はったり特急 - 組織は守ってくれない
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投稿者:kousan
2006/5/21 9:00
~(中略)~
創価学会嘘つきさん>
日蓮が目指した教団はこんなものではなかった筈ですね。
日蓮は家族が退転した方にも丁寧な激励をされていますし・・
日興もまた、五老僧のうちの一人が後に許しを請うたときもそれを許していますし・・
~(中略)~
昨日、結婚式の仕事に行ってきたのですが、そこの牧師さんがいつものとおりこう言われました。
「神は寛容であり、寛容は愛であり、不寛容は悪である」
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投稿者:創価学会嘘つき
2006/5/21 11:01
こんにちは。こうさん。アンチの私にお返事有り難う御座います。
>日蓮は家族が退転した方にも丁寧な激励をされています
そうだったんですか?日蓮の自分以外の人の為とか、優しさなどは私も認めざるを得ませんね。どんな御書でしょうか?まだ御書は持ってますので、もしお分かりになりましたらご面倒でもページだけでも教えて頂けないでしょうか?お時間とかかかっても結構ですし、教えてやらん!wでもかまいません。お返事お待ちしております。
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はったり特急 - 日蓮の優しさと厳しさ
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「日蓮の優しさと厳しさ」
大尼御前御返事(908ページ)
ごくそつえんま王の長は十丁ばかり・面はすをさし・眼は日月のごとく・歯はまんぐわの・ねのやうに・くぶしは大石のごとく・大地は舟を海にうかべたるやうに・うごき・声はらいのごとく・はたはたと・なりわたらむにはよも南無妙法蓮華経とはをほせ候はじ、日蓮が弟子にもをはせず・よくよく内をしたためて・をほせを・かほり候はん、なづきをわりみをせめて・いのりてみ候はん、たださきの・いのりと・をぼしめせ、これより後は・のちの事をよくよく御かため候へ、恐恐。
九月二十日 日蓮在御判
大尼御前
(恐ろしい閻魔大王に、責められた時、よもや南無妙法蓮華経とは唱える事は出来ないでしょうね。あなたは、かつて退転されたのだから日蓮の弟子ではないのですけれども、今一度、正直に自分の心の中を書いて送ってください。それによっては、あなたの願いを聞き届けましょう。そして、私はその時には自分の身体も省みずに、強く祈るでしょう。ただし、その祈りは、後生のものであるのですよ。今からは後生の事を良く考える方がよろしいでしょうね。)
いきなり、日蓮遺文から失礼します。
コメント欄で「創価学会嘘つきさん」からの質問として、日蓮の退転者の家族への激励・・これの正確な場所をおたずね頂いたのですが、僕はその時にすぐ答えるる事が出来ず、大変失礼しました。
で・・今日のブログはその答えです。
これは家族ではなく御本人に与えられた物ですが、日蓮と言う人の厳しさも優しさもこの一文に込められているように思います。
この大尼と言うひとは、鎌倉幕府北条得宗家・・ナンバー4か5にあたる名越朝時(ともとき)の夫人です。
この人の夫は強情な念仏の信者でしたが、領地が日蓮生誕の地であったこともあり、夫人は早くから日蓮の信者でした。ただ、日蓮幼少の頃、日蓮とその両親はこの夫人にかなり世話になっていたようで、そういう意味では日蓮とあまりにも近すぎ、甘えもあったかもしれません。
で・・竜の口の法難の際、この人は退転してしまいます。
日蓮は、清澄寺大衆中という手紙にも、大尼が退転した事により、地獄の責めを受ける事は確かであると言いながらも、その後生を思うと何とか助けたいと書き綴っています。
さて、この人の息子の嫁・・日蓮はこの嫁を「新尼」と呼んでいます。
新尼も大尼からの折伏でしょうか・・熱心な信者になります。
で、法難の際にも退転する事なく、佐渡流罪の日蓮のもとへも使いを送るなど日蓮を彼女なりに一生懸命にささえてきました。
で・・最初に出した大尼への手紙の数年前に新尼への手紙が出されていて、これは実に身延入山後、最初の遺文として残るわけですが、これには以下のようにあります。
あまのり一ふくろ送り給び畢んぬ、又大尼御前よりあまのり畏こまり入つて候、
(海苔一袋、頂きました。また、大尼からの海苔も頂き恐縮しています。)
これは、もう一度信仰を取り戻そうと思った大尼が新尼を通じて、心尽くしの海苔を送った事のお礼を述べられています。
この時、新尼、大尼ともに、御本尊を書写いただけるようにお願いをしていたようですが、日蓮は新尼の願いは聞き届けましたが、大尼の願いについては「信心に疑問を感じている」と言うような感じで・・事細かにそのわけを書いてこれを断っています。
最初に出した遺文も、大尼からの何かお願いをかなえるかどうしようか迷う日蓮の心が素直に出ているように思いますが、結局はこの文面からは願いをかなえてあげたようです。
もしかしたら、この時の願いも御本尊だったのかもしれません。
退転者をも「後生の事が哀れ」だとして、その人の事を祈る日蓮・・
日蓮もまた、当時の思想の指導者であるのですから、厳しさも必要でしょう・・
一旦、退転したものをすぐまた、受け入れると周囲の目もある事でしょう。
それでも、日蓮はその人へもきちんと手紙をしたため、願いを聞きいれるかどうか迷う・・
そして、心ではその人を思いつづける・・
日蓮はそういう人だったように・・僕には思えます。
退転者を罵倒し、批判者を中傷するだけの聖教新聞・・あるいは幹部会・・
これに日蓮の心が一欠けらもない事はお分かりいただけたと思うのです。
投稿者: kousan
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以上、tabukenが嫌いな無断転載(笑)、終わり。
kousan様
ページのコメントを頂くだけでも良かったのに、解説や記事にして頂き、感謝します。
本当に有り難う御座います。
創価学会の信仰に功徳はあるか?:麻薬で退会する夫婦と麻薬克服した元大リーガーを体験談にする創価 ●温かい人という意味では日蓮も???? 日蓮と言ってる事が違う創価学会。
ここで私は「例えあなたの罪が深くて地獄行くことがあれば、この私、日蓮は釈迦にあなたは仏になれますよ?仏になりなさい。と言われても応じることなく、あなたと同じ地獄に行きます。」ということを書きましたが、この人は退転者では無くて信心がしっかりした人のようですし、厳密には退転者を救うというよりは、信心有る信徒が地獄に行くなら私も地獄に行くという日蓮の情熱と思いやりでしょう。日蓮の自発的な恩の気持ちでしょうね。今更、私が書く必要もなく皆さん分かると思いますが、上記のURLはやや大森夫妻には当てはまらないと言うか、主旨が違うというかダイレクトな説得というか、妥当な説明にはなっていないでしょう。
でも日蓮は熱心な信徒が地獄へ行くような失敗があったとしても必ず救います。救われるはずです。と書いているのです。「かなり」都合良い解釈をするとそう読めますよね?
ですが、kousanさんの書いてくれた、御書引用や文章はそのまんまですね。上記のとおり、もう少し解釈をねじ曲げて都合言いようにとらないと駄目かと思ってました。退転者の人にも罵倒することなく日蓮はこの婦人に接しているようですね。
創価は退転者反逆者は地獄行きで一括りですが、日蓮は(もし地獄に行った)信仰者でも、退転者でも救いたい、救える?と思っていた?ようです。
日蓮は退転者反逆者、自分の師匠にも「地獄に落ちる」とか言ってますし敵は敵として扱っているのも事実です。敵は敵で構わないと思いますが、創価学会の信仰に功徳はあるか?:創価学会の「悪」「仏敵」とは何か?創価の勘違い。 誰がホントに敵なんですかね?
今日も創価学会の信仰に功徳はあるか?:公明党や創価学会のリーダーと責任 その7(竹入氏) どっちも本物のアホ ココでコメントしたとおり、
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>学会員以外にはほとんど影響力がない
>明らかに好意的印象を持つ人より嫌悪感を抱く人のほうが多い
そうですよね。一般の人には、退転者、反逆者には容赦ない、それ宗教家のすることか?って思うでしょうね。例えば聖教新聞に彼に
「質問形式で問いただす、説得する、とか一切有りません」から。
回答は彼の同意有無や内容によって載せられないとしてもトータルとしてここは理解してもらってOKでした、ここは理解されなかった、という創価公明聖教側の説明は出来るでしょう。
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先のブログに書きましたが、日蓮はくどいです。(笑)法華経が一番大事だと言ってますが、他の経文も引用したりしてますし、重大な御書は全部「長文」です。
そうそう、日蓮は経文の無断転載、引用してますね。t氏は怒るんじゃないでしょうか?(笑)池田大作のスピーチや私のブログなんてたいした量ではありません。全部、「他人への手紙」ですから、全部「説得の為」と言い換えても良いでしょう。また、今の裁判所のような公的な場所、あるいは、お寺で公式に対決を望んだりしているのが日蓮です。
創価公明は新聞紙上で敵に対して
「質問形式で問いただす、説得する、とかほとんど有りません。ほとんど罵倒のが多いです。」
日蓮正宗への抗議文は宗門問題当時、有った気がしますが。
毒さんのみかさんに対して命の傾向性とか、先日の創価学会ヤフー支部の連中のあの掲示板での言い方、tabukenの人を最初から馬鹿にした言い方など、(nanaさんの弱い弱い弱すぎます、もか?)とか。もちろん私はブログで何度も言っているように「結論」として言っても良いでしょう。けど何の説明もなしに説得もなしに言えば誰だって不愉快か、怒るでしょう。日蓮は「長文」で色々と様々に説明説得しています。情熱や思いやりが前提になっています。地獄に堕ちるとは言いますが、理由も書きますし、じゃあ、どうすればいいのか?というのも書いています。
日蓮とkousanさん、それと上にあげた創価の人との違いは信用や性格、情熱や思いやりですかね?結局、毒さんはブログを立ち上げてみかさんに説得とかしていないようですし、先にも書いたとおり、創価の人でメールくれたりする人もいましたが、下心見え見えだったし、結局、ホントに説得続ける人はいません。本気かどうかも怪しいし、性格人格もその資格があるかどうか?でしょう。
kousanさんの解説があるので、その前後の御書は読んでみるつもりです。編年体の御書(日蓮の手紙を古い物から順に新しい者へと順番にした御書)はないので1600ページの中から見つけられない可能性のが高いですけどね。今からもう、挫折しそうです。
日蓮の幸福感や仏法教義は先にも書いたとおり、「穴」があるので否定は簡単ですが、日蓮の情熱や思いやり、確信を否定するのは大変です。御書は1600ページもありますしね。
日蓮をさらに否定できるか、有る程度認めざるを得ないか、肯定が増えるかは全く分かりません。
どうしてわざわざこんな創価に塩を送るような事も書いて自分に不利な事も書いているかというと、つまり、私のように少しでも創価や日蓮を信じて不幸になると後が大変ですよ?って事です。マインドコントロールのツケは大きいです。って事です。ハマるとなかなか解けないし気が付きにくいです。どうにもならない所まで追い込まれて気が付くのでしょう。
創価が新聞機関誌で読めと言う御書を読んでいるだけでなく、創価が言わない御書を読んで創価を否定できる事も有ると思います。御書だけでなく創価の邪宗であるキリスト教でも
>イエスキリストは「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」と言ったそうな。
と書いたとおり。創価のオーランド・セペダのHPを引用して大森夫妻への創価全体の態度を否定できます。
今となっては創価学会の地域組織、学会本部、公明党、池田大作氏や秋谷氏は全く信用していません。池田大作氏の息子の博正氏なんて、弓谷氏と経歴は違いますが、世間を知らない、叩き上げでないと言う意味からも弓谷氏と変わらないでしょう。でも彼は表彰されています。奥さんはともかく彼は意味不明です。2chあたりにもスレがありますし、創価のHPにも池田博正氏は有ったはずです。現場を知らない人なんて師匠じゃないでしょ?
新潮「名誉会長『体調異変』で密かに始まった創価学会『世襲の儀式』」(3月24日)記事 (どうせ新潮なので博正氏が御義口伝講義をした、ぐらいしかホントの事は無いでしょう。例によってコメントも無名ですしね。)
私のカルト体験
ココに書いて有るとおり、自分の体験や考え方を書き出す事でやっとこさ、心の整理が付くのでしょう。
'06.06.02 青文字追記
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投稿者:kousan
2006/5/21 9:00
~(中略)~
創価学会嘘つきさん>
日蓮が目指した教団はこんなものではなかった筈ですね。
日蓮は家族が退転した方にも丁寧な激励をされていますし・・
日興もまた、五老僧のうちの一人が後に許しを請うたときもそれを許していますし・・
~(中略)~
昨日、結婚式の仕事に行ってきたのですが、そこの牧師さんがいつものとおりこう言われました。
「神は寛容であり、寛容は愛であり、不寛容は悪である」
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投稿者:創価学会嘘つき
2006/5/21 11:01
こんにちは。こうさん。アンチの私にお返事有り難う御座います。
>日蓮は家族が退転した方にも丁寧な激励をされています
そうだったんですか?日蓮の自分以外の人の為とか、優しさなどは私も認めざるを得ませんね。どんな御書でしょうか?まだ御書は持ってますので、もしお分かりになりましたらご面倒でもページだけでも教えて頂けないでしょうか?お時間とかかかっても結構ですし、教えてやらん!wでもかまいません。お返事お待ちしております。
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はったり特急 - 日蓮の優しさと厳しさ
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「日蓮の優しさと厳しさ」
大尼御前御返事(908ページ)
ごくそつえんま王の長は十丁ばかり・面はすをさし・眼は日月のごとく・歯はまんぐわの・ねのやうに・くぶしは大石のごとく・大地は舟を海にうかべたるやうに・うごき・声はらいのごとく・はたはたと・なりわたらむにはよも南無妙法蓮華経とはをほせ候はじ、日蓮が弟子にもをはせず・よくよく内をしたためて・をほせを・かほり候はん、なづきをわりみをせめて・いのりてみ候はん、たださきの・いのりと・をぼしめせ、これより後は・のちの事をよくよく御かため候へ、恐恐。
九月二十日 日蓮在御判
大尼御前
(恐ろしい閻魔大王に、責められた時、よもや南無妙法蓮華経とは唱える事は出来ないでしょうね。あなたは、かつて退転されたのだから日蓮の弟子ではないのですけれども、今一度、正直に自分の心の中を書いて送ってください。それによっては、あなたの願いを聞き届けましょう。そして、私はその時には自分の身体も省みずに、強く祈るでしょう。ただし、その祈りは、後生のものであるのですよ。今からは後生の事を良く考える方がよろしいでしょうね。)
いきなり、日蓮遺文から失礼します。
コメント欄で「創価学会嘘つきさん」からの質問として、日蓮の退転者の家族への激励・・これの正確な場所をおたずね頂いたのですが、僕はその時にすぐ答えるる事が出来ず、大変失礼しました。
で・・今日のブログはその答えです。
これは家族ではなく御本人に与えられた物ですが、日蓮と言う人の厳しさも優しさもこの一文に込められているように思います。
この大尼と言うひとは、鎌倉幕府北条得宗家・・ナンバー4か5にあたる名越朝時(ともとき)の夫人です。
この人の夫は強情な念仏の信者でしたが、領地が日蓮生誕の地であったこともあり、夫人は早くから日蓮の信者でした。ただ、日蓮幼少の頃、日蓮とその両親はこの夫人にかなり世話になっていたようで、そういう意味では日蓮とあまりにも近すぎ、甘えもあったかもしれません。
で・・竜の口の法難の際、この人は退転してしまいます。
日蓮は、清澄寺大衆中という手紙にも、大尼が退転した事により、地獄の責めを受ける事は確かであると言いながらも、その後生を思うと何とか助けたいと書き綴っています。
さて、この人の息子の嫁・・日蓮はこの嫁を「新尼」と呼んでいます。
新尼も大尼からの折伏でしょうか・・熱心な信者になります。
で、法難の際にも退転する事なく、佐渡流罪の日蓮のもとへも使いを送るなど日蓮を彼女なりに一生懸命にささえてきました。
で・・最初に出した大尼への手紙の数年前に新尼への手紙が出されていて、これは実に身延入山後、最初の遺文として残るわけですが、これには以下のようにあります。
あまのり一ふくろ送り給び畢んぬ、又大尼御前よりあまのり畏こまり入つて候、
(海苔一袋、頂きました。また、大尼からの海苔も頂き恐縮しています。)
これは、もう一度信仰を取り戻そうと思った大尼が新尼を通じて、心尽くしの海苔を送った事のお礼を述べられています。
この時、新尼、大尼ともに、御本尊を書写いただけるようにお願いをしていたようですが、日蓮は新尼の願いは聞き届けましたが、大尼の願いについては「信心に疑問を感じている」と言うような感じで・・事細かにそのわけを書いてこれを断っています。
最初に出した遺文も、大尼からの何かお願いをかなえるかどうしようか迷う日蓮の心が素直に出ているように思いますが、結局はこの文面からは願いをかなえてあげたようです。
もしかしたら、この時の願いも御本尊だったのかもしれません。
退転者をも「後生の事が哀れ」だとして、その人の事を祈る日蓮・・
日蓮もまた、当時の思想の指導者であるのですから、厳しさも必要でしょう・・
一旦、退転したものをすぐまた、受け入れると周囲の目もある事でしょう。
それでも、日蓮はその人へもきちんと手紙をしたため、願いを聞きいれるかどうか迷う・・
そして、心ではその人を思いつづける・・
日蓮はそういう人だったように・・僕には思えます。
退転者を罵倒し、批判者を中傷するだけの聖教新聞・・あるいは幹部会・・
これに日蓮の心が一欠けらもない事はお分かりいただけたと思うのです。
投稿者: kousan
===========================
以上、tabukenが嫌いな無断転載(笑)、終わり。
kousan様
ページのコメントを頂くだけでも良かったのに、解説や記事にして頂き、感謝します。
本当に有り難う御座います。
創価学会の信仰に功徳はあるか?:麻薬で退会する夫婦と麻薬克服した元大リーガーを体験談にする創価 ●温かい人という意味では日蓮も???? 日蓮と言ってる事が違う創価学会。
ここで私は「例えあなたの罪が深くて地獄行くことがあれば、この私、日蓮は釈迦にあなたは仏になれますよ?仏になりなさい。と言われても応じることなく、あなたと同じ地獄に行きます。」ということを書きましたが、この人は退転者では無くて信心がしっかりした人のようですし、厳密には退転者を救うというよりは、信心有る信徒が地獄に行くなら私も地獄に行くという日蓮の情熱と思いやりでしょう。日蓮の自発的な恩の気持ちでしょうね。今更、私が書く必要もなく皆さん分かると思いますが、上記のURLはやや大森夫妻には当てはまらないと言うか、主旨が違うというかダイレクトな説得というか、妥当な説明にはなっていないでしょう。
でも日蓮は熱心な信徒が地獄へ行くような失敗があったとしても必ず救います。救われるはずです。と書いているのです。「かなり」都合良い解釈をするとそう読めますよね?
ですが、kousanさんの書いてくれた、御書引用や文章はそのまんまですね。上記のとおり、もう少し解釈をねじ曲げて都合言いようにとらないと駄目かと思ってました。退転者の人にも罵倒することなく日蓮はこの婦人に接しているようですね。
創価は退転者反逆者は地獄行きで一括りですが、日蓮は(もし地獄に行った)信仰者でも、退転者でも救いたい、救える?と思っていた?ようです。
日蓮は退転者反逆者、自分の師匠にも「地獄に落ちる」とか言ってますし敵は敵として扱っているのも事実です。敵は敵で構わないと思いますが、創価学会の信仰に功徳はあるか?:創価学会の「悪」「仏敵」とは何か?創価の勘違い。 誰がホントに敵なんですかね?
今日も創価学会の信仰に功徳はあるか?:公明党や創価学会のリーダーと責任 その7(竹入氏) どっちも本物のアホ ココでコメントしたとおり、
-----------------------
>学会員以外にはほとんど影響力がない
>明らかに好意的印象を持つ人より嫌悪感を抱く人のほうが多い
そうですよね。一般の人には、退転者、反逆者には容赦ない、それ宗教家のすることか?って思うでしょうね。例えば聖教新聞に彼に
「質問形式で問いただす、説得する、とか一切有りません」から。
回答は彼の同意有無や内容によって載せられないとしてもトータルとしてここは理解してもらってOKでした、ここは理解されなかった、という創価公明聖教側の説明は出来るでしょう。
-----------------------
先のブログに書きましたが、日蓮はくどいです。(笑)法華経が一番大事だと言ってますが、他の経文も引用したりしてますし、重大な御書は全部「長文」です。
そうそう、日蓮は経文の無断転載、引用してますね。t氏は怒るんじゃないでしょうか?(笑)池田大作のスピーチや私のブログなんてたいした量ではありません。全部、「他人への手紙」ですから、全部「説得の為」と言い換えても良いでしょう。また、今の裁判所のような公的な場所、あるいは、お寺で公式に対決を望んだりしているのが日蓮です。
創価公明は新聞紙上で敵に対して
「質問形式で問いただす、説得する、とかほとんど有りません。ほとんど罵倒のが多いです。」
日蓮正宗への抗議文は宗門問題当時、有った気がしますが。
毒さんのみかさんに対して命の傾向性とか、先日の創価学会ヤフー支部の連中のあの掲示板での言い方、tabukenの人を最初から馬鹿にした言い方など、(nanaさんの弱い弱い弱すぎます、もか?)とか。もちろん私はブログで何度も言っているように「結論」として言っても良いでしょう。けど何の説明もなしに説得もなしに言えば誰だって不愉快か、怒るでしょう。日蓮は「長文」で色々と様々に説明説得しています。情熱や思いやりが前提になっています。地獄に堕ちるとは言いますが、理由も書きますし、じゃあ、どうすればいいのか?というのも書いています。
日蓮とkousanさん、それと上にあげた創価の人との違いは信用や性格、情熱や思いやりですかね?結局、毒さんはブログを立ち上げてみかさんに説得とかしていないようですし、先にも書いたとおり、創価の人でメールくれたりする人もいましたが、下心見え見えだったし、結局、ホントに説得続ける人はいません。本気かどうかも怪しいし、性格人格もその資格があるかどうか?でしょう。
kousanさんの解説があるので、その前後の御書は読んでみるつもりです。編年体の御書(日蓮の手紙を古い物から順に新しい者へと順番にした御書)はないので1600ページの中から見つけられない可能性のが高いですけどね。今からもう、挫折しそうです。
日蓮の幸福感や仏法教義は先にも書いたとおり、「穴」があるので否定は簡単ですが、日蓮の情熱や思いやり、確信を否定するのは大変です。御書は1600ページもありますしね。
日蓮をさらに否定できるか、有る程度認めざるを得ないか、肯定が増えるかは全く分かりません。
どうしてわざわざこんな創価に塩を送るような事も書いて自分に不利な事も書いているかというと、つまり、私のように少しでも創価や日蓮を信じて不幸になると後が大変ですよ?って事です。マインドコントロールのツケは大きいです。って事です。ハマるとなかなか解けないし気が付きにくいです。どうにもならない所まで追い込まれて気が付くのでしょう。
創価が新聞機関誌で読めと言う御書を読んでいるだけでなく、創価が言わない御書を読んで創価を否定できる事も有ると思います。御書だけでなく創価の邪宗であるキリスト教でも
>イエスキリストは「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」と言ったそうな。
と書いたとおり。創価のオーランド・セペダのHPを引用して大森夫妻への創価全体の態度を否定できます。
今となっては創価学会の地域組織、学会本部、公明党、池田大作氏や秋谷氏は全く信用していません。池田大作氏の息子の博正氏なんて、弓谷氏と経歴は違いますが、世間を知らない、叩き上げでないと言う意味からも弓谷氏と変わらないでしょう。でも彼は表彰されています。奥さんはともかく彼は意味不明です。2chあたりにもスレがありますし、創価のHPにも池田博正氏は有ったはずです。現場を知らない人なんて師匠じゃないでしょ?
新潮「名誉会長『体調異変』で密かに始まった創価学会『世襲の儀式』」(3月24日)記事 (どうせ新潮なので博正氏が御義口伝講義をした、ぐらいしかホントの事は無いでしょう。例によってコメントも無名ですしね。)
私のカルト体験
ココに書いて有るとおり、自分の体験や考え方を書き出す事でやっとこさ、心の整理が付くのでしょう。
'06.06.02 青文字追記
しかし、一般宗教と分けた方がよろしいのでしょうか、正邪の話になって、余計なような気がしないでもないのですが、、、なんとも…は創価だけではなく、その他の宗教も偏りすぎれば…と思っておりますので、このようなコメントになってしまった次第です。
ですのであとはブログ主である、嘘つきさんにおまかせします。
とりとめのないコメントを残しましてお手数おかけしました。彼氏から折伏はしてきません。彼の経験の中で折伏は余計にこじれるだけなのを解っているのかもしれません。が、創価学会はまともな宗教だと思っている様子で、冗談でたまに彼から彼の友人へのセリフ、
「なんか変な宗教入っているんじゃないのぉ?(笑)」
という、、、
それはお前だよっ!!
って(笑)突っ込みたい…
彼の義務教育は創価でそまっており、3世なので筋金入りの様子です。。。
それと、恐らくとりとめのないやり取りになるのを避けて頂けたのでしょうが、なんともは決して相手の土俵には上がらないので折伏、平気です。
改めて、お返事遅くなってしまいごめんなさい。
うそつきさんの記事は勉強になりますので、これからもちょくとくと参りたいです。それでは。
5W1Hや題名をつけるなどしてお互いに問題提起文を書いても良いでしょう。
コメントをこのまま続けて良いですが、私のコメントはある程度別な方向で創価問題を指摘しそうなのです。できれば独りよがりよりも なんともさん と議論しあって、別のテーマ(記事)を書けるくらいに議論出来れば幸いです。最初に頂いたあなたのコメントのおかげで既に私も記事を一つ書けるくらいに別テーマが出来ていますが、せっかくですし、どうでしょう。?もちろん、ご要望ならこのままです。
まずは問題提起するにしても一般論と、創価に特化(創価専用)して分けた方が良いのかな?
というのは、、、創価の理論を知っているだけに上記のコメントに同意するにしても反論するにしても説明するにしても、ある程度、折伏になってしまいます。(笑)
一応、なんともさんの彼氏が学会員と言うことで、彼から折伏を受けたり理解しているかもしれませんが、大丈夫でしょうか?
私は「肯定」も「否定」も出来ますが、なんともさんの創価の理解は不明ですので下手に折伏はしたくないのですが。(笑)
おおよそ私もあなたと同じような意見です。
私も宗教者達はそう思うだろうな、、とは推測できますが、宗教者達は「宗教」という概念をどのようにもっていたかなのです。
いや、そんな概念はないとは思いますし(概念はそれまでのデータや統計、いつも物事のあとに認識されるものなので)概念という範囲も広すぎる。
しかし「宗教」によってもたらされる弊害があるということは、どのような宗教に属している立場の人でも分るかと思います
(自分以外のことなら皆冷静にみれます。どんなことでも。自分が宗教人、もしくは無宗教という宗教人(と仮定させていただきます)である場合に自分の場所ではないところをみるとお分かりかと思います。
答えなんてない話かと思いますが、
伝言ゲームの発信者を絶対だと思うのか?
もしくは、発信者はゲームしろといったか?
(例えば仏陀は自分で書物を残さなかった。あるのは、弟子達が自分の意見を交えながら残したもの「仏陀はこう言った…」みたいなもの)
法華経も仏陀がいったのかどうなのかは定かではなく、また確かめられるものでもない。
そして、宗教論を話していると意外に気づかない落とし穴。それは、話している私達がすでに同じものをベースにして話しているところなのです。
「宗教ありき」のもとで話しているということです。
>仏教もその他宗教も後の「人間」が一面を強調したり、作る変えているのは仏教でも日蓮正宗でも創価でも同じです。
>今はむしろ、ちゃんと伝わっているか否かの方が歴史的にも宗教学的にも問題です。
私も同意見ですが、作り変えなければ、また、ちゃんと伝わっていれば、いいものかもしれないと思っているところがありませんか?
ああ、なんて言えばいいのだろうか。
嘘つきさんの意見と同じ意見だけれど、ちゃんと伝わる伝わらないの前に、なぜ伝える?という疑問。
「人間」に感情があり、一人一人受け方が違うということにおいて、そのままのものを誰も間違いもせずに伝える?
間違わないように考え方の基盤をその宗教「文化」(国という言葉でも表せる。)でコンプリートすること。そうすれば間違わない?
しかしそれはその人間独自の思考を奪っているのではないか。とても危険だと思えるのは私だけではないと思う。
うそつきさんは、そういうことを言いたいのではないと思います。しかしどういえば、伝わるのか、
>皮肉っぽいですが開祖も信者もあなたと同感だから
引用させて頂くと、結局そうなのです。
そしてうそつきさんも同様なのです。全ての人もそうだと言えます。
私達が育つ過程で、教育なり社会なり、文化なりに接せずに生きていくことは不可能です。
しかし、その全てに宗教はなんらかの形で関わっている。躾であったり、あいさつ一つでもありとあらゆるものが影響を受けている。
すでに、思想的に全ての人が影響を受けているということ
また、「宗教」を話す時はそのベースが少なくとも共有しているゾーンがなくては、全く互いに理解不可能にしてしまうということ。
熱心であればあるほど(どちら向きでも)理解できない人が増えてしまうこと
宗教に「人間の壁」ができるといっても過言ではなく、壁がどういう結果をもたらすのか、逆に、壁なんてないと自分と他人を同じものとしてみてしまうことの傲慢さを、
しかし、何にも影響されずに生きていくということは不可能で、人は何かを選ばずには生きていけないだろう(特定のものを選ぶでも、特定のものを選ばないでも)
そこに道ができる。
それが私は悲しいのだろうか。
うそつきさんは、どう思いますか。
こんばんは。長文有り難う御座います。
>多様な宗教者にいいたいのは、本人が死んでもなお、それに巻き添えになっているもの達
まずここの出発点が違います。
本人自身はキリストも釈迦も日蓮もある程度自分が正しいと思っていたでしょう。また、自分自身で人を救って(救ったと思っている)人が付いてきているわけですから「正しいと確信」しちゃうわけです。
○「巻き添えになっている」なんて思ってません。
むしろ自分の教えは正しいので積極的に広めろ、というのが遺言です。
>がどういう道を進む
>その責任もてますか。
だから自分自身と同じ道を進んで欲しいので弟子を残しますし、責任という意味では未来も責任はとれないので教義の形で残して未来も永遠にも通用するし責任を持ったつもりになっているのでしょう。教義もこれが絶対だとか言いながら仏教でも四十余年未顕真実(しじゅうよねんみけんしんじつ)と言って法華経がホントだよ、といってそれまでの教えは真実でないことになってます。
仏教は特にコロコロ変化する、していくのが特徴かもしれません。時代に合わせている、という都合の良い解釈をするのです。
>宗教者・開祖などはやりっぱ無し(なしを無し)
仏教もその他宗教も後の「人間」が一面を強調したり、作る変えているのは仏教でも日蓮正宗でも創価でも同じです。
>考えが及んでいたか、またその危険性を意識できなかったのか、
これは最初の出発点の議論と同じで自分が正しいと思ってるわけですから、考えも及んでいないし危険とも思ってないです。
>その完成されることはない・永久に伝言ゲーム
今はむしろ、ちゃんと伝わっているか否かの方が歴史的にも宗教学的にも問題です。
創価に限れば大御本尊、御書の偽物扱いは決着が付きません。
>「己の信ずるまま」とよくいいますが。全ての宗教・宗教にはあまり関わらないという全ての人が、答えはこれに尽きると思ったら、人生は全て己だけで事が足りてしまうのではないだろうか。自分さえいればいいということ・他人の考えは自分には関係ないということです。他人と関われないということです。それは自分が「信じている」ということだけが、外界と内界(自分であったり、組織であったり)の情報を計る基準になるということではないだろうか。そういう内容を「己の信じるところ」という言葉には含まれてしまうことに何か感じたりはしませんか。それを踏まえた上で、己を通すこと(自分を曲げないこと)はそんなに立派なことだろうか。
宗教者への批判として文だとは思いますが、自分が「正しいと思う」考えを人に「押しつける、布教する」のが宗教です。
たぶん、一般の人と同じ「宗教は押しつける物じゃない、特に創価。」という批判だと思うのですが、こんな答えてすいません。TELでここは御話したいくらいです。意味不明だったらゴメン。私もあなた言うことを100%理解していないかも。
ここの回答で遅くなりました。
>「宗教者」にはさらに疑問がある。 (中略) 押し付けるものでもなく、一緒に背負えるものでもない。
一般論として同意します。
>一本道を歩くことになった人達の行く末に、どうか救いがありますように。もう、祈りみたいなものになってしまいますが。
あなたの疑問の果てに結果として「宗教」なのですよ。(笑)。皮肉っぽいですが開祖も信者もあなたと同感だから「宗教」するんでしょう。(笑)この考えを突き詰めていくと宗教にはまる可能性が出てきますよ???(笑)ホントに。
>いや、そもそもトピック違いなのかもしれません。
話がこのように広がるのは問題ありません。
これは記事にしようかどうか迷ってます。麻原や教祖、教祖も教育される、という意味でもネタが出来たんですが、一般論に終始するのでそうした物かと。。。。。。うーん、どうしよう。
すごく良いコメントなので色々考えたいです。もちろん、皆さんは自由にコメントして頂いて結構です。
>悪とか正義とかそんなもののない世界をみせてあげてください。
誤解させてしまったかと思いますが、「創価学会」に対して何も把握していないわけではありません。
「日蓮系」において、本望なところが「正義のために」とか「悪を討つ」とかと解釈しております。
(他宗は邪教とのこと…)
(その内容は様々だと思いますが<池田教の側面も含め・池田教という言い方で申し訳ないですが、手っ取り早いので使用)割愛させて頂きます>
宗教についてですが、
多様な宗教者にいいたいのは、本人が死んでもなお、それに巻き添えになっているもの達がどういう道を進むことになるのか考えたことはあるのか。
その責任もてますか。もてるはずがないでしょう。(死んでるから・生きてても同じ。人生はやり直せないから→その時代に戻ることもできないし、同じ時は一度としてないという意味でです。)
宗教者・開祖などはやりっぱなしだと思いませんか。
造りかけ、皆途中で死んでしまうから完成されたものではない・逆に完成されるはずもない(これは、私の主観でしょうか(笑)
過去の人(日蓮とかキリストとか仏陀とかでもあてはまる)がその時代の社会の中で持った意思を伝えていくことが後世にどう伝わるか考えが及んでいたか、またその危険性を意識できなかったのか、
つまり、「人間」というものを理解していたのか。
それ自体も疑問である。
そしてその完成されることはない・永久に伝言ゲームみたいなものを「完成」するものだと疑わず・過去の人、創始者らの研究・実験に、今を生きている人達がとらわれることを予想できただろうか。
彼らや、その他の神格化・もしくは信仰の対象化されているもの・人・習慣・風習・尽きるところは「文化」になってしまいますが(笑)
そういう「文化」間の摩擦について、
その文化以外の、他人を理解することにおいて、
その文化以外の人に、共感することにおいて、
その文化以外の、自分の考えをもつことにおいて、
「文化」という行く末を考えていたか。
「己の信ずるまま」とよくいいますが。
全ての宗教・宗教にはあまり関わらないという全ての人が、答えはこれに尽きると思ったら、人生は全て己だけで事が足りてしまうのではないだろうか。
自分さえいればいいということ・他人の考えは自分には関係ないということです。
他人と関われないということです。
それは自分が「信じている」ということだけが、外界と内界(自分であったり、組織であったり)の情報を計る基準になるということではないだろうか。そういう内容を「己の信じるところ」という言葉には含まれてしまうことに何か感じたりはしませんか。
それを踏まえた上で、己を通すこと(自分を曲げないこと)はそんなに立派なことだろうか。
「宗教者」にはさらに疑問がある。
そして、疑問をもっている私も無宗教という宗教者ではないだろうか。社会という宗教に影響されているとも考えられる。
そのように、私は宗教をとらえている。
だれしも自分の考えが唯一・オリジナルではないかもしれない。
その考えを持つようになったのは、どこで。
その環境はなぜ。
少なくとも、一人一人の人間に全ての原因は押し付けられるものでもないし、押し付けるものでもなく、一緒に背負えるものでもない。
人にはいろんな道がある。
道によっては他の道を選択することのできない一本道もある。
大多数の人(いろんな交差点があり、他の道も選べる人)と融合することができない一本道を歩くことになった人達の行く末に、どうか救いがありますように。
もう、祈りみたいなものになってしまいますが。
自分の大切な人がその道しかすすめないと想像して頂くと一番伝わりやすいのでしょうか。
特定の宗教を指定しないのは、道が違うのだとしてもその一本道だと私が思っている道に横道や交差点が、ひょっとしてあるかもしれないという期待と、色んな人が自分に置き換えて考えれるかもしれないと思いましたので、指定はしませんでした。
ちょっと意味不明でしょうか(笑)
いや、そもそもトピック違いなのかもしれません。
なぜだか、「創価学会嘘つき」さんはそういう世界のことを両方知っている方だと思いましたのでお考えを聞いてみたくなり、またここに集まる人達はどういう意見をお持ちになるのか、様々な答えを聞いてみたくなりまして、コメントさせて頂きました。もちろん素通り頂きましても結構です。
勝手ながらだらだらと申しましてすみません。
長文読んで頂けて恐縮です。
ども。
>どちらが深い地獄に堕ちるでしょう?
麻原は人を殺しているからな。
>なんともさん
>恐ろしいと思うのはやはり教育です。
>信じる道が違うというところなのでしょうか。
>生きる道が違うというのでしょうか。
そうです。道が違います。これは創価がはっきりとそう言いますし教えますし、歌にもします。創価学会の中部の歌には
http://noboru_shirai.at.infoseek.co.jp/new_page_96.htm
こんな歌があります。どの歌もこんな軍歌のような感じです。
「我らの」「道」です。
http://noboru_shirai.at.infoseek.co.jp/new_page_11.htm
>悪とか正義とかそんなもののない世界をみせてあげてください。
ん、だからね。創価思考だと創価学会員は皆、正義、幸福ってのがあります。
在籍しているだけで守られるとか、最近創価学園と池田氏の話題をとあるブログの人に
書いたんですが、創価学園生は先生に守られている とか、受験しただけで「池田先生は受験して落ちた人もみんな学園生だ」と言う美談があります。
グーグルで「創価 学園生 池田 JR 先生」で検索して
キャッシュページにあるけど
「アタシの知ってる「創価学会」」を探してクリックしてください。
-------------------
「学園生は誰も事故に巻き込まれなかったから護られたってみんなや先生とも話したの。そうしたら先生も学園生は池田先生から護られているから当然なんだよ。って話してて~。私もそうだな~って思って感激しちゃった。」と。
-------------------
あの事故でも創価の人が亡くなっているし、その想像力に欠ける発言は子供とは言えお気楽すぎます。創価の人は良くも悪くも、楽観主義者です。実際に池田氏は「楽観主義でいけ」と教えますので都合の良い解釈しかしないのです。周りからどのように見られてもね。見られていても恥ずかしくないってのが創価です。未入信かもしれなくても創価学会員の家族だっていたでしょう。
>恐ろしいと思うのはやはり教育です。
もう一度引用しますか、それが創価教育です。
(実はyucchiさんが書いていた夜回り先生のことはnanaさんも自分のブログで書いていたようですね。今知りました。でも同じそうかでも微妙に思考は違うようです。)
>宗教者に問いたいのはこういうところなのですが。。。
同感です。
恐ろしいと思うのはやはり教育です。
しかし、切り捨てる思考にはとてももって行けませんが、信じる道が違うというところなのでしょうか。
生きる道が違うというのでしょうか。
理解できるけれど、同化できない。
人の考え方、思考回路が悲しくて怖いと思ったのです。
子供の頃には何が問題かが分からなかっただけに
大人になってからのそれぞれの立場からたった溝は埋めることはできないのかもしれない。
また、埋めようと努力すればするほど砂場に足を取られるように助けようとする相手がもがく苦しむ様を、また自分ももがき苦しんで、沈んでいくだけで、誰も救われないのかもしれない。
反対側からみたら、なんて悲しい人達だと思っても、その中で楽しそうにしているのをみると、そのほうが例えまわりから非難されようとも彼らの為になるのなら、
もしかしたらこちら側のものさしで計っているのが当たり前に思っているのならば、、、いつか彼の幸せに結びつくとしたならば、、、
全ての何かを信じる人達にせめて何かしらの救われる道を用意してくれているのならば、悪とか正義とかそんなもののない世界をみせてあげてください。
宗教者に問いたいのはこういうところなのですが。。。
池田大作早く死ねば良いのに・・・。これ以上罪を重ねる前に・・・。もう手遅れか・・・・、麻原しょうこうと、池田大作どちらが深い地獄に堕ちるでしょう?
>2006-05-30 01:12:16
>「あなたの書き込みを読んで御書を読むのがやっぱり嫌になってきました。」
>↑あなたのような人は、どんなことでも、都合が悪くなれば他者に責任転嫁するよ。
大学生などの人が折伏を受けている可能性は高いので、念の為わかりやすく書いておきます。
創価は日蓮「のせいで」御書(遺文)に感動して信心します。
創価は池田大作氏のスピーチや新聞の手記を読んで感動していますので
池田「のせいで」感動して信心します。
この「せいで」は「おかげで」ともそっくり置き換えられます。
この「せいで」は「おかげで」との違いでしかありません。
良ければ「おかげで」悪ければ「せいで」です。
だから、常にいつも創価だって「人のせい」なのです。
>↑あなたのような人は、どんなことでも、都合が悪くなれば他者に責任転嫁するよ。
創価だって、都合が悪くなれば、竹入や日顕のせいにしています。
御本尊や信仰は悪くない、「人のせい」ってね。
分かっている人は分かってるでしょうけど。念の為。
どもこんばんは。
>前の謝罪は形だけの謝罪だったんですね。
ですね。
>他のサイトに荒らしをする
暴言こそ吐いていませんが、巡回してあちこちでやってます。
>創価瓦解さん
>コメントは即時削除或いはコメントできないようにするのがいいでしょう。
いえ、今度コメントしたら、問答無用でメールを公開します。
>これまでのコメントは消す必要はない
ありえません。永久保存。w
>反論を書くなどということはしないほうがいいと思います。
えーと、既に彼女への質問は皆さんにもお断りしています。
>アンチブログにコメントをすることは決していいこととは思われません。
http://blog.goo.ne.jp/soukagakkai_usotuki/e/37fb9552ddc62e50f63166177ed5f9d6
>(そうすると、やっぱり、nanaさんはちょっと病気かも。私はアンチなので信心のお手伝いはもう出来ない。だけどなんとか信心とネットの両立をして頂きたい。そうでないと、ネットで上手く行かなくて鬱(だっけ?)とが酷くなると私としても不本意で困る。何度も書いているが、アンチでも創価でも健康幸福が良いに決まっている。だからnanaさんのお気持ちをどうしても聞く必要が出てきた。)
ええ全くです。これを書いた上で、同様のメールを彼女に3回も送ったんですけどね。
無駄でした。
>嘘つきさんは、御自分の考えで、一番いいようにして下さいね。
どもyucchiさん。サンクス。
心根の芯から腐っている人間の病を言い訳にして、好き放題の後始末は、たくさんです。私でさえ、そう思うのです。
人格障害者が、私に対して「酔ってる」なんておこがましいにも程がある。嘲笑ですw。
嘘つきさんは、御自分の考えで、一番いいようにして下さいね。
ですからnanaさんからのコメントは即時削除或いはコメントできないようにするのがいいでしょう。
これまでのコメントは消す必要はないでしょうが、今後はコメントが来てもそれを消さずに反論を書くなどということはしないほうがいいと思います。
これまでのコメントで充分に異常性が明らかになっていますので、これ以上はもういいでしょう。
病の周期によって再び穏やかなコメントをしてくるかもしれませんが、本人の病にとってアンチ・ブログにコメントをすることは決していいこととは思われません。
feederさんの心配事は既に起きており、そこでは「nanaさんは病を得ているので」ということを書いておきましたが、どうなるか気になります。
nanaさんのコメント見ました。あの言動を見る限りやっぱり前の謝罪は形だけの謝罪だったんですね。
今後の彼女の動向が気になります。また、他のサイトに荒らしをするんじゃないかと…
ども。
>笑って済ませる程度の話ではなく、すでに犯罪レベルの暴言でしたね。
ええ。なんというかあそこまで酷いと私はどういうわけか白けてしまうんですよね。それで平然と返事コメント出来てしまうのかな?
>同じ罵倒がなされるのでしょうね。事情はどうあれ退転者
彼女は自分のブログでそう言ってましたね。まぁ創価ならバリ活でも一般信徒でも誰でも思う人はそう思うでしょう。
私でも姉歯氏は創価信仰を抜きにしても庇うのが難しいです。
批判のモデルケースになっているといいんですけどね。罵倒しなくても批判や指摘は出来ます。
匿名のブログですから名誉毀損罪や侮辱罪になるかどうか微妙ですが、直接会って話をしたりしたときに同じ言葉が出てくるなら、立派な犯罪者となる可能性が高いと思います。
大森夫妻や姉歯氏の奥さんに対しても同じ罵倒がなされるのでしょうね。事情はどうあれ退転者ですから。
>お互いに意見を交換したりできると思います。
そうですよね。
>私は、そういう嘘つきさんの「不軽菩薩の心」が好きですよ。
>私だって嘘つきさんから「気付き」を貰うんです。
恐縮です。
人を簡単に馬鹿にしてはいけないことは小さな頃から理解していましたが、仏教哲学が理論的な裏付けになり、創価で学んだ事の一つ。といえますね。(但し、それは一般宗教にも言えることであると思ってます。)
>また、見てる人は見ています。
>ぜんぜん学会と関係の無い人が、ちゃんと評価されています。
1-21のどこかは忘れましたが、コメント内でアンチの人に注意したところ、私がアンチの人にも的確に反論して欲しい。と言ったところご理解頂けたようです。その後コメント頂けていないのが残念ですけどね。
イエスキリストさんだったかな?どの記事か覚えていませんが、かなり初期記事のはずです。
アンチの人にも出来るだけ的確に反論して欲しいです。そうすれば、創価にだまされる人は圧倒的に少なくなると思います。
一応書いておきますが、私はtabukenでもnanaでも誰に対しても、馬鹿とか闇とか そんな言葉ほとんど書いていないと思います。 いいかげんにしろ、という「動詞」は書いても馬鹿とか闇とかの名詞はまず、書いていません。もちろん思ってもいませんし。>アンチの人。
モデルケースになっているといいんですけどね。
今回の件でどれだけのアンチが出来たかは不明ですが、創価の人の思考は分かって頂けたでしょう。たぶん。nanaウオッチの人が大勢いるのはもう間違いないみたいです。私自身驚いています。あのアクセス数には驚きです。
ホント、彼女はネットやめさせないと創価の評判は落ちるだけでしょう。
改めて書きますけど、彼女はブログで唱題5時間とかたびたび書いていました。でも病気を直すことも性格を直すことも周りから批判を浴びる境涯(きょうがい:創価用語、人間の徳の多い少ない、あるいは人徳、性質)も何も変えることは出来ませんでした。
すごく変わったね。いい人になりましたね?なんて彼女のどこにもありません。
これが御本尊の功徳という物なのでしょうかね?>創価の人。
継続して暴れさせた方が、折伏を受けている人にとってはアンチブログとして、そのほうが良かったかな???(笑)かといっても、はったり特急のように荒れるのは良いですけどtabukenやnanaのような荒れ方では得るものないですし、困ったモンです。
>もし気に障る部分があったら
>気持ちを批判しようと思っていませんから、そこは御理解下さいね。
とんでもないです。全くないです。こちらこそきつい言い方して申し訳ない。メールがたくさん来ていて返事が大変だったりしてます。nana擁護のメールなんて一つも無いですけどね。
状況が状況なのでどうしても正確に書く必要があり、厳しい言い方になって申し訳ありません。私もyucchiさんのおっしゃることは(宗教以外は)一般論としても人間論としても全部正しいと思います。
今後ともよろしくお願いします。m(_ _)m
パンサーさん
ああっ「それ」を遂に言ってしまったのですねっ
アタヽ(д`ヽ彡ノ´д)ノフタ
ご無体な(爆)。まさしくビンゴです…、色々と御世話になっていたのですね。本当に有難うございました。
今後とも、宜しくお願い致します。
嘘つきさん
>私だって先ほどの上のコメントどおり、yucchiさんの体験をネットで見て得る物も有るし、腹が立つことも意見が違うこともあります。
それは、違う個性の人間だし、今迄の自分が、生きてきた背景や、経験のあれこれによって違ってきて当たり前です…。
私、嘘つきさんのブログみてて、「ああ、ここは自分とは違うなあ」って思っても、腹が立つとか全くないんですよ。いや、本当に。
多分、年齢のせいかなあ…ハハハ。
>アンチと創価ですから明日はyucchiさんと私でパイ投げやっているかもしれません。
冗談ではないですよ?
そのお気持ちもわかりますよ、でも少なくとも、嘘つきさんは、どんな方にも礼を尽くしてこられている。私は、そういう嘘つきさんの「不軽菩薩の心」が好きですよ。あなたは、そういうの忘れていませんよ。
また、見てる人は見ています。嘘つきさんの我慢とかnanaさんの暴力とか、ぜんぜん学会と関係の無い人が、ちゃんと評価されています。「どっちが宗教家として、また人間として善い価値があるか」。大空さんだけじゃないんです。そう素直に感じる人は。
>もちろん喧嘩なんかしたくないですけどね。
喧嘩しなくても、違う部分がたくさんあっても、お互いに意見を交換したりできると思います。
私だって嘘つきさんから「気付き」を貰うんです。
先に書いた事で、もし気に障る部分があったら申し訳ありませんでした。
決して嘘つきさんの気持ちを批判しようと思っていませんから、そこは御理解下さいね。
じゃあ何のために議論するかというと、議論や意見交換、体験交換することで人生や今後の参考に出来ます。
こんばんは。
>例えば「日蓮の優しさ」はどの御文に出ているだろうか?と。
そんな時間も気持ちもないです。
そもそも曖昧すぎる指標ですので無理ですね。上記の通り、文永12年前後の物を読もうと思ってましたが、やめてます。どうもでした。
>「仏教は嫌いだけど、あんたの事は好きだ」とか言う人が出てきても、不思議はありませんよね?
そう言う意味ではkousanさんはいい人柄だし好きだといえますね。tabukenとかnanaとか、あの辺はもう嫌いです。nanaは私がずっと我慢してコメント禁止にしなかったのを「全然、想像も察知も理解もしてなかった。」ということでした。
彼女は批判されていても、()付きや?マーク付きで自分がちょっとだけ遠慮されているのに気が付かない。
宿命転換、人材、師弟不二が聞いてあきれます。
「何にも変わって無いじゃないか?」
これだけ迷惑をかけ続けても暴言を吐かない限りはコメント禁止にしませんでした。今回の最初の謝罪撤回でもうほとんどコメント禁止にするつもりでしたけどね。
創価の中にもメールやコメントのお返事も頂けていませんので、人柄はやや疑問ですが(笑)絶対平和の獅子・・平和日記 桜@青い太陽さんの意見はおおむね同意出来ます。アンチでも創価でもどちらでも、いい人は良いし悪い人は悪いし意見が合う人は会うし、駄目な人は駄目でしょう。そんなことはネットする以前から分かっていることです。
そんなことはyucchiさんだけじゃなく私も誰でも。。。。分かっているはずのことです。。
私だって先ほどの上のコメントどおり、yucchiさんの体験をネットで見て得る物も有るし、腹が立つことも意見が違うこともあります。アンチと創価ですから明日はyucchiさんと私でパイ投げやっているかもしれません。冗談ではないですよ?もちろん喧嘩なんかしたくないですけどね。
じゃあ何のために議論するかというと、議論や意見交換、体験交換することで人生や今後の参考に出来ます。実際、創価で折伏を受けてネットで調べるでしょう?79番に書いたとおりです。創価だって指導と称して先輩や友人に指導を受けたり相談に乗ってもらっているでしょう???リアルでもネットでも誰でもやっていることです。
喧嘩に近いやりとりは有る程度覚悟はしていました。「ネットだけ特別だ。大丈夫だ」なんて創価の甘えでしょう。
暴言なんて論外でしょう。一般人である大空さんに「阿修羅」って言われる創価学会員。。。。。。。。。。
昨日は5/29(月) 1652 pv 345 ip 538位(558332 BLOG中)これはいつもの7,8倍のpvです。IPも300は初めてです。いかにnanaさんが見られているか?これはもう何度もコメントしてきました。65番の記事にもなっています。
自分の体験や思ったことをネットに書くのは色々明確になっていくので意味や価値があると思います。
創価学会の彼女との関係 - livedoor Blog(ブログ)
http://blog.livedoor.jp/canary_wind/
創価の彼、無宗教の私
http://blog.goo.ne.jp/cho-coco
こういうふうにブログでも出来つつあります。
>嘘つきさん、御書を全部読むのも大変と思いますので、何か一つ疑問点を頭に描きながら読んでいくと良いと思います。例えば「日蓮の優しさ」はどの御文に出ているだろうか?と。
>yucchiさん、もしかして、2チャンネル創価公明判のゆっちさんとは違いますか?ゆっちさんとは何度かレスを交わしたことがあります。
>偶然なんですが、ネット上で天台教学を学習し、現在、日蓮教学を学習している人と、ぼちぼち意見やら何やら交換しております。
私も日蓮教学を学習しているところです。日蓮の文章は、現代の宗教家からも「名文」との評価があります。また、「日蓮の優しさ」にも定評があるのですが、私はまだピンときません。できましたら、意見交換をしている掲示板?に参加させていただきたいのですが。宜しくお願い致します。
嘘つきさんや、こちらを見ている人全員(たった一人を除く)は理解できると信じています。
教学試験って何の為にあるんでしょうねえ…
(・ε・)プップクプー♪
いつものことながら、おっちょこちょいを受け止めて下さって有難うございます。(ノ∀`)タハー…。
不軽菩薩って説話にありましたよね?
あの説話が、本当にあった話と仮定して、以下を書きます。
あの菩薩さんは、仏教に縁していない人にも、敬い、頭を垂れていたんですよね?
その長い積み重ねの時間の中から
「仏教は嫌いだけど、あんたの事は好きだ」とか言う人が出てきても、不思議はありませんよね?
不軽菩薩さんを見習おうと行動する人も、いたかもしれませんね。
別に仏教を信じてなくても、題目を唱えてなくても、人の振る舞いを不軽菩薩さんから学び、行いをした人も又、尊い人であると思います。例え、題目を上げたり仏教に帰依しなくても、やっぱり、そうだと思います。
>ご無沙汰しています。
>覚えられているか不安です(笑)鶯音です。
覚えていますよ。至氏の時にコメントを何度か頂いた人ですね。
>びっくりしました。また元に戻ってしまわれたような…
驚きました。突然戻るみたいですね。
>お話が通じる
>残念です…。
通じてませんね。残念でもないでしょう。
>モモさん
>心を病んでますから何を言っても無駄
同感です。
>私の創価の友人で15年以上精神科に通ってる人は学会活動や題目をあげるのを禁止されたそうです。nanaさんもそうとう重症だから活動をやめたほうがいいみたい。
私は医者でないので何とも言えませんがネットして激怒するならやめた方が良いですね。そもそも医者はこのこと知らないでしょうね。きっと。ネットで怒らない訓練をしているのかもしれませんが、ゴメンです。
お返事が遅くなりすいません。上の状況だったのでw
>組織にしがみつくが、信仰心はない。
>この人達は、「振る舞い」が変です。他者を無意味に傷つける
>自分が気にいらない人には仏の命がないと思うから、感情のままに攻撃して平気。勿論、どんな人にも飢鬼の生命もあれば、修羅の生命もあります。
なるほど理解しました。
>たまたまね、握手してもらったんですね。柔らかくて温かい掌でしたよ。
ブログを読みました。偶然とはいえよかったですね。
>「日本は『言霊』の国。人を傷つける言葉、責めたてるキツイ言葉は言った方が責任を取るようになっているんです」
良いお話ですね。
ではでは。
私の創価の友人で15年以上精神科に通ってる人は学会活動や題目をあげるのを禁止されたそうです。
nanaさんもそうとう重症だから活動をやめたほうがいいみたい。
今後とも宜しくお願いします。
>「生活のために幹部をしている人もいる」はあ?いまさら何言ってる。そんなの、わかりきったことじゃないか。給料もらってたら、実際問題志が低ければ、お金をもらう手段にだって成り下がるかもしれない。
>この時点で宗教じゃ無いですから・・・・。わかりませんか?
そうですそうです、そこの「文底」をフォロー有難うございました。
本当に、人を救いたかったら、生活は最低限でいいはずです。
その多くは「地獄に落ちるわよ!」と睨む細木某子の集まりであるように感じます。
震災があっても、寄付もしないで、指に何百万もする宝石の指輪を付けているみたいな。
これが何の比喩であるかは、大空さんには説明がいらないでしょう?
嘘つきさんへ
「はったり」のこうさんからも「信仰者として以前に、人間として失格」と評された存在ですからw。
これ、もしかして私の事ですかあ?
「酔ってる」って何でしょう?
あんた虫けら以下だよ。
> あなたと同じ思いを抱えながら、「バリ活」として活動している人間もいる、いや、それが大部分だろう。それをご存知ないように思える。
意味不明の文章の垂れ流し。失せろ。
もしかしたら2度投稿になるかな?
あなたがしていることを許すことはできません。」
私は池田大作がしてることを許すことが出来ませんが・・・、何か?
tabukenのように消えなさい!!!
nanaさんがブログをおやめになったときあたりはだいぶ落ち着いていらっしゃるように思えたのですが…びっくりしました。また元に戻ってしまわれたような…
お話が通じるようになっていたと思っていたので残念です…。
「いつまでもいつまでもいつまでもいつまでもしつこくしつこくしつこく学会のせいにしつづけて」そりゃ学会が果てしなく、とんでもなく、最悪だからでしょう。山口組より悪いよ・・・。
nanaさんも良い人なのはね、信仰深いのはわかるけど・・・。宗教間違えちゃったね・・・。残念(_ _。)・・・シュン
「生活のために幹部をしている人もいる」はあ?いまさら何言ってる。そんなの、わかりきったことじゃないか。給料もらってたら、実際問題志が低ければ、お金をもらう手段にだって成り下がるかもしれない。
この時点で宗教じゃ無いですから・・・・。わかりませんか?
「学会員は純粋すぎて、世間知らずなのか」中にはそういう人もいるかもね。でもほとんど阿修羅霊に憑りつかれてる・・・。あなたもねnanaさん。
園児服来て、黄色いカバンさげて泣きながら言ってるみたいだよ!
しっかり自分を見つめなおしてネ!
↑あなたのような人は、どんなことでも、都合が悪くなれば他者に責任転嫁するよ。
「すべての人に仏界はある」が、その仏界は、ご本尊に縁しないと、表には表れてこない。残念ながらな。だから、お題目やご本尊が必要なのだ。
だから、広宣流布が必要なのだ。仏界が表に現れてこないうちは、にんげんは容易に争いや不幸な運命を繰り返す。
yocciさん、あなたも、ご自分の言動に酔っているように思う。
あなたと同じ思いを抱えながら、「バリ活」として活動している人間もいる、いや、それが大部分だろう。それをご存知ないように思える。
「生活のために幹部をしている人もいる」はあ?いまさら何言ってる。そんなの、わかりきったことじゃないか。給料もらってたら、実際問題志が低ければ、お金をもらう手段にだって成り下がるかもしれない。それとも、学会員は純粋すぎて、世間知らずなのか?
「祈りが叶う」まで祈るがこの信心。あなたには、もともと信仰心がなかったということでしょう。それを、いつまでもいつまでもいつまでもいつまでもしつこくしつこくしつこく学会のせいにしつづけて、そのHNも気が悪い。
あなたがしていることを考えると、謝罪したのは間違っていたということです。あなたにマナーなど守る必要性はない。それ相応の接し方で十分だということですね。
言っとくが、あなたが最初に怒らせたのですよ。私をここまで怒らせることができるのは、なかなかいません。
迷惑をかけておいて、謝罪をしておきながら、撤回。私を怒らせて、毎日コメントするとか言いながらコメントはありません。言動が全く一致しません。コメント、および、メール、お断りします。当然会うことなど以ての外です。
以前に精神病を患っていたとのことですが、感情の起伏が激しい人だと思います。あなたには精神安定のためにも、私のブログのROMもやめるべきでしょう。
さようなら。
以上。
http://blog.goo.ne.jp/soukagakkai_usotuki/e/0c5d989c2b0ec70e7dea5df76ff170fb
====================================
あなたのルールには従いません (nana)
2006-05-28 13:21:37
あなたが、ご自分の行動をあらためない限り、暴れます。だって、許すことができないんですもの。
謝罪は撤回します。私があなたに謝罪したのは間違っていました。
あなたがしていることを許すことはできません。
まともにお題目もあげないくせに、批判ばかりするからです。
自分の正当性を証明するために、学会を貶めるものを利用しているからです。
文句があるならば、まずお題目をあげてからにしましょう。それもできないのならば、やはり、あなたは弱い、弱い、弱い、弱すぎるから、このようなブログなどで自分の正当性を声高に言うしかないのでしょう。
あなたは、弱くて、卑怯で、ずるいのです。自分の真の姿を知ってください。
ここは自分の言いたいことを書くブログですので創価に都合が悪かろうが良かろうが言いたいことを書くだけです。あなたや創価にとって都合が悪く「我が強い」だけだと思います。
残ってなければ、もう一度読む気はありませんか?
日蓮も法論の際に公の場で望みましたが、メールを公開してもOKですか?
再三再四、聞きますが折伏仏法対話でなくて、「マナーの問題について謝罪」を
求めました。あなたはマナーの問題について謝罪しました。
もう一度だけ確認しますが、
「マナーの問題について謝罪」したことを撤回するんですね?
この言葉は何回も繰り返しておられましたよ
「日本は『言霊』の国。人を傷つける言葉、責めたてるキツイ言葉は
言った方が責任を取るようになっているんです」
自分も、気をつけようと思いまーす(・(ェ)・)ノシ
先生は仰っていました。
「水谷のたった一つ、教職員生活で誇れる所。
どんな子供でも、水谷は怒ったり、怒鳴ったり感情的に叱責したりしたことがないんです。
どんな子供に対しても、そんな事しなくても、ちゃんと分かりあえるんです。素直になるんです。いい子なんです」
「それが出来ないのは、大人の責任です」
等々。
たまたまね、握手してもらったんですね。
柔らかくて温かい掌でしたよ。
あの掌で、大きく人の心を包み、シンナーや覚せい剤に手を染めている子供・リスカを繰り返す子供・悩む親の
生命の中の善性(仏界)を信じて信じて信じ抜く人の、大きな慈愛を感じましたよ。
キリストさんであろうと、日蓮大聖人であろうと、
その志が生涯あったことでしょう。
・組織には批判もあるが、信仰心はある。
ここ、分かりにくかったですか
ぽりぽり。
特に前者ですよね。
えっとですねえ…、「組織にしがみつく」もしくは「単に創価学会員である」でもいいです。この人達は、
「振る舞い」が変です。他者を無意味に傷つける事、自分と価値観が違う人を攻撃する事、周りの人に不愉快な思いをさせて平気な人…
ヤフー支部、でも職員さんが「生活のために学会にいる人がいる」って言ってるし…。「はったり」の中の(御名前は明かしません)方ともメールやり取りしていますが
その方も同様の事を仰っていました。
職員さんや私達に感情的だった人達は、創価学会の事や、池田名誉会長の事は必死で擁護していましたね。
でも、あれが信仰心の篤い人か、と問われたらノーですよね。
「釈尊の本懐は人の振舞い」
これが分かっていません、こういう方は。
また、他人に指摘されるまで「一切衆生に仏性がある」事に気が付かない人もそうだと思います。
自分が気にいらない人には仏の命がないと思うから、感情のままに攻撃して平気。
勿論、どんな人にも飢鬼の生命もあれば、修羅の生命もあります。
でもそれは本質に関わることでもない。と私は思います。
相手がどんな信仰をしていようがいまいが、学会の事が好きだろうが嫌いだろうが
その方の仏界に祈るような気持ちで接していれば、良い事ですよね。
ネットでも、パソを離れた世界でも。
・組織には批判もあるが、信仰心はある。
これ、こうさんや、あそこの住人さんの中の人(私も知らないが、副会長さんもいるそうだじょ☆)と簡単な例です
(m´・ω・`)m ゴメン…
言葉が足りなくて…!
ここで有る程度信用を得ていないのに会うわけ無いじゃないですか。
コメント禁止の一歩手前だと思ってください。とても怒ってます。
あなたの行動・言動はすべて、ご自分の私的な感情から出ているもの。あなたのその、異常なまでの我の強さが変わらないかぎり、あなたは根本から変わることは難しいでしょう。いえ。そもそも、ご自分がものすごく我が強いということに、気づいておられますでしょうか??
他の、一度も自分から求めて学会に入会したことのない方と、あなたは違います。
8月中旬に、私用で東京のほうにまいります。実際にお会いしてお話しないとわかりあうことは困難だと思いますので、お時間をとっていただくことはできないでしょうか??
nanaさん、http://blog.goo.ne.jp/sibelius
まず、あなたはここのnanaさん?間違いないよね?
今私が何してるか知ってますか?御書読んでます。理由は90番(ココの記事ですけど)読んでください。御書を読むのはまだ終わってません。
「あなたの書き込みを読んで御書を読むのがやっぱり嫌になってきました。」
●2.謝罪撤回
ルール違反をして私が喜ぶとでも???????????
あなたより性格も人格もより立派な「はったり特急さん」の管理人kousanさんのブログを読んでいて質問したところ丁寧にお答えが帰ってきたので読んでみる気になったのです。
別に題目をあげろ、って言っても良いんですよ?Neilさんみたいにね。
http://blog.goo.ne.jp/soukagakkai_usotuki/e/1ec965c3aa27cc353a604fd1ade30541
Neilさんの「ご自分で納得いくまでお題目あげて見られてはいかがでしょうか。」
あなたの「ルール守れない」とか、「謝罪は撤回します。私があなたに謝罪したのは間違っていました。」?????????????
どういう事ですか?破折しているつもりかもしれませんが、自分で何書いているか分かってます?
わたしのブログにはあなたは滅茶苦茶ひどいことは書いていなかったはず。でも 「問題だったので謝罪を頂きました。」 もくじ1の
すぐに忘れちゃうnanaさんの備忘録(笑) '06年02月22日~
http://blog.goo.ne.jp/soukagakkai_usotuki/e/de69801af635bcc4ded5f13de3018651
あなたは他でどんな書き込みをしたのかはよく知っています。SOMAさんがココに書いてくれました。残ってます。同じく
http://blog.goo.ne.jp/soukagakkai_usotuki/e/1ec965c3aa27cc353a604fd1ade30541
http://blog.goo.ne.jp/akiako0322
とかね。
つまり何が言いたいかというと、私のブログでは他のブログほど滅茶苦茶なことは書いていなかったけど謝罪した。他のブログでも謝罪した。全部、無かったことになるの???それとも私だけ撤回ですか??? あなたが謝罪したアンチブログは未だに存在して学会否定してるんですけど?
思いっきり学会否定しているアンチブログはそのままにして、今、御書を読んでいる私だけ否定???????????一体、、何がしたいの???
2つも書き込んでどういう事ですかね?
あなたがしていることを許すことはできません。
まともにお題目もあげないくせに、批判ばかりするからです。
自分の正当性を証明するために、学会を貶めるものを利用しているからです。
文句があるならば、まずお題目をあげてからにしましょう。それもできないのならば、やはり、あなたは弱い、弱い、弱い、弱すぎるから、このようなブログなどで自分の正当性を声高に言うしかないのでしょう。
あなたは、弱くて、卑怯で、ずるいのです。自分の真の姿を知ってください。
・組織には批判もあるが、信仰心はある。
・組織に批判もなくしがみつき、信仰心もある????
正しい?理想的な?信仰心かは不明。はてな?
>日蓮教学には「癒し」や「慰め」はないのか、とか質問しておりますです☆回答があったら、お知らせしますね。
ブログには何もないのでメールですか?差し支えない程度に教えて下さい。もちろん、メールそのまま頂ければ幸いです。
・組織にしがみつくが、信仰心はない。
・組織には批判もあるが、信仰心はある。
この「組織」を「池田大作」と置き換える事もできます。又、「信仰心」を「自分に縁する者を大事に思う気持ち」とも読んで下さったら幸いです。
池田が師匠という信仰、になっている人は、学会の批判に耐えられないらしいですね。
偶然なんですが、ネット上で天台教学を学習し、現在、日蓮教学を学習している人と、ぼちぼち意見やら何やら交換しております。
今、その人に日蓮が言う所の「師」「弟子」とは何でしょうとか
日蓮教学には「癒し」や「慰め」はないのか、とか質問しておりますです☆
回答があったら、お知らせしますね。