ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

蝉しぐれ

2022-08-15 08:12:51 | 日記・エッセイ・コラム
祈りの8月です。
静かさや岩にしみいる蝉の声。
有名な芭蕉の句である。
騒がしい音の中に却って静けさがあると。
そこでは蝉の声だけが聞こえる。
蝉の声だけがです、それ故にか。
その声は波動である。
それは命の根である。
・・・・・
生命とは波動である。
生命に限らず存在する物は常に変化している。
もし変化がなければこの世に時はない。
永遠と一瞬はまったき同じものとなる。
その変化の様を「こと」と言う。
それは内から見れば運動といい、
それは外から見れば振動という。
しかしてその本質は波動である。
典型的には音であり光である。
それに電磁波などの宇宙線も。
てか光は電磁波の一つだとも。
聖書ではすべての現象は神の言葉によると。
それも口から出る言葉である。
それは神の声であり、つまり波動なのです。
神を信じるか信じないかに関わりなく、
大古の人はそう捉えたのです。
同じ言葉であっても文字は又べつもの。
これは神にはないのかも。
私は未だそれを知らない。
ちなみに文字もまた波動の変種か。
それは光の波動なしには伝えられない。
ちなみに、
音は耳で聞くがこれは制約がない、
24時間365日であり、
生まれてから死ぬまで止まることなし。
それに耳が悪くとも身体には響くもの。
ともかくも言葉はそも音(声)なのである。
くらべて書き言葉には制約がある。
目を開けなければならない。
開けても目が悪ければそれも意味なし。
触覚を利用する手もあるが。
ともかく何かと制約が多い。
かわりに別の特殊な力があるが。
俗に目は口ほどに物を言うとか。
これはあくまで目力のことだが。
・・・・・
8月の蝉しぐれは感慨深い。
大きな記念日があるから。
それは終戦記念日です。
戦争に敗れたのは事実です。
それは認めるとして、
それを記念する必要はない。
そもなし崩しに終わったのではない。
(ドイツのように)
それは話し合いの上でなされたのだ。
(ポツダム宣言の受諾)
それも最後は天皇陛下のご聖断によってです。
だから終戦記念日なのです。
実に尤もな命名である。
それはともかく、
よく言われることに、
海の水は世界とつながっている、
日本の海も中東や欧米の海も、
だから世界は一つなのだと。
その伝で言えば、
生命を波動だと捉えれば、
その波動は宇宙につながっている、
てか宇宙に満ち満ちて同期同調していると、
だから生命は一つなのだと。
そう思えば何とも感慨深い、
8月の蝉しぐれは。
そこには神風が吹き、すべての命が集まる。
蝉しぐれが実にそれを感じさせる。
芭蕉が言うように、
岩にしみいるがごとく、
そこにいる人々にしみいる。
そこに敢えての言葉は必要なし。
その心が神道の心、教ではないのです。
もとよりプロパガンダとは無縁の世界。
それを知ろう。
・・・・・
さて今日は15日。
以前はときに靖国に参っていたが、
いろいろあって今は行っていない。
一番の理由は遠いからだが、
かわりに近くの護国神社に参っている。
ということで、
さてそれでは、
身支度を整えて行くとしよう、
よっこいしょ。
まあ暑くて大変だが、
行けば心が洗われる。
それに杜の木陰は爽やかだ。
蝉の声も聴けるだろう。

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