創価学会の信仰に功徳はあるか?

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403.学会版編年体と「時間をかけて読むべき日蓮宗の本」

2017年05月13日 00時01分33秒 | 日蓮系遺文
学会版編年体の異称について、誤記や問題点が数多くあります。
皆さんがどう思うかは自由ですが、その他の病的な問題もあると個人的に考えています。
バカとかアホとか誤記とかでは済まない問題だとおもいます。

●誰に対して書くか悩みました。

 本記事についてですが、今回ばかりは学会員に対して書くか、一般の人だけにむけて書くべきか悩みました。
学会版編年体があまりにも酷いのと、末端の盲信している会員は「酷さを全く理解できない」と考えたからです。

 398.記事について調べて問題を理解出来る末端の学会員は皆無だと思います。
池田先生、創価学会万歳状態で思考停止とマインドコントロールがあるためにマトモな調査行動や思考は出来ないと思います。
調査行動や思考が出来る人なら、富士門流信徒BBSや犀角独歩さんのブログ等々を読んで、とっくに退会か未活動化していると思います。

古来から使われている異称に「*」をつけて創価学会が新たに勘案したと編年体に書かれています。
学会本部で勘案して学会独自のユニーク名をつければ、文献学や日蓮学(日蓮個人の学問)や日蓮系全体を学ぶ宗学(日蓮だけでない日蓮宗派学、日蓮系学)の視点からはバカにされて当然です。
ユニークな命名だけであれば、盗用または剽窃などを理由に著作権法違反に問われることはありません。本記事は著作権の問題ではありません。

皆さんがどう思うかは自由ですが、、
一九五二年(昭和二七年)に出版した学会版御書全集で記載した異称があります。
「古来から使われている異称」を一九七四年(昭和四九年)編年体で新たに勘案したとして「*」を付けるのは病的な異常だと思います。

●正本堂のレリーフに描かれた裸の男

 病的な問題で思い出すのが正本堂のレリーフに描かれた裸の男です。
google検索で「池田大作 裸 レリーフ」「正本堂 裸 レリーフ」で検索すると出てきます。

貴重な写真はこちら。
犀の角のように独り歩め:圧巻『正本堂』を覧る(5)

価値[再]創造 : 学会の歴史(昭和56年) (11)

私が愛した池田大作 ~半裸のレリーフ その2 - 真実と幻想と創価学会

他には藤原行正氏が書いた「講談社 池田大作の素顔 藤原行正」の池田大作の実像が重なると思います。
読後の感想では矢野絢也氏の「私が愛した池田大作」だと病的な池田大作はあまり見えてこなかったように記憶しています。

レリーフを作ったのは池田大作ではありません。作ったのは誰か知りませんが、おそらく依頼された芸術部の学会員でしょう。
作成して正本堂に設置して平気で記念写真にとってしまうくらい、池田大作は平気なのでしょう。
御供養したので、池田は寧ろ良いことをしたと思っていたのでは?
批判されても正本堂解体の最後までレリーフを取り外さなかったのが異常ではないでしょうか?

学会版編年体を実際に執筆したのは池田大作ではなく、創価学会教学部だと思います。
原稿を書いたのが池田大作でなくても、出版して池田大作はやはり平気なのでしょう。
末端会員が喜んでいるので、池田は寧ろ、独特で分かりやすい、見つけやすいと思っていたのでは?
批判されても未だに創価のパクリ本に謝罪が無いのが異常ではないでしょうか?

日顕曰く「キミらの部屋にだって、ヌード写真の一枚や二枚はあるだろう。正本堂にあったからといってどうってことはない。美術品だものね。」
池田大作曰く「いや、あれ(レリーフ)は誰かがイタズラしたんだ」
レリーフであれば美術品ですから、宗教教義など学問的な問題はないのかもしれません。
正本堂にイタズラして良いのであれば、大したことない建物です。解体して怒るのは変です。
遺文集のミスは「どうってことはない」「イタズラして平気」ということでしょうか。

過去の遺文の目録などをチェックして、遺文集をどの様に執筆するか遺文名をどう選択するかは、重要な問題です。後述する昭和定本などの書籍が証拠です。
とある遺文では日蓮宗僧侶の命名を採用、別の遺文では日蓮宗僧侶の命名を採用しないのは酷すぎます。

過去に起きたそれぞれについて、池田大作の考え方や性格で共通する異常性があると思いませんか?

●古来から使われている異称、(一代大意)について

 学会版編年体では異称が削除されています。
(一代大意)の名前は日祐師が目録に記載しており、録内(ろくない)御書です。

録内御書は日蓮の高弟だった六老僧が集めたという伝説があるくらいです。
昭和四〇年代の学会がこの伝説(学説)を採用し、信じていたかは調べる予定ですが、時期は全く未定です。忙しいのですが、なんとかしたいです。。。。
「山喜房仏書林 日蓮聖人遺文の文献学的研究 鈴木一成」を読むと実際は伝説と異なる様です。
しかし録内という収集結果については重要な日蓮遺文が多く基本中の基本と言っても過言ではないと思います。

日蓮の弟子で中山法華経寺を開いた日常(富木常忍)、二代目の日高、三代目の日祐と続いています。
日祐の目録に(一代大意)とあるようです。

参考:昭和定本の第三巻、二七四一ページ
昭和定本の番号が(一〇)正式名称は「一代聖教大意」、異称が(一代大意)。

●古来から使われている異称、(八風抄)、(成仏用心抄)、(十四誹謗抄)について

 これらは録内御書で収集されなかった録外(ろくげ)御書で収集されています。
江戸時代に複数の日蓮系のお坊さんが収集し、各遺文に八風抄、成仏用心抄、十四誹謗抄と命名したようです。
詳細は後述する資料を見て下さい。

●日蓮遺文のベスト10に入る四信五品抄

 四信五品抄のような十大部(遺文のベスト10という意味です。)に入る遺文で、「末代法華行者位並用心事」を消す意味はないと思います。
御書全集には存在して編年体で消した理由が私には全く理解できません。
平楽寺書店 昭和新修(一〜三五ページ)を見れば他にも四信五品抄の異称は数多くあります。
他の異称を選択しても良かったと思います。

狭い枠に文字を入れる手間を惜しんだのでしょうか?そう思わせる事例が他に2つありました。

●じっくりと時間をかけて読むべき本

(一代大意)、(八風抄)などの異称についての証拠資料は以下のとおり。
他にも録内録外などの異称の証拠は日蓮宗系の文献や論文で無数にあると思います。
昭和定本で調べるのが様々なことがわかって良いのですが、高価ですし図書館にもあまり置いてないかもしれません。

「山喜房仏書林 日蓮聖人遺文の文献学的研究 鈴木一成」(一一ページ以降)初版は昭和四〇年四月八日
「平楽寺書店 昭和新修 日蓮聖人遺文全集 別巻」(一〜三五ページ)   初版は昭和九年二月
「日蓮宗 昭和定本 日蓮聖人遺文 三巻 目録」

非売品で中古本だけと思われる
「本化聖典解題提要 通論(日蓮聖人遺文の梗概) 山川知應」(一九二〜二二一ページ)初版は大正一二年四月、昭和の再版もあり。
この本だけ何故か、山川知應です。一般的には山川智応。

あるいは国会図書館デジタルコレクション
本化聖典解題提要通論. 上巻 (日蓮聖人遺文の梗概)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/969592

比較的分かりやすいのは、昭和新修か解題提要です。
鈴木一成さんの本は勉強不足な私には難解で疑問点がまだまだ多々あります。
異称が数多く書かれている昭和新修をお勧めします。

上記の本でどれかを読めば、編年体の異称削除、盗用または剽窃、ユニークに命名するのが大問題なことがわかります。
理解できない人は日蓮遺文などの宗教で平和を語るとか、日蓮仏法がどうとか、自己の主張をするのは一切、止めたほうが良いのではないでしょうか?
理解できないのであれば、学会活動、選挙活動を一時的に様子見や棚上げして、学会を退会して正宗に行かなかった人たちのブログ等を熟読して5,6年経ってからもう一度どうするか考えては如何ですか?
病気になったり友人や恋人を失ったり大学や会社で信用を失っても私は知りませんよ。

●文献の視点から

 世間一般の人たちは法華経や日蓮遺文に興味はありませんが、文献学であれば、文献がどうあるべきかくらいはすぐに理解できると思います。今回の本記事であれば命名や異称はどうするか?どうあるべきか?という問題です。世の中を舐めて掛かっているのは創価や正宗だと思います。

私が昭和定本や行道文庫版日蓮遺文を頻繁に見るようになったのは盗用を発見してからですが、マジメに作られていることや良い点は直ぐ理解できました。普通の人であれば日蓮宗の文献がまじめに作られているのはすぐに理解できると思います。
反対に、創価の2つ遺文集や正宗の昭和新定は、どうしてこうなったのか?とか根拠はどこだ?とか理解に苦しむか誤解を生むはずです。

今回も昭和新修の一部を写真撮影してアップロードしようかと思いましたが、デジタルコレクションもあるのでやめておきます。
今回ばかりは創価学会会員自身か、あるいは周りの人が見せて、じっくり時間をかけて実物の本を手に取って読んだほうが良いと思います。

今回の件だけでも図書館でいいので昭和定本を一時的にでも読む人が少人数いて欲しいです。

文献学的研究、昭和新修の別巻、解題提要の三冊については、これらの本を読むとわかりますが、各遺文集と対になっているのです。

●まとめ

 他にも説明したいことは山のようにあるのですが、長くなったのでやめておきます。
あと、表の画像を3枚も出したのはサービスし過ぎました。
池田大作が世界の指導者とか世界のリーダーとか「信心を一番わかっているのは池田先生なんだ!!!」とか呆れます。

日蓮正宗側からも編年体について指摘できなかった点は大きな過ちだったと思います。
一人ひとり、アドバイスや指導もせずに信徒除名したのも過ちなのは言うまでもありません。
正宗の坊さんは日蓮遺文を読んでいないのでしょう。
日顕は教学部長時代に昭和定本をパクって昭和新定を作ったにも関わらず、信心が足りなかったのでしょうか?

異常。

入手。辞書代わり
日蓮宗教学史 執行海秀
コメント
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