創価学会の信仰に功徳はあるか?

コメントする人は「01.創価学会の信仰に功徳はあるか?を書く前に」を読んでね。

505.(重要)日蓮系遺文集の書名と当ブログ記事で取り扱う省略名

2020年07月11日 14時47分49秒 | 日蓮系遺文
随時追記。
日蓮系遺文集の正式な書名と当ブログ記事で取り扱う各遺文集の省略名について

「霊艮閣蔵」 ・山喜房仏書林 日蓮聖人御遺文 「縮刷遺文」のこと。縮刷も遺文もユニークな名詞でないので「霊艮閣蔵」または「霊艮閣版」とする。
「大正類纂」 ・師子王文庫  類纂高祖遺文録 日蓮聖人御書全集(大正時代)
「行道文庫」 ・霊断師会   日蓮聖人御遺文(全)
「昭和新修」 ・平楽寺書店  昭和新修 日蓮聖人遺文全集 全三巻 浅井要麟
「昭和定本」 ・日蓮宗    昭和定本 日蓮聖人遺文 全四巻
「平成新修」 ・米田 淳雄  日蓮聖人遺文集
「平成類纂」 ・師子王学会  類纂日蓮聖人遺文集 大正類纂の平成版

「岩波思想」 ・岩波書店   日本思想体系14巻「日蓮」 戸頃重基・高木豊
「国訳一切」 ・大東出版   国訳一切経

●国柱会 田中智学 山川知應の系統

「本化聖典解題提要 通論(日蓮聖人遺文の梗概) 山川知應」初版は大正一二年四月、昭和の再版もあり。この本だけ何故か、山川知應。一般的には山川智応。

解説本「本化聖典解題提要 通論(日蓮聖人遺文の梗概) 山川知應」初版は大正一二年四月
辞書 「本化聖典大辞林」                    大正九年
遺文集「師子王文庫発行 類纂高祖遺文録 日蓮聖人御書全集」   初版は大正四年か?

●日蓮宗 浅井要麟の系統

遺文集「平楽寺書店 昭和新修 日蓮聖人遺文全集 上下」初版は昭和九年二月
解説本「平楽寺書店 昭和新修 日蓮聖人遺文全集 別巻」

上下別巻、全三巻セット。説明のため二行に分けた。

●日蓮宗 稲田海素の遺文集の系統と鈴木一成の解説本

「昭和定本」日蓮聖人遺文 全四巻 立正大学日蓮教学研究所編
(昭和定本三巻は目録)

解説本 「山喜房仏書林 日蓮聖人遺文の文献学的研究 鈴木一成」 初版 昭和四〇年四月八日


●創価版御書の批判シリーズに直接関係ないが、御書執筆者であれば必読かつ必携となる重要な文献。

日蓮大聖人御真蹟対照録 全三巻 片岡随喜居士編 立正安国会
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/966106 など。

日蓮聖人御真蹟対照録 全十三巻 神保弁静編 大正二〜三年 対照録出版会
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/966116 など。

日蓮聖人御遺文対照記 稲田海素 村上書店 明治四〇年
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/823849

「近代日蓮教学の回顧と展望 渡邊寶陽」
https://core.ac.uk/download/pdf/235172928.pdf



●日蓮正宗の御遺文一覧
-------------------------------
(1)「日蓮大聖人御書新集」佐藤慈豊(編) 昭和四年
  大石日応の校閲、書名も大石日応が命名。

(2)「日蓮正宗聖典」堀米日淳(編) 印刷者 浅井甚兵衛 昭和二七年四月二八日

(3)「昭和新定 日蓮大聖人御書」日達が監修? 日顕教学部長 非売品 昭和四一年〜昭和四六年(盗用剽窃の本)

(4)「平成新編 日蓮大聖人御書」監修,日顕 (編)御書編纂会 代表 藤本日潤 平成六年

(5)「平成校定 日蓮大聖人御書」監修,日顕 (編)出版委員会 代表 藤本日潤
平成一四年〜平成一五年一一月

-------------------------------

歴史上、後年に出たにもにもかかわらず、誤植、誤字、脱字。
盗用、剽窃など著作権法違反の問題などから使えない本。
「創価全集」・創価学会  日蓮大聖人御書全集
「創価編年」・創価学会  編年体 日蓮大聖人御書
「昭和新定」・富士学林  昭和新定 日蓮大聖人御書


381.創価学会の日蓮大聖人御書全集は間違いだらけ(その1) - 創価学会の信仰に功徳はあるか?

382.創価学会の日蓮大聖人御書全集は間違いだらけ(その2) - 創価学会の信仰に功徳はあるか?

404.日蓮宗で重要視されてきた解説本。(単に遺文集を修正すれば済むか?) - 創価学会の信仰に功徳はあるか?
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473.盗用剽窃が発覚した場合の他社の対応

2018年11月28日 23時33分36秒 | 日蓮系遺文
 私は百田直樹氏「日本国紀」を読んでいませんが、事実であれば神道にも関わっているようなので、謝罪の上、修正、追記(あるいは絶版)して欲しいと思いますが、どうなるのでしょうか?

創価学会については、昭和20年台から続いてる創価員の誹謗中傷、口汚さはリアルでもネットでも酷いものです。
創価の御書(御書全集、編年体)は、謝罪の上、絶版、回収しかないと思います。
なお、過去記事だけではなく、衝撃的な内容のものもあり、後日公開する予定です。

カテゴリーは本ブログの読みやすさを考え、「日蓮系遺文」にしました。

創価学会は若者を騙して奴隷にしていると私は考えています。
盗用剽窃のある御書を若者に買わせてきたわけです。
今の若者でついていく人は多くはないと思いますが、この記事や過去記事を読んでも、創価問題がわからない人は、おバカさんとしか言いようが無いですな。

【日本国紀】コピペが発覚した場合の他社の対応【ミスチル、幸福の科学、新潮社、幻冬舎…】 | 論壇net

----------<ここから>----------
コピペに対する各社の対応

コピペ問題が騒がれ続けている『日本国紀』ですが、いまだに著者の百田直樹氏からも、出版社の幻冬舎からも正式コメントが発表されていません。これは、読者からしてみれば「不誠実」に見えるのではないでしょうか。

本書に限らず、これまでもコピペ問題は何度も起きており、その度に謝罪・回収・絶版などの対処が取られてきたことは夙に知られます。そこで本記事では、これまでコピペが発覚した事件を検討しながら、その場合に出版社がどのような対処を取るのかを検討していきたいと思います。

(中略)

幸福の科学(宗教書)

イタコ芸が大人気の宗教団体「幸福の科学」の大川隆法総裁の長女、大川咲也加氏の著作(ならびにお茶の水女子大学に提出した卒業論文)にもコピペのあったことが明らかになりました。

(中略)

この出版された著書とは『神国日本の精神:真の宗教立国をめざして』のことなのですが、無断転載が発覚した後も、幸福の科学は(こっそり二刷時に注を書き足して)本書を堂々と刊行中です(但し、注無しの初版は回収されたとの情報があります)。この点で謝罪せず『日本国紀』を刊行し続けている幻冬舎は、「幸福の科学」ととてもよく似た対応をしていると評価できるでしょう。幸福の科学が初版分を回収したとの噂もありますから、これが是であるならば、幻冬舎の対応は「幸福の科学」のそれ以下であると評価できます。

ところでマスコミが「幸福の科学」に本件を問い合わせたところ、「問題ない」というコメントが帰って来たそうです。

(中略)

一方、 幻冬舎による『日本国紀』のコピペ問題のコメントはまだ発表すらされていません。しかし、この「幸福の科学」側のコメントの理論が、私には百田尚樹氏のコメントと一部重なって見えてしかたありません。

(中略)

つまり、内容・テーマが重大であるから、無断転載など取るに足らない問題であるいう理論が共通しているように思えます。ところで、「幸福の科学」は、(二刷の)出版にあたり(こっそりとですが)引用・注を付けているそうのですので、その点で『日本国紀』の著者・百田尚樹氏は、「幸福の科学」書籍の完成度にすら至っていないと評価できるでしょう。

(中略)


【まとめ】幻冬舎・百田尚樹氏と「幸福の科学」との類似

以上、無断転載・改変が明らかになった場合、それを出版(販売)している会社がどのように対応するのかについてみてきました。次の点が確認されます。

無断転載・改変が確認された場合には、回収・廃版の対処が取られる場合が多い。これは歴史小説・研究書・ライトノベルなど書籍のみならず、CDにも当てはまる。
ただし「幸福の科学」の場合は、無断転載が確認された後も、謝罪することもなく、それを販売し続けている。この姿勢は、『日本国紀』に無断転載があることを著者自身が認めたにもかかわらず、それを販売しつづける「幻冬舎」の態度と同一である。(なお、非公式ながら「幸福の科学」はコピペ疑惑本の初版初刷を回収し、それに注を加えて二刷を再刊しているので、この点で幻冬舎の出版倫理観は「幸福の科学」以下である)
無断転載に対する「幸福の科学」の弁明は、①内容・テーマが重大であるから問題ない、②注が付いているから問題ない、という二つの要点から構成される。翻って百田尚樹氏による無断転載の弁明を検討すると、①と同一の理論が確認され、よく似た理論を以って無断転載を自己弁護している。②については『日本国紀』に「注」そのものが無いため、その点で『日本国紀』は「幸福の科学」書籍以下であると評価できる。

端的に表現すれば『日本国紀』のコピペ問題に対する幻冬舎と百田尚樹氏の態度は、「幸福の科学」のそれととてもよく似ていると評価できるでしょう。

----------<ここまで>----------

上記URLは念のためローカル保管済み。

以上

2015年6月頃 大川隆法氏の長女が卒論で「盗用、剽窃」 - 創価学会の信仰に功徳はあるか?
コメント (5)
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416.創価学会の著作権法違反について

2018年01月25日 01時20分28秒 | 日蓮系遺文
●注意事項

本記事は本文でも画像でも全てにおいて引用、転載を一切、禁止します。
本記事はリンクのみ許可します。
ツイッター、フェイスブック、他ツールからでも、本記事に飛べば許可します。

●創価学会の犯罪について

 いつもより多くの方に閲覧して頂き、ありがとうございます。

 世間一般の人が創価公明の選挙依頼や新聞啓蒙、入信勧誘などを断りやすくしたいと思います。
創価学会版 御書全集(ごしょぜんしゅう)の年表画像の新規掲載と行道文庫版の画像の一部を再掲載します。

創価学会員に「創価の御書全集(ごしょぜんしゅう)と編年体御書(へんねんたいごしょ)は著作権法違反だ」と教えてあげて下さい。「日蓮系遺文」のカテゴリーを読むように言ってあげて下さい。数多くの証拠となる内容は各記事に記載してあります。

創価学会の御書全集は初版(昭和27年)から2015年7月第2版(270刷)まで全て、行道文庫版の年表を盗用または剽窃し、著作権法に違反していると思われます。
行道文庫版は昭和七年(1932年)が初版です。

創価学会版 御書全集の盗用また剽窃元になった行道文庫「日蓮聖人御遺文」の著作権保護期間は2023年までです。

創価学会員にとって日蓮遺文が書かれた御書全集は一人一冊買うものだと教わります。4人家族なら二,三冊どころか四冊あっても不思議ではありません。

●年表の画像

 創価学会版 御書全集 再版1954年(昭和29年)の年表の一部をスキャンし著作権法違反と思われる箇所に印をつけました。

サムネイル画像(クリックすると1200x800程度の画像の大きさになります。)

(再掲載)行道文庫版「日蓮聖人御遺文」 年表の最初。


(新規掲載)創価学会版「日蓮大聖人御書全集」 年表の最初。


(再掲載)行道文庫版「日蓮聖人御遺文」 年表の最後。


(新規掲載)創価学会版「日蓮大聖人御書全集」 年表の最後。


創価学会は今日2017年10月13日現在も犯罪していると私は考えています。

●過去記事のリンク

行道文庫版「日蓮聖人御遺文」の年表全ページの画像は下記の過去記事に掲載済です。

393-9.【年表と著作権法違反】御書全集(全ての版)その9 - 創価学会の信仰に功徳はあるか?

なお、ブログに未掲載の著作権法違反(が疑われる)記載も判明しています。

●参考リンク

1932年(昭和7年) 行道文庫版 日蓮聖人御遺文 年表 - YouTube

2015年 創価学会版 御書全集 著作権法違反の疑い - YouTube


別件の犯罪についての参考リンク

NTTドコモ事件(創価学会員による携帯電話通話記録窃盗事件) - 蓮の落胤-創価学会、話そうか

2017年10月13日 初回アップロード。以後選挙のたびに日付更新予定。
日付を更新
2017年10月15日
2017年10月21日
2017年11月23日

以上
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410.昭和定本の事理供養御書(白米一俵御書)現代日本語訳

2017年06月01日 00時03分20秒 | 日蓮系遺文
1.注意事項

 本記事は本文でも画像でも全てにおいて引用、転載を一切、禁止します。

本記事はリンクのみ許可します。
ツイッター、フェイスブック、他ツールからでも、本記事に飛べば許可します。

2.昭和定本の事理供養御書(白米一俵御書) 現代日本語訳
(c) 2003日蓮宗
--------------------------
白米一俵・毛芋一俵・河海苔一篭を、御使の人に託してわざわざ送り届けて頂き、たしかに受領した。

人間には二つの財物が必要である。一つには衣類であり、二つには食物である。経文には「生きているものは食物によって存在することができるのである」という。この経文の意味は、すべて生あるものは衣類と食物とによって、世に住むことができるということである。たとえば魚は水中に住んでいて、水を宝とする。木は地の上に生えていて、土地を財としているのと同じである。すなわち人間は食物によって生きているのであり、食物を第一の財としているのである。

(事の供養と理の供養)

命というものはすべての財宝の中の第一に大切な財物である。あまねく三千世界の中において身命にあたいするものはないと説かれているが、まことに三千大千世界のすべての財物をもってしても命にかえることは、とても出来ないことである。

(中略)

帰命とはわが命を仏に奉ることである。わが身にはそれぞれの分に応じて妻子や使用人、土地や資金等を持っている人もいるし、また持っていない人々もいる。しかしこうした財産を持っている人でも持っていない人であっても、命という財宝に過ぎた財宝はない。したがって昔の聖人・賢人といわれる人々は、自分の命を仏に奉って、その功徳で仏になったのである。

(中略)

すなわち雪山童子という人は、わが身を鬼神に与えて尊い教えの八字をならった。薬王菩薩はわが臂を焼いて燈明として法華経に供養された。日本でも聖徳太子は、自分の手で皮をはいで法華経を書き、天智天皇は第四指の薬指を焚いて釈迦仏に供養なされた。これらのことは聖人や賢人の行なったことであるので、われら凡夫にとっては不可能なことである。

ただし仏になるためには凡夫は「志ざし」という文字を心得て、それで仏になることができるのである。それでは志ざしということは何かというと、詳しく考えてみるに観心の法門のことである。さらに観心とはどういうことかというと、たとえば一枚しか着ていない着物を、必要とあらば法華経にさしあげることであって、これが、身の皮をはぐということと同じである。また食べる物がない飢えた時に、これを手放してしまうと今日の命をつなぐことができなくなってしまうというとき、そのただ一つしかない食物を仏に供養することであり、これが身命を仏に差し上げるということであって、こうした実践方法のことである。

このことは薬王菩薩が臂を焼き、雪山童子が身を鬼神に捧げたことにも劣らぬ功徳であるので、聖人の命を惜しまぬ供養は事(仏法を実践すること)の供養であり、凡夫の志ざしの供養は理(仏の教えに従う)の供養といえる。摩訶止観の第七に説かれている観心の檀波羅蜜(布施)という法門がこれである。真実の道は世間における事実の法理と共通するものである。

(世法即仏法)
(中略)

法華経以前の諸経では「心から万法(すべてのもの)が生じてくる。たとえば心は大地のようなものであって、そこに生えている草木は万法のようなものである」という。法華経はそうではなく、「心がすなわち大地であり、大地はただちに草木である」というのである。また諸経では「心の澄むのは月のごとく、心の清らかなことは花のごとくである」というが、法華経ではそうではなく、「月こそ心であり、花こそ心である」という法門なのである。

このことから考えてみると、送っていただいた白米はただの白米ではなく、すなわち命である。

日蓮は美食を好まぬ者であるので(世俗の栄華を望まない身の上なので)力が及ばないため、こうして山林に交わり生活しているが、しかしながら凡夫の身であるので、冬の寒さも耐えがたく、夏の暑さも防ぎがたい状態でいる。食糧も乏しい状態である。昔、万里の遠くへ旅した人がほんのわずかの食だけで苦労したとのこと、また中国の子思と孔子が百日の間に九回だけ食事をし、あとは食べる物に耐えたというが、今はそれよりも耐えがたい状態である。

ここ身延山における読経の声も絶えてしまいそうであり、心を見つめ、悟りを得るための修行もおろそかになりがちである。そうしたおりにこのたびのご供養をいただいたことは、ただ事とも思えない。きっと教主釈尊のおすすめによるものか、あるいはまた過去の世からの御縁が熟して、このようになったのか、とても手紙で書き表わすことのできるものではない深いわけがあるからであろう。恐れながら謹んで申し上げる。
--------------------------

3.昭和定本の日本語訳を考察。

 以下の「美食ををさめぬ人」の箇所がどちらの遺文に続くかで各遺文集で異なっています。
393-7.閻浮提中御書 白米一俵御書 御書全集(昭和29年再版)誤記 その7 - 創価学会の信仰に功徳はあるか?

すなわち命なり。美食ををさめぬ人なれば力をよはず山林にまじわり候ぬ。

この件に関しては昭和定本などの日蓮宗の学説を支持します。
米田淳雄さんの『平成新修 日蓮聖人遺文集』や春秋社『日蓮聖人全集』も『昭和定本』と同じでした。

(1)事理供養御書(白米一俵御書)

 日本語訳の流れから自然なのは事理供養御書(白米一俵御書)。
美食ををさめぬ人〜最後まで御供養への感謝が書かれている。
事理供養御書の冒頭に白米とある。
思子孔(ししこう)は中国の子思と孔子の伝説。師子吼ではない。
但し日蓮が書いた思子孔伝説は現代の学説から史実と異なる可能性が高いと思われる。

(2)師子王御書(閻浮提中御書)

 師子王御書(閻浮提中御書)に付加すると日本語訳の流れから不自然。
師子王御書は法難や迫害に対する「愚痴」の遺文なので、最後に突然、御供養への感謝は不自然。
師子王御書冒頭に白米と書かれてない。
思子孔を師子吼と間違えた可能性。この箇所も師子吼だと日本語訳が意味不明になる。
文中にいくつか「師子」とあるため、思子孔を師子吼と間違えたか?

創価の御書全集では平成になってから遺文が移動しているので、しっかりとした理由があるかもしれない。理由は不明。
師子王御書(閻浮提中御書)に移動した何らかの理由が大石寺にあるはずの和紙ではないか?理由は不明。
事理供養御書も師子王御書も大石寺の遺文なので2つを見た大石寺僧侶が言及している可能性がある。未確認。

4.まとめ

 図書館で確認したところ、平成校定(初版)、平成新編(五版)は師子王御書(閻浮提中御書)側に付加する学説です。
編さん時に遺文の日本語訳のチェックを行っていないと思われます。
昭和定本の学説が正しいとすると、正宗版も学会版も平成に入ってから誤記が入ったことになります。(昭和新定も平成校定と同じ。)
よって、大石寺系の教団が間違えているかどうかは確定していませんが、確定すれば自分の寺にある遺文を間違えたことになり、滑稽という他ありません。
ロクに読んでもいなければ理解もしていないのでしょう。ホント不真面目ですよね。
大石寺系の坊さんが全員無能とはいいませんが、こういう人たちに私は信徒除名されたんですね。

日蓮正宗は師子王御書に続く学説と昭和定本の事理供養御書に続く学説をそれぞれ説明する事ができるのでしょうか?
誤記だった場合でも、この件に限っては正宗が謝罪する必要はないと思いますが、最低一度は交換するとか正誤表を無料で送付するくらいは必要でしょう。

創価版は問題が多すぎて論外で、謝罪と賠償が必要なのは言うまでもありません。
今後、一般の人が買う御遺文集は正宗の平成新編になってしまうのでしょうか?残念です。

日蓮宗系の遺文集では昭和二〇年代三〇年代から当たり前の学説だったと思うので、日蓮宗僧俗の皆さんからすれば、この記事は何を今更ですよね。

つい最近の過去記事で法華経を一度でいいから日本語訳で読経や勤行してみて欲しいと書きましたが、
日蓮遺文についても日本語訳のあるものは一度は日本語訳で読んでは如何ですか?
創価などの正宗系教団の人にとって妄想や思い込みが解けていいんじゃないでしょうか?
これで「仏法と申すは勝負をさきとし」についても”仏法は勝負”という誤訳する人がいなくなって欲しいと思います。

以上

米田さんの「平成新修 日蓮聖人遺文集」や「日蓮聖人全集」も昭和定本と同じでした。

米田淳雄さんの『平成新修 日蓮聖人遺文集』や春秋社『日蓮聖人全集』も『昭和定本』と同じでした。
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409.昭和定本の師子王御書(閻浮提中御書)現代日本語訳

2017年05月31日 00時20分55秒 | 日蓮系遺文
1.注意事項

 本記事は本文でも画像でも全てにおいて引用、転載を一切、禁止します。

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2.昭和定本の師子王御書(閻浮提中御書) 現代日本語訳
(c) 2003日蓮宗
--------------------------
どうか私の弟子らは、堂々たる獅子王の子として、軽率に騒ぎまわる群猿のような連中に笑われないようにしてください。過去永遠の昔から、私のように身命を呼(と)して強敵の罪科を暴き出す獅子王はいなかったでしょう。現世における国王の弾圧は酷(きび)しい、まして来世での閻魔王の拷問はもっと凄(すま)まじいに違いありません。日本国の弾圧は水攻めのようなものです。濡れるのを嫌ってはいけません。閻魔庁の拷問は火攻めのようなものです。裸で飛び込む覚悟を持たなければなりません。大般涅槃経(だいはつねはんぎよう)の文の心は「仏法を信じて人生の苦悩から解脱しようとする人が、いささか怠慢になっているのを覚醒させるために、仏が疫病(えきびよう)をお与えになるのであるが、これは激励のためであり、勧誡のためである」というのです。正しく受けとめて、覚悟をあらたにしなければいけません。

私は凡夫です。何事も見抜く天眼通があるわけではないので一枚の紙さえも見通すことができません。いつの世の出来事でも知る宿命智(しゆくみようち)があるわけでもないので過去・現在・未来のいずれのこともわかりません。しかし、この経文のように。私は肉眼ではあるけれども天眼・宿命□□日本国に仏法が伝来してから七百余年の間の流布状況、仏教教団の八宗・十宗の邪正、中国やインドの仏教論書を著わした人や仏法を説いた人の優劣、八万巻・十二種の仏教経典の内容などをだいたい考察し、わが国が衰滅するであろうことを予知・予告しましたが、それが当たっているようです。これはみな法華経の偉大なお力によるものです。それなのに国主は、人を陥れようとする連中の悪口に迷わされて私たちを弾圧するので、まあこれも凡夫の仕業だから誤りがあってもやむをえないと思われて、当方としてはべつに主張を曲げるつもりはなかったのですが、たびたび迫害に及び(後欠)
--------------------------

以上
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408.学者の方々は創価の教学構築、御書や解説本作成に協力しないで欲しい

2017年05月30日 00時11分48秒 | 日蓮系遺文
宮田幸一さん、小林正博さん、前川健一さんなどの創価系の学者の方々に向けての記事だったのですが別の大きな問題が判明したので、一部分とし簡単に書きます。

●創価系の学者の方々にお願いしたいこと。

 創価系や創価大学系の学者の方々が創価学会員であるかどうか私は知りません。
宮田さんの声だけはYou Tubeで聞いて知っていますが、それだけです。
他の各々の方々の年齢や顔、経歴や家族構成などもしりません。
宮田さん、小林さん、前川さんの研究テーマが日蓮遺文関連だと考えて推測のもとに書いています。

結論から先に書くと、学者の方々は創価学会の教学構築と御書作成、解説本作成に可能な限り協力しないで欲しいです。
御書の盗用または剽窃について学会本部が公式に謝罪と賠償(御書交換など)を表明してから協力して欲しいです。
もう、改訂作業かあるいは教学構築と御書作成、解説本作成を「命令され」協力し始めているのかもしれませんが。
謝罪がないままだと、論文や本を読んで末端の創価学会員が余計、妄想し、つけあがるだけです。(創価はすごい、池田先生はすごい、日蓮はすごい)

有能な学者であるからこそ、私は学者の方々には創価学会を退会して欲しいと思います。
それは無理かもしれません。

 創価大学職員や東洋哲学研究所も退職して欲しいです。
やはり無理でしょうね。
日蓮系や天台法華などに私が転職先を紹介できれば良いのですが、私は全くの無力です。

●命令されていませんか?

 定年退職したら、以下の様な本を参考に社会への警鐘として体験を記録した本を出して欲しいです。
「オウムと私 林郁夫」

読めばわかりますが、有能なスキルと心のスキルは別問題だと私は考えています。
林郁夫は有能だったでしょうし、今でも有能でしょう。同じテストをしたら私は負けるでしょう。
彼自身の信仰体験の欲求と師匠である麻原との人間関係等々の彼のエゴを優先し、他人を劣後(後回し)にした結果が数々のオウム事件です。
高い医学のスキルを持ちながら、医学を悪用したのは言うまでもありません。

研究者は研究だけに没頭し、学会員、退会者、関係者間のトラブルは無視したいのかもしれません。
「自分さえ(自分の研究さえ)良ければ、他はどうなってもいい」という論理は法華経から出てくるのでしょうか?出てこないですよね。

オウムも創価も命令で動かされていることが多いのが重大なポイントです。
創価学会では仏意仏勅(ぶついぶっちょく)とよくいいます。勅とは勅命です。命令です。
オウムと創価の違いは人を殺したか、殺してないかだけであって、同じ命令です。学者からみたら盗用剽窃は裁判で判決が出なくても犯罪扱いではないですか?

御書全集の盗用または剽窃は、戸田城聖が指揮命令したに違いありません。

●盗用または剽窃にどこまで言及できるのでしょうか?

 日本宗教学会の宮田さんの発表がなされてから、どうなるか注目していました。
学会本部も軽率に早期にダメ出しをしましたね。あれは取り下げる命令だったのではないですか?
宮田さんを可哀想だとも思いますが、創価で飯を食っているから自業自得だとも思えます。

過去に原発事故では原発関連の学者に対し、御用学者という批判もありました。
マスコミに対しての批判の中に「報道しない自由」という社会的批判があります。

例えば、小林さんの論文を見ると創価にとって都合の悪いと思われる指摘がなされています。
しかしながら盗用と剽窃にまでは踏み込んでいません。
今後、創価のパクリ本の盗用と剽窃にまで、言及できるのでしょうか?出来ないのでは?
仮に言及したとしても1ページだけとか、オブラートに包まれて末端のオバちゃん創価学会員が十二分に反省出来るような文章になるのでしょうか?
学会本部からクレームが来て書き換えか取り下げを要求されるのではないでしょうか?

今年1月になる以前から私は学会系学者の方々を不愉快に思っていました。
それでも御書の盗用または剽窃が発覚しなければ、実名を上げてまで批判記事を書くことはなかったでしょう。
1月なかば以降、多くの問題点を見つけ、多くのことを考えましたが、霊艮閣版や昭和定本の批評をしている場合ではないと思います。

再度書きますが、学者の方々は創価学会の教学構築と御書作成、解説本作成に絶対に協力しないで欲しいです。

浅見定雄さん「“何を信じているか”ではなく“何をしているか”で判断する」

論文や出版は自由ですが、今後、どのような内容になるのか厳しく見られると思います。
御書の盗用または剽窃が発覚した以上、日蓮遺文に関係するとしても、保身ために創価寄りではなく、もっと一般民衆、一般社会寄りに関係を持って下さい。

 他には細かなことですが、創価に悪用されないよう、今後の論文や書籍の文章や構成に可能な限りガードをかけて欲しいです。
創価学会は会長の出版物でも平気で改ざんするので無駄かもしれませんが、何もしないよりマシでしょう。
宮田さんの発表があさってあたりに創価に突然採用されても驚きませんし、あまり興味はありません。カルトとして部分的に悪用され続けるだけだと思うからです。カルトとして捉えて考察するなら部分的に興味は持ってます。
数百年後か数十年後に金庫に金がなくなり、本部職員が折伏を初めたら、ようやく変わり初めるでしょう。

以上
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407-2.創価学会に不可能な出版物と責任明記(その2)

2017年05月29日 01時05分39秒 | 日蓮系遺文
(前回からの続き)

3-4.遺文集解説本を学者が書く可能性はあるか?

 学者が書く場合、学会教学部が書くより信用はされるかもしれません。少しは、ですが。最大の問題は遺文集の解説本を一人の中心者で執筆できるのでしょうか?

 宮田幸一さん、小林正博さん、前川健一さん辺りに書かせて、会長は知らんぷり。
彼ら3人のうち一人、あるいは複数が書いて個々に記述した箇所を本人の記名、つまり著者名が明記できるのでしょうか?
遺文集の盗用と剽窃し、現在進行形なのが創価学会です。その学会のゴーストライターを学者が行い、学者名はないまま学会教学部として出版した場合、学者としてどうなんでしょうか?創価側からの謝罪がないと学者生命は終わらないのでしょうか?生命論が大好きな創価学会だけに「生も歓喜!死も歓喜!」なので無問題かもしれません。

 普通の本や教団なら複数人で一冊の本を書いても全く問題ないでしょう。日蓮遺文集の遺文選定や年代特定の研究に複数で取り掛かかるとしても、最後は誰か一人が決定して、責任を負うことが学会には出来無さそうです。
なお、学者が書くと必然的に「学者が上、池田大作が下」になります。
また、「原田会長あるいは次期会長が上、池田大作が下」という形で創価学会にしか通用しない都合で悪用されるかもしれません。

誰も責任を取らない形にするには、学者がゴーストライトし、池田大作か原田の著作として献上するのが一番でしょうか?

今現在の編年体の解説本を出すのも選択肢ですが、年表、独自命名の酷さ、異称の盗用剽窃、誤記や問題点などに「池田大作は今まで無視か放置していて何をやってたんだ?」という新たな疑問しか出てきません。

御遺文集の解説本は日蓮宗の本を見ると、きちんと研究した人、学んだ人でないと書けない、それと同時に
解説本を書けるくらいの人でないと遺文集の執筆の指揮も出来はしないと思います。きちんとした研究もせずに慌てて出すと、御書全集の二の舞いで出来の悪い解説本になるかもしれません。

(執筆作業は部下だとしても。)

 鈴木一成さんの本をとうようして、+アルファとして偽書や偽書濃厚な大石寺の相伝文書(6,7つ)を仏教学界隈が驚くくらいに真書であると証明できれば創価の大勝利!かもしれません。祈りや宿命転換で不可能を可能にするのが、創価の信心でしたっけ?

(4)創価学会から解説本は出さない選択肢

 創価学会から解説本は出さない選択肢もあります。が、平成新編について、日蓮正宗の学説を解説した本が出た場合、教学と教団トップのサポートの2つに上下関係が出来ます。(既に正宗の解説本存在するのかもしれませんが。)

 「正宗は上、学会は下」を嫌う創価学会側にとって最も嫌なケースかもしれません。

解説本が出ないと、所詮は「信徒向け遺文集」であると学会本部が認定し末端会員、会員サポートをバカにし、軽視した結果になると思います。

解説本がないままに新しい創価版遺文集が出ると、創価学会には研究、調査能力(仏教系宗教教団の教学力)がないことを二重に証明することになります。昭和二七年から今まで、それから加えて今現在という意味です。
学会教学部や東洋哲学研究所の存在意義ってあるんですかね?

私が過去、学会組織に依頼され、日蓮正宗寺院の盗聴盗撮したように盗聴盗撮能力だけは法灯連綿とあるのでしょうか?

(5)新しい創価版遺文集の作成記録

 遺文集編さんを何度も経験している日蓮宗の僧侶と比較して学会側は基礎的な研究と論文と経験が不足しているでしょう。(それでも遺文集は一から作ったほうが早い気がします)

 「何を底本として御遺文集の執筆者が誰で、何年何月何日、どの様に作業したかの記録と公表されるべき」です。複数の担当者がいる場合はそれも明記すべきです。執筆担当者だけでなく、校正担当者も聖教新聞で明記すべきでしょう。なおかつ事前計画と執筆進捗も公表されるべきでしょう。2ヶ月おきくらいで経過を公表するなら負担はないでしょう。なにせ学会本部は高学歴の人ばかり集まっているそうですから。
 創価学会は裁判好きで、「敵対者に対して執拗に、何時何処で誰が何をしたのか明確にしろ!」とよく書いていました。
 日顕が日達氏から血脈相承を一九七八年(昭和五三年)四月一五日に受けたと自己申告しています。これについても同様に学会側が質問していましたから、御書編さんも当然記録すべきでしょう。

●まとめ

 創価学会が責任を明確にして記名や編さん過程を記録し詳細を明かすのは難しそうです。
不可能を可能にするのが、創価の信心でしたっけ?
大御本尊すら信仰の目標にしなくなった今、末端会員は一体、何を信仰し何を学んでいるんでしょうね。
本部職員はメンツとお金にこだわってお金の収集だけは目標にしていると思います。
(1)(2)自体が無理そうですが、謝罪がないままだと学会本部トップだけでなく、地域の末端会員がつけあがったままな点が大問題です。
きっちり謝罪と賠償をして欲しいところです。

「日蓮正宗が悪で、日顕が天魔、学会が絶対正義」なんて教えられましたが、大嘘と妄想でしかありませんでした。今後、学会から遺文集や解説本が出ても出なくても、どちらにせよ御書全集がパクり本である事実に変わりはありません。

以上

日顕や大石寺の坊さん連中について私個人はよく思っていません。他の各寺院の僧侶は未批評です。問題を煽ったか、収集できなかったか信徒擁護の意見しなかった等々の問題は間違いなく存在します。
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407-1.創価学会に不可能な出版物と責任明記(その1)

2017年05月28日 01時19分34秒 | 日蓮系遺文
1.注意事項

 本記事は本文でも画像でも全てにおいて引用、転載を一切、禁止します。

本記事はリンクのみ許可します。
ツイッター、フェイスブック、他ツールからでも、本記事に飛べば許可します。

2.創価学会が出せそうにない出版物や責任明記などを纏めてみました。

400〜402番の過去記事の内容と一部、重複します。

(1)御書全集の盗用と剽窃を検証し謝罪を明記した本。

 原田会長の記名と教学部。
 送料込みで無料配布すべき。

責任を認めるスキルのない池田大作には出来ないと思います。

(2)編年体の盗用と剽窃を検証し謝罪を明記した本。

 原田会長の記名と教学部
 (1)と同じ本でも可。送料込みで無料配布すべき。

創価学会から盗用剽窃の謝罪があると仮定して以下の事柄が考察されます。

(3)新しい遺文集の解説本は出版可能か?

 ここで言う解説本とは404.番記事で紹介したような遺文集の解説本のことです。

3-1.遺文集解説本の出版時期について

 日蓮宗の遺文集解説本は大正、昭和初期に出ています。
創価学会の解説本が今年出たとしても、おおよそ九四年も遅れていることを明記できるのでしょうか?

「本化聖典解題提要 通論(日蓮聖人遺文の梗概)」初版は大正一二年四月。
「平楽寺書店 昭和新修 日蓮聖人遺文全集 別巻」初版は昭和九年二月

学会トップのメンツやプライドが素晴らしく高そうなので無理ではないでしょうか?

3-2.執筆者は誰か?正宗法主監修、記名はあるか?

 改訂版を出すにしても、新しい遺文集を出すにしても、編年体(あるいは、今度こそ!行道文庫版を真似た義類別+編年体)しかありえません。御書全集の意味不明な遺文の並びはあり得ません。
正宗の平成新編は編年体です。もし平成新編と別に学会から出版するのであれば、遺文の年代特定、遺文選定理由、異体字、略字、等々の解説本があれば現代的と言えるでしょう。

 池田大作名誉会長の執筆+正宗法主監修、記名。 
 池田大作名誉会長の執筆+正宗法主記名なし。

 原田会長の執筆+正宗法主監修、記名。
 原田会長の執筆+正宗法主記名なし。

 池田大作名誉会長が執筆(実際はゴーストライター)して正宗が認可すると、池田大作の年賀状を受け取った某国の最高指導者と日如氏が同じレベルということになってしまいます。

創価学会会長レベルだと別の問題が発生します。(後述)

3-3.日蓮系の遺文集と解説本は日蓮系僧俗の努力と研究で成り立っています。
 日蓮宗を邪宗呼ばわりしたことを謝罪し、日蓮宗の努力と研究を認め、なおかつ感謝できるのでしょうか?(日蓮正宗を含む)小樽問答の謝罪も上記の謝罪本(1)に含めることは可能です。


学会トップのメンツやプライドが素晴らしく高そうなので無理ではないでしょうか?


(つづく)
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406.御書全集発刊に関するウソの数々

2017年05月19日 00時42分32秒 | 日蓮系遺文
●創価学会の日蓮正宗を批判するビデオ

 闇は去り、太陽は昇った ~平成の宗教改革~ 第2部

闇は去り、太陽は昇った ~平成の宗教改革~ 第2部 (21分頃から23:12頃まで)- YouTube

22:00あたり動画をよく見ると昭和二七年に出版された創価学会版「御書全集の初版」が見えます。
創価学会本部は縮刷遺文や「行道文庫版 日蓮聖人御遺文」と比較し説明の上、謝罪をすることが可能です。
知らぬ存ぜぬ、初版はもう保管していませんなどの言い訳は出来ません。

サムネイル画像


創価学会がクレームを付けて動画は消えてしまうかもしれません。
参考
Youtubeで保存できない一部の動画をダウンロードする方法 -
Offliberty - evidence of offline life

●創価学会は昭和二七年から退転集団

 創価学会の遺文集は著作権法違反の疑いがあります。
ということは、2017年5月現在、倫理的に販売できる御書は存在していません。
「牧口門下は教学がないから退転した。」
とビデオにあります。
教学がないどころでなく、教学を学ぶ御書が無いと言っても過言ではないでしょう。
反社会的なパクリ本二冊しかないのにもかかわらず、退会した人に退転者扱いは問題があります。
「創価学会は御書がないから退転(退会)すべき。」

著作権法違反の疑いがあるパクリ本を避けて、創価学会を退会するのが正しいと思います。

●故・渡辺慈済氏の証言は怪しい。

二〇一七年四月二八日の聖教新聞には学会幹部が「日蓮正宗は梵鐘の鋳造で協力しなかった」(主旨)とありますが言いがかりでしょう。

サムネイル画像


ビデオには日蓮正宗が御書編さんの聖業を黙殺した。とありますが、これも大嘘です。

宗教法人認可のために日蓮正宗は「日蓮正宗聖典」を作成していたのが事実と思われます。
創価学会も宗教法人認可のために「御書全集」を作成していました。
出版されたのは、どちらも同じ昭和二七年四月です。
学会側が正宗の動向を知らないはずがありません。

渡辺慈済氏は「御書を出すんだから、少なくても一〇人二〇人の手伝いを日蓮正宗教学部のほうからまわしてくるのが本当でしょう」(主旨)と言っています。

昭和二七年時の日蓮正宗は教学部長が不在で、教学主任は阿部日顕だけだったのでしょうか?
教学部長でもなく、30歳くらいの年齢で、位の低い僧侶だっただろう当時の阿部日顕にどんな権限があったのでしょうか?
私は堀日亨が編さんしていないと考えていますので、創価学会のビデオの根拠はとても怪しいと思います。

宗教法人認可には昭和四年「日蓮大聖人御書新集」佐藤慈豊の遺文集を提出して、正宗は創価学会を手伝うべきだったかもしれません。ただし宗教法人認可に経典や家中抄などの掲載が必要なら正宗聖典の構成が必要かもしれません。

もし今後、創価が新しい遺文集を出すならば、正宗の協力無しでは格好がつきません。
学会が単独で遺文集を出すと、渡辺慈済氏を裏切ったことになると思います。
渡辺慈済氏の発言を都合のいい時は悪用して、ポイ捨てですかね?

●アニメ人間革命

アニメ人間革命 第7巻「驀進」(7m18s〜9m20sあたり) - YouTube

「それにしても本当に良かった。これで日蓮大聖人の正しい全御遺文集が七〇〇年後に初めて刊行されたのです。大聖人様はどれほどお喜びであろうか。」

過去記事参照。
381.創価学会の日蓮大聖人御書全集は間違いだらけ(その1) - 創価学会の信仰に功徳はあるか?
-----------------------
創価学会版『日蓮大聖人御書全集』の「発刊の辞」は大ウソです。
平楽寺版 「昭和新修 日蓮聖人遺文全集」の別巻を見ると、大正以降に限っても日蓮の遺文集は活字版だけで20近く刊行されています。
-----------------------

●池田大作 旧・人間革命

池田大作 旧・人間革命 五巻 一九九二年五五冊
二九六ページ
------------------------
御苦労でした。これで立派に七百年祭を迎えることができる。
大御本尊様の御前に、御書をお供えすることができる。私は懲しいのです。
容易ならぬ事業であったが、しかし、私たちの力を過信してはならない。
帰するところは、御本尊様のお力です。また七百年という時の力であります。
それに、創価学会の私たちが、お手伝いできた。これ以上の名誉はないだろう。
------------------------

大御本尊の力は盗用の力ということでしょうか!?

二九八ページ
------------------------
聞くところによると、身延のほうは、三冊に分割して出すとのことで、しかも未だできていない。
完全にわれわれの勝利です。七百年祭に間に合ったことは、不思議です。
それよりも、今になって不思議に思うことは、私が二十有余年、出版事業の経験をつんできたことだ。
この過去のながい経験が、この御書一冊を作るためにあったのかと思いあたり、痛感するのです。
------------------------

おそらく日蓮宗の昭和定本のことだと思います。
「完全にわれわれの勝利です。」って。
完全に「盗用と剽窃」が出来て完全犯罪で大勝利!と言いたいのでしょうか?

もうわかると思いますが、信徒用と研究用を一緒にしてはいけないでしょう。
書籍のページ数や基礎資料、調査時間など人員の質、他多数、何もかもが違い過ぎます。
智英日明や小川泰堂から始まって、稲田海素など日蓮宗の僧俗が長年にわたって苦労し努力した成果が昭和定本です。
昭和定本にも細かな問題があると聞いていますが、感謝する人はいても悪くいう人は皆無でしょう。


反対に創価学会の御書全集は、日蓮宗の遺文集を盗用し悪口まで書いてます。
大聖人直結の信心と宣言するならば、日蓮墨筆か昭和定本を読むべきでしょう。
創価のオバちゃんの教学力が上がって退会者への悪口や他宗に誹謗中傷しなくなるでしょう。

●まとめ

「闇は去り、太陽は昇った ~平成の宗教改革~」を見て、日顕と日蓮正宗に落ち度や問題があったのは言うまでもありません。


以上
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405.日蓮正宗の御遺文一覧

2017年05月18日 00時09分33秒 | 日蓮系遺文
資料性があるので随時更新するかもしれません。

●日蓮正宗の御遺文一覧
-------------------------------
(1)「日蓮大聖人御書新集」佐藤慈豊(編) 昭和四年

(2)「日蓮正宗聖典」堀米日淳(編) 印刷者 浅井甚兵衛 昭和二七年四月二八日

(3)「昭和新定 日蓮大聖人御書」日達が監修? 日顕教学部長 非売品 昭和四一年〜昭和四六年

(4)「平成新編 日蓮大聖人御書」監修,日顕 (編)御書編纂会 代表 藤本日潤 平成六年

(5)「平成校定 日蓮大聖人御書」監修,日顕 (編)出版委員会 代表 藤本日潤
平成一四年〜平成一五年一一月

-------------------------------
創価学会版の御書全集は省略した。

(1)大石日応の校閲、書名も大石日応が命名。

(1)の補足 過去記事

382.創価学会の日蓮大聖人御書全集は間違いだらけ(その2) - 創価学会の信仰に功徳はあるか?
-------------------------------
佐藤慈豊の御書は牧口の遺品にはなく、縮刷遺文(霊艮閣蔵版)でした。
(牧口は国立戒壇肯定派。三谷素啓と藤本秀之助は佐藤慈豊の教えを受けて国立戒壇否定派でした。)
-------------------------------

(3)坊さん向け。研究用だが研究には使えない。

昭和新定は日蓮宗の昭和定本のパクリ本です。
許可を取り、凡例に昭和定本を底本とした、と書けばいいものを昭和定本の書名はありません。
日蓮正宗は一応、伝統教団であり、すぐに許可されたと思います。ナゾです。

昭和定本、三巻、四巻のような資料は全く無い。
「日蓮聖人遺文の文献学的研究」、昭和新修別巻、「本化聖典解題提要 通論」の様な解説本もありません。
(例)
例えば、八風抄はどこから収録されたのか?など、録内録外の一覧を調べようとしても手がかりが何もありません。
昭和定本三巻四巻や「日蓮聖人遺文の文献学的研究」、昭和新修別巻、「本化聖典解題提要 通論」などの解説本は目的に対して万能とは言いませんが調べることが可能です。

非売品のためか序文なし。
昭和四〇年段階で正宗で偽書と言われれる、不動愛染感見記が記載されているのは、やや疑問です。解説本もありません。昭和定本を真似て全てを掲載する方針だったのでしょう。
奥付の前のページに記載されている注記一覧は昭和定本とほとんど同じフォーマット。

奥付は御書全集の奥付とほとんど同じフォーマット。行道文庫版の奥付の名残があります。但し大きさは小さくなっています。一巻奥付には池田大作の名前があります。
これに関しては創価学会が加害者であり、日蓮正宗が被害者だと推測されます。

非売品なので私的同人本みたいなものでしょうか?

(4)信徒向け。編年体。

聞くところによると「平成新編」は創価学会側から創価新報などで指摘されて誤記を修正し、改訂を4,5回重ねているそうです。
誤記や問題があるのが良いとは言いませんが、改訂している点については良心的か誠実な対応だと思います。

平成六年に初版が出て、今は平成二九年ですから、おおよそ二〇年の間に4,5回のペースです。

私が御書全集と編年体の指摘している点について、創価学会側は私を一切否定できません。
第二代会長の戸田城聖の序文だけでなく、創価学会側の公式出版物で正宗の遺文の指摘をしていますから、私の言動を否定することは出来ないということです。

平成新編を使うか編年体の改訂版を出すか、待ったなしというところでしょう。
平成新編を学会幹部が読んでいれば末端の会員が読んでも問題ありません。

平成新編 日蓮大聖人御書 目次
wgetにてローカルに保管済。
再配布はできないと思いますので、GUIのダウンロードソフトを使うか
LinuxやMac、Cygwinでコマンドラインが理解出来る人は次のようにすれば一括でダウンロードできます。
mkdir work1 ワークディレクトリを作成。
cd work1   移動する。
wget -r -l 3 http://tidouji.la.coocan.jp/gosyo/mokujipdf.html 回線速度が早ければ一分もかからず一括でwork1の中にHTMLとPDFがダウンロードできます。

●まとめ

(4)(5)については法主と編さん代表の名前が明記されているので「名前を明記する責任を果たしています。」日蓮正宗の正式な御遺文と言えると思います。

御書全集は堀日亨編さんとありますが、大嘘で酷い出来です。
編年体も酷い出来で、なおかつ日蓮正宗の法主、第三代会長池田大作どちらの記名もありません。
創価学会の御書全集と編年体に頼り切りで、平成六年まで信徒向けの遺文集がなかったのは、問題だったでしょう。
日蓮正宗の御書の作成期間を見ても、やはり御書全集が一〇ヶ月で出来たのも大嘘で、書き写して盗用したからでしょう。

平成新編についてはどんな出来か興味があります。

学問的な問題としては日興門流の偽書、真偽未決や相伝書などの遺文の問題がありますし、私個人の気持ちとしては、日蓮正宗の遺文なので広まってほしくないです。
しかし、学会本部が指摘して修正を続けたとなると、その他の出来はある程度良いのかもしれません。
創価学会は指摘して失敗でしたね。御書全集、編年体の出来が最高だと盲信、妄想していたからなのでしょう。未だに御書全集の遺文の並びに違和感のない学会員がほとんどではないでしょうか?
世間一般向けの信徒用には「行道文庫 日蓮聖人御遺文」が改訂されて文字が見えるようになり、評価され広まって欲しいと個人的に思います。

以上
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404.日蓮宗で重要視されてきた解説本。(単に遺文集を修正すれば済むか?)

2017年05月17日 00時50分50秒 | 日蓮系遺文
資料性があるので随時更新するかもしれません。

●遺文集を支える論文や研究書

先の記事で以下のとおりに書きました。
------------------------
「山喜房仏書林 日蓮聖人遺文の文献学的研究 鈴木一成」(一一ページ以降)初版は昭和四〇年四月八日
「平楽寺書店 昭和新修 日蓮聖人遺文全集 別巻」(一〜三五ページ)   初版は昭和九年二月
「日蓮宗 昭和定本 日蓮聖人遺文 三巻 目録」

非売品で中古本だけと思われる
「本化聖典解題提要 通論(日蓮聖人遺文の梗概) 山川知應」(一九二〜二二一ページ)初版は大正一二年四月、昭和の再版もあり。
この本だけ何故か、山川知應です。一般的には山川智応。

文献学的研究、昭和新修の別巻、解題提要の三冊については、これらの本を読むとわかりますが、各遺文集と対になっているのです。
------------------------

(1)国柱会 田中智学 山川知應の系統

解説本「本化聖典解題提要 通論(日蓮聖人遺文の梗概) 山川知應」 初版は大正一二年四月
辞書 「本化聖典大辞林」                     大正九年
遺文集「師子王文庫発行 類纂高祖遺文録 日蓮聖人御書全集」    初版は大正四年か?

現在は「大正類纂 高祖遺文録」を中心に読んでいる人は殆どいないと思います。
創価の盗用元探し目的とはいえ、私だけでは?(^_^;)
平成に出版された「師子王学会出版部 類纂日蓮聖人遺文集 平成版」もあります。

「本化聖典大辞林」は大正、昭和に国書刊行会、師子王文庫、山喜房など複数から出版されました。
現在でも中古で手に入ります。
解像度の低く印刷の悪い白黒写真ですが、失われた建物などの写真が幾つもあり貴重です。
最新の学説を除いて、仏教用語などの辞書として「現在でも使える辞書」です。

(2)日蓮宗 浅井要麟の系統

遺文集「平楽寺書店 昭和新修 日蓮聖人遺文全集 上下」   初版は昭和九年二月
解説本「平楽寺書店 昭和新修 日蓮聖人遺文全集 別巻」

普通に買うと、上下別巻、全三巻のセットですが、本記事では説明のため二行に分けました。

(3)日蓮宗 稲田海素の遺文集の系統と鈴木一成の解説本

遺文集と資料「日蓮宗 昭和定本 日蓮聖人遺文」 全四巻
解説本   「山喜房仏書林 日蓮聖人遺文の文献学的研究 鈴木一成」 初版 昭和四〇年四月八日

日蓮系では有名な昭和定本には三巻、四巻に膨大な資料があります。
他にも各遺文の系年などの学説を支えているのが、「日蓮聖人遺文の文献学的研究」だと思われます。ここでは紹介しなかった執行海秀さんの本もそうなのかもしれません。

昭和定本の奥付には日蓮宗の法主の記名もありますし、望月歓厚さん、鈴木一成さんの名前が併記されています。(望月歓厚さんの本は再販して安くして欲しいです。個人的に。(^_^;))

鈴木一成さんの死後は日蓮宗のお坊さんの研究により昭和定本が更新されていると思います。
創価学会のパクリ本の盗用剽窃元を探すのが最優先で、日蓮宗の研究論文を探す時間は当分、無さそうです。
少しずつ調べるしかないのですが。。。。

●まとめ

 日蓮宗では各々の解説本が「大正時代から出ています。」
大切なのは遺文集だけではなく、研究論文やこうした書籍も大事ということです。
これらの解説本は遺文集を作成する際の基礎資料の全てか一部であったことは疑う余地がありません。
マインドコントロールのある人を除き、普通の人であれば容易に理解できます。
例えば、遺文の年代特定や真偽未決など根拠が文献になっているということです。
創価や正宗の大好きな文証、理証ってやつですな。

昭和定本の参考文献に山川智応の本があること、浅井要麟の昭和新修と昭和定本に類似点があることなど、昭和定本がこれらを参考にしている点は言うまでもありません。

私のブログ読者は創価などの正宗系教団がほとんどだと思いますが、昭和定本に関して私が良い点を列挙したので、なんとなくでも理解して欲しいです。
実際は、日蓮宗の本を手にとって読まないかぎりは全く理解できないと思います。

正宗系教団側が反論するのはかまいませんが、批判と非難の違い。学説とは何か、どう使うべきか。日蓮教学と宗学の違いくらいは明記して下さい。そうでない方は時間の都合上お断りします。ブログ読者で遺文の異称に*を付けて自己顕示するのが異常に思えない人はもういないと思っています。
八風抄など、創価学会が独自に命名したなどと、元学会員の私でも恥ずかしいです。

遺文集の誤記や問題点を修正すれば済む、という単純な問題でないことをわかって欲しいです。

日蓮正宗には単独の解説本はあっても、遺文集の基礎資料となる解説本は存在していないそうです。創価学会が基礎的な研究もなく遺文集を修正すれば、それはやはり何処かの教団の学説を盗用または剽窃したことになります。

高橋粛道「日蓮正宗史の研究」
山口範道「日蓮正宗史の基礎的研究」

これらの本を読む気はないのですが、学会版2つの遺文集はもちろんのこと、平成新編に正式資料として、反映されているとは思えません。

「平成校定 日蓮大聖人御書」は未調査です。

池田大作が世界のリーダーとか世界の指導者とかお笑いにも程があるでしょう。
世界のリーダー、世界の指導者、永遠の師匠なりのきちんとした説明と謝罪を期待したいところですが、私は出来はしないと思っています。

昭和定本で望月歓厚さん、鈴木一成さんが日蓮宗法主の名前と併記されるくらいです。
新しい創価学会版遺文集が出るとすれば、日蓮正宗法主の名前と併記されるのは、「御本尊と信心のことを一番理解している、永遠の師匠であらせられる池田大作プレジデントしかいない」でしょう。

御書全集が一〇ヶ月で作成できるならば、池田大作著の”日蓮遺文の研究”についての解説本は二ヶ月もあれば大勝利で出るとおもいますが、如何でしょうか〜。

以上

獅子王

師子王
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403.学会版編年体と「時間をかけて読むべき日蓮宗の本」

2017年05月13日 00時01分33秒 | 日蓮系遺文
学会版編年体の異称について、誤記や問題点が数多くあります。
皆さんがどう思うかは自由ですが、その他の病的な問題もあると個人的に考えています。
バカとかアホとか誤記とかでは済まない問題だとおもいます。

●誰に対して書くか悩みました。

 本記事についてですが、今回ばかりは学会員に対して書くか、一般の人だけにむけて書くべきか悩みました。
学会版編年体があまりにも酷いのと、末端の盲信している会員は「酷さを全く理解できない」と考えたからです。

 398.記事について調べて問題を理解出来る末端の学会員は皆無だと思います。
池田先生、創価学会万歳状態で思考停止とマインドコントロールがあるためにマトモな調査行動や思考は出来ないと思います。
調査行動や思考が出来る人なら、富士門流信徒BBSや犀角独歩さんのブログ等々を読んで、とっくに退会か未活動化していると思います。

古来から使われている異称に「*」をつけて創価学会が新たに勘案したと編年体に書かれています。
学会本部で勘案して学会独自のユニーク名をつければ、文献学や日蓮学(日蓮個人の学問)や日蓮系全体を学ぶ宗学(日蓮だけでない日蓮宗派学、日蓮系学)の視点からはバカにされて当然です。
ユニークな命名だけであれば、盗用または剽窃などを理由に著作権法違反に問われることはありません。本記事は著作権の問題ではありません。

皆さんがどう思うかは自由ですが、、
一九五二年(昭和二七年)に出版した学会版御書全集で記載した異称があります。
「古来から使われている異称」を一九七四年(昭和四九年)編年体で新たに勘案したとして「*」を付けるのは病的な異常だと思います。

●正本堂のレリーフに描かれた裸の男

 病的な問題で思い出すのが正本堂のレリーフに描かれた裸の男です。
google検索で「池田大作 裸 レリーフ」「正本堂 裸 レリーフ」で検索すると出てきます。

貴重な写真はこちら。
犀の角のように独り歩め:圧巻『正本堂』を覧る(5)

価値[再]創造 : 学会の歴史(昭和56年) (11)

私が愛した池田大作 ~半裸のレリーフ その2 - 真実と幻想と創価学会

他には藤原行正氏が書いた「講談社 池田大作の素顔 藤原行正」の池田大作の実像が重なると思います。
読後の感想では矢野絢也氏の「私が愛した池田大作」だと病的な池田大作はあまり見えてこなかったように記憶しています。

レリーフを作ったのは池田大作ではありません。作ったのは誰か知りませんが、おそらく依頼された芸術部の学会員でしょう。
作成して正本堂に設置して平気で記念写真にとってしまうくらい、池田大作は平気なのでしょう。
御供養したので、池田は寧ろ良いことをしたと思っていたのでは?
批判されても正本堂解体の最後までレリーフを取り外さなかったのが異常ではないでしょうか?

学会版編年体を実際に執筆したのは池田大作ではなく、創価学会教学部だと思います。
原稿を書いたのが池田大作でなくても、出版して池田大作はやはり平気なのでしょう。
末端会員が喜んでいるので、池田は寧ろ、独特で分かりやすい、見つけやすいと思っていたのでは?
批判されても未だに創価のパクリ本に謝罪が無いのが異常ではないでしょうか?

日顕曰く「キミらの部屋にだって、ヌード写真の一枚や二枚はあるだろう。正本堂にあったからといってどうってことはない。美術品だものね。」
池田大作曰く「いや、あれ(レリーフ)は誰かがイタズラしたんだ」
レリーフであれば美術品ですから、宗教教義など学問的な問題はないのかもしれません。
正本堂にイタズラして良いのであれば、大したことない建物です。解体して怒るのは変です。
遺文集のミスは「どうってことはない」「イタズラして平気」ということでしょうか。

過去の遺文の目録などをチェックして、遺文集をどの様に執筆するか遺文名をどう選択するかは、重要な問題です。後述する昭和定本などの書籍が証拠です。
とある遺文では日蓮宗僧侶の命名を採用、別の遺文では日蓮宗僧侶の命名を採用しないのは酷すぎます。

過去に起きたそれぞれについて、池田大作の考え方や性格で共通する異常性があると思いませんか?

●古来から使われている異称、(一代大意)について

 学会版編年体では異称が削除されています。
(一代大意)の名前は日祐師が目録に記載しており、録内(ろくない)御書です。

録内御書は日蓮の高弟だった六老僧が集めたという伝説があるくらいです。
昭和四〇年代の学会がこの伝説(学説)を採用し、信じていたかは調べる予定ですが、時期は全く未定です。忙しいのですが、なんとかしたいです。。。。
「山喜房仏書林 日蓮聖人遺文の文献学的研究 鈴木一成」を読むと実際は伝説と異なる様です。
しかし録内という収集結果については重要な日蓮遺文が多く基本中の基本と言っても過言ではないと思います。

日蓮の弟子で中山法華経寺を開いた日常(富木常忍)、二代目の日高、三代目の日祐と続いています。
日祐の目録に(一代大意)とあるようです。

参考:昭和定本の第三巻、二七四一ページ
昭和定本の番号が(一〇)正式名称は「一代聖教大意」、異称が(一代大意)。

●古来から使われている異称、(八風抄)、(成仏用心抄)、(十四誹謗抄)について

 これらは録内御書で収集されなかった録外(ろくげ)御書で収集されています。
江戸時代に複数の日蓮系のお坊さんが収集し、各遺文に八風抄、成仏用心抄、十四誹謗抄と命名したようです。
詳細は後述する資料を見て下さい。

●日蓮遺文のベスト10に入る四信五品抄

 四信五品抄のような十大部(遺文のベスト10という意味です。)に入る遺文で、「末代法華行者位並用心事」を消す意味はないと思います。
御書全集には存在して編年体で消した理由が私には全く理解できません。
平楽寺書店 昭和新修(一〜三五ページ)を見れば他にも四信五品抄の異称は数多くあります。
他の異称を選択しても良かったと思います。

狭い枠に文字を入れる手間を惜しんだのでしょうか?そう思わせる事例が他に2つありました。

●じっくりと時間をかけて読むべき本

(一代大意)、(八風抄)などの異称についての証拠資料は以下のとおり。
他にも録内録外などの異称の証拠は日蓮宗系の文献や論文で無数にあると思います。
昭和定本で調べるのが様々なことがわかって良いのですが、高価ですし図書館にもあまり置いてないかもしれません。

「山喜房仏書林 日蓮聖人遺文の文献学的研究 鈴木一成」(一一ページ以降)初版は昭和四〇年四月八日
「平楽寺書店 昭和新修 日蓮聖人遺文全集 別巻」(一〜三五ページ)   初版は昭和九年二月
「日蓮宗 昭和定本 日蓮聖人遺文 三巻 目録」

非売品で中古本だけと思われる
「本化聖典解題提要 通論(日蓮聖人遺文の梗概) 山川知應」(一九二〜二二一ページ)初版は大正一二年四月、昭和の再版もあり。
この本だけ何故か、山川知應です。一般的には山川智応。

あるいは国会図書館デジタルコレクション
本化聖典解題提要通論. 上巻 (日蓮聖人遺文の梗概)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/969592

比較的分かりやすいのは、昭和新修か解題提要です。
鈴木一成さんの本は勉強不足な私には難解で疑問点がまだまだ多々あります。
異称が数多く書かれている昭和新修をお勧めします。

上記の本でどれかを読めば、編年体の異称削除、盗用または剽窃、ユニークに命名するのが大問題なことがわかります。
理解できない人は日蓮遺文などの宗教で平和を語るとか、日蓮仏法がどうとか、自己の主張をするのは一切、止めたほうが良いのではないでしょうか?
理解できないのであれば、学会活動、選挙活動を一時的に様子見や棚上げして、学会を退会して正宗に行かなかった人たちのブログ等を熟読して5,6年経ってからもう一度どうするか考えては如何ですか?
病気になったり友人や恋人を失ったり大学や会社で信用を失っても私は知りませんよ。

●文献の視点から

 世間一般の人たちは法華経や日蓮遺文に興味はありませんが、文献学であれば、文献がどうあるべきかくらいはすぐに理解できると思います。今回の本記事であれば命名や異称はどうするか?どうあるべきか?という問題です。世の中を舐めて掛かっているのは創価や正宗だと思います。

私が昭和定本や行道文庫版日蓮遺文を頻繁に見るようになったのは盗用を発見してからですが、マジメに作られていることや良い点は直ぐ理解できました。普通の人であれば日蓮宗の文献がまじめに作られているのはすぐに理解できると思います。
反対に、創価の2つ遺文集や正宗の昭和新定は、どうしてこうなったのか?とか根拠はどこだ?とか理解に苦しむか誤解を生むはずです。

今回も昭和新修の一部を写真撮影してアップロードしようかと思いましたが、デジタルコレクションもあるのでやめておきます。
今回ばかりは創価学会会員自身か、あるいは周りの人が見せて、じっくり時間をかけて実物の本を手に取って読んだほうが良いと思います。

今回の件だけでも図書館でいいので昭和定本を一時的にでも読む人が少人数いて欲しいです。

文献学的研究、昭和新修の別巻、解題提要の三冊については、これらの本を読むとわかりますが、各遺文集と対になっているのです。

●まとめ

 他にも説明したいことは山のようにあるのですが、長くなったのでやめておきます。
あと、表の画像を3枚も出したのはサービスし過ぎました。
池田大作が世界の指導者とか世界のリーダーとか「信心を一番わかっているのは池田先生なんだ!!!」とか呆れます。

日蓮正宗側からも編年体について指摘できなかった点は大きな過ちだったと思います。
一人ひとり、アドバイスや指導もせずに信徒除名したのも過ちなのは言うまでもありません。
正宗の坊さんは日蓮遺文を読んでいないのでしょう。
日顕は教学部長時代に昭和定本をパクって昭和新定を作ったにも関わらず、信心が足りなかったのでしょうか?

異常。

入手。辞書代わり
日蓮宗教学史 執行海秀
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402.創価学会の遺文集は新しくなるか?(その3)

2017年05月12日 00時17分24秒 | 日蓮系遺文
●まとめ

 やはり「末端の会員が大切」だと考える学会本部職員ならば遺文集は必要でしょう。遺文集作成のために学会本部は一日も早く和解すべきだと私は思います。
和解するとしても池田大作の死後になるのでしょうか?
正宗と学会で裏でつながりがあるのを知らないのは末端の信徒会員だけで、信徒の取り合い合戦や誹謗中傷合戦は哀れとしか言いようがありません。

歴代会長の著作でも意見でも改ざんや無視してきたのが、ノースタンダードな創価学会と公明党。
ダブルスタンダードより、ノースタンダードのほうがぴったりだと思うようになりました。

官僚的な学会本部職員がいると仮定すると「本部職員が楽をする」ためには、遺文集作成を先送りにすることです。

先送りか、あるいは今までどおり編年体改訂版でお茶を濁して、末端の会員だけが苦労して恥をかき続けることです。本部職員は折伏しないまま、会員の苦労も折伏現場も知らんぷりでいれば法華経の衆生所遊楽ではなく「職員所遊楽」(末端堕地獄)だと私は思います。
学会本部職員のプライドとメンツと金庫は諸天善神に守られ、今までどおり末端の会員が恥をかけばいいだけで済みます。そうでないと言うなら池田や原田会長自ら日顕、日如氏を折伏し動画に残し公開すればいいだけです。100%学会が正しいと正宗に言わせれば良いのです。
381.番記事を書いてから一年弱になりますが、未だに聖教新聞には謝罪がないので「職員所遊楽」(末端堕地獄)でしょう。

 蜜月時代を知らない若い職員連中は池田派が多いでしょうし、昔を知る職員は年寄りばかりでしょう。
本来は早期和解を模索すべきだと私は思いますが、池田大作の死期が学会本部や正宗トップの誰にも分かりません。
遺文集の作成するとしても、その時の法主の権威が欲しいでしょうし、正宗へのゴマすりにもなりますから尚更、御書作成より和解優先にして欲しいと私は思いますが、金庫のカネを優先するなら和解しないほうが「学会本部職員だけはオトク(得)」です。もちろん末端会員はバカにされ続けます。

 「世間一般に謝罪すること」などを絶対条件に先に書いた記事などの条件を満たし、更に正宗と和解後に遺文集作成を開始するのが理想だと思います。
創価学会の遺文集に大問題があることが発覚したことで、池田大作思想の一部と御書全集を捨てやすくなり、日蓮正宗との和解がしやすくなったのは間違いないと思います。客観的には、ですが。

しかし、学会本部も大石寺も罪悪感というものがないので、新しい貪欲と今までどおりな混沌と争いが生まれるだけで、私が考える理想通りにはならないでしょう。双方が深く反省と謝罪すれば理想に近くなるでしょう。
御書修正を怠った極悪人池田大作の虚像は教団都合的に都合の悪いところは捨てられ、都合のいいところは使われ続けるのは言うまでもありません。

創価学会の日寛本尊は削除、改ざんされて、カラーコピーで配布されています。

犀角独歩さんによれば、大御本尊は「日禅授与漫荼羅から取った輪郭をパッチワークし彫刻した板本尊」とのこと。私にとっては筆法もなく(改ざん)、文字掘り下げ(削除)なので本尊というより遺骸や遺骨のイメージに近いです。遺骸本尊、骸本尊!?(正宗の人にとっては本尊なので、過去に私がゴミに出せばいいと書いた点だけは取り下げます。)

未公表や調査中な点もありますが、現時点でも御書全集は「日蓮宗の複数の遺文集から盗用、剽窃しパッチワークして梵字を削除して出版した」パクリ本。更に編年体は「御書全集を元に年表と列伝を削除し異称を盗用、剽窃した」パクリxパクリ本。

 現役学会員時代に外部の人に折伏して御書全集を読み聞かせたり、見せたことは、本当に申し訳なく思っています。折伏の後、「御本尊様、大聖人様、御書の一節を聞いてもらえました。」と歓喜して勤行唱題していた事が正義や信仰レベルといった話ではなく社会常識のレベルで愚かでバカだったとしか今では他に言いようがありません。
こんな出来の悪いメチャクチャなパクリ本だったとは呆れ苦笑しています。


 現役学会員時代に編年体は所持していませんでした。
編年体の年表や不統一な句読点・中点を人様他人様に得意げに見せることがなかったのが唯一の不幸中の幸いでしょう。(笑)

以上

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401.創価学会の遺文集は新しくなるか?(その2)

2017年05月10日 23時20分59秒 | 日蓮系遺文
前の記事からの続きです。

●遺文名のあるべき姿は?

 日顕が監修かあるいは編纂したと思われる平成新編にお元気な池田大作と学会本部が信伏随従(しんぶくずいじゅう)し、媚びへつらう条件なら、明るく笑って何事もなかったかのように和解できそうです。(笑)

真面目な話に戻すと、現状変更するにしても、編年体改訂版か、法主が認めていない新しい遺文集にするか、日蓮正宗の坊主が認めた遺文集のどれかです。
編年体最新版は未確認ですが、編年体の昭和の版には日蓮遺文と目次(目録のこと)に「盗用または剽窃」が存在し、著作権法違反の疑いが濃厚です。
今後どうなるかは分かりませんが、会員に新しく作った遺文集を買わせたとします。
その後、和解したとしても正宗は、新しい遺文集を認めない可能性があります。
新しい遺文集でも特に池田大作が生きている間の出版だと日蓮正宗にもメンツがあるでしょうから認可と法主の署名は困難かもしれません。

幾つかの過去記事で遺文名に触れましたが、新しく作成する場合、日蓮宗の各遺文集と学会版で遺文名が異なる問題があります。
1.御書全集と同じ遺文名
2.編年体と同じ遺文名
3.新しい遺文名をつける。
4.日蓮正宗/平成新編と同じ遺文名
5.昭和定本と同じ遺文名

御書全集と編年体で遺文名は異なっています。
どうするんでしょうね。
日蓮正宗の平成新編と日蓮宗の昭和定本の遺文名の差異について私は未確認です。
御書全集と編年体で数多く問題が見つかっている以上、創価イズムで遺文名を継続する意味は全くないと私は考えています。
社会に対する迷惑と混乱の元と末端会員の恥でしかないでしょう。

遺文集編さんを何度も行ってきた稲田海素さんは晩年に関わった行道文庫版を見る限りは遺文名を変更せず、慎重に取り扱っていると思われます。(他に、日蓮聖人遺文の文献学的研究 鈴木一成)
日蓮遺文本文、遺文名と年表を盗用または剽窃した創価学会に、学会独自の遺文名を継続するか、新たな遺文名の学説を主張し発表する資格はないと私は思います。
社会に対し謝罪や賠償、遺文集の無償交換があれば、反省したことが少しは社会に認められるのかもしれません。
学会は謝罪すらしないと私は現時点で思っています。
1〜3の選択肢を選ぶと、日蓮系だけでなく社会全体から末端の学会員がバカにされて当然です。
末端会員が悪く言われないようにするには、4と5しかありません。

●遺文集の選択肢

正宗と和解していない段階で、新しい遺文集は作られるのでしょうか?

◯新しく作る選択肢

A.昭和定本(霊艮閣版や行道文庫版の系統)+大石寺所蔵の日蓮遺文あり
B.昭和定本(霊艮閣版や行道文庫版の系統)+大石寺所蔵の日蓮遺文なし(和解後に大石寺所蔵分を追加?)

A,B案
和解前に作成されるなら昭和定本を基準。これなら和解後でも無理やり認めさせることが出来るかもしれません。
遺文集を坊さん無しで作成すると、またも在家信徒が勝手に作ったと批判されるでしょう。
謝罪や正宗との和解がない場合、世間一般で学会版を信用する人は皆無でしょう。
和解前に作った遺文集を日蓮正宗の法主、日如氏が後に認可、記名すると、正宗の法主が実にかっこ悪いと思えます。
(仮に正宗の坊さんが編さん、あるいは監修したとしても日蓮宗より教学レベルが劣っていると言われている点も問題です。信徒切り捨てても後悔しないレベルだからヘーキヘーキ(笑))

和解前に作るとしても、日蓮宗系の遺文は許可をとって、日蓮正宗系からは遺文使用の許可を取らないのは、あまりにも異様です。正宗系統寺院や大石寺から許可を取らずに遺文作成を強行し、正宗系遺文を掲載すると、黙認し”出版妨害事件を起こさない””慈悲深い”日蓮正宗僧俗に創価学会が借りを作る形になります。
後々、もちろん創価学会員は全員批判され、バカにされます。
著作権の切れた(切れたかもしれません。)霊艮閣版か著作権が切れていない昭和定本と選択肢が2つあり、どちらを底本にしても、日蓮正宗の僧俗に借りを作ることになります。
原田会長は序文で日蓮正宗に感謝できますか?ってことです。
霊艮閣版(縮刷遺文)を再使用しました、と正宗の許可なしに序文で勝手に言い訳するにしても、日蓮正宗と日蓮宗の交流があってこその霊艮閣版が出来た成果になっています。その交流を創価新報などで誹謗中傷している場合じゃないってことです。

池田センセーは序文で日蓮正宗に感謝出来るに違いありません。日蓮大商人の生まれ変わりですからね。(笑)
序文なしというカッコ悪いのが、創価にはお似合いかもしれませんが。

池田大作が創立した東洋哲学研究所はいつの間にか、公益財団法人になっていたんですね。
新しく作る選択肢なら今度も東洋哲学ならぬ、盗用の哲学が生き生きと学会本部職員の血脈に師弟不二として継承されるのではないでしょうか?
前例もありますし、本部職員は高学歴ですから10ヶ月あれば楽勝、大勝利の完成でしょう。

◯再利用する選択肢

C.日蓮正宗 平成新編 日蓮大聖人御書
D.御書全集は廃刊。学会版編年体の改訂版を出して、編年体改訂版だけにする。
E.御書全集の改訂版と編年体の改訂版を出す
F.しばらく何もしない
G.現代語訳版だけ

どれを採用するんでしょうね。今更、改訂ないままの問題のある学会版編年体を採用するのは、下策だと思います。

C案
和解前に平成新編を基準にするのは、学会本部のメンツ(笑)と、和解の際に問題になる可能性があるから難しそうです。創価新報でさんざん、日顕の平成新編について悪口を書いていましたし、平成新編は今でも正宗の遺文集です。
和解後なら、平成新編を選ぶ可能性はあるかもしれません。
平成新編の採用条件は遺文集として出来が良いのであれば、ですが。

E案
E案だと創価学会が遺文集の著作権法違反を謝罪や賠償をするとは思えません。
社会的信用が皆無で、道義的にも無責任すぎます。
それを更に正宗が創価学会を認めた形にすると、正宗も笑いものです。
私には正宗も学会も一緒に笑えて良いのですが、正宗がそこまでバカとも思えません。

F案
近日中に謝罪はしない。新たな御書作成の発表も当分の間しない。

G案
今出ているらしい現代語訳版だけにする。
お花畑で幸せそうな創価のオジちゃんオバちゃんはこれがピッタリかもしれません。
威厳がなくなり、学会員が脅迫めいたことや、謗法とか退転とか言わなくなるでしょうから、これも一つの選択肢かもしれません。
開目抄とかは抄1「貴方の目を開きなさい」になるんですかね?
それともタイトルは開目抄で本文は日本語訳!?
現代語訳版を採用するメリットデメリットは、和解後に「正宗の僧俗が上で、学会は下」と客観視と明確化出来ていいのかもしれません。ただし正宗の僧俗が上で、学会は下を創価学会はすごく嫌っています。
創価学会員の方には一度くらい、勤行をする際に法華経方便品寿量品の日本語訳を読んでみることをお勧めします。これでマインドコントロールが一つでも解ける人は比較的マトモな人だと思います。
唱題や勤行の儀礼に含まれる神秘や呪文が幻想であることがわかると思います。

(つづく)

'170511
貸しを作る(二箇所)

借りを作る
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400.創価学会の遺文集は新しくなるか?(その1)

2017年05月09日 00時01分53秒 | 日蓮系遺文
●今後、創価学会の遺文集はどうなるのでしょうか。

 御書全集は廃刊が確実だと私は考えています。
世間の出版の常識が分かりませんが、編年体も廃刊すべきレベルなのかもしれません。
編年体の句読点と中点を修正すると、今の個々の遺文とページ数の関係を維持できず、
ページに文字が収まらないなど、修正に破綻をきたすと思われます。

日蓮正宗の平成新編(平成新編日蓮大聖人御書)の出来を私は知りません。ですが和解を視野に入れるなら学会は新しい遺文集を和解前に出版しないほうが良いと私は思います。

●厄介事は避けたい正宗の坊さん

 もし和解するとして、正宗でも今後はより一層、面倒事、厄介事は避けたいでしょう。
僧侶の身辺調査や素行調査は無いことも条件になるでしょう。その上で、正宗の坊さんは折伏しないで信徒が折伏をしてお金だけ楽して受け取りたいでしょう。
「正宗の教えに従わない者は許さず、すぐに除名する」かどうかは和解条件の大きなテーマになりそうです。

------------------------------
日達氏「日蓮正宗の教義でないものが一閻浮提に広がっても、それは広宣流布とは言えないのであります。」
(達全2-6-295頁)
------------------------------
日蓮正宗の教義が、一閻浮提に敷衍していってこそ、広宣流布であるべきであります。日蓮正宗の教義でないものが、一閻浮提に広がっても、それは広宣流布とは言えないのであります。

皆さまの今の時に、もし、日蓮正宗の教義でもなく、大聖人の教義でないものが、世界に広がったからといって、けっして我々は喜ぶべきでもないし、大聖人がお喜びになるとは思いません。むしろ、日蓮正宗の精神がなくなってしまった、消滅してしまった、ということになるのであります。(富士学林研究科開講式・昭和49年6月18日)
------------------------------

今までどおり、面倒な信徒や反逆する信徒は顔を見たことがない相手でも、坊さんが説得もせずに除名する、という方針が続くなら尚更です。
一人一人説得してから除名するのが普通でしょうが、慈悲深い正宗の坊さんはそんな事はしないでしょう。(笑)
池田大作によれば「仏法は厳しい」のだそうです。
まず間違いないのは、第二次宗門問題以降の日顕と日如氏への批判本は認められないでしょう。
最近の御書全集から大石寺の遺文写真を削除しておきながら、現段階で破門されている創価学会が大石寺の遺文を勝手に掲載したら許されるのか疑問です。
著作権法違反だけでなく、大石寺の遺文写真を削除した御書全集はこの中に入ると思います。

学会員「学会版御書(全集、編年体)にこう書いてある。」
坊さん「学会版は在家信徒ごとき(笑)が勝手に作った遺文集であり、正宗では認めません。」
こんな不毛な会話が交わされそうです。

編年体なら、五大部といわれる5つの遺文だけは認められるとしても、他は「盗用または剽窃のある欠陥品」です。
御書全集に至っては、無能な在家信徒が作るから、未だに出来が悪いままなんだと言われても言い返せないと思います。

和解するとしても学会側が和解条件のほとんどを正宗側の意見を取り入れるしか無いと思います。
これを嫌って学会本部が完全に正宗と絶縁する可能性もあります。

●日蓮宗と創価学会

 創価学会は二〇一四年十一月の教義改正で、大御本尊を信仰の目的から外しました。それでも日蓮宗に小樽問答の謝罪を一切していません。
日蓮宗と創価学会が和解の上でくっつくことはしないで欲しいと思います。
もしすれば、現代宗教研究所、JSCPRなどの実績や功績、個人でなら例えば加藤文雅さんや稲田海素さん風間さん達の努力が台無しになり日蓮宗は軽蔑されるのではないでしょうか?

(つづく)


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