ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

真の御柱

2023-05-15 08:58:56 | 日記・エッセイ・コラム
ここにきて脚光を浴びている。
とは言えいい話ではない、例のLGBT~の問題である。
この問題は実に根が深い、てか闇が深い。
その始まりは随分前です。
それが「男女共同参画」である。
そも初めから男女は共同参画であったと。
そうでなければ人類は既に絶滅している。
なのにそれを敢えて看板にする。
笑えないが笑える、
えマ煮える、程に、
ヘッヘッヘッてか。
・・・・・
ポリコレは人類をカオスにする政策。
これは言葉の技ですが、
行動としては移民がその最大の手段。
これを推進する為に戦争等を起こす。
かくて難民が発生、つまりは移民となる。
これで準備がととのう、
いよいよグローバリズムの世界が完成に。
完成した後はどうするのだろう。
混沌の果てには混沌しかないが。
同じことを何度も言うようだが、
すべては言葉の問題である。
言葉がすべての問題を惹起。
そして言葉が最終的&決定的武器となる。
それがこの嘘と狂気の世界。
そんな世界で日本が今標的になっている。
たぶん日本が最終標的です。
欧米は既に壊れていて今はその仕上段階。
勿論抵抗は続いている。
なおその日本での最後の砦は天皇である。
その存在が日本の歴史伝統文化の真核にある。
三角構造の頂点でなく、
円環構造の中心として。
そういう存在であると。
真核がなくなれば日本は無くなる。
日本が無くなれば世界は三角構造だけに。
さすれば一応の支配は完成。
あくまで一応であるが。
そこでまたLGBT~問題に戻るが、
先の通りこれは世界のカオスが目的なのだが、
為にも真核(天皇)の破壊が必要になる。
今はじっとしているが、
必ずそこに及んでくる。
それはご存知のように皇統問題。
ときが日本の正念場に。
覚悟しておきましょう。
・・・・・
天皇の存在は、
余りに大きくしかも決定的なもの。
それに気付いたのはいつ頃だろう。
子どもが無関心なのは当然。
それが時とともに関心事に。
それも究極的関心事にまで。
天皇とは天の皇のことだが、
これに仕えるのが天皇陛下である。
この陛下が世の真核となる。
陛下はあくまで人間である。
だから天の皇に祈るのです。
祈り続けるのです。
ちなみに、これは男子がなすもの、
命の根を持つ女性には無理がある。
この祈る存在の陛下は「みこと」持ちである。
それは命や尊それに御言などとも記すが、
これは言葉のこと。
そも祈りとは神に想いの言葉(みこと)を捧げるもの。
「みこと」は「まこと」でもある。
「まこと」は本来は神の言葉。
人の言葉も虚を排すれば、
それは「まこと」に。
人も「まこと」にはなれるのです。
しかして陛下はまさに「まこと」の人である。
それも一部の隙もない「まこと」、
それをもって神に祈り続ける存在。
それは庶民から見れば神のごとし。
現人神と言うは当を得た妙である。
だからです、
天皇陛下は歌詠み人である。
それは皇后陛下もそしてまた他の皇族方も。
歌とは己の心魂に問うて想いを起こすもの。
そこには想いの実がある、実(まこと)がです。
そこに虚はない。
天皇陛下はときに詔もあげられる。
そこに私心はない。
決して人を仕切らない。
歴史的には例外もあったろうが。
特に私の命のときには、
・・・・・
日本以外にも「みこと」持ちはいる。
一人挙げるとすれば、
それはジーザス・クライストである。
イエス・キリストのことです。
西暦表示の起点にもなるほどの決定的な存在感、
それ程の「みこと」持ちです。
その言葉が新約聖書に残されている。
しかもそれが脈々と伝えられている。
凄いことです。
日本での「みこと」持ちは何と言っても陛下である。
これはイエスの存在感とはまた違い、
一人ではなく世々代々繋がれてきたもの、
それも生きた祈りとして脈々と。
そこが実に凄いところ。
だから私は思う。
だからそれは道だと。
だから教ではないのです、
あくまで道なのです。
教はときに歪む、
ものである。
うん!

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