創価学会の信仰に功徳はあるか?

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281.夫婦恋人で信仰が違う時 その9の補足

2008年12月24日 21時24分33秒 | 夫婦恋人問題
 創価学会が医学等々を悪用している記事は必ず書きます。書かなくてはいけなくなりました。
なぜなら実はしばらく前の聖教新聞に社会心理学講座の記事が一面に載ったそうですね。
竹入氏の和解も「互いに誹謗中傷しない」ですって?どこまで末端の会員や多くの他者をバカにするんでしょう?
あるいは確信犯でやっているならばどこまで「人でなし」なんでしょうかね?

●気になる共通点

 時々夫婦恋人で別れる別れない等々の相談メールが来るのですが、いくつか気になる共通点があるのです。

創価などの日蓮正宗系信徒の言動は安易に信仰や宗教を理由に 「評価や立場、是非etcetcが決まってしまっている」 点です。
一般人側やアンチの説得する言動は出来るだけ信仰や宗教を理由に決めて欲しくないと私は考えています。

可能な限り時間を取り安易ではなく慎重に、そして基準は世間一般何処にでもある常識や道理でしょうか?

創価などの日蓮正宗系信徒の言動が時間を取らない、安易なのは私のブログでも証明されています。2chとか他のBBSもそうでしょう。
一回だけのコメントで「時間を取らない、安易」に誹謗中傷して去ってゆくのは言動が見られます。池田大作氏や学会本部も同じですね。

例えば奥さんが学会活動ばかりしてどうしても家庭を顧みないのであれば最終的にどこかで別れる等の決断しなければいけないのかもしれません。しかしそれでも
”出来るだけ長く時間を取った話し合いをする”
”説得する”
ということは必要かと。話し合いや説得する際にカルト活動と信仰活動、を見分ける事は重要です。
一般人側やアンチ側はカルト活動は否定するとしても、”カルト活動は否定する”事を

安易に口には出さない、
出来るだけ口には出さない、
出来るだけ我慢する、

その上で話し合いが必要だと私は考えています。口に出す/出さないは状況や人をよく見て欲しいと私は思います。、
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278.入信者には親よりもカルトメンバーに信用がある!?(その3) - 創価学会の信仰に功徳はあるか?
”子供の側から学会批判を口にするようになるまでは親側からも安易な学会批判は避けた方がよい”かも??しれません。
MCの解けていない子供が「学会なんてカルトに決まっているだろ!」みたいな批判を聞いてどう思うか???、、、想像してみて下さい。
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日蓮正宗系信徒の言動は極論というか、「必ず祈りが叶う、必ず幸福になる、必ずあいつは地獄にいく、あいつは魔だ!」決まっている事が多いです。
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278.入信者には親よりもカルトメンバーに信用がある!?(その3) - 創価学会の信仰に功徳はあるか?
カルト入信者の言動、例えば「仏敵を倒せ!」「日顕は魔だ!」「創価学会は謗法」「顕正会は邪宗」「日蓮正宗は日顕宗」などなど誹謗中傷、罵詈雑言
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仏敵とか魔というレッテル張り、決めつけ 「評価」「認識」 なのです。

●いきなりまとめ。

一般人側やアンチの説得する言動は出来るだけ信仰や宗教、教団都合の人間関係、教団都合の立場を理由に 「安易に評価」 したり 「安易に発言(言動)」 したり、安易に未来を可能な限り決めて欲しくないと私は考えています。

相手が学会員だからという 「立場や信仰を理由」 の1つにして結婚した人もいる様ですが、離婚は信仰を理由にしないで欲しいですね。
一般人側やアンチの側にも 「人を見る、人を評価する」 のに、カルトの影響は本当に全くないのでしょうか?
原始仏教や原始キリスト教(法華経も少しは?)人を好きになる事が目的の1つです。人に出来るだけ関わろうとする努力するのが目的の1つです。もちろんそれぞれが絶対とか全てではありません。

●一般人側やアンチは何を基準にしたら良いんでしょう?

 最近、日蓮系宗教教団に属さずに信仰は続けているある人と度々話し合うことがありました。
その話し合いの中で気がついたのですが、家族や恋人同士、あるいは友人などの人間関係おいてですが、


お互いに一般世間にも通用する「良心」とその「言動」この2つを探す事がテーマあるいはキーワード、あるいはきっかけになる気がします。


つまり「良心」から人としてのアウトプットとして良き言葉や良き行動が出てくるか?
思いやりや優しさが出てくるか?という事です。
良き言葉や良き行動から「良心」が出てきても良いと私は思います。
(慈悲とは言いません。仏教用語を安易に使うから騙されたり見分けがつかなくなったりすると思います。)

良心という 「共通の」「意識」「認識」 の問題だと私は考えています。

そもそも一般人側やアンチ側は日蓮や法華経、創価学会、仏教や宗教に必ず基準をおかなければいけない必要はありませんから。
一般人側やアンチ側は基準を○○しなければいけない、という縛りはないはずです。
一般人側やアンチ側は基準をおいてもおかなくてもどちらでもOKです。
別に一般人側やアンチ側が日蓮真筆遺文を引用して「創価学会員の言う事はおかしい」と指摘する事も全く問題ありません。
良心は多くの人が持っていますし基準も曖昧です。でもそれでいいと私は思います。

(ここで私、そううそがインターネットを通じて安易に口には出さない、ケースバイケースに我慢するなどの手口、手段、方法、手順を学会側にも公開していますが何の問題もありません。それどころが退会者が心理学や仏教学等々を言及”出来た”、この出来た過程や結果が重要だと私は考えています。つまりなぜ出来たのか?何をどうしたら出来たのか?ということです。)

●大事な会話。自然な言葉。自然な人間関係。

子供から(例えば)「お母さんにそばにいて欲しい。家にいて欲しい。それが私の幸せ。」と言えればいいのかもしれません。
お母さんの性格が好き。ご飯が美味しいので好き。とかね。自然な感情でしょう?
欲しい、好きとは私(I)から他者(You)へ向けた私(I)の感情です。
天魔とか畜生とか餓鬼とか日顕宗とか池田教とかの名詞じゃないでしょう?

母親から(例えば)「受験合格を祈っている」と言うのはいいでしょう。
過去記事に書いたとおり世間一般にもある「合格を祈る」「合格を願う」これらは良い事です。世間一般にもある事です。
でも「合格するには親の新聞啓蒙。ご供養。題目。折伏」ではないはずです。

「合格するには親の新聞啓蒙。ご供養。題目。折伏」が必要であれば、言葉の裏をとれば「子供は親の手助け無しには合格しない」
周りの子供に比べて 「劣った子供」 という結果でもあり、親がそう「認識」「評価」している事になってしまいます。
親と子供、それぞれが気がつくかどうかは私には分かりません。ケースバイケースでしょう。

「子供の幸不幸は親の新聞啓蒙。ご供養。題目。折伏」「子供の幸不幸は親の信心(カルト活動)で決まる」

これらは実は経文、特に法華経に書かれている精神と正反対だと私は考えています。
親はどんどん子供を信じなくなる、信用出来なくなる、ケースがあると私は思います。

子供の幸不幸が「親の新聞啓蒙。ご供養。題目。折伏。親の宿命転換」で決まるならばいつまで経っても子供は自立出来ません。
親が「○○しなければならない。」ので自分が子供の人生を決めてしまうのです。
宇宙のリズムだか妙法だか正法だか偽本尊だか改ざん本尊だかよく分からない理由で子供の人生が決まってしまうのです。
人によっては恐怖かと。
カルトは境涯とか罰論功徳論を用いカルト活動を煽りますから子供が成長しても不幸があると親の宿業、境涯であり信仰(カルト活動)が問われてしまいます。

本来は赤ちゃんの時は100%に近い状態で依存でも大人になったら100%に近い状態で自立のはずです。

学会員は子供はちゃんと自立している!といいたいでしょうが、カルト信仰におけるカルトな親子関係は 「悪しき依存」 のはずです。
自立しているのは世間一般と同じ努力、状況、過程であり、世間一般と同じ状況や結果の説明が学会員の口から出てくると思います。
「社会人として会社勤めしている!」とかね。世間一般と同じです。
別々の事をごっちゃにしていると思います。

日蓮正宗系信徒の親が大学合格まで、就職まで、結婚まで、等々MCされた中で子供への関わりの強弱、期限を安易に決めているだけにすぎません。
子供との関わり、強弱、期限なんて、つまり 未来なんて本当は一般の人もアンチも学会員も誰しもが分からない、のが正解だと私は考えています。

日蓮の予言は当たっていないでしょう?
あの予言は仏教が国家としての基準、哲学、科学、法律、常識だったので日蓮は結果的に予言になったのでしょう。
日蓮が信仰の力で雨を降らせたり、彗星を呼んだと思っている人には「日蓮の予言は当たった、当たっている」思いつつけるでしょう。
恐怖や敬意、高揚感、etcetcが 日蓮信仰を信じる人の心(心理)に大なり小なり悪しき影響を及ぼしていると私は考えます。

予言なんて経済学者から経済エコノミスト、細木数子さんだってやっています。
神懸かり的な予言なのか、分析や思考、判断による予測(予言)の違いでしょう。

以上。
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2 コメント

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Unknown (そううそ)
2008-12-26 00:31:36
Q、日蓮正宗系信徒の人は、なぜ「自分達だけが正しい」事に拘るのか?


203. そううそ (6) - 12/25 22:49
>○○さん
>ALL

>日蓮正宗系信徒の人
>なぜ「自分達だけが正しい」事に拘るのか?

「自分達だけが正しい」と教えられている事と
それを他者に言う事が幸福になると教えられているからです。

>組織で争う事自体が人の醜い姿
>日蓮の仏法そのものに対して悪い印象を与える

同感です。

そもそも日蓮が御本仏。つまり最も優れた僧侶。
法華経が最も正しい教え、法華経でないと人を救えない。

上記の様な認識から離れる事が出来ないようですね。

究極的には個人の自由であり、どうしても日蓮を好きとかなら信仰しても構わないとは思います。

日蓮正宗系の多くの人は全く一般仏教や他の経文を見ようとしません。その様に教えられているからです。

自分が幸福になる、他者を幸福にする、これらの方法は
法華経前提でなくてもOKなのです。
日蓮前提でなくてもOKなのです。
本尊も前提ではありません。
仏教でなくてもいいのです。
宗教でなくてもいいのです。

特定の宗教教団のみ真理が存在する。
特定の宗教教団でないと幸せになれない。

ここまでくるとカルトです。

http://www.geocities.jp/cultseminar/whatscult.htm


208. そううそ (6) - 12/26 00:12
○○さん
こんばんは。

Q。日蓮正宗系信徒の人は他者に「理解していない、頭が悪い」と言いますね。

それはそうですよ。

ちょうど今、自分のブログで草稿記事を書いていますが、
創価学会の教学を理解した、記憶した事そのものが
宿命転換であり、使命を果たした(過去形なのです。)事
であり、自己評価を上げる事であり、自己評価が上がった証拠ですから。自己満足とも言います。

ですから、「お前はわかっていない。」(私は分かっている)って正宗系の人はよく言うでしょ?

お前(you)は理解していない、
お前(you)は頭が悪い
お前(you)はわかっていない。
(信心が足りない。)
って言わざるを得なくなりますから。

正宗×創価、あるいは創価×創価どうしのバトルは
心理学的に見て非常に不健全だと思います。

罵倒誹謗中傷には呆れるというか、他者に怒る必要や許さない必要が出てくるあたり、可哀想ですね。末端の信徒は被害者でしょう。
返信する
メモ (そううそ)
2008-12-26 00:41:20
自分は相手を分からないという認識からはじめて、相手をわかろうとする、相手を好きになろうとする、それが宗教でありカルトは逆。
他者(you)にはむしろ自分を見つめさせる方向(ベクトル)となる。自分(I)は説得する立場なら自分も見つめ、他者も見つめる。
プンニカーおばさん。アングリマーラー、ゴータミーも。ブッダも。


お前は分かってない。私は分かっているこれからから始まって、他者に他者以外の事を分からせようとするのがカルト。副作用として許せない。見限る。怒り。
返信する

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