創価学会の信仰に功徳はあるか?

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49.自己変革出来ない学会員?(このブログの意味)

2006年03月10日 21時16分58秒 | 創価学会
 ここのところ、ブログをどうするか考え中と書いた所為か、やめれば?とか学会員さんからコメントが来る。コメントを読んでまた、すごーく違和感を感じる。

 メールも時々、アンチの人からも創価の人からも来るけど、荒らしや迷惑メールははさすがに一切無い。内容はここでは書けないけど、どちらの人も賛否両論。創価の人から相談まで来る始末だ。コメントでみかさんも相談ではなかったけど、困っていたなぁ、、、。きちんと話す事が出来たのだろうか?

1.ブログ立ち上げの理由。
 ブログを立ち上げたきっかけは、やっぱり、私と同じ悲劇の人が増えないようにすることだ。入信しないように、、、と言う意味で、、、、、。私と某君のいきさつは書いてきたとおり、、冗談無しで某君以外の人の折伏だったら人生違ったんじゃないか?と思う。別に説得力がないのは悪そのものでは無いはず。駄目駄目だったり、馬鹿にされるだろうけど。

 実際には某君は説得らしい説得はほとんどしていない。戸田城聖氏の指導通り、「先輩の所に連れて行く事が折伏だ」というノリだった。折伏の際に色々な人に会わせて頂いて、みな良い人だったし、説得力のある人だったので私の折伏が決まったのだ。彼一人でやっていたら絶対に決まらなかっただろう。

 ブログを立ち上げた時には、前にも書いたが、実をいうと20(21)にたどり着く為に焦っていた。アレが結論だったのでたどり着く前に創価の人とまともな議論になり、普通の折伏が始まったら困る、、と。仏法の教義をしっているとは言え、宇宙の法則である、、生命論などなど、、自分も退転するまでは仏法は完璧。と思っていたし、人が幸福になれるから、正義、絶対とも思っていたので、教学対決を不用意にして言い負ける事があるだろうと思っていた。自分の折伏のスタイルも自分の体験よりも教学や他の人の体験が中心だったから、自分はいつも結果は負け(本尊流布出来ない)ていても仏法上は下種(仏種を下すこと。仏法を聞かせること)できたんだ、勝ったんだ(笑)。なんて錯覚していたし。

2.ところが、、、
 ところが、フタを開けてみると、おかしな学会員がいるのはリアルでも判っていたけど、ホントに一人か二人。ネットに限ってこんなにたくさんいるとは知らなかった。2chはともかくとして、、ブログしかり掲示板しかり、、。まともな折伏じゃない。対話を重視したり、説得好きの学会員さんは何処にもいない、というのが、結論。今まで見てきたリアル活動家はみな、対話や説得好きだった。ネットではほとんど言い捨てて去ってゆく。明らかにマナーが悪くても謝りもしない。別に、仏法の法論で負けた訳でもないのに。むしろマナーが悪かったけど、良い意味でしつこいNさんを見直したかも。(笑)信用は出来ないけど。。。。

3.変わる事が出来ない学会員
 この宗教はどんなつらい事があっても、希望を持ち、持たせ、自己変革をしてゆく、「今日より明日へ」なんてきれい事を言う宗教だ。人の幸福感はそれぞれだが、人によっては
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「創価学会に入っても、何もいいことはないですよ。」
私の知っている学会員さんには、いろいろな方がいます。
信心しているのに手塩にかけて育てた大切なお子さんを
医療ミスで亡くされた方がいます。
信心しているのに大切なお子さんを無差別殺人で亡くされた方がいます。
信心しているが故にキリスト教徒の婚家から受け入れられず、離婚された方がいます。
信心しているが故に会社から執拗ないじめを受けた方がいます。
信心しているがばかりに職場で重責を担わせてもらえない方がいます。
信心しているのにうつ病で苦しんでいる方がいます。
私は、信心しているが故に母を失いました。
しかし、彼らは信心をやめません。
信心をすると、必ず苦労します。
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なんて折伏をする人もいる。

 私も変わる事が出来なかった学会員。幸福になれなかった証人。他にもたくさんいます。そしてネットでも44~47の記事を書いても未だに凄いコメントを残してゆく学会員がいる。コメントを残してゆくのは一人か二人。アクセスカウンタを見ると1000人見に来たとして、仮に会員統監よりも多い一割の人が学会員だとして、一日に900人は一般人が見る。
 リアルできれい事や調子の良い事を言って、ネットでは平気で罵詈雑言。こんな2面性を持つのが学会員だ。。。。。いくら創価学会風に「その人も成長途上にある。」と言っても、普通の人は理解出来ないだろう。
 メールはともかくとして、ネットには名前はなくとも創価学会として看板を背負って書込が残ってゆくのが判らないのだろうか?

 だから、折伏を受けている人は学会の2面性を覚悟して下さいね。リアルでも変われないからストレスが溜まってネットで暴言になる。いつもネットの向こうにリアルがあってストレスを創価学会、学会員が作っている。。。だからネットでの創価の鬱憤晴らしは変わる事がないでしょう。

 変わらないと言う意味で、、特に多いと思うのが恋愛や結婚の問題だと思うけど、無くなりそうもないか?私のまわりの男子部幹部や女子部、ネットを見ていると苦労したくないから学会員と結婚したいとか、結婚したら絶対入信とか、子供が生まれたら入信とか、おかしな体質が変わらない限りはずっと問題が続くだろう。創価大学を出たのに、、学園を出たのに、何やってんだ?みたいな指摘も矛盾だ。池田氏が何時亡くなってもおかしくない状況で、未だに池田氏のカリスマ性をもってして、創大生や学園生に信仰の絶対を説くのも問題の一つになるか?(池田大作氏については後述????)聖教の4面記事も変わらないんだろうな。

4.今、、、、
 私も結果的に鬱憤晴らしの面は捨てきれないにしても、そんな後ろ向きなだけの気持ちで今は書いていない。私がここに書いてきた事はアンチにも創価にもそして、入信する人にも、入信を断りたい人にも役に立つと思う。アンチの視点で書いているが、1-21に書いた質問、条件、をクリアしてなお、信じる事が出来て、幸せならベストなのでは?と思う、、、。何度も書くけど、人の幸福感は様々、人それぞれ。私みたいに、退転したくなっても誰かが、その人を説得出来て、幸せだというなら、それはそれで良いのでは???ここ読んでも、信じる!入信する!とか言う人を私が止められるワケがないじゃん。

 また、創価にとっても折伏の方法という意味で私のブログを参考にしたって良いのでは???一体、前向きに、前向きに、なんて言葉、学会で四六時中聞いた気がするが、どういう事だろう。他山の石として自分は気をつけよう、とかない。批判を受け付けない。

 法華経で女人成仏が説かれ、仏法が女性の為に変わってきたし、日蓮大聖人も竜口の法難で自己変革した、ということを言っているし、創価だって、宗門問題などで、法主は不要。勤行を変更。御本尊まで変更している。ルネッサンスとか、世界宗教とかきれい事を言っている。(ここまで書いたのを読んで謝りに来る人は普通の人。こない人は。。。。)

 私の気持ちは変わって、のんびりやっていくつもり。一年に一回の更新でも、もう気にしない。書きたい事は政治と宗教だけど、何時纏まるか不明だし、ブログにはUPできないし。ここには気が向いたら書きます。

それと気が変わって、創価学会員さん用の雑談用記事でも作っときましょうかね?
いじょ。
コメント (9)
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