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ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

荒野の修行

2019-12-16 10:27:56 | 日記・エッセイ・コラム
聖書的霊性について記したが、
それは旧約聖書のことである。
では新約聖書とは違うのか…、
そんなことはない、同じです。
イエス自身がそう述べている。
当時の乱れた信仰を糾弾して、
聖書に帰れと常に訴えていた。
当時は聖書と謂えば旧約です。
新約聖書は元よりありません。
・・・・・
新約聖書は謂わばイエスの言行録で、
それは弟子達によって記されている。
思うに仏教の各種経典類に似ている。
それはさておき、
新約聖書はイエスの生まれた経緯と、
宣教を志した30才頃からのことが、
記されている。
学びの時期すなわち幼年期から青年期のことは、
記されていない。
・・・・・
ところで、
マタイの福音書によれば、
イエスは悪魔の試みを受けるため、
御霊に導かれて荒野に上った、と。
そして、40日40夜断食したあとで、空腹を覚えられた。
すると、試みる者が近づいてきて言った。
「あなたが神の子なら、この石がパンになるように命じなさい」
イエスは答えて言われた。
「『人はパンだけで生きるのではなく、
 神の口から出る一つひとつの言葉による』
 と書いてある」と、
その後も試みが続くのですが、
省略。
イエスは書いてあると言ったが、
それは聖書(創世記)を指している。
私の解釈は、
パンとは人の為したものの総称で、
パンそのものもあるのでしょうが、
その他のすべてものと思うのです。
衣食住や金銀財宝などを含め。
さりながら真の価値はそれではない。
真の価値はこの星(地球)が命あふれる星だと謂うことです。
それが基なのです。
そしてその基は神の創造による。
神は初めに天と地を創った。
これは「もの」です。
そのあとで光などを創った。
神の口から出る言葉により。
これは「こと」です。
ここに森羅万象が成る。
そして存在(永遠の今)があるのです。
それがすべてです。
・・・・・
よく言われることだが、
イエスの生涯は聖書預言(当然に旧約)の成就であると。
何よりイエス自身がそう語っている。
とかなんとか、
あれやこれや、
分かったことのように記してるが、
もとより聖書を極めた者ではない。
少々聞きかじっただけである。
でも日本人として思うのです。
その霊性がとても似ていると。
唯一神と多神の違いはあるが。
そしてこれもいつものことで、
そも全体と個別は対立しない、
同じものの言分けでしかない、
と…。