創価学会の信仰に功徳はあるか?

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36.創価学会にとってネットとは?

2006年01月29日 23時29分53秒 | 創価学会
 創価学会の教学、といっても勤行、折伏の簡素化について書くつもりでしたが、あまり纏まらないので、創価関係のHPをリンクして思った事をいくつか書きます。

  はったり特急 - 読まれない寿量品長行に・・ ここのコメントに
>学会はどんどん悪い方向に行くばかりですね。

一進一退~悩める創価学会活動日記~: 信仰の自由ここのコメントにも
>今は学会も組織がだんだん混迷(悪い方向に)になってきている

 皆さん人生経験や住む場所が違っていても学会が悪い方向に向かっている、と感じています。この問題は指導力不足や体験不足であってかなり重要だと思う。同じ一つの組織で有ればともかく、上のお二人、私のブログでも書きましたが、東京にいる私、地方にいる某君の親戚、弟、B君、あちこちに不幸と思える人がいます。学会員との恋愛や夫婦間で悩んでいる人が多いのも事実。ここで創価指導の信心する事が幸せ、というコメントはお断りします。これは先に書いた「19.創価学会の幸福とは?」で論じましょう。 どんな人でも確信がある訳でもなく、困っている人が多い事、2世3世の人が付いてこない事などなど、、、書いてきました。体験や確信が少ない、あるいは聞く事が出来ないので自然と信じる事は出来なくなり、当然、私の様にアンチが生まれる事があります、、、。

 勤行や折伏、入会条件、創価の指導が変わってきて感じるのは、「じゃあ今までは何だったのか?」と言う事です。弓谷氏、後述予定(言いたい事が言えない創価学会。)ですが、元公明党、矢野氏、竹入氏の事などはかなり学会にとってはおかしいと言わざるを得ません。人事の責任は学会本部にあります。今まで持ち上げておいて反逆、退転、不祥事でおまえは人格者じゃない、地獄行き!、、です。

1人の人間を改心させるのが立正安国論の重要な意義のはずです。矢野氏、竹入氏、改心させたらどうですか?>学会本部。学会本部関連の人だし、学会本部の(自己)責任でしょう?説得したとか聖教新聞で読んだ事は全然ありませんね。

 弓谷氏が全国男子部か同時中継で事情説明とお詫びが必要だったと思います。事情は一般の会員も知る事はなかったようです。言いたい事、言い訳も出来ない人がここに1人。 矢野氏、竹入氏は言いたい事をいうと、竹入氏はもう家族を含め旅行の事まで悪く言われます。言いたい事、言い訳言うと敵扱いな人がここに2人。

 先に書いた折伏、勤行、入会の基準が緩くなったのは実はインターネットの力による物だと私は思います。創価学会が大石寺から御本尊を頂かなくなった時('94年頃?)にも勤行を変える事は出来たと推測しますが、関係改善し、元鞘に収まる事を期待したのでしょうか? この時にも勤行、お守り御本尊でも入会、という基準をゆるめる事はありませんでした。当時は現在のようなインターネットなんてありません。ネットが広まり始めたのはWindows98発売以降のことでしょう。ここ7,8年で特にここ4,5年で言いたい事が簡単に書き込める状況になってきました。特に若い人がネットで意見交換や情報交換する事で創価学会の実態が判ってきました。特に創価学会では、入信する人は当然若い人が多いのです。

 皆さんがネットで色々批判するので、折伏は決まらなくなる。→ 折伏、勤行、入会の基準をゆるめて聖教新聞で「勝利!正義!」 → それって悪い方向じゃないのか? → 最初に戻る。

ネットで意見交換や情報交換する事で創価学会の実態が判って「じゃあ今までは何だったのか?」「じゃあ私の場合は何だったのか?」なんて疑問は当然です。これこれは正しい、これこれは間違ってる、という結論も「もちろんあり。」です。
 言いたい事をなかなか言えない現実がある創価学会では、私自身が婦人部や女子部の実態を知る事が出来ましたし、私のブログで男子部の雰囲気を感じ取って頂けた人もいるでしょう。
可能な限り一方的な批判にしない事、事実だけを書く事、思った事を書く事、で私の書いた事が嘘ではない事が判ってもらえると思います。

 折伏を受けて困っている人、学会活動に悩んでいる人、そんな人たちがちょっと立ち止まって参考にしてもらうか、考え直してもらえれば十分かと思います。

 創価批判のブログやHPを閉じる事は良い事です。ずっと関わるというのは有る意味、不幸だと思います。私もいつかここをコメント禁止、トラックバックとリンクはOKにして、閉鎖する事が目標です。忘れる為にも。但し学会は無関係になっても公明党はウォッチしてブログに書き込んでいく事になるかもしれません。
 創価批判のブログやHP更新停止は良い事です。ですが、残しておいて欲しいな、と思います。消してもgoogleキャッシュに残る可能性もありますし、ネットに書く時は「もう絶対に消せない」と思って書くべきでしょうね。

言いたい事を言えない、黙殺される創価学会にとってネットは「中立な場所」と言えますね。まさか個人の体験をデマだ!なんて言わないでしょう。
いじょ。
コメント
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