面白い番組があった。
昼間のワイドショウは一切見ないが、
ドラマなどはよく見る。
それは深夜の番組であった。
以前は深夜は見なかったのだが、
考えれば録画すればいいだけのこと。
で最近はこの手を使い、
いろいろ見ている。
・・・・・
この番組は京都を舞台にしている。
ドラマなのだが?どこかドキュメンタリー風である。
京都の古き良きものを紹介しているのだ。
主役の木村文乃さんが目当てであったが、
これがそこはかとなく面白い。
そこでのおじさん役の台詞の中で、
時々出てきたのですこの台詞が。
いろいろ講釈を言ったあとで、
最後に「知らんけど」って。
この言い回しは以前から知っていたが、
あらためて聞けば、
的を射た凄い言葉だと。
そう思ったのです。
それはそうですよ。
ヒトは神(の子ではあっても)ではない。
そも真理を知らない知ることもできない。
でも他の生き物と違って言葉を得た。
言葉は神の力の基である。
言葉にはだから力がある。
ヒトは神の技を真似ることはできるのだ。
だが真似るだけである。
「知らんけど」とは、
そのことを端的に示している、
そんな凄い言葉だと。
人間の言葉で最も現実に添っているのは、
言わずもがなそれは科学であると。
これはいつに自然科学のこと。
そこでは現実に裏打ちされなければ認められない。
ここにあきらか。
だが現実はまことに深い。
てか深いどころではない。
奥がなくどこまでも続く。
今の科学的知見が凄いと言っても、
それは今のところではである。
千年後から見れば幼稚なもの。
ということになる。
だから科学においても、
実は最後に「知らんけど」は付いている。
それは当り前で、
それを敢えて言わないだけ、
それだけのこと。
そんなことで、
あらためて凄い言葉だと、
そう思うのです。
・・・・・
ところで当初奇妙だと思った。
そしてネットでもそのように。
例の大和西大寺駅前の事件である。
その思いは今も続いてる。
未だに現実感がない。
そこは私の家から車で10分余り。
その日も行ったが、
それからも時々行っている。
何がしかの用事があるから。
一つ、事件があったのにその匂いがしない。
その時も今もどこかあっけら感としている。
凄惨な匂いがしないのだ。
なぜだろう。
一つ、奈良県警の対応も微妙…。
当初の警備体制もだがその後の捜査も。
そこに緊迫感がまったく感じられない。
それにこれほどの重大事なのに、
責任問題がほとんど出てこない。
うちわでは当然あるんだろうが。
よく分からん。
一つ、問題になったのは統一教会だけ。
のようなことになっている。
それは背景であって、ことの中心ではない。
本人の供述はあるようだが、
それが腑に落ちないのです。
そんなことで元総理を殺すとは。
そんなこともそれ以上のことも、
世の中には一杯あるでしょうに。
たまたま元総理だった?、冗談でしょう。
計画して準備して覚悟してやってるのだ。
これは只の殺人事件ではない。
あきらかに政治的な大事件だ。
と言うことで、
今更せんないことだが、
愚にもつかないことを、
いろいろと考えている、
「知らんけど」
・・・・・
この事件まことに残念だが、
今となっては致し方なし。
安倍元総理の思いや如何に。
やり切ったと言えなくとも、
やれることは凡そやったと。
無念さはさほどないかも、
と思いたい。
後はその意思を継ぐ者に期待する。
幸い靖国に参拝した議員らもいる。
閣僚も数名いると。
彼らに期待したい。
そして何としても、
日本を取り戻してほしい。
ことは「知らんけど」では、
済まされない。
昼間のワイドショウは一切見ないが、
ドラマなどはよく見る。
それは深夜の番組であった。
以前は深夜は見なかったのだが、
考えれば録画すればいいだけのこと。
で最近はこの手を使い、
いろいろ見ている。
・・・・・
この番組は京都を舞台にしている。
ドラマなのだが?どこかドキュメンタリー風である。
京都の古き良きものを紹介しているのだ。
主役の木村文乃さんが目当てであったが、
これがそこはかとなく面白い。
そこでのおじさん役の台詞の中で、
時々出てきたのですこの台詞が。
いろいろ講釈を言ったあとで、
最後に「知らんけど」って。
この言い回しは以前から知っていたが、
あらためて聞けば、
的を射た凄い言葉だと。
そう思ったのです。
それはそうですよ。
ヒトは神(の子ではあっても)ではない。
そも真理を知らない知ることもできない。
でも他の生き物と違って言葉を得た。
言葉は神の力の基である。
言葉にはだから力がある。
ヒトは神の技を真似ることはできるのだ。
だが真似るだけである。
「知らんけど」とは、
そのことを端的に示している、
そんな凄い言葉だと。
人間の言葉で最も現実に添っているのは、
言わずもがなそれは科学であると。
これはいつに自然科学のこと。
そこでは現実に裏打ちされなければ認められない。
ここにあきらか。
だが現実はまことに深い。
てか深いどころではない。
奥がなくどこまでも続く。
今の科学的知見が凄いと言っても、
それは今のところではである。
千年後から見れば幼稚なもの。
ということになる。
だから科学においても、
実は最後に「知らんけど」は付いている。
それは当り前で、
それを敢えて言わないだけ、
それだけのこと。
そんなことで、
あらためて凄い言葉だと、
そう思うのです。
・・・・・
ところで当初奇妙だと思った。
そしてネットでもそのように。
例の大和西大寺駅前の事件である。
その思いは今も続いてる。
未だに現実感がない。
そこは私の家から車で10分余り。
その日も行ったが、
それからも時々行っている。
何がしかの用事があるから。
一つ、事件があったのにその匂いがしない。
その時も今もどこかあっけら感としている。
凄惨な匂いがしないのだ。
なぜだろう。
一つ、奈良県警の対応も微妙…。
当初の警備体制もだがその後の捜査も。
そこに緊迫感がまったく感じられない。
それにこれほどの重大事なのに、
責任問題がほとんど出てこない。
うちわでは当然あるんだろうが。
よく分からん。
一つ、問題になったのは統一教会だけ。
のようなことになっている。
それは背景であって、ことの中心ではない。
本人の供述はあるようだが、
それが腑に落ちないのです。
そんなことで元総理を殺すとは。
そんなこともそれ以上のことも、
世の中には一杯あるでしょうに。
たまたま元総理だった?、冗談でしょう。
計画して準備して覚悟してやってるのだ。
これは只の殺人事件ではない。
あきらかに政治的な大事件だ。
と言うことで、
今更せんないことだが、
愚にもつかないことを、
いろいろと考えている、
「知らんけど」
・・・・・
この事件まことに残念だが、
今となっては致し方なし。
安倍元総理の思いや如何に。
やり切ったと言えなくとも、
やれることは凡そやったと。
無念さはさほどないかも、
と思いたい。
後はその意思を継ぐ者に期待する。
幸い靖国に参拝した議員らもいる。
閣僚も数名いると。
彼らに期待したい。
そして何としても、
日本を取り戻してほしい。
ことは「知らんけど」では、
済まされない。
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