ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

呪術

2013-12-17 13:08:31 | 日記・エッセイ・コラム

私の持論だが、

この世界は現実が先である。

言葉より先にある。

というか、現実がすべてである。

言葉は現実を投影した仮想に過ぎない。

現実の影である。

言わずもがな。

・・・・・

人間が言葉という道具を、

いつどのように手に入れたかは定かではない。

まったくもって分からない。

だが言葉を持つことにより、現実を捉えられるようになった。

現実を切り分け言葉を当てはめる。

そして現実を分かったような気になる。

就中、最も厄介なのは時である。

時というもので「在る」ものを分ける。

ただ「在る」だけものを無理やり分ける。

現在、過去、未来。

これが惑いのもとである。

人間はどこから来て、どこへ行くのか。

生の前と生、そして生の後。

答えの得られぬ問題である。

この世を去れば分かると思うが、

それをこの世で分かろうとする。

そんなことはできない。

できる筈がない。

だから不安になる。

惑いの中で生きることになる。

人間の業である。

そのため惑いを鎮める必要に迫られる。

その方途が呪術である。

・・・・・

呪術は人間には必要なものである。

言葉を持ってしまった人間には何より必要なものである。

古代社会はそのことを踏まえていた。

それは遺跡や今に伝えられている儀式に残っている。

現代人は科学や科学的という言葉に騙されて、

そのことを忘れている。


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