聖書的霊性について記したが、
それは旧約聖書のことである。
では新約聖書とは違うのか…、
そんなことはない、同じです。
イエス自身がそう述べている。
当時の乱れた信仰を糾弾して、
聖書に帰れと常に訴えていた。
当時は聖書と謂えば旧約です。
新約聖書は元よりありません。
・・・・・
新約聖書は謂わばイエスの言行録で、
それは弟子達によって記されている。
思うに仏教の各種経典類に似ている。
それはさておき、
新約聖書はイエスの生まれた経緯と、
宣教を志した30才頃からのことが、
記されている。
学びの時期すなわち幼年期から青年期のことは、
記されていない。
・・・・・
ところで、
マタイの福音書によれば、
イエスは悪魔の試みを受けるため、
御霊に導かれて荒野に上った、と。
そして、40日40夜断食したあとで、空腹を覚えられた。
すると、試みる者が近づいてきて言った。
「あなたが神の子なら、この石がパンになるように命じなさい」
イエスは答えて言われた。
「『人はパンだけで生きるのではなく、
神の口から出る一つひとつの言葉による』
と書いてある」と、
その後も試みが続くのですが、
省略。
イエスは書いてあると言ったが、
それは聖書(創世記)を指している。
私の解釈は、
パンとは人の為したものの総称で、
パンそのものもあるのでしょうが、
その他のすべてものと思うのです。
衣食住や金銀財宝などを含め。
さりながら真の価値はそれではない。
真の価値はこの星(地球)が命あふれる星だと謂うことです。
それが基なのです。
そしてその基は神の創造による。
神は初めに天と地を創った。
これは「もの」です。
そのあとで光などを創った。
神の口から出る言葉により。
これは「こと」です。
ここに森羅万象が成る。
そして存在(永遠の今)があるのです。
それがすべてです。
・・・・・
よく言われることだが、
イエスの生涯は聖書預言(当然に旧約)の成就であると。
何よりイエス自身がそう語っている。
とかなんとか、
あれやこれや、
分かったことのように記してるが、
もとより聖書を極めた者ではない。
少々聞きかじっただけである。
でも日本人として思うのです。
その霊性がとても似ていると。
唯一神と多神の違いはあるが。
そしてこれもいつものことで、
そも全体と個別は対立しない、
同じものの言分けでしかない、
と…。
それは旧約聖書のことである。
では新約聖書とは違うのか…、
そんなことはない、同じです。
イエス自身がそう述べている。
当時の乱れた信仰を糾弾して、
聖書に帰れと常に訴えていた。
当時は聖書と謂えば旧約です。
新約聖書は元よりありません。
・・・・・
新約聖書は謂わばイエスの言行録で、
それは弟子達によって記されている。
思うに仏教の各種経典類に似ている。
それはさておき、
新約聖書はイエスの生まれた経緯と、
宣教を志した30才頃からのことが、
記されている。
学びの時期すなわち幼年期から青年期のことは、
記されていない。
・・・・・
ところで、
マタイの福音書によれば、
イエスは悪魔の試みを受けるため、
御霊に導かれて荒野に上った、と。
そして、40日40夜断食したあとで、空腹を覚えられた。
すると、試みる者が近づいてきて言った。
「あなたが神の子なら、この石がパンになるように命じなさい」
イエスは答えて言われた。
「『人はパンだけで生きるのではなく、
神の口から出る一つひとつの言葉による』
と書いてある」と、
その後も試みが続くのですが、
省略。
イエスは書いてあると言ったが、
それは聖書(創世記)を指している。
私の解釈は、
パンとは人の為したものの総称で、
パンそのものもあるのでしょうが、
その他のすべてものと思うのです。
衣食住や金銀財宝などを含め。
さりながら真の価値はそれではない。
真の価値はこの星(地球)が命あふれる星だと謂うことです。
それが基なのです。
そしてその基は神の創造による。
神は初めに天と地を創った。
これは「もの」です。
そのあとで光などを創った。
神の口から出る言葉により。
これは「こと」です。
ここに森羅万象が成る。
そして存在(永遠の今)があるのです。
それがすべてです。
・・・・・
よく言われることだが、
イエスの生涯は聖書預言(当然に旧約)の成就であると。
何よりイエス自身がそう語っている。
とかなんとか、
あれやこれや、
分かったことのように記してるが、
もとより聖書を極めた者ではない。
少々聞きかじっただけである。
でも日本人として思うのです。
その霊性がとても似ていると。
唯一神と多神の違いはあるが。
そしてこれもいつものことで、
そも全体と個別は対立しない、
同じものの言分けでしかない、
と…。