創価学会の信仰に功徳はあるか?

コメントする人は「01.創価学会の信仰に功徳はあるか?を書く前に」を読んでね。

18.創価学会員さんとのやりとり。その3

2006年01月14日 18時11分38秒 | 創価学会
「信心が足りないという指導」祈るだけで幸福になれるか?条件はないのか?
一時的に時間を変更して記事をあげましたが、nana さんからもコメントが付いたので、元通りに記事を下げて気長に待ちます。

 反対されたりバカにされても折伏を何度もする人はそれだけでも慈悲精神あるか、あるいは、あなたの不幸をなんとかしよう、幸せになってもらおう、と思っている人かもしれません。ではそうでない人とはどんな人でしょうか?

 折伏や宗教活動(学会では学会活動といいます)の際に、自分の事、自分の幸せしか考えない人もいます。先にコメントのあったアゲハさんの担当幹部や毒さん、ろくな説明もせず、ご本尊を持たせたのにもかかわらず、そのままになって退転してご本尊を御不敬させた人がそうです。
 もちろん一番最後の学会員さんがどの程度説明したのか、どんな気持ちで折伏したのか?これは私にはわかりません。ですがそうなってしまったのは、コメントからも事実ですし、私の体験としても他の方の学会員さんがそういう事をしてしまいました。創価学会員さん反論どうぞ。(ノルマと功徳という話題ならベスト。)但し、過去や証明不能の話に対して、もしかすると、なんてのはキリがないのでお断りします。もし、とか言い出すと私も学会側も証明出来ないはずです。

 これは書いているのが14日土曜日早朝ですが、逃げないといいながら、彼はもう逃げた、としか言い様が無いでしょう。これを書いた後、UPするのは日曜あたりだからです。学会員は忙しいでしょうけど、慈悲や知恵、礼儀が有れば待ってくれとか、いつ頃書くとかいいます。でも彼は事の重大性を認識することなく、「たいしたことではない」そう思っているから、すぐに謝罪に来ないのです。
 ホントに大したことはないのでしょうか?
(忙しい会員で有ればあるほど活動家でかつ「幹部」の可能性が高いです。10年以上、学会を知ってますが、私の知る限りですが、学会は基本的には役職が上がるほど忙しいです。男子部のゾーン男子部長、区男子部長、本部長、あたりは激務です。(その上は知りません。)毎日夜中の1,2,3時なんて事もあります。私が知っている部長は、ある時夜中の4時(相手の都合により)に約束を取り付けて折伏に行きました。たしか相手の悩み事が重い内容だった為、本部長も行ったはずです。以前書きましたが、この部長さんは創価班会で体験発表をするくらい人です。もちろん4時が毎日ではありませんけど、毎日折伏のサポートや会合、任務、家庭訪問に追われているのはホント。私でも会社と創価班の両立には悩み、苦しみました。末端のニューリーダーですら忙しいのですから、幹部は忙しいです。

それだけ真面目に真剣に折伏、新聞啓蒙、選挙の戦いをしていると考えて下さい。(2006.1.14訂正)それだけ「絶対にほったらかしにならないように」真面目に真剣に家庭訪問、会員サポート、折伏、新聞啓蒙、選挙の戦いをしていると考えて下さい。

勿論、以前書いたようにサポート失敗する事があります。 だからあの発言は「ほったらかしになっているので」余計に腹が立つのです。だからこそ弓谷とか許せないのではないですか?許せないで済みますか?折伏が駄目になりませんでしたか?>会員さん)

 なぜ、自分の命の傾向性からは逃れられない、これは仏法上正しい事になっています。宿業といってカルマ、善業、悪業と呼ばれる物です。先にも書きましたが、身口意(しいんくい)の3業といって、身体つまり体、口にした言葉、考えた事(意)といって全部、自分のしたことは、過去、現在、未来と宿業としてとらえるのが仏法だからです。しかしココではむずかしい身口意の3業は除外して説明します。
 私の意見でしかありませんが、ではなぜ「自分の命の傾向性からは逃れられない」を軽々しく言ってはいけないのはなぜでしょうか?特に、みかさんは親が狂信的、といってます。それがどいうことかは分かりませんが少なくともみかさんには親さんか信心そのものか、創価学会どれか、あるいは全部、納得がいかないのは事実でしょう。

学会員の狂信的はまた書きます。(mixiのログ消しなど。)

 仏法の正義(と言われる理屈)は言葉で書く事が出来ますが、毒さんは宿業しか言ってません。この命の傾向性には善し悪しがあり、業ともいいます。善業、悪業があったりして生きる人間にはやっかいなものです。どう解決するか、どうすればいいかが課題なんですが、何も 毒さん は説明してません。
 業については信心する理由でもあり、折伏して相手を納得させる理由だから重要なのです。その業の宿命転換の為、何をどうすればいいのか私は言いません。ココはアンチサイトですから。そういうのを読みたい人は創価wikiあたりをどうぞ。

 ここはブログであり、言いたい事はなんでも言ってかまいません。イエス切捨てさん、末吉さんやアゲハさん、Neilさん、学会員であろうとなかろうと言いたいことをいうのは自由です。最低限言いたい事が言えないと、ブログの意味がありません。

 そして、ネットでも言いたい事を言っても良い理由として、大聖人の御書が手紙だった事からも説明できます。御書は昔の手紙を集めたもので、大聖人と大勢の信徒の手紙なのです。今のメールです。つまり学会員はメールを信じて毎日信仰の励みにしているんです。メールかブログかのささいな違いです。学会員なら説明するまでもなく理解出来るでしょうけど、大聖人の御書には慈悲ってないんですかね?

 言いたい事なら言っても良いんですよ?正しい事ならなおさらです。しかし慈悲や責任、思いやり、理屈、「人を救う情熱」が必要です。そして人格も。出来れば納得のいく体験も。みかさんはわかってないので説明や説得が必要です。ところが一切ありません。

 説明不足だと、地獄行きさんのように、ご本尊を捨ててしまい、そして地獄に堕ちる、宿業を背負うというのが学会の見解のはずです。その意味からも説明が重要ではないのでしょうか?地獄行きさんの話からも説明不足がいかに危険かわかりますよね?>みなさん。毒さん。
 それとも軽々しく捨てても良いの?説明不足や納得して無くてノープロブレム?

 最初から私のブログを読んでもらえれば分かると思いますが、折伏や聖教新聞啓蒙(新聞を人に勧める事)はあくまでも相手や自分の幸せのはずです。信心初心者なら、まずは自分のためだけの折伏や宗教活動に為っても構わないでしょう。
ですが、ネットではまず相手の悩み事を聞く事は至難の業です。メールでも無い限り、無理でしょう。折伏に際してよく、「相手の悩み事を聞ければその折伏は出来たも同然だ」なんて指導もあるくらいです。だからネットに限らず

””実際に会う場合でもその人が信用出来ない限り、悩み事は言わないほうがいいでしょう。””

 言うと同じように祈って願いを叶えた人がいるよ?と言われたり、体験を持つ人がやってきたりして、あなたは反論出来ずに従うしかない、入信するしかない、という事になる可能性があります。

 つまり、ネット上で折伏する(悩み事を聞く)のは通常の人間関係よりも難しいはずです。これを全く分かってないのが、毒さんです。アホです。少なくとも慈悲と人格はありません。自己満足の為に批判して書いているだけです。信用してはいけません。
 学生部ならはっきりいって池田大作氏の言う、勉強(信心を含む)が足りません。男子部、女子部なら青年部にあるまじき行為です。人格も勉強も思いやり、信心、その他一切合切足りません。
 あのコメントでいったい誰が感動したり、納得したりするんでしょうか?結果オーライ主義にもなりません。この場合、説明する事は説明して、彼女の心変わりを見守るか、待つか、祈るしかできません。ネットではもう二度と会う事もないかもしれませんけど。
 ホントに脅かしているだけです。無責任です。しかもすぐに返事がない。

 創価班ではスピードが大事と教えられています。まさか創価班じゃないですよね?今だけ学会内部競争精神を持ち出して批判させて頂きますが、行動力のないじっとしている牙城会ですか?だから行動(書き込み)しないの?(学会内部競争精神(笑)、以上終わり。もう持ち出しません。(笑))
 それともニューリーダーや地区リーダー以上の幹部ですか?年齢はいくつ?中学卒業後の男子部ならしょうがないでしょう。大人じゃないから。子供だから、、。子供なら子供なりに傷ついて下さい。勉強になったでしょう。改めて下さいね。大人なら、、、、言わなくてもわかりませんか?ちゃんとして下さいね。私はあなたの幸不幸や宿業なんて知りませんよ。だから年齢を聞いたんです。

 ちなみに慈悲や創価班精神、学会精神があるなら、私の怒りを受けて謝罪なり、みかさんのフォローを「すぐに」するはずです。私は実は 毒さんコメント付くのを期待してを私のこの記事を控えて待ったんです。(特に nanaさんは'06年1月10日の記事に空欄を作ったのがそうです。nanaさんに限ってはまだ待っています。)毒さん出入り禁止にしません。お好きなようにコメントどうぞ。醜態をさらして下さい。

ま、この分なら謝罪もないですね。池田大作さん、ちゃんと指導して下さい。お願いしますね。
というわけで創価学会の信心は本人が失敗すると、このように責められても本人の自己責任になります。アゲハさんもこんな感じで責められたのかもしれません。(笑)私の言っている事は一応、筋が通っているでしょ?仏法や池田大作氏は悪いという事にはなり得ません。指導が伝わってないとか行き届いていないとか、池田氏以外の人々が未熟ということになります。仏法は完全であり、池田大作氏は永遠の指導者ということです。
長文、ごめん。いじょ。
コメント (17)
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17.学会の人はどうしてしつこいのか?その2

2006年01月14日 06時12分59秒 | 創価学会
 利害関係も特にない友人などでも、やっぱりしつこい場合(笑)があります。その人はあなたが罵ってもバカにしても布教する人ですから、あなたの幸せを祈っているか気持ちとして持っている人です。やはり先に書いたとおり信仰体験が大事でしょう。信仰体験もあって、その人の確信も高いレベルにある場合は一考してみてあげて下さい。
(但し、次の記事に書きますが、自分の事しか考えていない人がいます。)
 ではどうして断っても断ってもしつこいのでしょうか?それは結果オーライ主義。創価学会では、結論だけ書くと
「常に前向きに。常に前進。常にあきらめてはいけない。常に楽観主義でいこう。」
という指導があります。
先だって書いた随自意、なんかも常に自分がどうあるか?という意味ですが、これも関係有ります。本因妙とかも。
 一度や二度話したくらいでは、教典の量が多すぎてとても仏法の教学も話せません。八万法蔵といって八万も仏法の教典がある、、と思って下さい。生命論や十界、五重の相対、三世間、一念三千など、仏法の教学は幅が広いです。

 ””だからまともに話したとして、教学に限っても一度くらい話を聞いたのでは入信を決意まで出来ない、のは創価学会員がよぉ~く分かっています。””
ですから何度も話に来ます。

 一度でも話を聞いたならば、(完全に断らない限りは)可能性があるという事で、さらに話を聞いてもらおうとします。 何時の日か話を重ねれば理解してもらえる、、という、折伏を受けたあなたが何時の日か理解してくれる(あるいは、理解してくれるかもしれない)、、、という結果オーライ主義を期待しています。
 紹介者が何時の日か経験を積んであなたが信心するのに納得いくような信仰体験を持つ日が来るかもしれない、、。創価学会としてはこんな結果オーライ主義もあります。

 選挙、公明党も同じです。仏法の正しさから創価学会の中から優秀な人材を輩出して優秀な政治家になって、公明党の人に仏法の正しさを証明してもらおう、、折伏の時に選挙のお願いもして、話を重ね、、何時の日か公明党(だけでなく創価学会も)を理解してもらいたい、、、、という事です。

なお、仏法はどんな人にも等しく絶対的な法則となっています。ですので
●御利益や功徳を説くのはおかしい、
●他の宗教をしている。
●宗教自体を信じない。

 3つとも全部経文や御書から説明する事が出来ます。本も出版されています。ちなみに仏教は有る程度、不幸な出来事に対して、あきらめたり、あきらめて次の希望を持つ思想があります。私見ですが、日蓮大聖人でもそのようなことが見受けられます。それを折伏する時に特に無視して「絶対!絶対!絶対!」といっているのは創価学会です。私がその騙された証人です。(笑)いや、笑い事じゃありませんでした。
 もちろん創価の人が「幸せになれるかどうか判らないけど、」「駄目かもしれないけど、、」なんて言ったら誰も信心なんてしないでしょう。説得するという意味では「絶対!」と言うしかないでしょう。あとは信仰体験がやはり重要になるのでしょうかね?
 そのほかにも池田大作氏、創価学会はカルト?、公明党、など疑問があると思いますが、いずれ書きます。

06.04.04 追記
また、折伏を受ける人にとって、どの様に言って断るのか?何てマニュアルはありません。ですが、創価の人は古くは折伏(しゃくぶく)教典といって布教の分厚い本がありました。今でも創価学会入門、と言う書籍や様々な布教本が出ています。だから、創価の人はマニュアルを持っていますし、読んでいます。幹部になればなるほど、様々な切り口で説得するのに慣れています。一般の人やアンチの人が何の下調べも無しに創価の人を言い負かしたり、反論するのはきわめて難しいと思います。話が平行線になればいいですが、言いくるめられる場合が多々あると思います。私も「幸せになれますよ」という仏法議論では勝っていても「私は信心したくないです」という”意志”には勝てませんでした。
06.04.04 追記

 というわけで、2回に分けて書きましたが、教学に限っても膨大な量の話(教典)があるので、しつこくお願いします。教学的にどんな人でも救う事が出来る、となっています。さらに、折伏しないのは、無慈悲であり、その人には功徳は無い(あるいはなかなか無い、あるいは少ない)という教義なのです。
 もちろん生身の人間ですので、先に書いたとおり、信仰体験も無い人が折伏する場合もあります。それでも折伏しろ、そういう教え、教義なのです。

 そして折伏の際に、自分の事、自分の幸せしか考えない人もいます。先にコメントのあったアゲハさんの担当幹部や毒さん、ろくな説明もせず、ご本尊を持たせたのにもかかわらず、そのままになって退転してご本尊を御不敬させた人がそうです。

06.04.04 追記
コメント (2)
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16.学会の人はどうしてしつこいのか?その1

2006年01月14日 04時31分04秒 | 創価学会
 ここの記事もだいぶ増えてきて、最初から読んで頂ければ、たいだいの私の想いはおわかり頂けると思います。注意事項を書いたり、質問事項を書いてますので、ここを読んでいない人は、もうどうしようもないですが、ここをある程度読んで頂ければ、宗教という難しい話で自分にとって何が大事なのかは判ると思います。創価学会の都合の良い話や理路整然となっている、仏法や教学の話などに丸め込まれるような事はないでしょう。
 体験談を信じる信じないは、聞いた内容を信じるかどうか、そして、「折伏して迫害を受けても、また折伏して、幸福になる事が出来る」と思うか、「やってみよう」と思うかどうかはあなた次第です。
 また2世3世の人にも私からの視点で書いていきますので参考にして頂ければ幸いです。退転者に言われたくないと思うかもしれませんが、組織につかない未活動家の人に、、、です。

 そして今回は話が元に戻ってしまいますが、折伏、仏法対話、新聞啓蒙、選挙のお願いが「しつこいほどに」お願いされると思います。
 まずは、折伏、仏法対話、新聞啓蒙、の宗教的なところから書きますね。
創価学会の人があなたの事をまずは話を聞いてくれそうだ、という場合と、周りにいる人なんでもかんでも、誰にでも折伏するという場合があります。
 話を聞いてくれそうだという場合は親友だとか、あなたが会社の部下で上司に勧められるとか、友人とか家族とか親戚とか(恋人これもいつか書きますね。)の場合もあるでしょう。気が弱そうな人(これが私?(笑))もそうでしょう。ですから、こういった場合は必然的にしつこくなる場合があるでしょう。

 ですから、宗教の話と人間関係だけでなく利害関係もからんで、断りにくい場合があるでしょう。そんな場合は断り方の一つとして、

””絶対に幸せになれる、祈りが叶う、というのであれば、あなたが宗教で祈りを叶えたという証拠、幸せになったという証拠(日蓮大聖人の仏法では実証といいます)を示して下さい。そしてなおかつ、私が信じる事が出来たら考えます、考えさせて下さい””

 で、””丁重に””お断りすればいいのではないでしょうか?
 そうすれば私と某君のような悲劇は無いでしょう。先にも書いたとおり、あなたが悩み事を持っていて、例えば病気や恋愛だとして、同じ体験をした人の信仰体験を聞ける場合は、その信仰体験を聞いてなおかつ、信じるかどうかはあなた次第です。

しかもこの創価学会の宗教は「広宣流布(人の幸せ)のためならば、ご本尊様はどんな祈りも叶えてくれる。」という教義です。ですから、相手が勝手にくだらない事で祈って「叶った」なんて言わせてはいけません。

 病気が悩みの人にとって病気の体験は貴重な体験ですが、恋愛の悩みを持っている人にとって 例えば例えばですよ?「「今日、上司の人からご飯おごってもらっちゃった。これで2度目。すごい功徳。」」なんてのは「役に立つ体験」でも何でもありません。ましてやこんなくだらない事、普通の人ならば祈っていないでしょう?もちろん、ご飯おごってもらえるようにホントに祈っても良いですけどね。教義上からも学会の指導からも、「ご飯おごってもらえますように」は駄目ではありません。何時から祈ってどれだけ行動してどれだけおごってもらえたのか、是非聞いてみてはいかがでしょうか?あ、念のためですけど例えば、例えば、の話ですよ?

””その人の過去の信仰体験を聞くかこれから信仰体験をしてもらうのがいいでしょう。””

 あなたの悩み事と紹介者の悩み事が違う場合があるでしょう。それは仕方ないとしても
””少なくともどんな悩み事を祈ったのか?何時からどれだけ祈って、どれだけ宗教活動したのか?””
を聞く必要はあるでしょう。

 折伏や新聞啓蒙は今度あなたが入会すれば当然のように求められるからです。
 先にも書きましたが、ホントの信仰体験なんてそんなに有りません。創価学会員でも活動者は一部ですし、すごい信仰体験などはさらに少数です。

 あとはあなたと紹介者次第です。くだらない悩み事と思うか、出世とか誰でもしている事なのか、あたりまえの事なのかは、あなたがどう思うかです。あなたの価値感を変えても良いですが、無理矢理変える必要はないでしょう。なお、創価学会とは価値論を重視した、「価値を創造する(教育する)学会」、という意味があります。
 ですから、価値観を変えてもいいですし、そのままでもいいのです。
「ごはんを奢ってもらえる→これはすごい。高い価値がある。あぁ、なんて素敵な信心なんだ。」えぇ、もう否定しませんよ。ご飯を一生、主婦になる以外で朝昼晩奢ってもらえるなら、それは凄い価値かも知れません。犯罪者も3度の飯にタダでありつけますね。

 説明不足で入会なんてとんでもありません。「若悩乱者頭破七分」(このご本尊を悩乱する者は頭破七分になる)とご本尊に書かれています。私が退会する際、ご本尊は「あなたの命」ですから返せません。とか言って引き留めるのが創価学会ですから、絶対に先日の地獄行きさんのような説明不足があってはいけないでしょう。

長くなったのでまた次に書きます。
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