私は誤解していた、かも。
神は死んだ、と言ったニーチェのことを。
私は彼が嘆いてるのかと。
でもどうも違うようです。
科学が神の領域に達してついに神を超えたと、
そう思ったらしい。
だがニーチェから直接聞いた訳ではない。
だから本当のところは分からない。
でも多分そうだと。
・・・・・
この世界は変化し続けている。
運動振動波動で満ち満ちている。
これが世界であり存在の核心です。
ヒトはそれを知ろうとする。
為の道具がヒトの言葉である。
でも誰が考えても分かると思う。
分けても分けてもただ分けるだけ。
たしかによりよく知ることはできる。
でもそれだけのこと。
存在の核心は変わらない。
そこに霊妙な不可思議を見た。
それに名を付して拝むこととする。
そして折り合いを付けたのだ。
その御名を「神」と言う。
神は死んではいない、死ぬなどあり得ない。
世界は無くならないのだ。
それにその確認などできない、
無限の空間で無限に動いてるのだ。
ニーチェは何を誤解した?
てか言葉過多・言葉過信で言葉に取り込まれた。
これが欧米の凝りである。
シナ人は中華思想が凝り、
欧米人は過多過信が凝り、
これが彼らの盲点となる。
でもその過多過信こそ科学を育てた。
これは事実であり凄いことです。
それが欧米の力の源泉です。
ちなみに、
だから恐ろしいのです、
その凝りが信仰を強め、
同時に信仰を否定する。
そして存在の核心を見失う。
後は彷徨うばかり。
・
ちなみに、
信仰は大事だが、
信仰が育てた宗教は、
教とはつまりヒトの言葉、
そこには毒と薬が同居してる。
だからいつも言うのです、
宗教は要注意だと。
ゆえに私は問われれば神道の者だと言う。
神道には教はなく道があるだけ。
道とは場に描く人の生き様の軌跡。
ちなみに仏教にはそも教はなかった。
お釈迦様の言葉が伝えられてはいたが。
その言葉ゆえ今は宗教になっている。
でも他の宗教とはちょっと違うと。
ここでさらに思う。
言葉の本質は波動である。
波動とはこの世界のすべてである。
だから言葉には力がある。
これが日本人の思想で、それを言霊信仰と謂う。
そうなのだが、
ヒトの言葉には毒と薬が同居している。
そこから毒を取り除いたものがある。
それが「語り」と「歌い」である。
これは波動を人に届けるが、
人を縛ろうとはしないもの。
その人の心魂に任せるもの。
その人の自由に任せるもの。
だから日本は物語と歌の国なのです。
だから漫画やアニメがあるのです。
しかもそこにはアニソンがある。
その基に童謡唱歌歌謡がある。
その根には古事記万葉集が。
まさに日本そのものです。
・・・・・
毒と薬と言ったが、
他の言葉で言えば、
毒とは「嘘」のこと、薬とは「実」のこと。
実とは「まこと」であり、
それは「真」とも「誠」とも記す。
思えば、
科学は宗教とは別物だが、
その本質は「教」である。
それは本来は薬であり誠であると。
すなわちコトが成るもの。
そこに科学の発展があった。
なのに世界は誤解したようだ。
ニーチェと同じように。
そして気づかない。
神が死んだときに科学も死んだことを。
現下の世界を見ればあきらか。
今や科学は瀕死の状態である。
それはこれまで何度も言ってきた、
コロコロわくわく地球温暖化諸々云々。
情けないです。
と言うことで、
チン!
これは浄化音です。
ハイ!
神は死んだ、と言ったニーチェのことを。
私は彼が嘆いてるのかと。
でもどうも違うようです。
科学が神の領域に達してついに神を超えたと、
そう思ったらしい。
だがニーチェから直接聞いた訳ではない。
だから本当のところは分からない。
でも多分そうだと。
・・・・・
この世界は変化し続けている。
運動振動波動で満ち満ちている。
これが世界であり存在の核心です。
ヒトはそれを知ろうとする。
為の道具がヒトの言葉である。
でも誰が考えても分かると思う。
分けても分けてもただ分けるだけ。
たしかによりよく知ることはできる。
でもそれだけのこと。
存在の核心は変わらない。
そこに霊妙な不可思議を見た。
それに名を付して拝むこととする。
そして折り合いを付けたのだ。
その御名を「神」と言う。
神は死んではいない、死ぬなどあり得ない。
世界は無くならないのだ。
それにその確認などできない、
無限の空間で無限に動いてるのだ。
ニーチェは何を誤解した?
てか言葉過多・言葉過信で言葉に取り込まれた。
これが欧米の凝りである。
シナ人は中華思想が凝り、
欧米人は過多過信が凝り、
これが彼らの盲点となる。
でもその過多過信こそ科学を育てた。
これは事実であり凄いことです。
それが欧米の力の源泉です。
ちなみに、
だから恐ろしいのです、
その凝りが信仰を強め、
同時に信仰を否定する。
そして存在の核心を見失う。
後は彷徨うばかり。
・
ちなみに、
信仰は大事だが、
信仰が育てた宗教は、
教とはつまりヒトの言葉、
そこには毒と薬が同居してる。
だからいつも言うのです、
宗教は要注意だと。
ゆえに私は問われれば神道の者だと言う。
神道には教はなく道があるだけ。
道とは場に描く人の生き様の軌跡。
ちなみに仏教にはそも教はなかった。
お釈迦様の言葉が伝えられてはいたが。
その言葉ゆえ今は宗教になっている。
でも他の宗教とはちょっと違うと。
ここでさらに思う。
言葉の本質は波動である。
波動とはこの世界のすべてである。
だから言葉には力がある。
これが日本人の思想で、それを言霊信仰と謂う。
そうなのだが、
ヒトの言葉には毒と薬が同居している。
そこから毒を取り除いたものがある。
それが「語り」と「歌い」である。
これは波動を人に届けるが、
人を縛ろうとはしないもの。
その人の心魂に任せるもの。
その人の自由に任せるもの。
だから日本は物語と歌の国なのです。
だから漫画やアニメがあるのです。
しかもそこにはアニソンがある。
その基に童謡唱歌歌謡がある。
その根には古事記万葉集が。
まさに日本そのものです。
・・・・・
毒と薬と言ったが、
他の言葉で言えば、
毒とは「嘘」のこと、薬とは「実」のこと。
実とは「まこと」であり、
それは「真」とも「誠」とも記す。
思えば、
科学は宗教とは別物だが、
その本質は「教」である。
それは本来は薬であり誠であると。
すなわちコトが成るもの。
そこに科学の発展があった。
なのに世界は誤解したようだ。
ニーチェと同じように。
そして気づかない。
神が死んだときに科学も死んだことを。
現下の世界を見ればあきらか。
今や科学は瀕死の状態である。
それはこれまで何度も言ってきた、
コロコロわくわく地球温暖化諸々云々。
情けないです。
と言うことで、
チン!
これは浄化音です。
ハイ!
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