創価学会の信仰に功徳はあるか?

コメントする人は「01.創価学会の信仰に功徳はあるか?を書く前に」を読んでね。

07.創価学会員さんとのやりとり。その1

2006年01月08日 20時53分53秒 | 創価学会
前の記事 入信編その5 入信時の悩みは解決したのか? からのコメントより。コメント欄ではなく、あえて記事とします。
言いたい事は何となく判るのですが、ちょっとこの書き方はびっくり。

>弱い弱い、弱すぎますあなたは (nana) 2006-01-08 09:57:39
>なぜ自分の入信動機を「使命」だと思えないのです?

使命だ、治す使命がある、と思っていました。
取り返しの付かない病気をしたので、「果たせない使命」もはやあきらめでしか無く、明らかに不幸ですので、意味はないと考えます。

>乞食根性で学会に入信されたのですか?
>学会に入信すると病気が治るとか、全ての願いがかなうというのは、
>それを実現できるぐらいに自分が変われるということですよ。

”実現できるぐらいに自分が変われる”この文章を読むと病気が理由で信仰してはいけない。それと、治って無くとも信仰が正しければその人は幸福だと思わなければいけない様に受け取れます。まず最初に

念の為、1.病気が理由では入信動機として駄目か? で反論をします。

 治したい気持ちが=乞食根性なら、そうです。としか言いようがありません。
ですが、nanaさん自身、信仰を勧める立場の人にとって病気の人は信仰を勧める対象の人ではありませんか?
病気になってもし入信したい人(迷っている人が)がいたら信仰を勧めるのは当然ではありませんか?創価学会に限らず、病気が理由で信仰する人はいます。
病気が理由で信仰を勧める創価学会員さん、今でも、どこにでもいますよ。

どんな些細な悩み事でも信仰してくれるなら、むしろありがたい、それは嬉しい、
その不幸をなんとかしなければ、そう思うのが学会員(信仰を勧める者)の立場のはずです。
 病気や事故になった人がいた時に男子部の会合中やそうでない時はTELで連絡があり、お題目を送ろう、とよく連絡がありました。もちろん送りましたし、私の病気が酷い時には送っても頂きました。

06.02.12 nanaさんより明確なコメントが頂けた訳ではありませんが、私の主張を認めた頂いたようです。この下にあるコメントを参照して下さい。

>学会に入信すると病気が治るとか、全ての願いがかなうというのは、
>それを実現できるぐらいに自分が変われるということですよ。

もう一度引用しますが、2.病気を治した体験から功徳がある、として聖教新聞や大白蓮華でこの信仰が正しい とする以上、上記の2行で「実現できるぐらいに自分が変われる」は論理のすり替えです。”実現できるぐらい”の”ぐらい”と”自分が変われるということ”って何ですか?
 治らない病気は明らかに私にとって不幸です。

06.02.12 nanaさんより明確なコメントが頂けた訳ではありませんが、「病気を治した体験から功徳がある、として聖教新聞や大白蓮華でこの信仰が正しい」という意見になるようなので、”実現できるぐらい自分が変われるということ”は全くの不明です。この下にあるコメントを参照して下さい。

 本当に組織についている活動家の学会員さんでしょうか?それとも女子部(nanaさんは女子部?)はあまりそうではないのでしょうか?人の不幸はきれい事ではありません。現実です。自分も微力ながら地区の人にお題目を送りましたが、会員さんの不幸について駄目だった事のほうが圧倒的に多いです。私だけでなく、地区リーダーや部長、本部長も会員さんの不幸について祈っていたと思います。
しかし、上手く行くような成果は出ませんでした。(訂正)残念ですが、みんなで祈っていても、上手く行く結果よりも残念な結果の方が多かったです。 但しここでは折伏を決める祈り、入信させる祈りは除きます。

>死にものぐるいで自分とたたかわないと、変われるものではありません。
>一体、どれだけの自分を変えるための実践を重ねての言い分ですか?

すべき事はしました。私の言う事を信じる信じないはnanaさんの自由です。治っていない人がいる事実を受け止めて下さい。

そして病気で苦しんでいる人に激励でなく、こんな厳しい言い方で平気で言えるの?

少なくともしっかりとした人間関係がないと駄目ではありませんか?
私とあなたは始めてネットで会話しますが、とても激励には受け取れません。
これが先に書いた 今の創価学会には人を救う 指導力、組織力がない、という事です。組織力があれば、治った人を連れてくる事が出来ます。しかし先に書いたとおり、そうではありません。いきなりこんな通り一遍等の言葉しか出てこないのが指導力のなさです。

nanaさんは要するに「信心が足りない」といっています。
「信心が足りないという指導」は何時か書きますね。nanaさんのコメントから書くのを早めるかもしれません。退会の理由の一つですし。

 どんな体験をお持ちでしょうか?もし東京近辺のかたなら、私の体調が良い時にでもお伺いしてnanaさんの体験や確信を聞きたいくらいです。””そこまでおっしゃるなら””是非にでも(病気体験なら是非とも)聞きたい。救って頂けるなら今からでも救って下さい。冗談抜きに絶望している訳ですから。

 世の中には治らない病気はあります。そして信仰を含め、どんな意味が有るか無いかはその人の考え方であり自由です。


06.02.12 nanaさんへの質問決着
勝ったとか負けたとかの話ではありませんので、皆さん自由な見解、判断を持って下さって結構です。少なくとも私は全く納得も出来ないし”実現できるぐらい自分が変われるということ”については、論外、無意味、幸福感のすり替え、この意見こそ、幸福を諦める事だと思います。
コメント (44)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

06.入信編その5 入信時の悩みは解決したのか?

2006年01月08日 05時35分52秒 | 創価学会
 どんな病気でも治る、願いが叶うなど、実に都合の良い事ばかり言います。そんな事はありません。私と同じ病気で苦しんでいる人を4人も知っています。誰も治ってません。4人中、4人、100%です。そのうち、一人の方をここであえて書きます。大物女性幹部で、かつ、お医者さんです。その娘さんもお医者さんらしいのですが、私と同じ病気で今でも苦しんでいるそうです。その親子共々、同じ病気の科(内科、外科などのくくり。)を担当しています。二人とも(例えば)内科だと思って下さい。親が池田氏に会うような大幹部で内科医で、その娘さんも自分が担当する内科の病気を治せないのです。
 女性幹部の方は、納得がいかなくなった時に、退会しようか迷って学会本部に行った際に、会う事の出来た方です。その方も「昔と違ってどんな病気も絶対に治る、とは言わなくなった」(主旨)と言います。これは宗教詐欺です。本当にがっかりしました。

 地区の人に退会を申し出た時も指導や病院の紹介という事で、同じ病気で苦しんでいる壮年部員に会いました。せめて治った人を連れてきてよ、って思い、がっかりしましたよ。念の為書いておきますが、同じ病気で苦しんでいる人同士で情報交換や、病院の紹介など、少しでも症状や気が楽にならないか?とか気配りや思いやりは学会側に有ったと思います。しかし病気には何の役にも立ちません。さっきも言ったようにがっかりしただけですし。
その人はすぐに連絡を一切くれなくなりました。創価家族(コレも後で書きます)とか美しい言葉がありますが、見せかけです。

折伏の際に「創価学会は一人一人を大事にしていく。とか誠実、誠心誠意に折伏し、どこまでも面倒を見ていく。」こんな指導は見せかけです。もちろん家庭訪問や会合参加を断っているのは私自身ですが、信心の話以外ならかまいませんし、自宅に来てもらってもかまいません。でも学会の人は信心の事しかありません。

 何処に功徳や福運(願っていなくても思いがけない幸福にめぐりあう事)があるんでしょうか?誰でも願いは叶うとか嘘です。

 別に全員宝くじ一等賞に当たりたいとか言う願いではありません。(いや、誰でも実際に当たりたいですけどね。(笑))
それとこれと一緒くたにされ、叶わない事がある、といわれても困ります。
池田大作氏みずから、「願いは叶わない事もある、しかし後で意味があると思えるようになる。」(主旨)当時は先生マンセー状態なので自分の病気はいつか治って他の願い事で叶わない事があるかも、ぐらいに考えていました。というよりも全部、いつか叶うと信じていました。ところが病気は増え、そのうち取り返しのつかない治らない病気をしてしまい、働く事も出来なくなるかもしれません。意味なんかありません。不幸なだけです。年齢を重ねて決して若いとはいえない自分の病気が酷くなった時に信じられなくなり、信心を止めたくなりました。

 私の入信動機は病気と人間関係ですが、結局十年以上たった今でも病気は治っていません。特に病気の方は5つ増えていて、入信後にも増えましたし、なおかつ、退転状態になる直前に病気が増えています。6/7≒85.7%で半分もクリアしていません。入信当時からの病気は10年経っても直す事は出来ませんでした。

 人間、最後は病気になって死んでいくのは当たり前ですが、年齢が若い内の病気なら信心で治せると思いましたが駄目でした。 人間関係も結局10年以上たっても変わってません。絶対に病気が治るというのは嘘です。

 私の知っている学会員さんでも、癌で亡くなったり、難病で亡くなったりしています。とある地区の男子部の地区リーダーも大変な病気になっていました。いい人でしたし、彼の事は好きだったので、治っていると良いんですけどね。

 人間、最後は病気になって死んでいくのは当たり前です。もちろん、信心で病気を治したい人はご自由に。信心して願いが叶わなくて死んでも、死人に口なしですし、だれも責任は取ってくれません。どんな形でも死んだ時に学会員なら成仏という事になり、残った学会員さんは「生も歓喜、死も歓喜」(池田大作氏のスピーチより。)とか言って喜ぶかもしれません。
どこまで創価学会を信じるかは自由です。でも私は後悔しています。

06.02.09 文字を黒から赤に変更。nayaさん読んでね。
コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

05.入信編その4 幸せになっていない人

2006年01月08日 05時12分02秒 | 創価学会
”なぜ幸せになっていない(祈りの叶っていない)人がいるのか?”

 信心が足りないから。宿命転換の最中だから。とか答えが返ってくるかもしれません。(信心が足りないは何時か書きます。)
 先に挙げた犯罪だと、犯罪は誰でも(学会員でも)起こす。本人の宿業だ。誰でも人生の途中で失敗する。創価学会はそんな指導はしていない。とか言うのは「逃げ」でしょうね。

 そもそも功徳や福運が有れば、姉歯元建築士や、みずほ銀行詐欺事件を起こした人たちが、犯罪を起こす以前に、仏法の功徳で順調に仕事を得てお金持ちにならなくてはいけないのでは?立川文化会館で不倫が原因の殺傷事件が起きる前に功徳有る信仰体験からこの仏法が正しい事を知って、仏法で言う、因果の法則(因果律)からしても、不倫なんて悪い事はしてはいけないんだと当然思うようになるでしょう。池田大作氏の真下にいた全国男子部長、創価大学を出て創価学会本部にいた人ですら、功徳を体験していれば、仏法が正しいのだから、日蓮大聖人のいうとおり、解任されるような男女関係で悪い事はしてはいけない、と思うのはあたりまえじゃないでしょうか?これらの人々が悪い事をしても平気なのは功徳も罰もなくてあるのは偶然しかない証拠ではないでしょうか?

 そして私だけでなく、学会内部には色々問題を抱えている人がいらっしゃいます。組織としてその人達に希望を持って貰い、信心して宿命転換、変毒為薬(毒を薬に変えてしまう仏法の功徳を表す)この指導と信心→宿命転換は出来ていないと思います。病気や会社の倒産、人間関係、恋愛など末端の学会員さんの複雑な問題だけではありません。

 今の組織に悩む人とって宿命転換、変毒為薬させる力はありません。
 残念ながら私が不幸な体験をした証人の一人です。

関連記事
 (創価学会の信仰に功徳はあるか?:「信心が足りないという指導」祈るだけで幸福になれるか?条件はないのか?で記述済み。)
 (創価学会の信仰に功徳はあるか?:創価2世3世の人と家庭訪問で記述済み。)

 弓谷氏や公明党の忍足和雄議員 収賄で逮捕、15-17歳の少女4人を買春した公明党の江戸川区議 松本弘芳が逮捕。矢野元公明党委員長、竹入元公明党委員長、の様な人が出てきてしまうのもおかしいですね。こういったトップの人たちは折伏や選挙で末端の学会員が時にはイジメや水をかけられたり、バカにされたりしているのを忘れてしまったんでしょうか?
ブックマーク先のリンクや「創価 犯罪」で検索してみてください。

聖教新聞では反逆者、退転者、あるいは悪人として扱われ、
「青年よ、仏敵を打ち砕け。学会迫害の悪人は厳罰でのたれ死ぬまで攻め抜け」
'04年11月18日付け聖教新聞より。

こういう事を書く私も仏敵ですね。これは最近2005年か04年に新聞に載ったモノみたいですけど。ネットで有名なので新聞で見たかどうか記憶にありません。

入信前に

”どんな祈りや願いでも必ず叶うのか?”
”信じられなくなるなど、信心が嫌になったらどうするのか?”
”幸せになれなかったらどう責任をとってくれるのか?”

など聞いておいた方がいいでしょう。
この3つは悪い意味であてはまったのは私にとって想定外でした。笑い事じゃありません。

ちなみに最後のはこれが答えという訳ではありませんが、
小説人間革命の中では 戸田城聖という第二代会長が
”不幸になったら私の命をあげよう”(主旨)と言ったそうです。
感動的ではありますがこの方は昭和33年に既に無くなってますので、
紹介者の方の命をもらえるかどうか聞いてみてはいかがでしょうか?
その答えでその紹介者の真剣さが判ります。私の某君は駄目駄目です。

関連記事
創価学会の信仰に功徳はあるか?:信仰体験と確信と折伏。記述済み)

命なんか貰えないし貰ってもしょうがないですけど、覚悟や信心の確信の違いが
わかるでしょう。実話らしいのですが、戸田会長の話だけで納得しては良くないと思います。

「戸田会長の話はわかったけど、あなたはどうなんですか?」と

「創価学会は一人一人を大事にしていく。とか誠実、誠心誠意に折伏し、どこまでも面倒を見ていく。」ところが実際は違うという事が判ると思います。
信頼出来る人や真剣な人、体験や確信ある人なら、それだけでもラッキーだと思います。
もちろん、信じる信じないは別問題です。


以上

ダミータグ
弓谷輝彦元男子部長 弓谷輝彦 池田大作 池田 大作 戸田城聖 戸田 城聖
矢野絢也 矢野 絢也
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

04.入信編その3 ホントと嘘。隠し事。

2006年01月08日 04時32分45秒 | 創価学会
 折伏を受け、炭労問題、大阪事件などや学会にとって都合の良い、学会が勝利を収めた話は聞く事が出来ました。しかし、北条四代会長が病気でなくなった事や言論問題、退転者がいる事、信心しても不幸な人の話は学会側に問いたださないと、当然といえば当然ですが、聞く事は出来ません。入信後、書籍や新聞、人づてなど、徐々に徐々に何らかのきっかけで知る事になります。
 特に言論問題関連は、学会は悪くない、学会は正しい、とか結論だけを聞いて終わった気がします。よく考えたら、今でも実際に言論問題関連はどうなのか明確に知りません。仏法の教義の正当性や理論と一緒に話してくるので、そのことも正しく聞こえてしまうのです。

 そして今回の本題です。「創価学会は一人一人を大事にしていく。とか誠実、誠心誠意に折伏し、どこまでも面倒を見ていく。」、、、、こんな指導があります。ところが実際は、折伏する際、都合の悪い事は隠す(当たり前か?(笑))のです。

 今ならタイムリーで 姉歯元建築士の違法な建築問題、2005年7月にあった弓谷全国男子部長の男女問題による解任。立川文化会館で不倫が原因の殺傷事件、2005年に学会員が起こしたみずほ銀行詐欺事件などがあります。

ネットで検索して読んで、
””なぜ幸せになっていない人がいるのか、学会員さんに説明を求めましょう。””
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする