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ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

不浄なるもの

2022-11-14 09:19:40 | 日記・エッセイ・コラム
お金は不浄なるものである。
とは昔はよく言われていた、この日本では。
今は逆に有難がられており、
万事がお金の世の中となる。
まことに、
まことに。
・・・・・
そも寄り集まって生きることを選んだときから、
人間社会は大なり小なり分業社会になっている。
そこではお互いの働きの交換が必要になる。
それは多分思っているより大昔からだろう。
想うにヒトが人間になったときからか。
でもまだ小さな社会ならその交換にお金は不要だろう。
でも社会が大きくなり人も物も多くなれば難しくなる。
ときに交換の目安・尺度が必要になる。
それが今で言うお金というもの。
それは何でもいいのだが実際はそうもいかないと。
それは誰もが価値を認められるものでないと。
現実の中でそれに相応しいものがあれば、
それが仲立ちをして交換が成立する。
それ自体はそこに無くてもいい、
あくまである体でいいのだ。
知っての通りそれが歴史的に「金」であったと。
それは実にそのものが通貨になっている。
この他には銀や銅もそうである。
宝石もあろうがこれは通貨には向かない。
少な過ぎる上その品質も一定しないから。
また例えば米もある。
これは生きるために絶対的に必要なもの、
だから物の中心にあり価値の基準となる。
この場合米自体が通貨になるのではない。
あくまで価値の基準なのです。
それを米本位制と言っている。
で現代のお金は紙切れである。
その内電子データになるかも。
と言うことはそれは単なる記録(数字)である。
それでも少し前までは金本位制であった。
これは金現物と交換できたのです。
今はそれもできない。
単なる数字なのです。
それでも通用するのはなぜか。
それは信用があるからだ。
発行者の信用である。
でも今もってその奥は金本位制かも。
そこはかとなく金本位制なのかもと。
金自体にそういう価値が認められる。
と言っても結局最後の決め手は人である。
なぜなら金自体は命の足しにはならない。
美しく且つ腐らないといえども、
それはそれだけのこと。
まことの価値は、
この星が命にあふれた星であること、
ためのきれいな水や空気があること、
その上でである、
それを基としての人の働きであると、
それが価値なのだ。
媒体は価値そのものではない。
交換の基準として必要なだけ。
それを知っておこう。
・・・・・
通貨とは信用である。
それは発行者の信用である。
日本ではそれは日本銀行であると。
その日本銀行は政府から独立している?
ベッタリはいけないが完全独立などあり得ない。
政府もそうである。
政府と国民を対立関係で捉える者がいるが、
それは大嘘も大嘘、真赤な嘘である。
政府と国民は対立などしていない。
政府は国民が立てたもの。
政府と国民は一体なのだ。
でなけりゃ民主主義とは言えない。
ここにリベラルの大嘘がある。
それはさておき、
もとより政府も日本銀行も国民の中にある。
つまり通貨の信用は国民にあると。
日本人の働きが支えているのです。
日本人の働きが担保してるのです。
なんとなれば、
日本円は本来日本で通用するもの。
それは日本人の働きと交換できるのです。
それを日本人が保証しているのだ。
働きを神の罰とはせず、神への奉仕として為す。
そんな日本人が成すもの、
それが物であっても事であっても、
良きものができるのです。
そういうものと交換できるのです。
価値がない筈がない。
これが信用である。
政府も日本銀行もそこのところを、
国民に代わって管理しているだけ。
内緒の話、そこがちょっと怪しい。
内緒の話、なんかインチキがある。
通貨発行は経済規模に応じて適量がある。
働きが一定なら通貨量は変えなくていい。
それで物価は安定する。
働きが倍増すれば通貨も増やさなければ。
でなけりゃ交換に支障をきたす。
ためには通貨も倍増せねば。
それで物価も安定する。
ときに追加した通貨は政府の財源となる。
印刷代を無視すればまんま使える。
これはまさに錬金術である。
それが通貨発行権です。
経済成長を求めるのは故である。
今の話は需要は横に置いている。
それを考えるとややこしくなる。
でも高度経済成長時は需要はあったのだ。
なら時の財源は税金だけではなかった筈。
ならそれはどこへ行った?
とかが未だに疑問なのだ?
私の頭が悪いからだろう…
・・・・・
かくの如く、
お金は交換の媒体として必要なもの、
それなくして経済は成り立たないと。
だからよく人間の血にも例えられる。
ではあるが、
なぜか血も不浄なものとされてきた。
そも役割は似ているが、
そこも似ているのです。
でも血が不浄である筈がない。
血は命と言われるほどに重要なもの。
ではなぜ不浄と言われるのか?
思うに、
それは身から出た血が不浄なのだと。
それが不幸(→死)を呼び込むから。
女性のアレは本来は例外だろうに?
ではお金は?
お金は価値の基準でしかない。
なのに価値そのものと混同される。
更には逆転までも。
人の働きを活かすのがお金なのに、
それが人の働きを縛ってしまう。
つまり人がお金の奴隷になる。
ときにお金は不浄なものに。
ならこれは尤もな話かと。
これも内緒の話だが、
現下の世界はその不浄で満ちている、
そんなお金が溢れているのだ。
私にも少しは回してよ。
絶対々お願いね。

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