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「面白くてよくわかる!アドラー心理学」星一郎

2017-01-07 22:31:22 | 心理学・実用書


今回ご紹介するのは「面白くてよくわかる!アドラー心理学」(監修:星一郎)です。

-----内容-----
劣等感に負けない勇気。
⚪「勇気づけ」で人生が変わる
⚪「劣等感」は幸福の鍵にもなる
⚪すべての悩みは対人関係にある
人の行動は過去ではなく、未来に掲げる目標によって決まる。

-----感想-----
これまでにアドラー心理学の本は三冊ほど読んでいます。

「マンガでやさしくわかるアドラー心理学 人間関係編」岩井俊憲
「嫌われる勇気」岸見一郎 古賀史健
「幸せになる勇気」岸見一郎 古賀史健

「面白くてよくわかる!」のシリーズは過去に「面白くてよくわかる! ユング心理学」(著:福島哲夫)「面白くてよくわかる!フロイト精神分析」(監修:竹田青嗣)を読み、見開き2ページで左側のページをイラストにし、文章も分かりやすく書かれているので読みやすかったです。
フロイトやユングの生い立ちも書かれていて興味深かったことから、アドラー心理学についても「面白くてよくわかる!」を読みアドラーがどんな人だったのか、そしてアドラー心理学の基本的な部分についての理解を深めてみようと思いました。

P14「死を意識する体験を重ねた幼少時代」
アドラーは子供の頃、何度も死を意識する体験をしたとのことです。
流感や肺炎で何度か生死をさまよったり、くる病にかかり全身包帯だらけで過ごしたり、馬車にはねられ瀕死の重傷になったりしました。
さらに同じ部屋で寝ていた弟が朝起きると亡くなったりもしていました。
それらの体験から「死への畏怖」を抱くようになり、後にそれを乗り越えようと医師を目指し実際に医師になったとのことです。
過去に読んだアドラー心理学の本ではこういった生い立ちについては書かれていなかったので、こんなに何度も死を間近に感じていたことに驚きました。

P20「カウンセリング志向とフロイトとの出会い」
アドラーは医師として患者と向き合ううちに、独自のカウンセリング手法を築いていきます。
従来の医療と違い、患者と医師が対等で好意的な関係を築き、その中からよりよい医療を行おうとするものです。
これは医者が絶対的権威だったこの時代では珍しい考えだったようです。
またアドラーは1900年に、世間で批判を浴びたフロイトの著作「夢判断」について支持する出版物を出し、それがきっかけでフロイトから主催する勉強会への招待があり、二人の交流が始まったとありました。
これも他のアドラー心理学の本では書かれていなかったので興味深かったです。

P22「フロイトとの決別」
フロイト「人は“性欲”という本能的衝動によって動かされている」
アドラー「いいえ、人は強くなりたいという“劣等感の克服”があるから行動するのだ」

フロイト「人には意識と無意識の世界がある」
アドラー「人の人格はそれ自体が一つの単位であり、分割して考えることはできない」

フロイトとアドラーの対立としてこれらのことが紹介されていました。
注目は「人には意識と無意識がある」をアドラーが否定している点で、これだとフロイトと同じく「人には意識と無意識がある」と考えながらもフロイトと決別したユングとも考えが合わないです。
二人ともフロイトと決別しながらも組むことはなく三つ巴になったのは明確な考えの違いがあったからなのだなと思います。
そして三人とも優れた人物で後の心理学に大きな影響を与えたことから現在の世で「心理学三大巨頭」と呼ばれるようになりました。

また、アドラー心理学の正式名である「個人心理学」の名前の由来についても書かれていました。
この名前には「心理とはすべて全体にまとまった一つの有機体だ」とする主張が込められているとのことです。
これはフロイトとの対立で出てきた「人の人格はそれ自体が一つの単位であり、分割して考えることはできない」そのものだと思います。

P34「人の行動は、過去ではなく目的で決まる」
「人の行動はすべて何らかの原因によって決まる」という考えに基づく捉え方を心理学では「原因論」と言います。
これに対して「何が目的でその行動をしたのか」「何を達成したくて、その行為に出たのか」にフォーカスしてその人を捉えようとするのを「目的論」と言います。
そして「アドラー心理学では、人の行動は「その人がどうなりたいか」という目的に基づいて表れていると考えます。これが他の心理学との大きな違いです。」とありました。
この考え方は他のアドラー心理学の本の感想記事でも書いたとおり、女性が男性から酷い目に遭わされて激しいトラウマになり心身症を患っているようなケースでも、「あなたは自分が変わらずにいたいという目的を達成するために、トラウマを作り上げている」と言うことになってしまうため、注意が必要な考え方だと思います。

P44「全体論について」
心と体、理性と感情、意識と無意識など、人を部分に分けその集合体として捉えることを「要素還元論」と言うとのことです。
そして心も体も意識も無意識も全て統合された一まとまりとして人を捉えることを全体論と言うとのことです。
フロイトの精神分析学とユングの分析心理学は要素還元論となり、アドラーの個人心理学は全体論となります。
これは私の感性には要素還元論のほうが合い、そしてフロイトよりもユングの考え方のほうが合います。
ちなみにこの三人の心理学を全体で見た時はユング、アドラー、フロイトの順で相性の良さを感じます。

P54「対人関係には3つのタイプがある」
①師匠と弟子の関係
師匠が絶対的な権力を持ち支配し、弟子は人格、考え方全てにおいて全面的に師匠に降伏します。

②教師と生徒の関係
知識など、部分的に教師が上の立場となって、生徒はそれを教わり、考え方や人格までは支配されないです。

③友達の関係
1、2のような縦関係ではなく、ネットワークのように広がる横の関係で、上が一方的に指導や支配をしたり、下の者が自分の何かを捨てたりすることはないです。

アドラー心理学では③のフレンドリーな関係を望ましいものとしているとのことです。
たとえ学校の教師と生徒、職場の上司と部下、親子など「教える側と教えられる側」という立場同士であろうと、③の関係が好ましいとあり、たしかに一方的に指導や支配をされるのはうんざりとして嫌ですし、③の関係が望ましいと思います。

P56「精神内界論と対人関係論」
精神内界論は「対人関係の問題や課題は、その人の過去や内面に発生の原因がある」という考え方で、フロイトやユングはこちらです。
対人関係論は「人のあらゆる行動は、現在生じている人間関係上の課題や問題を解決するために起こっている」という考え方で、アドラーはこちらです。
この本では精神内界論について「過去に原因を求めてそれを心の中で改善しようとすると、何らかのコンプレックスや嫌悪感を克服することを目指さなければならず、それは長く難しい道のりになるかも知れません」とありました。
そして対人関係論については「過去のコンプレックスはさておき、とにかく今の対人関係をよくする対応を具体的に考え、関係を良好にできれば、ネガティブな感情を苦労して乗り越えなくても、生活や人生は快適なものへと変わる」とありました。
これはアドラー心理学のほうがお手軽で手っ取り早いというのを言っていると思います。
ただしアドラー心理学には体育会的で強引な面もあるため、「絶対にアドラー心理学のほうが良い」と妄信するのは危険だと思います。

P58「共同体感覚について」
共同体感覚とは「自分は共同体全体の一部であり、共同体とともに生きていく」と自然に感じられる感覚のことです。
家族、組織のような狭義の意味ではなく、社会全体や国家、地球規模で捉えられる感覚のものを言います。
これがしっかり備わっている人は誰かの役に立ちたい、世の中に貢献したいと考え、また友人や仲間に関心を寄せ、自分の家族を大切に思う意識が自然に働くとのことです。
この本では共同体感覚が何度も出てきて分かりやすく解説されていました。

P70「認知論について」
人は物事を捉える時、自分なりの解釈をして捉え、ありのままの現実を体験しているように思えても、それは「自分のフィルター」を通して、自分なりの意味づけをした、その人だけの現実でしかないとのことです。
全ては主観的な体験でしかなく、こうした捉え方を「認知論」と言うとありました。
また、19~20世紀頃までの心理学は客観的、自然科学的な立場での観察や解釈を前提としていましたが、アドラーは人の心の理解には認知論による立場が不可欠であると説いていたとのことです。
これは「イメージの心理学」というユング心理学の本に出てきた「「私」の心理学」と同じ考え方です。
人の心の全てを自然科学的な立場で解釈するのは無理ですし、認知論的な考え方は大事だと思います。

P78「ライフスタイルについて」
アドラー心理学ではそれぞれの人の、人生の目的や目標への、独自の行動パターンやスタイルのことをライフスタイルと言います。
一般的には「生活様式のこだわり」のような使い方をされることが多い言葉ですが、アドラー心理学ではその人自身を示す根源的な信念の意味として使われるとのことです。

P84「生き方は幼少期までに決まる」
ライフスタイルは誕生直後から6歳くらいまでの生活環境や心身状態に影響を受けて形成されるとアドラーは考えたとのことです。
これは幼少期の教育は凄く大事ということです。
ただしこの意味を履き違え、いわゆる教育ママ化して無理やり勉強を押し付けるようなやり方をすると、歪んだ人格が形成される危険性が出てきます。
ライフスタイルとはその人の行動パターンや信念のことなのですから、その人が窮屈さを感じずのびのびと生きていけるように(好き放題甘やかすという意味ではないです)教育したほうが良いと思います。

P86「器官劣等性について」
アドラーは患者の診断中に、聴覚に障害がありながらも努力でそれを発達させたり、幼少期は病弱でもそれを克服して普通の人より優れた身体能力を持つようになった人が多いことに気付きます。
そしてそうした体の弱点を「器官劣等性」と呼び、それを克服することはむしろ優れた能力を身に付けることになると分析しているとのことです。
器官劣等性は結果としてライフスタイルに影響を与え、プラスの影響かマイナスの影響かは、その人の選択によるとありました。
なので器官劣等性を上手に克服すると、非常に強く、有能な人物になる可能性があるとのことです。
例として視力と聴力と言葉を失いながら社会福祉家として大事業を成したヘレン・ケラー、聴力が不自由な作曲家ベートーヴェン、幼い頃の火傷で左手に障害を抱え医学の道に邁進した野口英世が挙げられていました。

P94「「早期回想」について」
幼少期の記憶を現在その人がどう解釈しているかにスポットを当て、そこからライフスタイル形成について解析することです。
このことから、アドラー心理学も過去の記憶を無視しているわけではないことが分かります。
ただしその記憶が「トラウマ」となっていることについては否定しているため、そこにフロイトやユングとの大きな違いがあります。

P132「「なぜ?」ではなく「どうしたら?」が人を育む」
これはアドラー心理学のスローガンとのことです。
不登校の子どもに「なぜ不登校になったのか」と聞くのは苦しませることにしかならないとのことです。
不登校の原因を解明し向き合うのはとても時間と労力のかかることで、しかも向き合ったところで必ず不登校から立ち直るとも言えないので、それよりは「どうしたら学校に行けるようになるか」という目的設定のもとに、その子の行動を変えていく方が有効な解決手段になるとありました。
これは一見良さそうに見えるのですが、悪用すると社会生活の様々なケースで心の中の思いを無視して行動だけ変えることを迫ることになるので注意が必要です。
その人の心の中の思いを無視して全然違う行動を取ることを無理やり押し付けるのは強いストレスになると思います。


この本はかなり文章が穏やかで静かに書かれていて読みやすかったです。
アドラーは自己啓発の父とも呼ばれています。
世の中に出回っている自己啓発関係の本に書かれていることは、大抵はアドラー心理学の考えと同じとのことです。
アドラー心理学には大事な部分を「勇気を持て」で片付けようとするなど体育会的な面もあるため、企業などがそのまま体育会的な解釈をして「変わるためには勇気を持て。心理学三大巨頭のアドラーもそう言っている。変われないのなら、それはお前に勇気がないからだ」と悪用することに注意が必要だと思います。
そして良い面もたくさんあるのでそれを取り入れ、自分自身を生きやすくするのに生かしていくのが理想的だと思います。


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「猫に名言 フロイト、ユング、アドラーの50の言葉」清田予紀、南幅俊輔

2016-12-25 23:49:35 | 心理学・実用書


今回ご紹介するのは「猫に名言 フロイト、ユング、アドラーの50の言葉」(著:清田予紀、南幅俊輔)です。

-----内容&感想-----
この本は「主婦と生活社」という出版社から出版されています。
どんな出版社なのかネットで調べてみたら「週刊女性」やファッション誌「JUNON」などの雑誌を扱っているとのことです。
「猫に名言」は内容的にも気楽に読めるので、出版社の名前のごとく主婦をされている方がその合間に軽く何か読みたい時にも良いのではと思います。

猫の写真とともにジークムント・フロイト、カール・グスタフ・ユング、アルフレッド・アドラーの「心理学三大巨頭」の名言が書かれています。
一つの名言ごとに見開き2ページを使い、お悩みインデックス(悩みを一言で表したもの)、名言(その悩みに対応する名言)、名言への解説という構成になっています。
収録されている名言はフロイトが17個、ユングが17個、アドラーが16個で合計50個です。
明確に言葉に出来る悩みがない場合でも三大巨頭の名言に触れるという形で問題なく読み進められる内容です。
どのページから読んでも大丈夫な構成になっていて、私は順番に読んでいきました。

冒頭の「はじめに」のようなページで「猫と過ごす時間は、決して無駄にならない。」というフロイトの言葉が紹介されていました。
猫は人間に寄り添いながらも一歩引いた目で私たちを観察していて、それがフロイトを始めとする精神科医にも必要な資質であることから、フロイトはこの言葉を語ったようです。
このフロイトの言葉から、猫の写真とともに名言を紹介する形になったのかなとも思いました。

またこの「はじめに」的なページでは「心を癒す」という言葉が出てきました。
私がこれまでに読んだ心理学の本では「癒す」という言葉はほとんど出てきていなかったです。
これは心に深刻なダメージを受けた人は心理学を駆使してもそう簡単に癒せるものではないということ、そして「癒す」は軽々しく使える言葉ではないということなのだと思います。
ただし本書は猫の写真とともに名言を紹介するという気楽に読める内容なので、言葉も気楽に「癒す」を使ったのかなと思います。


まずフロイトの名言の中で印象的だったものを紹介していきます。

P24「ほとんどの人間は実のところ自由を欲しがっていない。なぜなら自由には責任が伴うからである。ほとんどの人間は責任を負うことを恐れている。」
自由はただ「自由だ!」と叫んでやりたい放題やって済むものではなく、その行動への責任が伴います。
また自由だけを叫び責任は取らない人達もいて、私はこのフロイトの言葉を見て「報道の自由」や「表現の自由」を叫びながらやりたい放題な報道をし、後で捏造がばれた場合などにもろくに責任を取らないマスコミのことが思い浮かびました。

P28「あなたの脆い部分がいずれ強さとなる。」
解説には「長所と短所は、実は表裏一体」とありました。
例えば「神経質な人」は「細かいことによく気がつく人」というように、短所に見えるものも見方を変えると長所になるということです。
自分自身が「長所になる」と認識してあげると、自然と長所になっていく気がします

P36「いつの日か過去を振り返ったとき、もがき苦しんだあの日が最も美しい日々だったと気づくことだろう。」
これは人生の晩年になったらそう思えるのかも知れないです。
私は昨年の9月にこの名言と似た趣旨の「記憶との付き合い」という記事を書いたことがあります。
私の場合今はまだ「最も美しい日々だった」とは思えないですが、嫌な記憶を受け止められるようにはなりました。

P38「インスピレーションが湧かないときは、こっちから途中まで迎えに行けばいい。」
この名言の解説に「3つのBの場所ではインスピレーションが湧きやすい」とあり、3つのBとは「Bed(ベッド)」、「Bath(お風呂)」、「Bus(バスなどの乗り物)」です。
どれもボーっとしていられる場所であり、ボーっとしているということは意識の力が弱まり無意識の力が活性化するので、何かをひらめいたりすることがあるようです。

P42「心は氷山のようなもの。氷山は、その大きさの7分の1を海面の上に出して漂う。」
心の中で自分が理解できてコントロールできる部分がそのくらいしかないという意味です。
これは私も自分自身の全てを分からなくて当然だと思います。
そして全てを分かるのはなかなかできることではないのを分かった上で、できるだけ分かるようにしていくのが大事かと思います。


ここからユングの名言の中で印象的だったものを紹介していきます。

P56「ある人の足に合った靴がほかの人にも合うとは限らない。すべてのケースに適合するような人生のレシピはないのです。」
人生のマニュアルについての名言です。
解説に「客観性を装った周囲のアドバイスも、その人の主観や偏見が入っているので鵜呑みにはできない」とありました。
たしかにその人にとっては良い方法だったとしても、それがこちらにも合うとは限らないと思います。

P58「私たちがこの世に生を享けている唯一の目的は人生という暗闇に自分で灯をつけること。」
全く何もしないでいれば人生は暗闇のままなので、自分自身の手によって灯をつけ、見える範囲を増やしていきます。
人生を楽しくしていきたいと思わされる名言です。

P63「あなたが向き合わなかった問題は、いずれ運命として出あうことになる。」
これは重い言葉だと思います。
私も運命と出会っても何とかなるように備えをしておこうと思います。

P64「他人に対して感じる“いらだち”や“不快感”は、自分がどんな人間なのかを教えてくれる。」
これはユング心理学の本に出てくる「シャドウ(影)」のことです。
例えば「謙虚な人は、傲慢な人の言動に不快感を覚え、それはその人が自分の中にある傲慢さに気づきたくないから」となります。
自分が不快なこととして押さえ込んでいることを相手が平気でやっているため、見ていて不快になるということです。

P72「アドバイスが救いになるかというと、それははなはだ疑わしい。でも、それほど害はないだろう。なぜなら、毒にも薬にもならないからだ」
アドバイスはあくまでその人にとって有効なことなので、それが他の人にも効くとは限りません。
アドバイスを鵜呑みにするのではなく、自分に合う解決法を見つけていくことが大切です。
そしてユングのこの表現はジョークが入っていてなかなか面白いと思いました。


ここからアドラーの名言の中で印象的だったものを紹介していきます。

P95「重要なことは人が何を持って生まれたかではなく、与えられたものをどう使いこなすかである。」
これは過去に読んだアドラー心理学の本にも載っていた言葉で、良い言葉だと思います。
「自分にはあれがない、これがない」とないものにばかり目を向けて悲観したり、持っている人を妬んだりするのではなく、自分が持っているものに目を向けてあげられる人でありたいです。

P105「人生が困難なのではない。あなたが人生を困難にしているのだ。人生はきわめてシンプルである。」
未来について悩み頭を抱えてしまうと、人生は困難になってしまうようです。
「現在」はとても大事なので、未来に思い悩むより、今できることをコツコツやるほうが良いと思います。

P111「あなたを支配しているのは遺伝やトラウマではない。どんな過去であれ、未来はあなたがつくるのだ。」
遺伝やトラウマを理由に過去にこだわる限り、自分を変えていくことはできないという意味です。
アドラーは「あなたは“変われない”のではない。“変わらない”という決断を自分でしているだけだ」と言っています。
過去に読んだアドラー心理学の本では「変わらずにいたいという目的を達成するために、トラウマを作り上げている」とありました。
アドラー心理学の特徴としてトラウマの全否定があり、トラウマなどないと言い切っています。
そしてアドラー心理学の本のレビューで書いたように、これだと女性が男性から酷い目に遭わされて激しいトラウマになり心身症を患っているようなケースでも、「あなたは自分が変わらずにいたいという目的を達成するために、トラウマを作り上げている」と言うことになり、これはいくら何でも酷いと思います。
私はどんな心理学も万全ではないと思っていて、これはアドラー心理学の欠点の一つだと思います(もう一つは体育会系理論になりがちな点です)。

P117「自分が不完全であることを認める勇気が必要だ。人間は不完全だから努力するのである。」
この勇気は大事だと思います。
不完全であることは全然恥ずかしくないですし、むしろ当然のことだと思います。
不完全さを認めた上で理想とするものに向かって完成度を上げていけば良いと思います。

P119「できない自分を責めている限り、永遠に幸せにはなれないだろう。」
これについては小さなことでも良いので、できたことに対して自分自身を誉めてあげるようにすると良いと思います。
誉めることで少しずつ自信が付き、それがやがて幸せにつながっていくと思います。


というわけで、猫の写真とともに心理学三大巨頭の名言をじっくりと読んでいきました。
猫の写真もどことなくそれぞれの名言を連想させるようなものになっていました。
気軽に読める内容なので気になる名言はまた後で読んでみようかなと思います。


心理学三大巨頭をより知りたい方への参考
「面白くてよくわかる!フロイト精神分析」竹田青嗣

「ユング名言集」カール・グスタフ・ユング
「面白くてよくわかる! ユング心理学」福島哲夫
「ユング心理学でわかる8つの性格」福島哲夫
「ユング心理学へのいざない」秋山さと子
「ユング心理学入門」河合隼雄
「イメージの心理学」河合隼雄

「マンガでやさしくわかるアドラー心理学 人間関係編」岩井俊憲
「嫌われる勇気」岸見一郎 古賀史健
「幸せになる勇気」岸見一郎 古賀史健


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「イメージの心理学」河合隼雄

2016-12-23 20:56:01 | 心理学・実用書


今回ご紹介するのは「イメージの心理学」(著:河合隼雄)です。

-----内容-----
ユング心理学はイメージの心理学である。
人類の意識の深層に生じる神話、昔話、象徴、記号。
それらの生命力を鍵に、夢や幻覚など個人のイメージ体験の根源にひそむ〈人間の心的現実〉を芸術、宗教、セラピーほかさまざまな角度からさぐる。

-----感想-----
「ユング心理学入門」で初めて河合隼雄さんの本を読みました。
かなり抽象的な書き方になっていて言葉の意味を捉えるのが大変でしたが、今回の「イメージの心理学」はその本よりは分かりやすかったです。

心理学には大きく分けて実験心理学と深層心理学があり、主流は実験心理学とのことです。
実験心理学は物理学を駆使して、主観を排除した「自然科学」としての心理学を築こうとしているのが特徴とのことです。
河合隼雄さんは深層心理学(その学派の一つであるユング心理学)を専門にしていた方で、ユング心理学の日本における第一人者です。

冒頭に書いてあった、人間の心の「主観を排除した「自然科学」では解明できない部分」についてのことが興味深かったです。
実験心理学は主観を排除し一切を客観的に見るため、人間を「物」のように扱います。
これは有効な方法であり実際にこの方法によって人間の行動パターンが解明されていったのですが、この物理学を駆使した自然科学の手法は、「人間の心の悩み」を解決するのには役に立たないとありました。
「物」に対しては有効ですが「心」に対しては威力を発揮できないです。
「人間を相手とする場合、それを「客観的対象」とするのではなく、むしろ感情を共有するような態度を取ってこそ、事態が詳しく分かってくる。」
これはそのとおりだと思います。
悩んでいる人から見て、「それならば、こうだ」と杓子定規な理屈だけをこねる冷淡な人には何も話す気にはならないでしょうし、共感しながら聞いてくれる人のほうが色々なことを話しやすいと思います。

この本では客観ではない部分について、カギ括弧付きの「私」という言葉を使っていました。
そして「私」こそ、近代の自然科学が研究対象外として最初に除外したものとありました。
この「私」と向き合うのがユング心理学のような深層心理学となります。
私的には実験心理学こそが自然科学的なのだからそれだけで良いとするのではなく、実験心理学と深層心理学、どちらか片方ではなく両方が揃うことが大事だと思いました。
人間は「物」ではないのですから、深層心理学も必要だと思います。

ユングは「イメージは生命力を持つが明確さに欠け、概念の方は明確ではあるが生命力に欠ける」という意味のことを言っていたとありました。
たしかにイメージには言葉では言い表しきれないものがあり、概念は言葉として明確になっているものの無味乾燥な印象を受けるということだと思います。

モーツァルトについて書かれていたことは興味深かったです。
モーツァルトは彼の交響曲を一瞬のうちに聴くことができたと語っていて、その一瞬のイメージ体験を一般の人々に伝えようとして楽譜に記すと、演奏時間が20分間に渡るような交響曲になったとのことです。
心の中に湧き起こってきたイメージがそのまま交響曲になっています。
そして音楽家や小説家など、芸術分野の人が優れたものを創造する際には、イメージが大きく関わっているとのことです。

無意識について、この本でも「個人的無意識と普遍的無意識(本によっては集合的無意識)」の概念が出てきました。
ユングは無意識には個人の経験と無関係な層があると考え、それを普遍的無意識と名付けました。
人類が共通して持つイメージのことで、これは面白い概念だと思います。
例えば太陽について日本神話でもギリシャ神話でも太陽神が登場したり、秘境の地の部族も太陽を神として崇めていたりするなど、世界的に同じイメージを持っているものが普遍的無意識となります。

男子中学生が不登校になった場合を例に説明されていた周りの人の心境は興味深かったです。
不登校は周りの人にとって困ったことなので何とかしようと思い、「原因」を探し出そうとします。
そんな時本人はなぜ登校できないのか自分でもはっきりと言葉に出来ない場合があり、ただし周りから問いただされて何か原因を言わなくてはと思い、「先生が怖い」や「中間試験で悪い点を取ったから」などと言ったりします。
周りはその怖い先生を改善しようとしたり、試験の結果があなたより悪い人も沢山いると慰めたりして学校に行かせようとするのですが、その原因は本当の原因ではないため、男子中学生は引き続き学校に行くことができないです。
すると周りは原因を本人自身に求め、「怠けている」「精神病だ」「母親が過保護だ」などと言ったりします。
この流れについて「要するに、人々は早く「安心」したいのである。」と言っていたのは核心を突いていると思いました。
原因不明の登校拒否の子供は周囲を不安にするので、その了解できない現象を早く片づけるため、「怠けている」「精神病だ」「母親が過保護だ」などと原因を作り出し、自分自身を安心させているとのことです。
そしてそのようなことをしないのが心理療法家(臨床心理士などのこと)であると筆者の河合隼雄さんは考えているとありました。

人間が寝ている時に見る夢について、マラヤ(東南アジアのマレー半島)のセノイ族のことが書かれていました。
セノイ族は夢を非常に大切にする部族で、年長者は幼少の子たちが語る夢を朝食の時間によく聴いてあげているとのことです。
その夢について問いかけをしたり、励ましてあげたりしています。
「夢を生きている」という表現が印象的でした。
さらに夢を生きているセノイ族は数世紀に渡って警察、監獄、精神病院を必要とせず平和に暮らしてきた極めて珍しい部族とあり、これには驚きました。
そしてフロイトやユングが苦労して確立していった「夢分析」と似たことを毎朝しているのだから数世紀に渡って心を病む人がいないというのも納得です。

この本では自然科学が発達して何事も合理的になった結果、その反作用として心身症になる人が増加したということが何度も書かれていました。
例を挙げると、まず一つ目は古来からの儀式や祭りを非合理なこととして排除した結果現代人は心身症になりやすくなったとのことです。
儀式や祭りには普遍的無意識との対話になるようなものがあり、その機会を排除した影響は大きいようです。
二つ目は宗教のシンボル(キリスト教の十字架など)が自然科学の力によって「ただの物である」とされ、魅力がなくなってしまったとのことです。
これについては「20世紀は、一度棄てられたシンボルの意味を再点検することに大いに力が尽くされた時代である。」とあり、宗教のシンボルの価値がもう一度見直されたようです。
三つ目は現代人は詩的言語を喪失したためにアイデンティティを見失い、多くの人が心理療法家を必要とするようになったとのことです。
変わりに科学的言語という、極めて客観化された言葉をよく使うようになり、それは便利であり強力でもあるのですが、その「心」を感じさせない無味乾燥ぶりが心身症につながっていくようです。
そして私が文学小説が好きなのはそれが詩的言語だからだろうなと思います。

この本も「ユング心理学入門」と同じく抽象的な文章は多いですが神話や昔話や芸術家などを引き合いに出し、人間が抱く「イメージ」について語っているので興味深かったです。
自然科学の力は偉大ですがあまりに何もかもを合理化しようとするとその圧迫感に心が持たなくなると思うので、人間の心は物ではないという考えのもと、自分自身の心が感じていることに注意を向けてあげたいと思います。


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「面白くてよくわかる!フロイト精神分析」竹田青嗣

2016-12-11 23:54:16 | 心理学・実用書


今回ご紹介するのは「面白くてよくわかる!フロイト精神分析」(監修:竹田青嗣)です。

-----内容&感想-----
島本理生さんの「夏の裁断」という小説を読んだ時、島本理生さんが中学生時代から臨床系の心理学の本を読んでいたことを知りました。
小説の主人公、千紘は心理学を学んでいて、これは心理学の本を読んでいた島本さんの経験が反映されていると思いました。
そして千紘の性格は13歳の頃に性的に酷い目に遭ったのが大きく影響しているようでした。
この「過去にあった何らかの事件が大きなトラウマとなり現在の性格に影響を与える」というのはカール・グスタフ・ユング、アルフレッド・アドラーと並ぶ心理学三大巨頭の一人、ジークムント・フロイトの心理学の考え方です。
なので島本さんが中学生時代から読んでいたという臨床系の心理学の本はフロイトの心理学の本ではと思いました。
そこで今回、以前読んだ「面白くてよくわかる!ユング心理学」(著:福島哲夫)と同じシリーズの本作を読んでフロイトの精神分析学を簡単に知ってみることにしました。

最初の「はじめに」で、早速フロイトの精神分析学の核心部分への言及がありました。
フロイトの理論では、人間の行動や文化のありようの全てが、性的なエネルギーを根本要素として説明されるとのことです。
私には全部が性的エネルギーなのは信じられないです。
私は昨年の初秋に「ユング名言集」を読んだのをきっかけに心理学関係の本を少しずつ読んでいるのですが、このことが頭にあり心理学三大巨頭の中でフロイトの心理学は敬遠していました。

P12「無意識についてのフロイトの理論を、人間の心についての便利なマニュアルとして読まないほうがいい。」
これはそのとおりだと思います。
全部を性的なエネルギーで説明していて、私はそこに違和感があるので、参考として読むくらいが丁度良いかなと思います。

P27「夢こそ本人が意識しない、無意識に到達する王道」。
フロイトはこのように考えて、人間が寝ている時に見る夢を研究していきます。
フロイトのこの考えはユングと共通しています。
しかしフロイトが無意識を抑圧された暗いものとして扱ったのに対して、ユングは個人的無意識と集合的無意識(全人類が共通して持っているイメージ)のように無意識をもっと広く考えていて、両者の無意識の考え方には差がありました。

P32「フロイトは医師として多くのヒステリー患者を診ていく中で、患者たちの無意識の奥底にある心的外傷や、抑圧された記憶といったものは、全て性に関するものにつながっているという見解を持つようになった」
人間の行動や文化のありようの全てを性的なエネルギーで説明するフロイトの理論は、医師としての自身の経験から生み出されていったようです。

P34「愛弟子の離反」
1911年、傑出した弟子の一人であり協力者でもあったアドラーとは絶交。
1914年、フロイトが最も愛し「跡継ぎの息子」とまで呼んだユングとは決裂。
これらはフロイトの専制君主的な性格や外部からの批判を受け付けないなどの問題点もあったらしいのですが、フロイトの性に関する理論や無意識についての学説に対して、見解の相違が大きかったのが離反の決定的な要因とのことです。
愛弟子の相次ぐ離反はちょっと可哀相だなとも思いました。

P44「フロイトの無意識論はそれ以前のものと違う」
フロイト以前に認められていた無意識とは、単に「意識されていない心の領域」に過ぎませんでしたが、フロイトの説は「無意識とは抑圧された欲望である」で、かなり踏み込んでいます。
私は「抑圧された欲望」と一つのものに断定するのは違和感があり、フロイトよりもユングの無意識についての考え方のほうが合うなと思います。

P48「フロイトは無意識をさらに厳密に、無意識と前意識に分けて考えていた」
人の名前など、一時的にど忘れしたりして思い出せなくなっていたことでも、後になって何かのきっかけで思い出せるケースがあり、こうした一度は意識からこぼれ落ちて無意識の領域に入っていってしまったものでも、再び意識に浮上してくるものは、前意識の中にあったものだと規定されるとのことです。
そして後になっても思い出せないような場合、つまりそのままの形では意識の中に浮かび上がってこないものが溜まっている場所を、フロイトは無意識の領域と定めました。
さらに無意識の領域にあるものは①日常生活における「間違い」や「失敗」、②夢、③神経症など心の病の、三つのどれかに変化して顕れるとフロイトは考えたとのことです。
これはユング心理学とは違う観点で無意識について考えられていてなかなか興味深かったです。

P51「嫌な感情や満たされない欲望を無意識の領域へしまい込み、心の平安を保ち、日常生活をスムーズに送ろうとする心の働きを、フロイトは「抑圧」と名付けた」
ただし抑圧された感情は隙あらば「抑圧」から解放されて自らを表現しようとしているとのことです。
これはかつて抑圧したものが心的外傷(トラウマ)となり、そのことと関連するような場面に出くわした時に、抑圧を打ち破って嫌な感情が溢れ出してくるということでもあると思います。

P58「心の病を引き起こす原因」
感情の解放が苦手だったり、そのことに罪悪感や不安を持つようなタイプの人は、抑圧された感情が無意識の中に溜まっていく一方になり、そうした場合、どこかでその感情を解放してあげなければ、コップの水が溢れてしまうように、抑圧された感情の行き場がなくなってしまうとのことです。
これはそのとおりだと思います。
嫌なことが続いていく中で感情を解放せずに我慢し続けていれば、やがて限界が来ます。

P70「夢があり得ないストーリーになる理由」
潜在的な欲望がそのまま夢の内容として顕れると刺激的な内容になりおちおち眠っていられなくなるため、睡眠を妨げないように無意識の欲望が直接的な形ではなく、歪曲された仕方で顕れるとのことです。
眠っている間は無意識の中の、普段は意識していない自我がこの作業を行っているとのことです。
つまり本人が眠っている間も眠りを守るために働く心の部分があるということで、夢分析の第一人者だけにこれも興味深い考えでした。

P78「フロイトの夢分析の特質は、夢の事象を無意識の性的欲望と結びつけて解釈する点にある」
このフロイトの解釈は「汎性欲説」と呼ばれ、その独創性が評価される一方、多くの批判も受けてきたとのことです。
ユング心理学の本で夢の分析についての部分を読んでいた時にフロイトの解釈にも言及があり、その解釈に私は違和感を持ちました。
夢に出てくるものを全部性的欲望に結びつけるのはどうかと思います。

P80「夢分析の際のフロイトとユングの違い」
フロイトは患者の発する言葉を重視し、ユングは夢のイメージを重視していて、ここが大きく違うとのことです。

P114「人を動かすエネルギー・リビドー(欲動)」
フロイトは人間の活動源となる心的エネルギーをリビドー(欲動)と名づけ、これは性欲動のエネルギーのことです。
また、フロイトがリビドーについて基本的には諸対象に向かう性的欲動のエネルギーと考えたのに対して、ユングはこれに反発し、リビドーを様々な対象に向かう心的エネルギーとし、性的なものはあくまでその一部であると考えたとのことです。
しかしフロイトはリビドーをあくまで性的エネルギーとする考えを曲げなかったため両者は決裂したとのことです。
この本ではフロイトとユングの対立した部分がいくつも出てきて、二人の考えの違いを今までより詳しく知ることが出来ました。

P122「エロスとタナトス」
初期のフロイトは性欲動と自己保存欲動(自我欲動)が対立する欲動二元論を唱え、性欲動と自我欲動の対立・葛藤といった見地から、人間の心について研究していました。
それが後期になると考えに変化があり、生の欲動(エロス)と死の欲動(タナトス)の二大本能論に基づいて理論を展開していきます。
生の欲動(エロス)は人間が生きようとするための欲動であり、衣食住を求める基本的な生存欲求はもちろん、性の欲動もここに含まれるとのことです。
そしてフロイトは生き物には生の欲動だけでなくもとの無機物に戻ろうとする「死への欲動(タナトス)」も存在していると考えました。
生きる欲動が何らかの理由でせき止められれば死へと向かう力が大きくなるとあり、自殺のことがあるため、フロイトのこの考え方は興味深かったです。

P130「心の構造について」
初期のフロイトは心の構造について、意識、前意識、無意識の三つで考えていました。
それが後期には「自我(心の主体)」、「超自我(良心の声)」、「エス(リビドーの貯蔵庫)」の三つで考えるようになります。
エロスとタナトスと同じく、後期で新たな考え方を導入していました。

フロイトは臨床心理学のそれまでの主流の考え方とは全く違う「精神分析学」を打ち出し、新たな臨床心理学の道を切り開いていった第一人者だけに、初期と後期で理論が変遷していたのが印象的でした。
ユングもアドラーも最初はフロイトが打ち出した新たな臨床心理学に感銘を受けフロイトのもとに集い一緒に研究していたのです。
現在では批判も多いフロイトですが、新たな臨床心理学の道を切り開いた功績は絶大だと思います。
この人が道を切り開いていなければ、後に袂を分かっていったユングもアドラーも、「心理学三大巨頭」と呼ばれるような功績は残せなかったかも知れないのです。
三大巨頭最古の存在として、批判は受けながらもその功績はこれからも色褪せずに残っていくのではと思います。


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「ユング心理学入門」河合隼雄

2016-11-23 21:45:56 | 心理学・実用書


島本理生さんの「夏の裁断」という小説がこの本を最後まで読む力を与えてくれました。
今回ご紹介するのは「ユング心理学入門」(著:河合隼雄)です。

-----内容&感想-----
興味のあったこの本をついに読んでみました。
しかし内容は今まで読んできたユング心理学の本よりも大幅に言葉が難解になりしかも抽象的でさらに文章量も多かったです。
これまでにユング心理学の本は次の4冊を読んでいました。

「ユング名言集」カール・グスタフ・ユング
「面白くてよくわかる! ユング心理学」福島哲夫
「ユング心理学でわかる8つの性格」福島哲夫
「ユング心理学へのいざない」秋山さと子

「面白くてよくわかる! ユング心理学」

この本は見開き2ページのうち右側に文章、左側にイラストという形を採っていて、ユング心理学初心者にも分かりやすくて読みやすかったです
「ユング心理学でわかる8つの性格」も同じくイラストが豊富で文章も分かりやすく、楽しく読むことができました。

「ユング心理学へのいざない」

この本になると文章がやや難解になってきます
しかしとても丁寧な語り口でイラストや写真も入れて理解をしやすくしてくれていて、ユング心理学の本を3冊読んで基本の考え方を理解していたので無事に最後まで読むことができました。

そして今回の「ユング心理学入門」です。

なにこれ…と思いました
カエル_どん引きの絵文字を思わず使うくらいぎゅうぎゅうに詰め込まれた文章にどん引きしました。
しかしこの本を読むとユング心理学のことをこれまで以上に詳しく知ることができるだろうと思い読んでみました。

最初の第一章はかなり抽象的な書き方になっていて、言葉の意味を理解するのが大変でした。
第一章の中で著者が「二章から読んで、一章は最後に読んだほうが良いかも知れない」と書いていて、たしかにそうだなと思いました。

心理学では、ジークムント・フロイト(精神分析学を創始)、カール・グスタフ・ユング(分析心理学を創始)、アルフレッド・アドラー(個人心理学を創始)の三人が心理学三大巨頭と呼ばれています。
第二章ではフロイトとアドラーが取り上げられていて、両者の違いが書かれていました。
フロイトは一つの症状に対して、その症状について何か思い出すことはないか、あるいは、その症状が初めて起こったときについて何か思い出さないかと患者の過去について尋ねるのに対して、アドラーは、今悩んでいる症状がもしなかったら、何をしたいと思いますか、と未来に関する患者の態度をよく尋ねたとのことです。
これは「嫌われる勇気」(著:岸見一郎 古賀史健)というアドラー心理学の本でも書いていました。

第三章の「タイプ」は私がユング心理学の中でもかなり好きな部分です。
日本でも馴染みのある「外向」と「内向」という言葉はユングが初めて使ったとのことです。
ただし「あの人は外向的だから良い、あの人は内向的だから駄目」というような、日本社会で段々と形成されていった意味とユング心理学での意味には差があることに注意が必要です。
ユング心理学では心のエネルギーが外側に向かうか、それとも自分の内側に向かうかで外向、内向を考えています。
そして学校や企業では外向を良し、内向を悪しとする風潮があるのに対し、ユング心理学ではどちらも個性として認めています。

四つの心理機能(思考、感情、感覚、直観)の考え方はユング心理学の中で最も興味深いです。
「思考、感情、感覚、直観タイプテスト」という記事を書いているので、興味のある方は参考にしてみてください。
四つの心理機能それぞれに外向型と内向型があるので、人間の性格は大きく8つのタイプに分かれることになります。
「外向感情型の女性はパーティに欠かせない」とあり、たしかにそうだなと思いました。
場を盛り上げ楽しい雰囲気にしてくれる貴重な人です。
ただし感情機能のみで突っ走るとまずいことになり、それは他の機能についても同じことが言えます。
例えば思考機能のみで突っ走ると相手の感情を無視して合理性のみを追求することになり猛反発を買います。
また思考型は男性に多く感情型は女性に多い傾向があるとのことです。


この図は思考、感情、感覚、直観の関係を表した図です。
自分の属する機能が「主機能」で、その両隣は比較的相性の良い「補助機能」であり、対面にある機能が「劣等機能」で最も苦手としている機能です。
私の場合は感覚型なので両隣の思考、感情とは比較的相性が良く、対面にある直観が苦手機能となっています。
「ある個人はその主機能をまず頼りとし、補助機能を助けとしつつ、その開発を通じて、劣等機能をも徐々に発展させてゆく。このような過程を、ユングは個性化の過程と呼んでいる」とのことです。
私も主機能をメインの機能として生かしつつ、補助機能はもとより苦手とする劣等機能も生かせるようになるのが理想だと思います。

コンプレックスという言葉を最初に使ったのはユングとのことです。
内向、外向もユングが最初に使った言葉ですし、心理学用語がごく普通に社会に浸透しているのは、これらの言葉にそれだけ心を捉えるものがあるのだと思います。

フロイトは無意識を単に抑圧されたものと扱ったが、ユングは無意識を肯定的に見ていたとのことです。
これが「原型」の考え方へとつながっていきます。
無意識という言葉も、ユング心理学によって日本でも馴染みのある言葉として使われるようになったようです。

子供を過保護にすると神経症になることがあるというのはかなり興味深かったです。
世話を焼きすぎ、近所の子達と遊ぶことも「危ないから駄目」と言っていたりすると、その子供が自我を成長させる妨げとなり、やがてその抑圧されたものが神経症として現れるとのことです。

ユングは人間の心をまず意識と無意識に分けて考えました。
次に無意識について、個人的無意識と普遍的無意識(集合的無意識)に分けました。
個人的無意識はその人自身の無意識ですが、普遍的無意識は人類全体に共通する無意識のことで、この考え方もかなり興味深いです。
全世界的に太陽を見れば神のイメージを持ち、大地を見れば偉大なる母のイメージを持ったりするのが普遍的無意識です。
例としてギリシャ神話ではアポロンが、日本神話では天照大神(あまてらすおおみかみ)が、太陽の神となっています。

「われわれの自我の制御力が弱まるときに、普段の性格とは逆の性格が現れることがある」とありました。
お酒を飲んだ時に普段とは違う人格になる人が例として挙げられていてなるほどなと思いました。
理想的な自分であろうとし、普段は自我の力で抑え込んでいるものがお酒によって抑え込む力が弱まり、普段とは全然違う性格として姿を現すようです。

夢には「夢物語だ」と否定的なニュアンスと「若いひとに夢を持たさねばならない」と肯定的なニュアンスの、両面性があるとありました。
また夢は相補的に作用し、暗い現実に晒されている時は明るい夢を見たりすることがあるようです。
そして夢は意識と無意識の相互作用で形成され、一見現実で直面したことを夢で見ているような場合にも、よく見ると登場人物が微妙に違っていたりし、そしてそれには自分の無意識が作用していたりします。

「ペルソナの形成に力を入れすぎ、それとの同一視が強くなると、ペルソナはそのひとの全人格をおおってしまって、もはやその硬さと強さを変えることができなくなり、個性的な生き方がむずかしくなる」とありました。
ペルソナは社会で生きていくためには必要ですが、飲み込まれてしまってはいけないなと思います。
教師の人が家に帰っても教師的な発言をしているような場合はペルソナによって本来の人格が覆われてしまっているので注意が必要です。

アニマ(男性の中にある女性的な部分)とアニムス(女性の中にある男性的な部分)についても詳しく書いてありました。
「アニマの特性が他人との協和であるのに対して、アニムスの特性はその鋭い切断の能力にある」とありました。
アニムスを発達させようとする(個性を際立たせる)女性が男性から敬遠される傾向にあるというのはたしかにそうかも知れないと思いました。
そしてアニムスがあまり発達していない女性のほうが男性から愛されたりちやほやされたりするとあり、私はおバカキャラの女性が男性からちやほやされるのはここに由来するのではと思いました。

ユング心理学では「自己(セルフ)」が核心をなしています。
自我が意識の中心であるのに対して、自己は意識と無意識とを含んだ心の全体性の中心とのことです。
西洋人が自我が強いのに対して東洋人は自己が強く、西洋と東洋で明確な差があるとのことです。
なので西洋人であるユングが東洋に来た時、自身が見つけ出した自己(セルフ)の概念を東洋人がごく普通に感覚的に身に付けていることに驚いたとありました。
これは日本から見ると、無理に西洋的な自我の強さを身に付けようとするより、自己(セルフ)に長けているという良さを上手に生かしたほうが良いのではと思います。

この本ではフロイトとアドラーの名前がよく出てきて、特にフロイトの名前はかなりたくさん出てきました。
「フロイトが研究者であり開拓者であるのに対し、アドラーの本質は教育者たることにあった」というのは興味深い言葉でした。
フロイトにも功績があるとあり、島本理生さんの「夏の裁断」という小説の根底にはフロイトの考えが流れていそうなので、フロイトの心理学の本も簡単なものを少し読んでみようかなと思いました。


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「プロカウンセラーの共感の技術」杉原保史

2016-10-09 21:03:17 | 心理学・実用書


今回ご紹介するのは「プロカウンセラーの共感の技術」(著:杉原保史)です。

-----内容&感想-----
以前読んだ「プロカウンセラーの聞く技術」(著:東山紘久)「プロカウンセラーのコミュニケーション術」(著:東山紘久)からの流れで本作を読んでみました。
杉原保史氏は学生時代から東山紘久氏に指導してもらっていたとのことで、本作は前二作の著者の教え子が書いた本となります。
教え子のほうも臨床心理士であり心の専門家です。
人に「共感」するという、言葉だけだと簡単そうですが実際には非常に奥が深いことについて様々な例を挙げながら書いていました。

P3「感受性には、相手の気持ちを感じる感受性と、自分の心を感じる感受性とがあります。前者が強いとストレスになることがあり、後者が目立つと勝手解釈になってしまいます。」
本書の「序」として京都大学名誉教授・東山紘久氏が寄せた言葉の中にこれが書かれていました。
私の場合は相手の気持ちを感じる感受性が強いため指摘のようにストレスになることがあります。
また勝手な解釈で突っ走る人を見たこともあり、なるほどそれは自分の心を感じる感受性が強いのかと思いました。
「両者のバランスがよいと、共感性が相手にも自分にも心地よいものになります」とも書いてありました。

P19「究極的には、私たちは一人ひとり別々の存在であり、決して誰にも分かることなどできない独自の存在です。私たちはみな一人なのです」
これはそのとおりだと思います。
その人のことはその人にしか分からないですし、他の人がその人のことを完全に理解するのは無理です。
これを受け止めた上で、理解したい人がいるのであれば、完全には理解できないその人をできる範囲で理解しようと努めるのが大事だと思います。

P28「男性、とりわけ働く世代の男性は、一般に、女性と比べて、心理相談やメンタルヘルスの相談に自発的に現れることが少ないということが知られています。
このことは、男性は人に気持ちを打ち明けない傾向が強いということであり、共感と馴染みが薄いことを示しています。」
これはたしかにそう思います。
分かりやすい例がカフェなどでの女性グループのおしゃべりで、カフェに行くと大抵いくつもの女性グループがおしゃべりを繰り広げています。
会話の内容が聞こえてくることもあり、家庭のことや仕事のことなどで結構深いことを話していることがよくあります。
聞き手の女性もかなり親身になって聞いていて、この本の題名にもなっている「共感」が素の状態でできている人が多いです。
男性グループがそんな話をしていることもありますが、頻度は圧倒的に女性グループのほうが多いです。
日常のカフェレベルで見ても女性のほうが圧倒的に深い会話をよくしているのですから、「男性は一般に女性と比べて、心理相談やメンタルヘルスの相談に自発的に現れることが少ない」というのも納得です。
そして「統計によれば、男性の自殺率は女性のおよそ二倍です。男性がもっと共感と親しむようになれば、男性もより自発的に相談するようになり、自殺率も下がることでしょう」とも書いてありました。
人に相談すること、おしゃべりをすることはストレスの解消にもなります。

P29「企業が学生に求める能力として一番に挙げているのは、たいてい「コミュニケーション能力」なのだそうです。他者とのコミュニケーション能力は、それほど重視されているのです。
だとすれば、ビジネスの世界においても”共感”はもっと重視されてよいはずです。共感はコミュニケーションの最も重要な要素だからです。共感を軽んじながら、しかしコミュニケーション能力は重視する、などということは考えにくいのです。もしそんなことがあるとすれば、それは、相手の気持ちを感じることなく言葉巧みに言いくるめたりごまかしたりする能力を重視しているのだと受け取られても仕方ありません。そんな能力では本当に信頼感のあるビジネスは進めていけないでしょう。
これは凄くそのとおりだと思います。
私は実際に、「共感を軽んじ、相手の気持ちを感じることなく言葉巧みに言いくるめたりごまかしたりし、しかもそれをコミュニケーション能力だとする」という話し方をする人を見たことがあります。
言っていることが物凄く薄っぺらく見え、嫌悪感を持ちました。
ほんと「共感を軽んじながら、しかしコミュニケーション能力は重視する」というのは本来成り立たないことだと思いますし、それはコミュニケーション能力ではなく、「一方通行の独りよがり論法」だと思います。
たしかにそんな能力では相手から信頼しては貰えないと思います。

P30「ビジネスの世界において共感が伴わないコミュニケーションが横行していることこそ、職場でのうつが増加している大きな要因だと私は思います。」
これも核心を突いた意見だなと思いました。
相手の感情を無視し、「その人がコミュニケーションと言い張る一方通行の独りよがり論法」をぶつけていれば、相手はうんざりし不信感を抱くか精神的にまいってしまう展開になると思います。

P31「情報の内容よりも、情報を発している人、あるいはシステムに対する信頼感が問題なのです。その人が、こちらの不安や心細さをしっかり見てくれており、共感してくれているということが分かるなら、人は相当な困難に立ち向かえるものです。」
同じ情報でも、聞き手の心情を考え、親身になって発信する人と、聞き手の心情は一切考えず事務的に淡々と発信する人では、聞き手が抱く印象はだいぶ違ってきます。
聞き手がどう思うかを考えず自分が発信したい情報の発信だけを淡々と行う人に対し、「この人を信頼しよう」という気にはならないと思います。

P43「「それは考えすぎだよ」と言いたくなる気持ちを感じても、その気持ちを感じたままにしておきます。放っておくのです。ただ放っておいて、相手の気持ちを受け取ることに注意を戻します。」
せっかく話し手が心配ごとを話し始めたのに聴き手が「それは考えすぎだよ」とその話を遮ってしまった場合を例にこれが書かれていました。
「話し手の側に立ってみれば、言いたいことを切り出したけれどもすぐに説得されて、まったく聴いてもらえなかった、ということになるでしょう。」ともありました。
私の場合は元々人の話を聞くのが好きなこともあり、比較的「「それは考えすぎだよ」と言いたくなる気持ちを感じても、その気持ちを感じたままにしておきます。放っておくのです。ただ放っておいて、相手の気持ちを受け取ることに注意を戻します。」ができているような気がします。
相手が話し始めてすぐに相手の話を遮るということはあまりないです。

P46「たとえ相手が「みんな私のことを嫌ってるんです」と暗く嘆いているとしても、「そんなことないよ」とか「思い違いだよ」とか「それはあなたが壁を作ってみんなを寄せ付けないせいじゃないの」とか、即座にあなたの意見を述べて相手を説得しようとしないことです。差しあたり、あなたの意見は脇に置いておいて、「どういうこと?詳しく話してみて」と促してみるのです。」
P43と同じで、すぐに自分の意見をぶつけようとしないでという意味で書かれています。
これは意外と難しく、相手が何か話し始めると反射的に「それは考えすぎ」「それは違う」などと相手の言葉を遮って自分の意見を言ってしまう場合が結構あると思います。
相手が悩みを話し始めた時は自分の意見を言うのは一番最後に回し、まずは相手の気持ちを受け取る意識を持つのが大事です。

P60「「受容」とは、ありのままを認めること。相手のありようをありのままに受け容れることです。」
これは「ありのままでいい」と現状肯定の価値判断をするのではなく、ただ「現状はこうなのだ」と力まず穏やかに認識するという意味とのことです。
例えば「もう学校に行きたくない」と登校拒否の気配を見せる子がいたとして、「それでいい」や「それは駄目だ」などと価値判断するのではなく、「そうか、この子は学校に行きたくないのだな」と現状を穏やかに認識することを「受容」と言うようです。

P65「共感は受容とセットで論じられることが多いですが、変化促進のパートナーでもあります。共感こそ、変化を促進する最大の力なのです。そもそも、共感できないような相手に、うまく変化を生み出せるものでしょうか?その可能性は低いでしょう。”共感してもらえた”という体験が、それ自体で変化をもたらすこともあります。それだけ共感には変化促進力があるのです。」
これは共感から変化促進につながるということです。
相手への共感なしに「その考えは間違っている。変化しなさい」などと言ってもあまり意味はないということだとも思います。

P68「「受容」「共感」「変化促進」、この三つは、相互に手を取り合ってらせん状に深まっていくものです。通常、受容と共感があって、変化の促進が可能になります。場合によっては、受容と共感があると、自然に変化が生じてくることもあります。」
受容と共感と変化促進は密接につながっているようです。
「受容と共感があって、変化の促進が可能になります。」が印象的で、P29の「共感を軽んじながら、しかしコミュニケーション能力は重視する、などということは考えにくい」が思い出されました。
やはり相手の心情を考えずに言いたいことだけ言ったのでは相手は不信感を抱くと思います。


「共感」について興味深いことがいくつも書いてありました。
「「この言葉には共感できないな」と感じたとして、その状態を客観的に認識できていることが既に共感のスタート地点に立っている」というのも印象的でした。
私は共感を軽んじた「一方通行の独りよがり論法」に走るのではなく、受容と共感を軸としたコミュニケーションができる人でありたいです。


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「プロカウンセラーのコミュニケーション術」東山紘久

2016-08-14 17:02:50 | 心理学・実用書


今回ご紹介するのは「プロカウンセラーのコミュニケーション術」(著:東山紘久)です。

-----内容&感想-----
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「プロカウンセラーの聞く技術」の続編である本作も読んでみました。
タイトルに「コミュニケーション術」とありますが内容は「こう喋りなさい」と会話術を指南するものではなく、臨床心理士である著者が心理学の観点から会話の中で発する言葉にどんな意味が込められているのかなどを書いていました。

P9「屁理屈を言うのは、その人にそれ以上の手がないとき」
これは興味深かったです。
理屈での話し合いになると分が悪いため屁理屈に頼るようです。
また、屁理屈を言う相手に「屁理屈を言うな」と言うのは最も駄目な方法で、「相手の言う理屈に合わないこと(屁理屈)を相手の責任で押し進めさせるのが良い」とありました。
理屈に合わないことを押し進めれば必ずどこかで論理破綻するとのことです。

P22「「女・子ども」といわれるように、女性と子どもの心性には似たところがある。子どもと似た心性があるからこそ、子どもの心が理解できる。子ども心がないと、子どもの心はわからない。」
女性と子どもの心性は似ているとのことです。
これは「男は理性が先に立つ、女は感情が先に立つ」と言われるように、男性は論理型の人が多いのに対し、女性は感情型の人が多いのが関係している気がします。
子どもの場合は感情が全開なので、女性のほうがその心の内を理解しやすいのだと思います。

P32「交渉は、論理的なやり取りも必要ですが、心の納得が重要です。心が柔らかいと相手の主張を理解でき、そうするとお互いの心が開かれて、かたくなだった心も柔らかくなるのです」
これは大事なことだと思います。
相手がたしかに理屈に合うことを言っていたとしても、感情無視でひたすら理屈で押すだけだと相手はどんどん頑なになっていくと思います。
そして仮にその場では相手を押し切れたとしても相手の心には大きなしこりが残り、以降無理矢理押し切った人に対して心を閉ざすことになります。

P36「「でも」は、相手の話に同意せずに、自分の主張をするとき、相手に対して否定的なときに使われます。自分の意見を否定されたうえに、相手の意見を一方的に聞かされたら、その人と話をしたくなくなるのは当然でしょう」
私も会話の中で「でも」を連発する人には良い印象を持たないです。
なので私自身も会話の中では極力「でも」や「が」「けれど」など、逆説の接続助詞は使わないようにしています。

P40「日本文化は、母性文化だといわれています。母性文化は、年功序列や終身雇用のように個人差を明らかにせず、みんないっしょの文化です」
これは「面白くてよくわかる! ユング心理学」(著:福島哲夫)などにも書かれていました。
女性性の強い(年功序列な)日本社会に対し、欧米は男性性の強い(実力主義な)社会です。
21世紀になった頃から「日本も欧米を見習え」という声がどんどん強まりましたが、私の場合は「女性性が強い」という日本国民の元々の特性を無視してまで無理矢理欧米化させなくても良いのではと考えます。
「面白くてよくわかる! ユング心理学」のレビューに漫画「HUNTER×HUNTER」の念能力を例に書いたように、強化系(女性性の強い社会)の人が具現化系(男性性の強い社会)を極めようとしても相性が悪いため上手くはいきません。
それよりは自分の系統を極め、その自分の系統の補助として他の系統を学ぶほうが余程良いです。
なので「女性性が強い日本社会は悪い社会」と切って捨てるのではなく、女性性が強いという元々の日本国民の特性を理解してその良い面を生かしつつ、そこからより完成度を上げるために補助として欧米の良い面を取り入れるやり方のほうが良いと思います。

P43「自己主張をはっきりさせるのは日本では非常識ですが、世界の常識です」
これはそのとおりです。
ただし「自己主張と相手を無視して「我」を主張することとは別物です」ともあり、気を付けるべき点だと思います。

P71「夢ばかりの人は、人格のなかに幼児性をもっています。幼児性は、非現実な性格をもっていますので、うまく活用しますと、発明や発見につながります。発明や発見は、常識では生まれないからです」
幼児性は悪いことではなく、上手く活用すると凄い力を発揮するようです。

P77「現実吟味は本人にまかけないと、現実を正しく認識できない、これが心理の真理です」
興味深い言葉でした。
難しい高校に「行きたい」と言う生徒に対し、「君は何を寝ぼけたことを言っているのだ。君の成績ならA高校どころかB高校でも危ない。もっと現実を見なさい。そんなことを言っているひまがあれば勉強しなさい」と夢を壊して説教するのは逆効果で本人の勉強する意欲もなくなってしまうとありました。
そうではなく、「行きたい」という夢が叶う方向に乗ってあげ、本人にそれは叶うことなのかどうか現実吟味させたほうが良いとのことです。

P84「心理学では自分のなかに住んでいる悪魔のことを「影」と呼びます。影とは、自分のなかにある、自分自身が認めがたい自分です」
影はユング心理学の本によく出てきます。
影も自分自身を形作っている一部分だと認めてあげることが大事だと思います。

P87「人格の陶冶」
陶冶は普段聞かない言葉だったので印象的でした。
調べてみたら「人間形成」のことをいう古い表現とのことです。

P119「家族にとって、否定的にお互いを見ることは悲劇です。否定的家族のなかで育った人は、職場や集団でも、否定的見方で周囲を見がちになります」
これも印象的な言葉でした。
そうならないように気をつけたいと思います。

P132「「この人はひどい人です」と言った場合、女性が男性に対してこの表現を使うときは具体的な内容「ひどい言動」が相手に見られる場合が多いが、男性が言った場合はトータルでひどいと感じている」
同じ言葉でも女性と男性では意味が違う場合があります。
これを理解しておかないと言葉への誤解から互いに不信感を募らせることになります。

P157「心の侵犯のことを、心理的侵襲と呼びます。いわゆる「他人の心に土足で入る」のがこれです」
他人の心に土足で入るのは野蛮なことです。
かけた言葉が相手の心を踏みつけている場合があるので注意が必要です。

P183「信念は成熟とともに柔らかくなります。成熟しない信念は頑固で凝り固まった確信に至ります」
信念と頑固の違いを表す言葉で興味深かったです。
成熟した信念を持つ人には柔軟性がありますが、信念が成熟しない人は単に頑固になりその考えで凝り固まってしまっています。

P196「ストレスの解消にはおしゃべりが最適」
これは女性が自然にやっていることだなと思います。
カフェなどに行くと女性数人のグループがあちこちでお喋りをしています。
たしかにお喋りして心の中に溜まっているものを吐き出すのは凄く大事だと思います。
ストレス解消は女性のほうがしやすいのかも知れないと思いました。

今作も興味深いことが色々書いてありました。
人との会話を論理だけで押し切ろうとするのではなく、相手の心に気を配りながら言い方に気を付けることも大事だと思います。
もう一冊、作者は変わりますが同じシリーズに「プロカウンセラーの共感の技術」という本があるので、そちらも機会があれば読んでみようと思います。


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「幸せになる勇気」岸見一郎 古賀史健

2016-07-30 23:20:15 | 心理学・実用書


今回ご紹介するのは「幸せになる勇気」(著:岸見一郎 古賀史健)です。

-----内容-----
人々はアドラーの思想を誤解している。
自立とは「わたし」からの脱却である。
愛とは「技術」であり「決断」である。
人生は「なんでもない日々」が試練となる。
「愛される人生ではなく愛する人生を選べ」
「ほんとうに試されるのは歩み続けることの勇気だ」
人は幸せになるために生きているのに、なぜ「幸福な人間」は少ないのか?
アドラー心理学の新しい古典『嫌われる勇気』の続編である本書のテーマは、ほんとうの「自立」とほんとうの「愛」。
そして、どうすれば人は幸せになれるか。
あなたの生き方を変える劇薬の哲学問答が、ふたたび幕を開ける!!

-----感想-----
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前作「嫌われる勇気」のラストから三年後が舞台です。
青年は大学図書館を辞め母校の中学校の教師になっていました。
三年前に哲人との対話を通じて当初は否定していたアドラー心理学を絶賛するほどになった青年が、三年ぶりに哲人のもとを訪れた今回、まるで三年前に初めて哲人のもとを訪れた時のようにアドラーの思想をペテンであり害悪をもたらす危険思想だと言います。
この変貌ぶりには訳があり、生徒に対しアドラーの「ほめてはいけない、叱ってもいけない」を実践した結果、生徒が教師である青年を見くびるようになり教室が荒れてしまいました。
青年は「アドラーの思想は現実社会ではなんの役にも立たない、机上の空論でしかないのですよ!」と言います。
さらにアドラーの思想が通じるのは哲人のいるこの書斎の中だけだと言います。
「この扉を開け放ち、現実の世界に飛び出していったとき、アドラーの思想はあまりにナイーブすぎる。とても実用に耐えうる議論ではなく、空虚な理想論でしかない。あなたはこの書斎で、自分に都合のいい世界をこしらえ、空想にふけっているだけだ。ほんとうの世界を、有象無象が生きる世界を、なにもご存じない!」
青年は哲人にアドラー心理学は現実の世界では使い物にならないと詰め寄っていました。
そして前作と同じく青年の言い回しが面白いなと思います。
詰め寄る青年に対し、哲人は次のように言っていました。

「アドラー心理学ほど、誤解が容易で、理解がむずかしい思想はない。「自分はアドラーを知っている」と語る人の大半は、その教えを誤解しています」
「もしもアドラーの思想に触れ、即座に感激し、「生きることが楽になった」と言っている人がいれば、その人はアドラーを大きく誤解しています」

私はこれまでアドラー心理学の本は前作「嫌われる勇気」「マンガでやさしくわかるアドラー心理学 人間関係編」(著:岩井俊憲)の二冊を読んでいますが、即座に感激して「生きることが楽になった」とは思わなかったです。
特に「勇気を持て」については体育会的な印象があり、企業などがそのまま体育会的な解釈をしてしまい、手っ取り早く「変わるためには勇気を持て。心理学三大巨頭のアドラーもそう言っている」と言うことができるため、都合よく社員への研修に使うのではと指摘したりもしました。

青年は決別の再訪を決意して哲人のもとを訪れていました。
これ以上アドラーの思想にかぶれ堕落してしまう人を増やさないため、哲人を思想的に息の根を止めると息巻いています。
青年が抱える喫緊の課題は教育なので、教育を軸に話が進んでいきます。
哲人は教育とは「介入」ではなく、自立に向けた「援助」だと言います。
そして教育の入り口は「尊敬」以外にはないと言います。
例えば学級の場合、まずは青年が子どもたちに対して尊敬の念を持つことから全てが始まるとのことです。

「目の前の他者を、変えようとも操作しようともしない。なにかの条件をつけるのではなく、「ありのままのその人」を認める。これに勝る尊敬はありません。そしてもし、誰かから「ありのままの自分」を認められたなら、その人は大きな勇気を得るでしょう。尊敬とは、いわば「勇気づけ」の原点でもあるのです」
ありのままのその人を認めるというのは、私はできる場合と無理な場合があります。
例えば強権的で偉そうな人に対しては今のところありのままのその姿を認めるのは難しく、嫌な人だなと思います。
ただしアドラー心理学の「課題の分離」の考え方を使い、強権的で偉そうな人の性格はその人の問題であり性格を変えさせることなど無理なため、相手の性格を変えようとするのではなく自分が変わるほうが良いと考えるのは良い考え方だと思います。

哲人が使用した三角柱は興味深かったです。
その三角柱は私達の心を表していて、三つの面のうちまず二つには「悪いあの人」「かわいそうなわたし」と書かれています。
哲人によるとカウンセリングにやってくる人のほとんどはこのいずれかの話に終始するとのことです。
そして三つ目には「これからどうするか」と書かれています。
哲人によると私達が語り合うべきはまさにこの一点であり、「悪いあの人」も「かわいそうなわたし」も必要ないとのことです。
「そこに語り合うべきことが存在しないから、聞き流す」と言っていました。
青年は「この人でなしめ!」と声を荒げていて、今作の青年は前作以上に言葉が特徴的だなと思いました。
私的にはたしかに過去よりも今であり、これからどうするかを見つめたほうが良いと思います。

問題行動の5つの段階も興味深かったです。
「第1段階 称賛の要求」
「第2段階 注目喚起」
「第3段階 権力争い」
「第4段階 復讐」
「第5段階 無能の証明」

第1段階の「称賛の要求」は、親や教師に向けて「いい子」を演じ、ほめられようとすること。
第2段階の「注目喚起」はほめてもらえないことで、「ほめられなくてもいいから、とにかく目立ってやろう」と考えること。
第3段階の「権力争い」は親や教師を口汚い言葉で罵って挑発して戦いを挑む段階。
第4段階の「復讐」は権力争いを挑んで歯が立たずに敗れた場合、相手が嫌がることを繰り返すことによって、憎悪という感情の中で自分に注目してくれと考える段階。
第5段階の「無能の証明」は人生に絶望し、自分のことを心底嫌いになり、自分にはなにも解決できないと信じ込むようになる段階。
哲人によると第3段階の時点でかなり手強い段階とのことですが、問題行動の大半は第三段階にとどまっていて、そこから先に踏み込ませないためにも教育者に課せられた役割は大きいとのことです。

哲人の「「変えられないもの」に執着するのではなく、眼前の「変えられるもの」を直視する」という考えはそのとおりだと思いました。
また、「教育者は孤独な存在」という言葉は印象的でした。
誰からもほめてもらえず、労をねぎらわれることもなく、みな自力で巣立っていくとありました。
そこで、現場で働く教師としては生徒からの感謝を期待するのではなく、「自立」という大きな目標に自分は貢献できたのだという貢献感を持ち、貢献感の中に幸せを見出すしかないとありました。

強さや順位を競い合う競争原理が行き着く先が勝者と敗者が生まれる「縦の関係」だとすると、アドラー心理学では協力原理による「横の関係」を提唱するとのことです。
誰とも競争することなく、勝ち負けも存在せず、全ての人は対等であり、他者と協力することにこそ共同体をつくる意味があるとありました。
そして「アドラー心理学は横の関係に基づく「民主主義の心理学」」だと言っていました。
ただ誰とも競争することなく勝ち負けも存在しないというのは、少し解釈を間違えると単なるゆとり教育になってしまうので注意が必要だと思います。

人間はその弱さゆえに共同体を作り協力関係の中に生きていることから、「共同体感覚は身につけるものではなく、己の内から掘り起こすもの」というのも印象的でした。
もともと持っているものとのことです。
そして「「わたし」の価値を自らが決定すること。これを自立と呼ぶ」というのも印象的な言葉でした。
「わたし」の価値を他者に決めてもらうのは他者への承認欲求であり依存とのことです。

「われわれは自分に自信が持てないからこそ、他者からの承認を必要としているのですよ!」と言う青年に対し、哲人は「おそらくそれは、「普通であることの勇気」が足りていないのでしょう」と言います。
そして「その他大勢としての自分を受け入れましょう」と言います。
この「その他大勢としての自分を受け入れる」は、近年の私が意識しつつあったことです。
哲人は「「人と違うこと」に価値を置くのではなく、「わたしであること」に価値を置くのが本当の個性というものです」と言っていて、私はそこまで意識したことはなかったですが、この考えは良いと思うので意識していきたいと思います。
哲人が「無条件の信頼」についてかなり印象的なことを言っていました。
「あなたがわたしを信じようと信じまいと、わたしはあなたを信じる。信じ続ける。それが「無条件」の意味です」
アドラー心理学のこの信じることの力押しは凄いなと思います。
私はとてもここまでは信じられないです。

物語のラスト、議論が終わって別れを迎えた時、哲人が青年にかけた言葉は印象的でした。
「この先あなたがどこにいようとも、わたしはあなたの存在を身近に感じ続けるはずです」
この先二度と会うことがないとしてもその存在を身近に感じ続けられるというのは、その人が人生に良い意味で大きな影響を与えたということで素敵なことだと思います。

岸見一郎さんのあとがきにアドラー心理学が悪用ともいえる扱われ方をされていたと書いてありました。
「特にその「勇気づけ」というアプローチは、子育てや学校教育、また企業などの人材育成の現場において、「他者を支配し、操作する」というアドラーの本意からもっともかけ離れた意図を持って紹介され、悪用ともいえる扱われ方をされる事例が後を絶ちませんでした」

悪用は前作「嫌われる勇気」を読んで思ったことでした。
アドラー心理学の「勇気を持て」は体育会的な面があるため、企業などがそのまま体育会的な解釈をして「変わるためには勇気を持て。心理学三大巨頭のアドラーもそう言っている。変われないのなら、それはお前に勇気がないからだ」と言うことができてしまうのです。
なので都合よく社員への研修に「勇気を持て」を使うのではと思ったら、やはり悪用されていたようです。
アドラーという心理学三大巨頭の名のもとに「勇気を持て」だけ言って無理やり都合の良い方向に変わることを迫るのは、もはや心理学ではなく単なる体育会論です。
せっかくの生きることを楽にするための心理学、悪用されないことを願います。
そしてそういった悪用してくる人と対峙した場合に備えて、「嫌われる勇気」「幸せになる勇気」などでアドラー心理学の考え方に触れておくことは役立つかと思います。


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「プロカウンセラーの聞く技術」東山紘久

2016-07-27 23:50:20 | 心理学・実用書


今回ご紹介するのは「プロカウンセラーの聞く技術」(著:東山紘久)です。

-----内容-----
われわれは、真実の人間関係、嘘のない人間関係、信頼のできる人間関係をもちたいとつねづね思っています。
そのためには、相手の話を聞くことが必要になります。
「聞く」ということは、ただ漫然と耳に入れることではありません。
聞くことは理解することなのです(本文より)。

-----感想-----
本の帯に阿川佐和子さん推薦とあり、「この本を読むと、自分が今までどれほど人の話を聞いていなかったかに気がついて、思わず吹き出してしまう」とありました。
私は元々人の話を聞くのが好きです。
東山紘久さんは臨床心理士とのことで話を聞く専門家であり、話を聞く上で参考になることが沢山書かれていそうな気がしました。
なので自分の得意分野を伸ばすべく、この本を読んでみました。

P12「自分の話に耳を傾けてくれる人の言うことを、人はよく聞くものです」
これはそのとおりだと思います。
相手の言葉に耳を貸さず自分の意見ばかり好き勝手に喋っている人の話は聞きたくないです。

P16「消化できない話や納得できない話をじっと聞かされると、聞いた人が苦しむことになる」
母親から祖母や父親のぐちを聞かされ続けた子供についてを例にこのことが書かれていました。
これは私も経験があり、頻繁にぐちを聞かされるとうんざりとした気持ちになります。
ただし母親としても誰かにぐちを言わないとストレスが溜まり続けてしまうという問題があり、そこが厄介なところです。
母親か子供のどちらか片方に必ず精神的な負担がかかってしまいます。
本には「このことがプロのカウンセラーが必要とされる一番の理由です」と書かれていました。

P22「話がはずむためには、聞き手が話を肯定的に受け取ることが大切です。自分の話を否定的に聞かれていることがわかると、話し手は話す気がしなくなってしまいます」
これは私が普段自然にできていることです。
異様なことを言っていない限りは相づちを打ちながら肯定的に聞いています。
そしてプロのカウンセラーの場合は相手が異様なことを言ったり八つ当たり的な形でカウンセラーを非難してきたとしても相づちが打てるように鍛えられているとあり、そこが凄いなと思いました。

P29「相づちの高等技術、くり返し」
相手の話したことをくり返すことは、相手がただ聞いてもらった感じだけでなく、話の内容と自分の心情が理解されたと感じるため、素晴らしい相づちになるとありました。
これも普段特に意識せずに使うことがあります。
ただし本に書かれているような完全な形では使えていないようです。
くり返しの相づちは「明快に」「短く」「要点をつかんで」「相手の使った言葉で」というのが大切なポイントとのことです。
特に「相手の使った言葉で」は奥が深く、類似した内容でも話し手と違う表現をすると聞き手の解釈のように感じ、話し手は自分の言葉が正確には理解されていないと感じることがあるというのは興味深かったです。

P31「プロの聞き手は「わかる」「わかるわ」「よくわかる」という相づちは使わない」
これも興味深かったです。
相手の言うことがわかるというのは本当は至難の技で、「わかる」という相づちは聞き手が自分なりにわかったという自己満足の相づちとありました。
安易に「わかる、わかる」と相づちをくり返されると話し手は心のどこかで「そんなにわかられてたまるものか」という反発が起こるともあり、気をつけるべき点だと思います。
そして私の場合、「なるほど」とは言っても、「わかるわかる」とは安易には言っていないことに気づきました。
それは凄くよく分かるなという時にしか使わないです。
無意識の中で「そんなに簡単にはわからない」というのを理解していたのかも知れません。

P39「ここまで聞いたのだからとついでにもっと、と先を続けさせようとすれば、二人の人間関係まで壊れてしまう」
話をしていて、相手がちょっと話しすぎたと思い話をやめたのにしつこく聞こうとした場合のことです。
プロの聞き手はこれをよく分かっているとありました。
聞き手として話を聞く場合にも「引き際が大事」ということなのだと思います。
私は10代の頃は結構しつこく聞いてしまうことがあったのですが、20代になってからは相手が話したくなさそうなことは聞かないようになりました。
年を重ねて聞き手としての引き際を身につけたのだと思います。

P46「ぐちの聞き方は避雷針と同じ。自分にぐちを積極的に落としてもらう。そして自分の心の中にためこまず、そのまま地中へと吸収させる」
これは相手の言葉を真っ正面から受け止めやすい私にとっては苦手とすることです。
なので苦手だということを認識しつつ、横にひょいっと受け流してあげることを意識するようにしています。
そして私の父がこれを得意としていることに気づきました。
自分にぐちを積極的に落としてもらおうとは思っていないと思いますが、「自分の心の中にためこまず、そのまま地中へと吸収させる」が出来ているように見えます。

P52「昔の主婦はプロのカウンセラーと同じようなテクニックを持っていた」
昔の主婦の井戸端会議では次々交代で軽いぐち話をしながら、あまり深刻な話にはならないように「話を聞き流し、自分サイドに引きつけない」という知恵を持っていたとのことです。

P56「人間は話を聞くより話をするほうが好き」
これはそのとおりだと思います。
自分のことを話そうと思っているときは、心(頭)はすでに聞き手のモードから話し手のモードに切り替わってしまっているとありました。
「子どもや配偶者や身内や部下が悩んでいるときにも、聞き手モードからうっかり話し手モードにならないようにいましめておかなければ、悩みを聞いてやろうとするあなたの思いは役に立たない」というのが印象的でした。

P67「「私この間、⚪⚪のような目にあったのよ。どう思う」のような質問には、聞き手のあなたはほとんどの場合、答える必要はない」
形式は疑問文でも、聞き手に求めている反応が答えではない場合として紹介されていました。
そんな時は「同意するか、考えるためにちょっと間をおけばすみます」と書かれていました。
この聞き方は自然と身についているものでした。
私も「どう思う」と聞かれることがありますが、何か答えるか考え込むかすると必ず話がその先へと進んでいきます。
先に進むことが大事なので、「どう思う」に対して長々とではなく簡単に答えるのが良いと思います。

P85「聞き手は話し手より偉くはないことを自覚しているべきです。それでもついつい人の悩みを聞くと、自分がその人より偉いと感じ、助言をしてしまうことが多いものです。話し手との平等性を確保している聞き手は、尊敬していい人です」
これはかなり印象的でした。
悩みを話す話し手との平等性の確保は難しいことだと思います。
偉そうに助言するようなことがないよう、意識を持つことが大事です。

P91「共感とは相手の気持ちで話を聞くことで、自分の気持ちで聞くと、どこかで相談者の気持ちとズレが生じる」
相手の気持ちで話を聞くのも言葉にすると簡単そうですが実際には難しいと思います。

P95「その人の心は、その人しかわからない」
これもそのとおりだと思います。
どんなに共感したとしても、完全に相手の心が分かっているわけではないです。

P133「「相手のことは相手のこと」が、温かい気持ちでできるためには、相手の心に対する理解が必要です。家族や友だちなど自分にとって大切な人を失わないためには、つねに相手を理解しようと心がけることが第一なのです。自分の立場を主張するのでなく、相手の気持ちになって、しかも相手と自分を混同しないことが大事」
相手の気持ちになって、しかも相手と自分を混同しないのは、母の愚痴に対してできていないなと思いました。
母が怒りながらこぼすぐちに対し、私も聞いているうちにその対象に強い怒りを感じるのですが、これはP91の「共感とは相手の気持ちで話を聞くことで、自分の気持ちで聞くと、どこかで相談者の気持ちとズレが生じる」に当てはまると思います。

P137「評論家は正論を言い、相手に対しても正しいことをするように言います」「正しいことを言うのは評論家か傍観者」
これは正しいことを言う人が正しいとは限らないということです。
会社である人がある人に対し、「正しいことを言いますね」と言っていたことがあります。
これは褒めているのではなく、呆れているニュアンスがありました。
「こうすべきだ」と言った場合に、それが正論であり正しかったとしても、とてもそんなことをしている時間がない場合があります。
そんな時に自分がやるわけではない人が「こうすべきだ」と正論を言ったとしても、「そんなことは分かっているが現実的ではないからやめているのに、何を言っているんだこの人は。それならあなたが自分でやれ」と反発される可能性が高いです。
家庭でも同じように、例えば奥さんが旦那さんに近所付き合いの不満を言った場合に、「そんなことを言っても付き合いをしないわけにはいかないだろう」と正論を言ったとしても、奥さんはうんざりすると思います。
正しいことをひたすら言えるのは自分の身に降りかかっていないからだと思います。
相手の心情を考えることが大事です。

P154「話し手のリズムに合わせて、話しやすい返事を返す」
これは普段自然にできていると思います。
相手が話しやすいように、話のテンポを微妙に変えたりすることがあります。


P171「人間は頭で理解していても、感情が拒否するような行動はとることができない」
これは私も経験があります。
「こうすべきだ」と頭では理解していても、強い拒否感情があるとなかなか「こうすべきだ」ということを実行できないものです。

P176「部屋の違い一つで、話の内容が影響を受ける」
窓のない部屋で話をすると気づまりになり、全面窓の部屋も話しにくいものではあるものの話の内容は明るくなるとのことです。
たしかに部屋の雰囲気は大事だと思います。
窓のある明るい雰囲気の部屋のほうが自然と明るく話せると思います。


この本を読んでみて、結構普段できていることがあるなと思いました。
そしてできていないこともありました。
人の話を聞くのは好きなので、聞く力をより伸ばしていきたいと思います。


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「嫌われる勇気」岸見一郎 古賀史健

2016-06-10 19:05:26 | 心理学・実用書


今回ご紹介するのは「嫌われる勇気」(著:岸見一郎 古賀史健)です。

-----内容-----
フロイト、ユングと並び「心理学の三大巨頭」と称され、世界的名著『人を動かす』の著者・D.カーネギーなど自己啓発のメンターたちに多大な影響を与えたアルフレッド・アドラーの思想を、1冊に凝縮!!
悩みを消し去り、幸福に生きるための具体的な「処方箋」が、この本にはすべて書かれている。
「人生が複雑なのではない。あなたが人生を複雑にし、それゆえ幸福に生きることを困難にしているのだ」
「『変われない』のではない。『変わらない』という決断を常に行っているだけだ」
「自由とは、他者から嫌われることである」
他者の期待を満たすために生きてはいけない。
アドラー心理学の新しい古典。

-----感想-----
この本は人生に悩む「青年」と、アドラー心理学を修得した哲学者「哲人」の対話という形で物語が進んでいきます。
物語の舞台は京都で、青年はこの地に一風変わった哲学者が住んで「人は変われる、世界はシンプルである、誰もが幸福になれる」という看過しがたい理想論を唱えているという噂を聞いてやってきました。
青年は実際に自分の目で哲学者の主張を確かめて、おかしな点があればその誤りを正してあげようとしていました。

世界について「誰がどう見ても矛盾に満ちた混沌ではありませんか!」という青年に対し、哲人は「それは「世界」が複雑なのではなく、ひとえに「あなた」が世界を複雑なものとしているのです」と言います。
そして「あなた自身が変われば、世界はシンプルな姿を取り戻します。問題は世界がどうであるかではなく、あなたがどうであるかです」と言っていました。
世界が複雑になるかシンプルになるかはその人の考え方次第だということのようです。
反論する青年の語り口が面白く、「ははっ、大きく出ましたね!おもしろいじゃありませんか、先生。いますぐ論破してさしあげますよ!」というような台詞をよく言っていました。
そしてことごとく哲人に論破されることになります。

哲人の専門はギリシア哲学ですが、「もうひとつの哲学」としてオーストリア出身の精神科医、アルフレッド・アドラーが20世紀初頭に創設した「アドラー心理学」も修得していました。
フロイト、ユング、アドラーは最初は一緒に精神分析学を研究していましたが、後に考え方の違いからアドラーとユングはフロイトから分派し、アドラーは個人心理学(アドラー心理学)を、ユングは分析心理学(ユング心理学)を確立します。
そして哲人にとって「アドラー心理学はギリシア哲学と同一線上にある思想であり哲学」とのことです。

哲人は過去について、「過去など関係ないというのがアドラー心理学の立場」と言っていました。
アドラー心理学では過去の「原因」ではなく、いまの「目的」を考えるとのことです。
青年には外に出た時の不安感から引きこもりになっている友人がいるのですが、哲人によると「アドラー心理学では友人は不安だから外に出られないのではなく、外に出たくないから不安という感情を作り出している」と考えるとのことです。
外に出ないという目的が先にあって、その目的を達成する手段として不安や恐怖といった感情をこしらえており、アドラー心理学ではこれを「目的論」と呼ぶとのことです。
「不安だから外に出られない」という原因論とは違いがあり、我々は原因論の住人であり続けるかぎり、一歩も前に進めませんとありました。
この目的論の考えに青年は猛反発していて、私も違和感を持ちました。
全ての事例を目的論で片付けるのは無理があるのではと思います。

哲人は「アドラー心理学では、トラウマを明確に否定します」と言っていました。
フロイト的な原因論ではトラウマを重視しますが、アドラー心理学ではトラウマは存在しないと考えるとのことです。
また、アドラーはトラウマの議論をする中で次のように語っていたとのことです。

「いかなる経験も、それ自体では成功の原因でも失敗の原因でもない。我々は自分の経験によるショックーーいわゆるトラウマーーに苦しむのではなく、経験の中から目的にかなうものを見つけ出す。自分の経験によって決定されるのではなく、経験に与える意味によって自らを決定するのである」

経験に与える意味によって自らを決定するとありますが、これは例えば、女性が男性から酷い目に遭わされて激しい精神的ショックを受けて男性不信になっている場合にもこの言葉を言うつもりなのでしょうか。
私はそういうのこそ「トラウマ」と言うのだと思いますし、トラウマの全てを「存在しない」と否定することはできないと思います。

哲人は「変わることの第一歩は知ることにある」と言っていました。
また、自分のことを好きかどうかについて、「少なくとも別人になりたいとは思いませんし、自分が「この私」であることを受け入れている」と言っていました。
自分が「この私」であることを受け入れているというのは良い考え方だと思います。
自分自身と向き合い、長所も短所も受け入れてあげるのが一番良いと思います。
哲人がアドラーの言葉で印象的なものを紹介していました。
「大切なのはなにが与えられているかではなく、与えられたものをどう使うかである」
これは良い言葉だと思います。
「この力がない」とないことを悔やむより、「今あるもの」に目を向けたほうが良いです。

不幸についての話で、哲人は「いまのあなたが不幸なのは自らの手で不幸であることを選んだからなのです」と言っていました。
これも極端な考え方だなと思います。
哲人は次のようにも言っていました。

「アドラー心理学は、勇気の心理学です。あなたが不幸なのは、過去や環境のせいではありません。ましてや能力が足りないのでもない。あなたには、ただ“勇気”が足りない。いうなれば「幸せになる勇気」が足りていないのです」

アドラー心理学の本では「勇気」という言葉が何度も出てきます。
そしてこの「勇気を持て」という考えは企業が社員への研修で好むであろうと思います。
手っ取り早く「変わるためには勇気を持て。心理学三大巨頭のアドラーもそう言っている」と言うことができるからで、何だかアドラー心理学が研修で都合よく使われるのではという懸念を持ちました。

対人関係で悩んだり傷ついたりすることについてのアドラーの言葉は興味深かったです。
「悩みを消し去るには宇宙の中にただひとりで生きるしかない」
これは良い言葉だと思いました。
実際にはそんなのは無理であり、それぞれ悩みを持ちながら生きています。

「優越コンプレックス」という言葉も興味を惹きました。
例として権力者(学級のリーダーから著名人まで)と懇意であることをアピールし、それによって自分が特別な存在であるかのように見せる人が挙げられていて、このタイプの人は見たことがあります。
一番印象的だったのが歌舞伎俳優の市川海老蔵さんが不祥事を起こした際、電車の中で「私のお母さんが芸能界にコネがあってさ。海老蔵の家の詳しい情報も入ってくるの。海老蔵も馬鹿だよねー」と友達に話していた女の人でした。
かなり大きな声で話していて、それが聞こえていた私は「たぶんこの人は母親が芸能界にコネがあるのを周りに見せつけたいんだろうな」と思いました。
哲人によるとそういう人は「わたし」と権威を結びつけることによって、あたかも「わたし」が優れているかのように見せかけ偽りの優越感に浸っていて、その根底には強烈な劣等感があるとのことです。

「優越性の追求」について、哲人は「自らの足を一歩前に踏み出す意思であって、他者よりも上を目指さんとする競争の意思ではない。誰とも競争することなく、ただ前を向いて歩いていけばいい」と言っていました。
人は人、自分は自分ということで、とても良い考えだと思います。
ただし変な解釈をして「小学校の運動会の徒競走などで順位付けをするのは他者との競争になり良くない。アドラー心理学も誰とも競争することなく前を向いて歩いていけば良いと言っている。順位付けは撤廃すべきだ」というような妙な主張になりかねないので注意が必要だと思います。
この辺り、アドラー心理学は言っていることが非常に具体的であるだけに、変な解釈をして悪用する人が出るのではと懸念しています。

アドラー心理学では人間の行動面と心理面のあり方について次のように目標を掲げているとのことです。

行動面の目標
1.自立すること
2.社会と調和して暮らせること

この行動を支える心理面の目標
3.わたしには能力がある、という意識
4.人々はわたしの仲間である、という意識

また、アドラー心理学は「承認欲求」を否定するとのことです。
承認欲求とは他者から認められたいという思いのことで、この気持ちがあると自分ではなく他者の人生を生きることになるので良くないとありました。
承認欲求があるのは「適切な行動を取ったらほめてもらえる、不適切な行動を取ったら罰せられる」という賞罰教育の影響とのことです。
そしてアドラーはこうした賞罰教育を厳しく批判していたとありました。
親が子を誉めたり怒ったりして育てようとするのは間違っているとあり、なるほどと思いました。
ただ一切誉めてはいけないというのは極端ではと思います。

哲人によると、ある国に「馬を水辺に連れていくことはできるが、水を呑ませることはできない」ということわざがあり、アドラー心理学におけるカウンセリングや他者への援助全般も、そういうスタンスとのことです。
そこから哲人が言っていた「自分を変えることができるのは自分しかいない」というのはそのとおりだと思います。
自分の強い意思によって初めて変われるものだと思います。

哲人は「自由とは他者から嫌われることである」と言っていました。
「あなたが誰かに嫌われているということは、あなたが自由を公使し、自由に生きている証であり、自らの方針に従って生きていることのしるしなのです」とありました。
さらに「幸せになる勇気には、「嫌われる勇気」も含まれる」とありました。
周りから好かれるために周りの目ばかり気にしていたのではとても自由とは呼べないということであり、良い考えではあると思います。
ただし受け取り方を間違えると何でもかんでも自分勝手に振る舞って周りを凄く不快にさせる存在になりかねないので注意が必要です。
この辺り、やはりアドラー心理学は「勇気を持て」と体育会系な面があったり、極端なことを言う原理主義的な面もあり、解釈の仕方に気を付けるべきと感じています。

物語の最後、「いま、ここを真剣に生きること」について哲人と青年が熱く語り合っていました。
例えば遠い将来の受験に向けて勉強をしている「いま、ここ」も準備期間ではなくすでに本番という考え方で、これは良い考え方だと思います。
毎日少しでも良いから数式を解いたり単語を覚えたりするとそこには必ず「今日できたこと」があり、今日という一日はそのためにあったと考えるようです。
決して遠い将来の受験のために今日があるのではないとありました。
「いま、ここを真剣に生きる」とはそういった意味です。

私はこの本を読む前にユング心理学の本を読んでいるので、ユング心理学との違いを感じながら読み進めていきました。
ユング心理学は抽象的なのであまり具体的な批判はないですが、アドラー心理学は具体的なので批判点も明確になるなと思いました。
ユング心理学もアドラー心理学も心理学として目指す方向は「自分自身を生きやすくする」で同じだと思います。
その方法がユング心理学ではしなやかに、アドラー心理学では力技でという印象を持ちました。
私の感性にはユング心理学のほうが合うのでユング心理学をベースに、アドラー心理学も良い面は取り入れ、自分自身を生きやすくすることに役立てていければと思います。


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