創価学会の信仰に功徳はあるか?

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400.創価学会の遺文集は新しくなるか?(その1)

2017年05月09日 00時01分53秒 | 日蓮系遺文
●今後、創価学会の遺文集はどうなるのでしょうか。

 御書全集は廃刊が確実だと私は考えています。
世間の出版の常識が分かりませんが、編年体も廃刊すべきレベルなのかもしれません。
編年体の句読点と中点を修正すると、今の個々の遺文とページ数の関係を維持できず、
ページに文字が収まらないなど、修正に破綻をきたすと思われます。

日蓮正宗の平成新編(平成新編日蓮大聖人御書)の出来を私は知りません。ですが和解を視野に入れるなら学会は新しい遺文集を和解前に出版しないほうが良いと私は思います。

●厄介事は避けたい正宗の坊さん

 もし和解するとして、正宗でも今後はより一層、面倒事、厄介事は避けたいでしょう。
僧侶の身辺調査や素行調査は無いことも条件になるでしょう。その上で、正宗の坊さんは折伏しないで信徒が折伏をしてお金だけ楽して受け取りたいでしょう。
「正宗の教えに従わない者は許さず、すぐに除名する」かどうかは和解条件の大きなテーマになりそうです。

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日達氏「日蓮正宗の教義でないものが一閻浮提に広がっても、それは広宣流布とは言えないのであります。」
(達全2-6-295頁)
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日蓮正宗の教義が、一閻浮提に敷衍していってこそ、広宣流布であるべきであります。日蓮正宗の教義でないものが、一閻浮提に広がっても、それは広宣流布とは言えないのであります。

皆さまの今の時に、もし、日蓮正宗の教義でもなく、大聖人の教義でないものが、世界に広がったからといって、けっして我々は喜ぶべきでもないし、大聖人がお喜びになるとは思いません。むしろ、日蓮正宗の精神がなくなってしまった、消滅してしまった、ということになるのであります。(富士学林研究科開講式・昭和49年6月18日)
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今までどおり、面倒な信徒や反逆する信徒は顔を見たことがない相手でも、坊さんが説得もせずに除名する、という方針が続くなら尚更です。
一人一人説得してから除名するのが普通でしょうが、慈悲深い正宗の坊さんはそんな事はしないでしょう。(笑)
池田大作によれば「仏法は厳しい」のだそうです。
まず間違いないのは、第二次宗門問題以降の日顕と日如氏への批判本は認められないでしょう。
最近の御書全集から大石寺の遺文写真を削除しておきながら、現段階で破門されている創価学会が大石寺の遺文を勝手に掲載したら許されるのか疑問です。
著作権法違反だけでなく、大石寺の遺文写真を削除した御書全集はこの中に入ると思います。

学会員「学会版御書(全集、編年体)にこう書いてある。」
坊さん「学会版は在家信徒ごとき(笑)が勝手に作った遺文集であり、正宗では認めません。」
こんな不毛な会話が交わされそうです。

編年体なら、五大部といわれる5つの遺文だけは認められるとしても、他は「盗用または剽窃のある欠陥品」です。
御書全集に至っては、無能な在家信徒が作るから、未だに出来が悪いままなんだと言われても言い返せないと思います。

和解するとしても学会側が和解条件のほとんどを正宗側の意見を取り入れるしか無いと思います。
これを嫌って学会本部が完全に正宗と絶縁する可能性もあります。

●日蓮宗と創価学会

 創価学会は二〇一四年十一月の教義改正で、大御本尊を信仰の目的から外しました。それでも日蓮宗に小樽問答の謝罪を一切していません。
日蓮宗と創価学会が和解の上でくっつくことはしないで欲しいと思います。
もしすれば、現代宗教研究所、JSCPRなどの実績や功績、個人でなら例えば加藤文雅さんや稲田海素さん風間さん達の努力が台無しになり日蓮宗は軽蔑されるのではないでしょうか?

(つづく)


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