私の持論だが、
この世界は現実が先である。
言葉より先にある。
というか、現実がすべてである。
言葉は現実を投影した仮想に過ぎない。
現実の影である。
言わずもがな。
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人間が言葉という道具を、
いつどのように手に入れたかは定かではない。
まったくもって分からない。
だが言葉を持つことにより、現実を捉えられるようになった。
現実を切り分け言葉を当てはめる。
そして現実を分かったような気になる。
就中、最も厄介なのは時である。
時というもので「在る」ものを分ける。
ただ「在る」だけものを無理やり分ける。
現在、過去、未来。
これが惑いのもとである。
人間はどこから来て、どこへ行くのか。
生の前と生、そして生の後。
答えの得られぬ問題である。
この世を去れば分かると思うが、
それをこの世で分かろうとする。
そんなことはできない。
できる筈がない。
だから不安になる。
惑いの中で生きることになる。
人間の業である。
そのため惑いを鎮める必要に迫られる。
その方途が呪術である。
・・・・・
呪術は人間には必要なものである。
言葉を持ってしまった人間には何より必要なものである。
古代社会はそのことを踏まえていた。
それは遺跡や今に伝えられている儀式に残っている。
現代人は科学や科学的という言葉に騙されて、
そのことを忘れている。