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ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

知らんけど

2022-08-22 08:26:45 | 日記・エッセイ・コラム
面白い番組があった。
昼間のワイドショウは一切見ないが、
ドラマなどはよく見る。
それは深夜の番組であった。
以前は深夜は見なかったのだが、
考えれば録画すればいいだけのこと。
で最近はこの手を使い、
いろいろ見ている。
・・・・・
この番組は京都を舞台にしている。
ドラマなのだが?どこかドキュメンタリー風である。
京都の古き良きものを紹介しているのだ。
主役の木村文乃さんが目当てであったが、
これがそこはかとなく面白い。
そこでのおじさん役の台詞の中で、
時々出てきたのですこの台詞が。
いろいろ講釈を言ったあとで、
最後に「知らんけど」って。
この言い回しは以前から知っていたが、
あらためて聞けば、
的を射た凄い言葉だと。
そう思ったのです。
それはそうですよ。
ヒトは神(の子ではあっても)ではない。
そも真理を知らない知ることもできない。
でも他の生き物と違って言葉を得た。
言葉は神の力の基である。
言葉にはだから力がある。
ヒトは神の技を真似ることはできるのだ。
だが真似るだけである。
「知らんけど」とは、
そのことを端的に示している、
そんな凄い言葉だと。
人間の言葉で最も現実に添っているのは、
言わずもがなそれは科学であると。
これはいつに自然科学のこと。
そこでは現実に裏打ちされなければ認められない。
ここにあきらか。
だが現実はまことに深い。
てか深いどころではない。
奥がなくどこまでも続く。
今の科学的知見が凄いと言っても、
それは今のところではである。
千年後から見れば幼稚なもの。
ということになる。
だから科学においても、
実は最後に「知らんけど」は付いている。
それは当り前で、
それを敢えて言わないだけ、
それだけのこと。
そんなことで、
あらためて凄い言葉だと、
そう思うのです。
・・・・・
ところで当初奇妙だと思った。
そしてネットでもそのように。
例の大和西大寺駅前の事件である。
その思いは今も続いてる。
未だに現実感がない。
そこは私の家から車で10分余り。
その日も行ったが、
それからも時々行っている。
何がしかの用事があるから。
一つ、事件があったのにその匂いがしない。
その時も今もどこかあっけら感としている。
凄惨な匂いがしないのだ。
なぜだろう。
一つ、奈良県警の対応も微妙…。
当初の警備体制もだがその後の捜査も。
そこに緊迫感がまったく感じられない。
それにこれほどの重大事なのに、
責任問題がほとんど出てこない。
うちわでは当然あるんだろうが。
よく分からん。
一つ、問題になったのは統一教会だけ。
のようなことになっている。
それは背景であって、ことの中心ではない。
本人の供述はあるようだが、
それが腑に落ちないのです。
そんなことで元総理を殺すとは。
そんなこともそれ以上のことも、
世の中には一杯あるでしょうに。
たまたま元総理だった?、冗談でしょう。
計画して準備して覚悟してやってるのだ。
これは只の殺人事件ではない。
あきらかに政治的な大事件だ。
と言うことで、
今更せんないことだが、
愚にもつかないことを、
いろいろと考えている、
「知らんけど」
・・・・・
この事件まことに残念だが、
今となっては致し方なし。
安倍元総理の思いや如何に。
やり切ったと言えなくとも、
やれることは凡そやったと。
無念さはさほどないかも、
と思いたい。
後はその意思を継ぐ者に期待する。
幸い靖国に参拝した議員らもいる。
閣僚も数名いると。
彼らに期待したい。
そして何としても、
日本を取り戻してほしい。
ことは「知らんけど」では、
済まされない。

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