右と左、
思想的、政治的には右翼と左翼あるいは保守と革新という。
革新はリベラルともいう。
思うに、
右は現実を踏まえて未来を見る。
善きも悪しきも現実を認めて未来を見る。
もちろん、
善きものは善きものとして、悪しきものは悪しきものとして、
である。
左は現実を否定して未来を見る。
現実をまったく認めない訳ではないと思うのだが、
往々にして否定する。
理想に固執するあまり、現実を否定してしまうのである。
ゆえに現実から遊離し、意味不明の観念論となる。
・・・・・
私は真ん中である。
あまりないことだが、たまには政治的な発言をする。
そんな時、多くの友人は私のことを右だという。
彼らは戦後日本のプロパガンダに染まっているだけである。
私の考えでは、
現実を踏まえて話をする人は真ん中であり、
現実を踏まえないで話をする人は端である、
としている。
だから、
保守はその大半が真ん中であり、
革新・リベラルは一部は真ん中であるが、
大半は端である。
・・・・・
現実は現実であり、現実はすべてである。
それをどう捉えるかである。
それが軸である。
現実の時系列として、
過去があり、現代があり、未来がある。
それぞれに現実がある。
それらの現実をどう捉えるか、
それが問われる。
繰り返しになるが、現実がすべてである。
理想を掲げ、
理想に反するとして現実を否定すれば、
現実はなくなる。
それはつまり思考の停止である。
理想を現実否定の道具にしないで、
未来への明かりとして用いるなら、
それは素晴らしい。
そういう人は真ん中である。
ど真ん中である。