goo blog サービス終了のお知らせ 

ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

誤解

2023-03-20 06:07:30 | 日記・エッセイ・コラム
私は誤解していた、かも。
神は死んだ、と言ったニーチェのことを。
私は彼が嘆いてるのかと。
でもどうも違うようです。
科学が神の領域に達してついに神を超えたと、
そう思ったらしい。
だがニーチェから直接聞いた訳ではない。
だから本当のところは分からない。
でも多分そうだと。
・・・・・
この世界は変化し続けている。
運動振動波動で満ち満ちている。
これが世界であり存在の核心です。
ヒトはそれを知ろうとする。
為の道具がヒトの言葉である。
でも誰が考えても分かると思う。
分けても分けてもただ分けるだけ。
たしかによりよく知ることはできる。
でもそれだけのこと。
存在の核心は変わらない。
そこに霊妙な不可思議を見た。
それに名を付して拝むこととする。
そして折り合いを付けたのだ。
その御名を「神」と言う。
神は死んではいない、死ぬなどあり得ない。
世界は無くならないのだ。
それにその確認などできない、
無限の空間で無限に動いてるのだ。
ニーチェは何を誤解した?
てか言葉過多・言葉過信で言葉に取り込まれた。
これが欧米の凝りである。
シナ人は中華思想が凝り、
欧米人は過多過信が凝り、
これが彼らの盲点となる。
でもその過多過信こそ科学を育てた。
これは事実であり凄いことです。
それが欧米の力の源泉です。
ちなみに、
だから恐ろしいのです、
その凝りが信仰を強め、
同時に信仰を否定する。
そして存在の核心を見失う。
後は彷徨うばかり。

ちなみに、
信仰は大事だが、
信仰が育てた宗教は、
教とはつまりヒトの言葉、
そこには毒と薬が同居してる。
だからいつも言うのです、
宗教は要注意だと。
ゆえに私は問われれば神道の者だと言う。
神道には教はなく道があるだけ。
道とは場に描く人の生き様の軌跡。
ちなみに仏教にはそも教はなかった。
お釈迦様の言葉が伝えられてはいたが。
その言葉ゆえ今は宗教になっている。
でも他の宗教とはちょっと違うと。
ここでさらに思う。
言葉の本質は波動である。
波動とはこの世界のすべてである。
だから言葉には力がある。
これが日本人の思想で、それを言霊信仰と謂う。
そうなのだが、
ヒトの言葉には毒と薬が同居している。
そこから毒を取り除いたものがある。
それが「語り」と「歌い」である。
これは波動を人に届けるが、
人を縛ろうとはしないもの。
その人の心魂に任せるもの。
その人の自由に任せるもの。
だから日本は物語と歌の国なのです。
だから漫画やアニメがあるのです。
しかもそこにはアニソンがある。
その基に童謡唱歌歌謡がある。
その根には古事記万葉集が。
まさに日本そのものです。
・・・・・
毒と薬と言ったが、
他の言葉で言えば、
毒とは「嘘」のこと、薬とは「実」のこと。
実とは「まこと」であり、
それは「真」とも「誠」とも記す。
思えば、
科学は宗教とは別物だが、
その本質は「教」である。
それは本来は薬であり誠であると。
すなわちコトが成るもの。
そこに科学の発展があった。
なのに世界は誤解したようだ。
ニーチェと同じように。
そして気づかない。
神が死んだときに科学も死んだことを。
現下の世界を見ればあきらか。
今や科学は瀕死の状態である。
それはこれまで何度も言ってきた、
コロコロわくわく地球温暖化諸々云々。
情けないです。
と言うことで、
チン!
これは浄化音です。
ハイ!

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。