ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

右と左(続き)

2013-12-03 15:30:08 | 日記・エッセイ・コラム

右と左、

思想的、政治的には右翼と左翼あるいは保守と革新という。

革新はリベラルともいう。

思うに、

右は現実を踏まえて未来を見る。

善きも悪しきも現実を認めて未来を見る。

もちろん、

善きものは善きものとして、悪しきものは悪しきものとして、

である。

左は現実を否定して未来を見る。

現実をまったく認めない訳ではないと思うのだが、

往々にして否定する。

理想に固執するあまり、現実を否定してしまうのである。

ゆえに現実から遊離し、意味不明の観念論となる。

・・・・・

私は真ん中である。

あまりないことだが、たまには政治的な発言をする。

そんな時、多くの友人は私のことを右だという。

彼らは戦後日本のプロパガンダに染まっているだけである。

私の考えでは、

現実を踏まえて話をする人は真ん中であり、

現実を踏まえないで話をする人は端である、

としている。

だから、

保守はその大半が真ん中であり、

革新・リベラルは一部は真ん中であるが、

大半は端である。

・・・・・

現実は現実であり、現実はすべてである。

それをどう捉えるかである。

それが軸である。

現実の時系列として、

過去があり、現代があり、未来がある。

それぞれに現実がある。

それらの現実をどう捉えるか、

それが問われる。

繰り返しになるが、現実がすべてである。

理想を掲げ、

理想に反するとして現実を否定すれば、

現実はなくなる。

それはつまり思考の停止である。

理想を現実否定の道具にしないで、

未来への明かりとして用いるなら、

それは素晴らしい。

そういう人は真ん中である。

ど真ん中である。