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ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

呪術(続き)

2013-12-25 14:29:13 | 日記・エッセイ・コラム

「在る」ものを分けてしまった。

言葉を持ち、時というものを意識したことにより、

ただ「在る」だけのものを無数の断片に、限りない断片に、

分けてしまった。

これは収拾がつかない。

どうにも収拾がつかない。

それでも何とかしなければならない。

収めなければならない。

その方途が呪術である。

・・・・・

言葉は部分を切り取るものである。

「在る」ものの、その全体を示すことはできない。

部分を示すのみである。

部分の集合が全体だとして、

部分をいくらかき集めても、

なお部分は無限である。

無限を有限にするのは無理である。

覚悟しなければならない。

その覚悟が呪術である。

・・・・・

「在る」ものを「在る」ものとして認める。

「在る」ものを、ただ「在る」がままに認める。

それで良しとする。

それを身の内で定める。

その定める方法が呪術である。

その方法とは「信じる」ことと「祈る」ことである。

「信じる」だけでは何んとも心もとない。

「祈る」ことによって芯を入れる。

その時、定まる。

・・・・・

思うに、

信じるとは己に問うて疑わないこと、

しからば祈るとは。

祈るといっても、何に祈るのか。

相手が必要である。

それはこの世界を在らしめている力である。

それを宇宙精神という者もいる。

一般的には神と言っている。

神が本当にいるのか、という議論は意味がない。

神とは存在せしめる力そのものである。

この世界があるいじょう、神は在る。

その神に祈るのである。

キリスト者は言う。

信じる者は救われる。

真にその通りである。

何を信じるかは人それぞれであるが、

「信じて祈る」ことこそ、すべてである。

まことに、まことに。