祈りの8月です。
静かさや岩にしみいる蝉の声。
有名な芭蕉の句である。
騒がしい音の中に却って静けさがあると。
そこでは蝉の声だけが聞こえる。
蝉の声だけがです、それ故にか。
その声は波動である。
それは命の根である。
・・・・・
生命とは波動である。
生命に限らず存在する物は常に変化している。
もし変化がなければこの世に時はない。
永遠と一瞬はまったき同じものとなる。
その変化の様を「こと」と言う。
それは内から見れば運動といい、
それは外から見れば振動という。
しかしてその本質は波動である。
典型的には音であり光である。
それに電磁波などの宇宙線も。
てか光は電磁波の一つだとも。
聖書ではすべての現象は神の言葉によると。
それも口から出る言葉である。
それは神の声であり、つまり波動なのです。
神を信じるか信じないかに関わりなく、
大古の人はそう捉えたのです。
同じ言葉であっても文字は又べつもの。
これは神にはないのかも。
私は未だそれを知らない。
ちなみに文字もまた波動の変種か。
それは光の波動なしには伝えられない。
ちなみに、
音は耳で聞くがこれは制約がない、
24時間365日であり、
生まれてから死ぬまで止まることなし。
それに耳が悪くとも身体には響くもの。
ともかくも言葉はそも音(声)なのである。
くらべて書き言葉には制約がある。
目を開けなければならない。
開けても目が悪ければそれも意味なし。
触覚を利用する手もあるが。
ともかく何かと制約が多い。
かわりに別の特殊な力があるが。
俗に目は口ほどに物を言うとか。
これはあくまで目力のことだが。
・・・・・
8月の蝉しぐれは感慨深い。
大きな記念日があるから。
それは終戦記念日です。
戦争に敗れたのは事実です。
それは認めるとして、
それを記念する必要はない。
そもなし崩しに終わったのではない。
(ドイツのように)
それは話し合いの上でなされたのだ。
(ポツダム宣言の受諾)
それも最後は天皇陛下のご聖断によってです。
だから終戦記念日なのです。
実に尤もな命名である。
それはともかく、
よく言われることに、
海の水は世界とつながっている、
日本の海も中東や欧米の海も、
だから世界は一つなのだと。
その伝で言えば、
生命を波動だと捉えれば、
その波動は宇宙につながっている、
てか宇宙に満ち満ちて同期同調していると、
だから生命は一つなのだと。
そう思えば何とも感慨深い、
8月の蝉しぐれは。
そこには神風が吹き、すべての命が集まる。
蝉しぐれが実にそれを感じさせる。
芭蕉が言うように、
岩にしみいるがごとく、
そこにいる人々にしみいる。
そこに敢えての言葉は必要なし。
その心が神道の心、教ではないのです。
もとよりプロパガンダとは無縁の世界。
それを知ろう。
・・・・・
さて今日は15日。
以前はときに靖国に参っていたが、
いろいろあって今は行っていない。
一番の理由は遠いからだが、
かわりに近くの護国神社に参っている。
ということで、
さてそれでは、
身支度を整えて行くとしよう、
よっこいしょ。
まあ暑くて大変だが、
行けば心が洗われる。
それに杜の木陰は爽やかだ。
蝉の声も聴けるだろう。
静かさや岩にしみいる蝉の声。
有名な芭蕉の句である。
騒がしい音の中に却って静けさがあると。
そこでは蝉の声だけが聞こえる。
蝉の声だけがです、それ故にか。
その声は波動である。
それは命の根である。
・・・・・
生命とは波動である。
生命に限らず存在する物は常に変化している。
もし変化がなければこの世に時はない。
永遠と一瞬はまったき同じものとなる。
その変化の様を「こと」と言う。
それは内から見れば運動といい、
それは外から見れば振動という。
しかしてその本質は波動である。
典型的には音であり光である。
それに電磁波などの宇宙線も。
てか光は電磁波の一つだとも。
聖書ではすべての現象は神の言葉によると。
それも口から出る言葉である。
それは神の声であり、つまり波動なのです。
神を信じるか信じないかに関わりなく、
大古の人はそう捉えたのです。
同じ言葉であっても文字は又べつもの。
これは神にはないのかも。
私は未だそれを知らない。
ちなみに文字もまた波動の変種か。
それは光の波動なしには伝えられない。
ちなみに、
音は耳で聞くがこれは制約がない、
24時間365日であり、
生まれてから死ぬまで止まることなし。
それに耳が悪くとも身体には響くもの。
ともかくも言葉はそも音(声)なのである。
くらべて書き言葉には制約がある。
目を開けなければならない。
開けても目が悪ければそれも意味なし。
触覚を利用する手もあるが。
ともかく何かと制約が多い。
かわりに別の特殊な力があるが。
俗に目は口ほどに物を言うとか。
これはあくまで目力のことだが。
・・・・・
8月の蝉しぐれは感慨深い。
大きな記念日があるから。
それは終戦記念日です。
戦争に敗れたのは事実です。
それは認めるとして、
それを記念する必要はない。
そもなし崩しに終わったのではない。
(ドイツのように)
それは話し合いの上でなされたのだ。
(ポツダム宣言の受諾)
それも最後は天皇陛下のご聖断によってです。
だから終戦記念日なのです。
実に尤もな命名である。
それはともかく、
よく言われることに、
海の水は世界とつながっている、
日本の海も中東や欧米の海も、
だから世界は一つなのだと。
その伝で言えば、
生命を波動だと捉えれば、
その波動は宇宙につながっている、
てか宇宙に満ち満ちて同期同調していると、
だから生命は一つなのだと。
そう思えば何とも感慨深い、
8月の蝉しぐれは。
そこには神風が吹き、すべての命が集まる。
蝉しぐれが実にそれを感じさせる。
芭蕉が言うように、
岩にしみいるがごとく、
そこにいる人々にしみいる。
そこに敢えての言葉は必要なし。
その心が神道の心、教ではないのです。
もとよりプロパガンダとは無縁の世界。
それを知ろう。
・・・・・
さて今日は15日。
以前はときに靖国に参っていたが、
いろいろあって今は行っていない。
一番の理由は遠いからだが、
かわりに近くの護国神社に参っている。
ということで、
さてそれでは、
身支度を整えて行くとしよう、
よっこいしょ。
まあ暑くて大変だが、
行けば心が洗われる。
それに杜の木陰は爽やかだ。
蝉の声も聴けるだろう。
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