創価学会の信仰に功徳はあるか?

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407-2.創価学会に不可能な出版物と責任明記(その2)

2017年05月29日 01時05分39秒 | 日蓮系遺文
(前回からの続き)

3-4.遺文集解説本を学者が書く可能性はあるか?

 学者が書く場合、学会教学部が書くより信用はされるかもしれません。少しは、ですが。最大の問題は遺文集の解説本を一人の中心者で執筆できるのでしょうか?

 宮田幸一さん、小林正博さん、前川健一さん辺りに書かせて、会長は知らんぷり。
彼ら3人のうち一人、あるいは複数が書いて個々に記述した箇所を本人の記名、つまり著者名が明記できるのでしょうか?
遺文集の盗用と剽窃し、現在進行形なのが創価学会です。その学会のゴーストライターを学者が行い、学者名はないまま学会教学部として出版した場合、学者としてどうなんでしょうか?創価側からの謝罪がないと学者生命は終わらないのでしょうか?生命論が大好きな創価学会だけに「生も歓喜!死も歓喜!」なので無問題かもしれません。

 普通の本や教団なら複数人で一冊の本を書いても全く問題ないでしょう。日蓮遺文集の遺文選定や年代特定の研究に複数で取り掛かかるとしても、最後は誰か一人が決定して、責任を負うことが学会には出来無さそうです。
なお、学者が書くと必然的に「学者が上、池田大作が下」になります。
また、「原田会長あるいは次期会長が上、池田大作が下」という形で創価学会にしか通用しない都合で悪用されるかもしれません。

誰も責任を取らない形にするには、学者がゴーストライトし、池田大作か原田の著作として献上するのが一番でしょうか?

今現在の編年体の解説本を出すのも選択肢ですが、年表、独自命名の酷さ、異称の盗用剽窃、誤記や問題点などに「池田大作は今まで無視か放置していて何をやってたんだ?」という新たな疑問しか出てきません。

御遺文集の解説本は日蓮宗の本を見ると、きちんと研究した人、学んだ人でないと書けない、それと同時に
解説本を書けるくらいの人でないと遺文集の執筆の指揮も出来はしないと思います。きちんとした研究もせずに慌てて出すと、御書全集の二の舞いで出来の悪い解説本になるかもしれません。

(執筆作業は部下だとしても。)

 鈴木一成さんの本をとうようして、+アルファとして偽書や偽書濃厚な大石寺の相伝文書(6,7つ)を仏教学界隈が驚くくらいに真書であると証明できれば創価の大勝利!かもしれません。祈りや宿命転換で不可能を可能にするのが、創価の信心でしたっけ?

(4)創価学会から解説本は出さない選択肢

 創価学会から解説本は出さない選択肢もあります。が、平成新編について、日蓮正宗の学説を解説した本が出た場合、教学と教団トップのサポートの2つに上下関係が出来ます。(既に正宗の解説本存在するのかもしれませんが。)

 「正宗は上、学会は下」を嫌う創価学会側にとって最も嫌なケースかもしれません。

解説本が出ないと、所詮は「信徒向け遺文集」であると学会本部が認定し末端会員、会員サポートをバカにし、軽視した結果になると思います。

解説本がないままに新しい創価版遺文集が出ると、創価学会には研究、調査能力(仏教系宗教教団の教学力)がないことを二重に証明することになります。昭和二七年から今まで、それから加えて今現在という意味です。
学会教学部や東洋哲学研究所の存在意義ってあるんですかね?

私が過去、学会組織に依頼され、日蓮正宗寺院の盗聴盗撮したように盗聴盗撮能力だけは法灯連綿とあるのでしょうか?

(5)新しい創価版遺文集の作成記録

 遺文集編さんを何度も経験している日蓮宗の僧侶と比較して学会側は基礎的な研究と論文と経験が不足しているでしょう。(それでも遺文集は一から作ったほうが早い気がします)

 「何を底本として御遺文集の執筆者が誰で、何年何月何日、どの様に作業したかの記録と公表されるべき」です。複数の担当者がいる場合はそれも明記すべきです。執筆担当者だけでなく、校正担当者も聖教新聞で明記すべきでしょう。なおかつ事前計画と執筆進捗も公表されるべきでしょう。2ヶ月おきくらいで経過を公表するなら負担はないでしょう。なにせ学会本部は高学歴の人ばかり集まっているそうですから。
 創価学会は裁判好きで、「敵対者に対して執拗に、何時何処で誰が何をしたのか明確にしろ!」とよく書いていました。
 日顕が日達氏から血脈相承を一九七八年(昭和五三年)四月一五日に受けたと自己申告しています。これについても同様に学会側が質問していましたから、御書編さんも当然記録すべきでしょう。

●まとめ

 創価学会が責任を明確にして記名や編さん過程を記録し詳細を明かすのは難しそうです。
不可能を可能にするのが、創価の信心でしたっけ?
大御本尊すら信仰の目標にしなくなった今、末端会員は一体、何を信仰し何を学んでいるんでしょうね。
本部職員はメンツとお金にこだわってお金の収集だけは目標にしていると思います。
(1)(2)自体が無理そうですが、謝罪がないままだと学会本部トップだけでなく、地域の末端会員がつけあがったままな点が大問題です。
きっちり謝罪と賠償をして欲しいところです。

「日蓮正宗が悪で、日顕が天魔、学会が絶対正義」なんて教えられましたが、大嘘と妄想でしかありませんでした。今後、学会から遺文集や解説本が出ても出なくても、どちらにせよ御書全集がパクり本である事実に変わりはありません。

以上

日顕や大石寺の坊さん連中について私個人はよく思っていません。他の各寺院の僧侶は未批評です。問題を煽ったか、収集できなかったか信徒擁護の意見しなかった等々の問題は間違いなく存在します。
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