やっとオリンピックが終わった。
まだパラリンピックが残っているが。
まあ一段落である。
にしても酷いオリンピックであった。
競っている選手らは勿論そうではなかった。
それは素晴らしいものであった。
多少の齟齬はあったが。
酷いのはすべて初めと終わりのせいである。
あの訳の分からない式典にある。
おもえば欧米は変わっていない。
未だ中世のまま、
否BCとADの境を出ていない、
ようで…、
・・・・・
一括りで欧米と言ってるが、
それは欧米の人々すべてを指してる訳ではない。
それはごく一部の人らと、
それに流されている人々のことです。
てか大半の人はそれに気付いている。
しても言葉で押さえられている。
為にお金で生活も形に取られて。
見せものとしての政治はあるが、
そこでの選挙はイカサマの極み。
不正があっても無いの一点張り。
でなけりゃ制度にイカサマを仕込む。
フランスではそれが躍進した保守をおさえ込む。
日本でも胡散臭いことが山ほど。
小選挙区比例代表制がその一つ。
これ以上言わないが。
してもその初めは宗教にあろう。
宗教とはまさに言葉である。
教と付くはそのしるし。
言葉を持った人間はゆえにそれを求める。
それは必要なものであった。
同時にそれは狂気にもなる。
でも本来は必要なもの。
そこでの信仰がその狂気を押さえる。
ときに宗教は力を発揮する。
それを覚えよう。
二千年前にイエスはそれを見据えていた。
愛の宗教と言われるあのキリスト教の生み主、
そんな愛に満ちた人である。
そのイエスは戦う人でもあった。
ときの宗教指導者を徹底的に嫌った。
そして非難し糾弾した。
偽善の律法学者パリサイ人よ、
と言って。
・
あなたがたは、わざわいである。
あなたがたは白く塗った墓に似てる、
外側は美しく見えるが、
内側は死人の骨や、あらゆる不潔なものでいっぱいである。
へびよ、まむしの子らよ、
どうして地獄の刑罰をのがれることができようか、
とかてか。
・
ゆえである、
表向きはローマの総督であるが、
事実は扇動したその人々により、
磔刑に処されたのです。
・・・・・
今世界を支配してるのはその人々である。
だからのあの開会式だったのである。
彼らの流れは以来ずっと続いてきた。
その前もその時もそして今もである。
中世ヨーロッパでのあの魔女狩りも、
大方彼らが扇動・先導したのだろう。
それに事情は違うだろうが、
あのマリーアントワネットを殺したのも、
あのジャンヌダルクを殺したのも、
それである。
彼らはキリスト教の看板を外していない、
てかむしろ積極的に担いでいただろうと。
何しろそこはキリスト教社会だったから。
それに所謂植民地支配などは正にそれか。
ゆえ日本人から見れば、
キリスト教が悪に見えるのも宜なるかな。
そも宗教には二面性がある。
宗教はそれを免れない。
だが無宗教の日本人はそれが強みである。
初めて神を見たときの感覚が未だ残っているのか、
その道を行くをむねとする。
道とは現の実を生きる生き方のこと。
それを知ろう。
ちょっと話がそれたが、
十字架に架けられたイエスは、
目の前で己が衣を奪い合う兵士らを見て、
彼らのために祈った。
・
父よ、彼らをおゆるしください、
彼らは何をしているのか、分からずにいるのです、
とかてか。
・
今この世界でも同じことがそのまま。
あのときから何も変わっていないと。
何もです。
グローバリズムの淵源はここにある。
てか変ったのがひとつだけあります。
それはイエスの看板を下ろしたこと。
最早言わずもがなでしょう。
イエスの謂う千年王国は未だなお遥。
最後の望みは東の方に、
キリスト教国でもない、
この日本に、
・・・・・
しても、
人は言葉を持ったがゆえか、
ときに神に出会っていると。
これは私の確信であります。
その感覚を未だ持っているのが日本、
ゆえそれを「かみ」と言い「みこと」と言う。
かみは神と記し、みことは命や尊とも記すが、
実は御言のこと。
つまりは言葉のことである。
これはヨハネの言にもある。
・
初めに言葉があった、
言葉は神とともにあった、
言葉は神であった。
・
てか正にまさにである。
キリスト教国ではない日本だが、
その日本が今やイエスの最期の砦になっている、
何だかな~、と思うが、
でもこれは必然である。
うん!
まだパラリンピックが残っているが。
まあ一段落である。
にしても酷いオリンピックであった。
競っている選手らは勿論そうではなかった。
それは素晴らしいものであった。
多少の齟齬はあったが。
酷いのはすべて初めと終わりのせいである。
あの訳の分からない式典にある。
おもえば欧米は変わっていない。
未だ中世のまま、
否BCとADの境を出ていない、
ようで…、
・・・・・
一括りで欧米と言ってるが、
それは欧米の人々すべてを指してる訳ではない。
それはごく一部の人らと、
それに流されている人々のことです。
てか大半の人はそれに気付いている。
しても言葉で押さえられている。
為にお金で生活も形に取られて。
見せものとしての政治はあるが、
そこでの選挙はイカサマの極み。
不正があっても無いの一点張り。
でなけりゃ制度にイカサマを仕込む。
フランスではそれが躍進した保守をおさえ込む。
日本でも胡散臭いことが山ほど。
小選挙区比例代表制がその一つ。
これ以上言わないが。
してもその初めは宗教にあろう。
宗教とはまさに言葉である。
教と付くはそのしるし。
言葉を持った人間はゆえにそれを求める。
それは必要なものであった。
同時にそれは狂気にもなる。
でも本来は必要なもの。
そこでの信仰がその狂気を押さえる。
ときに宗教は力を発揮する。
それを覚えよう。
二千年前にイエスはそれを見据えていた。
愛の宗教と言われるあのキリスト教の生み主、
そんな愛に満ちた人である。
そのイエスは戦う人でもあった。
ときの宗教指導者を徹底的に嫌った。
そして非難し糾弾した。
偽善の律法学者パリサイ人よ、
と言って。
・
あなたがたは、わざわいである。
あなたがたは白く塗った墓に似てる、
外側は美しく見えるが、
内側は死人の骨や、あらゆる不潔なものでいっぱいである。
へびよ、まむしの子らよ、
どうして地獄の刑罰をのがれることができようか、
とかてか。
・
ゆえである、
表向きはローマの総督であるが、
事実は扇動したその人々により、
磔刑に処されたのです。
・・・・・
今世界を支配してるのはその人々である。
だからのあの開会式だったのである。
彼らの流れは以来ずっと続いてきた。
その前もその時もそして今もである。
中世ヨーロッパでのあの魔女狩りも、
大方彼らが扇動・先導したのだろう。
それに事情は違うだろうが、
あのマリーアントワネットを殺したのも、
あのジャンヌダルクを殺したのも、
それである。
彼らはキリスト教の看板を外していない、
てかむしろ積極的に担いでいただろうと。
何しろそこはキリスト教社会だったから。
それに所謂植民地支配などは正にそれか。
ゆえ日本人から見れば、
キリスト教が悪に見えるのも宜なるかな。
そも宗教には二面性がある。
宗教はそれを免れない。
だが無宗教の日本人はそれが強みである。
初めて神を見たときの感覚が未だ残っているのか、
その道を行くをむねとする。
道とは現の実を生きる生き方のこと。
それを知ろう。
ちょっと話がそれたが、
十字架に架けられたイエスは、
目の前で己が衣を奪い合う兵士らを見て、
彼らのために祈った。
・
父よ、彼らをおゆるしください、
彼らは何をしているのか、分からずにいるのです、
とかてか。
・
今この世界でも同じことがそのまま。
あのときから何も変わっていないと。
何もです。
グローバリズムの淵源はここにある。
てか変ったのがひとつだけあります。
それはイエスの看板を下ろしたこと。
最早言わずもがなでしょう。
イエスの謂う千年王国は未だなお遥。
最後の望みは東の方に、
キリスト教国でもない、
この日本に、
・・・・・
しても、
人は言葉を持ったがゆえか、
ときに神に出会っていると。
これは私の確信であります。
その感覚を未だ持っているのが日本、
ゆえそれを「かみ」と言い「みこと」と言う。
かみは神と記し、みことは命や尊とも記すが、
実は御言のこと。
つまりは言葉のことである。
これはヨハネの言にもある。
・
初めに言葉があった、
言葉は神とともにあった、
言葉は神であった。
・
てか正にまさにである。
キリスト教国ではない日本だが、
その日本が今やイエスの最期の砦になっている、
何だかな~、と思うが、
でもこれは必然である。
うん!
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