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ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

オリンピック

2024-08-19 08:48:58 | 日記・エッセイ・コラム
やっとオリンピックが終わった。
まだパラリンピックが残っているが。
まあ一段落である。
にしても酷いオリンピックであった。
競っている選手らは勿論そうではなかった。
それは素晴らしいものであった。
多少の齟齬はあったが。
酷いのはすべて初めと終わりのせいである。
あの訳の分からない式典にある。
おもえば欧米は変わっていない。
未だ中世のまま、
否BCとADの境を出ていない、
ようで…、
・・・・・
一括りで欧米と言ってるが、
それは欧米の人々すべてを指してる訳ではない。
それはごく一部の人らと、
それに流されている人々のことです。
てか大半の人はそれに気付いている。
しても言葉で押さえられている。
為にお金で生活も形に取られて。
見せものとしての政治はあるが、
そこでの選挙はイカサマの極み。
不正があっても無いの一点張り。
でなけりゃ制度にイカサマを仕込む。
フランスではそれが躍進した保守をおさえ込む。
日本でも胡散臭いことが山ほど。
小選挙区比例代表制がその一つ。
これ以上言わないが。
してもその初めは宗教にあろう。
宗教とはまさに言葉である。
教と付くはそのしるし。
言葉を持った人間はゆえにそれを求める。
それは必要なものであった。
同時にそれは狂気にもなる。
でも本来は必要なもの。
そこでの信仰がその狂気を押さえる。
ときに宗教は力を発揮する。
それを覚えよう。
二千年前にイエスはそれを見据えていた。
愛の宗教と言われるあのキリスト教の生み主、
そんな愛に満ちた人である。
そのイエスは戦う人でもあった。
ときの宗教指導者を徹底的に嫌った。
そして非難し糾弾した。
偽善の律法学者パリサイ人よ、
と言って。

あなたがたは、わざわいである。
あなたがたは白く塗った墓に似てる、
外側は美しく見えるが、
内側は死人の骨や、あらゆる不潔なものでいっぱいである。
へびよ、まむしの子らよ、
どうして地獄の刑罰をのがれることができようか、
とかてか。

ゆえである、
表向きはローマの総督であるが、
事実は扇動したその人々により、
磔刑に処されたのです。
・・・・・
今世界を支配してるのはその人々である。
だからのあの開会式だったのである。
彼らの流れは以来ずっと続いてきた。
その前もその時もそして今もである。
中世ヨーロッパでのあの魔女狩りも、
大方彼らが扇動・先導したのだろう。
それに事情は違うだろうが、
あのマリーアントワネットを殺したのも、
あのジャンヌダルクを殺したのも、
それである。
彼らはキリスト教の看板を外していない、
てかむしろ積極的に担いでいただろうと。
何しろそこはキリスト教社会だったから。
それに所謂植民地支配などは正にそれか。
ゆえ日本人から見れば、
キリスト教が悪に見えるのも宜なるかな。
そも宗教には二面性がある。
宗教はそれを免れない。
だが無宗教の日本人はそれが強みである。
初めて神を見たときの感覚が未だ残っているのか、
その道を行くをむねとする。
道とは現の実を生きる生き方のこと。
それを知ろう。
ちょっと話がそれたが、
十字架に架けられたイエスは、
目の前で己が衣を奪い合う兵士らを見て、
彼らのために祈った。

父よ、彼らをおゆるしください、
彼らは何をしているのか、分からずにいるのです、
とかてか。

今この世界でも同じことがそのまま。
あのときから何も変わっていないと。
何もです。
グローバリズムの淵源はここにある。
てか変ったのがひとつだけあります。
それはイエスの看板を下ろしたこと。
最早言わずもがなでしょう。
イエスの謂う千年王国は未だなお遥。
最後の望みは東の方に、
キリスト教国でもない、
この日本に、
・・・・・
しても、
人は言葉を持ったがゆえか、
ときに神に出会っていると。
これは私の確信であります。
その感覚を未だ持っているのが日本、
ゆえそれを「かみ」と言い「みこと」と言う。
かみは神と記し、みことは命や尊とも記すが、
実は御言のこと。
つまりは言葉のことである。
これはヨハネの言にもある。

初めに言葉があった、
言葉は神とともにあった、
言葉は神であった。

てか正にまさにである。
キリスト教国ではない日本だが、
その日本が今やイエスの最期の砦になっている、
何だかな~、と思うが、
でもこれは必然である。
うん!

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