東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

光市 楽しかった島田~岩田の史跡巡りウォーキング(2/4)

2019年10月16日 | 歴史探訪他ウォーキング

 小高い丘と言うか山の上に、人丸神社はありました。地元の方のお話によると、その昔に子供が次々に亡くなる病が流行ったとのこと。この惨状を見かねて、石見国にある人丸神社にお参りしたとのこと。そして、人丸神社をこの地に勧請したとの言い伝えが残っています。おそらく天明か享保の飢饉時の事ではないかと思います。飢饉になると、栄養失調により子供が最も多く犠牲になります。各地にこの飢饉の史実が残っており、例えば田布施町では「飢民の供養塔」が残っています。また、各地に大師堂などか建てられています。ところで、何年か前にこの神社の御守をするのが二軒だけになったとのこと。その後、もう何年も世話をしていないようで屋根の一部が崩壊していました。地域でこの神社を維持できなくなったのでしょう。

            屋根が一部倒壊した人丸神社


 人丸神社の横には広場がありました。今は木々が茂って周りが見えませんが、かつては景色が良かったのではないかと思います。この広場ではかつて、盆踊りなどのお祭りが盛大に行われていたのではないでしょうか。そして、神社へと続く参道はたくさんの人が行き来していたのではないかと想像します。神社へと続く参道は大きく窪んでいます。数百年間たくさんの人々がお詣りした結果、道が削れて窪んだのではないでしょうか。

  かつての参道を下る    半ば壊れたお大師様    小休止した橿原神社
  

 人丸神社を出ると、次にお大師様を訪れました。このお大師様のお堂には、平和霊場第二十九番札所の木札が打ち付けられていました。今はうら寂しいお大師堂ですが、かつては人々が通る街道に面していました。お大師堂のある山の下に新たに道が作られてから、人々が通らなくなったようです。往時にはたくさんの巡礼者が通り、その巡礼者を歓待する地元の方々の賑やかさが想像されます。

  橿原神社の石鳥居を支える岩         橿原神社傍のお地蔵様 

 お大師堂を過ぎると、しばらく歩いて橿原神社に向かいました。その昔は参道前に鳥居が建っていたのでしょう。しかし、自動車道が参道に割にり込むように作られたようで、神社と鳥居の間に道路があるのです。鳥居を支える岩に足跡とも思える模様があります。その模様は、鬼彦兵衛の足跡として言い伝えられています。橿原神社で少し小休止すると、昼食休憩をする教西寺に向かいました。

       JR島田駅からJR岩田駅まで巡った史跡コース

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

茨城県 ひたちなか市~御岩神社~日鉱記念館などを楽しく散策(3/3)

2019年10月15日 | 歴史探訪他ウォーキング

 御岩神社より山奥にある賀比礼神宮から、さらに上に上がる道がありました。おそらく御岩神社の御神体と思われる大岩があるようです。しかし、時間がなかったため、賀比礼神宮から御岩神社に降りる別の山道を下りました。途中、常陸の国を鎌倉時代から数百年も治めた佐竹氏代々の墓所がありました。佐竹氏は戦国時代末期に徳川家の反感を買って今の秋田県に移封されました。毛利家が周防・長門だけに減らされた待遇に似ています。そのためか、佐竹氏は幕末期に奥州列藩同盟から離脱して新政府側につきました。戦国時代の恨みは数百年を超えて蘇るのですね。

          賀比礼神宮から降りて再度参拝した御岩神社 


 私は茨城県の成り立ちにとても興味があります。明日香や奈良時代の頃、今の茨城県は常陸の国と呼ばれていました。「常陸」とは「日が立つ国」の意味とか。最初に朝日が昇るほど東の果ての国との意味もあるようです。大和王権が支配する最も東の端にある国だったのではないかと言われています。なお、当時の東北は蝦夷と言われて、朝廷の支配が及ばない別の国だったようです。

御岩神社上の賀比礼神宮   佐竹氏代々の墓所   佐竹氏墓所近くの薩都神社
  

 
御岩神社に戻ると、あらためて本殿などの建物を見ました。すると、最近修理したのか新しい木材が使われていました。一躍有名になったため参道を整備したり、本殿などを新しくしたのかも知れません。御岩神社から駐車場に戻ると、個人的に懐かしい日鉱記念館に向かいました。

  明治時代の鉱山工場   使われていた古い機械    新しい日鉱記念館
  

 40数年前、私が入社時にこの記念館を訪れたことがあります。入社した会社が、この鉱山から発祥したからです。記念館内には明治時代に使われた機械がぎっしりと陳列されていました。日鉱記念館を見学していると、会社人生をスタートした頃の懐かしい思い出が蘇ってきました。

   日鉱記念館内を移動          立ち寄った「道の駅 ひたちおおた」
 

 私が入社時、高鈴山に登山後にこの日鉱記念館は訪れました。もしかして、高鈴山から尾根続きの御岩神社に降りてから日鉱記念館に行ったのかもしれません。そうだとすれば、2度目の御岩神社です。日鉱記念館を去ると、東京に向かって一直線に帰りました。途中、道の駅ひたちおおたに寄りました。食い道楽に史跡道楽の楽しい茨城散策でした。連れて行ってくれた息子夫婦に、ありがとう。

           今回散策した茨城県内のルート

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

10月の小年少女発明クラブの活動、楽しい小箱作り(前半)

2019年10月14日 | 子供の育成関連

 8月の怒涛のようなアイデア工作制作とチャレンジコンテスト工作が終わり、1ヶ月ぶりの少年少女発明クラブでした。8月までとは工作内容がガラリと変わり、10月は木工工作です。子供達が作るのは蓋を開け閉めできる鍵付きの小箱です。私が出来上がりのサンプルを見せた後、子供達は自由に小箱を作ります。1mの板に線を引いて、ノコギリで切って、釘を打って、蝶番を付けて、鍵を取り付けて、最後に装飾をします。これを全て一人でこなします。

     与えられた2mの板(2人分)を、二つに切断するための線を引く


 最初、子供2人に1枚の板を配りました。その板は、2人分2mの長さがあります。そのため最初、2人で協力して2人分各1mの板に分けることから工作が始まります。立方体の小箱は6面の板で構成されます。そのため、綺麗な小箱にするためには、板の厚さを考慮してから板を切らなければなりません。特に側面の板はちゃんと計算する必要があります。

  各自1mの板に製図  線に沿ってノコギリで切断   二人で協力して切断
  

 1mの板が渡されると、切るための線を板に描きます。木工工作の経験がある子供は差し金を使って製図していました。しかし、今年初めて少年少女発明クラブに入った子供の多くは物差しで線を引いていました。そんな子供達を見つけると、差し金を使うことを教えました。木工作品を作る場合、差し金を使うことは基本中の基本です。

  6枚の板の完成    板と板を合わせて確認   早い子は釘を打って固定
  

 私がDIYのお店で買ってきた20枚ほどの板は乾燥が十分ではありませんでした。そのため、ノコギリを使った板の切断にどの子も苦労していました。さらに、次回は乾いて板が反ってくると思います。これまた良い経験になると思います。去年の経験があるのか、私が思っていた以上に早く制作する子がいました。そのため、途中で釘や蝶番が足りなくなってしまいました。次回小箱の完成です。

    釘を打つ前にキリで穴あけ     飛び出た板部分をノコギリで調整
 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

田布施町 放課後学習 成器塾 羊の毛を洗浄,フェルト細工ほか(後半)

2019年10月13日 | 子供の育成関連

 羊の毛の洗浄と糸紡ぎの練習が終わると、後半はフェルト細工の学習に入りました。私はフェルト細工については素人のため、TさんとOさんにバトンタッチして子供に教えていただきました。ありがとうございました。ついでに私も学習しました。フェルト細工と言うと、針でツンツン突いて猫や犬の形にするフエルトが流行っているようですが、今回は丸い石をカラフルにしっかり包むフエルト細工です。

        丸い石をカラフルな羊毛で硬く包むフェルト細工


 ベースに使った白い羊毛(無染色)は、田布施農工高校で飼っている羊の毛を洗浄したものです。最初、その白い羊毛をカーディングしてふわふわにします。次に、川で拾ってきたたくさんの丸い石の中から、好きな大きさ好きな形の小石を選びます。そして、その小石をふわふわな羊毛で包みます。続いて、カラーに染められた羊毛をその上に重ねます。好きな色合いになるようにデザインして重ねるのです。

   好きな色の羊毛を重ねる        石鹸をつけてごしごしと擦る
 

 小石を好きな色合いの羊毛で包み終わると、お湯に浸して石鹸を付けます。そして、手で丸めるように強く擦ります。羊毛が均等に縮むためには。小石全体を均等に擦った方がよいようです。均等に擦らないとしわが出ます。時々お湯に浸けながら擦ります。子供も大人も、それぞれ綺麗な小石を包むフエルト細工ができました。完成した作品は、ちょっとした飾り,文鎮代わり,あるいは指休めになります。

  蛇口に並んで擦る   私の作品、どうかな?  最後に石鹸成分を洗い流す
  

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

茨城県 ひたちなか市~御岩神社~日鉱記念館などを楽しく散策(2/3)

2019年10月12日 | 歴史探訪他ウォーキング

 那珂湊漁港を出るとすぐに御岩神社に向かいました。途中、那珂湊漁港を出てすぐの所にある干芋(サツマイモ)を売るお店に寄りました。干芋だけを売るお店(立派なビル)です。干芋と言うと、スーパーの隅っこでよく売っていますが、その店は干芋だけを専門に売っているのです。駐車場に入ると、すでに一台の観光バスが止まっていました。

    御岩神社よりさらに30分山奥に鎮座する賀比礼神宮からの景色

 観光客が立ち寄るほど有名な明治操業の干芋専門店(大丸屋)でした。そのビルの入口に、巨大なサツマイモのオブジェが建っていました。近づいてみると、石を彫って作ってありました。ビル内に入ると、いろいろな種類のサツマイモで作られた干芋が所狭しと並べられていました。私は一袋の干芋を買うついでに、美味しそうな干芋ジェラートを舐めました。干芋もジェラートにすると意外に美味しいものです。

 サツマイモのオブジェ   様々な種類の干芋    美味しい干芋ジェラート
  

 干芋専門店を出ると、御岩神社に行きました。道すがら茨城国体のポスター「いきいき茨城ゆめ国体」が目につきました。たくさんのスポーツマンが全国から来て競技しているに違いありません。駐車場が狭いのではないかと思っていましたが、無料駐車場に楽々車を停めることができました。

 茨城国体のポスター     御岩神社に向かう   入口鳥居近くの祓戸神社
  

 入口の鳥居を過ぎると、うっそうとした杉の大木に囲まれた参道に入りました。幹が三つに割れた大杉が目を見張ります。この御岩山の三本杉は「森の巨人たち100選」に入っているとのこと。また推定樹齢は500年とのことです。杉の大木の下を歩いていると、熊野古道玉置神社の巨大杉群を思い出しました。

     御岩山の三本杉         大杉に囲まれた御岩神社の参道
 

 大杉の下をくねる参道を進んでいると、目的の御岩神社にやっと到着しました。しかしながら、何故この神社が宇宙から光って見えたのでしょうか?科学的に考えると、近くに反射する屋根らしき建物があるはずです。しかし、そのような屋根は見えませんでした。不思議なことです。地図を見ると、御岩神社よりさらに山奥に賀比礼神宮があります。30分位登り坂を歩いて、賀比礼神宮に行ってみました。その神社の展望台から、高鈴山らしき山並みが一望できました。汗をぬぐいながらしばし休んで、景色を楽しみました。


          今回散策した茨城県内のルート

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

田布施町 放課後学習 成器塾 羊の毛を洗浄,フェルト細工ほか(前半)

2019年10月11日 | 子供の育成関連

 前回の放課後学習成器塾は後半、田布施農工高校に行って羊や牛などの動物を見学しました。その時、この春に毛刈りした羊の毛をいただきました。今回の成器塾では、そのいただいた羊の毛のゴミを取り、良い毛だけを選別して、最後に専用洗剤で洗浄しました。そして、洗浄した羊の毛をカーディングしてフェルト細工に使いました。

   田布施農工高校でいただいた羊の毛、ゴミを取り良い毛だけを選別


 ところで、羊の毛を洗う洗浄液の作り方に悩みました。一番簡単なのは、通常の洗濯に使う液体洗浄剤を使うことです。混ぜるだけですぐに洗浄液として使えます。しかし、その液体洗浄剤にはいろいろな化学物質が入っています。例えば、芳香剤,殺菌剤,柔軟剤などです。子供が使うことを考えて、今回は自然に優しいと言われる無添加固形石鹸を使いました。ただし、固形のためとても面倒です。お湯に溶かす前に粉にしなければなりません。今回は包丁で削って粉にしました。また、粉を残さないように溶かさなければなりません。面倒ですが、これらを子供に体験学習してもらいました。

 固形石鹸を削って粉に  石鹸を袋に入れて溶かす   羊の毛を押し洗い
  

 粉にした固形石鹸をいったん袋に入れます。そして、熱めのお湯に浸けて石鹸を溶かします。これでやっと、羊の毛を洗える洗浄液が出来上がります。羊の毛は、ごしごし洗ってはいけません。基本的に押し洗いです。以前、早く洗おうとして洗濯機を使いえらい目にあったことがあります。何度か洗った後、天日乾燥させます。その乾燥させた羊の毛を、カーダーでカーディングするとふわふわの毛になります。その毛を紡いだのが毛糸です。また、ごしごし擦ってできるのがフェルトです。今回は、あらかじめ洗浄して天日乾燥させたた羊の毛を使いました。そして、カラフルなフェルト細工の学習をしました。

       洗浄後天日乾燥した羊の毛をカーディングしてふわふわに

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

茨城県 ひたちなか市~御岩神社~日鉱記念館などを楽しく散策(1/3)

2019年10月10日 | 家族関連

 元々の目的は人間ドックでしたが、10月4日から8日まで東京に行ってきました。その間、茨城県内をいくつか巡ってきました。今回は息子夫婦が連れて行ってくれました。茨城県は息子の嫁の出身ですので、嫁が知っている場所を中心にいくつか回ってきました。私はどちらかと言うと、史跡巡りが好きですが、今回は食べ物道楽と史跡道楽の二つを楽しんできました。早朝、息子たちが住む東京練馬区から車で、茨城県ひたちなか市の那珂湊漁港を目指しました。

          茨城県ひたちなか市の那珂湊漁港


 息子がJR水戸駅と近くの千波湖の間に住んでいた今から二年前、ひたちなか市に来たことがあります。その時、大洗町とひたちなか市を延々と一人で歩いて史跡巡りをしました。最初大洗町の道並みを散策し、神社や水族館などを楽しみました。続いて、大洗町から隣のひたちなか市まで歩いて、水戸藩が作った反射炉跡や登窯跡を見学しました。今回は、そのひたちなか市の那珂湊駅前を通って那珂湊漁港に行きました。すると、魚を買うためでしょうか都心からたくさんの人々が来ていて、右往左往の大賑わいでした。

 那珂湊漁港に到着   魚市場(いろんな魚を販売)   回転寿司店に入店
  

 漁港なので、魚を荷揚げするたくさんの船が間近に見えました。その中を、まるで魚の市場のような何棟もの広い売り場を散策しました。魚が好きな人にはたまらない場所です。魚を買わなくても、魚の種類を覚えるにはいい場所です。子供達にも勉強になると思います。

   握り寿司を楽しむ息子夫婦      いろんな魚の切り身もどっさり
 

 その魚市場の二階にある回転寿司店に入りました。最初にだし汁を頼みました。そのだし汁がこれまた美味しい事!また握り寿司は具が大きすぎてごはんが見えません。ごはんは、おまけ程度にちょこんと付いているのです。満腹しました。今回息子達にお世話になるので、寿司代は私が出しました。

          今回散策した茨城県内のルート

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

藍が綺麗に開花中、12月には採種

2019年10月09日 | 綿栽培,糸つむぎ,織り,染色

 10月になって藍の花がたくさん咲くようになりました。このままいくと、12月初めにはたくさんの種を収穫できそうです。藍染めすると布が青く染まりますが、小さな花は青ではなくピンク色をしています。採種して乾燥し、来年の3月には再びその種を蒔いて藍を育てようと思います。毎年のことですが、この花を見ると、今年の藍染めが終わったこと感じます。

            小さく清楚でピンク色の藍の花

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋ジャガイモの土寄せ

2019年10月08日 | 野菜:芋類

 遅れて9月に種芋を植え付けた秋ジャガイモ、ようやく芽が出てきたため土寄せをしました。ジャガイモは涼しい気候が好きなため、この10月にジャガイモが大きくなります。ジャガイモは茎から伸びるストロンと呼ばれる先端に芋ができます。種芋より上の位置に芋ができるため、土寄せは欠かせません。土寄せをさぼっていると、芋が地表に出て緑色のジャガイモとなってしまいます。この芽や緑にはソラニンと呼ばれる毒あります。芽や緑を取らないで調理する人がいるようで、たまに事故が報告されています。

         秋ジャガイモの周囲に土を寄せて盛り上げる


 土寄せする時はいつもそうなのですが、最初に芽の周辺を耕耘機で耕して土を柔らかくします。次に平クワで株間を軽く除草します。そして、柔らかくなった土を三本クワでジャガイモの芽に寄せます。土を寄せる前に株間に肥料を蒔きますが、今回は施肥しませんでした。また、芽欠きをしますが、今回はそう芽が多く出なかったので芽を欠きませんでした。
 ちなみに、小さなジャガイモをたくさん収穫したいときは芽を欠きません。一方大きなジャガイモを収穫したいときは、芽を欠いて芽の数を減らします。12月には美味しいジャガイモを収穫できることでしょう。

  芽の周りの土を耕耘   株間を平クワで除草    土寄せが終わった畝
  

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カメムシにやられるも、今年も小豆を収穫できそう

2019年10月07日 | 野菜:豆類ほか

 11月に収穫する予定の小豆畑に行ってみました。すると、すでに鞘が茶色になっている小豆がありました。その鞘を開いてみると、中には小粒の小豆が並んで入っていました。今年も小豆を収穫できそうなことが分かって安心しました。昔ながらの方法で小豆を収穫・脱穀しようと思います。ところで、かつて「小豆相場」と言って、小豆は先物取引されました。つまり、それだけ小豆の収穫量は変化がありました。その昔、小豆相場に手を出して、大儲けしたり、逆に家を取り潰した人がいたようです。


        鞘の中に綺麗に並んだ小豆、今年はやや小粒


 小豆は無肥料・無農薬で育てました。また種をまいて以降はほぼ放置していました。そのためでしょうか、小豆畑をかき分けると、無数のカメムシが驚いて飛んで行ったり落ちたりしました。去年よりも害虫の被害が多そうです。そのため、小豆も小粒なのだと思います。それでも、水羊羹を作るか、美味しいお汁粉(ぜんざい)にする程度は収穫できそうです。

  カメムシがたくさんいた小豆       小豆の鞘と黄色に咲いた花
 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雑穀である食用ヒエの収穫

2019年10月06日 | 麦,穀類,雑穀

 雑穀の一つである食用ヒエを収穫しました。脱穀しても丼一杯程度の微量な収穫量です。来年用の種を保存した残りを調理すると、2口程度は食べることができそうです。
 伝統的な食用ヒエの加工方法はいたって単純です。脱穀後に唐箕でゴミを取ります。食用ヒエは殻がとても離れにくいので、お米の籾摺機は使えません。そこで、粒のまま石臼で荒く曳きます。すると、粒が割れると同時に殻が外れます。この割れた食用ヒエ粒と殻を唐箕を使って分離します。すると、食べる部分の粒だけを得ることができます。この方法とは別に、黒蒸し法と呼ばれる作業工程が多い方法もあります。

       今回収穫した食用ヒエの穂、今年は穂の形が良い


 石臼を通した食用ヒエ粒には糠が少し付いています。その昔、糠が付いたまま蒸すか煮てこの食用ヒエの粒を食べていました。お米と比べてパサパサしていて、とても美味しい食べ物ではありませんでした。しかし、飢饉などの時には貴重な食べ物でした。まずいなどと言ってられません。少しばかり塩を入れると美味しく感じたそうです。
 お米を作ることができない寒い地域で食用ヒエは栽培されてきました。しかし今、食用ヒエは食べられなくなりました。飽食の時代には姿を消すしかない食料です。私は、この食用ヒエをいつまで栽培し続けてよいのか迷っています。

     食用ヒエの畑            食用ヒエは基本的に穂刈り
 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

9月に種をまいたタマネギが発芽、成長中

2019年10月05日 | 野菜:根菜

 9月の台風17号の時、山から飛んできた葉や枝が畑に重なるように落ちました。タマネギの種をまいた畝も例外ではありませんでした。落ちた落葉や枯草を取り除くと、ちゃんとタマネギの芽が出ていました。雑草も一緒に生えていましたので、その雑草を取り除いておきました。これから、肥料をまいて肥育しようと思います。ちゃんと成長すれば、11月には本畑にタマネギの苗を移植できそうです。

          芽生えたタマネギ枯葉や枯草を取り除く

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

窓を駆け上るアサガオ

2019年10月04日 | 花,野草

 毎年のように、婆様の南窓側にアサガオとニガウリのカーテンを作っています。元々南窓側は遮る木々がないので、窓から室内に直射日光が入っていました。その直射日光を遮るために作ったものです。二階のベランダから網紐をたらして、その網紐にアサガオやニガウリを登らせました。今年は、種まきが遅れて初夏にアサガオとニガウリの種をまきました。なかなか網紐を登らなかったのですが、この夏の猛暑でおおいに育ちました。今では、二階のベランダの柵に絡みついて、10月になっても花を咲かせています。

       二階のベランダまで伸びて咲くアサガオとニガウリ



  いくらなんでも、10月の終わりには種をつけて枯れると思います。その種を取っておいて、来年また同じ場所に種まきしようと思います。ただ、何年も種を取りながら育てていると、花の色が目立たなくなるようです。そのため、来年は新たに種を買って更新しても良いかも知れません。今咲いているアサガオは少し色が薄いように思いますのです。
 ところで、10/4~10/8の間、人間ドックなどのため東京に行ってきます。

  2階まで登って来たアサガオ       大きくなるニガウリの実
 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

古い松下製トランジスタラジオ AT-175 Junior の修理(3/4)

2019年10月03日 | 古ラジオ修理工房

 高周波回路終段の検波部が悪いことが分かりました。これは検波ダイオードの不良の可能性が高いことを示しています。そこで、検波ダイオードを正常なものに交換してみることにしました。購入したばかりの検波ダイオードIN60をたまたま持っていました。そのダイオードと不良と思われるダイオードを交換しました。すると、ドンピシャリ故障が治りました。

     交換した検波ダイオード、交換後ラジオ放送がよく聞こえる


 検波ダイオードの不良により音声出力が出ず、それがAGCにも影響を与えて音声が出なかったのです。交換後、ラジオ放送の音がどんどん聞こえるようになりました。直って良かったです。オシロスコープを使って波形を確認すると、変調された中間周波455kHZが、検波後は正常な低周波出力に復調されていました。

不良だった検波ダイオード  正常な検波ダイオード  SPと常時つながるよう配線
    

 イヤホン端子の破損によって、スピーカーに音声出力が出ない不良がありました。その破損のためでしょう小さなプラスチック部品が無くなっていました。どんな部品でどんな形をしているのか分からず、これでは直しようがありません。そのため、常時スピーカとつながるように配線をしておきました。イヤホンは使えませんが止む負えません。今後は、ラジオのシャーシ類を洗浄するなどして綺麗にしようと思います。どのラジオ放送局も良く入りますので、トラッキングの必要はないようです。

  交換前の不良検波ダイオード     検波ダイオード交換後の動作確認中
 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

光市 楽しかった島田~岩田の史跡巡りウォーキング(1/4)

2019年10月02日 | 歴史探訪他ウォーキング



 今年の夏の史跡巡りウォーキングは天候不順に泣かされました。下見ウォーキングも本番ウォーキングも雨で延期になりました。今回は光市のJR島田駅からJR岩田駅までの史跡を訪ねて歩きました。特に下見時は猛烈な暑さで、グロッキー気味によたよた歩きました。また距離があり過ぎたので、本番ウォーキングは大幅に歩くコースを短縮しました。省いたのは難波家屋敷,立野神社,そして正義霊社です。3km位は短縮されたと思います。しかしながら残暑のためか、山の中を歩くと蚊に襲われて難儀しました。それでも楽しい史跡巡り本番ウォーキングとなりました。

        蚊に襲われるも、山の中を人丸神社に向かう

 さて、本番ウォーキング日の9:45にJR田布施駅に集合しました。そして、JR田布施駅9:54発の電車に乗り込みました。そして、10:03に着いたJR島田駅で降りました。この駅からJR岩田駅に向かって、のんびりと史跡巡りウォーキングをしました。下見ウォーキングで巡った難波家屋敷,立野神社,そして正義霊社はスキップしました。

  出発したJR島田駅     三つの祠の鳥居     和裁師匠の顕彰碑
  

 最初に行った史跡は永明寺です。まずは、そのお寺に隣接する祠に行きました。三つ祠が並んでいるのですが、何の祠かが分からないのは残念です。続いて、永明寺の裏にある和裁師匠の顕彰碑に行きました。明治から大正時代にかけて和裁を極めた女性が顕彰されていました。お弟子さんがたくさんいたのでしょう。面白いのは「初代妻」と刻んであることです。戦前は一夫多妻でしたので、最初に妻になった誇りがあったのでしょう。

   永明寺の立派な本堂           談笑しながら人丸神社に向かう
 

 続いて、永明寺に行きました。元々は、本堂に上がらさせていただいて拝仏する予定でした。ところが、天候不順で史跡巡りが今回に延期になりました。さらに今回は法事があるとの理由で、本堂に上がらず周りを見学させていただきました。ありがとうございました。なお、永明寺は防陽八十八箇所霊場六十九番札所です。江戸時代から明治時代頃にかけて、たくさんの方が巡礼したことでしょう。永明寺を出ると、山の中にある人丸神社に向かって歩きました。

         JR島田駅からJR岩田駅まで巡った史跡コース

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする