「在る」ものを分けてしまった。
言葉を持ち、時というものを意識したことにより、
ただ「在る」だけのものを無数の断片に、限りない断片に、
分けてしまった。
これは収拾がつかない。
どうにも収拾がつかない。
それでも何とかしなければならない。
収めなければならない。
その方途が呪術である。
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言葉は部分を切り取るものである。
「在る」ものの、その全体を示すことはできない。
部分を示すのみである。
部分の集合が全体だとして、
部分をいくらかき集めても、
なお部分は無限である。
無限を有限にするのは無理である。
覚悟しなければならない。
その覚悟が呪術である。
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「在る」ものを「在る」ものとして認める。
「在る」ものを、ただ「在る」がままに認める。
それで良しとする。
それを身の内で定める。
その定める方法が呪術である。
その方法とは「信じる」ことと「祈る」ことである。
「信じる」だけでは何んとも心もとない。
「祈る」ことによって芯を入れる。
その時、定まる。
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思うに、
信じるとは己に問うて疑わないこと、
しからば祈るとは。
祈るといっても、何に祈るのか。
相手が必要である。
それはこの世界を在らしめている力である。
それを宇宙精神という者もいる。
一般的には神と言っている。
神が本当にいるのか、という議論は意味がない。
神とは存在せしめる力そのものである。
この世界があるいじょう、神は在る。
その神に祈るのである。
キリスト者は言う。
信じる者は救われる。
真にその通りである。
何を信じるかは人それぞれであるが、
「信じて祈る」ことこそ、すべてである。
まことに、まことに。