どんな病気でも治る、願いが叶うなど、実に都合の良い事ばかり言います。そんな事はありません。私と同じ病気で苦しんでいる人を4人も知っています。誰も治ってません。4人中、4人、100%です。そのうち、一人の方をここであえて書きます。大物女性幹部で、かつ、お医者さんです。その娘さんもお医者さんらしいのですが、私と同じ病気で今でも苦しんでいるそうです。その親子共々、同じ病気の科(内科、外科などのくくり。)を担当しています。二人とも(例えば)内科だと思って下さい。親が池田氏に会うような大幹部で内科医で、その娘さんも自分が担当する内科の病気を治せないのです。
女性幹部の方は、納得がいかなくなった時に、退会しようか迷って学会本部に行った際に、会う事の出来た方です。その方も「昔と違ってどんな病気も絶対に治る、とは言わなくなった」(主旨)と言います。これは宗教詐欺です。本当にがっかりしました。
地区の人に退会を申し出た時も指導や病院の紹介という事で、同じ病気で苦しんでいる壮年部員に会いました。せめて治った人を連れてきてよ、って思い、がっかりしましたよ。念の為書いておきますが、同じ病気で苦しんでいる人同士で情報交換や、病院の紹介など、少しでも症状や気が楽にならないか?とか気配りや思いやりは学会側に有ったと思います。しかし病気には何の役にも立ちません。さっきも言ったようにがっかりしただけですし。
その人はすぐに連絡を一切くれなくなりました。創価家族(コレも後で書きます)とか美しい言葉がありますが、見せかけです。
折伏の際に「創価学会は一人一人を大事にしていく。とか誠実、誠心誠意に折伏し、どこまでも面倒を見ていく。」こんな指導は見せかけです。もちろん家庭訪問や会合参加を断っているのは私自身ですが、信心の話以外ならかまいませんし、自宅に来てもらってもかまいません。でも学会の人は信心の事しかありません。
何処に功徳や福運(願っていなくても思いがけない幸福にめぐりあう事)があるんでしょうか?誰でも願いは叶うとか嘘です。
別に全員宝くじ一等賞に当たりたいとか言う願いではありません。(いや、誰でも実際に当たりたいですけどね。(笑))
それとこれと一緒くたにされ、叶わない事がある、といわれても困ります。
池田大作氏みずから、「願いは叶わない事もある、しかし後で意味があると思えるようになる。」(主旨)当時は先生マンセー状態なので自分の病気はいつか治って他の願い事で叶わない事があるかも、ぐらいに考えていました。というよりも全部、いつか叶うと信じていました。ところが病気は増え、そのうち取り返しのつかない治らない病気をしてしまい、働く事も出来なくなるかもしれません。意味なんかありません。不幸なだけです。年齢を重ねて決して若いとはいえない自分の病気が酷くなった時に信じられなくなり、信心を止めたくなりました。
私の入信動機は病気と人間関係ですが、結局十年以上たった今でも病気は治っていません。特に病気の方は5つ増えていて、入信後にも増えましたし、なおかつ、退転状態になる直前に病気が増えています。6/7≒85.7%で半分もクリアしていません。入信当時からの病気は10年経っても直す事は出来ませんでした。
人間、最後は病気になって死んでいくのは当たり前ですが、年齢が若い内の病気なら信心で治せると思いましたが駄目でした。 人間関係も結局10年以上たっても変わってません。絶対に病気が治るというのは嘘です。
私の知っている学会員さんでも、癌で亡くなったり、難病で亡くなったりしています。とある地区の男子部の地区リーダーも大変な病気になっていました。いい人でしたし、彼の事は好きだったので、治っていると良いんですけどね。
人間、最後は病気になって死んでいくのは当たり前です。もちろん、信心で病気を治したい人はご自由に。信心して願いが叶わなくて死んでも、死人に口なしですし、だれも責任は取ってくれません。どんな形でも死んだ時に学会員なら成仏という事になり、残った学会員さんは「生も歓喜、死も歓喜」(池田大作氏のスピーチより。)とか言って喜ぶかもしれません。
どこまで創価学会を信じるかは自由です。でも私は後悔しています。
06.02.09 文字を黒から赤に変更。nayaさん読んでね。
女性幹部の方は、納得がいかなくなった時に、退会しようか迷って学会本部に行った際に、会う事の出来た方です。その方も「昔と違ってどんな病気も絶対に治る、とは言わなくなった」(主旨)と言います。これは宗教詐欺です。本当にがっかりしました。
地区の人に退会を申し出た時も指導や病院の紹介という事で、同じ病気で苦しんでいる壮年部員に会いました。せめて治った人を連れてきてよ、って思い、がっかりしましたよ。念の為書いておきますが、同じ病気で苦しんでいる人同士で情報交換や、病院の紹介など、少しでも症状や気が楽にならないか?とか気配りや思いやりは学会側に有ったと思います。しかし病気には何の役にも立ちません。さっきも言ったようにがっかりしただけですし。
その人はすぐに連絡を一切くれなくなりました。創価家族(コレも後で書きます)とか美しい言葉がありますが、見せかけです。
折伏の際に「創価学会は一人一人を大事にしていく。とか誠実、誠心誠意に折伏し、どこまでも面倒を見ていく。」こんな指導は見せかけです。もちろん家庭訪問や会合参加を断っているのは私自身ですが、信心の話以外ならかまいませんし、自宅に来てもらってもかまいません。でも学会の人は信心の事しかありません。
何処に功徳や福運(願っていなくても思いがけない幸福にめぐりあう事)があるんでしょうか?誰でも願いは叶うとか嘘です。
別に全員宝くじ一等賞に当たりたいとか言う願いではありません。(いや、誰でも実際に当たりたいですけどね。(笑))
それとこれと一緒くたにされ、叶わない事がある、といわれても困ります。
池田大作氏みずから、「願いは叶わない事もある、しかし後で意味があると思えるようになる。」(主旨)当時は先生マンセー状態なので自分の病気はいつか治って他の願い事で叶わない事があるかも、ぐらいに考えていました。というよりも全部、いつか叶うと信じていました。ところが病気は増え、そのうち取り返しのつかない治らない病気をしてしまい、働く事も出来なくなるかもしれません。意味なんかありません。不幸なだけです。年齢を重ねて決して若いとはいえない自分の病気が酷くなった時に信じられなくなり、信心を止めたくなりました。
私の入信動機は病気と人間関係ですが、結局十年以上たった今でも病気は治っていません。特に病気の方は5つ増えていて、入信後にも増えましたし、なおかつ、退転状態になる直前に病気が増えています。6/7≒85.7%で半分もクリアしていません。入信当時からの病気は10年経っても直す事は出来ませんでした。
人間、最後は病気になって死んでいくのは当たり前ですが、年齢が若い内の病気なら信心で治せると思いましたが駄目でした。 人間関係も結局10年以上たっても変わってません。絶対に病気が治るというのは嘘です。
私の知っている学会員さんでも、癌で亡くなったり、難病で亡くなったりしています。とある地区の男子部の地区リーダーも大変な病気になっていました。いい人でしたし、彼の事は好きだったので、治っていると良いんですけどね。
人間、最後は病気になって死んでいくのは当たり前です。もちろん、信心で病気を治したい人はご自由に。信心して願いが叶わなくて死んでも、死人に口なしですし、だれも責任は取ってくれません。どんな形でも死んだ時に学会員なら成仏という事になり、残った学会員さんは「生も歓喜、死も歓喜」(池田大作氏のスピーチより。)とか言って喜ぶかもしれません。
どこまで創価学会を信じるかは自由です。でも私は後悔しています。
06.02.09 文字を黒から赤に変更。nayaさん読んでね。
人のブログを読んで書き込みするのが好きですねぇ。
この頃は「コメントを推敲する」というテクを身につけました(笑。よろしくです。
気づく、というよりもダイレクトに
不幸は宿命であり、使命に変える、とはっきり言われます。
それは新聞紙上でも見かけます。
私の記事を読んで欲しいのですが 使命と思ってました。
学会員にしかわからないニュアンスなのかもしれませんね。
了解。ネタが出来た。次は幸福感だな。
はい。その通りです。学会員さんのことは今でもキライではありません。
基本的には”自分と人の幸福を願う”いい人達の集まりです。
しかし、狂信的な人や一方的な人、通り一遍党の人はどうしてもいました。
これから書いていきます。
>よほど苦しい思いをされた
退転者の地獄行きも結構なプレッシャーです。それが教義ですから。特に病気が、ずっと苦しいです。絶望感しか有りません。
もう、書けるだけ書きます。
お察しの通り、私は初心者スレの1です。
なるほど、つまりnanaさんは”学会に入って使命に気づかなかったのか?”といいたかったわけですね。
邪推ですが、あなたの文章を読んでいると、今までの学会への苦悩、苦しみ、愛情が入り混じっており、よほど苦しい思いをされたように感じられます。私なんかがどうこう言ってもあまり説得力が無いのですが、前向きに頑張って下さい。影ながら応援しております。
そうそう、9日目のコメントの数、凄いですね。それだけ問題にしているという人が多いのでしょう。中には見たことがあるHNの方もおられます。
いつも、ありがと。(^o^)
>学会に入ることが自分の使命であると思わなければならないのですか?
創価学会やnanaさんを擁護したい訳ではないのですが、nanaさんは厳密には
学会に入ること=自分の使命である
とは言ってません。学会にはいる事が使命だったんだよ と言う人はいますし、
私が言われた記憶も、言った事もあります。基本的に仏法や創価学会の考えとしては
自分の入信動機=悩み事=「使命」
です。それが入信する事とイコールと思う人がいても、いなくてもどちらでもいいかと。
日蓮大聖人の仏法ではお題目を一度でも唱える人は「地湧の菩薩であり、使命がある人」という教義です。
苦しみや困難はその人が乗り越えるべき「使命」という事が創価学会の指導です。
だから入信して、信心やる気があると、この ”悪い”「宿命」を変毒為薬して”良い”使命と変えていこう、と思う人はいます。一応、希望を持たせる意味もあるのです。
もちろんどの様に受け止め、信心頑張るかどうかは本人次第なんです。今日の記事で書いたように私も使命と思ってました。
ただ、他にも苦しかった事は山のようにあります。時間を戻せたら戻して、信仰以外の事でやり直したい事もあります。しかし、祈った事すら叶ってません。
なぜ、学会に入ることが自分の使命であると思わなければならないのですか?それは学会のみの価値観であり、それを他人に押し付けるのはやめましょう。soukagakkai_usotukiさんも言ってるように、もし、あなたが学会の偏った価値観を他人に押し付けた後、押し付けられた人がsoukagakkai_usotukiさんのように後悔するようなことになったとき、あなたはどのように責任を取るのですか?また、取るとしたらどのような形になるのでしょうか?取らなかったらあまりにも無責任ですよ。
>いくら苦しいからと言って100%宗教に頼ってはダメです。
私の事でしょうか(笑)。?
宗教する人の事も認めてやって下さいね。
良い悪いや擁護、批判は自由です。
こんな輩が増え、更に特定宗教が国を独占するまでになると、やがて昔あった宗教戦争のような事になります。
結局宗教に頼る事で更に他の多くの人たちが不幸になる。これは駆逐行為そのものです。
宗教はあくまで習慣であって、自分自身の行動とお布施にまで介入するのは旧世紀の宗教じゃないか、考えが古いと思います。
つまり昔あった邪教集団と変わりないという事です。
創価反論する者には執拗に押し付けがましい事を言う行為もおどしっぽくてヤクザまがい。自分のお考えが第一。頑張ってください。
初めまして!
ブログに共感しまして、初めての書き込みさせて頂きます。私は学会の中であんなことやこんなことがあって(笑)、現在、非活動になった婦人部員です。どうぞよろしくお願い致します。
>nanaさん
nanaさんの言っていることは、あくまでいわゆる創価学会的な物言いであります。一方、soukagakkai_usotukiさんは、そんな創価学会に反論があり、勇気を持って創価学会をご自身の体験から検証するブログを立ち上げられたのではないかと思います。
勇気は、自分が変わる為の努力の1つではないでしょうか。
学会に入信すると病気が治るとか、全ての願いがかなうというのは、それを実現できるぐらいに自分が変われるということですよ。死にものぐるいで自分とたたかわないと、変われるものではありません。一体、どれだけの自分を変えるための実践を重ねての言い分ですか?