たりにすれば世界は変わる。
それも瞬時に変わると。
でも本当に起こるのか、
聖書(新約)はそう言うのだが。
してもこれは大戦争の後でのことである。
世界が一旦壊れた後でのことである。
今まさに世界は壊れている最中、
ここでもし戦争が起これば、
ついに再臨が起こると、
それは良いとして、
その前が問題、
その前が。
でもSNSではこうも言われている。
日本が立てばそれは止められる。
大難が小難で収められると。
してもそれは日本が立てばです。
現下のこの惨状で日本は立てるのか。
自民党の総裁選びのあの状況で。
もう溜息しかない。
救いは陛下の存在、
それを信じるしか、
・・・・・
条件はさておいて、
ここで現状を思う。
人間は言葉の生物、言葉と生きて行く。
言葉は人類に文化・文明をもたらした。
文が生活を化える・文が明かりとなる。
これを手にしたらもう戻れない、
その前の世界には。
それは良いのだが、それが今この惨状。
その文の大元の言葉が人を壊している。
人を壊す道具となっている。
てかそのことに気づかない。
言葉はそこに違いを感じたとき、
線を引いてそれを二つに分ける、
そしてそれぞれに印をつけます、
それとこれ又はそれとそれ以外、
そして違いを知る。
これを分別と謂う。
この分別が今は息も絶え絶えに。
例えばです、
雌雄という大きな違い、
これを蔑ろにしている。
動物は種類によって分けられる。
それは雌雄によっても。
種類の違いは見た目にあきらか。
雌雄の違いは見た目ではそれ程でもない。
でも考えてみて下さい、
その違いは雌雄の方が圧倒的に大きいと。
にもかかわらずその違いを無くそうとは。
人間にだけではあるが。
それが今起きています。
これは分別を遠ざける。
せっかくの分別なのに。
このこと雌雄の違いだけではありません。
他にも多義に渡っていろいろと。
ときに差別と謂う言葉が重宝されている。
この言葉が次々と分別を押し込んでいく。
その圧力の凄まじさは実に恐ろしき限り。
嘘と狂気はここに凝縮。
これでは千年王国は夢のまた夢、
どうするのか神国日本、
陛下を頼るのはいいが、
まずは国民が立たねば、
ハテさて、
・・・・・
にしても難しいのです、
言葉を持ったまま嘘と狂気を免れるのは。
言葉は分別をもたらすがそれは同時に迷いももたらす。
ならどうする、
簡単です戻ればいいだけのこと、
體に戻ればいいのです。
脳はそも體の一部です。
それは支配者ではない、すべてを繋ぐものです。
ための核心であります。
日本にはその核心があるのです。
あとは民草が立つだけ、
千年王国はそこにある、
うん!
イエスの再臨後に訪れるという。
そこは争いのない平和な千年王国と言われる。
しても人には喜怒哀楽と謂うものがあり、
集まって生きていれば摩擦はあるもので、
てかむしろ適度な摩擦は必要であります。
それを人は愛とか絆とか言うが、
これは実は無くてはならぬもの。
でも摩擦は過ぎれば軋轢となる。
ゆえ争いがまったくなくなることはない。
にしてもそれが大ごとにはならない世界、
そういう世の中になるのだろう、
それが千年王国だと、
・・・・・
でも条件があろう。
現下の言葉の有様では無理です。
心魂の発露である言葉であるに、
その言葉が心魂を縛ってしまう。
しかもそこに嘘と狂気が紛れ込むのです。
もはやどうにもなりません。
そこでです、
他の生き物、言葉を持たない他の生き物、
彼らがやってる意思疎通に学びましょう。
それは言葉でなく全身全霊でやっている。
つまり「體」でやっている。
そこには嘘が入り込まない。
てか多分狂気もないだろう。
精神世界のジャンルではよく言われることがある。
そのような意思疎通が必要だと、
嘘と狂気の入り込む余地のない。
例えばテレパシーとかのような。
千年王国にはこれが必須となる。
それも当然に言葉を持ったまま。
条件とはこのこと。
だからですだからのイエスの再臨である。
これを目の当たりにすれば世界は変わる。
それも瞬時に変わると。
でも本当に起こるのか、
聖書(新約)はそう言うのだが。
してもこれは大戦争の後でのことである。
世界が一旦壊れた後でのことである。
今まさに世界は壊れている最中、
ここでもし戦争が起これば、
ついに再臨が起こると、
それは良いとして、
その前が問題、
その前が。
でもSNSではこうも言われている。
日本が立てばそれは止められる。
大難が小難で収められると。
してもそれは日本が立てばです。
現下のこの惨状で日本は立てるのか。
自民党の総裁選びのあの状況で。
もう溜息しかない。
救いは陛下の存在、
それを信じるしか、
・・・・・
条件はさておいて、
ここで現状を思う。
人間は言葉の生物、言葉と生きて行く。
言葉は人類に文化・文明をもたらした。
文が生活を化える・文が明かりとなる。
これを手にしたらもう戻れない、
その前の世界には。
それは良いのだが、それが今この惨状。
その文の大元の言葉が人を壊している。
人を壊す道具となっている。
てかそのことに気づかない。
言葉はそこに違いを感じたとき、
線を引いてそれを二つに分ける、
そしてそれぞれに印をつけます、
それとこれ又はそれとそれ以外、
そして違いを知る。
これを分別と謂う。
この分別が今は息も絶え絶えに。
例えばです、
雌雄という大きな違い、
これを蔑ろにしている。
動物は種類によって分けられる。
それは雌雄によっても。
種類の違いは見た目にあきらか。
雌雄の違いは見た目ではそれ程でもない。
でも考えてみて下さい、
その違いは雌雄の方が圧倒的に大きいと。
にもかかわらずその違いを無くそうとは。
人間にだけではあるが。
それが今起きています。
これは分別を遠ざける。
せっかくの分別なのに。
このこと雌雄の違いだけではありません。
他にも多義に渡っていろいろと。
ときに差別と謂う言葉が重宝されている。
この言葉が次々と分別を押し込んでいく。
その圧力の凄まじさは実に恐ろしき限り。
嘘と狂気はここに凝縮。
これでは千年王国は夢のまた夢、
どうするのか神国日本、
陛下を頼るのはいいが、
まずは国民が立たねば、
ハテさて、
・・・・・
にしても難しいのです、
言葉を持ったまま嘘と狂気を免れるのは。
言葉は分別をもたらすがそれは同時に迷いももたらす。
ならどうする、
簡単です戻ればいいだけのこと、
體に戻ればいいのです。
脳はそも體の一部です。
それは支配者ではない、すべてを繋ぐものです。
ための核心であります。
日本にはその核心があるのです。
あとは民草が立つだけ、
千年王国はそこにある、
うん!
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